松の木内湖の環境再生と地域づくり
■一昨日、30日(木)、滋賀県庁の「つながり再生モデル事業」(琵琶湖環境部・琵琶湖政策課)の関係で、琵琶湖政策課や滋賀県立琵琶湖環境科学研究センターの皆さんと一緒に、高島市にある松の木内湖にでかけました。内湖に隣接する集落の皆さんに、小さな船(タブネ)で案内していただきました。松の木内湖は、様々な意味で周囲に暮らす人びとにとって重要なコモンズでもありました。
■内湖の湖底の泥。底泥は、肥料分を含む貴重な資源でした。周辺の人びとは、この泥をすくいあげ、畑にすきこみました。夏野菜がよく実ったといいます。内湖は、様々な魚の生息場所でもありました。春には、内湖の周囲にあるヨシ原にたくさんのコイ科魚類が産卵にきました。鮒寿司の原料になるニゴロブナはもちろんですが、それ以外のフナやコイの仲間の魚たちも、タツベやモジなどの竹製の漁具で捕獲され食用にされました。昨日お会いした方達は、そのような湖魚を食べる食文化のなかで生まれ、これまで生きてこられました。そうそう、私が大好きなホンモロコもよくやってきたといいます。ヨシ原は、ボテジャコとよばれるタナゴ等の小さな魚の生息場所でもありました。その他にも、ナマズやギギ、ドジョウなどもいくらでもいたといいます。内湖の琵琶湖への出口のあたりには、小さなエリも設置されていました(フナなどを獲る荒目のエリ)。肥料や食料といった人びとの生業だけでなく、内湖は、子どもたちの夏の遊び場でもありしまた。人びとの生活とも密接につながっていました。ところが、高度経済成長期を経て生業や生活のスタイルが近代化のなかで変化していきます。化学肥料が普及すると、内湖の泥を使うことはなくなりました。食生活も変化し、若い世代の皆さんは、内湖の魚を食べることがなくなっていきました。人びとの暮らしや生業と内湖との「つながり」が切れてしまったのです。もちろん、今はこの内湖で遊ぶ子どもの姿もみることもできません。このような変化は、この松の木内湖だけではなく、現在でも残っている滋賀県内の他の内湖でも同様の状況かと思います。
■人びとの暮らしや生業と内湖の「つながり」が切れてしまうことで、内湖は少しずつ変化していきました。かつてのように内湖の低泥を肥料として取り出すことはなくなりました。当然、流入する河川からの土砂で内湖は浅くなり、そのような土砂は内湖に溜まっていくことになります。この地域の皆さんの話しを総合すると、そこに拍車をかけたのが河川改修や周囲の水田の圃場整備事業です。かつて松の木内湖には、周囲の複数の河川から、今とは違ってかなりの量の水が流れ込んでいたようです。また、内湖から琵琶湖へ内湖の水が流出するあたりは、今よりも幅が狭くなっており、そのこともあり、かなりの流速があったようです。内湖の湖底には、そのような水の流れにより「ホリスジ」と呼ばれる一段深くなった内湖のなかの水路のようなものもあったといいます。常に、この松の木内湖の水は動いていたてのですね。しかし、河川改修によりその動きがなくなりました。さらに、圃場整備事業により水田からの濁水が、内湖に河川から流れ込み、泥が堆積するようになってしまいました。圃場整備事業により濁水や内湖に堆積する泥の量は増えました。泥が堆積したところにはヨシ帯が形成され、樹木もはえるようになってしまいました。少しずつ内湖は小さくなっていったのです。実際に田舟にのって内湖を拝見したわけですが、そのさい、湖底からキノコのようなものがニョキニョキとはえているのがみえました。もちろんキノコではありません。水中の泥が沈殿していくさいに、水草の葉や茎に泥が積もってしまったのです。それが、キノコのように見えていただけでした。何も知らなければ、美しい風景のように見えますが、この地域の皆さんからすれば、これは荒れ果ててしまった内湖ということになります。
■かつての内湖をよくご存知の60歳代以上の皆さんは、なんとかこの状況を食い止めたい、そして改善したいとお考えです。この日は、地元の方に田舟に乗せていただき、内湖をその内側から見学させていただきました。内湖の状況をじっくり観察させいただきました。陸からながめているのとは異なり、地域の皆さんが悩んでおられる実態がよく理解できました。以前、公共事業により、この内湖を整備して公園化してしまおうということが計画がたてられましたが、結局、予算の関係もありうまくいきませんでした。しかし、地元の皆さんは、そこで挫けませんでした。現在、4月末か5月頭にかけて内湖の端にたくさんの「鯉のぼり」を泳がせるイベントを開催されています。少しでも、内湖のことを知ってもらい、内湖と関わってもらおうという狙いがこのイベントにはあります。私は、まだ参加したことがないのですが、地域外からもたくさんの方たちが参加されるようです。
