課題発見から解決(ないしは軽減)へ

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▪️金曜日の2限は「地域エンパワねっと」(社会学部・社会共生実)です。前期で、地域の皆さんのまちづくりの活動に参加しお話を伺う中で自分たちの課題を「発見」しましが、後期では、そのことを地域皆さんとの連携や協力の中で「解決」(ないしは軽減)していき、生み出された成果を最後には地域の皆さんと「共有」できるように頑張ります。

▪️手前の2人が「浜大津こだわり朝市」に参加させてもらっている2人組です。4年生です。もう1人、3年生がおられるのですが、今日は企業でのインターンシップがありお休みです。真ん中は、中央学区自治連合会傘下の「子ども会育成連絡会議」の活動、「キッズクラブ」に参加させてもらっているチームです。4年生が1人、残りは4人は全員3年生です。良い雰囲気です。ただし、期間は年度末まで。最終の予定された成果まで、どのような作業やプロセスを経て辿り着けるのか。それをおよそのスケジュールに落とし込んで考えていかなければなりません。今日は、その作業に取り組んでもらいました。

▪️一番奥の皆さんは、同じく社会共生実習ですが、「お寺の可能性を引き出そう!―社会におけるお寺の役割を考えるー」という実習です。宗教社会学を専門にする教員が指導されています。後期の「社会共生実習」では、プロジェクトが2つしかありません。社会学部は新カリキュラムで「社会共生実習」を謳っていますが、そのすべてがPBL型の実習ではありません。現在の旧カリキュラムのなかの、コミュニティマネジメント学科が実施しているコミマネ実習と現在の「社会共生実習」が合体していくのだとは思いますが、これからPBL型の実習がどうなっていくのか少し心配です。とはいえ、定年退職するので心配する立場ではありませんが。

最後の定期健康診断

▪️今日は朝9時から職場で定期健康診断でした。ということで、いつもより早く起床して、朝食抜きでトイレに篭もりました。便潜血検査に自分の○○○をちびっと提出するためなんですが、朝食抜きだとお腹になかなかその気配が生まれてきません。時間がかかりました。お腹のエンジンがかかっていないものですから。9時からの定期健康診断は流れ作業のように次から次へと進み、最後がバリウムによる胃検診でした。あの固い台の上で、身体を回転させたり、うつ伏せにになったりするのは、私のような老人にはかなり辛いものがあります。とはいえ、このような職場の定期健康診断は、今回で最後になります。

▪️定期的健康診断にしろ、人間ドックにしろ、きちんと定期的に検査すること、本当に大切なことだと思っています。私、過去に定期健康診断を多忙を理由にさぼったいたことがあります。これ自体完全にルール違反なんですが。その期間に、血糖値が高まり、医師から「立派な糖尿病です」とお墨付きをもらえるまでになってしまっていました。もう少しで教育入院するところでした。教育入院とは、生活習慣病などの正しい知識や自己管理スキルを短期間で集中的に学ぶための入院プログラムのことです。

▪️その時は、ぎりぎりで教育入院せずにすみましたが、大いに反省しました。「きちんと定期健康診断を受けて、早めに治療を行なっていればこんなことにはならなかったのに」、本当に深く反省しました。ということで、徹底して減量して4ヶ月で10kg痩せました。HbA1cの数値も、医師が「無理しないでくださいね」と言われるぐらいに4ヶ月で正常値にまで下げました。そして、糖質をできるだけ摂取しない食生活に身体を慣らしていきました。糖尿病は一生付き合わねばならない病気です。完治はありません。ただ、血糖値等の数値をきちんとコントロールしていくだけなのです。血糖値やHbA1cの数値を確認するためりの毎月の定期的な血液検査と、職場の定期健康診断。この2つで身体をチェックしているわけですが。来年度からは、定期的な血液検査と人間ドックを受診することになると思います。一度、脳ドックもきちんとチェックしておきたいと思っています。

「小湊鐵道」と「いすみ鉄道」

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▪️市原市に暮らしている大学時代の後輩のところに遊びにいったさい、「小湊鐵道」のことを知りました。そしてこの「小湊鐵道」と接続し、九十九里浜まで走る「いすみ鉄道」のことも知りました。今回、この「小湊鐵道」と「いすみ鉄道」が台風で大被害を受けたとこと知りました。特に「小湊鐵道」は復旧までに1年以上かかるようです。しかし、それでも、「必ず復旧させるぞ」という強い気概が会社から伝わってくるのです。なにもできませんが、せめてもとの思いから「小湊鐵道」のカレンダーを購入させていただきました。また、「いすみ鉄道」については、クリアファイルを購入させていただきました。

