前期最後のゼミ

■今日は、2限が1回生の「社会学入門演習」、4限が3回生の「社会学演習IA」でした。それぞれの前期最後のゼミになります。両方ともひと通りやるべきことを済ませてきたので、今日は、学生の皆さんにいろいろ話を聞かせてもらうことにしました。ゼミ生、お互いにとっても、良い刺激になるのではないかと思っています。

■1回生の入門演習では、大学に入学して約4ヶ月が経過して、今何を思っているのか、どんなことを感じているのか語ってもらいました。大学の中で、あるいは学外で、いろんな活動や取り組みをしながら少しずつ経験を積み重ねている人がいる一方で、自宅と大学を往復しているだけで終わってしまったという人もいました。アルバイトをしてみたいのだけど、アルバイトを募集しているところに電話をすること自体が、ドキドキしてなかなかできない…という人もいました。笑顔のまま黙っていましたが、内心では「可愛らしい〜」と思いました。私が担当したクラスの中だけでも、いろんな大学1回生がいます。こういうのは慣れですから、頑張ってトライしてみてほしいです。それぞれ、「自分が理想とする素敵な大人」になれるように、いろんな経験を積み重ねていってほしいと思います。

■3回生のゼミでは、夏期休暇中の予定について聞いてみました。多くのゼミ生がインターンシップに参加する予定になっていたり、現在、申し込みをして結果待ちという感じでした。インターンシップの間に、社会調査実習に取り組み、卒論の研究に取り組み、アルバイトをして、旅行をして、家が農家なので稲刈りの手伝いをして…と、それぞれに多忙な夏期休暇になりそうです。まあ、その一方で、アルバイトだけで何も予定がありません…という人もいました。

■まあ、人それぞれなのですが、それでも、自分が学生だった時代とは全然違っているなあと思ってしまいます。私は大学院に進学したので、具体的な就職活動というものをした経験がなく偉そうなことは言えないのですが、今の学生の皆さんたちと比較すると、当時の学生はもっとのんびりしていました。当時の学生が怠けていたというよりも、それが普通の時代だったのです。

■当時のことですが、社会は少しずつよくなるはずだ…と信じることができました。経済も発展していました。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という本が売れて、日本人が日本の社会に自信を持つことのできた時代でした。これから、「VUCA時代」を生きていかねばならないと言われているZ世代の学生の皆さんには、信じてもらえないと思いますが。

『ステージ4の緩和ケア医が実践する がんを悪化させない試み』 ( 山崎 章郎、新潮選書)

20220726yamazakifumio.jpg ■先日お会いした高橋卓志先生からいただいた書籍です。筆者は、在宅での緩和ケアに取り組まれている医師の山崎章郎です。山崎章郎さんが、ステージ4であることがわかったのは、2018年の夏のことになります。そこからご自身が体験したことをもとに、話は進んでいきます。山﨑さんが選択した治療…というか、残された人生の生き方とは、ご本人も書いておられますが、多くの医師からは評価されないことのように思います。でも、人の人生を根本から考える時、大切なことは、余命の物理的な時間の長さではないと思うのです。残された日々を大切に生きて、人生を完全燃焼させていくことでしょう。それが、家族のような周囲の方達にとっても大切なことだと思うのです。もし、そう思われるよう出したら、この本は役に立つかもしれない。

■Facebookに、この本のことを投稿したら、職場の若い職員さんがすぐに購入して読み始めたと言ってくださいました。私の拙い紹介でもお役に立てたようで、嬉しかったです。その方も、ご家族を癌で亡くされているとのことでした。私の父親も、肺癌で亡くなりました。平均年齢まで生きて、最後は、抗がん剤治療で苦しみました。父親自身の選択ではありましたが、こういった治療が父にとって本当に良かったのかどうか、私にはよくわかりません。私が父の看病をしながら思ったことは、自分がどのように死んでいくのか、どのように余命を完全燃焼させるのか、若いうちからきちんと考えて、周りの家族にそのことを伝えておくことが大切だ…ということです。自分の父親にはそれができていませんでした。いわゆる終活というやつですね。終活は、早めに始める必要があるということを、結果としてですが、父は私に説明してくれたのだと思います。

ホール練習

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■昨日の晩、19時から、龍谷大学吹奏楽部は「ホール練習」を行いました。場所は、京都コンサートホールです。今年度の吹奏楽コンクールですが、京都府大会、そして関西大会ともにこの京都コンサートホールで開催されることになっています。ということで、今日はコンクール出場メンバーがコンサートホールに集まってきました。吹奏楽部の部員は190名いますが、コンクールに出場できるのは55名。部内のオーディションで選ばれた人たちです。