■田舟での内湖の視察のあとは、地元の方達と、この松の木内湖の再生、特に地元の皆さんの暮らしと内湖の「つながり」をどのように再生していくのか…という点について協議を行いました。これで3回目になります。今回は、松の木内湖の「つながり」をもっと再生できるように、これまで地域の皆さんで実施されてきた「鯉のぼり」のイベントを、さらに盛り上げていこうということになりました。最初は少々堅い雰囲気でしたが、しだいにいろんな「夢」が出てきました。「夢」を語り合うことができました。結果として、「さあ、やるぞ!!」という感じで「力」が湧いてくる素敵な会議になりました。「こんなこといいな、できたらいいな…」と漫画「ドラえもん」の歌の歌詞のような展開になりました。写真とは異なり、みなさん笑顔になりました。いろんなプランが提案されました。そうした中で、まず決定したことは、若い世代の方達が泥臭いと嫌っておられる内湖の魚を美味しく料理して食べてもらおう…というものです。そのために、新しい湖魚料理をプロデュースできる料理人の方に、そのイベントに参加してもらおうということになりました。現在、料理をしてくださる方を募集中です。すでに、声をかけさせていただいた方もいます。個人的な主観といわれるかもしれませんが、湖魚は美味しいんです!! 美味しい湖魚を、現代風のレシピのなかで使っていただき、若い世代にも楽しんでもらおう…というのが狙いです。湖魚料理以外にも、内湖のもっている「びっくり」するような「すごい」魅力を、しっかり伝えていけるような企画も考えています。楽しいイベントにしていきます。地元はもちろんですが、地域外からもたくさんの参加をいただければと思います。また、このブログでも広報させていただきます。
「小流域」の土石流(岸由ニ)
■ネットの「日経ビジネス」に「秋も台風直是期、天気予報も行政もアテにならない時代が来た 広島県安佐南区の土石流災害は回帰できたか?」という記事が掲載されていました。インタビュー記事です。インタビューを受けているのが岸由ニさんだったので、丁寧に読んでみました。土石流災害を、流域の視点から説明されている点に新鮮さを感じました。岸さんには、まだ私が40歳頃に、参加していた「流域管理のプロジェクト」に対する評価でお世話になりました。そのとき、自分たちの研究を励ましていただいた記憶があります。ちなみに、このブログでも、「岸由ニさんの本」をエントリーしています。
■さて、この記事のなかで、岸さんは、次のように語っておられます。
地質以上に地形なのだと私は思っています。山間の土石流災害にしても、河川氾濫にしても、名古屋で起きた地下鉄駅の水没にしても、水害は地形によって起きるのです。じゃあ、その地形とはなにか。「流域」です。(中略)今の日本で起きている水害は、「なに」で起きているか。天から降ってきた大豪雨によって起きます。でも、「どこ」で起きているか。それは、それぞれの場所が属している「流域」の地形で起きているのです。
■今回の広島の土石流災害はどこでおきているかというと、「すべて山の斜面に広がっている「流域」の出口に当たる部分」なのです。
水は必ず高いところから低いところに流れます。そして流れ落ちる水は地面のより柔らかいところを削りながら流れます。雨が降って地面に落ちてきた雨水はこの2つの法則に沿って、地面を削り、低い方へ低い方へ流れ、川になって、その川がどんどん合流して最後は海にたどり着きます。こうやって雨水が削ってできた地形が「流域」です。
山に降った雨は、斜面から谷へと落ちて川に流れ込みます。山の一番高いところをつないだ「尾根」に囲まれたエリアに降った雨は、すべてこの谷を走る川に流れこみます。尾根の向こうは別の流域になります。自然の地形のほとんどは、このように流域がパズルのように組み合わさってできています。土地は、ほとんどの場合、雨水がつくった「流域」のかたちの中に収まっているんです。
今回の広島の災害は、山の斜面の、100ヘクタールにも満たない小さな流域が山から平地にひらかれる扇状地のような場所で起こっています。土石流災害が起きた扇状地のような場所は、原理的に考えれば、大雨がふれば必ず水と土砂が集まる場所です。そこに人が集住していなければ、土石流は大雨に対する流域の自然な反応であって災害にはなりません。しかしそこが居住地になっていれば、豪雨の規模に応じて、大きな土砂流がおき、限度をこえれば大災害になる。自然のメカニズムでいえば、当然のことなのですね。
■今回の災害がおきた流域のことを、岸さんは、仮に「小流域」と呼んでおられます。「流域は尾根で区切られて入れ子状になって」おり、「大流域の中に中流域、中流域の中に小流域が組み合わさって」できているのです。岸さんは、今回の災害のばあいは、「流域が上流域に広い集水面積をもち、下手で絞られる形をしている」ことが大きな災害を生み出していると指摘されています。しかも、その上、流域の森林においてこまめな管理されておらず、山の保水力が極度に低下しているため(モヤシ林で下草もはえない…)、豪雨の際には森林ごと流されて、倒木により小さなダムがうまれ、それが決壊したときにさらに大きな被害を生み出すというのです。
倒木や土砂による小さなダムは、斜面に複数できていることが多いものです。決壊したミニダムは、次々に勢いをまして、その下にあるミニダムを決壊させます。倒木と土砂がミニダムを崩壊させながら谷へ向かって滑り落ちていきますから、物凄いスピードと破壊力を持った土石流になるわけです。
広島でも、大島でも、被害の発生した小流域では、このようなことが起きたのではないかと想像されます。次々とミニダムを決壊させて勢いを増すカスケード型の崩壊は本当に怖いんです。
■岸さんは、動画も紹介されています。以下のものです。「流れの先端は倒木や石だらけ」です。「温暖化豪雨時代」、「森林管理不在時代」の現在、このような小流域が大災害をもたらす時代になっていると警告されています。また、流域の考え方を防災に取り入れる必要性があると強く主張されています。地域住民は、自分たち自身でそのことを確認する必要があるのです。『「流域地図の」作り方』の著者らしい主張です。
