卒業論文の口述試問が終わりました。

■昨日は、卒業論文の口述試問でした。うちのゼミでは、全員が出席する卒業論文発表会という形で口述試問を行うことにしています。全員で17人ですが、朝から初めて先ほど終えることができました(全員で18人ですが、1人はオーストラリアに留学中です)。私のゼミでは、全員が質的調査を行って、その調査データに基づいて卒業論文を執筆するルールになっています。学部の理念である「現場主義」を私なりに大切に思うが故に、あえてこのようなルールを設定しています。このルールを理解した上でゼミに所属してもらっています。優秀だと判断できるレベルから、中にはう〜んと唸るレベルまで…。まあ、いろいろなんですが、今年も一生懸命指導をしてよかったなと思いました。

■ご自身の何か得になるわけでもないのに、学生のインタビューに時間をとって対応していただいた皆様、ありがとうございました。ゼミ生の皆さんには、心から感謝していただきたいと思います。「どうして、自分のような学生にきちんと向き合って対応してくださったのだろう…」、その辺りのことを深く考えてもらいたいと思います。また、地域活性化・地域再生等のゼミのテーマとも関係あるのかも知れませんが、多くのゼミ生の卒業論文の中に登場する方達は、あえて言えば、通常の「自分事」の範囲を超えて、「他人事」までも「自分事」として捉えて、それぞれの方の立ち位置で活動されている方たちです。そうやって公共の課題を少しずつ解決ないしは緩和するために頑張っておられる方たちです。そのような方達を中心としたネットワークが地域社会の中に拡がっているからこそ、社会はなんとか底が抜けずに済んでいるようにも思うわけです。そのことを口述試問の際に話ましたが、きちんと伝わったかな。

■卒業論文の提出は、学士(社会学)の学位を授与されるために必要なわけですが、単なる通過点ではありません。大学4年間の学びで蓄積した力を全力で出し切る必要があります。ピラミッドの一番テッペンに置かれるキャップストーンのようなものです。全力を出し切ってレベルのある卒論を執筆できた皆さんは、そのことを自分の自信にしてください。たくさんの反省が残ってしまう人は、これから社会人として生きていくための糧にしてください。同じことを仕事で繰り返してはいけないと(でも、繰り返してしまうんですよね…)。そういうわけでして。今年度も指導が終わりました。私も全力を出して指導しました。

第32回地球研地域連携セミナー(滋賀)「びわ湖の水草 市民がはじめる環境自治」

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■以下のセミナーに参加します。今回は、特定非営利活動法人「琵琶故知新」の立場から参加します。みなさんのお話をお聞かせいただいた上で、最後の総括のところで少し私自身もお話をさせていただきます。これまで市民グループ「水草は宝の山」(水宝山)の活動を中心に、ネットワークづくりに取り組んできましたが、今回は、総合地球環境学研究所のご支援のもとで、このようなセミナーが開催できることになりました。

■このセミナーの【事例5】では、本学農学部の玉井鉄宗(たまい・てっしゅう)先生が、「水草堆肥の農学的評価」というタイトルで報告をしてくださいます。現在、私は、玉井先生をはじめとする農学部の先生方と一緒に、この「水草堆肥」の課題に取り組む研究プロジェクト(龍谷大学 食と農の総合研究所)を始めようとしています。また、いつかそのことを報告できるかと思います。
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2020年2月8日(土)13:30-16:30(開場 12:30)
[会場]コラボしが21 中会議室2(3F)(滋賀県大津市打出浜2-1)
[主催]総合地球環境学研究所
[共催]特定非営利活動法人 琵琶故知新
[後援]滋賀県、大津市、たねやグループ、NPO法人国際ボランティア学生協会(IVUSA)、滋賀SDGs×イノベーションハブ、水宝山、近江ディアイ株式会社、三井物産環境基金、その他
[概要]
びわ湖は長い時間をかけて独自の生態系と文化をはぐくんできました。その豊かな自然は、私たちの生活にたくさんの恵みをもたらしています。一方で、経済発展に伴う人間活動の影響もあり、水質をはじめ湖の環境は大きく変わりました。
近年では、南湖における水草の大量繁茂により、湖岸の景観の悪化や悪臭の発生などの問題が起こっています。自治体が水草の除去を行う一方で、急激な水草の大量繁茂の原因は完全には解明されていません。
しかしながら、このような状況の中で、市民が主体となり漂着した水草の清掃活動や堆肥化(循環利用)を進めるための仕組みづくりが始まっています。
本セミナーでは、このような地域ではじまった「小さな循環」を地域全体の「大きな循環」に広げていくことを目指して、市民・企業・行政の活動事例を報告していただくとともに、ワークショップを行います。一人ひとりが主体的かつ持続的に取り組めるような、望ましい環境自治のあり方を共に考えましょう。
[参加]
入場無料・要事前申込(定員40名※先着)
[申込方法]
お名前(フリガナ)・電話番号をご記入の上、メール・FAXのいずれかにてお申し込みください。
申込・問い合わせ先
総合地球環境学研究所 広報室
メールE-mail
Tel:075-707-2128   FAX:075-707-2106
2020年2月3日(月)までにお申し込みください。

