平和堂財団環境保全活動助成事業「夏原グラント」2024年度募集要項
BBCびわ湖放送「琵琶湖まんだら」第7回米原市
▪️滋賀県のテレビ局、BBCびわ湖放送では、「琵琶湖まんだら」という番組を放送されています。そして放送だけでなく、番組をYouTubeでも視聴することができます。この投稿に貼り付けたものは、第7回の「米原市」です。西川忠雄社長肝入りの番組と聞いています。
▪️西川さん、BBCの社長に就任される以前は、滋賀県庁で農政水産部長を務めておられました。国連FAOが認定する「世界農業遺産」に滋賀県から「琵琶湖システム」で申請する際、その申請作業のお手伝いをさせていただいたのですが、その時は西川さんにいろいろお世話になりました。
▪️また、この番組「米原市」に登場される高橋滝治郎さんは、西川さんの前の農政水産部長でした。世界農業遺産に認定される前に、日本農業遺産(農水省)に認定される必要があるのですが、高橋さんには、その段階でお世話になりましたし、「世界農業遺産」に申請することを広くアピールしようと、農政水産部の職員の皆さんと一緒に「びわ湖チャリティー100km歩行大会」=「びわ100」に出場する際も、高橋さんが率先して職員の皆さんに声掛けをしてくださいました。
▪️番組とは直接関係ないのことを書いてしまいました。この番組、ぜひ皆さんもご覧になっていただきたいと思います。滋賀県民の皆さんはもちろんのこと、滋賀県のファンの皆さんにもご覧になってほしいと思います。この「琵琶湖まんだら」、以下のYouTubeからもご覧いただくことができます。
琵琶湖まんだら 第6回野洲川流域 守山市・野洲市
琵琶湖まんだら 第5回大津市(北部)和邇・小野
琵琶湖まんだら 第4回長浜市(北部)
琵琶湖まんだら 第3回近江八幡市
琵琶湖まんだら 第2回高島市(南部)
琵琶湖まんだら 第1回序章(滋賀県立琵琶湖博物館)
▪️まとめてご覧になる場合は、こちらのリンク先が便利だと思います。
琵琶湖まんだら【エフエム滋賀 × びわ湖放送】
▪️番組の冒頭では、宗教学者の山折哲雄さんの文が読み上げられます。素敵な文ですね〜。これは、番組のために書かれたのか、それともどこかにすでに発表されていたものなのか、西川社長にご教示いただこうと思います。
【追記】▪️西川社長にご教示いただきました。山折哲雄さん文は、2009年に滋賀経済同友会が「生物多様性イニシアチブ」を提言された折に発行されたリーフレットに掲載されたものなのだそうです。今回、番組制作にあたりご本人や関係者にご了解をいただいて使用しているとのことでした。
第20回 「おっきん椋川」
◾️今年も、高島市今津町椋川で、「おっきん!椋川」が開催されます。今年で20回になるようです。ぜひ、今年も参加させていただきたいと思っていましたが、当日は、別の用事が先に入ってしまいました。残念。
【関連投稿】
第18回おっきん!椋川(2021年11月23日)
むらづくりの村人にとっての「意味」(2022年2月5日)
第92回企画展 「写真展 50年前の琵琶湖・堅田 ―大西艸人がみた自然と営み―」
▪️大津市歴史博物館の写真展です。以下、公式サイトからの転載です。
大西艸人(そうじん)氏が撮影した、50年以上前の堅田や仰木の写真を展示します。大西氏は、昭和41年(1966)から昭和46年(1971)まで仕事で堅田に赴任し、休日を利用して堅田周辺の風景や琵琶湖の風景を数多く撮影しました。昭和40年代の堅田は、琵琶湖大橋の開通(昭和39年)や堅田町と大津市、瀬田町との合併(昭和43年)、江若鉄道の廃線(昭和44年)など、町並みや暮らしの風景が大きく変化した時期にあたります。
本展では、大西氏が撮影した写真から約80点を展示するとともに、現在堅田・仰木に暮らす人々のインタビューを交えながら当時の様子を紹介することで、町が持つ地域の魅力と変遷を紹介します。
▪️この堅田のあたりは住まいにも近く、よく行っている場所になります。現在とはどのように違っているのか、かつてはどのような風景だったのか、強い関心があります。
企画展「写真展 50年前の琵琶湖・堅田」チラシ
第 92 回企画展「写真展 50 年前の琵琶湖・堅田-大西艸人がみた自然と営み-」展示目録
▪️今回の企画展の写真家・大西艸人(そうじん)さんの写真集、研究室の書架にきちんとおいてあります。写真展を観覧する前に、この写真集予習をしていこうと思います。タイトルは堅田となっていますが、山裾に広がる棚田の農村仰木の風景をうつした作品もあります。
特定非営利活動法人「琵琶故知新」の会員の皆様に
▪️今日は、午前中だけで授業は終わりました。隔週で教授会等の会議が入るのですが、今日はありませんでした。その代わり、教員の研修会がありしまた。なのですが、誠に申し訳ないのですが、今日は休ませてもらいました。いつもは、こういうのは必ず参加しているんですけどね。
▪️今日の午後は、理事長をしている特定非営利活動法人「琵琶故知新」の会員の皆様に、事務局長の藤澤栄一さん理事の山田英二さんと共に、法人の活動状況に関してご説明にあがりました。雄琴温泉の「滋賀おごと温泉 びわ湖花街道」社長の佐藤祐子さんと、「株式会社大津衛生社」社長の伊藤竜成さんです。お二人とも、「琵琶故知新」が準備している「びわぽいんと」に共感してくだり、本法人の会員になってくださっています。
