夏休みの自由研究(その3)

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▪️夏休みの自由研究(その3)です。自由研究のテーマは、恐竜と鉄道だけではありませんよ。歴史についても勉強しました。行ったのは、「福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館」と「一条谷朝倉氏遺跡」です。これまで、この朝倉氏のこと、よく理解できていませんでしたが、戦国時代、歴史上重要な大名だったのですね。意識を新たにしました。教養が足りません。図録も購入しましたので、きちんと自分で補習することにします。2019~2020年度に放送されたNHKの大河ドラマ『麒麟がくる』にも、朝倉氏の最後の当主である朝倉義景が登場していました。俳優のユースケ・サンタマリアさんが演じられました。ですので、ご記憶の方もいらっしゃると思います。残念ながら、私は、先にも書いたようにこの戦国時代の教養が不足していますし、この大河ドラマも視聴していません。

▪️上段左の写真、博物館の下を撮ったものです。遺構の上に博物館が建っているのです。これは調査で偶然発見されたという石敷き遺構(幅5.6メートル、長さ38メートル)です。博物館1階で出土時の状態のまま露出展示しています。川湊「一乗の入江(いりえ)」の船着き場か道路と考えられているようです。展示も、いろいろ工夫されていて、素人にもわかりやすいものになっていました。とても繁栄していた戦国時代の都市ということで、海と川を通って、海外からも様々な物も運ばれていたようですね。改めて、近代以前には舟運が重要であったことを再認識しました。「一条谷朝倉氏遺跡」は博物館の場所から少し離れたところにあります。

▪️以下は、「特別史跡一乗谷 朝倉氏遺跡」の公式サイトから転載させてもらったものです。朝倉氏が支配した越前や一乗谷の城下町が、当時どれだけ栄えていたかわかります。しかし、1573年、最後は織田信長に敗れ、城下町は焼き払われます。織田信長は徹底していますね。1571(元亀2)年には、延暦寺を焼き討ちしていますし。

朝倉氏は現在の兵庫県養父(やぶ)市出身の豪族で、南北朝時代に朝倉広景が主人の斯波高経(しばたかつね)に従って越前に入国しました。朝倉孝景の代、1467年の応仁の乱での活躍をきっかけに一乗谷に本拠地を移し、斯波氏、甲斐(かい)氏を追放して越前国(えちぜんのくに)を平定しました。以後孝景(たかかげ)、氏景(うじかげ)、貞景(さだかげ)、孝景(たかかげ)、義景(よしかげ)と5代103年間にわたって越前国の中心として繁栄し、この間、京都や奈良の貴族・僧侶などの文化人が訪れ、北陸の小京都とも呼ばれました。しかし天下統一の戦いの中で1573年織田信長に敗れ、朝倉氏は滅び、城下町も焼き尽くされました。

▪️焼き払われた一乗谷が再び姿を表すのは、1967年から始まった遺跡の発掘によってでした。現在では、写真からもわかるように、当時の城下町の町並みも一部再現されています。当時の城下町の様子を頭の中に想像しやすくなりますね。もちろん、再現されていなくても、館の跡や庭園の跡から当時の様子を想像することもできます。ただし、その場合は、知識や教養、事前の学習が必要になるでしょうね。こちらでも、図録を購入しました。まずは、それらの図録あたりからきちんと勉強してみようと思います。その上で、滋賀県にある「姉川の戦い」の戦跡を巡ってみなくてはと思いました。この「姉川の戦い」とは、現在の滋賀県長浜市で、織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍の間で行われた合戦のことです。

夏休みの自由研究(その1)

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20230826dinosaur6.jpg▪️夏期休暇らしいことが全くできていないので、せめてもと8月23日〜24日、1泊2日で福井県に旅行に出かけました。普段、近所でしか車の運転をしない私からすると、けっこうなドライブです。あまりドライブ自体があまり好きでないのです。住んでいる大津市の湖西から福井県の敦賀へ、敦賀からは北陸自動車道に乗り途中から中部横断道で勝山市まで。なんとか辿りつくことができました。

▪️とはいえ、いつもとは違う楽しみもありました。敦賀に入ると、しだいにローカル放送局のラジオ番組(中波)が聞こえてきました。普段、大阪の番組を聞いているのですが、内容がかなり違っていました。たびたび、「♪茶碗のマークの よーしむらのおかきっ」というCMが流れていました。おそらくは、これは福井県内でないと聞けないCMでしょうね。番組では、地域特産の農産物であるナスやイチジクの生産状況のニュースだとか、新米の出荷だとか、農業関係の内容が多いことに驚きました。素敵だな〜と思いました。これはドライブ中のラジオの話ですが、窓から見える風景にも滋賀との違いを感じました。農家の屋根の形態が異なるので、集落の印象も違ってくるのです。中部横断道に入ると、山の間に挟まれた勝山盆地の山裾を走ることになります。そこからは、迫力がある風景が見えてきました。もちろん、運転に集中しているので、脇見運転をするわけにもゆかず、ちらりと見るだけでしたが。

