シャクヤクとコバノズイナ
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▪️一昨日のことですが、朝早くから庭の世話をしました。気になっているところを、ひとつひとつ世話をしていきました。かつてマンシュンに暮らしていた私が、庭の世話を始めてからもう10年近くなるので、庭を見る眼が鍛えられてきています(自画自賛…www)。世話をすると、ゴミ袋に余分な葉を剪定したり、刈り取ったり、落ち葉を集めることになり、ゴミ袋がいっぱいになります。昨日はゴミステーションを確認するとまだ収集車は来ていない様子でした(まだ、ゴミ袋が回収されていない)。ということで、ゴミ袋を出させてもらいました(厳密にいったらルールの時間を過ぎていました…)。
▪️その帰り、実に鮮やかな、見事な花に気がつきました。ご近所の芍薬です。道路沿いに設けられた小さな花壇に植えられています。こういう花壇は、道ゆく人びとの目を楽しませるためにつくられているのでしょうね。ありがたいことです。ところで、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」といいますよね。茎の先端に美しい花を咲かせる芍薬は、まるで女性がすらり立ち上がった姿のようだ。枝分かれして横向きに花をつける牡丹の様子は、まるで女性が優雅に座っているようだ。風を受けて揺れる百合は、女性がしなやかで美しく歩く姿のようだ…ということのようです。まあ、美人なのかもしれませんが、ちょっとナヨナヨした雰囲気を想像して、なんだか「今時」ではありません。それはともかく、芍薬がこんなに近くに咲くことを、きちんと記憶していませんでした。忘れているだけかもしれません。我が家の庭にも…と思わないではありませんが、残念ながら我が家の庭のコンセプトにはマッチしません。これからも植えることはないように思います。
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▪️そして今日。朝のルーティン。早めに起床しました。というか、面倒くさい案件が舞い込んできて、あまり熟睡できなかったわけです。それでも、風呂掃除、熱いシャワー、弁当づくり、朝食づくり、皿洗い、身支度を整えて、庭の世話、そしてカメの世話。ルーティン、大切ですね。次の写真は庭の世話をしているときに撮ったものです。コバノズイナです。枝の先に穂を垂らして、5mmほどの小さい花、先の方に向かって順番に開花していきます。コバノズイナって、なんだか変な名前やなと思っていましたが、先ほど調べると「小葉の髓菜」と書くようですね。小さな葉っぱの髓菜。それじゃ、髓菜ってなんだということになります。枝の中心=髓が、灯火の芯に使われてきたから…らしいです(知らんけど)。それはともかく、この北米原産のコバノズイナ、美しい雰囲気を漂わせてくれています。
母校訪問(3) - 研究室訪問、そして喫茶店。
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▪️母校訪問(1)、そして母校訪問(2) - 旧院長室に書いたように、先日の土曜日は、関西学院大学同窓会滋賀支部が主催された「ヴォーリズが結ぶ、滋賀と関学の架け橋 滋賀のヴォーリズ建築遺産『保存の現場』を語る 公開フォーラム」と、そのフォーラムの前に実施されたキャンパスツアーに参加するために、母校関西学院大学の上ヶ原キャンパスを訪れました。このブログでは、今回のフォーラムでお話くださった、辻友子さん(NPO法人ヴォーリズ遺産を守る市民の会 代表)、大石義一 さん(ヴォーリズ今津郵便局の会 顧問)、土山道夫 氏(旧水口図書館保存会 稚木の会 代表)そして、司会をしてくださった角野幸博先生(関西学院大学名誉教授/ヴォーリズ研究センター長)の皆さんが、それぞれどのようなお話しをされたのかを報告しなければならないのですが、整理するのに時間がかかっています。もう少しお待ちください。
