母校訪問(2) - 旧院長室

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▪️「母校訪問(1)」に投稿したように、この前の土曜日に母校である関西学院大学を訪問しました。関西学院大学同窓会滋賀支部が主催された「ヴォーリズが結ぶ、滋賀と関学の架け橋 滋賀のヴォーリズ建築遺産『保存の現場』を語る 公開フォーラム」と、そのフォーラムの前に実施されたキャンパスツアーに参加するためです。キャンパスツアーでは、関学建築学部教授の山根周先生にご案内いただきました(3段目左の男性)。まずは、関学のシンボルである時計台からスタートしました。その次は、本部棟にある旧院長室でした。学生の頃は、院長室というか本部棟に行く用事がありませんでした。普通の学生ですからね。

▪️旧院長室は予想していたよりも狭い部屋でした。部屋の中には、第4代院長を務められたC.J.L.ベーツ (コーネリアス・ジョン・ライトホール・ベーツ)先生が立っておられました。立っているとはいっても、等身大の写真の切り出しです。ベーツ先生は、1910〜1940年まで関西学院の発展に寄与され、学院の礎を築かれました。関学のスクールモットーである「Mastery for Servic」(マスタリー・フォア・サービス)を提唱されました。「私たちがマスターになろうとする目的は(それぞれの学問を極めることの目的は)、自分個人を富ますことでなく、社会に奉仕することにあります」と訳されています。( )は、私が付け加えたものです。ベーツ先生に関しては、こちらをご覧ください

▪️2段目左の写真は、ベーツ先生が院長として執務されたいた机の背後にある窓です。この窓から、学生たちが様々な活動しているのを眺めるのがお好きだったようです。このような窓を設けたのも、設計者であるヴォーリズの何か意図があるのでしょうかね、よくわかりませんけれど。2段目右の写真。ベーツ先生が執務さめた机の上には、先生が戦争を前に、離日された時のお手紙が置かれていました。離日にあたっては、関学の関係者全員に対して、「Keep this holy fire burning」(この聖なる火を絶やさないように) という言葉を遺して帰国されました。

▪️3段目の左は、院長室の壁に設けられた「奉安庫」です。キャンパスツアーでこの「奉安庫」の説明を受けた時に、ベーツ先生はどう受け止められたのかが気になりました。関西学院大学の公式サイトには、「奉安庫」に関する説明があります。以下は、その一部を転載したものです。また、[ul=https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202112/0014901138.shtml]こちらは、神戸新聞に掲載された「奉安庫」に関する記事です[/url]。

1936年、文部科学省から御真影奉戴に関して出張命令があり、C.J.L.ベーツ院長らが出頭し、翌年上智大学らとともに下付されることとなった。
その時点で、関西学院には奉安殿・奉安庫がなかったため、院長室内に奉安庫を設置し、37年2月に御真影が下付された。
その模様は「全校教職員学生生徒門前ニ堵列奉迎シ十二時十分奉安所ニ奉安シタ」と書かれている。
「御真影奉護規程」にもとづき、教職員が宿直・日直を志し、元旦、紀元節、天長節、明治節の式典で御真影の奉拝と教育勅語の奉読が行われた。
独特の抑揚をつけて行われる奉読は吉岡美国院長・名誉院長が担うことが多かった。
これらの記録は、『奉護日誌』に記録された。

▪️3段目右。第二次世界大戦後、1959年に来日されたときに授与された「名誉学位記」です。ベーツ先生が提唱された「Mastery for Servic」(マスタリー・フォア・サービス)に関しては、関学の公式サイトにとても丁寧な説明がありますので、それをご覧いただければと思います。こちらからご覧ください

