iPhone5でオダサク

20131127odasaku.jpg■ふだん、スマートフォンとしてiPhone5を使用しています。アプリケーションのなかに、「豊平文庫」(ほうへいぶんこ)というものがあります。これは、「青空文庫」に入った作品を読ためのアプリです。で、「青空文庫」ですが、これは著作権が切れた文学作品をインターネット上で収集・公開している電子図書館です。まわりくどくなりました。通勤時に、このアプリを使って、「青空文庫」に入った織田作之助の作品を楽しむことが、私の最近のマイブームになっています。

■織田作之助(1913年- 1947年)の作品には、古き良き時代の大阪の庶民の暮らしや、大阪の街が描かれています(都市を社会学的に考える上でも、役に立つ作品だと思います)。主観的な印象論にしかすぎませんが、織田独特のユーモアのなかに、ちょっとした悲しさと寂しさが入り交じっているところに、なにやら味わい深いものを感じて、病み付きになるのです。どうして、織田作之助なのかということなのですが…。今年が織田作之助生誕100年にあたるらしく、新聞等でもさかんに取り上げられており、そのような記事をたまたま読んで、記憶のなかに引っかかっていたのだと思います。ひさしぶりに、「豊平文庫」を触って「どの作家の作品にしようか…」と考えたときに、「織田作之助」の名前が一番先に浮かんできたという、たまたまの偶然だったのですが、読み進めるうちに病み付きになってしまったのですね。

■学生の皆さん。私のばあいは、たまたま織田作之助なのですが、ぜひ「青空文庫」に収められている作品を、お手元のスマホで読んでみてください。これは、考えてみればすごいことなのです。文学作品をたくさん収めた図書館が、片手で持つことができるのですから。たしかに、著作権の切れた古い作品ばかりですが、どこかに自分のハートと共振する作品をみつけることができるはずです。

豊平文庫

岸由ニさんの本

20131127kishi.jpg ■amazonから、岸由ニさんの本が2冊届きました。『「流域地図の」作り方』(2013年)と『奇跡の自然』(2012年)です。前者の「まえがき」には、こう書いてあります。「地球という生命圏のリアルな姿をすっかり忘れた産業文明の私たちが、大地の凸凹と循環する水とのにぎわう生きものたちでできている生命圏を再発見し、その聞きに足元から付き合いなおし、温暖化や生物多様性危機で大変貌していく地域に再適応していくために必要な足元の大地の凸凹性を再獲得するための入門書」。再適応し再獲得するためのとっかかりの方法が「流域地図」なのです。もし、流域環境学について考える実習のような授業があるのならば、学生と一緒に取り組んでみたいと思いますし、現在、流域環境学の大きなプロジェクトにも取組み始めたところなので(大学共同利用機関法人人間文化機構「総合地球環境学研究所」のプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会-生態システムの健全性」)、流域にお住まいの皆さんと一緒にやってみたいなとも思いました。

■もう1冊、『奇跡の自然』は、サブタイトルが「三浦半島小網代の谷を『流域思考』で守る」…になっています。小網代の谷とは、神奈川県の三浦半島の、浦の川理由行きと河口干潟からなるコンパクトな流域です。1980年代ゴルフ場開発計画がこの地域に浮上しましたが、市民運動によって守られました。岸さんは、「まえがき」にはこう書いておられます。「森と干潟と海をつなぐ小網代流域生態系の、ダイヤモンドの原石のような奇跡的な価値を感じていただき、また、四半世紀をすでに大きく超えた小網代保全の歴史と工夫と、なお未来につづく多様な課題を知っていただけたら」。第三部は、養老孟司さんとの対談にもなっています。

■まだ、届いたばかりで2冊とも「まえがき」しか読んでいませんが、ちょっとワクワクしています。岸さんとは面識がある…というわけではありません。40歳になった頃、私は、日本学術振興会「未来開拓学術研究推進事業」「アジア地域の環境保全」のなかの、流域管理をテーマにしたプロジェクトに参加しました。京都大学生態学研究センターの和田英太郎先生を代表とするプロジェクトです。このプロジェクトに参加して以来、私は、住民参加・参画をベースにした文理融合的な「流域管理論」、そして最近ではトランス ・ディシプリナリーと呼ぶような「流域環境学」の構築を目指して研究に取り組んでいます。私が「流域管理論」や「流域環境学」に取り組み始めた当時、岸由ニさんには、プロジェクトに対して直接的にいろいろご意見やアドバイスをいただきました(ご本人はお忘れでしょうが)。「めっちゃ、面白い人や!」とも思いました。プロジェクトを進めることは非常に大変でしたが、お話しをさせていただき、元気が出てきたことを記憶しています。