▪️ということで、フォーラム以外のことも投稿しておきます。土曜日、ヴォーリズ関連のツアーとフォーラムに参加したことをfacebookに「速攻」で投稿したところ、関学人間福祉学部の教員である川中大輔さんから「速攻」でコメントをいただきました。ということで、フォーラムが終了したあと研究室を訪問させていただきました。川中大輔さんは、今は関西学院大学人間福祉学部に勤務されていますが、2024年度末までは龍谷大学社会学部に勤務されていました。ということで、龍大時代から親しくさせていただいているのです。親子ほど年齢の違う方ですが、とてもありがたいことだと思っています。龍大時代から川中さんの研究室は、めちゃくちゃ⁉︎綺麗に整理されていました。いつも素晴らしいというか美しいのです。この日は、自分の研究室の状況が恥ずかしくなりました。大学に勤務するのはあと10ヶ月でしかありませんが、本の整理も兼ねて、もう少しなんとかしたいなと思ってしまいました。
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▪️午前中のキャンパスツアーと午後からのフォーラムの間には、昼食の時間も含めてけっこう時間がありました。昼食は、「ビッグ・ママ」というニックネームのついた旧学生会館の食堂でいただきました。もちろん、ライスは、一番小さい茶碗で1/3程度でお願いしました。勤務先である龍谷大学の学生食堂も同じなんですが、「本当にいいんですか?」と確認されることになりました。この旧学生会館は、私たちが学生のときからある建物です。学生食堂は1階で、その上にサークル活動の部室や練習場があります。私が所属していた関西学院交響楽団の練習場は、2階の204と5階の510でした。今でも、部屋の番号を記憶しています。510はとても狭い部屋で、フルオーケストラで練習すると、一番端のコントラバス奏者は部屋のなかに入れませんでした。扉をあけて外で弾いていました。もちろん、今は新学館の方に専用の立派な練習場があります。
▪️学生食堂での昼食後は、正門前に喫茶店で食後のコーヒーをいただきました。「トップ」という名前です。これは私が学生のときからありました。正門前は、もう少し喫茶店があったように記憶しています。ある喫茶店には、インベーダーゲームが何台も置いてありました。学生指揮者だった先輩が、次々にコインを投入しながらゲームに夢中になっていました。その横には、コピー屋さんがありました。優秀な学生さんのノートを1万円で買い取ってくれて、そのノートの複写が売られていました。今、こういったノートはみかけなくなりました。そのようなノートを見ても、授業に出ていなければ試験では歯がたたないのではないかと思のですが、どうでしょうか。
▪️午前中は阪急甲東園駅から歩いて上ヶ原キャンパスに向かいました。上ヶ原台地にあがると、まっすぐな道が伸びて、その先には甲山と関学の時計台がみえます。この道のことを今は「学園花通り」と呼んでいます。私たちが学生のときには名前がついていなかったよなと思って調べてみると、西宮市が「文教住宅都市宣言50周年」を記念し、市内にある主要12路線の道路名称(愛称)を市民から公募した結果、この関学の前の道は「学園花通り」になったようです。2014年のことです。フォーラムのあとは、川中さんの研究室を訪問し、帰りは、阪急仁川駅に向かいました。甲東園のひとつ北側にある駅です。阪神競馬場の最寄駅でもあります。この駅の近くに、私が学生の頃から営業されている喫茶店がまだありました。「あいん こんつぇると(Ein Konzert)」です。学生時代から40年以上経過していますが、経営者は同じ方なのかな〜、後継者が現れたのかな〜、そんなことが気になりました。この喫茶店、私が学生時代からコントラバスがずっとディスプレイされています。
▪️それでは、フォーラムの内容をできるだけ早く整理して投稿したいと思います。
母校訪問(2) - 旧院長室
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▪️「母校訪問(1)」に投稿したように、この前の土曜日に母校である関西学院大学を訪問しました。関西学院大学同窓会滋賀支部が主催された「ヴォーリズが結ぶ、滋賀と関学の架け橋 滋賀のヴォーリズ建築遺産『保存の現場』を語る 公開フォーラム」と、そのフォーラムの前に実施されたキャンパスツアーに参加するためです。キャンパスツアーでは、関学建築学部教授の山根周先生にご案内いただきました(3段目左の男性)。まずは、関学のシンボルである時計台からスタートしました。その次は、本部棟にある旧院長室でした。学生の頃は、院長室というか本部棟に行く用事がありませんでした。普通の学生ですからね。
