「新名神大津SIC(仮称)利活用等地域活性化委員会」
■昨日は、午前中が卒論の指導でした。時間がかかり、午後からの仕事に少し遅れてしまいました。午後からの仕事は、「新名神大津SIC(仮称)利活用等地域活性化委員会」でした。現在、建設が進む新名神では「大津スマートインターチェンジ」が大津市の南部にある大石地区に建設される予定になっていますが、そのこととあわせて、大石・田上のエリアをもっと活性化させていこう…というのが、この委員会の活動の目的になります。NEXCOとも連携しています。委員として参加されている方達は、瀬田川流域環境協会、叶匠寿庵、大津商工会議所、びわ湖大津観光協会、石山観光協会…の皆さん、事務局は、大津市政策調整部企画調整課です。
■昨日は2回目の会合(部会)で、田上と大石の現地を視察させていただきました。田上の農業法人(長谷工あんしんデリ)、農事組合法人(農〜夢(ノーム)せきのつ)、大石スポーツ村、寿長生の里を視察して、意見交換を行いました。長らく滋賀県で仕事をしていますが、意識は琵琶湖の方に向いていました。そのため、大津市の南部のこの地域のことが、よくわかっていません。今回は、そのような私にとってありがたい機会になりました。
■ひとつひとつは素敵な場所や活動であっても、そのような点がつながらないと地域全体の力になりません。地域の魅力や可能性、地域の課題、それらが地図の中に整理されて関係者の皆さんと共有できるようになればと思います。また、若い方達が参加されて地域の調査を実施するようです。この手の会議は、私のような「おじさん」達が中心になってしまいがちですが、そうではなく、若い年齢の方達、女性の方達の参加が絶対に必要です。今後の展開が楽しみです。
■写真ですが、田上のキャベツ畑です。農事組合法人「農〜夢(ノーム)せきのつ」さんが生産されています。甘い美味しいキャベツが育っていました。お好み焼きや焼きそばに使っても、シャキシャキ感がしっかり残っているそうです。手前の方、日向ぼっこをされているのは関津(せきのつ)の高齢者の皆さん…ではなく、案山子の皆さんです。
■「新名神大津SIC(仮称)利活用等地域活性化委員会」の後は、有名な和菓子店「叶匠寿庵」(「寿長生の郷」)の職員の方達からお話をうかがうチャンスをいただくことができました。まだフワッとしたレベルですが、地域コミュニティ と企業(叶匠寿庵)と大学(龍谷大学)のコラボ(協働)に関する相談をうけました。「寿長生の郷」の皆さん、頑張っておられますね〜。熱い思いが伝わってきました。とても魅力的なお話だったので、前向きにいろいろ考えてみようと思っています。ところで「叶匠寿庵」さんの創業は1958年だと知りました。ああ、私と同級生ですね。写真ですが、「叶匠寿庵」さんの広報誌です。素敵ですね〜。表紙の絵は日本画家の河本万里子さんの作品です。
第30回地球研地域連携セミナー「『楽しさ』がつなぐ森里川湖 ~身近な環境 守る楽しみ つながる喜び~」
■明日は、総合地球環境学研究所が主宰する地域連携セミナーで、滋賀県琵琶湖環境科学研究センターの佐藤祐一さんと一緒に、進行役を勤めます。最近は、そういう仕事をモデレーターっていうんですね。会場は、滋賀県立琵琶湖博物館で開催です。メニエールとか諸々で身体の調子は今ひとつですが、会場全体で盛り上がることができるように頑張りたいと思います。これで、地球研の地域連携セミナーのお手伝いは3回目になります。あと1回、来年の2月にも大津で開催されますが、そちらにも参加します。ただ、その時は、新しく設立するNPOの理事長の立場で参加します。ところで、明日の基調講演ですが、兵庫県立人と自然の博物館主任研究員の三橋弘宗さんです。市民と一緒に小さな自然再生に取り組まれています。また、地域の皆さんからも地域での活動の報告があります。ユニークなお話を伺えることも楽しみにしています。
【概 要】
近年、身近な水辺環境の豊かさを守ろうとする取組みが各地で進められています。かつては水質汚染や開発による自然の急激な改変などを背景として、「環境を守らなければならない」という意識が人びとの行動を駆り立てる原動力となっていました。
しかし近年は、「楽しみながら身近な環境を守りたい」という気持ちや、身近な環境がよくなったと実感できる充足感を期待して活動に参加する人たちが増えてきました。
キーワードは「楽しさ」です。本セミナーは、琵琶湖に流入する最長の河川である野洲川流域を中心とした地域で、楽しみながら活動を進めている団体が発表し互いに交流しあい、これからの時代の環境を守る「新たな形」について模索します。