■今回も、岸さんの本から元気とともに、これから取り組む「流域環境学」のプロジェクトにつながるヒントをいただこうと思います。

基礎ゼミのこと

20131126mujirushi.jpg■同僚の工藤保則先生から、『無印都市の社会学』(近森高明/工藤保則・編著、法律文化社)をいただきました。この本の特徴は、タイトルの「無印」というところに現れています。コンビニ、大型家電量販店、IKEA、フランフラン、ショッピングモール、マンガ喫茶、パチンコ店、ラーメン屋…。学生の皆さんには馴染みの消費的な都市空間が取り上げられています。このような消費的な都市空間は、取り替え可能なものです。地域に住まうたくさんの人びとの思い出や記憶(集合的記憶)がつまったものではありません。

■多くの人びとの思い出や記憶(集合的記憶)がつまった所を、地域社会学、都市社会学、環境社会学では「場所」という概念で分析してきました。そして、この本のなかに登場するコンビニのような消費的な都市空間は、「場所」とは対比的に位置づけられてきました。あえていえば、ネガティブな存在として位置づけられてきたように思います。しかしこの『無印都市の社会学』では、これまでのように否定的にはではなくニュートラルに捉えようとしています。その上で、消費的な都市空間と現代人との柔軟な関わり方に注目しようとしています。

■たとえば、大型家電量販店であれば、消費者が電化製品を買い求めにくるわけですが、利用する人たちは、時間を潰すために、気晴らしのために、様々な電化製品をいじって楽しむために…といったもっと別の理由で、あてもなく、ふらりとそのような空間に佇んでいたりします。誰しも経験することかもしれません。改めてそのあたりのことを、この本の執筆者たちは、社会学的に「分析」しようとしています。学生の皆さんには、この「分析」の進め方に注目して欲しいと思います。当たり前のように身近なところに存在している、普段慣れ親しんでいる消費的な都市空間。しかし、その当たり前の向こうにある別の社会的なリアリティに近づいていく。そうすることで、「自分を中心とした半径3mの範囲内の興味関心」(日常生活のなかで、なんとなく楽しい・面白い・好きといった感覚で終ってしまっている興味関心)を超えることができる…チャンスが生まれてくるかもしれません。学生の皆さんには、ぜひ実際に手にとって読んで、実際に確かめていただきたいと思います。頭のなかで概念操作をすることで、社会が違ってみえてくる…そういう経験をしてほしいと思います。特に、「社会学的に考えるってどういうこと?」、「問題関心って、自分の好き嫌いの話しとは違うはず。でも、よくわからない!」と悩んでいる学生の皆さんには、いろいろヒント与えてくれるのではないでしょうか。実際、この本の帯には「どのように社会学したらいいのかわからないイマドキのあなたのための指南書」と書いてあります。もちろん、社会学の世界への指南書=ガイド役をしてくれそうな本は、もっともっとたくさんあります。今回ご紹介した『無印都市の社会学』は、そのようなガイド役のなかの1冊であると、ご理解ください。

20131126basicseminar.jpg■私が担当している基礎ゼミナールでは、今、この本の内容に沿ってディスカッションをしています。基礎ゼミナールは、2年生後期の演習です。3年生から始まる本格的なゼミ(演習)の準備段階にあたります。この基礎ゼミの私の目標は、「社会学的に考えるとはどういうこと」、「どのようにしたら社会学になるのか」、その辺りを少し理解できるようになってもらうことにあります。

■以前の投稿にも書きましたが、私が知るかぎり、多くの学生は、「社会学を勉強したい」と考えて社会学科に入学してきているわけではありません。受験指導のなかでなんとなく…、他大学に受験に失敗して…、法学や経済学など勉強したくなかったので消去法的に社会学が残った…、自分が勉強したいことがわからなかったが、社会学は間口が広そうだからなんとかなると思って…、理由は様々ですが、必ずしも積極的に社会学科を選択しているわけではないのです。そのような学生たちが、なんとなくゼミを選択することのないように、少しでも自分なりの社会学的問題関心にもとづいてゼミを選択できるように、教員としてサポートしたいと考えているのです。明日、27日(水)の昼休み、ゼミの説明会があります。しっかり考えてゼミの選択を行ってほしいと思います。

