黒子に徹する潔さ

■塩漬けになっている個人ブログのエントリーの虫干しをしておこうと思います。「黒衣に徹する潔さ」というエントリーです(一部省略しています)。
http://blue.ap.teacup.com/wakkyken/680.html

「黒子に徹する潔さ」

20121227mirin.jpg ■前回のエントリーでも報告したように、週末、岐阜県に出かけてきました。そのさい、NPO法人「アツマールぎふ」の監事さんの車に乗せていただき、目的地である岐阜県白川町に移動する途中で、道路沿いにある1軒の酒屋に立ち寄りました。酒屋だけど、小田巻きという岐阜地方のお菓子を売っている「小田巻き屋」という名前のお店です。そこで、お土産に買ったのが、左の写真の「福来純三年熟成本みりん」です。木曽川と飛騨川が合流するあたりにある川辺町の白扇酒造さんで製造されている味醂です。お店の窓ガラスに、ある雑誌(JR東海の広報誌でしようか?)に掲載された「福来純三年熟成本みりん」に言及されたエッセーのコピーがはってあり、それを読んでおもしろいなと思ってしまったからです。料理研究家・大内侯子(きみこ)さんが書かれたものでした。

■大内さんのエッセーでは、この「福来純三年熟成本みりん」に関して、次のようなことが書かれていました。
——————————————
「料理に使ってみて、もう一度驚いた。野菜の煮物や煮豆も、柔らかな味が醸され、不思議なばかりにおいしくなるのだ。しかも味醂の味は表には出ず、素材を支える黒衣に徹する潔さ。それまであまり味醂を使わなかった私が、この味醂と出合って以来、野菜やひじき、豆などの乾物類、魚、といろいろな煮物にどに重宝し、欠かせなくなってしまった。」
——————————————

■ビビビッときました~。「味醂の味は表には出ず、素材を支える黒衣に徹する潔さ」の部分です。この部分を読んで何を連想したかというと、食と料理とはまったく関係のない地域づくりのことだったんですね。

■最近、地域づくりに関してお話しをさせていただくことがふえてきました。そのようなとき、関係者のあいだで、次のようなことがよく話題にのぼります。大企業を退職された男性が、ご自分がお住いの場所で、地域づくり活動を通して「地域デビュー」されるときに、過去の大企業にお勤めだったときの役職等にこだわってしまうということです。「私は、○○株式会社の部長までやった男なのだ!!」なんてことを直接言わないにしても、このような思いが態度に出て、地域づくり活動でのコミュニケーションがうまくいかないのです。退職とは人生の大きな節目ですから、社会的役割を再定位していかなくてはいけません(たとえば…「大企業の部長から地域ボランティア」へという具合に)。それがうまくできないのです(この点、女性のばあいは、あまりこういう話しは聞きません。まったく聞かないわけではありませんが)。

■また、地域デビューしたとしても、「自分が持っている知識や経験を地域づくりに活かそう」という気持ちはよいのですが、それが「おれが教えてやる」「おれが指導してやる」、あるいは「こんなこともわかないのか」というような感じにふるまってしまうことで、結果として、思いが空回りして、地域活動がうまくいかなくなることもあります。周りから人も離れていきます。厳しい企業社会で活躍されてきた皆さんですから、つい、そんな感じになってしまう人もおられる、というわけなんですね~。なかなか、難しいものですね~。

■まあ、こんなこともありまして、講演では、「地域づくりの黒衣(黒子)になりましょう」ということをよくいいます。地域社会のなかには、様々な知識・経験・能力をお持ちの方たちがいらっしゃいます。地域のかかえる課題にあわせて、そのような皆さんが出会う場や、参加される方たちが活躍できる場をつくりあげていく、地域づくりの「場」をデザインしていくことを目指す「黒衣(黒子)」になろうよ、ということです。「おれが、おれが!!」という人たちばかりがぶつかりあっていては、地域づくりは、うまく進みません。それは結局、地域社会のある種の権威やリスペクツ(あるいはヘゲモニー)をめぐる争そいになっちゃっているわけですから。まあ、そんなわけでして、「味醂の味は表には出ず、素材を支える黒衣に徹する潔さ」という文章にビビビッときてしまったわけなんですね。もちろん、こんどからは、「『福来純三年熟成本みりん』のようになりましょう!!」っていうわけにはいかないですけれど。