▪️旧院長室は予想していたよりも狭い部屋でした。部屋の中には、第4代院長を務められたC.J.L.ベーツ (コーネリアス・ジョン・ライトホール・ベーツ)先生が立っておられました。立っているとはいっても、等身大の写真の切り出しです。ベーツ先生は、1910〜1940年まで関西学院の発展に寄与され、学院の礎を築かれました。関学のスクールモットーである「Mastery for Servic」(マスタリー・フォア・サービス)を提唱されました。「私たちがマスターになろうとする目的は(それぞれの学問を極めることの目的は)、自分個人を富ますことでなく、社会に奉仕することにあります」と訳されています。( )は、私が付け加えたものです。ベーツ先生に関しては、こちらをご覧ください。
▪️2段目左の写真は、ベーツ先生が院長として執務されたいた机の背後にある窓です。この窓から、学生たちが様々な活動しているのを眺めるのがお好きだったようです。このような窓を設けたのも、設計者であるヴォーリズの何か意図があるのでしょうかね、よくわかりませんけれど。2段目右の写真。ベーツ先生が執務さめた机の上には、先生が戦争を前に、離日された時のお手紙が置かれていました。離日にあたっては、関学の関係者全員に対して、「Keep this holy fire burning」(この聖なる火を絶やさないように) という言葉を遺して帰国されました。
▪️3段目の左は、院長室の壁に設けられた「奉安庫」です。キャンパスツアーでこの「奉安庫」の説明を受けた時に、ベーツ先生はどう受け止められたのかが気になりました。関西学院大学の公式サイトには、「奉安庫」に関する説明があります。以下は、その一部を転載したものです。また、[ul=https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202112/0014901138.shtml]こちらは、神戸新聞に掲載された「奉安庫」に関する記事です[/url]。
1936年、文部科学省から御真影奉戴に関して出張命令があり、C.J.L.ベーツ院長らが出頭し、翌年上智大学らとともに下付されることとなった。
その時点で、関西学院には奉安殿・奉安庫がなかったため、院長室内に奉安庫を設置し、37年2月に御真影が下付された。
その模様は「全校教職員学生生徒門前ニ堵列奉迎シ十二時十分奉安所ニ奉安シタ」と書かれている。
「御真影奉護規程」にもとづき、教職員が宿直・日直を志し、元旦、紀元節、天長節、明治節の式典で御真影の奉拝と教育勅語の奉読が行われた。
独特の抑揚をつけて行われる奉読は吉岡美国院長・名誉院長が担うことが多かった。
これらの記録は、『奉護日誌』に記録された。
▪️3段目右。第二次世界大戦後、1959年に来日されたときに授与された「名誉学位記」です。ベーツ先生が提唱された「Mastery for Servic」(マスタリー・フォア・サービス)に関しては、関学の公式サイトにとても丁寧な説明がありますので、それをご覧いただければと思います。こちらからご覧ください。
【追記1】▪️関西学院の公式の翻訳ではありませんが、ベーツ先生の手紙の翻訳です。間違っているかもしれまん。その場合は、お許しください。
関西学院大学
西宮市
関西学院大学卒業生の皆様へ 1940年12月15日
親愛なる友人の皆様へついに「さようなら」を告げる時が来ました。11月22日、ベーツ夫人と私は12月末にカナダへ出発することが決定しました。この決定を深く残念に思っております。30年近くもの間、私たちの故郷であった関西学院を離れるのは、私たちにとって大きな悲しみです。まるで故郷を離れるような気持ちです。しかし、そうすることが正しいのです。関西学院での私の仕事は終わりました。神の導きのもと、そして教職員と学生の皆様の献身的な協力のおかげで、私はできる限りのことを成し遂げました。共に過ごした時間は本当に素晴らしいものでした。信頼、相互尊重、そして心からの愛情が、私たちの関係を支えてきました。私たちは、互いの違いを意識することなく、共通の目標に向かって深い一体感を抱きながら、共に生活し、共に働いてきました。主イエス・キリストの御霊が私たちと共にあり、私たちを支えてくださったのだと思います。
