大阪中之島美術館「モネ 連作の情景」展
▪️ちょっと前のことになりますが、大阪中之島美術館で開催されていた「モネ 連作の情景」で、モネの作品を鑑賞してきました。美術史の知識があまりありません。モネは印象派で睡蓮の絵を描いた画家…程度の知識しかありません。ということで、良い勉強になりました。モネはサロン(フランスの画壇)に挑戦したとか、なかなかの絵画の売買についても交渉能力があったとか…ああ、そういう人だったのかと認識を新たにしました。結構な「やり手」のように思いました。
▪️また、今回の展覧会では、同じ場所やテーマなんだけど、天候や季節、時間が違っている作品群を比較しながら鑑賞できました。「連作」という手法の意味がよく理解できました。ということで、撮影OKの「連作」の作品を写真に撮ってみました。モネが活躍した時代は、鉄道網が張り巡らされてきた時代のようです。蒸気機関車は当時の最先端の技術です。この蒸気機関車に乗って、人びとはあちこちに気軽に旅行でかけるようになりました。観光の始まりかな。モネも鉄道に乗ってあちこちに旅したので。ただ、モネの場合は、単なる観光ではなく、絵を描くための風景を求めて移動したようです。
▪️晩年に取り組んだ自宅に作った池や庭の風景を描いた作品群で、大胆な筆使いをしていることなどは、モネ自身が白内障を患っていたこととも大きく関係しているのだそうです。このことも考えたこともありませんでした。重い図録も購入したので、時間を見つけて図録をにより復習をしておこうと思います。
オタマジャクシ
▪️娘から、親戚のLINEグループで写真が送られてきました。連休中に、娘の家族がやってきた時に、孫達と一緒に採集したオタマジャクシです。大津市の堅田にある湿地に、たくさんのオタマジャクシが泳いでいたのですが、そこから2匹だけ採集しました。その2匹を、孫たち(小2のひなちゃんと保育園4歳のななちゃん)は奈良の自宅まで持ち帰り観察しながら飼育しています。
▪️オタマジャクシの成長は早いですね。あっという間に、まず後ろ脚が生えてきて、今は前脚が伸びてきました。これって、どういう仕組みになっているんですかね。体の中であらかじめ形ができて、それが外に出てくるんですかね。写真を見ると、左側のオタマジャクシは前脚が出ていますが、右側はまだ出ていません。でも、左よりも右の方が体は膨らんでいるような気もします。体の中に前脚が作られているのかな…妄想ですけど。不思議です。で、カエルになったら、2匹をまた滋賀に回収し、元の湿地に放すことにしています。家人が奈良にいく予定があるので、帰りに回収するのです。これで、いいのかな、たぶん、生物多様性的には。個人的には我が家の庭にいてくれてもいいんですけどね。ご近所は迷惑ですかね、やはり。
【追記】▪️このオタマジャクシのことをfacebookにも投稿しました。そうしたところ、滋賀県立琵琶湖博物館の学芸員をされている大塚泰介さんがコメントを投稿してくださいました。
1枚目の写真で背側線が既に生じていて、それが眼の後方からまっすぐ後ろに伸びているので、ニホンアカガエル確定で良いと思います。
▪️ありがたいですね。さすが、プロは違いますね。ということで、娘にカエルの名前をLINEで伝えました。ニホンアカガエルは、里山のような場所にいるようです。たしかに、このオタクジャクシを捕まえた場所は、元々は、里山の谷間にあった水田をビオトープとして整備した場所でした。普段は、里山や草原のような場所で暮らして昆虫を食べているようですが、産卵の時期は以下のような特徴があるようです。
繁殖期は地域により異なりますが、早春(2月から3月)の最初の降雨で始まることが多いと言われます。繁殖期間は1週間程度から、1ヶ月くらい続くこともあります。水が浅く溜まっていれば、どこでも産卵しますが、おもに水田を産卵場所とオタマジャクシの生活場所としています。
(http://kaerutanteidan.jp/index.php/database/2014-03-27-17-42-12/22-rana/65-ranaj)
▪️もう少しすると、尻尾がなくなっていくのでしょうか。その時がやってきたら、今は奈良にいるこのカエル達も故郷の大津に里帰りすることになります。
嫌な夢
▪️先日みた夢の記録です。夢を記録するといえば、明恵上人(1173-1232)が有名です。彼が19歳の頃から晩年の58歳までみた夢を記録した「夢記」(ゆめのき)がよく知られています。当時の人びとにとって、夢の中身は現実とも結びつく大切なことだったように聞いています。しかしです。それにしても、明恵上人は、よく夢を記憶できたなあと思うのです。というのも、私なんかは、起きたらすぐに夢の内容を忘れてしまうからです。