「丸木スマ展 73歳からのアーティスト」(滋賀県立美術館)

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▪️滋賀県立美術館では、2026年9月11日(金)から「丸木スマ展 73歳からのアーティスト」が開催されています。会期は11月23日(月・祝)です。以下は、概要です。

丸木スマ(1875–1956)は、広島県生まれ。1948年、家族のすすめで、73歳から絵を描き始めました。身近な自然や生き物を描き、1950年以降、女流画家協会展や再興日本美術院展などに入選。専門的な美術教育を受けていない高齢の女性が、異例の画壇デビューを飾ったことは、当時の美術界に大きな衝撃を与えました。
 華々しい快挙を成し遂げたスマですが、そのわずか数年前、70歳のときに広島に原爆が投下され、スマは爆心地から2.5キロメートルで被爆しました。奇跡的に生き延びますが、その翌年には夫と死別するなど、過酷な人生の局面を迎えます。そして終戦から3年後、スマは絵筆をとり、81歳で没するまでの間、ひたすらに描き続けたのです。
 本展では、初期から晩年までの作品や関係資料を、約130点のボリュームで紹介します。自由奔放でユーモラス、ときに目がくらむほど色鮮やか──多くの失われた命を目の当たりにした彼女が描いた、草、花、生き物、そして人々の姿。生命力に溢れた絵の数々は、複雑な現代社会を生きる私たちへの力強いエールとなることでしょう。

盛岡の「見聞録」

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▪️研究室の書架に飾ってある絵葉書とマッチ箱です。絵葉書は、2005年9月28日の消印です。21年前になりますね。これは、かつて盛岡市の南大通にあった「見聞録」というスコッチウイスキーのバーのマスターが、スコットランドから送ってくれた絵葉書です。宛先は、私の自宅ではなく大学(瀬田キャンパス)です。当時、私は助教授でした。2006年に教授に昇任しました。ということで、「脇田健一助教授」と書いてあります。裏には、スコットランドのお城が写っています。書いてあることからも伝わってくると思いますが、マスターは現地の蒸留所や海外のオークションに自ら足を運んでウイスキーを集めていました。日本でも指折りのウイスキーコレクターでした。

▪️岩手県立大学に勤務している時、この「見聞録」のマスターにはずいぶん可愛がっていただきました。いろいろウイスキーの味見をさせくださいました。岩手県にはその後も行く用事もあったのですが、用事がおわったらすぐに関西に戻らねばならなかったりで、盛岡に追加1泊して「見聞録」にお邪魔するこができませんでした。「見聞録」は、2016年に閉店されたようです。もう、どう連絡をとってよいのかわからないのですが、お元気でお邪魔でなければ、またお会いしたいです。しかし、会いたい人には、そう思ったときに会っておくべきですね。「また、そのうちに」はやってくるとは限りません。

「関オケマスタリー会」

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▪️昨日は、関西学院交響楽団のOB・OGの集まり、「関オケマスタリー会」でした。「関オケ」とは関西学院交響楽団の通称です。開催されたのは、関学会館です。私が現役の頃は、まだこの建物はありませんでした。会の名前は、関学のスクールモットーである「Mastery for Service」からきているのだと思います。「身につけた能力や知識を自分のためだけに使うのではなく、世のため、人のために活かす(自己練達と自己犠牲・奉仕の結合)」という意味です。

▪️私はよくわからないうちに、この集まりのメンバーになっていました。古希前の私ですが、この集まりの中では若手です。年配のOB・OGの飲み会…と思ったら、先輩達のコーラス、後輩によるデュエット、そして現役生による演奏も行われました。もちろん、飲みましたけど。私は飲むだけ。最後は、2つ上の先輩、長年、中高一貫の学校で、地理の教員をされていた先輩の、インドにかんする講演でした。盛りだくさんでした。この先輩、現役の時はコントラバスを演奏されていました。教員になってからも市民オーケストラに参加され、確か18年ほどオケで演奏されておられましたが、今は地域の市民講座の講師などをお勤めになりながら、ピアノを演奏されています。