■岸さんは、最後にこうアドバイスされています。
安佐南区の災害が起きた八木地区の地名は「八木蛇落地悪谷」でした。豪雨があれば、大量の土砂の流れ落ちる流域であると、昔の人は良く知っていたのでしょうね。自分の住んでいるところが危ないとわかったら、地域住民で協力して裏山の森の手入れをするなどというのも良い対応かもしれません。谷に溜まっている倒木の処理をするだけでも、きっと被害を小さくすることができますよ。
『野生動物管理システム』(梶光一/土屋俊幸 編)
■私は、これまで「流域管理」の学際的研究に取り組んできました。そのような私が、他の分野の専門家と議論しながら、環境社会学の研究蓄積をベースに、それらを組み立て直し、再構成しつつ、提案してきた概念に「階層化された流域管理」があります。この「階層化された流域管理」の考え方の元になった素朴なスケッチは、脇田(2002:342-351)のなかで示してあります。その後、総合地球環境学研究所のプロジェクト「琵琶湖-淀川水系における流域管理モデルの構築」に取り組むなか、脇田(2005)において「階層化された流域管理」という考え方にまとめることができました。それらは、谷内茂雄・脇田健一・原雄一・中野孝教・陀安一郎・田中拓弥 編(2009)のなかの脇田(2002)で、さらに詳しく説明しています。この「階層化された流域管理」の概念は、研究プロジェクトを統合する「柱」としての役割、そして異なる分野の研究者が相乗りするための「プラットホーム」のような役割を果たしました。
■今回ご紹介する『野生動物管理システム』(2014)は、先月、東京大学出版会から出版されたばかりの研究書です。エゾジカの研究で有名な梶光一さんを中心に実施された研究プロジェクト「統合的な野生動物管理システムの構築」の成果をまとめたものです。本書の「はじめに」では、次のように書かれています。「異なる行政・自治上の階層の統合、異なる空間スケール(ミクロ・メソ・マクロスケール)の統合、社会科学と生態学を統合することによって、深刻な農業被害をもたらしているイノシシに焦点をあてて、統合的な野生動物管理システムの構築を目指した」。このような考え方は、梶さんが「1.3『統合的な野生動物管理システム』の構築に向けて」の中でも述べているように、私たちの流域管理から生まれた「階層化された流域管理」の概念を、野生動物管理へと応用展開しているものなのです。こうやって、流域とは異なるテーマの研究のなかで応用していただけたことは、空間スケールに着目したこの「階層化された流域管理」という概念が、汎用性をもっていることを示しているともいえます。私たちの研究を、きちんと引用し応用展開していただいたことに、心より感謝したいと思います。
■本書の目次は以下の構成になっています。
I 総論編
第1章 野生動物管理の現状と課題(梶 光一)
第2章 地域環境ガバナンスとしての野生動物管理(梶 光一)
第3章 野生動物管理システム研究のコンセプト(梶 光一)II 実践編
第4章 研究プロセスと調査地(戸田浩人・大橋春香)
第5章 ミクロスケールの管理――集落レベル(桑原考史・角田裕志)
第6章 メソスケールの管理――市町村レベル(大橋春香)
第7章 マクロスケールの管理――隣接県を含む(丸山哲也・齊藤正恵)
第8章 イノシシ管理からみた野生動物管理の現状と課題(大橋春香)
第9章 学際的な野生動物管理システム研究の進め方(中島正裕)第III部 政策編
第10章 北米とスカンジナビアの野生動物管理――2つのシステム(小池伸介)
第11章 野生動物の食肉流通(田村孝浩)
第12章 統合的な野生動物管理システム(土屋俊幸・梶 光一)おわりに(土屋俊幸)
■目次のなかにはっきり現れていますが、野生動物の管理をめぐる階層性に注目されていることが理解できます。梶さんは、このように書かれています。
野生動物管理の階層を考えた場合、これらの階層は国、都道府県、市町村、集落といった行政・自治上の単位(階層)に相当する。そこには、様々な行政のほか、農林業、酒量者、NGO、研究者などマルチスケールの階層がかかわっている。これらの野生動物管理にかかわる関係者(アクター)の協働によるボトムアップの取組と管理計画によるトップダウンの調整が必要である。
さらには、野生動物管理に求められている個体数管理、生息地管理、被害防除についても、空間スケールと行政・自治上の単位に関係するので、異なる社会構造における階層間の連携が野生動物管理には不可欠である。問題は、それをどう築き上げるかである。
■このあたりの梶さんの考えかは、テーマは違いますが、私たちの「階層化された流域管理」とも共通する問題意識でもあります。まだ、読了していませんが、現在取り組んでいる流域管理のプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」で、梶さんたちの研究の成果を、こんどは逆に応用展開させていただけるのではないかと思っています。
・脇田健一,2002 ,「住民によ環境実践と合意形成の仕組み」『流域管理のための総合調査マニュアル』京都大学生態学研究センター 未来開拓学術研究推進事業 複合領域6:「アジア地域の環境保全」 和田プロジェクト(JSPA-RFTF97100602)編.
