ケン・ローチ
■ネットで、次の記事を読みました。ロンドンはエリート層以外「立ち入り禁止」? 社会的流動性に懸念。イギリスの英慈善団体「サットン・トラスト」の報告書をもとにした、BBCの記事です。相対的にでしょうが、ロンドンと比較して、ロンドン以外の地域では、社会的流動性(貧しい家庭の子どもが中流以上の家庭を築くなど)がより容易だが、ロンドンは家賃の高さが障壁となって、そのような社会的流動性がなく、地方からロンドンに出て「世の中で上に行く」という考えは「神話」になった…というのです。ロンドンに暮らせるのは、もともとロンドンに暮らして経済的に有利な人たち、あるいは地方であっても経済的に恵まれた家庭の出身者だけということになります。家賃が障壁となって、ロンドンで一旗あげようと思っても、それは無理ということになります。ロンドンは、経済的に恵まれない階層の人たちにとって、実質的に立ち入り禁止区域になっているというのです。ゲーテッドシティ…という言葉はないと思いますが、実態としてそのようになっているわけですね。
■次のような指摘も気になりました。自分が今の暮らしができるのも、自分に努力して能力があるからと考えて、もとも恵まれた階層に生まれてきたからだ、その階層も金融によって獲得したものだ…とは思わないわけですね。おそらく階層の違う人たち、ロンドン以外で生活するひとびとに対する「想像力」が希薄化しているのではないかと思うのですが、実際のところはどうでしょうか。
報告書はさらに、過去数十年でロンドンに超富裕層が誕生していると強調。金融によって富を手にしたケースが目立つと指摘している。そうした裕福なエリート層には、「能力主義信仰」を支持しながら自らは特別に有利な立場にいるとは考えない、自覚の欠落がみられると警告している。また、富裕エリート層は「自分と同じような多くの人々に囲まれている」ため、自らを「特別に恵まれている」とは考えないと分析している。
■このBBCの記事をfacebookにシェアしたところ、知人の方が、映画を紹介してくださいました。ケン・ローチというイギリスの映画監督の作品です。映画に疎い私は、この映画監督のことを知りませんでした。YouTubeで調べてみると、彼の作品の予告編がありました。2019年に公開された「わたしは、ダニエル・ブレイク」と、昨年公開された最新作「家族を想うとき」です。「わたしは、ダニエル・ブレイク」に関しては、この映画を紹介したニュースもアップされていました。とても気になりました。実際に見てみたいと思います。
OB交響楽団での練習を見学
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■私は、学生時代、母校の関西学院大学の学生オーケストラ、関西学院交響楽団に所属していました。昨日は、この学生オケの出身者が結成した「関西学院OB交響楽団」の練習が、西宮の甲東園にある公民館で開催されました。私自身は、このOBオケのメンバーではありませんが、OBオケの方から見学しませんかとのお誘いがあり、お邪魔いたしました。この日の練習は特別でした。世界的に活躍されている指揮者、佐渡裕さんが指導されることになっていたからです。
■33年前の1987年、神戸文化ホール大ホールで関学オケの「第69回定期演奏会」が開催されました。指揮者は、佐渡裕さんでした。その当時、新進気鋭の指揮者として関西のあちこちの学生オケや市民オケで棒を振っておられました。ちなみに、龍谷大学吹奏楽部も、佐渡さんに指揮をしていただきました。1986年のことです。佐渡さんの指揮のおかげで、日本吹奏楽コンクールの全国大会に初めて出場することができました(もちろん、私は、1986年当時、関学の大学院生で、コンクールのことなど何も知りませんでしたし、自分が将来、龍谷大学で教員をしていることも夢にも思っていませんが…)。
■当時の関学オケでは、次の定期演奏会でも指揮を佐渡さんにお願いすることになっていたようですし、佐渡さんもそのことを了承されていたようです。しかし、佐渡さんは急遽留学されることになり、佐渡さんの2回目の指揮による定期演奏会は実現しませんでした。そのことを、昨日、練習を開始する前に、佐渡さんが当時のことを振り返りながらお話になりました。
■その後、時が経過し、佐渡さんはヨーロッパを中心に活躍されるようになります。そして、佐渡さんから関学オケで指導を受けた1人の後輩もヨーロッパで働くようになりました。彼は、関学オケの学生代表である部長でした。その後輩が佐渡さんに会いに行ったことから、再び交流が始まりました。2017年の事のようです。来月、開催される関学オケの「第134回定期演奏会 阪神・淡路大震災25周年メモリアル」の指揮は佐渡さんですが、佐渡さんと後輩とのこのような再会と交流がひとつのきっかけになっているようでした。