入場無料・申込不要
【プログラム】
13:30-13:40 挨拶・趣旨説明
13:40-14:10 基調講演
三橋 弘宗 兵庫県立 人と自然の博物館 主任研究員 兼 兵庫県立大学 自然・環境科学研究所 講師
14:10-14:30 話題提供
岩田 智也 山梨大学 准教授
14:30-15:25 地域の活動紹介
地域1 甲賀木の駅・大久保里山再生委員会・SATOYAMA+中島 教芳
地域2 小佐治環境保全部会 橋本 勉 小佐治環境保全部会 代表
地域3 湖南流域環境保全協議会
地域4 杣川と親しむ会・滋賀県立甲南高等学校
休憩(15分)
15:40-16:30 総合討論
〈モデレーター〉
脇田 健一 龍谷大学 教授
佐藤 祐一 滋賀県琵琶湖環境科学研究センター 専門研究員
16:30 閉会
日テレニュース「大学生80人が安く快適に暮らす高齢化団地」
大学生80人が安く快適に暮らす高齢化団地 #日テレNEWS24 #日テレ #ntv https://t.co/DlbOiEdoSN
— 脇田健一 (@wakkyken) December 21, 2019
■日テレのネットニュースです。たまたまこの記事をみつけました。これは愛知県春日井市にある高蔵寺ニュータウンでの取り組みです。高度経済成長期には、このニュータウンの中にある団地に5万人が暮らしていたそうですが、全国と同様に、こちらの団地でも高齢化が進んでいるようです。そのような高齢化が進んだ団地の5階と4階に、中部大学の学生の皆さんか80人が暮らしておられます。大学生の皆さんに安く部屋を提供する代わりに地域活動に参加してもらう、そのような取り組みが4年前から始められているのです。同様の取り組みは、東京にもあったように思います。
■このニュースの中では、日曜の早朝に、学生の皆さんが地域の皆さんと一緒に、廃校になった小学校のグラウンドの草刈り作業をされています。草刈り作業以外にも、防犯パトロール、学生の皆さんが企画したコーヒーサロンの活動など様々な地域活動があるようです。作業を終えるとポイントがもらえる仕組みになっていて、年間5ポイントで谷内が2割引になるとのこと。面白い取り組みですよね。ニュースの中で一人の学生さんが語っておられますが、学生が地域住民の皆さんと交流するチャンスはなかなかない中で、「得難い経験」ができているようです。
■調べてみると、これは文部科学省平成25年度「地(知)の拠点整備事業」選定取組「春日井市における世代間交流による地域活性化・学生共育事業」なのだそうです。中部大学のこちらの記事には以下のように説明されています。この団地の取り組みは、中部大学・春日井市・UR都市機構の連携によって取り組まれているようです。
中部大学は、地元・春日井市と連携し、さまざまな構想のもと、大学の持つ人材や技術、知の資産を活用して地域再生・地域活性化に取り組みます。これらの取り組みを地域の方々や学生と共に実践し、創造・協働・自立の精神を身につけた、あてになる人間、地域創成メディエーターを育成します。
来年度のゼミ
■来年度、私のゼミ(学部・3回生)に所属したいとの希望者が、社会学科の教員間での取り決めである定員を超えたとの連絡が入りました。予定通り、志望理由書をもとに選考することになります。
鳴門の第九100年 都内でフラッシュモブ
■日本の年末は、「第九」(ベートーベンの第九交響曲「合唱付き」)ということになります。確か、戦後の話だったと思いますが、どこかの楽団の団員のボーナス(餅代)を稼ぐために年末に始まった…と聞いたことがあります。どうなんでしょう。ということで調べてみました。すると、すぐにこんな記事が見つかりました。帝京科学大学の石橋裕子先生の解説です。以下に、引用してみます。
日本での初演は、1918年6月1日、徳島にあった捕虜収容所で、第一次世界大戦の青島攻略戦で捕虜となっていたドイツ人たちによって演奏されました。
太平洋戦争の敗戦後、どのオーケストラも財政難でした。そんな中、日本交響楽団(現NHK交響楽団)が1947年12月9、10、13日にレオニード・クロイツァー指揮で3夜も第9の演奏会を開催して観客を集めました。これを「その手があったか」と他のオーケストラが真似し、その後設立されたオーケストラも右へならえしたのが、「年末の第九」の始まりだといいます。つまり、「餅代稼ぎ」で演奏されていたのです。