・脇田健一,2005 ,「琵琶湖・農業濁水問題と流域管理―『階層化された流域管理』と公共圏としての流域の創出―」『社会学年報』No.34(東北社会学会).
・谷内茂雄・脇田健一・原雄一・中野孝教・陀安一郎・田中拓弥 編,2009,『流域環境学 流域ガバナンスの理論と実践』和田英太郎 監修,京都大学学術出版会.
・脇田健一,2009,「『階層化された流域管理』とは何か」『流域環境学 流域ガバナンスの理論と実践』和田英太郎 監修/谷内茂雄・脇田健一・原雄一・中野孝教・陀安一郎・田中拓弥 編,京都大学学術出版会.
「報告 環境学の俯瞰」
■普段、「日本学術会議」の公式サイトというかホームページを見ることはほとんどありませんが、ひとつ前のエントリーに引用した報告「社会福祉系大学院発展のため提案 -高度専門職業人養成課程と研究者の並立をめざして」を読んだあと、「それじゃ、自分に関係のある分野はどうなんだろう…」と思って調べてみました。すると、「報告 環境学の俯瞰」がアップされていました。
■私が専門としている環境社会学という、社会科学のなかの社会学のなかのさらに細かな分野のなかでは、この報告書の中身をほとんどの人たちは気にしていないと思いますし、自分たちには関係のない世界だと思っておられるように思います(たぶん…私の勝手な想像ですが…)。しかし、その一方で、環境学や環境科学とよばれるトランスディシプリナリーの世界では、文系や理系といったことには関係なくこの報告書に書かれているような状況が展望されています。私が参加・参画している総合地球環境学研究所のプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」のマネジメントにおいても、このような環境学のトレンドを確認しておきことは参考になるはずです。
■このような学術会議の報告に対してどのようなスタンスをとるのか…。そのあたりは、人によって様々でしょう。本気になって、他の専門家やステークホルダーと連携し、本気になって環境問題の解決に取り組もうとするならば、以下のような方向性は当然かと思います。単なる「批判的分析」を超えて、「問題解決志向」が明確です。私自身も、こういう「問題解決志向」を意識しながら、ここ四半世紀近く学際的な研究プロジェクトに取り組んできました。もちろん、「何らかのリスクを解決しようとすると、別のリスクを発生される可能性がある…」ということも含めてです。
環境学が学際性 (interdisciprinarity)やトランスディシプリナリ性(transdisciplinarity)、また、システム統合性といった学問分野の“際”、また科学と社会の“際”を越えて全体をシステムとして把握するための方法論を必要とすること、また環境問題を発生させる原因および因果の関係を特定して課題を解決するために、計測、モデル化、予測・評価、対策という研究の行為のサイクルを提示するものでなければならないことを示した。
■もちろん、環境学を構成する個別科学(自然科学から社会科学まで)の存在意義がなくなったと言っているわけではありません。個別科学のもつ「鋭さ」を保持しながら、他分野との間にどのような相補的・建設的な協働関係を構築できるのか。そしてその成果を、「単に(個別科学の業界にとって)優れた論文を書いて終わり、あとはよろしく…」式ではなく、具体的に多様なステークホルダーとの関係のなかで、どのようにその知見を社会のなかに活かしていくのか(ぶっちゃけて言えば、汗をかけるのか)。そのようなことが、問われていると思うのです。今後、重要になってくるのは、環境学における研究の評価のあり方や、研究費の社会的配分かなと思います。様々な工夫が必要になってくるように思います。もちろん、上記の引用のような研究をどのようにきちんと評価していくのか、実際にはなかなか難しいことなのですが…。
■とはいえ、四半世紀近く学際的な研究プロジェクトに取り組んできて思うことは、非常に緩慢ではありますが、少しずつこういう研究をしていくための「勘所」のようなものが社会的に蓄積しているということです。そのような「学術の協働作業」に、たとえば私のいる社会学(もっと個別にいえば環境社会学)は、どこまで参加・参画できているのでしょうか。個人的には、他の社会科学と比較して遅れをとっているように思います。これは、非常にもったいないことだと思います。もっとも、そういう社会のトレンドとは距離を置き、独自の道を歩むことも「あり」かもしれません。しかし、それで良いのかな…と個人的には、少し危惧を感じています。
【追記】■以下は、昨年のエントリー「公開シンポジウム『自然共生社会を拓くプロジェクトデザイン』」です。関連するエントリーかと思い、ここに備忘録的な意味でリンクをはりつけておきます。
公開シンポジウム「自然共生社会を拓くプロジェクトデザイン」
Korea AG-BMP Forum The 5th International Conferenceでの報告(3)
■先日のエントリー、「Korea AG-BMP Forum The 5th International Conferenceでの報告(2)」で、写真については後で…と書きましたが、韓国でずっとアテンドしてくださったキム・ミションさんから写真をいただき使わせていただくことにしました。今年の「Korea AG-BMP Forum The 5th International Conference」は、「2014国際かんがい排水委員会(ICID)」のサイドイベントということもあり、昨年と比較してこじんまりした会議になりました。しかし、こじんまりとはしていますが、コミュニケーションやガバナンスなど、社会科学的なところにテーマがおかれていました。