■ホールで練習したのは、コンクールの課題曲と自由曲、そして京都府大会で演奏する曲です。あわせて3曲です。京都府大会については、龍谷大学吹奏学部は招待演奏になります。招待演奏ですので、審査の対象にはなりません。龍谷大学は関西大会の演奏から審査を受けることになります。

■昨日は、練習中、ホール内のあちこちに移動しながら写真を撮りました。すると、私と同じように広報用の写真を撮っていた1人の幹部部員が近づいてきました。「脇田部長、(龍谷大学吹奏楽部が演奏する)課題曲と自由曲については、まだ曲名を公開していないので、それらの写真についてはSNSにアップしないようにしてくださいね」と笑顔でそっと注意してくれました(マスクしていたけれど)。「このじいさん、危ないな…」と思われたのかも知れませんね。大丈夫ですよ〜。楽器の種類や人数や配置から、わかってしまうかも知れませんものね。安心してください。写真は、京都府大会の招待演奏の曲の練習風景です。

■京都府大会は、大学のオープンキャンパスと重なり行くことができませんが、関西大会のホール練習(8/14)と関西大会(8/21)は、部員の皆さんに必ず同行いたします。体調管理に十分に注意した上で、全国大会に向けて練習を積み重ねてください。

庭の茗荷

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■庭の世話をする時間がありません。カメやメダカだけは世話をしないと死んでしまうので、メダカのいる鉢や池には水を足し、水槽代わりに使っているカメのコンテナの水を換えました。カメは気持ちがよさそうでした。もちろん、メダカにもカメにも餌をあげました。そうしていると、収穫できていないプチトマトに気がつきました。熟れすぎて割れてしまっていました。ごめんね。その向こうには茗荷が茂っているのですが、覗いてみると、いつのまにか地面から頭を出しているのです。すでに花を咲かせているものもありました。しまった…。ということで、慌てて、汗びっしょりになりながら収穫しました。こんなにたくさん。薬味だけでなく、練り物(さつま揚げ)と一緒に炒めて、中華風にして食べようと思います。甘酢漬けも良いかもしれません。

鹿の角

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■水曜日、仕事が終わった後のことになりますが、首の凝りを解消していただくために、いつもの鍼灸院に向かいました。メニエール病に至るまでにはなりませんが、相変わらず首や肩が凝って辛いのです。もっとも緊張性の頭痛はマシになりました。それはともかく、鍼灸院で治療を終えた後か終える前だったか、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」にいるKohki Kawakitaくんから連絡が入りました。「鹿の角が手に入ったので、あげるよ」との連絡でした。川北くんは、定年退職後、いろんなことにチャレンジしてます。川北くんは以前から農業もやっているのですが(兼業農家)、今度は猟師の資格を取ると言っていました。獣害対策かな。そんなこともあってか?!、どこかで手に入れた鹿の角を持ってきてくれたのです。川北くん、ありがとう。もちろん、「利やん」に行って鹿の角を受け取ることにしました。

■「利やん」に行くと、川北くんの横には、なかちゃん(中川俊典さん)が座っていました。アルミサッシ工事の社長さんです。なかちゃんと会うのは1ヶ月ぶりでした。もう何年も前のことになりますが、なかちゃんとは、ホノルルマラソンのタイムを競った仲なんです。なかちゃんからは、「わしの記録よりもワッキーが早く走ったら芋焼酎1本やる。もしワッキーが遅かったらわしが芋焼酎をもらう」という勝負を挑んでこられたのでした。結果として私が芋焼酎を受け取ることになったのですが、昨日も「あれが、今でも悔しい」と言うのです。しつこいな〜(^^;;。まあ、そんな感じで3人でカウンターに座り、アホな話をして楽しい時間をもつことができました。

■その裏側では、「地域エンパワねっと」でお世話になっている安孫子邦夫さんと、「大津の町家を考える会」の雨森 鼎さんがテーブルで飲んでおられました。お2人は仲良しです。時々、私も仲間に入れていただき3人で呑むこともあります。ということで、もちろんお2人ともお話をさせていただきました。そして、そのお隣のテーブルには、某和菓子の会社の社長さんSさんが。なーんだ、みんな知り合いだ。「利やん」はそういうお店なんです。ノーライフ ノー「利やん」。あくまで個人的な感覚ですが、大学の世界だけで生きていると息が詰まってくるような気持ちになります。この「利やん」のようなお店があり、そこで仲の良いご常連と短時間でも一緒に過ごすことで、気持ちが穏やかになります。まさに、アメリカの社会学者レイ・オルデンバーグのいう「サード・プレイス」(職場でも家庭でもない第三の場所)なのです。

