Maria João Pires(マリア・ジョアン・ピレシュ)


▪︎ヴァイオリン、チェロ、そして時にはヴイオラなど、弦楽器の協奏曲はよく聞くのですが、不思議なことにピアノ協奏曲をあまり聞いてきませんでした。自分自身が弦楽器を弾いてきたこととも関係しているのかもしれません。ところが、今日は、facebookでたまたま「Deutsche Grammophon」の記事が目にとまりました。MARIA JOÃO PIRES(マリア・ジョアン・ピレシュ)というポルトガル出身の大変有名なピアニストの、「COMPLETE CONCERTO RECORDINGS」というCDのセットが発売されますよ…という広告のような記事です。このような説明がありました。

New box set featuring Maria João Pires’ Complete Concerto recordings released this month! This new collection displays the great Portuguese pianist in the music of three composers who have always been close to her heart – Mozart, Schumann and Chopin – and whose intimacy of scale is ideally suited to her distinctive musicianship. Explore and purchase here: http://bit.ly/PiresCompleteConcertos

▪︎さっそく、このボックスセットを予約しました。う〜ん、なんででしょうね。「今でしょ…」と誰かに背中を押された感じです。facebookに投稿したところ、ビアニストでもある知人の奥様が、「生で聴きました。オールショパンノクターンでしたが、尊敬するピアニストのひとりです。生き方としても」、「後輩育成に、人間性を磨く。音楽だけでは無いよ、と共同生活して料理なんかしてました」とコメントをしてくださいました。指導者・教育者としても、著名な方のようですね。少し調べてみました。すると、ヤマハの公式サイトのなかに、彼女を紹介する記事が掲載されていました。そこには、次のような記述がありました。この記事のなかでは、Piresをピレシュではなくピリスと表記されています。引用したのはごく一部です。とっても素敵な女性だ…と誰しもが思うのではないでしょうか。

ポルトガル出身のピアニスト、マリア・ジョアン・ピリスは、とても素朴で真摯で温かい心をもった人である。彼女は「音楽は神への奉仕」と考えている。それゆえ、作品に余分な解釈を付け加えたり、余計な装飾を加えることはいっさいしない。作曲家が意図したものをひたすら追求して楽譜を深く読み込み、自らのテクニックと表現力を磨き上げ、作品の内奥へと迫っていく。

だからだろうか、ピリスの演奏はいつ聴いても心に深く響いてくる。神に奉仕しているピリスのかたわらで頭を垂れ、ひざまづき、全身全霊で音楽を聴き、また、祈りを捧げているような気分になるのである。そして終演後は、心が浄化したような思いを抱き、脳が活性化したような気分になる。

彼女はこれまでの長いキャリアのなかでさまざまな経験をしてきたわけだが、1970年以降それらの経験を生かすべく芸術が人生や社会、学校に与える影響の研究に没頭し、社会において教育学的な理論をどのように応用させるか、その新しい手法の開発に身を投じてきた。

▪︎トップのYoutubeの動画は、トレヴァー・デイビッド・ピノック(Trevor David Pinnock)の指揮によるモーツァルトの最後の「ピアノコンチェルト27番 変ロ長調 KV595番」です。最後とは、モーツァルトが亡くなった歳に作曲されたということです。演奏のあと、アンコールでは、ピレシュとピノックが連弾をしています。ピノックは、チェンバロ・オルガン奏者でもあるらしいので、なるほど〜という感じです。ピレシュは、今年で70歳のはずです。とってもチャーミングな女性のように思いました。

【追記】▪︎ピレシュを紹介する記事のなかで、以下のところが気になりました。彼女が初来日したのは1969年。46年も前のことです。以下は、彼女の印象です。

初来日したときに、もっとも強く感じたのは日本人の勤勉さ。自分の仕事に生涯を賭けて取り組む姿勢には驚きました。なんと一途で真摯で前向きな人たちなのだろうと。それが徐々に西洋の影響を受け、特にアメリカの影響が大きいと思いますが、西洋のものはすべていいと判断するようになったように思われます。日本のよさがかすんでしまうほどに、その気持ちが強くなっていった。でも、いまはまた自分たちのよさ、アイデンティティを取り戻しつつあると感じています。

▪︎フランスの人類学者レヴィ=ストロースは、自らの講演のなかで、日本人の労働観は西欧とは異なり、労働を通じて神との接触が成り立ち、維持され、保ちつづけられているという趣旨のことを述べています。このような日本人の仕事に対する姿勢は、ピレシュの「音楽は神への奉仕」という考え方と相通じるところがありますね。とても興味深いです。日本人の労働観に、ピレシュは自分の音楽に対する姿勢を重ね合わせたのかもしれません。しかしピレシュは、そのような日本人独特の労働観がアメリカを中心としたグローバリゼーションのなかで薄まっていったことを危惧していたようです。しかし日本人は、再び、そのようなアイデンティティを取り戻しつつある…そうであったらいいなあと思います。唐突な印象をもたれるかもしれませんが、ピレシュの感じた日本人の労働観は、浄土真宗でいうところの妙好人の労働や生活倫理とも相通じているように思います。

▪︎話しはそれますが、労働観が違う人と一緒に組織のなかで働くとき、いろいろ齟齬がおきますね。もう、本当に残念なことが多いです。

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