■キムさんも、facebookに「이번 심포지엄은 내용이 재미있었다. 물, 지식, 기술, 소통, 사회적 자본, 사회학 이론 등 여러가지 내용이 녹아들어있었다. (今回のシンポジウムは内容がおもしろかった。 水、知識、技術、疎通、社会的資本、社会学理論などの色々な内容が溶け込んでいた)」と印象を書いておられました。私自身も、意味のある会議だったと思います。ここでの議論を、うまく次の韓国での取組につなげていければいいなあと思います。
【追記】■写真は、9月18日、韓国・光州市のキム・デジュンセンターです。
Korea AG-BMP Forum The 5th International Conferenceでの報告(2)
■昨日、韓国光州市のキム・デジュンセンターで開会された国際会議「Korea AG-BMP Forum The 5th International Conference」が終了しました(「2014国際かんがい排水委員会(ICID)」のサイドイベントとして開催されました)。「Communication for good governance in agricultural NPS pollution management」というテーマのもと、韓国のセマング干拓地の事例(H.R.Shinさん、ソウル国立大学)、EUの事例(Guido Saliさん、イタリアのミラン大学)、エジプトの灌漑の事例(Talaat EL-Gamaiさん、国立水環境研究センター)、そして日本の滋賀県のマザーレイクフォーラムや魚のゆりかご水田のこと事例を私が話しました。これらの事例を、「環境ガバナンス」と「ソーシャルキャピタル」、それから「エンパワーメント」の3つをキーワードに説明しました。
■予定の時間を超過してしまい、司会の先生にはご迷惑をおかけしましたが、この国際会議に貢献はできたのではないかと思ういます。感触はとても良かったです。最後のディスカッションでは、環境市民団体の方、地方自治体の研究者の方、国の農村研究センター(農業省の研究機関)の研究員の方や環境省の課長さんも参加されました。興味深い論点がいくつも出てきました。また、韓国の方達が、何に悩んでおられるのかということについても、次第に理解できるようになりました(昨年は、まだそのあたりがぼやっとしてました)。韓国の農村研究センターの方から質問をたくさんいただきましたが、その質問からもそのようなことが窺えました。いただいた質問は、以下のものでした。環境ガバナンスを実行に移すために政府の支援はあったのか。面源負荷に対する認識や生態系に対する関心、さらには農民の行動規範はどのように形成されていったのか。さらには、日本の農水省と環境庁の協力関係はどうなっているのか。そういう点について、質問を受けました。いろいろ環境ガバナンスのあり方を比較してみると、おもしろいことがみつかるだろうなと思いました。ただし、当然のことなのですが、農村・農家といっても、それぞれの社会のなかでのあり方や社会的位置(歴史も含めて)がぜんぜん違っていますので、簡単に比較というわけにもいきません。また、農政との関係でも、同様のことがいえます。
■昨日は、自分の報告に必死だったので(また、他の報告者の英語のスピーチを聞き取り、次々に切り替わるパワポのスライドの英文を読むだけでもかなりエネルギーを使ってしまいましたから…私のばあい)、写真は撮っていません。韓国側のスタッフの皆さんが、あとで送ってくださるということでしたので、写真の掲載については、そのときにさせていただこうと思います。
Korea AG-BMP Forum The 5th International Conferenceでの報告(1)
■本日、参加する国際会議(シンポジウム)は、光州市で現在開催されている「2014国際かんがい排水委員会(ICID)」のなかで、サイドイベントとして開催される「The 5th KAB International Conference on agricultural BMP development for reservoir water quality」になります。昨年の第4回に引き続き、今年もご招待いただきました。
■農業のなかでも、特に、農業排水等のノン・ポイントソース(NPS)の問題に関して様々な国の研究者が研究交流するために、韓国の農水省にあたるMAFRAとKorea AG-BMP Forum (KAB)が協力することで実施されています。明日のテーマは、「Communication for good governance in agricultural NPS pollution management」です。一応、セッション2の基調講演で、「Diversified Communication on Environmental Governance」というテーマの話しをします。明日は、同時通訳がつくので助かります。いつも思いますが、きちんと英語が話せたらな…なのです。今からでも遅くないよ…とはいつも言われるのですが。