琵琶湖の全層循環

■琵琶湖の湖水は、冬になると表層が冷えて水温が下がっていきます。湖岸近くの浅いところの湖水も水温が下がります。低温・高密度になるのです。低温・高密度になると、琵琶湖の真ん中の湖水は湖底に向かって沈んでいきます。冬以外の季節では、深度の変化とともに水温が変化する層が生まれますが、冬になるとその水温躍層が次第に深くなっていきます。湖岸近くの浅いところの湖水も低温・高密度になり、湖底の斜面沿いに沈んでいきます。そのようになると、酸素を含んだ水が底の方に沈むことにもなります。そして琵琶湖全体で湖水が混じり合い、水温と酸素の濃度が同じになります。これを、全循環、全層循環と呼びます。一般には、「琵琶湖の深呼吸」と言われる現象です。

■冬になると、多くの滋賀県民の皆さんが、この全層循環「琵琶湖の深呼吸」に注目されます。ところが、昨年は、観測史上初めて全層循環が起こりませんでした。全層循環が起こらないと、琵琶湖の底の方に酸素が行き渡らないことになります。結果として、水質や生態系に影響を与えることにもなります。そのようなこともあり、例年以上に「琵琶湖の深呼吸」のことを心配されているのではないかと思います。この全層循環のついては、「琵琶湖の全循環と『低酸素化』」という専門家の解説をお読みくいただければと思います。

■さて、先日のことになりますが、NHKの夕方のローカルニュース番組で、「全層循環が起きる条件を指標化」(01月30日18時08分)というニュースが報道されました。そのニュースの中では、滋賀県琵琶湖環境科学研究センターの建物の中にある国立環境科学研究センターの中田聡史さんが次のような説明をされていました。

びわ湖では通常、1月から3月の間に湖面近くの水が沈んで湖底の水と混ざり合う「全層循環」と呼ばれる現象が毎年起きていますが、去年、観測史上初めて確認されませんでした。
このため全層循環が起きる条件を解明しようと、大津市にある国立環境研究所はスーパーコンピューターを用いて、過去6年分のびわ湖の気温や風速などのデータを解析しました。
その結果、びわ湖全体にたまった熱のエネルギー量が指標となることが分かりました。
数値が1000PJ(ペタジュール)という単位を下回ると、全層循環は起きていましたが、去年は一度も下回っていなかったということです。
また、去年の気象条件を分析すると、9月から3月までの7か月間の気温がこれまでより高く、さらに湖面を吹く風速が秒速4メートルほど弱かったことがわかったということです。