▪️みなさん、それぞれいろいろ考えて、老後を過ごされています。今日、一番年上の方は、昭和31年のご卒業でした。おそらく、90歳を超えておられます。91歳か92歳。車椅子で参加されていました。お元気です。一番年上の方と現役生では70歳ほど年齢が離れています。しかし、この上ヶ原キャンパスで音楽に取り組み、音楽を楽しんでいることは今も昔も同じですね。

懺悔

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20261007soba-kishimen3.jpg▪️日曜日、大垣駅に着いて昼食を摂りました。蕎麦屋「さらしな」さんへ。大垣は、水の都です。こちらのお店は、自家製の井戸水(湧き水)をふんだんに使った名物「水そば」が有名です。期間限定なのかな。美味しくいただきました。蕎麦も糖質があります。うどんよりはGI値が低いわけですが…。今日は自分に許すことにしました。2枚目の写真は「おしながき」。どうして東北の地図なんだろうと思いましたが、よく見ると「奥の細道」。松尾芭蕉が歩いたルートですね。そして大垣は旅を終えた「結びの地」でしたね。

▪️三重県からの帰宅時、近鉄で名古屋駅までもどりました。せっかく名古屋駅に来たのに通過するだけというのは辛かったです。禁断の糖質に手を出してしまいました。懺悔。

阿下喜界隈散策

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20261007ageki7.jpg▪️前回の投稿のように阿下喜で下車したあと、三岐鉄道北勢線の終点、阿下喜(あげき)の街を散策しました。三重県いなべ市北勢町の阿下喜は、江戸時代から昭和中期にかけて地域の経済・交通の拠点として大いに栄えていたそうです。ところが、その後モータリゼーションによって衰退していくことになりました。ところが、最近は、逆に「レトロな風情」(開発が行われなかった)を活かして、まちおこしで注目を集めているようです。古民家を改装したカフェや店舗があちこちにありました。駅の近くには、ヴィジターセンターもあり、親切にご案内いただきました。

▪️散策をした後、昼食は、ちょっと奮発しました。「Nord」というカジュアルなフレンチレストランを見つけて、「1人ですけどいいですか」と恐る恐る入りました。こちらは、古民家ではなく、新しい建物でしたが。予約がたくさん入っているようですが、入り口近くのテーブルならばとOKが出ました。前菜は、いなべ市で採れた野菜も使ったサラダ。自社製と言っておられました。このレストランを経営しているのは、株式会社松風カンパニーです。会社組織で、市と連携しながら阿下喜の街中にさまざまな古民家を活用した施設を開店させておられます。地域の食やカルチャーを発信する事業に取り組んでおられます。ここのフレンチレストランも、そのうちのひとつなのです。この日のメインは「”さくらポーク肩ロースのBBQ煮込み”〜クスクスと自家製パンと薪焼き野菜添え〜」です。こちらのお店、ガスを使わずに薪の火で調理されているようです。クスクスとパンは、糖質制限している身には辛いのですが、今日は自分に目をつぶることにしました。ちょっと集中して仕事を終えたところなので、自分へのご褒美です。

▪️昼食のあとは、阿下喜駅の近くにある「いなべ阿下喜ベース」に行きました。ここ、温泉もあるんですよ。この温泉にゆっくり浸かりました。宿泊施設もあります。まちおこしの拠点なのだと思います。頑張っていただきたいと思います。この施設の向こうに山が見えますね。この山の向こうは滋賀県です。車で移動すると、多賀町や彦根市になります。でも残念ながら、公共交通機関は動いていないので、阿下喜→桑名→名古屋→新幹線で京都…ということになります。仕方ありません。ぐるっと回って帰宅しました。

▪️三岐鉄道北勢線で桑名に戻るさい、「ナローはつづくよどこまでも」と書かれたポスターを見かけました。ネットで調べると、「三岐鉄道北勢線のナローゲージをテーマにした、東員町総合文化センターひばりホールで上演される住民参加型のオリジナルミュージカル」とのこと。地域が北勢線を応援していることがわかります。私が帰るころ、ちょうど高校生がたくさん乗って来ました。沿線の高校に通学している生徒さんたちですね。ただ、ネットで調べてみると赤字経営のようですが、沿線の自治体が支えているようです。大変ですね。でも頑張って欲しいです。滋賀県では、近江鉄道が同様の経営上の問題を抱えていますね。全国のローカル鉄道のこと、気になります。