『「富山型」デイサービスの日々 笑顔の大家族このゆびとーまれ』

20131115book.jpg ■来週の3年生ゼミでは、ゼミ生の1人が「富山型」デイサービスといわれるNPO法人デイサービス「このゆびとーまれ」について報告をする予定です。赤ちゃんからお年よりまで、障害があってもなくても一緒にケアする活動方式と、行政の柔軟な補助金の出し方を併せて「富山型」と呼ぶのだそうです。ネットには、以下のように紹介されていました

福祉施設と聞くと、お年寄りばかりがいる老人ホームのような場所を思いうかべる方もいると思いますが、このゆびとーまれ」は子どももお年よりも、中年の人も障害者の人も、「誰でも必要なときに必要なだけ利用」でき、施設らしさは全く感じられないところです。見学者から、「このゆびとーまれはなごやかな空気に包まれていて、まるで昔の大家族のよう」とよく言われます。
なお、2004年5月10日富山市茶屋町において、従来のデイサービスに加え、障害者も受け入れ可能なショートステイ(短期入所施設)、および痴呆対応型グループホーム、の3つの機能を併せ持った「このゆびとーまれ茶屋」が、2005年4月1日には従来のこのゆびとーまれの向いにデイサービス「このゆびとーまれ向い」がオープンしました。

■このNPO法人「このゆびとーまれ」の代表である惣万佳代子さんが執筆された『笑顔の大家族 このゆびとーまれ』が、今日、手元に届きました。目次をみてみると、最初に「どうして畳の上でしなれんがけ」とあります。自宅で最後を迎えることを望みながらも、それがかなわなかったトヨさんのお話しです。人の最後をトータルに支える仕組みが今の日本の社会にはきちんと整えられていないのです。

■今から4年前、1年の看病のあと父が亡くなりました。父は、病院で亡くなりました。本当は、安心できる自分の家で=畳の上で死にたかったと思います。その頃の記憶は、私の心のなかから消えません。毎日、心のかなで思い返します。なんら専門的な知識もないのですが、在宅終末ケアについて考えてしまいます。もちろん、きちんと勉強してるい時間はないのですが…。亡くなった岡部健先生からお聞きしたお話しつにいても(父が亡くなる前にある研究会でお聞きしました)、ずっと考え続けています。人の幸せは、人生の最後の瞬間できまるように思うのです。

■明日・明後日の流域管理に関する研究会があります。お仕事です。それが終ったら、一気に読んでみようと思います。

『沖島に生きる-琵琶湖に浮かぶ沖島の歴史と湖稼ぎの歩み-』小川四良

20130704okishima.jpg ■やっと古書店から届きました。サンライズ印刷出版から出された『沖島に生きる-琵琶湖に浮かぶ沖島の歴史と湖稼ぎの歩み-』(小川四良・著)です。

■本のタイトルにある沖島とは、琵琶湖に浮かぶ離島です。琵琶湖には、沖島、多景島、竹生島の3つの島がありますが(沖の白石は岩礁なので除いてあります)、そのうち、人の暮らす集落があるのは沖島だけです。世界的に見ても、淡水の湖に浮かぶ島に人が暮らすコミニュティがあるということは、大変珍しいことなのだそうです。ちなみに、「湖稼ぎ」は「うみかせぎ」と読みます。で、何故この本を求めていたかというと、1年生の授業「社会学入門演習」の現地実習で訪問したのがこの沖島だったからです。大学の図書館にも入っているのですが、そちらの方は、入門演習の学生たちに優先的に読んでほしいので、自分について古書店から入手することにしたのでした。

■1996年に出版されています。かつて私が主任学芸員として勤務していた滋賀県立琵琶湖博物館が開館した年です。ということで思い出しました。琵琶湖博物館の『うみんど』というニューズレターで、この本の著者・小川四良さんと、琵琶湖博物館の館長(当時)で生態学者の川那部浩哉さんが対談されています。本が出版された翌年、1997年です。

『湖人うみんど』vol.3(1997年)
館長対談「沖島の漁業の変遷など」

■この対談のなかで説明されていますが、小学生に沖島のことを説明するためにご自分の体験を原稿にされたものが、この本の下敷きになっているようです。自費出版しようと原稿をもってサンライズ出版社に相談にいったところ、逆に「私とこで出版させて下さい」ということで正式に出版されることになったのだそうです。小川さんは1920年生まれ、漁業者として生きてこられた方の経験が記録になっているわけですから、これは価値があります。すぐに出版されるのもわかります。