▪️どんな夢だったのか。ピアノの練習を全くしていないのに発表会の当日を迎え、しかも目の前にあるピアノは他の人(ある大学時代の先輩)が独占していて全く練習ができない…そのような夢を見て目を覚ましたのです。嫌な汗をかきました。現実には、ピアノ弾けないのにね。同じよう夢は、バイオリンでもありました。市民オーケストラか学生オーケストラにエキストラで呼ばれているのに、全然練習ができていないまま本番を迎えるとかも、以前はよく見ました。ピアノとは違って、子どもの頃から30歳に至るまでぐらいは、よくバイオリンを弾いていました。ですから、これは現実に少し繋がっています。先にもかきましたが、夢を見てもすぐ忘れてしまうのです。でも、今回は覚えていました。きっと、「何事もきちんと準備をして臨まないといけない。これは、自分の無意識が自分自身に警告しているのだな」、そう思っておくことにしようと思います。
▪️嫌な夢を見て目覚めたのですが、その後、またウトウト二度寝をしてしまいました。するとまた似たような夢を見たのです。今度は、ジャズのビックバンドのスタジオ録音のような場所でした。私は、大切な譜面(ストリングス)を忘れてしまっているのに気がつき狼狽しているのです。夢の中では、ドムセットやホーンセクションには外国の人たちがいて…。指揮者は、吹奏楽のポップスの指導でお世話になっている編曲の先生。このあたりだけは、少しリアルでした。
▪️このような「嫌な夢」のことをFacebookに投稿すると、お友達の皆様から、いろんな反応がありました。皆さんも、同じような経験をされているというのです。たとえば、「コンサートマスターなのに、オーケストラの本番に遅刻して、すでに演奏会は始まろうとしている。いったいどこからオケにはいっていけばいいのか」とか、「発表会でピアノ前に座った途端、どの鍵盤、どの手から始めるのかわからなくなる、という恐ろしい事態に」とか。どうも、皆さんおっしゃるに、ストレスが溜まっている時に、そのような夢を見るのではないかというのです。今は、特別研究員でストレスが溜まっていることはないように思うのですが、どこかで溜めているのかな…心配です。自分でもよくわかりません。
ミュージアム・美術館・博物館
▪️龍谷ミュージアムでは、春季特別展「文明の十字路・バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰-ガンダーラから日本へ-」が開催されています。6月16日までです。元龍谷ミュージアム館長のうちの学長も相当熱い投稿をXにされています。私もイケメンの弥勒に会いに行く予定です。忘れないうちに、行かなくちゃ。ただし、「龍谷大学関係者」は龍谷ミュージアムで開催するすべての展覧会を無料で観覧できます。この龍谷大学関係者とは、龍谷大学学生(科目等履修生を含む)、龍谷大学学生保護者(親和会員)とその同伴者1名、龍谷大学卒業生(校友会員)とその同伴者1名、龍谷大学教職員 (非常勤講師、アシスタントスタッフ職員を含む)、龍谷大学退職者(専任教職員・特別任用教員)、浄土真宗本願寺派の宗会議員、学校法人龍谷大学理事・監事・評議員の皆さんのことです。ということで、「龍谷大学関係者」の皆さん、ぜひ観覧いたしましょう。
▪️2つめは、京都国立近代美術館で開催されている「没後100年 富岡鉄斎 TESSI」です。この前、日曜日の朝に放送されているNHKの日曜美術館で作品の解説を視聴しました。鉄斎って、「万巻の書を読み、万里の路を行く」、書の人であり旅の人だったんですね。ぜひ現物を鑑賞してみたいと思いました。5月26日までだから、これも忘れないようにいかないといけません。
▪️3つ目は、奈良国立博物館で開催されている生誕1250年記念特別展「空海 KŪKAI ―密教のルーツとマンダラ世界」です。この展覧会も行っておきたいのです。こちらは、6月9日までです。
義母の米寿のお祝い
▪️ 今日は義母の米寿のお祝いを奈良でひらきました。昨年、義父が亡くなりましたが、2人の娘に支えられながら、今も1人で頑張って暮らしています。
▪️義母は子ども世代と孫の世代とのLINEグループに参加しています。日々、ひ孫たち(ひなちゃん&ななちゃん)の写真や動画を楽しみ、子どもや孫とのメッセージのやりとりも楽しんでいます。グループのメンバーの誕生日には、朝一番にお祝いのメッセージを投稿するのが、義母の役割にもなっています。使っているのは、私たちがプレゼントしたiPadです。基本的なことは、使いこなしています。知らないことは、検索して調べたりしているようです。私が、義母と同年齢になった時に、その時代の新しい技術に対応できているのかどうか…。義母を見習いたいと思います。