■この解説を読むと、琵琶湖の全層循環が起きるかどうかは、気象条件や温暖化の問題とつながっていることがわかります。毎年のように大規模な台風が列島に襲いかかり、甚大な被害が発生しています。感覚的にも、地球温暖化の問題を日常生活から遠く離れたところの問題ではなく、身近な問題として捉えるようなってきているように思います。琵琶湖もそのような温暖化の影響を強く受けつつあるのです。今から43年前、琵琶湖の富栄養化の進行とともに赤潮が発生し、大きな社会問題となりました。その時、富栄養化を促進させるリンを含んだ合成洗剤を条例によって規制し、「合成洗剤を使用せず石鹸を使おう」という県民運動=石けん運動が展開しました。もちろん、その後の下水道の急速な普及が富栄養化を抑制していくことになるわけですが、条例や県民運動のような取り組みも、社会の意識、政策の方向性を変えていくとともに、一定の効果を生み出しました。あの時は、温暖化と比較するとローカルな環境問題であるわけですが、この「琵琶湖の深呼吸」に関しては、私たちは何ができるのでしょうか。滋賀県では、温暖化につながる二酸化炭素の排出を抑える低炭素社会づくりに取り組んでいます。環境と経済の両立を目指して2011年3月に「滋賀県低炭素社会づくりの推進に関する条例」が制定されました。そのことに伴い、「事業者行動計画書制度」も定められています。このあたりのことは、私はあまりよくよかっていません。きちんと勉強しないといけないといけませんね。

■ところで、知り合いに老舗の鮒寿司屋さんの若主人がおられます。私がfacebookでこのNHKのニュースを取り上げたとろ、「自然相手のことだから…と言ってしまえば終わりですが、びわ湖の環境が死活問題の自分からすると不安で仕方ないです」とのコメントをいただきました。とても切実に感じておられます。

集団就職


■びわこ放送の番組の動画をシェアします。このニュース映画は、集団就職で大津駅に降り立った皆さんです。1973年ですから、私が中3の時のニュース映画ですね。ということは、この映画に写っている方達は、私の1つ学年が上の先輩ということになります。ところで、1973年という年は、日本にとって大きな分岐点となった年です。10月に勃発した第四次中東戦争をきっかけに原油価格が上昇し、日本はオイルショック(第1次オイルショック)に陥り、それまで続いてきた高度経済成長期は終わることになります。そのようなオイルショックが起きてしまうことを、この動画に映っているみなさんは当然のことながらご存知ありません。

■ところで、このニュース映画に登場する大津駅、1921年に完成した駅が映っていますね。1973年というと、私は広島の中学生だったので、この駅のことを知りません。大津には、若い工員さんを必要とする東レや綾羽のような繊維メーカーのような工場がありました。大津にも全国から集団就職で中学を卒業された方たちがやってこられたのです。私の知り合いの女性にも、鹿児島から集団就職で大津にやってこられた方がおられます。昼間働いて、夜は高校に通っておられたそうです。今は、この動画にもあるように、すっかり大津の人になりお孫さんもいらっしゃいます。

高島市の棚田を視察

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■再来年に高島市で開催される「全国棚田(千枚田)サミット」のアドバイザーとしてお手伝いをしていることは、以前の投稿でもお知らせしましたが、私としては「棚田サミット」だけでなく、龍谷大学と高島市の地域連携がもっと進んでいくと良いなあと思っています。そのため、龍谷大学の教員の皆さんと高島市役所の担当者の皆さんと一緒にいろいろ相談を始めることにしました。昨日は、社会学部コミュニティマネジメント学科教員の坂本清彦先生と一緒に、高島市にある棚田の集落、鵜川と畑を訪問しました。高島市役所の職員さんにご案内をいただきました。ありがとうございました。対照的に棚田を拝見させていただいたように思います。

■鵜川は、高島市の一番南に位置する集落です。Googleマップの画像をご覧いただければわかりますが、琵琶湖の湖岸近くに位置しています。鵜川の辺りは、山が琵琶湖にまで迫っています。その山の裾野の傾斜に棚田が築かれています。これから色々調べてみたいと思いますが、石垣でしっかり支えられた棚田です。その棚田の低い方にはJR湖西線が走っています。私がいる時も、特急サンダーバードや普通列車が通過していきました。鵜川は、JR北小松と近江高島駅の間にあります。