【追記1】▪️関西学院の公式の翻訳ではありませんが、ベーツ先生の手紙の翻訳です。間違っているかもしれまん。その場合は、お許しください。

                  関西学院大学
                   西宮市
関西学院大学卒業生の皆様へ              1940年12月15日
                           
親愛なる友人の皆様へ

ついに「さようなら」を告げる時が来ました。11月22日、ベーツ夫人と私は12月末にカナダへ出発することが決定しました。この決定を深く残念に思っております。30年近くもの間、私たちの故郷であった関西学院を離れるのは、私たちにとって大きな悲しみです。まるで故郷を離れるような気持ちです。しかし、そうすることが正しいのです。関西学院での私の仕事は終わりました。神の導きのもと、そして教職員と学生の皆様の献身的な協力のおかげで、私はできる限りのことを成し遂げました。共に過ごした時間は本当に素晴らしいものでした。信頼、相互尊重、そして心からの愛情が、私たちの関係を支えてきました。私たちは、互いの違いを意識することなく、共通の目標に向かって深い一体感を抱きながら、共に生活し、共に働いてきました。主イエス・キリストの御霊が私たちと共にあり、私たちを支えてくださったのだと思います

関西学院での私たちの学生生活の間、皆さんは私たちに大変親切にしてくださり、あらゆる礼儀を示してくださいました。私たちは平和と善意に満ちた雰囲気の中で過ごしました。今、私たちがここを去るにあたり、皆さんが長年にわたり私にしてくださったのと同じように、新しい学長と学部長にも手を差し伸べてくださるようお願い申し上げます。私たちは、大きな、そして成長し続ける家族の一員であり、信頼、協力、そして愛という黄金の鎖で結ばれた兄弟姉妹です。神が皆さんの心、家庭、そして仕事に祝福を与えてくださいますように。

日本を離れ、カナダに永住することは、私たちにとって非常に辛いことです。私たちは38年前にこの美しい国にやって来て、ここでの生活は私たちに多くの喜びをもたらしてくれました。日本で4人の子供を授かりました。しかし、彼らは今や太平洋の向こう側にいます。私たちも年を重ねるにつれ、彼らに近づくのは当然のことのように思えます。特に、ご存じの通り、ここ数年私たちの健康状態が思わしくないことを考えると、なおさらです。

関西学院での生活の貴重な思い出は、私たちの心に永遠に刻まれるでしょう。私は皆さんのことを心から愛していました。皆さんは私にとって、まるで自分の息子のような存在でした。皆さんもそれを感じてくれていたと思います。なぜなら、皆さんはいつも私に優しく接してくれたからです。皆さんの家を訪ね、奥様やお子さんたちに会って、人生の大小様々な悩みについて語り合いたいと切に願っています。しかし、それはもう叶いません。それでも、私たちは心の中で、霊的に繋がっています。私たちには大きな使命があります。それは、利己的で罪深いこの世界に唯一の希望である、無私の精神を世界中に広めることです

             神のご加護が、皆さんの人生にありますように。

                            心から、そして永遠に。
                                 あなたの友
                                  C・J・L・ベーツ

▪️ゴシックの太字にした部分は、私が付け加えたものです。特に、最後に書かれている、「利己的で罪深いこの世界に唯一の希望である、無私の精神を世界中に広めること」という部分が心に響きました。ベーツ先生が、現代社会の状況、今の世界をもしご覧になったときに、どのようなことをおっしゃるのかなと想像しました。おそらくおっしゃることは変わりなく、より力強く語られるのではないかと思いました。また、このベーツ先生のお手紙に書かれていることは、関西学院大学を設計したウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計の背後にある精神とも愛通じていると思いました。

【追記2】▪️上記にリンクを貼り付けた神戸新聞の記事に、以下のように書いてあります。

兵庫県内の学校では、関西学院大のほか、豊岡高校(豊岡市)など10カ所に、奉安殿や奉安庫が現存するとみられる。神戸高校(神戸市灘区)には全国的にも珍しく、奉安庫と、式典で御真影を掲示した「奉掲所」の二つが残るという。