■さて、鹿の角でしたね。これで何を作りますかね。キーホルダー、チョーカー、ペーパーナイフ、他にもいろいろ。万力と金鋸を買って楽しんでみます。

【追記】■下の写真は、2017年12月21日に撮ったものです。なかちゃんから手渡されている芋焼酎は「晴耕雨読」です。赤いセーターの男性は、当時、すでに龍谷大学社会学部を早期退職されていた原田達先生。左の男性は、お店のご常連の杉浦さん。常連の番付では、横綱級の方です。ちなみに、私は最近は自ら大関級と名乗っています。
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高橋卓志先生と鰻重

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■昨日は、大変お世話になった高橋卓志先生と昼食をご一緒させていただきました。ご病気から完全に回復されたとお聞きし、先生がご希望されていた鰻をいただきました。私は龍谷大学社会学部の教員ではありますが、先生が担当されていた「龍谷大学大学院実践真宗学研究科」の授業に、もぐりの院生として2年(半期2回)通わせていただきました。当時は、私のようなもぐり(授業料を払っていない)の院生が何人もおられました。いろいろ勉強になったな〜。

■ところで、高橋先生は、ご自身のご病気や入院治療の様子を丁寧にfacebookで報告されていました。治療中、絶食が続いて、とてもしんどい時のことだと思いますが、「元気になったら鰻を食べたい」という趣旨のことをfacebookに書いておられました。そこで、「回復されたら鰻をご一緒させてください」とお願いをしていたのです。今日はやっとその鰻が実現しました。お元気になられて、本当に嬉しいです。

■ここは、大津にある有名な鰻店です。高橋先生には、鰻重、ご満足いただけました。鰻重を召し上がっている時も、「こんなご飯を食べているときに言うことではないのですが…」とお断りになりつつ、病気治療をされていた当時のことを丁寧にお話しくださいました。絶対に活字にしていただきたいと思いました。「三人称の死」を支え見守ってこられた先生が、今度は「一人称の死」に向き合われたわけです。とても貴重なお話でした。高橋先生、ありがとうございました。

【追記1】■高橋卓志先生のことをご存知ない皆さんには、以下のリンク先の動画をご覧いただければと思います。特に、「こころの時代~人生・宗教~ NHK E」の1〜4の4つの動画がわかりやすいと思います。NHK「こころの時代」という番組の動画です。今、拝見すると、高橋先生のお声、少し高めですね。これは、いつ頃の番組なのかな。
https://takahashi-takushi.jp/movies.html

【追記2】■この動画の1 のなかで、「発心」(ほっしん)という言葉が出てきます。発心とは、厳密には、「悟りを得ようとする心を起こすこと。 菩提心 (ぼだいしん) を起こすこと。 仏門に入ること」という意味です。高橋先生が発心されたのは、1978年、20代最後に訪れた南太平洋の島、西ニューギニアのビアク島に、戦没者の遺族と共にこの島の慰霊の旅に赴かれた時のことです。この時、僧侶として生きることの強い決心を持たれたのです。この発心という言葉、広い意味では、良いことのために(何が良いかは別にして)、本気になって取り組むという意味になるのかなと思います。これは、様々な事業、それから学問にしてもそうです。私が専攻する社会学の場合ももちろんそうです。若い頃、指導教授の領家穰先生に、飲みながらよく叱られました。「脇田、本気になれ!!」。学問の発心。難しいですね。先日、早期にご退職になった原田達先生にお会いしました。原田先生は、発心という言葉こそお使いになりませんでしたが、その人が学問をせねばならないと本気に思うようになった、その人の学問の原点になった強烈な体験の重要性についてお話しくださいました。その例として、お名前は出しませんが、大変著名なご高齢のお一人の社会学者の例を出されました。原田先生はご本人から直接聞かれたそうですが、その社会学者の原点は「山村工作隊」だったのだそうです。「山村工作隊って何?」と思われる方は、お手数ですが、ご自身でお調べになっていただきたいと思います。ちょっと、「発心」という言葉について、ここにメモを残しておきます。

