西宮北口、「春の唄」、そして「涼宮ハルヒ」。

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■昨日は、前回のエントリーにも書きましたように、後輩である坂本勝くんの「絃楽器工房MASARU」を訪ねました。写真は、坂本くんの工房から見える阪急の西宮車庫です。工房は、阪急・西宮北口駅の近くにあるACTA西宮にあることから、このような景色を眺めることができます。もちろん、このような景色をみて「萌える」のは、鉄道好きだけですけどね。

■ところで、阪神淡路大震災前のことになりますが、現在、坂本くんの工房がはいっているACTA西宮の場所には、市場がありました。本市場と復興市場というらしいのですが、古い市場が2つありました。はっきりは記憶していませんが…。当時は、この西宮北口を経由して大学に通学していたので、所属していた学生オーケストラ(関西学院交響楽団)の練習が終わったあと、市場のなかにある「お好み焼屋」によく出かけました。このエントリーに登場している連中とは、よく出かけました。当時、酒といえば、瓶ビールと燗酒しかありませんでした。みんなお金がないので、途中で「おばちゃん、いま、お勘定はなんぼぐらいになってますか?」と手持ちの資金を気にしながら、「よし、まだいける」と、焼きそばやお好み焼きをアテに呑んでいました。

■記憶にかすかに残っているこの市場のことが気になり。少し調べてみました。民俗学の森栗茂一さんのブログ「森栗茂一のコミュニティ・コミュニケーション」に「春の唄と阪急西宮北口駅商店街」というエントリーがありました。学生の皆さんは、「春の唄」といってもよくわかりませんね。戦前の歌ですから。私自身は、テレビの懐メロ番組によく登場していたので、小さい頃から耳にしていましたから、歌詞はおぼえていませんが、メロディはなんとかわかっています。それはともかく、森栗さんのブログによると、この「春の唄」の歌詞に登場する市場は、西宮北口の市場だというのです。そうか~知りませんでしたね。

■それから、もうひとつ。これは最近の話題です。最近すぎて、私にはついていけていなかった…のです。といっても、10年前ぐいかな…。ライトノベルとよばれる文学のジャンルがありますが、そのライトノベルで人気の「涼宮ハルヒ」シリーズ(作・谷川流)に登場する街のモデルが西宮なのだそうです。このシリーズ、読んだことは一度もありませんが、この小説のなかには「北口駅」が登場します。西宮北口駅がモデルなのだそうです。この「涼宮ハルヒ」シリーズは、アニメにもなっているそうですね。ネットで調べてみると、いわゆる「聖地巡礼」されているファンの皆さんのレポートがたくさんありました。

■「春の唄」は国民歌謡、「涼宮ハルヒ」は人気ライトノベル。こういった、それぞれの時代のサブカルチャーと地域社会との関係。最近、関心をもつ学生が少しずつ増えて相談にきます。自分の身近な趣味的な関心の向こう側に、社会的な現象や課題があることに気がついてくれているのでしょう。このあたりのことも、どう指導していくのか、自分自身のためにも、もう少し勉強しなくてはいけませんね…。

【追記1】■まち歩き・散歩と文学に関しては、「東京紅團」というサイトがあります。

【追記2】■森栗さんのブログのエントリーに登場した「春の唄」>市場が登場するのは2番。歌詞は、以下の通りです。坂本くんの工房のはいっているアクタ東館と、その向いの西館のあいだに広場がありますが、そこにこの「春の唄」の記念のプレートがあるとの情報をつかみました。こんど坂本くんの工房にいくときに、確認してみます。

ラララ青い野菜も 市場について
春が来た来た 村から町へ
朝の買物 あの新妻の
かごにあふれた 春の色

■「春の唄」の作詞・は喜志邦三、作曲は 内田元。森栗さんの解説によれば、2人とも東京の出身ですが、西宮北口に住んでいました。喜志は近くにある神戸女学院の教授(現在では、西宮北口のひとつ北にある門戸厄神が最寄りの駅)、内田も新天地を求めて関西に移ってきたのだといいます。阪急沿線の西宮北口に住居を求めたわけですね。「春の唄」は昭和12年(1937年)ですが、駅の開業により農村地帯が住宅開発が始まっていたのでしょうね。wikipediaの「西宮北口駅」では、こう解説されています。

開業時、駅は西宮町(1925年に市制施行で西宮市となる)の市街地から大きく離れ、武庫郡瓦木村(1942年に同市へ編入)に属する農村地帯に存在したが、当初より「瓦木」ではなく「西宮北口」を名乗った。

■もう少し、このあたりの歴史を知りたくなりました。西宮市史等、少し読んで調べてみようかなと思います。

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