関西学院での私たちの学生生活の間、皆さんは私たちに大変親切にしてくださり、あらゆる礼儀を示してくださいました。私たちは平和と善意に満ちた雰囲気の中で過ごしました。今、私たちがここを去るにあたり、皆さんが長年にわたり私にしてくださったのと同じように、新しい学長と学部長にも手を差し伸べてくださるようお願い申し上げます。私たちは、大きな、そして成長し続ける家族の一員であり、信頼、協力、そして愛という黄金の鎖で結ばれた兄弟姉妹です。神が皆さんの心、家庭、そして仕事に祝福を与えてくださいますように。
日本を離れ、カナダに永住することは、私たちにとって非常に辛いことです。私たちは38年前にこの美しい国にやって来て、ここでの生活は私たちに多くの喜びをもたらしてくれました。日本で4人の子供を授かりました。しかし、彼らは今や太平洋の向こう側にいます。私たちも年を重ねるにつれ、彼らに近づくのは当然のことのように思えます。特に、ご存じの通り、ここ数年私たちの健康状態が思わしくないことを考えると、なおさらです。
関西学院での生活の貴重な思い出は、私たちの心に永遠に刻まれるでしょう。私は皆さんのことを心から愛していました。皆さんは私にとって、まるで自分の息子のような存在でした。皆さんもそれを感じてくれていたと思います。なぜなら、皆さんはいつも私に優しく接してくれたからです。皆さんの家を訪ね、奥様やお子さんたちに会って、人生の大小様々な悩みについて語り合いたいと切に願っています。しかし、それはもう叶いません。それでも、私たちは心の中で、霊的に繋がっています。私たちには大きな使命があります。それは、利己的で罪深いこの世界に唯一の希望である、無私の精神を世界中に広めることです。
神のご加護が、皆さんの人生にありますように。
心から、そして永遠に。
あなたの友
C・J・L・ベーツ
▪️ゴシックの太字にした部分は、私が付け加えたものです。特に、最後に書かれている、「利己的で罪深いこの世界に唯一の希望である、無私の精神を世界中に広めること」という部分が心に響きました。ベーツ先生が、現代社会の状況、今の世界をもしご覧になったときに、どのようなことをおっしゃるのかなと想像しました。おそらくおっしゃることは変わりなく、より力強く語られるのではないかと思いました。また、このベーツ先生のお手紙に書かれていることは、関西学院大学を設計したウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計の背後にある精神とも愛通じていると思いました。
【追記2】▪️上記にリンクを貼り付けた神戸新聞の記事に、以下のように書いてあります。
兵庫県内の学校では、関西学院大のほか、豊岡高校(豊岡市)など10カ所に、奉安殿や奉安庫が現存するとみられる。神戸高校(神戸市灘区)には全国的にも珍しく、奉安庫と、式典で御真影を掲示した「奉掲所」の二つが残るという。
▪️神戸高校は、戦前の神戸第一中学校のときの建物が残されています。そのため、奉安庫が残っているのだと思います。私は高一の時に、広島の県立高校から神戸にある兵庫高校に編入したのですが、編入試験に合格したあと、校長室に呼ばれてそのときの校長から奉安庫の説明を受けたことを記憶しています。奉安庫など知らなかったので、少し驚きの気持ちで受け止めたのだと思います。兵庫高校は、私が在籍した当時はまだ戦前からの、神戸第二中学校の時からの建物を使っていました。そのようなことから、奉安庫が残っていたのだと思います。ちなみに兵庫高校の建物は、1994年に建て替えられました。
「地域エンパワねっと」と「浜大津こだわり朝市」