▪️神戸高校は、戦前の神戸第一中学校のときの建物が残されています。そのため、奉安庫が残っているのだと思います。私は高一の時に、広島の県立高校から神戸にある兵庫高校に編入したのですが、編入試験に合格したあと、校長室に呼ばれてそのときの校長から奉安庫の説明を受けたことを記憶しています。奉安庫など知らなかったので、少し驚きの気持ちで受け止めたのだと思います。兵庫高校は、私が在籍した当時はまだ戦前からの、神戸第二中学校の時からの建物を使っていました。そのようなことから、奉安庫が残っていたのだと思います。ちなみに兵庫高校の建物は、1994年に建て替えられました。

母校訪問(1)

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▪️5月17日、母校である関西学院大学の上ヶ原キャンパスを訪問しました。関西学院大学同窓会滋賀支部が主催された「ヴォーリズが結ぶ、滋賀と関学の架け橋 滋賀のヴォーリズ建築遺産『保存の現場』を語る 公開フォーラム」と、そのフォーラムの前に実施されたキャンパスツアーに参加するためでした。フォーラムは午後から、ツアーは午前中でした。ツアーは、関学建築学部教授の山根周さんがガイドしてくださいました。

▪️関西学院が神戸の原田の森からこの上ヶ原に移転して来た時に、キャンパスの設計をしたのは、ウィリアム・メレル・ヴォーリズです。大変有名な方ですので、ぜひご自身でお調べになっていただきたいと思います。こちらは、関西学院大学の公式サイトからの引用です

▪️関西学院大学のシンボルともいえる時計台、その前に広がる芝生、その周囲に配置された学部棟、このようなキャンパスのデザインは、スパニッシュ・ミッション・スタイルといわれるものです。関西学院大学の公式サイトでは、このデザインについて以下のように説明されています。

本来はアメリカ・カリフォルニア州の太平洋沿岸のEl Camino(王の道)と呼ばれる要路にそって点在する、18世紀から行われたカトリック伝道の拠点となったミッション(修道院)の建築様式にちなむもので、クリーム色外壁とスペイン風赤瓦を特色としています。 1929年、上ケ原にキャンパスを移転する際、設計者のW.M.ヴォーリズにより校舎の統一基本デザインとして採用されました。 以後、西宮上ケ原さらに神戸三田キャンパスの各校舎のデザインもほぼこれによってなされ、関西学院両キャンパスの一体感を生み出すものとなっています。

▪️さて、建築学部の山根先生は、現在は博物館になっていますが、私たちが学生の時は図書館であった時計台、そのあとは本部棟の旧院長室、神学部、文学部と順番に解説してくださいました。ヴォーリズが設計した建築物だけでなく、その配置や時計台の前に広がる芝生(中央芝生)も含めてスパニッシュ・ミッション・スタイルなのだそうです。山根先生の解説では、アメリカには似たような形式のキャンパスがあるとのことでした。青い空と白い壁、赤い瓦屋根の校舎に合わせるために、この背の高いヤシの木(ワシントニアパーム)が植えられているのだそうです。なるほどと、納得しました。

▪️この中央芝生の中央の、ずっと向こうには何が見えているのかご存知でしょうか。生駒山なんだそうです。ヴォーリズ自身はその意図を語ってはいないようですが、甲山、関学の時計台、中央芝生、そして生駒山。そこに直線が引けるわけですね。関学の正門の前には、この直接に沿うように桜並木が続く現在「学園花通り」呼ばれる道があります。山根先生のお話では、関学が上ヶ原にキャンパス移転したときに、ここには小さな道があったらしい…とのことでした。私も含めてですが、関学に入学した新入生は、この桜が満開する季節にこの桜並木の道を歩きながら、時計台と甲山の風景を記憶に刻んでいるはずです。

▪️3つ目の写真ですが、中央講堂です。私が学生だった頃は、ヴォーリズの設計による建物でしたが、今は建て替えられたものです。少しよくわからない天なのですが、ヴォーリズの設計の背景には、そこに暮らし活動する方達に対するとても温かい思い、建築に対するヴォーリズの思想が存在しています。では、建て替えられた建物ではその辺りどうなんだろうと思うわけです。外側がスパニッシュ・ミッション・スタイルであったとして、建て替えられた建物にはヴォーリズの思想はどういう形で継承されているのだろう…そのあたりことが気になりました。