三岐線北勢線

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▪️全国に3つしかないナローゲージ(レール幅がわずか762mm)鉄道の1つ、三岐線北勢線に乗って、終点の阿下喜まできました。もともと軽便鉄道です。大垣から桑名までは養老鉄道でした。養老鉄道では、養老山地の麓に続く連続する扇状地の斜面を横移動して独特の地形を楽しみました。こちらの三岐線北勢線では員弁川が削り残した大地の段差、河岸段丘の緻密な地形を楽しみました。できるだけ、水平に走るためには、河岸段丘をウネウネと走っていくことになります。特に、この北勢線の後半の部分です。1両目の運転室の斜め後ろからずっと前の景色を眺めて、そのウネウネを楽しみました。私は古希前のおじいさんですが、心はウキウキです。鉄道好きの少年のようですね。鉄道の楽しみ方としては、王道からかなり外れますが、これはこれでアリなのかな。一応、私は社会学に分類される人なんですが、今日は地理学っぽいです。

▪️写真の1段目右と2段目左について少し説明します。これは転車台です。この転車台とは、終着駅などで列車の方向転換するためのものです。もともとは別の駅のそばにあったようですが、阿下喜駅が新しくできたとき移設したようです。駅の北側にあった製材所から引込線が北勢線の本線と直行して設けられて、製材所で材木を詰んだ貨車を転車第まで人力で推し出し、転車台で90度方向転換をして本線へ合流させていたそうです。これ、現地にあった解説板からの引用です。

▪️写真2段目左。北勢線の前身である北勢鉄道が1931年(昭和6年)の阿下延伸ならびに殿下に合わせて製作した「モハニ50型電車」6両の内の最後の1台だそうです。これも現地にあった解説板からの引用です。

養老鉄道と「西桑名第2号踏切」

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▪️岐阜県の大垣でのイベントの後、大垣で1泊しました。朝、まずは養老鉄道に乗って大垣から桑名まで移動することにしました。大垣を出発してしばらくすると、線路は養老山地の方に大きくカーブします。養老山地の麓には複合扇状地があり、何本もの川が作った扇状地が連続してつながっています。養老鉄道は、そこを横に進んでいくのです。独特の地形と景観を楽しみました。また乗りたいです。以下は、帝国書院の教科書からの引用になります。

岐阜県の養老山地山麓にみられる扇状地は、標高150m付近の扇頂から標高10m付近の扇端まで、東に向かって傾斜している。

扇央では、川は表層水のみられない水無川となる場合が多く、伏流した水は扇端で湧き出す。扇状地の大部分を占める扇央は、水の確保が難しいために開発が遅れていたが、その後、畑や桑畑などに開発され、より収益性の高い果樹園などに切り替わっていった。一方、水の確保が容易だった扇端付近には早くから集落が立地し、水田が開かれてきた。洪水時の氾濫に備え、扇状地の川の流路を人工堤防などによって固定すると、土砂が河道に堆積し、天井川化する。この地図中の小倉谷でも、河道の下をくぐる鉄道や道路などのトンネルを3か所確認できることから、天井川が形成されていると判断できる。

▪️桑名に到着したらすぐに、「西桑名第2号踏切」へ移動しました。まあ、ここは鉄道ファンには「聖地」の類だと思います。三岐鉄道北勢線のナローゲージ(レール幅が762mm)、JRの狭軌(1,067mm)、近鉄の標準軌(1,435mm)、3つのレール幅の違う鉄道を一度に見ることができるのです。はい、とても喜びました。まず北勢線の電車が通過し前に進むと、今度はJRの踏切でストップ。渡ると今度は近鉄の踏切でストップ。はい、楽しめました。このあと三岐鉄道北勢線に乗り、終点の阿下喜まで行きました。当初は、四日市あすなろう鉄道も楽しむ予定でしたが、昨晩の懇親会と二次会で体力を消耗してしまったので、この日はこの北勢線の往復&阿下喜の観光を楽しんで、滋賀に帰りました。当初は、帰りは関西本線、草津線、琵琶湖線、湖西線で帰宅する予定でしたが、名古屋経由で新幹線で京都まで帰りました。軟弱者です

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