▪️さて、勝山市に向かったのは、あの有名な福井県立恐竜博物館の展示を観覧するためでした。博物館の中は、夏休みということで、お子さんを連れた家族の皆さんがいっぱい楽しんでおられました。どうしてもあの映画『ジュラシックパーク』を連想してしまいます。博物館側もおそらく意識されているのではないでしょうか。じっくり観覧しようと思うと半日は絶対に時間が必要かと思いますが、その半分程度の時間で勉強してきました。いろいろ勝手な思い込みを修正することにもなりました。これは誰しもがご存知の常識になっていることだと思いますが、恐竜が進化して鳥になっているわけです。冬場、我が家の庭にやってくるかわいらしいメジロも、恐竜の「末裔」なんですよね。

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20230826dinosaur11.jpg▪️展示のストーリーは、恐竜を中心とした進化のドラマが中心になっていますが、地球科学や生命進化の話もあります。最後の方は、哺乳類や人類も登場します。その中でも、個人的な一番の推しは、やはり地元でみつかった恐竜の化石でしょうか。福井県の発掘調査で発見された新種の恐竜5種と他の動植物化石が展示されています。ちなみに、勝山市は、「恐竜渓谷ふくい勝山ジオパーク」に認定されています。福井県の北東部に位置する勝山市全域をエリアとするジオパークです。詳しくは、こちらをご覧いただきたいと思います

▪️福井県立恐竜博物館は、親子連れでテーマパーク的に楽しむことができます。小さなお子さんも楽しめると思います。しかし、大人の夏休みの自由研究としては、事前学習をしっかりして、展示からもっと深く学ぶことが大切なのかなと思いました。今回は、お土産に図録をきちんと買い求めました。自宅でしっかり学習し、またこちらの博物館を再訪して学びを深めたいと思います。そうそう、博物館に行く前に、福井県の名物であるおろし蕎麦で腹ごしらえをしました。奮発して、天ぷらがついているものにしました(血糖値のこと心配ですが…)。食べてから、おろし蕎麦の大盛りにすればよかったかなとちょっと後悔しました。でも、美味しかったですよ。

夏の雲

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▪️ 自宅近くの公園から撮りました。夏ってかんじですね。湖北の方は、夕方、どんな天気だったのでしょうか。琵琶湖大橋、沖島はよく見えていますが、その背後にある伊吹山も今日は全く見えませんでした。湖北は大雨、大丈夫だったでしょうか。鹿の獣害と気候変動の中での大雨の頻発により、伊吹山はかなり痛んできています。その後、さらに状況がひどくなっていないか心配です。

2023夏原グラント 市民環境講座第2回目「活動を楽しく継続していくために」(2)

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▪️先日、講師をつとめた平和堂財団夏原グラント市民講座の写真、事務局のしがNPOセンターの方から送っていただきました。ありがとうございました。私が手に持っているのが、ダンボールでできた「えんたくん」です。

2023夏原グラント 市民環境講座第2回目「活動を楽しく継続していくために」(1)

滋賀県埋蔵文化財地域展Ⅴ(瀬田丘陵編)「人と自然-瀬田丘陵の開発史」

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▪️龍谷大学瀬田キャンパスのある瀬田丘陵には、滋賀県立図書館、滋賀県立美術館、滋賀県埋蔵文化といった施設があり、瀬田文化ゾーンと呼ばれています。図書館や美術館、せっかくキャンパスのそばにあるのだから、瀬田キャンパスの学生の皆さんにも通ってもらいたいと思うのですが、私の知り合いの学生の皆さんはあまり関心がないようです。そういう私も、それほど通っているわけではないので偉そうなことは言えませんが。たまに利用する程度です。勿体無い…と自分でも思います。今回ご紹介するのは、図書館でも美術館でもありません。私も行ったことがない滋賀県埋蔵文化財センターの展示です。考古学の展示なのですが、「瀬田丘陵の開発史」というサブタイトルを拝見して、俄然、関心が湧いてきました。以下は、サイトからの転載です。