▪️ところで、「ヴォーリズが結ぶ、滋賀と関学の架け橋 滋賀のヴォーリズ建築遺産『保存の現場』を語る 公開フォーラム」が関西学院大学同窓会滋賀支部の主催により開催されたのには背景があります。関西学院大学は2022年3月9日、滋賀県ならびに近江八幡市と、「ヴォーリズ建築等を通じた連携協定」を締結しました。そのことを契機に、官学同窓会滋賀支部では、近江八幡市や高島市の近江今津等に、多くの皆さんの努力のもとで保存されているヴォーリズ設計の建築から学ぶツアーを行ってきました。今回は3回目になりますが、同窓生だけでなく一般の皆さんにもご参加いただき、関係者のご協力のもとでとうとう関学のキャンパスでこのようなツアーとフォーラムが開催できることになりました。同窓会滋賀支部の皆様をはじめとして、ご協力くださったみなさんに、心より感謝したいと思います。

▪️以下は、フォーラムの開催趣旨です。

ウィリアム・メレル・ヴォーリズが情熱を注いだ地・滋賀と、その建築哲学の粋を集めて設計された関西学院大学上ケ原キャンパス。この二つの場所は、ヴォーリズという一人の建築家を通じて深い絆で結ばれています。
時を経てもなお人々を魅了し続けるヴォーリズ建築ですが、その美しさの裏側には、老朽化と闘い、知恵を絞り、建物を「生きた場所」として守り抜こうとする市民の絶え間ない努力があります。本フォーラムでは、近江八幡・今津・水口の保存活動の最前線に立つリーダーたちが一堂に会し、建物の魅力と「保存の現場」の熱い想いを語り合います。新緑の美しい上ケ原キャンパスで、皆様と一緒に考える機会になれば幸いです。

▪️この「母校訪問」、また続きを投稿します。

運転免許証の更新とウォーキング

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            琵琶湖大橋の一番高いところから北湖を眺めました。
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         守山市側から。琵琶湖大橋と大津市の堅田方面。背景は、比良山系です。
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                    琵琶湖大橋から。
▪️今日は、運転免許証の更新に行ってきました。滋賀県運転免許センターは、我が家からすると琵琶湖の南湖を挟んだ向側の守山市にあります。今回の免許証は、「ゴールド」です。ゴールドといえば、吹奏楽の世界ではコンクールで金賞の受賞を口頭で告げられる時に言うわけですが(きんとぎんを聞き間違わないように)、今回は「金色」=「優良」です。無事故無違反で金色に復帰しました。これで、5年間免許が有効になります。

▪️マイナンバーカードが登場して、運転免許の世界も、①従来の免許証のみだけでなく、②マイナンバーカードに免許証情報が記録された「マイナ免許証」、そして③なんですが、①と②の両方を希望される場合の3種類があるということを知りました。「マイナ免許証」は昨年から利用可能になっているようです。で、私は、①を選択。講習時間も30分で終わりました。

▪️今日の受付は8時半からだったので、早めに免許センターに到着したわけですが、もうかなり行列ができていました。最初の受付は、機械で自動的に行うのですが、いくつか選択をしなくてはいけません。その様子を眺めていると、やはり高齢者の方ほど時間がかかっていて、係の方のサポートが必要だったりと、いつか自分もそうなるのかなと思ってしまいました。もっとも、今のところではありますが、後期高齢者の75歳になったら免許を返納しようと思っています。