■詳しくはわかりませんが、昨晩の練習は、佐渡さんに再び定期演奏会で指揮をしていただくことと関連する、「現役定期応援企画」なんだそうです。OBオケの練習についても、佐渡さんが特別にご指導くださることになったようです。OBオケの全員ではありませんが、多くの皆さんが佐渡さんが指揮をされた時代に、現役だったのでしょうね。
■練習した曲は、来月に開催される「関西学院OB交響楽団 阪神・淡路大震災メモリアルコンサート~ 25 年目の『 風に想う』 ~」で演奏するシューベルトの「交響曲 未完成」でした。練習が始まる前はどうなるんだろう…とちょっと心配していましたが(失礼なことを書いてますが…ごめんなさい)、佐渡さんが指揮をされると音も音楽も見事に変化していきました。驚きました。指導の中でお話になる曲の解説についても、とても勉強になりました。「未完成」の練習の後は、休憩を挟んで、弦楽器で「G線上のアリア」が演奏されました。演奏前には、OBオケの指揮者の後輩から震災当時の出来事についてのお話がありました。私も、震災の時のことをいろいろ頭に浮かべながら聞かせていただきました。そして、演奏の後、黙祷を捧げました。
■練習の休憩時に、佐渡さんとお話をさせていただきました。34年前、龍大吹奏楽部が佐渡さんの指揮で日本吹奏楽コンクール全国大会に出場できたことのお礼を申し上げたのです。その上で、佐渡さんが指揮をされたトーンキュンストラー管弦楽団のマーラーの交響曲第5番のCDにサインをしていただきました。もちろんOBオケのメンバーも、佐渡さんに未完成の譜面にサインをお願いされていました。まあ、クラシックファンだとそういうものですかね。そうそう、OBオケのメンバーに混じって、私たち見学していたOBも一緒に、記念写真をお願いしました。この辺りは、自分でも恥ずかしほどミーハーなわけですが(^^;;。
■昨日は、懇親会もありました。6つしたの学年の方達と同じテーブルになりました。私がかろうじて知っている後輩の皆さん、元女子学生の皆さんです。こんな話も出てきました。卒業旅行でウィーンに行った時に、佐渡さんにお会いしてご自宅でカレーをご馳走になった…、オペラを見るのにストーリーがわかっていないと辛いからと解説した文章をいただいた…、そういう話です。30年前のことなので、元女子学生も記憶は曖昧、佐渡さんも完全に忘れておられました。まあ、こんなものですかね(^^;;。ひさしぶりに、お会いした元女子学生の皆さんとお会いして楽しい時間を過ごすことができました。とはいえ、22時半にはお先にお暇して滋賀に戻らねばなりませんでした。これがギリギリ。自宅最寄駅に最終電車で帰れる時間でした。
「コントラバス視点で見るベートーヴェン交響曲第7番1楽章」
■こんなユニークな動画を見つけました。ちょっと、びっくりです。オーケストラの中でもコントラバスだけに注目した動画です。それぞれの楽器の演奏の技量や、他の弦楽器や管楽器とのアンサンブル等については横に置いておいて…。それはともかくです、なぜか、とにかく、この動画に引きずり込まれてしまいました。こういう発想はなかったな〜。アマチュアオーケストラの本番のステージ、おそらくは譜面台に動画のカメラを取り付けて撮影されているのだと思います。演奏されている方、どういう方かは存じ上げませんが、きちんとした演奏の実力をお持ちの方だと思います。
■ひょっとすると、個人的な経験から引きずり込まれているのかもしれません…。私は、学生時代にオーケストラでバイオリンを弾いていたんですが、時々、コントラバスの同級生や下級生の楽器を弾かせてもらっていました。今、龍谷大学吹奏楽部の部長をしていますが、吹奏楽の中で唯一の弦楽器であるコントラバスを部員の方達が弾いておられるのを拝見して、いつも内心は「弾かせて欲しい…」と思っています。口には出しませんけれど(^^;;。
■こういう動画のビオラがあったらいいのにな〜。
第一楽章
https://youtu.be/X902PUKjYrQ
第二楽章
https://youtu.be/gLaCS4NAxUE
第三楽章
https://www.youtube.com/watch?v=M8q8fgzWtD0
第三楽章・第四楽章
https://youtu.be/5wNRBd31r5I
アンサンブルコンテスト
本日、第52回京都府アンサンブルコンテストが行われました。当部からは、サックス四重奏が京都府代表として選ばれました!