20200128ukawatanada5.jpg■多くの皆さんは、棚田が生み出す曲線が構成する「棚田の風景」に魅力を感じておられるのではないかと思います。鵜川の棚田の場合は、「棚田の風景」というよりも「棚田からの風景」が素晴らしいと思います。もちろん、あくまで個人的な評価にしか過ぎないのですが、「琵琶湖・列車・棚田」の組み合わせが素敵だなあと思うのです。対岸には近江八幡市の沖島、彦根、そして長浜の街を確認できます。景色の良い時、棚田の一番上に登って、そこからその風景を眺めながら美味しいお弁当を食べることができたらなあと、妄想しました。

■鵜川には、「うかわファームマート」という直売所があります。せっかく鵜川にやってきたのだからと、いろいろ購入させていただきました。鵜川の棚田で生産された環境こだわり米のコシヒカリ。それから、トートバックも購入しました。「UKAWA TANADA PROJECT」と印刷してあります。「鵜川棚田プロジェクト」です。棚田を再生・保全するための取り組みです。よくみると、そこには石垣の棚田と湖西線と山がデザインされています。素敵ですね。私は、「山→棚田→列車→琵琶湖」という風景を眺めましたが、これは「琵琶湖→棚田→列車→山」です。琵琶湖側から棚田を眺めているわけです。これも素敵です。大津から高島に向かう船から、この鵜川の棚田を眺めてみたいものです。

■「うかわファームマート」では、柑橘類も購入しました。どうして棚田で柑橘類?…と思われるかもしれません。鵜川では、全国の棚田の農村と同じく、後継者不足・高齢化に悩んでおられます。そのような問題を少しでも緩和するために、「棚田のオーナー制度」を実施されています。地域外から、オーナー登録をされた方たちが農作業に関わっておられるのです。もちろん、それだけでは不十分なので、ボランティアの皆さんも農作業を手伝っておられるとお聞きしました。もっとも、この「棚田のオーナー制度」だけでも、全ての棚田を耕作することはできません。不耕作の棚田は荒れていきます。一部、そのような棚田もありました。しかし興味深く思ったことは、鵜川では、棚田が荒れてしまわないように、柑橘類を中心に果樹が植えられていることでした。あえていえば、不耕作地の有効利用ということでしょうか。直売所「うかわファームマート」で売られていた柑橘類も、この棚田で生産されたものかもしれません(未確認)。日当たりの良い棚田ですから、柑橘類等の果樹もよく実るのではないでしょうか。

20200128hata-ukawa.jpg■上のGoogleマップの小さな画像をご覧ください。青い丸で囲んだところが鵜川です。昨日は、もうひとつの棚田の集落も訪問しました。畑という集落です。「日本棚田百選」にも選ばれている集落です。滋賀県で選ばれているのは畑だけです。緑の丸で囲んだところが畑になります。一番下Googleマップの画像をご覧いただくとよくわかりますが、かなりの高低差(おそらく130mほど…)のある尾根筋に棚田が作られています。全体としては、周りが山に囲まれた地形かなと思います。鵜川の方は石垣の棚田でしたが、畑の棚田は少し違います。もちろん、一部に石垣もありますが、縁が丸い地形の棚田が順番に連なっています。同行してくださった坂本清彦先生は、「日本昔話に出てくるような棚田だ」とおっしゃいました。まさに、昔話の絵本などに登場する柔らかな雰囲気の棚田です。素敵です。

■こんな山の中にある棚田ですが、JR高島駅からだと車で15分ほどの距離です。近いですね。この棚田の集落から車と電車を使えば、京都駅までだと1時間半かからずに到着することができます。1時間半といえば、東京だと普通の通勤時間かもしれません。通勤は大変だとは思いますが、大阪駅までだと2時間をきるほどの時間で到着できます。そうなんです。高島市は、都会に近い場所にあるのです。地図を見ていただくとわかりますが、この畑の集落の山側には、横谷トンネルがあります。このトンネルを抜けると、そこは旧朽木村の村井という場所になります。ここには国道367線が走っています。福井県の小浜市や京都市の北部までは車だとそれほど時間がかかりません。まだ、聞き取りをしているわけではありませんが、何かかいものをするときも、小浜や京都に向かわれるのではないかと想像しています。