▪️免許センターまでは送ってもらいましたが、帰りは車がありません。せっかくだからと、歩いて帰宅することにしました。琵琶湖や琵琶湖とともにある周囲の景色を堪能しました。琵琶湖大橋を歩いて渡ったのも久しぶりでした。帰宅途中、琵琶湖大橋を渡ったとろに新しくできた「無印良品」やホームセンターの「カインズ」を見学しましたが、ウォーキングの距離は9.2km、1時間48分。ゆっくり歩きました。最近はあまり長い距離を歩いていないので、ひさしぶりの「ウォーキング」になりました。ひさしぶりだったので、少々疲れましたが、これから機会を見つけては長い距離を歩こうと思っています。次は15km、その次は20kmと少しずつ距離を伸ばしていきます。

連休と孫

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▪️連休中の5月4日、娘の家族や息子夫婦とともに、昨年と同様、高島市の安曇川河口にある「滋賀県立びわ湖こどもの国」でBBQを楽しみました。娘の連れ合いが昨日から上手にBBQの下拵えをしてくれいたので、とても美味しくシーフード、ビーフ、チキンをいただくことができました。孫たちがもりもり食べるのに驚きました。あの細い体のどこにあれだけの食べ物が入るのでしょうね。

▪️まだ4ヶ月ほどしか経っていませんが、孫のうち姉の方のひなちゃん(小4)は、大人と一緒にボードゲームをより一層楽しめていることに驚きました。ひなちゃんは、ボードゲームが大好きなようです。妹のななちゃんの方は、姉のひなちゃんにいろんなことを教わりながら一緒にゲームで遊んでいます。きっとそのうちに、姉妹とも大人と一緒にボードゲームを楽しめるのではないかと思います。ゲームだけでなく、身体能力も高くなっているなと思いました。特に、姉のひなちゃんは、ダンスやスイミングを習っていますが、縄跳びもたいしたものです。二重跳びもできます。それから、通っている学童保育でドッヂボールが流行っているようで、一緒にドッヂボールをしてみました。今度は、自分の非力さに驚きました。肩が弱すぎ…です。

▪️妹のななちゃんのことも。ななちゃんは、保育園ではいろいろお友達の園児さんたちのお世話をしているリーダータイプの園児さんですが、自宅ではお父さんやお母さんに甘える甘えん坊です。そのななちゃんが、ちょっと膨らんだシールをコレクションしていました。「あっ、それ知ってるわ。ボンボンシールやろ」と言ったら、ななちゃん(妹・保育園年長)からは「ボンボンドロップシールやで、知らん人がボンボンシールって言うねん」と速攻で訂正が入りました。そして琵琶湖半でBBQをして、孫たちがもりもり食べるのに驚きました(おじいさんは、ノンアルビール)。自転車も補助輪なしに、上手にこぐことができます。やはり、姉がいると、見本になるので、いろんなことを習得しやすいようです。

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▪️娘の家族と、息子の夫婦と、琵琶湖の湖畔でBBQを楽しんだことを書きました。BBQのあとは、今度は身体を動かして遊ぶ予定だったんですが、天気予報とは異なり、雨が降り始めてきました。ということで、予定を変えて自宅に帰り、自宅で「人生ゲーム」をすることにしました。連休中にまずやった「人生ゲーム」は現代版ですが、今度の「人生ゲーム」は私の父が孫たちに買ってきたものでした。つまり、ひなちゃんやななちゃんの母親(娘)とその弟(息子)がまだ小さい時に買ってきて2人に与えたものなのです。ということは、30年は経過していると思います。

▪️この30年前の「人生ゲーム」ですが、バブルかバブルが弾けた頃の時代状況を表現しているように思いました。「パソコン通信を始めたので…」というマス目がありました。パソコン通信、当時は時代の先端を行っていたのでしょうね。インターネットが普及する以前の時代です。インターネットの普及以降は、バソコン通信は消えていきました。あと、現代版とは違って、結婚して子どもが増えていくというストーリーになっています。現在だと、いろいろクレームがつくような気がします。また、ゴールしたら、子ども1人ごとにお金をもらえるようになっています。あと、職業もこの「双六」で決まります。職業に応じて、すごく収入に格差が生まれるんですよね。でも、高級取りだったのに、突然職業を失ったりとか、なかなか理不尽です。ちなみに、この日、私はずっと「アルバイト」でした。アルバイトの収入は、ルーレットの数字で決まります。娘の連れ合いは、借金地獄に陥ってしまいました。もちろん、ゲームの中での話ですよ。また、一番先にゴール間近の橋を渡った人に、後から来た人は通行料を払わないといけないとか、なんだかな〜というルールもありました。まあ、「人生」に浮き沈みが生まれるような仕掛けになっています。とても盛り上がりました。孫以上に大人が盛り上がりました。でも盛り上がるということは、それだけ資本主義の影響が骨の髄まで染み込んでいるということなんでしょうかね。

