鉄道ファンとの交流
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◾️昨晩は、facebookの鉄道ファンのグループに所属されている「鉄道愛」に溢れる皆さんと、大津で飲み会でした。わざわざ、都合をつけて関東方面かお越しの方もお2人。流行りの言葉でいえば「半端ないって」という感じです。
◾️一次会は浜大津の交差点にある「駅前酒場 御蔵」でした。店内の入り口付近のテーブルに陣取りました。ここからは、京阪電車京津線と石山坂本線を走る電車の姿と音を堪能することができるからです。京阪電車を視界に入れて、近江の食と酒を楽しみつつテツテツ談義です。私のような、なんちゃって…な鉄道ファンはたじたじの(つまり、専門的すぎてよくわからない…)熱いやり取りがありました。でも、私のような者からの質問にも、とても丁寧に解説してくださる紳士な皆様ばかりです。大変、ありがたかったです。
◾️二次会はジャズバー「パーンの笛」。このテツテツなみなさんの仲間で、『乗らずに死ねるか』や『すごいぞ!私鉄王国・関西』の著者でもある故・黒田一樹さんを偲びつつ、ビールをいただきました。ずいぶん昔に、偶然に、このジャズバーで黒田さんと出会ったのです。すごい人がいるものだと、とても驚きました。
◾️締めの三次会はいつもの大津駅前の居酒屋「利やん」。名物「だし巻き豆腐」と「おでん」を楽しみました。関東方面からはお2人が参加されました。すごいと思います。お1人は大津泊でしたが、もうお1人はなんと夜行バスで戻られました。仲間との鉄道愛を育むために、わざわざ大津にまでお越し下さったことに、心より感謝いたします。
「うみのこ」と堅田の秋空
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◾️買い物ついでに、大津市の堅田にある湖畔のカフェへ立ち寄りました。杢兵衛造船所の横にあるカフェです。こういうことは、滅多にないことなんですけれど。コーヒーを飲みながら外を眺めると、杢兵衛造船所には、退役した前の環境学習船「うみのこ」が繋留されていました。「うみのこ」は、「滋賀県立びわ湖フローティングスクール」で使われている環境学習船です。現在は、2代目の新しい「うみのこ」が就航していますから、これは1代目の「うみのこ」です。滋賀県の小学校5年生は、全員「うみのこ」に乗船して琵琶湖の環境学習を行うことになっています。詳しくは、以下をご覧いただきたいと思います。ところで、新しい「うみのこ」が就航したこともあり、この写真の1代目はどうなるんでしょうね。少し古い新聞記事では、利活用していくにも相当のお金がかかるようですし、解体するにしてもそれなりの費用が必要のようです。
◾️カフェでは「うみのこ」のことを考えながらびわ湖の風景を眺めていました。するとV字編隊の白い渡り鳥たちが南に向かって飛んでいるのが見えました。目を凝らせば、この写真でも確認できるかもしれません。種類はなんでしょうね。そういう季節なんですね。ちなみに上の方に浮かんでいるUFOみたいなのは、電灯がガラス窓に反射したものです。カフェには20分ほどいたでしょうか。カフェの外に出ると、もう夕方になっていました。空は秋空です。羊雲ですね。羊の群れが比叡山の山えを超えて行こうとしているかのようです。
真野浜のサンライズ(大津市堅田)
▪️水草の有効利用を目指す市民グループ「水草は宝の山」に参加しています。このグループ、略して「水宝山」の代表・山田英二さんが、facebookに真野浜の日の出の風景を度々アップされています。YouTubeにアップされた動画です。とても素敵な動画なので、このブログでもご紹介したいと思います。コマ落としですので、雲の動き等は早くなっています。早くなっているからでしょうか、いつもとは違う琵琶湖を感じ取ることができます。
大津市制120周年記念企画展(第76回企画展)「60年前の大津」
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◾️大津市は市制120周年。私は今年、60歳、還暦になりましたが、その2倍ということですね。ということで、大津市歴史博物館では、「60年前の大津」という企画展を開催されるようです。このような企画です。