■さて、川那部さんと小川さんとの対談、これも貴重ですね。以下のような証言、本当に大切だと思います。

川那部■沖島の漁業もずいぶん変わってきたようですね。じかに関わってこられた小川さんの眼から見ると、いかがですか?
小川■兵隊から帰ってきた昭和二十一年頃、特に多かったのはシジミですね。ほんまに無尽蔵と言って良いくらい。特に四~五月は、大きゅうて艶のある、それもあの黄色いセタシジミが、島の周り一帯の砂地で、面白いくらいなんぼでも獲れましてん。錨を下ろして、ロープを百メートルぐらい伸ばす。真鍬(まんが)のついた底曳き網を入れて、ロープを引いて舟ごと動かすわけですわ。殆どはむき身の煮シジミにして出しました。
川那部■シジミが減り始めたのは?
小川■昭和四十年ぐらいからで、四十年代の末にはとんと無くなりました。昭和の三十六―七年から、田んぼの排水がえらい濁って来たんです。それにPCPもありましたな。一般の市民も琵琶湖が濁ってきたのに気付かれましたが、一番初めに気がついたのは漁師です。
川那部■琵琶湖総合開発の調査で、私がセタシジミの資料を調べたのが、ちょうどその頃です。沖島の周りはもちろん、南湖でもまだたくさん獲れました。それに、内湖がどんどん失われたのもその頃ですね。
小川■そうです。大中の湖の干拓が完成するのも、昭和四十二年。それに農機具が近代化された時代です。湖岸線一帯が濁ってきて、この辺ではアユも殆ど寄り付かんようになりました。

――真珠養殖のイケチョウガイにも、ブームがありましたね。
小川■そうです。昭和五十五年ぐらいが最後のピークでした。琵琶湖そのものではもう枯渇してまして、残されたのが西の湖やったんです。しかし、真珠の核を入れた母貝も、われわれが人工孵化させて作った母貝も、五十七年ぐらいには、水質が悪くなって全部死んでしまいました。
川那部■セタシジミもニゴロブナもビワヒガイも、このイケチョウガイも、みな琵琶湖の固有種ですね。ちょうど西の湖が出て来ましたが、最近は水郷めぐりでも有名ですね。どうしたら良いと思われます?
小川■まず水質。外湖への水の疎通と言うか、流れがないわけですよ。今度新しい閘門(こうもん)が出来て、余計にひどくなりました。これまでもヘドロの除去をやかましく言うて来たのですが、なかなか実現しない。
――昔は泥取りとかしてましたね。
小川■藻も取りました。「藻は舟一杯で千円、泥は簡単やから五百円」で、戦後、付近の人から買って、田にまいて耕したんです。特に藻を入れた年は、一俵か二俵余計に穫れた。内湖を掃除してたわけです。

■さて、この対談で「――」とあるのは、進行役の総括学芸員・嘉田由紀子さん、現在の滋賀県知事です。当時は、直接の上司でした。また、「海人うんみんど」のなかに「研●究●最●前●線●「関係」について考える」というコーナーがあります。これを執筆しているのは、39歳当時の私です。写真も写っていますが、自分のことながら若いですね。ため息が出てしまいます…。

『新聞再生』畑仲哲生

20130704shinbun.jpg ■昨日のエントリーで、読売新聞の「しが県民情報」で私たちの「北船路米づくり研究会」の活動が紹介されたことをお知らせしました。あらかじめ、記者さんからも7月2日に記事なりますよ…と知らせてもらっていたのですが、facebookでも、この記事のことを紹介してくださった方がおられます。同僚の畑中哲生先生です。たまたま手に取られたようで、大変喜んでくださいました。というのも、畑仲先生は、元々「共同通信」の記者として勤務されながら、東大の大学院で地方紙の可能性について研究されてきた方だからです。

■本日、昨日、facebookでお知らせいただいたことの御礼を申し上げに畑仲先生の研究室を訪問させていただきました(といっても、お隣の研究室ですが…)。そのさい、写真の本を献本していただきました。ありがとうございます。『新聞再生-コミュニティからの挑戦-』(平凡社新書)という新書です。新書の帯にはこう書いてあります。