人生ゲーム

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▪️娘の家族がやってきました。車から飛び降りた姉のひなちゃんが、「人生ゲーム」の箱を小脇に抱えて、勢いよく我が家に乗り込んできました。で、早速ゲーム開始‼️今の「人生ゲーム」、昔のものとはえらく違いますね。私が子どもの頃の「人生ゲーム」は、結婚して、子どもが産まれて…それがゲームストーリー展開の中に当たり前のようにありましたが、今は完全に消えています。時代の考え方を反映していますね。昔は、どんどん子どもが産まれて自動車に刺せずに横から差し込んだりしていましたが(わかる人にしか分かりませんが)。昔はなかったタイムマシンのような仕組みもあります。ボードをひっくり返すと戦前に戻りったり。これは工夫が付け加えられている例ですかね。

▪️変わらないのは、「人生はお金やで‼️」というところかな。全てが金額で評価されるというところ。もともとこのゲームのルーツはアメリカですからね。現在、世界中で格差と分断が拡大しているので、なんだか複雑な気持ちになりますね。もっとも、孫のひなちゃんは、ただゲームを楽しんでいるだけですけど。学童保育で、この「人生ゲーム」が流行っているらしいです。

68歳の誕生日プレゼント

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▪️先日のこと、大津赤十字病院に入院する前のことですが、自宅にとても軽い小さな箱が届きました。息子からでした。なんだろうと思ったら、中身はPatagoniaのTシャツでした。私は暑くなったらTシャツばかりですが、UNIQLOかmont-bellか。それに対してスポーツメーカーでもPatagoniaはちょっと高級ブランドですよね。

▪️息子にLINEで確認したら、ちょっと遅めの誕生日プレゼントでした。息子も4月生まれなので、それではお返しをと思い尋ねたところ、「欲しいものはない」と老人のようなことを言うのです。息子夫婦は軽登山が趣味のようなので、山でコーヒーを沸かして飲むための道具はどうかと尋ねたところ、「山でお湯沸かすやつは持っているよ。ミルはないけど」と返事があったので、山用の軽いミルを送りました。息子夫婦からLINEで返事があり、息子の連れ合いからは「なんか、濃いのに苦くないという、美味しいコーヒーになりました」とお褒めの言葉をいただきました。ちなみに、娘夫婦からもプレゼントは何がいいと聞かれて、私は本物の老人ですから「欲しいものはないな〜」と思ったのですが、サントリーの「白州」をお願いしました。「白州」好きなんです。

孫のランドセル

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▪️娘には、2人の子どもがいます。孫ですね。2人とも女の子です。上の孫はひなちゃん小学4年生、下の孫ななちゃん保育園の年長さんです。来年から小学生になります。ということで、朔日は大阪梅田のグランフロント大阪ナレッジキャピタルにある、ランドセル専門店で下の孫のランドセルを予約注文しました。入学のお祝いに祖父母がランドセルを購入することが多いようです。店内は、ものすごく賑わっていました。1年近く前から予約しないと、気に入ったランドセルが手に入らないのですね。

▪️今は、ランドセルにも実に様々な色があります。今から60年前(わたしの時)は、黒と赤しかありませんでしたが…。今日、孫が選んだ色は、薄い茶色「モカ」でした。この点については良い時代になったと思います。孫は保育園の年長さんですが、なかなか渋い選択です。そしてそこに貼り付ける飾り付けのシールもあるのですが、その「モカ」にあうシールを選んでいました。土台が「モカ」なのでベージュ系のシールはよく似合います。