▪️今日、義母には、花束と全員の写真とメッセージを貼り付けた記念の寄せ書きを送りました。喜んでくれていると思います。写真中央は、挨拶をする義母。これまでは、こういう会の時は、人前で喋るのに慣れているだろうからと、いつも私が司会進行の役をしていましたが、今日から世代交代。息子にお願いしました。息子というか、息子や娘、そして従兄弟たちの世代(義母の孫の世代)に任せたということですね。
▪️また、いつもは、それぞれの家族がまとまって着席していましたが、今日は、男女に分かれました。結婚や婚約を機会に、新しく連れ合いやパートナーが参加するようになったので、お互いにもっと話ができるようにとの配慮のようです。男性の方のテーブルは、義理の弟、息子、義理の息子、甥2人。いつの間にか大人の会話ができるようになっていました。一番年下の甥も30歳になりましたからね。ちょっと、1人静かに感激していました。
▪️次回は、何のお祝いの会になるのかな。(写真、画素数落としています…。)
関西六大学・龍産戦
▪️金曜日、ひさしぶりに阪急に乗りました。若い頃は、私鉄といえば阪急がメインでした。通学で利用していました。その後、結婚して住まいが阪神間から遠ざかり、奈良に暮らしている時は近鉄を利用することになりました。そして今は大津です。というこで、今利用の頻度が高い私鉄は京阪です。ということで、なんだか懐かしかったわけです。この写真の特急は、観光用ですかね。特急料金はありません。通常の運賃だけです。ただ、この日は「西京極駅」までの移動だったので、残念ながら乗るのは、この特急の次にやってきた準急でした。
▪️なぜ西京極駅に行ったのかといえば、この日、関西六大学連盟の「令和6年度春季リーグ」・「龍谷大学 対 京都産業大学」の試合が、西京極にある「わかさスタジアム京都」で行われたからです。昨年も龍谷大学硬式野球部の応援にきましたので、2年連続での応援になります。今年は部長をしていませんが、吹奏楽部も応援の演奏しており、部員の皆さんを労いたいという気持ちもちろんありました。
▪️さて、試合の方ですが、15時開始の予定でしたが、実際に2時間ほど遅れて始まりました。結果の方ですが、残念ながら1-3で負けてしまいました。何か、チームワークの歯車がうまく噛み合っていないような感じでしょうか。吹奏楽も素人ですが、もちろん野球はもっと素人なんです。素人の印象論にしかすぎませが、そのように感じました。この翌日も、京都産業大学との試合でしたが、翌日も敗戦でした。ということで、今季は、6連敗になります。ちょっと、厳しい状況ですね。どこに原因があるのでしょうか。硬式野球部の皆さんには、チームを立て直して、残りの試合を頑張って欲しいと思います。
ダマートグラフのキャップ
▪️仕事で本を読む時、ラインマーカーやこのダマートグラフを使うことがあります。使ったり使わなかったり、基準のようなものはありませんが、その時の気分で使っています。特に、しっかり読もうという気持ちのある時はそうなるのなか。ほんに線を引くことは、本を痛めてしまうことでもあので、気持ち的には微妙なんですけど。古書として他の方にお譲りしたり、古書店に売却したり、そういう場合は線を引いていない本でないといけませんので。
▪️話をダマートグラフに戻しましょう。この色鉛筆、紙巻きですから、糸を引っ張って紙をクルクルって外すんです。するとワックスを含んだ芯が現れます。紙巻きなんで、鉛筆削りが不要で便利なんですが、問題はそのまま持ち歩くとすぐに芯が折れてしまうことなんです。「鉛筆のキャップを使う」ということも考えたのですが、ダマートグラフは太いので、通常のキャップは使えないのです。何か良いキャップの代わりはないかなあと思っていたところ、偶然このキャップを見つけました。これは、小さなお子さんが字を練習する際の太めの三角の鉛筆にかぶせるキャップなのです。ダマートグラフにぴったりのサイズでした。
庭の世話ができないと…
▪️今週は仕事で忙しくしていたので、庭の世話がなかなかできませんでした。この季節、シマトネリコの古い葉が黄色になって大量に落ちてくるので、2日掃除をしないと、結構大変なことになってしまいます。今日は、箒で履けないところは手で落ち葉を拾いながら、雑草を抜き、亀の飼育箱の水を換え、庭全体に水をやりました。