平成30 年10 月1 日、大津市は明治31 年(1898)の市制施行から120 周年、人にたとえれば「大還暦(2度目の還暦)」という節目を迎えます。今回の展覧会では、大津市が還暦を迎えた昭和33 年(1958)を中心に、高度経済長期を迎えて急速に変化する昭和30 年代の市内の移り変わりを、当時の写真や資料で紹介します。
昭和33 年は、大津市にとって新たな出発となる年でした。戦後、米軍(進駐軍)によって使用されていたキャンプ大津が返還され、返還間もないキャンプA地区(現:皇子山総合運動公園)の体育館で、市制60 周年記念式典が行なわれました。
この頃の大津市は、湖岸の埋め立てや山の手の開発などによる市街地の拡大とともに、学校や公共施設などの都市基盤の整備が急速に進められました。これらの様子は、当時の広報誌や市制60 周年の記念誌『還暦』などに多くの写真を使って紹介されています。まさに、現在の私たちが生活する大津の風景や生活の土台は、この頃にかたち作られていったといえるでしょう。
また、本展覧会期間中のミニ企画展は「大津市制の120 年」と題して、明治31 年の市制施行から現在までを市町村合併を中心に、かけあしで振り返ります。加えて、期間限定ですが、西武大津店でも貴重なカラー写真の展示も予定しています。この機会に、これまでの大津市のあゆみについて理解を深めていただければ幸いです。
真野浜での水草除去作業
◾️先日、大津市堅田の真野浜の水草除去作業に参加しました。その時の様子を、この作業に毎日取り組んでおられる「水草は宝の山」=「水宝山」の代表・山田英二さんが録画されていました。コマを落として時間を短縮して見られるように編集してあります。冒頭、左手から白い短パンを履いたやってくるのが私です。
真野浜(大津市堅田)で水草除去作業
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◾️昨日は朝4時過ぎに起床。大津市堅田にある真野浜水泳場へ行ってきました。真野浜で民宿を経営されている山田英二さんから、「いよいよ今年も浜に水草が打ち上げられる季節に突入した」とお聞きし、水草の有効利用を考える市民団体「水草は宝の山」=「水宝山」の会員として、水草除去の活動を行いました。作業は5時頃から開始しました。まずは、「水宝山」の代表である山田さんから簡単なレクチャーを受けて、持参した熊手で湖岸に打ち寄せられた水草を集めていきます。そして、湖水に濡れないところまで少しずつ引き上げて小さくまとめて、乾燥させます。その次に、小さくまとめたものをさらに引き上げます。高速船が走った時にできる大きな波でも濡れないようにするためです。
◾️なぜ乾燥させるのか。湖岸に打ち寄せられたままだと、腐敗して悪臭を発生させるからです。悪臭のする湖岸には人は集まりません。こうやって浜を綺麗にすることで、散歩をする人が増え、泳ぐ人も増え、琵琶湖と人との素敵な関係がたくさん生まれることになるのです。この作業のあとは、これも「山田方式」なのですが、昨日、山田さんが集めて乾燥させたものを、大津市のゴミ回(袋に、プラ板を使って詰めていきました。プラ板を入れて袋を自立できるように膨らませるのです。その中に、乾燥させた水草の砂を落としながら詰めていきます。最後は、大津市が回収してくれることになっているので、決められた場所まキャタピラの運搬車を使って運びました。
◾️湖岸に打ち寄せられる水草。その中に、ごくわずか、若干のプラスチックゴミが混じっていますが、以前と比較して相当に少なくなったそうです(もちろん、小さなマイクロプラスチックはわかりませんが…)。どうしてなんだろうと、首を傾げておられました。「マナーが向上したとしか、考えられないね〜」とのことでした。そうだったらいいんですけどね。それから、しばらく前は、ブラックバスの稚魚が相当打ち上げられていたようです。今朝はそれほどでもありませんでした(駆除される外来魚の稚魚ではありますが、湖内で何が起きているのか心配になります)。
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◾️山田さんは、夏場は毎日、この作業をされているので、ちょっとした変化にもお気づきになります。大切なことだなあと思います。毎日、綺麗にしていると、水泳に来たお客さんたちのゴミも減ります。汚れていると、「ちょっとぐらい捨てても構わないのでは…」と悪魔が囁いてくるわけですが、朝から綺麗にしておくと、そのようなゴミも捨てられることがないようです。