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■畑を訪問した後は、「公益社団法人びわ湖高島観光協会」と「たかしま市民協働交流センター」を訪問しました。観光協会の方は時間的余裕がありませんでしたが、交流センターではじっくりお話をお聞かせいただくことができました。ありがとうございました。棚田とも少し関連してくるのですが、「炭焼き」をテーマに、いろいろワクワクする地域づくりの取り組みができそうな予感がしてきました。意欲のある龍谷大学の学生の皆さんと一緒に、素敵な地域づくりの経験ができるのではないかなと思っています。関心のある学生の皆さんは、私に連絡をいただければと思います。

■今回の視察の目的は、あくまで再来年開催される「棚田サミット」に合わせて、棚田のある集落を視察することにありました。集落の皆さんに丁寧にお話を伺うことはできませんでした。そのような聞き取りについては、これからの地域連携の中で取り組むプロジェクトの中で時間をかけてできればと思っています。

【追記】■上にアップしたGoogleのマップの画像、いつ頃に撮影されたものかはわかりませんが、棚田のなかに緑色の部分が確認できます。おそらく、このうちの多くは不耕作地ではないかと思います。きちんと確認したわけではありませんが、鵜川も畑にもそのような不耕作地を確認いたしました。ここからも、平地でも不耕作地が増えています。ましてや棚田であれば、その維持がいかに大変であるか想像できるのではないかと思います。

ケン・ローチ



■ネットで、次の記事を読みました。ロンドンはエリート層以外「立ち入り禁止」? 社会的流動性に懸念。イギリスの英慈善団体「サットン・トラスト」の報告書をもとにした、BBCの記事です。相対的にでしょうが、ロンドンと比較して、ロンドン以外の地域では、社会的流動性(貧しい家庭の子どもが中流以上の家庭を築くなど)がより容易だが、ロンドンは家賃の高さが障壁となって、そのような社会的流動性がなく、地方からロンドンに出て「世の中で上に行く」という考えは「神話」になった…というのです。ロンドンに暮らせるのは、もともとロンドンに暮らして経済的に有利な人たち、あるいは地方であっても経済的に恵まれた家庭の出身者だけということになります。家賃が障壁となって、ロンドンで一旗あげようと思っても、それは無理ということになります。ロンドンは、経済的に恵まれない階層の人たちにとって、実質的に立ち入り禁止区域になっているというのです。ゲーテッドシティ…という言葉はないと思いますが、実態としてそのようになっているわけですね。

■次のような指摘も気になりました。自分が今の暮らしができるのも、自分に努力して能力があるからと考えて、もとも恵まれた階層に生まれてきたからだ、その階層も金融によって獲得したものだ…とは思わないわけですね。おそらく階層の違う人たち、ロンドン以外で生活するひとびとに対する「想像力」が希薄化しているのではないかと思うのですが、実際のところはどうでしょうか。

報告書はさらに、過去数十年でロンドンに超富裕層が誕生していると強調。金融によって富を手にしたケースが目立つと指摘している。そうした裕福なエリート層には、「能力主義信仰」を支持しながら自らは特別に有利な立場にいるとは考えない、自覚の欠落がみられると警告している。また、富裕エリート層は「自分と同じような多くの人々に囲まれている」ため、自らを「特別に恵まれている」とは考えないと分析している。

■このBBCの記事をfacebookにシェアしたところ、知人の方が、映画を紹介してくださいました。ケン・ローチというイギリスの映画監督の作品です。映画に疎い私は、この映画監督のことを知りませんでした。YouTubeで調べてみると、彼の作品の予告編がありました。2019年に公開された「わたしは、ダニエル・ブレイク」と、昨年公開された最新作「家族を想うとき」です。「わたしは、ダニエル・ブレイク」に関しては、この映画を紹介したニュースもアップされていました。とても気になりました。実際に見てみたいと思います。