「琵琶湖システム」が世界農業遺産に認定されました。

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■国連のFAO(国際連合食糧農業機関)に申請していた「琵琶湖システム」が、世界農業遺産に認定されました。申請実務を担当されてきた滋賀県庁の担当・関連職員の皆さんや、「琵琶湖と共生する滋賀の農林水産業推進協議会」の会員の皆さんのご努力と連帯が、今回の認定という形になって結実しました。おめでとうございます。2016年から申請作業のお手伝いをしてきましたので、私も大変嬉しいです‼︎

■実は、今回認定されたこと、昨日の段階でFAOの公式サイトに発表されていました。そのことを、前の農政水産部長の西川忠雄さんからご連絡いただいて知りました。また、世界農業遺産農業遺産申請に取り組み始めた際の農政水産部長の安田全男さんからも、そろそろらしいですねとご連絡をいただいていました。そして昨日の夕方あたりから、認定に関する報道が始まりました。しかし、本日、滋賀県公館ゲストルームで「世界農業遺産」認定報告会が開催されることから、県が公式に発表されるまではと、SNSに情報発信することを控えておりました。やっと解禁になりました。

■今日の「世界農業遺産」認定報告会には、私も参加して、多くの関係者の皆様と喜びを共有したかったのですが、大雨のため電車が動かず、仕方がないと乗った大津駅行きの直通バスも、トラック横転の事故のために名神高速道路が大渋滞、結局、報告会が終わる時間になっても辿り着くことができませんでした。ちょっと残念です。とはいえ、与えていただいた仕事を通して、申請のお手伝いをして、認定までのプロセスを見守ることができたことは、私にとってもとても貴重な経験となりました。改めて、関係者の皆様に御礼を申し上げます。

■これまでも繰り返し発言してきましたが、今回、認定されましたことは「ゴール」ではなく、あくまで「スタート」だと思っています。滋賀県の皆さんは、これまでも琵琶湖や琵琶湖とのつながりを大切にされてきましたが、今回の世界農業遺産認定を契機に、さらに多くの皆様との連帯の中で「琵琶湖システム」に磨きをかけ、その価値を共に再認識し、次世代に継承していくことになります。それがFAOに認定していただく上での約束ですから。私も1人の滋賀県民として、微力ながら、引き続き頑張っていければと思っています。

公式サイトのニュース
琵琶湖システム
農林水産省

龍谷大学吹奏楽部のOB・OG会の総会

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■龍谷大学吹奏楽部のOB・OG会の総会が開催されました。部長の私と現役の幹部部員の皆さんも、オブザーバーとして参加させていただきました。ありがとうございました。総会の後は、一部のOB ・OGの皆さんと夕食をご一緒いたしました。初めて参加させていただきましたが、とても楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。今後とも、どうかよろしくお願いいたします。

■龍谷大学吹奏楽部は、創部15周年、45周年、50周年の時に記念誌を発刊しています。これらの記念誌は公式サイトを通してPDFファイルとして読むことができます。書かれたことを通して吹奏楽部の歴史を振り返ってみると、初期のOBの皆さんが様々な困難の中で決断や判断されたことが無ければ、現在のような、大学吹奏楽界を代表する学生バンドとして評価されるまでには成長できていなかったのではないかと思うわけです。

■吹奏楽部は、1967年に、応援団の中に創設されたブラスパンドからスタートしました。しかし、1968年に暴力事件を引き起こした応援団は永久解散ということになり、吹奏楽部は応援団総部傘下にあったことから、事件とは関係ないにもかかわらず、解散ということになってしまいました。この事件の影響は大変大きなものでした。1973年になって、吹奏楽部は、やっと同好会として再スターを切ることができました。その後も、部室のあった建物から火災が起こり、楽譜や楽器が燃えてしまうなどの不幸な出来事が続きました。練習場もなく、公園や名神高速道路高架下等で練習していたそうです。記念誌に掲載されている、この時代の部員の皆さんの寄稿文からは、大変なご苦労されてきたという事実だけでなく、そのご苦労を乗り越える吹奏楽に対する熱い情熱を感じ取ることができます。そのような初期の出来事に加えて、その後、龍谷大学吹奏楽部にはいくつかの重要な転機がありました。