▪️少しずつタイミングをずらしながら、いろんな種類の花が咲いています。シバザクラはもう終わりですね。完全に終わったら、1株ごとに剪定をする予定です。シャガも終わりが見えてきたかな。写真ですが、1段目左はラベンダーです。今年は昨年以上にたくさんの花が咲きました。少し背丈が大きくなってきたので、剪定もしなくてはいけません。1段目右、ヒューケラです。ヒューケラは葉を楽しむ品種ですが、このような細い茎を伸ばして、小さな花が咲きます。2段目左、コデマリです。漢字で書くと小手毬。小さな円形の花が10~20輪ほど集まって手鞠状になるからのこの名前なのでしょう。2段目右、スズランです。親戚の家の庭にたくさん咲いているのを一ついただいてきて、昨年移植してみました。今年も無事に咲いてくれました。3段目左、家族が作った寄せ植えです。勢いが出てきました。3段目右、最後の白い花はヒメウツギ。たくさんの昆虫達が蜜を求めて集まってきます。他の鉢植えは、少し摘心(ピンチ)して夏場にたくさんの花をつけてしっかり咲いてくれるように世話をしました。写真はありませんが、シランも咲いています。また、ジャーマンアイリスが蕾を作り始めました。
▪️ このように次々に花が咲いてくれる庭を私自身が作ったわけではありません。こういうふうに花が順番に咲く庭に、お世話になっている庭師さんが設計し造ってくださったのです。私は、その設計がうまく実現するように世話をしているだけなのかもしれません。
山仲善彰さんの告別式
▪️かつて滋賀県庁に勤務され、野洲市長も務められた山仲善彰さんが、4月28日にお亡くなりになりました。享年73歳。本日、野洲市の野洲川斎苑で告別式が営まれました。私も、山仲さんとのお別れをしてきました。
▪️この写真、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」の私の芋焼酎のボトルにぶら下がっているカードの束の中の1枚です。2005年6月13日に、山仲さんと一緒に飲んでいることがわかります。今から19年前ですね。私は2004年から龍谷大学に勤務していますので、2年目ですね。おそらく、滋賀県庁の琵琶湖漁業環境動態調査会議か、面源負荷削減対策検討委員会に参加した頃の、それらの後の呑み会かと思います。この日、新しく芋焼酎の一升瓶をキープしました。「利やん」では、ボトルをキープするたびに写真を撮ることになるので、こうして記録が残るのです。この時は、当時、滋賀県立大学に勤務されていた國松孝男先生と一緒の「呑み」だったのですね。みんな、若いです。私などは、髪もふさふさ真っ黒、髭も真っ黒です。
▪️山仲さんとは、この時以外にも酒席をご一緒させていただきました。この時が一番最初だったのかな、記憶がはっきりしません。山仲さんは、頭の回転がとても速く、ストレートに発言される方でした。そのようなこともあり、受け止める方達の印象は様々だったと思いますが、私はそういう山仲さんと仲良くさせていただきました。もっと、山仲さんと一緒の「呑み」の機会が欲しかったですね。もっとお話を伺いたかったです。残念です。
▪️山仲さんは、野洲市長を3期12年お勤めになりました。これは、8年前の投稿の掲載した写真です。真ん中で膝をついておられるのが山仲さんです。この時は、野洲市長として、このような手作り感満載の「ヨシ群落保全基本計画等見直し検討会」にもご参加くださいました。これは「ヨシ群落保全審議会」メンバーの方達が集まって行ったワークショップです。山仲さんは、滋賀県庁に勤務されていた時は、琵琶湖環境部長をお勤めになっていましたから、知識と経験を豊富にお持ちで、審議会でも非常に積極的にご発言いただいていましたが、公務がご多用の中、この検討会にもご参加くださり、他の皆さんと一緒にワークショップにも取り組んでくださいました。
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新しい歯ブラシ
▪️昨日は、歯の定期検査でした。掛かりつけの歯科医院で、歯科衛生士さんに歯のチェックと掃除をしていただきました。3ヶ月ごとにお願いをしています。今のところ歯茎に問題はないようですが、加齢とともに歯茎が後退していくのは仕方のないことのようです。そのため、エナメル質のない象牙質のところが少し現れてきて、そこがよく磨けていないというご指摘をいただきました。そこから虫歯になったりするので要注意です。
▪️昨日は、歯の磨き方に着いても丁寧にご指導いただきました。また、プラスチックの厚みが薄い歯ブラシを使い(写真の左)、歯茎に対しては45度の角度に毛先をあててハブラシを5mm幅程度で動かすことで、歯と歯茎の隙間をきれいにすることができるということも教わりました。また、歯並びの悪いところについては、隙間を磨くための専用の歯ブラシ(筆みたいな感じ/写真の右)についても紹介してもらいました。ということで、早速、購入して昨晩から使っています。糖尿病は万病の元と言われますが、歯は健康の元ですからね。最期まで、自分の歯で食事ができるように歯のケアには勤めたいと思います