咲きました、飾ってみました。

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■自宅の庭のクリスマスローズ、咲きました。庭には4カ所にクリスマスローズが植えてあります。他の3つの株は、これからかな。クリスマスローズの花、とても美しいのですが、下向きにどこか恥ずかしげに咲きます。また、リビングの窓から、花が見えるように工夫して飾ってみました。ジュリアンとヒヤシンスです。どちらも、冬の庭ではありふれた品種です。ちらりと見えている赤い花は、窓の下に植えてあるセージです。冬の庭は花が少なく、少し寂しい感じなのですが、これらの明るい色彩の花を眺めるだけで少し幸せな気持ちになります。

親和会授賞式

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■昨晩、京都のクラウンプラザホテルで「親和会授賞式」が開催されました。親和会とは、龍谷大学に在籍する学生の保護者会のことです。様々な学生の活動の中で、吹奏楽部は最優秀賞をいただくことができました。その時の写真を、親和会の役員をされている 高島 香里さんに送っていただきました。高島さん、ありがとうございました。

■いただいた写真、ブルーのブレザーを着ているのは、吹奏楽部幹事長の村上凛さんです。社会学部現代福祉学科の学生です。高島さんから写真や動画と共にいただいたメッセージでは、村上さんのスピーチが印象的だったとのこと。どんなスピーチだったのかな、今度、聞いておきます。ところで、吹奏楽部の学生たちが、大好きな音楽に取り組むことができるのは、そして全日本吹奏楽コンクールや全日本アンサンブルコンテストで金賞を受賞するほどの実力を持った演奏者として成長できたことは、ご本人の努力はもちろんですし、大学からの支援もありますが、そのことに加えて、まずなんといっても、保護者の皆さんの応援とご支援があったからこそだと思います。そこがとても大切かなと、部長としては思います。おそらく、多くの部員の皆さんは、大学だけでなく、中学・高校・大学と約10年に渡って保護者の皆さんに音楽活動を支えていただいたのではないでしょうか。まさに、部訓である「音楽・感謝」そのものかと思います。保護者の皆様、ありがとうございました。

12期生「大津エンパワねっと」報告会

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■日曜日、昼過ぎまでは地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」の後期報告会が開催されました。カリキュラム改革により、現在、「大津エンパワねっと」は「社会共生実習」というプログラムの中で、ひとつのプロジェクトとして位置付けられています。当日のことは、社会学部のホームページのニュースとしてアップされる予定です。また、リンクをアップしようと思います。ということで、この投稿では、「大津エンパワねっと」が「社会共生実習」というプログラムの中で、どのような位置付けにあるのか…、そのことについて述べておこうと思います。

■「社会共生実習」は、広い意味でのアクティブラーニングだと思います。アクティブラーニングとは、次のように説明されています。「学習者である生徒が受動的となってしまう授業を行うのではなく、能動的に学ぶことができるような授業を行う学習方法です。 生徒が能動的に学ぶことによって認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る」(2012年8月中央教育審議会答申)。大変、広い概念です。この中には、サービスラーニング、CBL(Community-Based Learning)、PBL(Problem Based Learning)といった概念も含まれると思います。ただ、これらの概念相互の関係について詳しい方にお聞きしてみましたが、誰もが納得する形できちんと整理されているわけではない…とのことでした。ということで、とりあえず「社会共生実習」を広い意味でのアクティブラーニングとして、まずは位置付けておこうと思います。

■その上で、「社会共生実習」で取り組まれている複数のプロジェクトを2つの軸で構成される4つの象限に位置付けてみようと思います。ひとつの軸は「課題設定–課題発見」です。意味するところは、担当する教員が、取り組むべき課題を履修する学生たちにあらかじめ設定して提示しているか、それとも履修する学生自身がフィールドの中から課題を発見していくのか、どちらに重点があるのかということです。もうひとつの軸は「課題解決–調査・学習」です。学生は、課題解決まで視野に入れて活動するのか、それともあくまで地域課題を調査、あるいは学習することに重点があるのかということです。さて、このような整理は、あくまで私の個人的な考えに基づくもので、社会学部の公式見解ではありません。はっきり言ってしまえば、そのような段階までまだ議論が深まっていないというのが実情です。というのも、このようなアクティブラーニングに全て教員が関心があるわけではありませんし、取り組みの姿勢や熱量?!についても違いがあります。さらに前に向いて進むにしても、時間がかかります。私の場合は、定年まであと7年なので、時間切れになってしまう可能性がありますが、仕方ありませんね。

