田上を望む

20150804seta1.jpg
20150804seta2.jpg
▪︎今日は会議が3つありました…。トホホな状況です。3つのうち2つは研究部の会議、1つは社会学部の会議。仕事ですので、まじめに取り組んでいますが、さすがに疲れてきますね〜。もっと会議が減らないかな…。それはともかく、3つめの会議の場所は、瀬田キャンパス1号館の5階の部屋でした。ここからは、遠くに、瀬田丘陵に隣接する田上地区が見えます。夏らしい雰囲気がします。下の写真は、iPhone6plusのパノラマ機能を使って撮ったものです。

華中師範大学訪日団の来学

20150803ohmiya1.jpg20150803ohmiya3.jpg
20150803ohmiya2.jpg
▪︎中国湖北省の武漢市から、華中師範大学の訪日団の皆さんが来学され、大宮キャンパス、大宮図書館、西本願寺、龍谷ミュージアムを訪問されました。華中師範大学の社会学院と外国語学院と、私どもの龍谷大学大学院社会学研究科とは協定を結んでいます。これまでも、研究教育交流を深めてまいりました。今回の訪日では、華中師範大学と関係のある日本の複数の大学を訪問されます。この日も、午後は京都大学を訪問される予定でした。

▪︎写真は、龍谷大学の大宮キャンパスです。ここは、文学部のキャンバスですが、文学部長のI先生と文学研究科長のN先生、そして文学部教務課のT課長がキャンパスを案内してくださいました。ありがとうございました。写真は、上から順番に、大宮キャンバスの講堂、講堂の内部、そしてI先生が華中師範大学の先生方に説明をされていところです。このあと、大宮図書館では、職員のIさんにお世話になりました。大変短い時間しか滞在できませんでしたが、大宮図書館の価値をご理解いただけたかなと思います。

▪︎大宮キャンパスのあと、華中師範大学の皆さんは、世界遺産でもある西本願寺を訪問しました。大学の建物は冷房が入っていますが、見学した西本願寺の書院は当然のことながら冷房は入っていません。暑いなか、西本願寺の2人の職員の方たちが、非常に丁寧にご案内くださいました。書院の襖や壁の絵は、中国の故事にもとづくものが多く、華中師範大学の先生方は大変興味深かそうに説明を聞いておられました。私も勉強になりました。中国の故事の教養がもっとあれば…なのですが。お1人の職員の方とは、浄土真宗や西本願寺のことについて、いろいろお話しをさせていただきました。大変勉強になりました。私の拙い質問にも、真剣にお答えいただきました。ありがとうございました。また、このような機会があればよいなと思いました。

▪︎西本願寺のあとは、龍谷ミュージアムを訪問しました。ちょうど、「三蔵法師 玄奘 迷いつづけた人生の旅路」という企画展の展示替えの時期にあたり、見学したのは、ベゼクリク石窟大回廊に関する映像作品と、ベゼクリク石窟大回廊復元展示の2つだけでしたが、大宮キャンパスに引き続き、前・ミュージアムの館長でもあるI先生に再びご説明いただき、華中師範大学の皆さんは、大変満足されていました。

▪︎8月5日は、琵琶湖の環境問題をテーマにした視察をサポートする予定です。琵琶湖の環境問題に関する滋賀県の研究機関を訪ねます。というのも、今回、華中師範大学からの訪日団のメンバーのうち、3名の方は環境科学の研究者で、中国の湖沼の富栄養化やアオコの問題に取り組まれているからです。琵琶湖における富栄養化問題への取り組みが、どのようなものであったのかを知りたいとのご希望をお持ちです。そこで、滋賀県立琵琶湖博物館と滋賀県立琵琶湖環境科学研究センターにお連れすることにしました。また、報告します。

京阪電鉄「深草駅」

20150801fukakusa.jpg
▪︎ひとつの前のエントリーの最後の方に、研究部には「いろんな無理難題が毎週のように『流れ着いて』きます」と書きました。本当に、そんなふうに表現したくなるようなことがあります。そのような予想もしないような案件については、本当に時間がかかります。しかも、私個人の仕事は、研究部の仕事だけではありません。昨日は、事務部長や課長が帰宅されたあとも、研究部長室に残り、本来の教員としての仕事をやっていました。自分の研究室が深草キャンパスにあれば問題ないのですが、私の研究室は、「京都市伏見区」の深草キャンパスではなく、「大津市瀬田」の瀬田キャンパスです。簡単に移動することができません。時間のロスが、ものすごく大きいのです。そのあたりの苦労を、わかってくれる人はわかってくれるけれど、わかってくれない人はまったくわかってくれないんですね〜。まあ、仕方がないことではありますが。