応援してくださった皆さま、ありがとうございました(^○^) pic.twitter.com/EsCvXYpyub— 龍谷大学吹奏楽部 (@ryu_windmusic) January 12, 2020
■おめでとうございます㊗️今日は、龍谷大学吹奏楽部の若林義人音楽監督と一緒に、アンサンブルコンテストに参加された全ての団体の演奏を拝聴しました。今日も、吹奏楽の世界のことを知る良い勉強の機会になりました。
■龍谷大学からは、クラリネット四重奏が3チーム、クラリネット五重奏が1チーム、サクソフォン四重奏が2チーム、金管四重奏が1チーム、合計7チームが出場しました。龍谷大学吹奏楽部、大変意欲的です。今日は、昨年の定期演奏会で引退(卒部)した4回生の皆さんが応援に来ておられました。そのうちのお1人、学生指揮者だったT君から教えてもらいましたが、昨年末12/26の定期演奏会が終わってから、冬休みの間にそれぞれ練習を積んで、今回のアンサンブルコンテストに出場されています。短い時間で集中して練習をされてきたのですね。こういう機会が、学生の皆さんの演奏能力を高めていくことにつながるのでしょう。
■京都府代表として関西大会に出場することになった龍谷大学吹奏楽部のサクソフォン四重奏の皆さん、表彰の際に、ご自分たちが選ばれるとは思っておられなかったようですね。少々戸惑っておられました。他の仲間の思いも背負って、頑張って関西大会に出場してくださいね。私は関西大会には、仕事の関係で行くことができませんが、福井県で開催される全国大会でお会いできればと思います。さらにレベルの高い、明確にビジョンのある演奏を楽しみにしています。
2019年、ありがとうございました。
竹内まりやさんで『いのちの歌』でした。
まりやさんの思い、届きましたね。#NHK紅白#竹内まりや pic.twitter.com/ju7YvI63X9
— NHK紅白歌合戦 (@nhk_kouhaku) December 31, 2019
■2019年、還暦を超えて61歳になりました。昨年は4年連続になりますが、長浜-南郷洗堰-大津-雄琴温泉と、徹夜で100km歩くことができました。その一方で、メニエール病の症状が出てきて、体力の衰えを実感する年になりました。また、4月から龍谷大学吹奏楽部の部長に就任し、様々な経験をさせていただくとともに、たくさんの感動を経験することができました。お世話になった皆様に、心より感謝したいと思います。ありがとうございました。それでは、皆様、良い年をお迎えください。
■動画は、NHK紅白歌合戦のtweetを貼り付けたものです。竹内まりやさんの「いのちの歌」です。
■紅白が終わったら、リンクが消えてしまいました。ということで、以下からどうぞ。
「時の踊り」ベルリンフルートアンサンブル
■先日の龍谷大学吹奏楽部の定期演奏会で演奏された「時の踊り」。イタリアのオペラ作曲家ポンキエッリの作品である歌劇「ラ・ジョコンダ」第3幕です。ベルリンフルートアンサンブルの皆さんが、いろんな音域のフルートで演奏しています。すごい…。びっくりです。フルートだけですが、すごいなプロは、ほんまに。
縦コン
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■一昨日は、学生時代に所属していた関西学院交響楽団(通称、関オケ)のビオラパートを中心とした「縦コン」でした。「縦コン」とは、学年を超えて縦につながったコンパ…のことでしょうか。コンパという言葉自体が今や「死語」のような気もしますが、我々の世代はなんと言っても飲み会ではなくて、コンパです。昨日の「縦コン」の正式名称は、「20191228大ビオラ会縦コン」です。
