67歳になりました。
▪️今日は、自分の誕生日です。67歳になりました。子どもの時のように、素直に喜べないのですが、朝からたくさんのお祝いのメッセージをFacebookを通していただき、少しだけ喜びを感じられるようになってきています。ありがとうございます。例年であれば、facebookでお一人ごとにお返事をさせていただくのですが、今年はそのような余裕がありません。どうかご容赦ください。
▪️4月15日、私と同じ日に生まれた方。フランスの社会学者エミール・デュルケームは、1858年4月15日に生まれています。私が生まれたのは1958年4月15日ですから、デュルケームの100年後に生まれたことになります。ジャーナリストの田原総一郎は1934年の4月15日のお生まれです。まあ、誕生日が同じというだけで、「だからどうしたの」と言われてしまうかもしれませんが。
▪️写真は、娘から誕生日のプレゼントとして贈られた盆栽です。フジです。写真のように花を咲かせられるかどうか。それはこれからの私の世話にかかっていますかね。
神戸電鉄のぬいぐるみ
▪️私は、兵庫県神戸市に生まれました。しかし、父の転勤で5歳で神戸から下関に転居しました。父の転勤はその後も続き、下関から小倉、福岡、広島と続きました。当時は今のような単身赴任という制度はなかったと思います。その結果、私は転園と転校を繰り返しました。幼稚園は3つ、小学校は3つ、中学校こそ1つで入学から卒業まで無事に過ごすことができました気が、高校は2つでした。広島の県立高校から、編入試験を受験して、神戸の県立高校に転校しました。それが、兵庫県立兵庫高等学校です。
▪️転校した当初は、神戸市北区に居住していました。その時に、通学に利用していたのが、神戸電鉄でした。地元では、「しんてつ」と呼んでいました。住まいのある山の街駅から電鉄長田まで乗車しました。今でこそ、神戸市営地下鉄北神線が開業して、六甲山の下に建設されたトンネルを通って神戸の中心市街地まですぐに移動できますが、当時、六甲山の裏側(北側)に造成された新興住宅地に住む人は、神戸電鉄を利用するしか通勤・通学の方法はありませんでした。私が神戸電鉄を利用していたのは、記憶では高2の秋までだったのではないかと思います。同じ神戸市内ですが、須磨区に転居したからです。
▪️昨日は、その神戸電鉄に、京都駅前の地下街で出会いました。といっても本物ではありません。神戸電鉄の車両を上手に製作された「ぬいぐるみ」の電車です。麓川壱さんという方が製作されたもののようです。鉄道関係の企業にお勤めで、鉄道に大変詳しい知人が、「よく出来ていますねーディフォルメが上手だと思います」と感想を伝えてくれました。麓川壱さんは、神戸電鉄にまつわるイラストや、神戸電鉄の電車のぬいぐるみの写真をネットに投稿するなどの活動をされています。
▪️ところで、この展示のスペース。下は畳ですね。普段は何が展示してあったのか、思い出せません。確か、お花が生けてあったように記憶しているのですが、違いますかね。仮に、お花が生けてあったスペースに、どうして神戸電鉄なんでしょう。そもそも、ここはどちらの団体が管理されているのかな。このスペースを貸し出しておられるのでしょうかね。
付喪神(つくもがみ)
▪️我が家の洗濯機、30年前のものでした。なんといっても、「National」君ですから。この洗濯機のこと、以前にも投稿しましたね。超長寿で、我が家の衣服を洗濯し続けてくれた洗濯機なのですが、最近は、最後の脱水の時に、ガランゴロンと大きな音を立てるようになってしまいました。しかも、脱水後の衣服に、何やらプラスチックの部品のかけらのようなものが混じっていました。
▪️「これはあかんな。とうとう、これで最後やな」と思い、量販家電で新しい洗濯機を購入しました。今度は、「Panasonic」君です。まあ、同じ会社ですけどね。今までの「National」君なんですが、新しい「Panasonic」君を注文したことを知ってしまったせいか、急に、普通に洗濯してくれるようになりました。なんだったのかな〜、何か不満に思って大きな音を出して文句を言っていたのかな〜。普通に洗濯してくれるようにはなったのですが、ごめんねと、サヨナラをすることになりました。ちょっと心を痛めています。