■というわけで、昨日は6時半に家を出て関西空港に向かいました。関空からソウル金浦空港まで飛び、そこからリムジンバスで街中へ。そして、お世話になっている建国大学校生命環境大学環境科学科の金才賢先生の研究室に向かいました。大学校は日本の大学、大学は日本の学部だと思ってください。研究室までは、博士課程の院生の方が案内してくださいました。金先生の研究室では、先生の取り組んでおられる最近の様々なプロジェクトについてお話しをうかがいました。とても刺激的でした。物静かな先生からはなかなか想像できないことですが、様々な社会的事業や実践的研究プロジェクトに院生の皆さんと一緒に取り組んでおられるのです。お話しを聞いているだけで、目が回るようです(もちろん、教員の勤務条件等については、日本の私立大学とはかなり環境が違うようにも思いました…うらやましい)。私たちがゼミで取り組んでいる「北船路米づくり研究会」の活動にも関心をもっていただいています。facebookにアップする記事をお読みいただいているのです。10月末には、「北船路米づくり研究会」を初めとして、滋賀県内の様々な取り組みの関係者とおつなぎすることになりました。
■金先生の研究室でお話しをうかがったり、院生室(入り口の看板は「環境社会学研究室」)を見学したりしているうちに、ソウルから光州まで移動する時間になりました。金先生の運転で移動しました。けっこうありますね〜。3時間半ほどかけて光州まて移動しました。そして、市内の韓国料理店で、明日の国際会議で私と同じように招待されているエジプトとイタリアからの研究者の方と一緒に食事をしました。エジプトの方がいらっしゃるから…というわけかどうか知りませんが、魚と野菜のおじさんの胃袋には優しい韓国家庭料理を楽しみました。お腹いっぱいになりました。どういうわけか、酒が出なかったのですが…、気を利かしてくれた金先生がビールを頼んでくださいました。エジプトの人もいるし…(イスラムの人は、豚肉を食べられないし、酒ものまないし)…と思ったのですが、どうでしょうか。それはともかく、明日は頑張ろうと思います。
八郎湖
■これまでのエントリーでたびたび書いてまいりましたが、総合地球環境学研究所のプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会-生態システムの健全性」に人文・社会系のコアメンバーとして参加しています。この研究プロジェクトのメインのフィールドは、滋賀県の野洲川から琵琶湖にかけてになりますが、比較研究するうえで、国外ではフィリピンのラグナ湖(バエ湖)周辺の流域で、国内では八郎湖や宍道湖をはじめとするいくつかの湖沼の流域で、それぞれの流域の関係者と連携をもちながら研究プロジェクトを進めていきたいと考えています。27日(水)・28日(木)の両日、秋田県の八郎湖にいってきました。プロジェクトリーダーの奥田昇さん(京都大学生態学研究センター)と一緒です。そして、秋田県立大学の環境社会学者である谷口吉光さんにお会いしてきました。
■八郎湖は、「湖沼水質保全特別措置法」の指定湖沼になっています。滋賀県の琵琶湖はこの措置法ができた頃から指定されていますが、秋田県の八郎湖は、2007年に指定されました。ともに、琵琶湖総合開発や干拓事業等によって生態系や水質に様々な課題をかかえている湖沼です。共通するテーマは、「流域再生と環境ガバナンス」ということになります。
■私は、この地球研のプロジェクトを通して、琵琶湖や琵琶湖に流入する河川と人びとの関係、それらの水環境をめぐる人びとの間の関係、この2つの関係が交叉するところに、持続可能な社会の「幸せ」があるのだと思っています。そして交叉する地点ごとでそのような「幸せ」を確認し、多くの人びとがお互いに共有することのできる「幸せの物差し」をみつけることがでればなと思っています。そこに「環境ガバナンス」に関する課題が存在しています。そういう思いで研究プロジェクトを進めています。また、それぞれの「幸せの物差し」のあいだを、翻訳していくような仕組みも必要だなと思っています。そのような研究の進捗が、他の湖沼や流域ともお互いに共振しあっていければとも思っています。もちろん、「幸せ」とは何か…ということを社会的に求めていくことは、哲学的な側面ももっているわけですが、「幸せの物差し」づくりや、その「幸せの物差し」のあいだの翻訳という作業については、自然科学や社会科学の個々の研究蓄積が必要であり、それらの成果を、流域ごとの個々の地域社会との連携のなかで、どのように鍛え上げ、それらを繋ぎ、全体としてデザインしていくのかが問われることになります。生態系サービスと人間社会の関係に関しても、ごくポイントだけでも書いておきたいのですが、それは後日執筆する予定の論文の方に書くことにします。
■写真について、少し説明します。干拓によって大潟村が生まれました。トッブの写真は、大潟村の中央をながれる「中央幹線排水路」です。少し幻想的な雰囲気が漂っていますね。しかし、ここは干拓によって生まれた水田の排水を受け止める排水路なのです。干拓ですから、大潟村の農地は、周囲に残った八郎湖の水面よりも低いところにあります。したがって、水田の用水はサイフォンによって堤防を超えて大潟村のなかに取り込まれます。水田で使用した水は排水として、この中央幹線排水路に流されます。そして巨大なポンプでくみ上げて八郎湖に排水されることになります。このようにして、年間に何度も、八郎湖の水は大潟村の水田で使われては八郎湖に排水される…というふうに循環することになっています。