■参加者は48名。そのうちの41名はビオラパートの方達ですが、残りの7名は、他のパートの方達です。私もこの他のパートのうちの1名になます。私の場合、現役時代はずっとバイオリンを弾いていましたが、卒業して大学院に進学してからは、後輩たちの定演でエキストラとして弾いていました。その時代に1回だけ、ビオラを弾いたことがあるのです。内声部のパートに憧れていたのですね。堤俊作さんが指揮をされたベートーベンの交響曲第3番「英雄」でした。ビオラとバイオリンでは奏法が違うのですが、私は我流で、ビオラをバイオリンのように弾いていたと思います(^^;;。ただ、バイオリンの譜面はト音記号ですが、ビオラはハ音記号。最初の頃は、頭の中でト音記号をハ音記号に変換していたので、大変でした。ちなみに、昨日、胸にはったネームカードにはハ音記号がデザインされていました。細かい気の配り方ですね。
■昨日は、1970年に卒業された大先輩から、2018年に卒業されたばかりの後輩の皆さんまで、大勢の方達が集まりました。1970年に卒業された大先輩の頃は、キャンパスは学園紛争でロックアウトされていて、部室にしかいく場所がなかったとか…2018年卒業の方達にはなかなか理解しがたい話かと思います。驚いたのは、1982年卒業の先輩と2018年に卒業された後輩が親子で乾杯のおんどを取られたことです。もちろん、親子でビオラパートです。すごいですよね。年齢の幅はかなり広いです。親子よりは離れていて、場合によれば祖父母と孫くらい…かな。これも、すごいですね。ただ、若い後輩の方達がおられるおかげで、私の卒業年次に近い後輩以上の人たちは、みんな平等に歳をとった感じで、みなさん立派なおじさん、おばさんになっておられました。妙な安心感(^^;;。
■昨日は、東京等の遠方から、この「20191228大ビオラ会縦コン」のためにやってこられた方が何人もおられました。その先輩が途中で帰宅されるということで、後輩のひとりがエールを切って校歌「空の翼」を全員で歌いました。もちろん、最後にも、もう一度「空の翼」。いいですね〜。みんな校歌の1番だけは歌えますね。
■昨日のお店「鳥居」は、西宮界隈では有名な焼き鳥屋さんです。私の学生時代の頃は、阪急仁川駅そばに本店がありましたが、現在では、甲東園駅や昨日の小林駅のそばにもあります。大変有名なお店で、お店のなかがいっぱいな時は、お店の入り口の前にビールのケースを置いて、その上に板を敷いて椅子がわりに使っていました。とても懐かしかったです。ちょっと、味は変化していたけれど…。こうやって昔を懐かしみながら、幸せな気持ちになって、少しずつ歳をとって行けたらいいなあと思います。
■「20191228大ビオラ会縦コン」の会場は西宮市でした。ここから大津の湖西にある自宅まで戻らねばなりませんでした。帰宅に時間がかかるので、多くの皆さんが余韻に浸っているところを、お先にお暇させていただきました。東京に深夜バスで帰るという同級生と一緒でした。タフネスです。女性ですけど。若いな〜。それはともかく、スマホのアプリで帰りの電車を検索。すると…
阪急小林→阪急西宮北口→阪急十三→阪急高槻市→阪急大山崎…徒歩…JR山崎→JR京都→湖西線…
■ずいぶん、乗り換えをしなくてはいけませんが、これが一番早いらしく、アプリの指示通りに帰宅することにしました。JR山崎駅、なかなか素敵な佇まいです。調べてみると、1927年(昭和2年)に建てられた駅舎のようです。入り口のアーチが素敵です。戦前の都市郊外に建設された住宅地の最寄り駅…の雰囲気が出ているような気がします(勝手な妄想ですけど)。そばには、サントリーの山崎蒸溜所があり、アサヒビールの山崎山荘美術館があります。そのイメージともよくあう素敵な駅だと思います。