◾️さて、回収した水草ですが、現時点では焼却処分されます。それを何とか、地域社会の中で有効利用できないのか…というのが、市民団体「水宝山」の問題意識の一つになります。私たちは、この地域社会での有効利用を「小さな循環」と呼んでいます。この真野浜を中心にそのようような有効利用の社会的な仕組みを作って動かしていくことが、当座の私たちの活動の目標になります(もう一つの問題意識は「大きな循環」をどう作っていくのか…ということなのですが、これについては、また別途説明させていただこうかなと思います)。しかし、早起きして、気持ちのよう空気の中で、浜の水草を取り除く(掃除)作業をしていると大変気持ちが良いですね。山田さんが「楽しみながらやっていますか」という気持ちがよくわかります。加えて、山田さんから「今日はありがとうございました」とお礼を言っていただけると、なお気持ちが良くなります。お近くにお住いの皆様、いっしょに早朝ボランティアをやりませんか。以下は、山田さんが撮った映像です。コマを落として編集してあります。私も写っています。
いよいよ「地域デビュー」
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▪️5月25日(金)は、「大津エンパワねっと」の第5回目の授業でした。今日は、瀬田東学区を担当するチームと中央地区(中央学区を中心とした中心市街地)を担当するチームとで、それぞれの活動に取り組みました。
▪️中央地区担当チームの方は、以前の投稿にも書きましたが、地域の皆さんが学生たちと一緒に取り組みたいテーマを事前に調整されていたこともあり、高齢者の問題と子どもの問題に、地域の皆さんと一緒に取り組んでいくことになります。この日の晩は、子どもの問題に取り組むチーム(「しんごうブラザーズ」)が、中央学区で開催される「団体連絡協議会」の会議(総会と役員会)に参加し、議論を傍聴させていただきました。いよいよ地域で活動を始めることになります。「大津エンパワねっと」では、伝統的にこのことを「地域デビュー」といってきました。ということで、この日の授業で取り組んだのは、「大津エンパワねっと」の報告書に掲載されている先輩たちの活動の中身を読み込むことです。担当教員である私の方からは、先輩たちが課題を発見して具体的な活動に取り組むまでのプロセスについて解説しました。いずれも、私が指導した学生チームです。地域活動に取り組むための「コツ」のようなものですね。11期生の「大津エンパワねっと」の今後の取り組みにご期待ください!! 写真は、中央地区担当チームです。屋外のベンチとテーブルを使って野外授業です。気持ちの良い季節になりました。
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▪️さて、「しんごうブラザーズ」の男子学生3人が、地元の皆さんの会議(「団体連絡協議会」の総会と役員会)に出席したときのことも。地域の皆さんのシビアな議論を傍聴しつつ、人口減少社会の中での地域自治の難しさを、改めリアルに理解しました。また、学生たちも少し自己紹介程度の発言の機会があったのですが、なかなかしっかりしていて、担当教員としては安心することができました。無事に「地域デビュー」することができました。ということで、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」でちょっとした慰労会。二十歳の学生は生ビール、未成年の学生はアルコール抜きの酎ハイ。学生たちは、お店のご常連にもご馳走になり、なんと無事に「利やんデビュー」も果たすことができました。ご常連のTさん、ありがとうございました。
▪️28日(月)には、「しんごうブラザーズ」のうちの1人の学生が、中央学区の「学区社会福祉協議会」の会議を傍聴させていただく予定です。
寺院の掲示板
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■仏教寺院の入り口のあたりには、よく掲示板が設置されています。ときどき、その掲示板に掲示されている「言葉」をじっくり拝見しています。それぞれのお寺のご住職のお考えがよく伝わってきますし、言葉に対するセンスのようなものがキラリと光っているように思うからです。