▪︎というわけでは、昨日も帰宅しようと思うと、時間が20時頃になっていました。写真は、20時頃の京阪深草駅です。昨日は「ブルームーン」という月が美しく見える日だったようですね。そんなことは、な〜んにも知らずに写真を撮りました。しかも、写った月はプルーには見えないな…。どうしてだろう。それはともかく、です。深草駅は、現在、バリアフリーの工事が行われています。卒業のみなさん、深草駅を見ておくのは今のうちですよ。

IT企業とともに「共助の地域社会」

20150730nasuka.jpg
▪︎昨日は、研究室に客人が来られました。滋賀県内のITベンチャー企業であるナスカの社長・井上昌宏さんです。井上さんからは、写真のような小さなビーコンとよばれる電波発信機を使って、超高齢社会のなかに「共助の地域社会」をあちこちに生み出していきたいというお話しを伺いました。徘徊される認知症の高齢者の方を、このビーコンを使って地域全体で見守っていきたいというお話しです。私も社長さんのお話しに大変刺激を受けて、脳みそが動き始めました。いろいろ、私も「地域社会の夢」を語らせていただきました。

▪︎こういう「夢を語りあう」段階って、とても幸せな気持ちになれます。今後も、井上さんにアドバイザーとして協力させていただくことになり、せっかくだからと、瀬田のREC(龍谷エクステンションセンター)にもお邪魔し、いろいろご相談をさせていただきました。この事業、「産官学+地域社会」連携、あるいは「産官学地連携」ということになるのでしょうか。RECの職員さんにも、適切なアドバイスをいただきました。ありがとうございました。
20150730seta2.jpg

吉武博通先生の講演会

2015072kouenkai.jpg▪︎昨晩は、事務職員向けの講演会に参加しました。「龍谷大学未来塾」という職員の有志グループが主催した講演会です。この「龍谷大学未来塾」とは、若手職員10人と管理職3人、合計13人の職員の皆さんが、大学職員としての資質を高めるために立ち上げられた自己研修のグループです。大変真面目に勉強会をされています。組織は縦割りで動いています。その縦割りの壁を越えて、志しを同じくする人たちが連携して大学全体のことを考え、勉強する…、こういう横のつながりがもっと必要だと私も思っています。

▪︎さて講演会ですが、講師は筑波大学の吉武博道先生でした。たいへん勉強になりました。吉武先生は、新日鉄製鐵株式会社で総務部長をながらくお勤めになったあと、筑波大学の教授に転身されました。筑波大学では、副学長、大学研究センター長をつとめられ、現在は、ビジネスサイエンス系教授をされています。ご講演の内容は、大学を取り巻く社会・経済の構図が大きく変化したことから、それぞれの大学は、より一層、独自の教育研究の高度化、質保証、社会への説明が求められるようになり、そのためには経営力の強化=経営資源(人・物・金・情報)の獲得と高度活用が必要になっている…というお話しから始まりました。

▪︎吉武先生のご講演の内容は多岐にわたりますが、その一部だけでもご紹介できればと思います。以下は、講演資料や記憶をもとにしたものです。あくまで私の要約です。その点をお断りしておきます。

大学という組織は、「経営体的組織」と「共同体的組織」が併存しているところに特徴がある。

前者は、共通目的、指揮命令系統が明確であり、大学の法人組織や事務組織がこちらにあたる。後者は、構成員の責任で自らの組織を規律づける点に特徴があり、教員組織はこちらにあたる。

そのこととも関連するが、大学のガバナンスには2つの側面がある。法人や大学の運営をステークホルダーの視点からどう「規律づけ」るか、そして共同体的組織において、いかに合意形成を図り自律的に組織運営するかが重要となる。そのような大学のガバナンスにおいては、「パワー」と「リーダーシップ」の違いを踏まえた議論がきちんとなされているかが問われる。

「パワー」とは、組織における個人の地位(権限)などに基づき、他者に影響を与える力です。「リーダーシップ」とは、目指す方向に向けて、メンバーの能動的な行動を引き出す能力(正直である、先見の明がある、仕事ができる、やる気にさせる)のことです。後者の「リーダーシップ」は、組織の幹部だけでなく、組織のあらゆるメンバーがもつことのできる能力であり、それは他者を「まきこむ力」である。

リーダーが最大の力を発揮するのは、模範となり、共通のビジョンを呼び起こし、プロセスに挑戦し、人びとを行動にかりたて、心から励ますときである。

リーダーシップとは人間関係。熱心にメンバーを導く人と、その人についていきたい人との関係。おたがいが尊敬と信頼で結ばれていれば、どんな逆境も乗り換え、偉大な功績を残すことができる。