スーパーキッズ・オーケストラ
スーパーキッズ・オーケストラ
指揮・芸術監督 佐渡裕
「ホルベアの時代から」(ホルベルク組曲)グリーグ作曲
第1曲:前奏曲 Allegro vivace、
第5曲:リゴドン Allegro con brio
■たまたま、YouTubeでみつけました。清々しい気持ちになります。指揮は、佐渡裕さんです。以前、ノルウェー旅行をして、グリーグゆかりの地を訪問しました。それから、グリーグを意識して聞くようになりました。この曲をきちんと練習して演奏したことはありませんが、確か大阪府立北野高校のOBOGの皆さんがやっておられるオケの新年会か何かで弾いた記憶があります。私にとっては初見大会だったので、全く弾けませんでしたが(^^;;。約40年前のことですかね。
龍谷大学吹奏楽部 第46回定期演奏会
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■昨日は、龍谷大学吹奏楽部の第46回定期演奏会でした。素晴らしい演奏に、大変感動いたしました。今回は、私もよく知るクラシックの曲がプログラムに入っていました。最後の曲は、ワーグナーの歌劇「リエンツィ」序曲。学生時代にオーケストラで演奏しているので、個人的にも格別な感動がありました。アンコールの「ダニーポーイ」も心に音が染み込むようでした。部員の皆さん、ありがとうございました。龍谷大学吹奏楽部は、このようなクラシックから現代曲、そしてポップスに至るまで、非常に幅広い音楽的表現のできる素晴らしバンドだと思います。若林監督をはじめとして、指導者の先生方が、全国屈指の学生バンドに育て上げてくださったおかげです。
■今年の4月に部長に就任して、できるかぎり吹奏楽部の活動に伴走してきました。とはいっても、基本は「ただ、いるだけ…」の部長です。どれだけ実質的に吹奏楽部に貢献できたのかなあ、その辺りのことはよくわかりません。長い目で見てください。とはいえ、4月から12月までの9ヶ月で、ずいぶんたくさんのことを経験させていただきました。たくさんのステージを拝見することができました。降誕会の提灯行列にも一緒にくっついて京都の街中を歩きました。練習場にも何度も通って、部員の皆さんの練習の様子を見守ってきました。吹奏楽コンクールの京都府大会、関西大会、そして全国大会へと進んでいくプロセスを部員の皆さんと一緒に体験できました。部員の皆さんが、演奏だけでなく運営に関しても相当な努力や苦労をされていることを知ることになりました。だからでしょうか、最後の演奏会を終えて、ステージ上で涙を流す4回生皆さんの気持ちが伝染してちょっともらい泣きしてしまいました。まあ、元々、涙脆いということもありますが…。
■今年の演奏会、昨日の定期演奏会が最後になりますが、新年になりますと、アンサンブルコンテスト、京都府精華町の中高生とのジョイントコンサート、関東の大学吹奏楽部とのジョイントコンサートと、いろいろ演奏活動が予定されています。ちなみに明日は、他大学との吹奏楽関連の会議があります。コンクールを中心に大変盛り上がっている中高の吹奏楽部とは異なり、大学の吹奏楽部は全国的にやや停滞気味です。大学の吹奏楽部の数自体も減少しているそうです。また、吹奏楽部として活動をしていても、コンクールには参加しない大学多数あります。個別の大学を超えて連帯しながら、もっと大学の吹奏楽を盛り上げて行こう…明日はそのような会議です。もっとも私は吹奏楽の世界は超初心者でしかないので、関係者の皆さんのご意見から学ばせていただくことになります。