■昨日は、龍谷大学社会学部の地域連携型教育プログラムである「大津エンバワねっと」の関連で、「大津エンパワねっとを進める会・中央」が、大津市の中央市民センターで開催されました。その帰り、浄土宗の乗念寺の前を通りかかったのですが、いつものように掲示板が気になりました。写真を撮らせていただきました。「素敵だ!!」と思いました。なんというんでしょうね。ちょっと、イケてますよね。字も個性的で素敵です。ご住職は、このトイレ清掃員のダリルさんの言葉をどこでお知りになったのでしょうね〜。
■ところで、こちらの乗念寺さん、開基は1588年(天正16年)。江戸時代以前からの歴史をもつお寺であることがわかります。知り合いの方からの情報だと、江戸時代、大津の街の中では浄土宗の本山的な存在だったそうです。ちなみに、こちらのお寺の木造聖観音立像は、重要文化財なのだそうです。
■こういうものをネットで発見しました。みなさん、気になっておられるのですね。
『こころにひびくお寺の掲示板のことば』
「2018きき酒会」(びわ湖大津プリンスホテル)
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▪️先日の日曜日、滋賀の老人ホームに入所している老母の見舞いに行った後、「びわ湖大津プリンスホテル」に行くことにしました。酒の卸会社である(株)エスサーフ主催の「2018きき酒会」が開かれていたからです。この「きき酒会」は毎年開催されているようですが、私は今回が初めて参加でした。滋賀県の蔵が19、滋賀以外の近畿の蔵が17、北信越・中部・中国・四国・九州の蔵が13、あわせて49の日本酒の蔵が揃いました。それぞれの蔵にブースがあり、そこで様々な種類の酒を試飲をさせてくださるのです。素晴らしいですね。ということで、滋賀の酒から始めることにしました。まずは、「北船路米づくり研究会」でお世話になっている平井商店さんへ。平井商店さんからスタートして、気になる蔵元の酒を順番に試していきました。もちろん、すべての酒を利き酒することなどできません。小さなガラスのお猪口で「利き酒」をするのですが、数が進むと酔いが少しずつまわって調子が出てきました。
▪️調子が出てきたので、日本酒以外にも手を出してしまいました。9つのワイナリー、焼酎や泡盛はなんと37もの蔵がブースを出しておられました。日本酒でほろ酔い状態になっていましたので、少しだけを選んで味わってみました。しかし、たまたま知り合いのアサヒビールの社員の方にも出会い、半ば無理やりアサヒビールのブースにも連れて行かれました。そして、アサヒビールが国内で販売されているジンやウイスキーにも手を出してしまいました。こうなると「利き酒」のレベルを超えてしまいますね。
▪️会場では、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」のご常連の皆さん、社会学部の地域連携教育プログラム「大津エンバワねっと」でお世話になっている中央学区の皆さん、「しがNPOセンター」の職員さん、「大津ジャズフェスティバル」の実行委員だった方、いろんな方達にお会いすることができました。そうそう、龍谷大学農学部食品栄養学科で教員されているF先生にもお会いしました。日本酒の話しはもちろん、そこから滋賀の農産物、農業振興や地域連携がらみの話しもすることができました。酒は人をつなぎますね〜。
滋賀の冬の天候
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■一昨日、1月3日は、奈良で親戚との恒例の新年会が開催されました。娘と孫娘=ひなちゃんが風邪で体調が良くなく、娘の一家はこの新年会に参加できないということでしたので、まずは大阪の娘夫婦のところに新年の挨拶に行きました。そして、ひなちゃんと遊んできました。風邪をひいているとのことでしたが、ひなちゃんはすこぶる元気でした。強い女の子だなと思いました。ひなちゃんと遊ぶ…とはいっても、ご本人とはたまにしか会うことができないので、抱っこなんかしようものならば、泣き出してしまいます。人見知りです。ということで、ニコニコしながら側に寄ってきたときには、ちょっと触れ合う…程度なんです。この程度なんですが、おじいさんとしては嬉しいわけです。