▪️日本には、付喪神(つくもがみ)がいらっしゃいます。古い道具に宿るといわれる精霊や妖怪を付喪神といいます。うちの「National」君にも、付喪神が宿っておられたのかもしれません。神様が「まだ、きちんと洗濯できたのに、なんで捨てられんとあかんねん」とご立腹されていたら嫌だな〜と、ちょっと気になっています。電気屋さんに言わせれば、洗濯機の寿命は普通は7年まで、長くても10年だとか。30年って、異様ですよね。やっぱり付喪神がいたのではないのかな。ちなみに、今度の「Panasonic」君が30年長持ちするとは思えないのですが、仮に30年使えたとして、私はもうとっくに死んでいます、たぶん。でも、新しい洗濯機、付喪神が宿る前に、壊れてしまうのでしょうかね。
▪️この投稿と同様のことをfacebookに投稿したところ、知人から以下のようなコメントをいただきました。
子供の頃から「全ての物に心が宿る、付喪神さま居られる」と教わって育ちました。例えば「これはそろそろ買い換えよう」という会話は、そのものに聞こえないように話したりしていました。そして、わが家の洗濯機も本当に脇田さんのお宅と同じような状況だったのてすが、それは洗濯機さんが、そろそろ終わるよー準備してーと早めに合図を出してくれて、そして次の子が来るまでは最後の力を振り絞って普段通りに働いてくれたのだと理解しました。我々が不便しないように、付喪神さまも色々考えてくださるのですね。ありがたいことです。
▪️ああ…と感動しました。そうだったのか。「早めに合図を出してくれた」、そう思ったらちょっと涙が出てきました。「次の子が来るまでは最後の力を振り絞って普段通りに働いてくれた」だなんて、とっても感動してしまいます。そういうふうに考えることができる知人の素晴らしさにも感動しました。
地元自治会で防災訓練
▪️今日は、自宅のある自治会で防災訓練がありました。もちろん自治会の主催です。全国を見渡すと、自治会に加入しない世帯が増えているとか、自治会の活動が低下しているとか、いろいろ課題はあるのですが、私のところの自治会はかなり頑張っておられると思います。役員さんは、年度ごとに後退しますが、長年にわたりずっと自治会の番頭さんのような役割をされている方がおられて、その方のおかげで自治会を維持できているように思います。心より感謝しています。
▪️さて、今日は、消防・救急の職員の皆さんがやってきて講師を務めてくださいました。参加者は70人ほどらしいです。この70人の人たちが2グループにわかれて、訓練を行いました。訓練のメニューは2つ。まずは、人が倒れていた時にどうするのか。救急車への電話、周りの人を呼ぶ、胸骨圧迫、AEDの使い方、一通りのことを経験しました。大学でも時々訓練を受けているのですが、これは毎年やらないと忘れてしまいますよね。もうひとつは、毛布と竹棒を使っての怪我人の搬出を実際にやってみることです。70名の参加があったということは、私のところの自治体の世帯数からすると、かなり熱心な方なのだそうです。そうなんだ〜。
▪️次は、3月には「防犯講習会」が開催されます。最近、強盗致傷事件があちこちで起こっています。以前は、侵入窃盗犯は「入りやすく逃げやすい家」を下調べして犯行に及んでいたようですが、闇バイトの従来の「常識」とは関係なく、お金を持っていそうな高齢者のリストを持っていて、そのリストから強盗に入る家を決めるのだそうです。怖い世の中です。そういうリストは誰が作成して、どうして流出するんでしょうね。そこを知りたいな。
孫との遊んで、そして大学時代の同窓会。
▪️孫のななちゃんが、通っている保育園の生活発表会があるということで、ひさしぶりに近鉄に乗って奈良に向かいました。京都では特急「しまかぜ」が、大和西大寺では特急「あをによし」が停車していました。電車が好きな私は、嬉しくなって写真を撮りはしましたが、でも眺めるだけです。乗ったのは普通の特急です。そこが、ちょっと残念。
▪️滋賀は大津でも雪が少しだけ積もっていましたが、奈良はまったく雪の気配がありませんでした。ただ、強い風が吹いていて寒さを感じました。ホールでは、それぞれの年齢の皆さんが、これまで練習してきた劇を見せてくだいました。ななちゃんたちの劇は、「ぽんたのじどうはんばいき」でした。幼児教育の世界の中では、有名な劇のようですね。ななちゃんは主役のタヌキのぽんたです。主役とはいっても、ぽんたは3人います。えっ、どういうこと?? ぽんたは1人なのですが、それを3人で分担して行うわけのです。ななちゃんは、劇が始まった一番最初にセリフを言うことになっていたので、とても緊張したようでしたが、無事に劇を立派にやりきることができました。「ぽんたのじどうはんばいき」のあとは、年齢が1歳ごとに上がっていって、最後は春から小学校に入学するみなさんの「オズの魔法使い」でした。「ぽんたのじどうはんばいき」のななちゃんたちと「オズの魔法使い」の皆さんとは2歳違うだけですが、幼児の皆さんはどんどん成長していくことを実感しました。