「第九」には、オーケストラのほかにコーラスも参加するので、出演者の総人数がとても多いです。その出演者たちの知人が客として来れば、普段より多くの来場者が期待できます。コーラスもプロを雇ってしまうとコストはかさみますが、学生などのアマチュアに頼めば出演料もあまりかからず、オーケストラの収益はアップします。年末に演奏され始めた1940年代後半、「第九」はとても人気のある曲でした。第二次世界大戦直後の日本はとても貧しく、多くの人が苦労をしていたので、『歓喜の歌』の名前でも親しまれる前向きなイメージの「第九」のメロディが、日本人の心をとらえたのではないかと言われています。
■なるほど…です。で、3年前にアップされたYouTubeの動画を貼り付けます。
「全ての人々は兄弟になる」―。ベートーベン最後の交響曲「第九」は人類愛など、希望に満ちたメッセージを世界中に送り続けてきました。この第九を日本、そしてアジアで初めて奏でたのは、第1次世界大戦中のドイツ兵捕虜でした。1918年6月1日、場所は徳島県鳴門市の板東俘虜(ふりょ)収容所。敵国で、捕虜たちはなぜ第九を演奏できたのか。そこには心温まる〝奇跡〟のような史実があります。9月13日、そのことを伝えたくて、東京・二子玉川で鳴門の市民合唱団を含む関係者が、高らかに歓喜の歌声を響かせました。
指揮】平井秀明 【演奏】東京アカデミック管弦楽団
【合唱】 日本合唱協会、平井秀明オペラ合唱団、徳島『第九』合唱団、会津『第九』合唱団、公募有志 約80名
【阿波踊り】娯茶平(徳島)、飛鳥(東京 高円寺)約60名
【主催】徳島新聞社、福島民報社
■このフラッシュモブのイベントは、日本で初めて第九が演奏されたのは徳島県(鳴門)であり、鳴門の板東俘虜収容所の所長であった松江豊寿(1872年7月11日- 1956年)さんが福島県の会津若松の出身であったことを、広く知らせるために開催されたようです。wikipediaの情報ですが、松江豊寿さんは、「ドイツ人の俘虜達に人道に基づいた待遇で彼らに接し、可能な限り自由な様々な活動を許した。賊軍としての悲哀を味わった会津藩士の子弟に生まれた体験が、大きく彼の良心的な人格形成に影響したといわれる」…そうです。素敵ですね。今回、松江豊寿のことを初めて知りました。
■ところで、この動画の中では、第九の4楽章で徳島の阿波踊りが登場します。最初は、ちょっとびっくりしましたが、なかなか、どうして、不思議なものですね、面白いなと思ってしまいました。このイベントでは、最後に、福島県いわき市のフラダンスチームも参加されたようです。
上野耕平さんが来学
こんばんは。
本日は定期演奏会1部のゲストであるサックス奏者の上野耕平さんをお迎えして、合わせ練習を行いましたヽ(^o^) pic.twitter.com/dUPZ2P8qp9— 龍谷大学吹奏楽部 (@ryu_windmusic) December 9, 2019
■昨日は、龍谷大学吹奏楽部の第46回定期演奏会の1部で、ゲストとして演奏してくださるサックス奏者の上野耕平さんが来学され、部員と「合わせ練習」をおこないいました。当初、私も練習を見学させていただく予定でしたが、諸般の理由から残念がら行くことができませんでした。私が担当している2回生の基礎ゼミナールに吹奏楽部の部員がいますが、とても素晴らしい演奏で感動したと連絡をしてくれました。私も聞きたかったな〜。もちろん、本番ではしっかり聞かせていただきます。楽しみです。
■練習の後は、サックスパートの部員を中心に上野さんを囲んで食事会があったようですが、あとで聞いた話では、とても興奮されていたようです。みんな色紙やCDをもっと上野さんにサインをお願いしていたとのこと(笑)。部員の皆さんのお気持ち、わかりますよ。たぶん、サックスのケースにもサインして頂いたんでしょうね。いいですね〜。
日本の年次・性・年齢別人口ピラミッド
■「日本の年次・性・年齢別人口ピラミッド」という動画を偶然見つけました。1920年(大正9年)から2065年までの人口ピラミッドの変化がよく理解できます。こうやって刻々と変化していく人口ピラミッドを眺めていると、日本の将来に対してリアルな感覚を持つようになります。この動画がいつの時点でまとめられたものかわかりませんが、もちろん、将来のことは推計値になります。こうやって変化を見ていくと、日本の行末がどうなるのか、不安になります。