リーダーシップとは、リーダーとメンバーの双方向のプロセスであり、この関係性なしには語れない。結びつきを求める人間の基本的な欲求を理解できなければ、リーダーシップのどんな戦略や戦術も、スキルや実践も、意味を持たない。正直である、先見の明がある、仕事ができる、やる気にさせる。信頼こそがリーダーシップの土台。

(本文続きます)

正門での一礼

20150715ohmiya2.jpg
20150715ohmiya1.jpg▪︎昨日は、研究部の仕事で、大宮キャンバスに研究事務部長・課長のお2人と一緒に出かけました。文学部で開催される会議で、いろいろ報告・相談をさせていただくためです。大宮キャンパスは、いつ来ても、素晴らしい雰囲気です。そのことについては、少し前のことになりますが「大宮キャンパス」というエントリーにも書きました。

▪︎写真は、会議での報告・相談を終えて、大宮キャンパスの正門を出るときに撮ったものです。事務部長・課長のお2人は、本館の方に向き、一礼されました。前回、事務部長さんと一緒に大宮キャンパスに来たときも、同様に一礼されておられました。当たり前のようにさっと一礼されていること、とっても素敵だなあと思っています。お2人は龍谷大学のご出身ですが、学生の頃から、こうやっておられたのでしょうね。では、最近の学生はどうなのか…。今回、私はそういう学生は見かけませんでしたが、半分ぐらいの学生は一礼するのではないかとのことでした。。

▪︎ところで、このような「正門での一礼」については、おそらく、戦前はたくさんの学校で行われていたと思います。これは推測ですが、戦後になっても、私立の学校では、この「正門での一礼」を続けているところが、まだたくさんあるのではないかと思います。私自身も、小学校の1年生から4年生まで、北九州市の戸畑区にあるカトリック系の私立に通っていました。そのときも、「正門での一礼」を行っていました。

▪︎柔道の選手が、試合会場の畳に登るときと降りるとき、必ず一礼をしますよね。また、高校や大学の野球部でも、球場に入るときと出るとき、一礼をしているように思います。ここには、なにか共通したものがあるように思います。それは、お寺や神社にお参りするとき、門や鳥居をくぐったときに一礼することとも共通しているように思います。

農学部の校舎から

20150525nougakubu.jpg
▪︎先週の金曜日、相談事があり、龍大農学部のD先生を訪問しました。地域連携に関して、D先生のところに、お約束もしないままに突然訪問してしまいました。突然の訪問にもかかわらず、大変、暖かく迎えてくださいました。学部を超えた連携に関して、D先生といろいろお話しをさせていただきました。夢がある話しは、やはり楽しいですね〜。それぞれの学部の持ち味を活かして、「小さいことから確実に」実績を積み重ねていければいいなあと思っています。先生への相談のあとは、農学部の校舎を見学させていただきました。立派な機器が揃った校舎です。やはり、すごいですね〜。校舎の大きな窓からは、龍谷大学瀬田キャンパスに隣接する田上地域を望むことができました。キャンパスは瀬田丘陵にあることもあり、素晴らしい風景を眺めることができました。素敵な校舎です。羨ましい。

▪︎ところで、この窓から見える方向のどこかで、現在、ニホンミツバチの養蜂が行われています。あえて「どこかで」と書きました。農学部のF先生の授業を履修している社会学部の学生も、このニホンミツバチの養蜂の活動に参加しています。どんな蜂蜜が取れるのでしょうね〜。すごく楽しみです。勝手に、自分も食べられると思い込んでいるわけですが…。今回は、D先生のところにお邪魔しましたが、次回はF先生にお邪魔して案内をしていただこうと思います。農学部は、なんだか楽しそうですね〜。

研究部の歓送迎会

20150524kyoto1.jpg
20150524kyoto2.jpg20150524kyoto3.jpg
▪︎これは、金曜日、22日の写真です。前日の木曜日は、「降誕会」関連の懇親会や、その流れの飲み会で深夜の帰宅となりました。疲れました〜。というのも、水曜日も学部懇親会(「淡海会」)の歓送迎会があり、連チャンの「呑み」となってしまったからです。金曜日こそ、早目に帰宅しようと思っていたところ、研究部の職員の方から「今晩はどうされます?」とお尋ねが…。そうなんです、この日も「呑み」だったのです。忘れていました。この日は、研究部の歓送迎会でした。ということで、3日連続ということになりますね。さすがに、私の沈黙の臓器=肝臓も疲れてしまっていたように思います。