鳴門の第九100年 都内でフラッシュモブ
■日本の年末は、「第九」(ベートーベンの第九交響曲「合唱付き」)ということになります。確か、戦後の話だったと思いますが、どこかの楽団の団員のボーナス(餅代)を稼ぐために年末に始まった…と聞いたことがあります。どうなんでしょう。ということで調べてみました。すると、すぐにこんな記事が見つかりました。帝京科学大学の石橋裕子先生の解説です。以下に、引用してみます。
日本での初演は、1918年6月1日、徳島にあった捕虜収容所で、第一次世界大戦の青島攻略戦で捕虜となっていたドイツ人たちによって演奏されました。
太平洋戦争の敗戦後、どのオーケストラも財政難でした。そんな中、日本交響楽団(現NHK交響楽団)が1947年12月9、10、13日にレオニード・クロイツァー指揮で3夜も第9の演奏会を開催して観客を集めました。これを「その手があったか」と他のオーケストラが真似し、その後設立されたオーケストラも右へならえしたのが、「年末の第九」の始まりだといいます。つまり、「餅代稼ぎ」で演奏されていたのです。
「第九」には、オーケストラのほかにコーラスも参加するので、出演者の総人数がとても多いです。その出演者たちの知人が客として来れば、普段より多くの来場者が期待できます。コーラスもプロを雇ってしまうとコストはかさみますが、学生などのアマチュアに頼めば出演料もあまりかからず、オーケストラの収益はアップします。年末に演奏され始めた1940年代後半、「第九」はとても人気のある曲でした。第二次世界大戦直後の日本はとても貧しく、多くの人が苦労をしていたので、『歓喜の歌』の名前でも親しまれる前向きなイメージの「第九」のメロディが、日本人の心をとらえたのではないかと言われています。
■なるほど…です。で、3年前にアップされたYouTubeの動画を貼り付けます。
「全ての人々は兄弟になる」―。ベートーベン最後の交響曲「第九」は人類愛など、希望に満ちたメッセージを世界中に送り続けてきました。この第九を日本、そしてアジアで初めて奏でたのは、第1次世界大戦中のドイツ兵捕虜でした。1918年6月1日、場所は徳島県鳴門市の板東俘虜(ふりょ)収容所。敵国で、捕虜たちはなぜ第九を演奏できたのか。そこには心温まる〝奇跡〟のような史実があります。9月13日、そのことを伝えたくて、東京・二子玉川で鳴門の市民合唱団を含む関係者が、高らかに歓喜の歌声を響かせました。
指揮】平井秀明 【演奏】東京アカデミック管弦楽団
【合唱】 日本合唱協会、平井秀明オペラ合唱団、徳島『第九』合唱団、会津『第九』合唱団、公募有志 約80名
【阿波踊り】娯茶平(徳島)、飛鳥(東京 高円寺)約60名
【主催】徳島新聞社、福島民報社
■このフラッシュモブのイベントは、日本で初めて第九が演奏されたのは徳島県(鳴門)であり、鳴門の板東俘虜収容所の所長であった松江豊寿(1872年7月11日- 1956年)さんが福島県の会津若松の出身であったことを、広く知らせるために開催されたようです。wikipediaの情報ですが、松江豊寿さんは、「ドイツ人の俘虜達に人道に基づいた待遇で彼らに接し、可能な限り自由な様々な活動を許した。賊軍としての悲哀を味わった会津藩士の子弟に生まれた体験が、大きく彼の良心的な人格形成に影響したといわれる」…そうです。素敵ですね。今回、松江豊寿のことを初めて知りました。
■ところで、この動画の中では、第九の4楽章で徳島の阿波踊りが登場します。最初は、ちょっとびっくりしましたが、なかなか、どうして、不思議なものですね、面白いなと思ってしまいました。このイベントでは、最後に、福島県いわき市のフラダンスチームも参加されたようです。