「新聞危機説」は実は「大新聞危機説」に過ぎない! 地方紙の挑戦と挫折を綿密にレポート、「新聞なるもの」の未来の姿を探る。

■昨日のエントリーの最後に「こういう点で、地域新聞って、地域再生にはとっても重要だと思うんですよね」と書きましたが、どうやら畑仲先生もこの新書のなかで同様のことを主張されているようなのです。

■地域社会には、地域に根を張って地域の課題解決に地道に取り組んでいる方たちが、たくさんいらっしゃいます。ただし、普段の暮らしのなかでは、そのような方たちの存在にはなかなか気がつくことはありません。しかし、地域新聞=地方紙は、地域の課題解決に地道に取り組んでいる人たちに「光をあてる」ことができます。地域に元気を与えることができます。それは、全国紙にはできないことです。また、そのような人たちが「出会う」社会的な「場」を紙面につくっていくこともできます。さらに、地域の課題解決に地道に取り組んでいる方たちが情報発信をしていく「場」にもなるでしょう。そのような「場」の構築により、地域社会固有の「公共的課題」について、共感がひろがったり、そのことを媒介に具体的な連携のネットワークが広まる可能性だってあります。

■私たちは、新聞といえば全国紙を頭に浮かべますが、もっと違った形の新聞が存在していもよいと思いますし、必要だと思います。特に、私のように地域社会で実践的な活動をしようとしている人には、とっても必要なメディアだと思うのです。『新聞再生』の著者・畑仲先生とお話ししていて、いろいろ勉強させていただきました。

『父の暦』谷口ジロー

20130702taniguti.jpg ■谷口ジローの『父の暦』です。先日の『遥かな町へ』に続いて、こちらも読了しました。こちらも奥が深いですね。両作品とも、主人公は中年の男性です。『遥かな町へ』では、主人公が中2のときに、家族を捨てて父親が蒸発してしまいます。『父の暦』の方も、やはり中年男性が主人公です。こちらは、主人公の母親が子どものときに、両親は離婚し、母親はいなくなります。

■『遥かな町へ』では、主人公の父親はなんとか戦争を生き抜き、戦後は、戦死した戦友の妻に頼られて結婚することになります。戦争が父親の生き方に大きな影響を与えているのです。洋服の仕立てを仕事にしながら、家族を支えるために懸命に働くのですが、自分の本当の生き方を探すために蒸発してしまうのです。残された妻は、そのような夫の選択を半ば覚悟していたのでしょう。現実を静かに受けとめ、再婚もせずに、子どもたちと生きていくのです。『父の暦』では、鳥取大火災が、主人公の父親のその後に生き方に大きな影響を与えます。大火災で失った店舗を再建しなくてはいけません。妻の実家から借金をします。その借金を返すために、趣味や暮らしの楽しみを捨てて、ただ黙々と働きます。そのような夫に愛想をつかして、母親は父親と離婚してしまいます。残された父親は、その現実を受け止めます。どちらも、自分ではどうしようもない、突然訪れる不幸を、静かに受け止める人たちの話しでもあります。…というところでは共通していますね。

■『遥かな町へ』で、いなくなるのは父親。『父の暦』では、いなくなるのは母親。しかし、両作品とも、父親と息子の関係が重要なポイントになります。そして主人公自身が歳を取り、父と同様に「人生」というものを経験してきた結果、最後には「蒸発した父親」の気持ちを理解できたのです。「亡くなった父親」の自分たちへの深い愛情を理解し、それをやっと深く受けとめることができたのです。谷口ジローさんは、映画監督・小津安二郎の作品からの大きな影響を受けておられるようですが、そのこともこうやって両作品を比較してみるとよくわかります。

『遙かな町へ』谷口ジロー

20130630taniguti.jpg ■通勤するときは、自宅のある奈良から京都まで近鉄。そのあとは、キャンパスのある大津市瀬田までは、JRを利用しています。先日、通勤途上でたまたま見かけた特急列車が気になりました。特急「スーパーはくと」です。京都から鳥取、そして倉吉に行く特急です。途中、非電化の線路を走るのでエンジンで動く気動車です。その車体が気になりました。谷口ジローという漫画家の作品が描かれています。2012年に開催された「国際まんが博」の開催にあわせて、谷口ジローさんの作品を描いたイラスト列車なのです。谷口さんは鳥取県出身です。