▪️今日は、佐藤さんと伊藤さんから、大切なお話、元気が出てくるお話を伺うことができました。本当にありがたいことだと思っています。今日いただいたアドバイスやご意見、法人の事業に活かしていけるように頑張ります。今日は、社会へのビジョンをお持ちのお2人の経営者にお話を伺うことがてきて、本当に幸せでした。ありがとうございました。もっと頑張らねば、ですね。個人の利益を煽るこの資本主義の社会の中で、自分以外の「他者」のために頑張ること、他者に「贈与」すること(利他)が、どのような形で可能なのか、そのような仕組みを社会の中に実現したいのです。龍谷大学が定めた行動原理、「自省利他」とも大いに関係していると思います。
山の中の小学校の運動会
▪️高島市朽木にある朽木西小学校の運動会に関するFacebookへの投稿です。投稿されたのは、高島市朽木針畑の小入谷でゲストハウスを経営されている藤村さんです。藤村さんには、4人のお子さんがいらっしゃいますが、最後のお子さんが6年生で、来春卒業されます。このご投稿を拝見すると、豊かな自然の中で、少ない人数だからこそ、ここならではの「育ち」があるように思います。素晴らしいでする。ご投稿にある写真ごとのキャプションを拝見すると、この運動会の中心部分を藤村さんのお子さんや児童の皆さんが中心になって運営されていることがわかります。また、この小学校を卒業された若者(藤村さんのお子さん)たちも、やはり運動会の運営に関わっておられます。今年生まれた赤ちゃんから90歳近い人たちまで、地域の皆さんが心の底から楽しめた運動会のようです。藤村さんのご投稿をぜひお読みください。そして、この小学校のある針畑に移住してみようかな思う方が現れてくださるととっても嬉しいです。
まだ真夏の琵琶湖
▪️今日は午後から、東京で開催されるある研究会にオンラインで参加する予定でしたが、発表者の関係者がインフルエンザに罹患されたらしく、研究会は基本対面式なので(私のようなオンライン参加の人を除いて)、リスク回避のために急遽延期ということになりました。ちょっと肩透かしの感じなわけですが、仕方ありませんね。ひょっとすると別の用事を入れることができたかもしれませんが、それも諦めました。残念。
▪️ということで、近くのレストランに出かけて遅めのランチをいただきました。琵琶湖畔にあるレストランです。食事のあとは、外に出てみました。木岡らすると、琵琶湖はまだ真夏の感じですね。でも、空は若干秋らしさも感じられますかね。昨日は、義父の葬儀で、ひさしぶりに眺めた若草山や生駒山など奈良の景色が心に沁みましたが、今日は琵琶湖の景色です。琵琶湖のブルーが心に沁みました。
山の中のコミュニティで子育てを(滋賀県高島市朽木針畑)
▪️滋賀県高島市朽木針畑。学生さんたちと今年の6月に訪問しました。私は引率の関係で2回。1回目は針畑郷の生杉、2回目は小入谷を訪問しました。山の中の細い道を進んでいくと、突然、山の中に桃源郷が現れる、そんな感じがしました。不思議な、そしてとても素敵なところです。40年ほどにわたって、移住者の皆さんがここで暮らしてきました。ただ、お子さんが高校に行く段階になると、ここを離れることもあるようです。今は小学生が5人おられますが(先生も5人)。6年生が卒業すると3人になってしまうとのこと。少し心配ですね。小学校、どうなるのかな。地域にとって学校がなくなるってとても大きな出来事なんです。トップは、ゲストハウスを経営されている藤村さんのFacebookへの投稿です。
▪️京都市内で医師として働きながら、この針畑の小入谷で暮らしておられるTさんも、藤村さんのfacebookをシェアしながら、以下のように投稿されていました。
僕が暮らす山の中の小学校です。児童5人の本当に小規模の学校。先生も5人笑。先生に支えられ、集落の方々に支えられ、森や川、自然に守られて子どもたちは濃密で大切な経験をして日々自分のペースで成長しています。こんなに豊かな子ども時代が過ごせる場所は他にない!と思うくらい。田舎での子育てに興味のある方いらっしゃったら是非お声かけ下さいm(_ _)m
▪️これは、個人的な思いつきにしかすぎませんが…。ここでのびのびと育った方達が、またこの場所に同窓会のような形で集まってくださったらいいなと、ふと思いました。ここで暮らした経験が、山を降りた後もどのような形で生きているのか(活きているのか)、そのことが多くの方達に伝わると良いのかなと思いました。かつてこの針畑で暮らした時の思い出も含めて、きちんと記録にとっておくと、将来きっとこの山の中のコミュニティ作りに役立つのではないかと思いました。なんといっても、40年間、移住者の方たちがやって来られる場所って、すごいと思います。
▪️都会を離れて自然が豊かなところに移住したいと考えておられる若いご家族がおられましたら、ぜひ藤村さんにご連絡をとってみてください。もちろん、私に連絡をくださっても結構です。藤村さんの御一家や、Tさんにおつなぎします。