▪︎もっとも、研究部の職員の皆さんといろいろお話しができました。普段は、皆さん仕事にかかりっきり、必死のパッチで、とてもゆっくりお話しをするような時間的余裕はありません。また、いろいろご苦労をおかけしている様子を拝見していただけに、率直にいろいろお話しをお聞かせいただき、良い機会となりました。一次会が終わる頃には、肝臓の方も麻痺してきてか、調子が出てきて二次会にも突入。京都駅近くにあるパブでこれまた楽しい時間を過ごすことができました。お店はいっぱいなので、店の外で盛り上がりました。たまたま、研究部以外の部署の職員の方たちも合流されることになり、部を超えて、これまたいろいろお話しをすることができました。まあ、肝臓も大切にしないといけないけれど、「こういうのって大切やな〜」と改めて思いました。組織内部の部局間の隙を埋めることにもなりますからね。

とりあえず…

20150520keihan.jpg
▪︎研究部長の仕事を始めてから、もうじき2ヶ月になります。なんといいますか、なかなかハードです…。会議と協議や打ち合わせの多さ、そして難しい案件…。一緒に仕事に取り組んでいる事務職員の皆さんは、逞しいといいますか、大変パワフルに仕事をされているので、驚きです。そのような皆さんについていくだけで必死の状態です。研究部長の任期は2年ですが、体を壊さないように頑張らねばという感じです。写真は、丹波橋の踏切です。月曜日の晩に撮りました。とりあえず、その日の仕事を終えて疲れはてた体を、軽く生ビールで癒やしたところです。学生の皆さん、研究プロジェクトの皆さん。そういう状況ですので、なかなか指導や研究プロジェクトの進捗作業のために時間をとれない状況です。申し訳ない。

職場のキッチン

20150430kitchin.jpg
■今日は、朝一番から深草キャンパスに詰めております。午前中に会議があったのですが、それまでの隙間の時間に、仕事場の窓を開けて書類の整理をしていました。もともと資料の整理が得意ではなく、自分の研究室がいつも悲惨な状況になるので、せめて深草の職場ではすっきり仕事をしようと、まめに資料の整理をしています。まあ、たいした整理をしてているわけでもなく、あくまで常識的にファイルに資料を綴じて、そこに付箋で日付を張り付けているだけなのですが・・・。1か月で10cm幅のファイルがいっぱいになってしまいました。書類の断捨切も定期的に行う必要がありますね。

■窓を開けて資料の整理をしながら、会議で説明することを、もう一度頭のなかで整理していると、気持ちの良い風とともに、子どもたちの歌声が聞こえてきました。お隣りは、京都市立砂川小学校。おそらくは音楽教室で歌ったいるのでしょう。子どもたちが歌っている曲は、「花は咲く」でした。昨日のことですが、朝日新聞のネットの記事で、「『花は咲く』歌詞一部変え 生者の視点に」という記事を読みました。歌の最後の部分、「何を残しただろう」ではなくて、「何を残すだろう」なのですね。未来の「希望」を語っているわけだ。素敵ですね。下は記事からの引用です。

作曲者で仙台出身の菅野よう子さん。「4年が経ち、自分もやっと一歩立ち上がってみようという気分になった。そこで初めて曲の最後で、何を残すだろう、と言えた」「東北の人が一歩前へ進む勇気に、寄り添えたらと思う」と語っている。作詞者の岩井俊二さんにも相談し、賛成してもらったという。

 「花は咲く」は2012年3月から放送され、千昌夫さん、西田敏行さん、荒川静香さん、中村雅俊さんら東北にゆかりのある人が歌い手を務めている。著作権料などは義援金にあてられる。被災地でも、仮設住宅の催しや学校などで広く歌われてきた。

 仙台出身の岩井さんは震災後、石巻の先輩が「僕らが聞けるのは生き残った人間の話。死んでいった人間たちの体験を聞くことはできない」と語った言葉に背を押された。死者の思いに想像力を働かせて、詞を書き上げたという。

〈歌詞が変わった部分〉
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう→わたしは何を残すだろう

■ところで、殺風景な仕事場なのですが、昼休みの時間帯、政策学部の 只友先生がお弁当を持って遊びに来てくれました。只友先生、ありがとうございました。何のお構いもできなかったので、これではいかんと、コーヒーとお茶飲めまる道具を、大学の近くにあるホームセンターで揃えました。食器もきちんと洗えるようにしました。電気ポットは研究部にあったものです。新品のようですが、どなたも使っておられないので、お許しをいただき使わせていただくことにしました。ちなみに、メニューは2種類 。有機栽培コーヒーと万能茶です。こういうことをfacebookに書いたら、政策学部の深尾先生からも「今度コーヒー飲みにうかがいま~す!」というメッセージが届きました。皆さん、お忙しいでしょうが、ぜひぶらりとお気軽にお立ち寄りください。コーヒーを飲みながら、部署を超えた連携のなかで、私たちは「何を残すだろう」ということを語りあえればと思います。

カテゴリ

管理者用