▪️生活発表会の後は、野菜たっぷりの昼食をレストランで摂り、娘の自宅で姉のひなちゃんも含めて、いろいろ遊ぶことができました。妹のななちゃんは、以前とは違って、おじいさん(わたくし)と楽しく遊べるようになりました。人見知りが完全に払拭されました。おじいさんとしては、とても嬉しいです〜。ななちゃんには、時折叱られながら(おじいさんが、ゲームのルールがよく分かっていないので)、いろんなゲームをすることができました。百人一首もやりましたよ。姉のひなちゃんは強いです‼︎上の句をちょっと読んだだけで、きちんと札をみつけます。昨年までとは違い、百人一首はマイブーム的には順位を落としているようですが、それでも強いですね。みんな学童保育で身につけていることです。子どもの成長って、ものすごいな〜。
▪️孫たちと交流した後は、関西学院交響楽団の同期の仲間との同窓会でした。香港にいる同級生(学生指揮者でした)が、仕事の本拠地を日本に移すということで、そのための準備で日本に帰国した機会に同窓会を開きました。皆さん、還暦を超えていますので、当然、話の半分は今抱えている健康の問題について熱く語り合うことになるのですが、残りの半分では、ずっとあっていない先輩たちや後輩のことについて写真を見せ合いながら昔話に花を咲かせました。いつも思いますが、こういう仲間がいてくれるということ、とても有り難いです。孫と遊んで、同級生と同窓会を開き、満足した一日でした。
孫のこと
▪️大変私的なこと、個人的なことなのですが…。先日、親族のLINEグループで、娘の誕生日の動画が送られてきました。
▪️娘が自宅のお風呂の掃除をしている間に、孫たち(娘の娘たち、姉と妹)がサプライズで、電気を消したリビングに誕生日ケーキを運んでお祝いをする、そういう企画です。姉のひな子(小2)がそろそろっとケーキを両手に持って暗いリビングを進みます。その前で、妹のなな望(ななみ、4歳、保育園)が、一生懸命、「こっちこっち」と必死になって手を動かして誘導します。娘=お母さんに内緒なので、声を出さずに必死になって誘導していたのです。そこに娘がやってきて、みんなでハッピーバスデーの例の歌を歌ってお祝いをするのですが…。
▪️動画には写っていませんでしたが、妹のなな望は、お風呂の掃除をしている娘のところまでやってきて、「お誕生日の準備まんたんやでー!」と言いにいったようです。そのことを、娘は「かわいい」と思ったのだそうです。おじいさんも、キュンとしました。準備万端が準備満タンなのもかわいいな〜。
建築家・秋山東一さんのこと
▪️建築家の秋山 東一さんから、メッセンジャーで「ちょっと冊子をお送りしたいので、ご住所を教えてください」とメッセージをいただきました。「はて?どのような冊子だろう」と思っていたら、写真のような「スタンダード住宅を目指して」という冊子でした。これは、住宅業界紙「新建ハウジング+1」に連載されたものをまとめたものです。「秋山東一のSTOCKTAIKING スタンダード住宅を目指して」というタイトルで、2008年の10月から2010年の10月まで、10回にわたって連載されました。
▪️秋山さんは、住宅設計でとても有名な建築家です。設計のことは何もわかっていないので、どこまで理解できているのか不安なわけですが、この冊子の中の記事を拝読すると、秋山さんの「住宅をつくりだすシステム」、そしてそのことに伴う「思想/哲学」が、OMソーラーハウス→フォルクスハウス→be-h@usと、進化/深化して来たことがわかります。冊子の中に次のような秋山さんの問題意識が書かれていました。記事のリード文です。
かつて日本の家は社会全体で共有する家づくりのスタンダードがあった。職人は同じ工程わに何度も繰り返すことで腕を磨き、腕の良い職人は全国どこでも活躍できた。住まい手が職人と対等に家を語り、職人の腕を批評することができた。200年、300年と世代を超えて現代に残される建築が生まれたのはまとさにそんな時代だった。これに対して今はどうか。住まい手が家づくりから閉め出され、果てには住まい手を無視してつくり手本位の家づくりが横行する。ここ数十年間の日本の住宅の実際ではなかったか。今日本の住宅に必要なことは家づくりのスタンダードをもう一度取り戻すことにある。