■さて、そのようなことはともかく、「課題設定–課題発見」と「課題解決–調査・学習」の軸で構成される4つの象限に、現在、「社会共生実習」の中で取り組まれているプロジェクトがどこに位置つけられるのか、この実習の関係者に参考意見を聞きつつ整理してみました。もっとも、あくまで、私個人の立場からみたものです。ですから、それぞれの担当教員から見ると、もっと別の位置付けがあるかもしれませんし、私の理解は間違っているとの指摘があるかもしれません。まあ、そのようなことを前置きにして、あえて整理してみると、結果として、「大津エンパワねっと」の特徴が浮かび上がってきます。「大津エンパワねっと」は、12年前の最初から一貫して「問題発見×問題解決」を目指すプロジェクトであるということです。

■もちろん、大まかな方向付けは学生や地域の皆さんとの相談の中で行いますが、具体的な「課題発見」は、学生が地域の皆さんからお話を伺い、質問や協議を行い、具体的に提案をすること、学生と地域の皆さんとのコミュニケーションの中から、内発的に浮かび上がっていきます。もちろん、浮かび上がるように、いろいろ教員の側もサジェスチョンやヒントを学生に与えます。でも、課題を絞り込むのは、地域の皆さんとコミュニケーションの中でということになります。そのあたりの学生の指導のあり方も、なかなか難しいものがあります。 

■毎年発行している「大津エンパワねっと」の報告書の表紙には、次のように書かれています。「学生力と地域力を相互に高めあう教育実践」。私は、この「相互に高めあう」というところが非常に重要かと思っています。学生と地域の皆さんが協働しながら課題を発見していくこと、その課題を解決していく取り組みの中で、小さな成功体験を積み重ねて「やればできるよね」という有効性感覚を実感できるようになること…そのことが大切なのではないかと思うのです。もっと簡単にいえば、学生と地域の皆さんが、知恵と汗を出し合いながら、お互いに「なるほどな〜」「そういうことなのか〜」「おもしろいやん」「もっと、よくしようや」といったコミュニケーションが持続していくことなのかなと思います。
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【追記】後日の投稿に改めて書こうと思います。今回は、備忘録。
・学生のプレゼンテーションを媒介に、地域の皆さんたちがいろいろ議論をされていることを、もっと活かしていくことができないか。
・このような「大津エンパワねっと」と大学との授業とのつながり。授業で学んだ理論や概念が、自分が地域の皆さんと格闘している地域の現実のなかに見え隠れしていること。例えば、人口減少社会、少子高齢化、外国人労働者、グローバリゼーション、個人化、液状社会…、そのような概念と自分の身体を媒介として感じ取ったリアリティとの関係。どのようなカリキュラムが必要か。

OB交響楽団での練習を見学

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■私は、学生時代、母校の関西学院大学の学生オーケストラ、関西学院交響楽団に所属していました。昨日は、この学生オケの出身者が結成した「関西学院OB交響楽団」の練習が、西宮の甲東園にある公民館で開催されました。私自身は、このOBオケのメンバーではありませんが、OBオケの方から見学しませんかとのお誘いがあり、お邪魔いたしました。この日の練習は特別でした。世界的に活躍されている指揮者、佐渡裕さんが指導されることになっていたからです。

■33年前の1987年、神戸文化ホール大ホールで関学オケの「第69回定期演奏会」が開催されました。指揮者は、佐渡裕さんでした。その当時、新進気鋭の指揮者として関西のあちこちの学生オケや市民オケで棒を振っておられました。ちなみに、龍谷大学吹奏楽部も、佐渡さんに指揮をしていただきました。1986年のことです。佐渡さんの指揮のおかげで、日本吹奏楽コンクールの全国大会に初めて出場することができました(もちろん、私は、1986年当時、関学の大学院生で、コンクールのことなど何も知りませんでしたし、自分が将来、龍谷大学で教員をしていることも夢にも思っていませんが…)。