■ところで、大阪の娘の自宅に向けて滋賀を出発した時、雪が降り始めました。しかし大阪に着くと雪の気配など全くなく、気持ちよく晴れていました。滋賀は、日本海側の気候と太平洋側の気候の中間地点になります。私などは、そのちょうど境目辺りに住んでいることになります。湖西は堅田から北の地域が、湖東は野洲川や愛知川のあたりから北の地域が日本海側からの影響を強く受けることになります。彦根市にある彦根地方気象台の説明によりますと、滋賀の天候の特徴は次のようになります。
滋賀県は、日本列島のほぼ中央部に位置し、周囲に1,000m前後の山脈が連なり、中央部には日本最大の琵琶湖を擁する大きな盆地です。
南は伊勢湾、北は若狭湾によって本州で一番狭くなった所に位置し、大阪湾から若狭湾に至る低地帯の一部であり、それぞれの湾から入る気流の通路となっています。このような地形の影響を受けて、各地の天候にはかなり相違があります。気候区分によると、滋賀県は日本海気候区、東海気候区及び瀬戸内海気候区が重なり合う地域となっており、準海洋性の気候を示す温和なところです。
冬(12月~2月)
12月になり、シベリア高気圧が優勢になって、西高東低の冬型の気圧配置になると、平地でも初雪(平年は12月13日)が観測され、北部は日本海側、南部は太平洋側に類似した天気になります。季節風による雪が降り始める頃、いわゆる”雪おこし”の雷が日本海側ではよく発生し、滋賀県でも北部では寒気の強いときに発雷します。
滋賀県で最も雪の降りやすい地域は北部山間部、次いで西部・東部の山間部です。これらの地域では、かなりの積雪があるところに新たに雪が積もると、なだれが発生することもあります。一方、南部の平野部ではあまり雪は降りませんが、春先に日本の南岸を低気圧が通過する場合には大雪になることもあります。
1年のうちで最低気温は1月または2月に現れます。
日本海で低気圧が発達して「春一番」が吹くと、やがて本格的な春を迎えます。
■昨日は14kmほど走りました。コースは、自宅から北上し真野・堅田を経て琵琶湖大橋を渡り、守山市にある大橋の東詰にある料金所で折り返すというコースです。琵琶湖大橋から北湖の方を眺めると、比良山系は日本海側からやってきた雪雲で山稜が覆われて見えなくなっていました。湖東の方も雪雲に覆われていた。しかし、大津の中心市街地あたりは晴れている。トップの写真をご覧ください。上段2枚の写真が、琵琶湖大橋から北側の風景です。中段は堅田の街並みと背景の山々。明らかに、上段の写真とは山の白さが違います。下段は、大津の中心市街地です。カラッと晴れています。これが日本海岸の気候と太平洋側の気候の、その境界線の風景なのです。
■そのような風景を眺めたり、途中で立ち止まって写真を撮ったりしていたので、ランニングに集中していません。最初は、1日の元旦と2日にテレビで中継されていた「箱根駅伝」に影響を受けて、最初から飛ばし気味に身体に負荷をかけて走ってみたのですが、4kmあたりできつくなってしまいました。そして、その辺りから写真のような風景が見えてきたのです。すると気持ちが緩み、風景を楽しむことに目標を切り替えることにしてしまいました(正確には、きつくなったので切り替えざるを得なかったわけですが…)。最後は、トロトロとジョギングをすることになってしまいました。まあ、「それでも、よし」ということにいたしましょう。
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■走っているときに。堅田に隣接する真野で写真のような記念碑を見つけました。今まで横を走っていても気がつきませんでした。記念碑「古歌の郷 真野」です。岩に金属のオブジェが取り付けてあります。このオブジェは琵琶湖の定置漁具のエリ(魚編に入)ですね。古歌とは、平安時代の歌人・源俊頼の「鶉(うずら)鳴く真野の入江の浜風に尾花波よる秋の夕暮れ」という歌のことなのだろうと思います。「鶉が悲しげに鳴いている真野の入江に吹く浜風によって、尾花が波うつようになびいている秋の夕暮れよ」という意味のようです。鶉の鳴き声など聞いたことはありませんが、万葉時代の表現で、恋人に捨てられて泣く女性を暗示しているとのこと。ふーん、なんとも寂しいというか、悲しい感じになりますね。で、「真野の入江」ですが、以前は、現在の真野川のあたりには深い入江があったらしいのです。江戸時代に埋め立てられた…という話しもあります。ランニングのあとで、調べてみてやっとわかりした。