【内  容】

 滋賀県立美術館、滋賀県立図書館、そして滋賀県埋蔵文化財センターの3館が所在するびわこ文化公園は、琵琶湖の南端部、自然の豊かな瀬田丘陵の上に位置しています。
 古代、この地は現在の県庁に相当する「近江国庁」が置かれ、そのそばには都と東国を結ぶ道「東山道」がとおり、この地は生産・流通の拠点であるとともに、古代近江国の政治の中枢としても発展していったのです。
 今回の展示では、瀬田丘陵と周辺エリアの発掘調査成果から、人と自然がどのように関わり、開発し、現代にまで歴史を紡いできたのかを紹介します。

【場  所】滋賀県埋蔵文化財センター
【開館時間】9:00~17:00 入館料:無料  
【開催期間】 :7/22(土)~11/12(日)
      ※9/2までは無休、以降は土・日・休日は閉館(ただし10/28・11/3~5・11・12は開館) 
      ※9/2までの土・日・休日は展示解説しています。

▪️転載させていただいた文章の中に、「近江国庁」とあります。説明にもあるように現在の県庁のような存在です。この「近江国庁」関して、JR大津京駅改札内コンコース(改札口正面)の展示スペースで展示されています。そこには、以下のような解説が行われていました。

近江国庁は、奈良時代から平安時代にかけて、現在の滋賀県庁にあたる近江国(現在の県は当時、国と呼ばれていました。)の行政の中心的な役割を果たした役所に当たります。

現在の知事にあたる国司の長官には、藤原武智麻呂(716年任)、藤原仲麻呂(745年任)など、古代の著名な政治家が着任しました。特に藤原仲麻呂は平城京(当時の都、現在の奈良市)で太師(現在の総理大臣にあたる)の地位にありながら近江国の長官の地位を手放しませんでした。これは近江国からえられる莫大な財力のためだったと考えられます。

   

▪️瀬田丘陵の辺りは、須恵器や鉄の生産が盛んで、今でいう工業地帯として発展してきたといいます。さらに、東西の交通の要衝でもありました。そういう意味で、「生産と流通の拠点」でありここから富が生み出されたのですね。だから、藤原仲麻呂は奈良の都で太師をしながら同時に国庁の庁官も手放さなかったと…。なるほど。夏期休暇中に訪問してみることにします。

甲賀市の児童クラブの皆さんのための演奏会

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▪️今日は、吹奏楽部の仕事がありました。ということで、その仕事が終わったあと、ひさしぶりに練習を見学させていただきました。練習場では、部員の皆さんが、来週25日(火)に甲賀市で開催されるコンサートに向けて、若林監督や児玉コーチの指導のもと練習に取り組まれていました。25日は、NPO法人「わくわくキッズ」さんが市内で運営されている、8つの児童クラブ700名の児童の皆様に、龍谷大学吹奏楽部の演奏を楽しんでいただくことになっています。

▪️NPO法人「わくわくキッズ」さん とのご縁は、2020年に始まりました。「わくわくキッズ」さんからご依頼があり、児童クラブの皆さんを対象としたコンサートで演奏させていただきました。大変喜んでいただきました。ところが、新型コロナのために、残念ながらその後3年間はコンサートを開催できない状況が続きました。というわけで、今回のコンサートにはすごく期待していただいているようです。ありがたいことです。この日のコンサートには、私も部長として同行します。楽しみにしています。

「社会学入門演習」報告書の原稿執筆

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20230704nyumonensyu3.jpg▪️今年度は1回生の「社会学入門演習」を2クラス担当しています。火曜日の2限が10組、木曜日の2限が1組。両クラスとも、現在、高島市の中山間地域で移住者の方達から伺ったお話をもとに、文章にまとめているところです。それぞれ、A4で3枚から4枚程度の原稿を書くことになります。だいたい4000字から多くても6000字まででしょうか。

▪️移住者の皆さんから伺ったお話は、音声データとしてすでにシェアされており、その内容を各自で整理してくれています(まあ、やっていない学生さんもいるかもしれませんが…)。その整理をもとに、原稿を執筆しています。おそらく、これだけのまとまった原稿を書くことは、大学に入学して初めてのことでなのではないでしょうか。原稿の提出は定期試験が始まる前までになっています。学生さんたちにとっては、少しハードな感じかもしれませんね。頑張ってもらいたいと思います。

杇木の中の風景

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■先週の土曜日、1回生の演習である「社会学入門演習」の現地実習で高島市朽木を訪問しました。こちらは、1組です。朽木の市場にある「丸八百貨店」で昼食をとった後、上針畑に向かいました。市場を出発して、細い道を通って、地子原、雲洞谷、能家を抜け、上針畑まで行きました。その途中、不思議な風景を見ました。