■下の写真に写ります。一段下の左側、ずっと向こうには大潟村の縁のあたりにある並木がみえます。大潟村の巨大さがご理解いただけるでしょうか。右側は、28日に、大潟村の八郎湖をはさんで東側にある三倉鼻公園から撮ったものです。「鼻」とは、三方向を海や水に囲まれた地形を指します。これが大きくなると、岬や半島と呼ばれるわけです。三倉鼻からは、かつて干拓前の八郎潟が見渡せました。ここは、景勝地でもありました。その下の左側ですが、谷口さんの研究室で、私たちの研究プロジェクトの説明をしているところです。さらにその右側は、八郎湖と日本海とのあいだにある防潮堤です。この防潮堤により、日本海から海水が入り込むことを防いでいます。急ぎ足になりました。八郎湖のこと、また報告します。
「豊かな生き物を育む水田プロジェクト」
■先週の26日(火)、甲賀市の小佐治という集落で行われた「生き物観察会」に参加してきました。この「生き物観察会」は、滋賀県庁が始めた「豊かな生き物を育む水田プロジェクト」に関連して実施されているものです。この小佐治集落は、このプロジェクトに村づくりの一環として取り組んでおられるのです。私が参加している「総合地球環境学研究所」の研究プロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会-生態システムの健全性」では、この小佐治の取り組みと連携しながら、研究を進めていくことにしています。ということで、プロジェクト・リーダーである奥田昇さん(京都大学生態学研究センター)と一緒に、「生き物調査」に参加してきました。
■今回の「生き物観察会」には、小佐治の子供会の皆さんが参加されました。大人の企画で、むりやり連れてこられた…なんてことは微塵もありません。みなさん、自分たちの村の田んぼに生きている「生き物」を次々と網ですくっては、大変喜んでおられました。1年生から6年生まで、みんな一緒に参加する「生き物調査」、素敵だと思います。数時間かけて2箇所の田んぼで、メダカなどの魚類、ヤゴなどの水生昆虫、カエル、タニシ、アメリカザリガニ…様々な生き物を確認することができました。観察会のあとは、滋賀県立琵琶湖博物館の学芸員の方たちの指導で、「水田の生き物教室」が開催されました。じつは、ちゃんと聞いてくれるのかな…と心配していたのですが、驚いたことに、みなさん真剣に集中してお話しを聞かれていました。観察会という、五感を使う経験は、子どもたちに強い印象を与えているのです。これはすごいなと思いました。さらにいえば、子どもたちと一緒に、網をつかって生き物をすくおうとする農家の皆さんも、これまた生き生きとこの「観察会」に参加されているのです。私たちの研究プロジェクトとこの小佐治の「生き物」を通した村づくりについては、また別に詳しく報告したいと思います。
■少し、写真の説明をしましょう。トップの写真ですが、水田の端に、水路があります。これは、水田内水路と呼ばれるものです。この小佐治は、古琵琶湖層群と呼ばれる地層が隆起してできた丘陵地にあります。土質は、大変細かな粘土です。ということで、水田の水はけがあまりよくありません。通常の水田のように中干し作業をしても、十分に排水されません。稲刈りのときに、コンバインを入れると沈んでしまい作業ができなくなるのだそうです。そこで、こうやって周囲に水路を作って排水しているのです。もちろん、水田のなかにも溝が切ってあります。そうすると、水田の中の水がこの水田内水路に流れ込んでくるのです。
■この水路に、なにやら赤い塩ビのパイプが設置されています。これは、近くの塩ビパイプを製造している企業が寄付してくれたものなのだそうです。水田に水がなくなっても、水田内水路で生き物は生息することができるのですが、夏の暑い日には、この塩ビのパイプのなかであれば、水温もそれほどあがらず、生き物たちが生きていくこともできます。また、鳥のエサにならずにもすみます。すなわち、水田の生き物たちのシェルターなのです。
■下の左の写真ですが、研究プロジェクトのリーダーである奥田さんが、パイプを傾けています。反対側には、小学生の男の子が網をもってパイプのなかにいる生き物を一網打尽にしようとしています(もちろん、観察会ですから、基本的には、一部を除いてすべて水田に生き物たちを返します)。下の右の写真は、「水田の生き物教室」のときのものです。小学校低学年の女の子まで、みんなとってきた生き物たちに夢中です。
【追記】■この「生き物観察会」の翌日、「総合地球環境学研究所」の研究プロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会-生態システムの健全性」の関係で、水・木曜日と秋田県に1泊2日で出張しました。また、土・日は、「北船路米づくり研究会」の第3回「かかし祭」です。なかなか、報告が追いつきません。
マザーレイクフォーラム 第4回「びわコミ会議」
■滋賀県の琵琶湖総合保全計画「マザーレイク21計画」のなかには、「マザーレイクフォーラム」が設けられています。この「マザーレイクフォーラム」のなかの「びわコミ会議」には、一般の県民、NPOの関係者、事業者、農林漁業関係者、学識経験者、行政(県、市、町)関係者など、様々な立場の人びとが参加し、琵琶湖を守りたいという共通の「思い」と「課題」によってゆるやかに「つながり」を形成しながら、計画の進行管理を行っています。①琵琶湖流域の生態系の現状を確認し合い、②自らの暮らしと湖の関わりを振り返り、③今後の取り組みの方向性を話し合い、④相互のつながりを築きながら、それぞれの取り組みを、さらに強みをいかしたものへと高めていく「場」にしていくことが目指されています。詳しくは、以下の記事をお読みいただければと思いますが、昨日は、第4回の「びわコミ会議」が開催されました。愛知県や大阪府など、県外からの参加者も多数いらっしゃいました。これは、すごいこことですね〜。