20121227murakami.jpg ■こんなことを書いていると、先日読了した、内田樹(うちだ・たつる)先生の『村上春樹にご用心』のことを思い出してしまいました。この本、内田さんが運営しているブログで村上春樹について言及しているエントリーもとにつくられたようです。amazonでのレビューの評価、極端にわかれています。私は楽しんで読みました。この本は、村上春樹について語ってはいますが、村上春樹の作品論として読んではだめでしょうね。村上ファンでありレヴィナスの研究者である内田さんが、村上作品を通して、自らの思想を語っているわけですから。内田さんの本が持っている面白さとは、難しい表現であれやこれやと蘊蓄をたれるのではなく(衒学的でなく)、シンプルかつクリアな視点から、森羅万象をサクサク解き明かしていく、まあそんな感じですかね、私のばあい。この『村上春樹にご用心』も、そうです(もちろん、このは内田さんの「読み」であって、別の「読み」が可能であることはいうまでもありません)。

■物語、父の不在(真理や神の不在)、身体、死者とのコミュニケーション、批評家と春樹…キーワード的に見れば論点はいろいろあるのですが、内田さんのいいたいことはひとつ。なぜ、村上春樹は世界中で読まれるのか。本の帯には、こう書いてあります。「ウチダ先生、村上春樹はなぜ世界中で読まれるんですか? それはね、雪かき仕事の大切さを知っているからだよ」。村上春樹に影響を与え、彼自身も翻訳をした『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(サリンジャー)で主人公のホールデンがいうところの「ライ麦畑のキャッチャー」と雪かき仕事って同じことです。ちょっとだけ、引用してみます。

—————————————–
 世の中には、「誰かがやらなくてはならないのなら、私がやる」というふうに考える人と、「誰かがやらなくてはならないんだから、誰かがやるだろう」というふうに考える人の二種類がいる。「キャッチャー」は第一の種類の人間が引き受ける仕事である。ときどき、「あ、オレがやります」と手を挙げてくれる人がいれば、人間的秩序はそこそこ保たれる。
 そういう人が必ずいたので、人間世界の秩序はこれまでも保たれてきたし、これからもそういう人は必ずいるだろうから、人間世界の秩序は引き続き保たれるはずである。
 でも、自分の努力にはつねに正当な評価や代償や栄誉が与えられるべきだと思っている人間は「キャッチャー」や「センチネル」の仕事には向かない。適正を論じる以前に、彼らは世の中には「そんな仕事」が存在するということさえ想像できないからである。(29~30頁、センチネル:見守る人)
——————————————
——————————————
「センチネル」たちの仕事は、『ダンス・ダンス・ダンス』で「文化的雪かき」と呼ばれた仕事に似ている。誰もやりたがらないけれど誰かがやらないとあとで他の人たちが困るような仕事を、特別な対価や賞賛を期待せず、黙って引き受けること。そのような、「雪かき仕事」を黙々と積み重ねているものの日常的な努力によって、「超越的に邪悪なもの」の浸潤はかろうじて食い止められる。政治的激情や詩的法悦やエロス的恍惚は「邪悪なもの」の対立項ではなく、しばしばその共犯者である。この宇宙的スケールの神話と日時用生活のディティールをシームレスに接合させた力業に村上文学の最大の魅力はある。それを世界各国語の読者とともに享受できることを私は深く喜びとする。(10~11頁)
——————————————

■「三年熟成本みりん」⇒「黒衣(黒子)」⇒「キャッチャー」/「センチネル」⇒「雪かき仕事」。飛躍はあるけれど、私の連想は、こういうふうに展開したのでした。「雪かき仕事」っていうと、私のばあいは、岩手にいたときのことを思い出してしまいます。同僚A君の奥さんは、雪深い山形県の出身です。雪国とはいっても、積雪量が山形ほどではない岩手。でも、奥さんは、朝暗いあいだに起きて、積った新雪をせっせとかき出して、朝、通学する子供たちのための道を確保されるのです。住んでいたのは、大学の教員住宅。雪がふっても雪国出身でない地域の人たちもいたりして、山形のようにだれもが雪かきを積極的に行うわけではありません。でも、A君の奥さんは、「なんで、他の教員やその家族は、雪かきしないの!」なんてことは言わずに、あたりまえのように、せっせと雪かきをされるのでした。よくわかります、村上春樹や内田さんが「雪かき仕事」ってよぶことが。

■「三年熟成本みりん」⇒「黒衣(黒子)」⇒「キャッチャー」/「センチネル」⇒「雪かき仕事」、こういう私たちの世界の持つ「豊かさ」を、今の社会の在り方はますます縮小させていく方向に動いています。だからこそ、大学で、現代GP「大津エンパワねっと」の企画をして推進メンバーになったり、岩手や岐阜にも出かけていくんでしょうね。そして、こんな世の中だけれど、「三年熟成本みりん」⇒「黒衣(黒子)」⇒「キャッチャー」/「センチネル」⇒「雪かき仕事」に励む人たちとの出会いから多くのこを学ばせていただき、勇気いただけることで、なんとか頑張っていられるのかなとも思います。地域づくりの現場でおあいする皆さん、いつも、どうもありがとうございます。

管理者用