■記憶が曖昧ですが、雪だったと思いますが、雪で道端の木が倒れてきたために電柱の電線が断線してしまったことから、道沿いの木を切って落葉広葉樹を新しく植林した…そのような説明だったと思います。間違っていたらごめんなさい。鹿の食害を防ぐため、プラスチックの筒で覆っています。ムーミンに登場するニョロニョロが出現したかのようです。

■しばらく進むと、今度はピンクのニョロニョロのような…。これはジキタリスという園芸品種が野生化してどんどん増えてしまっている場所です。朽木のあちこちで、このような風景を見かけました。ジキタリス、一般家庭の庭ではしばしば栽培されるのですが、どんどん増えてしまっています。全国的にこのジキタリスの野生化が問題になっているようです。ジキタリスには毒があり、鹿が忌避するのだそうです。結果として、こんなふうに爆発的に増えてしまっているのだそうです。

藤野家住宅/東華菜館

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20230531fujino_jyutaku3.jpg■この前の日曜日のことになりますが、急遽、京都市中京区にある藤野家住宅を訪問しました。こちらの住宅、国登録有形文化財です。この住宅の概要ですが、以下の通りです。

大正15年に住まいとして建てられた藤野家住宅(国登録有形文化財)は、通りに面して高い塀を構える典型的な「大塀造(だいべいづくり)」の町家の秀作。
塀の内側に、平屋建の「表側棟」と二階建「居住棟」を「玄関棟」でつないだ造りです。
玄関を兼ねた四畳半の茶室や、数寄屋風意匠が取り入れられた瀟洒な佇まい、門の脇に雪隠や供待(待合)を備えた前庭を茶室の露地として使えるように演出しているのもみどころです。

■こちらの藤野家住宅、じつは友人である藤野正弘さんが理事長をされている「一般財団法人藤野家住宅保存会」が管理されています。藤野さんは、かなり前のことになりますが、社会人大学院生として私の授業を履修されていました。まあ、そのようなこともあり、また、当時同じように(潜りで)私の授業を履修されていた藤井まち子さんご夫妻とご一緒に、藤野家住宅を見学させていただきました。勉強になりました。このような文化財的価値を維持することの当事者としての誇りや気概、そして維持に伴う大変なご苦労等について、お話をお聞かせいただきました。

20230531thokasaikan1.jpg■藤野家住宅見学の後は、やはり建築学的な価値をもつ「東華菜館」で、藤野さんや藤井さんご夫妻と夕食をご一緒しました。こちらの建物、四条大橋の西側に建っているレトロな建物ですので、皆さんよくご存知かと思います。私もいつか訪れてみたいとずっと思っていました。母校・関西学院大学の設計者と同じく、ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計した建物だからです。東華菜館の公式サイトを拝見すると、丁寧に説明されています。以下は、その説明を転載させていただきます。もちろん、お料理もいただきました。現在、健康回復に努めている最中なので、量は控えめにしながら中華料理を楽しみました。

シンプルなデザインの学校・教会建築を数多く残したヴォーリズ氏による商業建築は少なく、その中でも当店は氏による生涯唯一のレストラン建築です。
特に玄関ファサードで印象的な海の幸・山の幸等食材のモチーフは、館内にちりばめられており、目を楽しませてくれます。
シンプルな直線と曲線を組み合わせた天井や梁・腰板・扉の装飾が美しいのも特徴的。
また、建物に合わせヴォーリズ氏により設計された調度品や花台も残っており、料理とともにお客様をもてなします。
当店の建物は、ほぼ大正15年竣工当時の姿を残しており、今もその維持管理・保存に努めております。

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原爆ドーム・平和記念公園・都市計画

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▪️広島への出張でしたから、原爆ドーム、平和記念公園、原爆資料館にも行ってきました。もう何度目でしょうか。おそらく6回目かなと思います。じっくり時間をかけて展示を拝見しました。原爆資料館は、修学旅行の小学生たちでいっぱいでした。海外からの観光客の方たちも。

▪️facebookにも同じ写真を投稿しました。すると、知り合いの建築家・秋山東一さんからコメントをいただきました。

今回のサミット云々で、脇田さんの写真の映像がテレビ上に再三登場した所為ですが、原爆ドームの左側のビルが、当初意図された象徴性を壊している……、私の周りの建築設計界では話題でありますです。

▪️確かに、そうですね。ビルの高さ規制等があれば違うんでしょうね。原爆ドームの保存、平和記念公園の設計思想、それから周囲の都市計画(高さ規制)。本来は、それらが「三位一体」であるべきだったのかもしれません。

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