▪️お知り合いになった頃ですから、もう20年近く前のことになると思いますが、このリード文を読んで、秋山さんが「家は買うものではく、建てるものなんですよ」とおっしゃったことを思い出しました(なぜ秋山さんと知り合いになったのか。それは、ブログを通じてなんですが、ここでは省略します)。
▪️さて、このようなスタンダード、「住宅をつくりだすシステム」、「思想/哲学」が縦糸だとすれば、横糸にあたるものは、Macやインターネットの登場、全国の地方工務店の皆さんとの設計道場の取り組み、おもちゃのLEGO、ブリキの模型、大きな鉄道模型、『WHOLW EARTH CATALOG』、定常型社会……なんだと思います。現在は、さらにbe-h@us はBEAHAUSに進化/深化されているようです。秋山さんのインタビュー動画を拝見しました。とても興味深いです。「美しいバラック」。こちらもご覧ください。BEAHAUSについて詳しく説明されています。そして、なぜおもちゃなのかが理解できます。ところで、私が今暮らしている家。住宅メーカーのものです。その中古の家をリフォームして暮らしているので、秋山さんの「教え」はいかされていません。
同窓会とヴォーリズ
▪️昨日は、母校、関西学院大学同窓会滋賀支部の新年会でした。お昼は、近江八幡市安土町常楽寺にある「料理 魚石」さんで宴会を開きました。参加者は、全員で18人。一番年長の方は、1965年卒。今年で83歳になるのだそうです。とてもお元気です。午前中は、長命寺さんにお参りしましたが、あの808段の石段も副支部長に付き添われてご自身の脚で登られました。素晴らしいです。
▪️その次の方は、1973年卒。お話をすることはできませんでしたが、学生運動の時代にキャンパスにおられたことになります。いや、バリケート封鎖でキャンパスに入れないときもあったと思います。その次は1975年卒がお2人。そのうちのお1人は向かいに座っておられた方です。私とは卒業年次が8年違うわけですが、その年代の方だと、キャンパスの記憶が重なるところがあります。Nさんは放送部に所属されていました。「ああ、そういえば、学生食堂の向かい、銀座通りを挟んで向かいに部室がありましたね」というような話をさせていただきました。今のキャンパスは、私たちの頃とは相当違っていますし、とても懐かしいお話ができました。
▪️次は1980年代の卒業生の皆さんになります。1981年卒から1989年卒までの6人。私は1983年卒ですから、この世代になります。サークルの部室があった木造の建物の1階から出火して、私が入学した時の部室は、2階建ての仮設のプレハブでした。建築現場に臨時に事務所として使われているあの類の建物です。今の学生会館は、私たちが卒業して2年後にできあがったのではないかと思います。所属していた交響楽団も、専用の練習場を与えられました。私たちの頃は、体育館の軒下で、暑い日も寒い日も外で練習をしていました。楽器には、特に木製の管楽器や弦楽器には相当まずい環境なのですが、仕方がありませんでした。1980年代は、そういうキャンパスの風景を共有できる年代になります。
▪️この年代の卒業生のお1人は、1年後輩のKさんです。Kさんは、大学にある3つの学生寮のひとつに入っておられました。そこには、交響楽団の親しい後輩も入っていて、そういう関係でKさんとは学生時代から面識がありました。大学院時代の指導教授が同じだった方は、某銀行の頭取になっておられます。大変なお仕事のようですね。
▪️その次は、1990年代の卒業生の皆さんになります。6名おられます。同窓会滋賀支部の支部長、そして副支部長のお2人も、この年代の方達になります。この3人の皆さんのおかげで、同窓会滋賀支部の活動はけっこう活発になってきているのではないかと思います。年に何回かの食事会、それから見学ツアー、そして年1回の総会、自営業のお仕事の傍で、とても熱心に同窓会支部の運営をしてくださっています。本当にありがたいことです。