■当時の関学オケでは、次の定期演奏会でも指揮を佐渡さんにお願いすることになっていたようですし、佐渡さんもそのことを了承されていたようです。しかし、佐渡さんは急遽留学されることになり、佐渡さんの2回目の指揮による定期演奏会は実現しませんでした。そのことを、昨日、練習を開始する前に、佐渡さんが当時のことを振り返りながらお話になりました。

■その後、時が経過し、佐渡さんはヨーロッパを中心に活躍されるようになります。そして、佐渡さんから関学オケで指導を受けた1人の後輩もヨーロッパで働くようになりました。彼は、関学オケの学生代表である部長でした。その後輩が佐渡さんに会いに行ったことから、再び交流が始まりました。2017年の事のようです。来月、開催される関学オケの「第134回定期演奏会 阪神・淡路大震災25周年メモリアル」の指揮は佐渡さんですが、佐渡さんと後輩とのこのような再会と交流がひとつのきっかけになっているようでした。

■詳しくはわかりませんが、昨晩の練習は、佐渡さんに再び定期演奏会で指揮をしていただくことと関連する、「現役定期応援企画」なんだそうです。OBオケの練習についても、佐渡さんが特別にご指導くださることになったようです。OBオケの全員ではありませんが、多くの皆さんが佐渡さんが指揮をされた時代に、現役だったのでしょうね。

■練習した曲は、来月に開催される「関西学院OB交響楽団 阪神・淡路大震災メモリアルコンサート~ 25 年目の『 風に想う』 ~」で演奏するシューベルトの「交響曲 未完成」でした。練習が始まる前はどうなるんだろう…とちょっと心配していましたが(失礼なことを書いてますが…ごめんなさい)、佐渡さんが指揮をされると音も音楽も見事に変化していきました。驚きました。指導の中でお話になる曲の解説についても、とても勉強になりました。「未完成」の練習の後は、休憩を挟んで、弦楽器で「G線上のアリア」が演奏されました。演奏前には、OBオケの指揮者の後輩から震災当時の出来事についてのお話がありました。私も、震災の時のことをいろいろ頭に浮かべながら聞かせていただきました。そして、演奏の後、黙祷を捧げました。

■練習の休憩時に、佐渡さんとお話をさせていただきました。34年前、龍大吹奏楽部が佐渡さんの指揮で日本吹奏楽コンクール全国大会に出場できたことのお礼を申し上げたのです。その上で、佐渡さんが指揮をされたトーンキュンストラー管弦楽団のマーラーの交響曲第5番のCDにサインをしていただきました。もちろんOBオケのメンバーも、佐渡さんに未完成の譜面にサインをお願いされていました。まあ、クラシックファンだとそういうものですかね。そうそう、OBオケのメンバーに混じって、私たち見学していたOBも一緒に、記念写真をお願いしました。この辺りは、自分でも恥ずかしほどミーハーなわけですが(^^;;。

■昨日は、懇親会もありました。6つしたの学年の方達と同じテーブルになりました。私がかろうじて知っている後輩の皆さん、元女子学生の皆さんです。こんな話も出てきました。卒業旅行でウィーンに行った時に、佐渡さんにお会いしてご自宅でカレーをご馳走になった…、オペラを見るのにストーリーがわかっていないと辛いからと解説した文章をいただいた…、そういう話です。30年前のことなので、元女子学生も記憶は曖昧、佐渡さんも完全に忘れておられました。まあ、こんなものですかね(^^;;。ひさしぶりに、お会いした元女子学生の皆さんとお会いして楽しい時間を過ごすことができました。とはいえ、22時半にはお先にお暇して滋賀に戻らねばなりませんでした。これがギリギリ。自宅最寄駅に最終電車で帰れる時間でした。

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