■動画の始まりである1920年(大正9年)頃は、人口ピラミッドは富士山のような形をしています。総人口は「55,963,000人」(5千5百96万3千人)。正確な数値はわかりませんが、戦前は平均余命が50歳以下になります。私は人口問題に関して深い知識をもっているわけではありませんが、衛生面での知識が普及する以前、水道や冷蔵庫が普及したり医療の発達する以前は、人は簡単に死んでいたのではないかと思います。子どが生まれたからといって、健やかに成長してくれるとは限りません。たくさん生まれるけれど、たくさん死んでいく…ということになるのかな。裾野の広がる人口ピラミッドの背景には、そのような社会の状況があります。私の母の場合、兄弟姉妹は4人生まれたわけですが、そのうち2人は小さい頃に亡くなっています。おそらくは、当時の一般の人びとの「死生観」も、今とは大きく異なっていたと思います。そのような「死生観」は、「人は簡単にあっという間に死んでいく」という感覚とともにあったと思います。
■1920年の大正時代から昭和時代に移行すると人口は増加していきます。人口ピラミッドも富士山のような形のまま増加していきます。しかし、その富士山が崩れる時があります。第二次世界大戦で、若い男性の国民が徴兵され戦死されたたからです。人口ピラミッドの男性の側、20歳から30歳までのところがえぐれるような形でへこみます。恐ろしいです。しかし、そのへこみも第二次世界大戦後には回復していきます。それと同時に、一番下の年齢層が急激に増加していきます。第一次ベビーブームです。
■この動画では、その後、1967年頃に総人口が1億人を超えます。1970年代に突入すると前半で再び一番下の年齢層が急激に増加します。第二次ベビーブームです。第一次ベビーブームの子どもの世代です。しかし、第一次ベビーブームほどではありません。第一次ベビーブームの頃、合計特殊出生率は「4.3」でしたが、第二次ベビーブームの頃は「2.14」になっています。とはいっても、このままいくと、次の世代で子どもが生まれると「第三次ベビーブーム」が起きてもおかしくありません。しかし、現実にはそうはなりませんでした。一貫して合計特殊出生率は減り続けました。第一次と第二次の間、高度経済成長の期間中で、一瞬ドスンと合計特殊出生率が減った年がありました。1966年です。合計特殊出生率は「1.58」になりました。なぜ減ったかというと、この年は歴でいう「丙午(ひのえうま)」にあたる年でした。「丙午に生まれた女性は気性が激しく夫の命を縮める」という迷信があったためです。今の学生の皆さんは信じられないかもしれませんが…。
■で、第三次ベビーブームについてですが、第三次ブームが起きてもおかしくない2000年になっても、やはり合計特殊出生率は減り続けました。2000年の合計特殊出生率は、「1.57」です。「丙午」の「1.58」よりも低くなってしまったのです。「1.57ショック」と呼ばれています。未婚・晩婚化だけでなく、その背景にあるのは経済問題が重要です。細かな違いまで視野に入れると様々な主張があるようですが、ここでは、教育社会学者の舞田敏彦さんの解説をご紹介しておきます。「来なかった第3次ベビーブーム」です。
■動画に戻りましょう。2008年の1億2,808万人をピークに、日本の人口は減少に転じていきます。そして、2020年になると、つまり来年ですが、第一次ベビーブームの人たちが「70歳〜74歳」になり、第二次ベビーブームの人たちは「45歳〜49歳」になります。このあたりからは推計値です。当たり前と言えば当たり前ですが、第一次ベビーブームの世代の皆さんは、少しずつ人口が減っていきます。そして、2030年頃には消えていきます。お亡くなりになると考えられるからです。私はこの第一次ベビーブームの人たちよりも約10歳若い世代ですが、私の世代もやがて消えていきます。第二次ベビーブームの世代の皆さんはどうかというえば、2050年頃を境にピークが曖昧になりやがて消えていきます。この頃の人口ピラミッドは、棺桶のようです。棺桶といっても、日本の葬儀の際に用いられる棺桶ではなく、欧米の棺桶の形ですね。ホラー映画で、ドラキュラが眠っている棺桶と言えばわかりやすいかもしれません。
■動画は2065年まで、その続きはわかりません。2065年の人口は、「88,077,000人」、「8千800億77万人」です。これは一定の前提に基づいて推計された数値だと思いますが、現実には、環境問題や大災害の発生、あるいは世界的な経済破綻により、人口はもっと減少していくかもしれません。経済破綻、財政破綻から福祉や医療に関する行政サービスがどんどん低下すれば、今後も寿命が伸びていくとは限りません。