▪️この年代の方達のうち1995年以降に卒業された方達は、1995年に発生した阪神・淡路大震災の影響を受けておられます。お話はできませんでしたが、お1人は1995年に卒業されています。関学では、在学生15名、理事1名、現・元教職員7名が倒壊した家屋や土砂崩れの下敷きとなって生命を奪われました。当時の状況について、大学が公表している情報から知ることができます。1999年に卒業された方は、1995年の4月に入学されたわけですが、大学の近くで下宿することはできなかったそうです。学生向けの下宿は、倒壊したり、入居できる状況ではなかったのでしょう。
▪️そして、2000年代はお1人、その次は2020年代がお1人。一番若い方は、2020年卒です。とてもお若いのですが、すでにご自身で行政書士の事務所を開業されています。すごいですね。いわゆる世襲ではなくて、ご自身で開業されたのです。バイタリティがあります。それぞれの年代の方達の中に、それぞれのキャンパスライフの記憶があります。しかし、それらの記憶を貫いているのが時計台と中央芝生なのかなと思います。ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計です。母校には、ヴォーリズ研究センターが設置されています。ヴォーリズに関する様々な研究が進められているようです。同窓会滋賀支部では、昨年に引き続き、今年も、滋賀県内のヴォーリズに関する建築について学ぶ講演会やツアーを企画されているようです。楽しみにしています。
参詣曼荼羅
▪️ひとつ前の投稿にも書いたように、昨日は、母校、関西学院大学同窓会滋賀支部の新年会でした。午前中は近江八幡市にある長命寺さんにお参りしました。その際、ご住職と息子さんの副住職さんから、長命寺に関すたくさんのご説明をいただきました。ありがとうございました。
▪️長命寺は、西国三十三カ所第31番札所です。たくさんの参詣者が808段の石段を登ってこられます。上段の左と右の写真は、「参詣曼荼羅」です。もちろん、実物ではなく撮影してパネルにしたものです。かつて、各地でこの参詣曼荼羅で絵説き(描かれていることをひとつひとつ丁寧に説明していく)をしながら、参詣者の勧誘と霊場案内、そして勧進(寄付を募る)を行ったのだそうです。写真を撮っても良いということで、撮らせていただきました。どうでしょう、雰囲気、伝わりますでしょうか。たくさんの方達が、陸路や船でやってこられている様子が描かれています。
▪️中断の2枚は、人間の心を仏教から説明したもの…なのだそうです。きちんと説明しているかどうか自信がないのですが…。人が抱える業の結果として輪廻転生する6つの世界(天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)を表現してあります。この絵図の上半分には、人が誕生して成長し、老いて、最後は死んで骨になるまでの様子が描かれています。そのあとは、6つの世界に輪廻転生していくわけです。仏教的には、ここからどう解脱していくのかということになります。
▪️長命寺は、特定の宗派に属する寺院ではありませんが、天台宗系の単立の寺院です。境内からは、比叡山がよく見えます。比叡山延暦寺は、京都の鬼門の方角に位置するわけですが、長命寺さんはその延暦寺のさらに鬼門の方角に位置しています。偶然なんでしょうけれど。目の良い方だと、びわ湖ホールも見えるようです。私には無理でしたが。そのかわり、琵琶湖大橋、堅田の街並み、三上山(近江富士)についてははっきり確認することができました。
▪️西国三十三カ所第31番札所である長命寺は、日本遺産「琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産-」の「構成文化財」のひとつでもあります。今日は、お話をお聞かせいただき、深く納得しました。
大江千里さんのこと
▪️現在、ジャズピアニストとしてニューヨークで活躍されている大江千里さん。かつては、日本でシンガーソングライターとして活躍されてました。でも、2007年にニューヨークに行って、ジャズに転向されました。
▪️大江さんは、母校、関西学院大学の少し学年が下の後輩になります。彼は軽音学部で、私は関西学院交響楽団だったので、学生会館のどこかですれ違っているかもしれませんね。今日は、その大江千里さんに関連する話題を、偶然、同窓会サンフランシスコ・シリコンバレー支部の投稿で拝見することができました。彼も64歳になったんですね。そらそうだ、私が66歳だからね。今は、ジャズピアニストになってどんな演奏をしておられのでしょうね。
▪️YouTubeに最近の演奏がアップされていました。