▪️予約をした後は、梅田貨物駅跡にできた「グラングリーン大阪」のあたりを散策しました。たくさんの家族連れで賑わっていました。ただし、昔、ここに貨物駅があったという「土地の履歴」はいっさいわからなくなっていました。まわりのビルに入っているテナントもそうですが、まだまだ、作り物のハリボテ感満載の感じばかりして、私のような年寄りには、ちょっと寂しい感じでした。過去の大阪駅界隈を思い出せるのは、高架下の「新梅田食道街」しか残っていないのかな。

春の庭と孫のダンス

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20260329mygarden10.jpg ▪️今日は、孫のひなちゃんのダンスの発表会でした。奈良まで出かけました。その前に、少し庭に出て気になっていることを済ませました。庭の池と睡蓮鉢の水温が上がり、ヒメダカが元気に泳ぎ始めたので餌をやり、冬眠中のクサガメも「春だよ」と無理やりお越してやりました。クサガメは水温が18℃以上にならないと餌を食べないので、餌にパクつくのはもう少し先のことになるかもしれません。花は気持ちよく花を咲かせてくれています。

▪️1段目、黄色いのは、ヒカゲツツジです。淡い黄色の花を咲かせます。2段目左、リュウキュウアセビです。小さな低木ですが、豪華な雰囲気で花を咲かせてくれます。2段目右、イカリソウです。白い花ですね。3段目左、こちらもイカリソウです。こちらにピンク色です。3段目右、ユキヤナギです。4段目左、ムスカリ。4段目右、シバザクラです。庭の法面にたくさん咲かせたいのですが、どうもうまく定植できません。5段目左、スミレの仲間。栽培品種です。5段目右、ローズマリーです。ハーブです。時々、葉っぱを料理に使っています。6段目、クサガメの飼育水槽です。今日は、とても暖かかったので、無理やり目覚めさせました。でも、まだ寝ぼけた感じでしょうか。

▪️ 孫のひなちゃんのダンスの発表会があり、JR奈良駅横の奈良百年会館に行きました。昨年に引き続いて、2回目です。ひなちゃんの出番は、27番目。孫の頑張っている様子をみたいのですが、大音量のダンスミュージックが鳴り響く環境に身を置くことはかなり辛く、途中、会場を抜け出して少し休憩しました。奈良駅周辺を散策しました。この界隈も、随分小綺麗に整備されました。今の駅は3代目です。2代目の駅舎の竣工は1934年です。奈良らしいデザインの建物です。経済産業省の近代化産業遺産(2007年)および、土木学会の選奨土木遺産(2011年)に認定されているそうです。
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「TAKASHIMAYA GROUP THE SPIRIT VOL.23|商都 大阪の歴史と文化を語る 百貨店建築 -大阪・日本橋編-」


「TAKASHIMAYA GROUP THE SPIRIT VOL.23|商都 大阪の歴史と文化を語る 百貨店建築 -大阪・日本橋編-」です。登場している学芸員の方は、田中喜一郎さん。大学時代、同じ学生オーケストラ(関西学院交響楽団)の同学年で、彼も私もヴァイオリンを弾いていました。彼は部長も務めていました。高島屋に就職して、いろいろあった後、今は、この建物の学芸員をされています。高島屋東別館は、2019年に登録有形文化財(建造物)に登録され、2021年に重要文化財(建造物)に指定されています。田中さんは、母校である関西学院大学文学部で学芸員資格を取得されています。ぜひ、ご覧になってください。この動画には、建物のデザインに関して、アカンサスという植物が登場します。我が家の庭にも植えてあります。庭師さんが庭の改修の際に植えてくださったのかな。