■ところで、ついうっかりしていましたが、谷口さんは、『坊っちゃんの時代』や、『孤独のグルメ』といった作品も出されています。以前、それらの作品を読んでいたのですが、すぐには特急「スーパーはくと」のイラストとは結びつきませんでした。いけません…。ということで、彼の別の作品を読んでみることにしたのです。『遙かな町へ』と、『父の暦』です。今日は、母親の世話をしにいく電車のなかで、読むことにしました。

■大人の漫画です。おそらく、10年程前、まだ若い段階で読んでいたら、読後感もかなり違っていただろうなと思います。この作品は、谷口ジローが51歳のときのものです。漫画の主人公は48歳です。おじさんになったから(なってしまったから…)、心に沁みるように読むことができたのだと思います。漫画評論家の夏目房之助さんが、良い解説を書いておられました。

(このマンガの主人公は)若い頃にあった可能性や選択肢は、やがて「ここではないどこか」への、不可能な思いとして二重化されることを知っている。人がもってしまう、存在へのこの不可能な問いは、父を了解してしまう形で現在の主人公に回収される。大人であることの代償のように。

■ここを詳しく説明すると、「あらすじ」がわかってしまいますね。ですから、まだお読みでない方は、ぜひご自身でご覧いただければと思います。また、すでに過去にお読みになっているばあいでも、改めてお読みいただければと思うのです。この『遙かな町へ』、ヨーロッパでも人気が出て有名な漫画賞を受賞しているようですね。ところで、漫画の舞台は昭和38年の鳥取。漫画のなかの会話をみながら、鳥取出身の卒業生のことを思い出しました。どうしているかな。

【追記1】■谷口ジローさんのインタビュー記事のメモ。
覚え書:「時代を駆ける:谷口ジロー」、『毎日新聞』1~9

【追記2】■この『遥かな町へ』のことにつきましては、facebookにも投稿しました。すると、facebookの「友達」でもある職場の事務職員の方から、「私も、じつ『遥かな町へ』のファン」なんですと、笑顔とともに声をかけていただきました。なるほど〜。でも、その方はまだ30歳代前半です。私がその年代のときであれば、おそらくこの漫画の奥底にあるものを、ぼやっとしか理解できていなかったのではないかと思います。歳を重ねていくこと、また異なる味わいがあるのではないかと思いますよ。

おらといっしょに ぱらいそさ いくだ!!

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■昨日は、漫画「寄生獣」についてエントリーしました。この「寄生獣」は、巷で話題になっていたのでしょう、私はたまたまその内容を知り、内容が気になって、全巻を購入したのでした。当時、ある大学で非常勤講師をしていましたが、そこでの環境社会学の授業にも使いました。今から、20年近くも前のことです。当時、漫画を楽しむ習慣はありませんでした。私が、漫画を比較的きちんと読み始めたのはもっとオジサンになってから、おそらくは40歳代前半のどこかでだと思います。なぜか。理由は簡単です。漫画を「大人買い」できるようになったからです。

■昨年は、とうとう「ONE PIECE」を全巻大人買いし、一気に読みとおす…なんてこともしました。また、流行りの漫画だけでなく、「名作」としての評判の高い漫画も入手するようになりました。このような「名作」になる楽しむというよりも、観賞するという感じになります。その「名作」のひとつが、諸星大二郎の漫画です。いろいろ衝撃的な作品を書いている方ですが、そのなかでもトップの写真の「生命の樹」は大変印象に残りました。有名なんですね、「おらといっしょに ぱらいそ さいくだ‼」の台詞。

■どういうストリーリーかを知りたいかたは、こちらをお読みください

マンガ「寄生獣」

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■マンガの蔵書のなかから、『寄生獣』を職場のランニング仲間・駅伝仲間でもあるHさんにおかししていました。今日は、仕事で瀬田キャンパスに来られていたHさんから、そのマンガが戻ってきました。マンガには手紙が沿えられていました。

「脇田先生 寄生獣、長い間お借りしておりました。ありがとうございました。 本当にレベルの高い、おもしろいマンガでした。長男も甚く気に入ったようで、『人生で二番目!!』ともうしてました。→一番目は今のところ空席だそうですが…。」

■嬉しいですね〜。Hさんは私よりも一回りお若い方です。その息子さんは、まだ高校生。世代を超えて、このマンガに共感してもらえて、満足です。『寄生獣』、大変奥の深いマンガだと思います。研究室にありますから、関心のあるゼミ生や同僚の教員の皆様にはおかししますよ。

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