定期演奏会を開催するようになったこと(1974年)。
吹奏楽コンクールに出場するようになったこと(1978年)。
上埜孝先生をお迎えし、プロの指導を受けるようになったこと(1983年)。
佐渡裕さんの指揮で全日本吹奏楽コンクールに出場したこと(1986年)。
若林義人さんを中心とした指導体制となり、音楽監督・常任指揮者に就任されたこと(2007年)。

■私が拝見した限りでは…ですが、これらのことがその後の大きな流れを生み出しているような気がします。

https://ryukoku-wind … ic.com/pamphlet.html

■創部50周年の中に、こんなことが書かれていました。執筆された熊谷法明は、この時、すでにOBでありOB会事務局をされていました。

上埜先生就任3年目?で関西大会に出場できました。4年目、関西大会まで1ヶ月もないある日、上埜先生はデブった若者を連れてきて「次の関西大会は彼で行く」とおっしゃいました。嘘だろうと思いましたが、彼がタクトを下ろした瞬間、楽団の音色が変わったのを覚えています。何と上埜先生就任4年目にして全国大会に出場できました。驚きです。関西大会後「これで龍大も安泰です。来年も宜しくお願いします」と若者に言ったら、「僕、もうすぐニューヨークに行くんだ」と返事されました。その若者が佐渡裕です。世界的な指揮者になられるとは思いもよりません。

■熊谷さんは、佐渡さんよりも6歳年上なので、確かに若者ということになりますね。佐渡さんは、この時、25歳でしょうか。翌年、1987年にアメリカに渡ってタングルウッド音楽祭でバーンスタインと小澤征爾さんに師事されています。私が学生時代所属していた関西学院交響楽団も、1987年の第69回定期演奏会で佐渡さんに指揮をしていただいています。私は、すでにOBで、エキストラもやめていたので、残念ながら佐渡さんの指揮を経験することはできていません。たしか、6月末の定演の後、アメリカに行かれたんじゃなかったかなと思います。

エンパワねっとでまち歩き

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■土曜日は朝から、「社会共生実習」の「地域エンパワねっと・大津中央」。大津中心市街地のまち歩きを実施しました。
今年履修している学生は9名。最近のこの界隈の地域課題を理解しながら、高齢者をテーマにしたグループと、子どもをテーマにしたグループ、2つのグループに分かれて、これから街中で地域の皆さんと活動に取り組んでいきます。

■学生の皆さんが、地域の皆さんといろいろ相談をする場所は中央市民センターになります。中央学区の公民館です。今日、中央市民センターを訪問すると乳幼児が親子で遊ぶことのできるおもちゃライブラリー「めだか」が開催されていました。お世話されている下清水さんに、学生の皆さんとご挨拶に伺いました。「めだか」の様子も拝見させていただきました。ありがとうございました。街中にマンションが続々と建設され、お子さんのおられるご家族が転入されているせいか、大変盛況でした。

■玉屋町に着いた時、偶然に岩崎博さんにお会いして、大津祭の曳山・湯立山の蔵を見学させていただくことができました。貴重なカラクリの人形も間近に拝見できました。トップの写真が、カラクリの人形です。岩崎さんありがとうございました。2枚目の写真は、岩崎さんとエンパワの学生の皆さん。YouTubeに湯立山のカラクリの様子がわかる動画がありました。以下のものです。

■ 「大津祭曳山展示館」にもお邪魔しました。事務長の加藤さんから大津祭の解説をしていただきました。ありがとうございました。エンパワの学生たち、今年の大津祭を楽しみにしています。「大津百町館」では、野口さんにお世話いただきました。学生の皆さんは、町家の雰囲気を、若者の感性で味わっていました。野口さん、ありがとうございました。

■今日は、中央学区のたくさんのみなさんのお世話になりながら、3時間半ほど歩きました。今日は、学生の皆さんの活動エリアからは離れますが、長等商店街や、かつて遊郭のあった柴屋町の界隈も歩いてみました。歩数にして7,000歩ほど。距離にしても大したことないのですが、普段あまり歩いていない人たちには、けっこうキツく感じられたようです。仕方ないな〜。大津の中心市街地には、どんどん変化して行く部分と街の履歴を持続させようとする部分、その両方が混在しているわけですが、学生の皆さんは、そこから何を感じ取ったでしょうね。この後は、深草キャンパスに移動して、龍谷大学吹奏楽部のOB総会に出席いたしました。

龍谷大学吹奏楽部からの報告

■以下は、龍谷大学吹奏楽部のfacebookへの投稿です。サマーコンサートの報告です。みなさま、ありがとうございました。

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