マザーレイク21計画学術フォーラム
マザーレイクフォーラム・びわコミ会議(第3回)
■トップの写真は、午後からの第2部のときのものです。午前中に引き続き、午後からも、滋賀県民であれば知らない人はいないミュージシャン・タレント・プロデューサーの川本勇さんと、琵琶湖環境科学研究センターの研究員である佐藤祐一さんのお2人の進行で進められました。午後は、「びわ湖のこれから話さへん?」がおこなわれました。9つのテーマに参加者がわかれて話し合うものです。「簡単な自己紹介」、「テーマに撮っての話し合い」、「キーセンテンスにまとめる」(話し合いの内容を簡単な文章にする)の順番で進められました。
■私のグループのテーマは「教えて!あなたのまちのタカラモノ」でした。このテーマ設定については、参加している総合地球環境学研究所の研究プロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会-生態系システムの健全性」の代表である京都大学研究センターの奥田昇さんたたちと相談をしてきめました。昨日の私は、このテーマ・グループのファシリテーター役でした。トップの写真は、9つのテーマの担当者がならんでテーマの趣旨を説明しているところです。オレンジ色のTシャツが奥田さんです。
■私たちのグループの人数は9人。話し合いをするには、ちょうどよい人数でした。大変盛り上がりました。「教えて!あなたのまちのタカラモノ」ということですので、それぞれがお住まいになっている、あるいは活動されている地域のタカラモノについて、自由にいろいろお話しいただいたのですが、途中から、こういうタカラモノをどうやってみつけていくのか…という話しになりました。そのさいのキーワードが、「五感」です。知識として自然環境を知るだけではなく、自然環境は「五感」で体感してこそ深い理解ができる…というこですね。ある参加者の方は、小学生の頃京都にお住まいでしたが、夏休みのキャンプで滋賀県にやってきて川に入り、鮎を手でつかんだときの手の感触が忘れられない、今でも大切な記憶として覚えているとおっしゃるのです。そのような「五感」で自然環境を感じとることを、ご自身のお子さんにも遊びのなかでさせているということでした。素敵なお話しです。
■私たちのグループには、中学1年生(男子)と高校3年生(女子)の参加もありました。今年の「びわコミ会議」には、たくさんの小中学生の皆さんが参加されていました。これはとても画期的なことだと思います。そのうちのお2人が、私たちのグループのテーマに関心をもってくれたというわけです(じつに、しっかりした受け答えをされる方たちで、これも驚きました)。お2人に共通しているのは、ご両親が、積極的にお子さんたちを小さいときから自然環境のなかに連れ出しておられるということでした。自然環境と楽しみながら関わっていくことを、知らず知らずのうちに、ご両親から「刷り込まれている」のです。ご両親がまず楽しまれていることが重要です。親が楽しんでいることを、そばで子どもが感じ取る。大切だなと思います。もっとも、自分自身は環境をテーマに仕事をしていますが、自分の子どもたちには、そういうことをあまりしてやれなかったな〜…と反省したりもしました。ということで、私たちのグループのキーセンテンスは、以下のものになりました。
五感て発見!
世代で発見!
親・子の「環境循環」
■最後の「環境循環」には少し説明がいりますね。親に「五感」で自然環境を感じ取ることを教えてもらってきた(刷り込まれた)子どもは、自分が親になり、そして子どもができたとき、再び、自分の子どもに「五感」で自然環境を感じ取るような子育てをしていくのだ!!…ということですね。そういう循環(世代を超えた連鎖)が生まれるといいな〜という思いを表現しています。話し合いのあとは、前・滋賀県知事である嘉田由紀子さんも参加されて、和気あいあいとした雰囲気のなかで、9つのグループのキーセンテンスを発表し合い、会場の参加者からの意見もふまえて全体で「びわ湖との約束」という形にまとめました。なかなか充実した「びわコミ会議」になりました。
【追記】
■昨日、「びわコミ会議」に参加されたある方が、facebookでメッセージを送ってくださいました。残念ながら、お話しをしている時間もなかったのですが、そのメッセージにはこう書いてありました。「昨日の午前中、琵琶湖がきれいになってもみんなが笑顔にならないなら意味が無い、という趣旨のことを言いましたが、そういう意味も含めた(指標の総合的な)評価が大切だと思っています」。とても大切なことを書かれていますね。「みんなが笑顔にならないなら意味が無い」という部分。耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、そうやって頑張って琵琶湖を守っていく…というのとは、違うんですね。琵琶湖と人びとの関係、琵琶湖をめぐる人びとの関係、この2つの関係が交叉するところに、持続可能な社会の「幸せ」があるのだと思うのです。そして、交叉する地点ごとの「幸せの物差し」をみつけることができないといけないと思うのです。