■私の孫は来年3歳になります。2065年、孫は48歳です。私は生きていれば107歳ですが、もちろん生きているはずもなく、平均寿命まで生きるとすれば2040年までには死んでいることでしょう(病気でもっと早くに死ぬよな気がします)。孫が本格的な高齢になったときに、はたして日本はどのような社会になっているのでしょうか。そもそも日本は存在できているのか。そのあたりも不安です。学生の皆さんの年齢は、2065年には60歳代半ばになっていますね。そのような先のことを考えても仕方がない…そう思う人も多いかと思います。確かに、私が学生の頃を思い返しても、同じように考えていたかもしれません。しかし、社会の状況は大きく変わってしまいました。備える必要があると思います。
最近の体調と
■この前の日曜日の晩のことになりますが、まためまいが起きてしまいました。メニエール病です。例によって、です。ストレス→背中・肩の凝り→首の強い凝り→血行とリンパの流れが悪化→頭痛(頭蓋骨の外側)→内耳に影響→難聴→めまい…という流れになります。月曜日は、耳鼻科で診察を受けました。家族に車で送り迎えをしてもらいました。いやはや、困ったものです。もっとも、突然にめまいが起きるわけではなく、耳鳴りや難聴等の前兆がありますので、まだ対応できます。歳をとると、いろいろ出てきますね〜。耳鼻科のお医者さんも、これで3回目。「あっ、また来たん」という感じでした。毎回、聴力検査して、薬を処方してもらうだけです。血行を良くする薬とめまいを止める薬です。
■再発したメニエール病についてfacebookに投稿したところ、多くの皆さんに、励ましやアドバイスのコメント・メッセージをいただくことができました。ありがとうございました。もう、おじいさんの部類の入る年齢になりましたが、この年でメニエール病になるとは思いませんでした。また、メニエール病って女性に多いと思っていましたが、私のようなおじいさんもなるんだなと、ちょっと驚きました。いただいたコメントでは、「一病息災」(まったく健康な人よりも、何か一つくらい軽い病気を持っている人の方が健康に気を使うので、かえって長生きするものだ)というお言葉もいただきました。可愛がっている初孫が成人した時に、一緒に呑みに行くことが人生の大事な目標なので、そこまで、なんとしてもしっかり生きていたいと思います。facebookを通して、身近な方達から、有名な方達まで、いろんな方達がメニエール病に悩んでこられたことを知ることになりました。みんな、「メニエル友」ですね。頑張りましょう。
■さて、今日の出来事になります。メニエールの耳鳴りや目眩を薬で抑えていたけれど、京都の北にある総合地球環境学研究所で開催される会議はネット(zoomというやつ…)でなんとか対応させてもらいました。夕方はどうしてもリアルに会わないといけない会議があり、大津駅前の「カレンダー」へ。
現在申請中の特定非営利法人「琵琶故知新」の会議です。来年早々には、登記できるかなという段階になりました。公式サイトも立ち上げるので、いろいろ細かな事を打ち合わせ行いました。こういうことは、ネットではできないんです…私の場合。ということで、特定非営利法人「琵琶故知新」を設立するコアメンバーとは、リアルに月一で会って会議をすることになりました。また、毎週ネットの会議をするということにもなりました。情報弱者に成りかけているように思うので、果たしてついていけるかな…と心配です。
■まあそのようなこともあるのですが、写真を見ると、季節柄、サンタクロースのアルバイトができるような感じになっていますね。自分の様子を笑ってしまうな〜。
滋賀県連携龍谷講座 シリーズ:琵琶湖と人の様々な関わり 世界農業遺産認定を目指す「琵琶湖システム」
■今週の土曜日、滋賀県と龍谷大学の連携講座が龍谷大学大阪梅田キャンパスで開催されます。今年は、「琵琶湖と人の様々な関わり」というテーマで3つの講座が開講されています。私は、3回目、「世界農業遺産認定を目指す『琵琶湖システム』」の担当です。以前、滋賀県立琵琶湖博物館の設立に関わり、現在は、滋賀県による世界農業遺産申請のアドバイザーをさせていただいたことから、自分の経験も含めてお話をさせていただこうと思います。
■当日は、世界農業遺産申請の中心になって活躍された滋賀県職員の青田朋恵さんもお越しになります。私の話をフォローしていただく予定です。また、講演の最後には、滋賀県の世界農業遺産とも深く関係する滋賀県の郷土食「鮒寿司」を召し上がっていただこうと思います。一口ですけどね。ちょっとだけ、個人的にサプライズのことをするかも…。
滋賀県と龍谷大学との連携による連続講座 「びわ湖の日(※) 滋賀県提携龍谷講座in大阪」を開催 2019年10月19日(土)~12月7日(土)全3回