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▪️左の背の高い花が、アカンサスの花です。昨年の6月22日に撮ったものです。右の大きなのが、アカンサスの葉です。これは、今日、撮りました。動画の中で田中さんは説明されていないようですが、古代ギリシャの時代から建築にこの葉のデザインが取り込まれてきました。ですから、アカンサスは単なる植物のデザインではなく、「西洋文明の正統な継承者である」ことを示す強力な文化的記号でもあるのです。権威を象徴するデザインということになるのでしょうか。わかりやすいのは、紙幣でしょうか。旧1000円札の表裏、新1000円札の表裏の縁取りにアカンサスがデザインされています。

大学時代のサークルの同窓会

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▪️昨日は、大学時代に所属していたサークル、関西学院大学交響楽団の同窓会でした。私たちの学年の学生指揮者である守谷祐一くんを囲んで、同級生と下級生の皆さんが、お集まりくださいました。守谷くんは、長らく海外で働いてきて、数年前に帰国されました。今は東京で働いておられます。たまたま関西に出張ということで、今回はこのような集いを企画できました。

▪️私たちが4回生の時の、3回生、2回生、1回生の皆さんがお集まりくださいました。皆さん、完全に還暦越えです。私などは、古希が目前に迫っています。今日は、学生指揮者だった守谷祐一くんを慕って、多くの皆さんがお集まりくださいました。ありがとうございました。ちなみに今日の集まりでは、40年ぶりに会ったという方達もおられました。素敵なことですね。このような同窓会を開いて良かったと思います。守谷くんが学生指揮をしていた時の、定期演奏会の演奏の音源を持っておられた後輩がデジタル化してくださったものを、皆さんと一緒に懐かしく聴くこともできました。また、このような同窓会を開催できればと思います。

▪️ひとつ下の学年でクラリネットを演奏していた方は、今、市民オーケストラの団長をされています。学生時代からずっとクラリネットも演奏しています。ずっと働きなが音楽を続けてこられたのです。この日集まった中にも、ずっと音楽を続けている方たちがおられます。すごいなと思います。また、素晴らしいなとも思います。また、ご自身の仕事や家庭の状況から楽器の演奏を中断されていたけれど、今は楽器の演奏を再開された方たちもおられます。羨ましいですね。団長をされている方からは、市民オーケストラの運営の難しさをいろいろ教えていただきました。練習場所の確保であるとか、財政的な課題についてですね。今は、もう退職されているので、楽器の演奏とともにオーケストラの運営にも非常に情熱を注いでおられることがよく伝わってきました。

▪️私は学生オーケストラの時代はヴァイオリンを弾いていました。そして、卒業後も、後輩たちの定期演奏会にエキストラとして弾かせてもらうことがありました。調べてみると、第61回定期演奏会(1983年)、第63回定期演奏会(1984年)、第66回定期演奏会(1985年)、第68回定期演奏会(1986年)でした。ちなみに第63回はヴァイオリンではなくヴィオラを演奏しました。その時のヴィオラは、学生指揮者だった前述の守谷くんの楽器でした。彼の楽器を借りてエキストラとして演奏したのです。後輩たちの定期演奏会以外にも、新しくできた市民オーケストラ、かぶとやま交響楽団でも、第1回(1989年)と第2回(1990年)の定期演奏会で弾きました。

▪️でも、それ以降は、音楽をやめてしまいました。時間的にも精神的にも余裕がなくなってしまったからです。当時は、いわゆるオーバードクターで、結婚もして子どもも生まれていましたが、仕事はといえば大学の非常勤講師はしていても、まだきちんとフルタイムで就職することができていませんでした。「音楽を楽しんでいる場合じゃない。仕事や研究に集中しないと」と思って楽器の演奏をやめてしまったのです。ということで、たまに誘われてちょっとだけ余興程度にヴァイオリンを弾くことはありましたが、基本的には36年間楽器を絶ってきたわけです。

▪️しかし、大学の教員生活もあと1年になりました。定年退職後は、もう一度、きちんとヴァイオリンのレッスンを受けて、オーケストラやアンサンブルが楽しめるようになりたいなと、昨日の同窓会では強く思いました。

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