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▪️今日は、「地域エンパワねっと」(龍谷大学社会学部・社会共生実習)を履修している学生さんに同行して、「浜大津こだわり朝市」に伺いました。2名の学生さんが、これからこちらの朝市に受け入れていただき、実習に取り組みます。朝市、とても賑わっていました‼️ただ、いろいろ課題もあります。学生さんたちは、この朝市の実行委員の皆さんや(私も実行委員の1人ですが…)、出店されている皆さんとの対話を通して、それらの課題を明確にし、その解決を目指して実習に取り組んでいく予定です。今日は、朝市の会場で、特定非営利活動法人BRAH=art.理事長の岩原勇気さんにお会いすることができました。これから、この朝市をさらに盛り上げていくために、実習を履修している学生さんたちと一緒に作戦会議を定期的に開こうということになりました。今後の展開が楽しみです。最後の写真ですが、2名の学生さん、私、そして今回、学生さんたちを受け入れてくださった「朝市」の事務局の松澤秀夫さんです。
母校訪問(1)
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▪️5月17日、母校である関西学院大学の上ヶ原キャンパスを訪問しました。関西学院大学同窓会滋賀支部が主催された「ヴォーリズが結ぶ、滋賀と関学の架け橋 滋賀のヴォーリズ建築遺産『保存の現場』を語る 公開フォーラム」と、そのフォーラムの前に実施されたキャンパスツアーに参加するためでした。フォーラムは午後から、ツアーは午前中でした。ツアーは、関学建築学部教授の山根周さんがガイドしてくださいました。
▪️関西学院が神戸の原田の森からこの上ヶ原に移転して来た時に、キャンパスの設計をしたのは、ウィリアム・メレル・ヴォーリズです。大変有名な方ですので、ぜひご自身でお調べになっていただきたいと思います。こちらは、関西学院大学の公式サイトからの引用です。
▪️関西学院大学のシンボルともいえる時計台、その前に広がる芝生、その周囲に配置された学部棟、このようなキャンパスのデザインは、スパニッシュ・ミッション・スタイルといわれるものです。関西学院大学の公式サイトでは、このデザインについて以下のように説明されています。
本来はアメリカ・カリフォルニア州の太平洋沿岸のEl Camino(王の道)と呼ばれる要路にそって点在する、18世紀から行われたカトリック伝道の拠点となったミッション(修道院)の建築様式にちなむもので、クリーム色外壁とスペイン風赤瓦を特色としています。 1929年、上ケ原にキャンパスを移転する際、設計者のW.M.ヴォーリズにより校舎の統一基本デザインとして採用されました。 以後、西宮上ケ原さらに神戸三田キャンパスの各校舎のデザインもほぼこれによってなされ、関西学院両キャンパスの一体感を生み出すものとなっています。
▪️さて、建築学部の山根先生は、現在は博物館になっていますが、私たちが学生の時は図書館であった時計台、そのあとは本部棟の旧院長室、神学部、文学部と順番に解説してくださいました。ヴォーリズが設計した建築物だけでなく、その配置や時計台の前に広がる芝生(中央芝生)も含めてスパニッシュ・ミッション・スタイルなのだそうです。山根先生の解説では、アメリカには似たような形式のキャンパスがあるとのことでした。青い空と白い壁、赤い瓦屋根の校舎に合わせるために、この背の高いヤシの木(ワシントニアパーム)が植えられているのだそうです。なるほどと、納得しました。
▪️この中央芝生の中央の、ずっと向こうには何が見えているのかご存知でしょうか。生駒山なんだそうです。ヴォーリズ自身はその意図を語ってはいないようですが、甲山、関学の時計台、中央芝生、そして生駒山。そこに直線が引けるわけですね。関学の正門の前には、この直接に沿うように桜並木が続く現在「学園花通り」呼ばれる道があります。山根先生のお話では、関学が上ヶ原にキャンパス移転したときに、ここには小さな道があったらしい…とのことでした。私も含めてですが、関学に入学した新入生は、この桜が満開する季節にこの桜並木の道を歩きながら、時計台と甲山の風景を記憶に刻んでいるはずです。
▪️3つ目の写真ですが、中央講堂です。私が学生だった頃は、ヴォーリズの設計による建物でしたが、今は建て替えられたものです。少しよくわからない天なのですが、ヴォーリズの設計の背景には、そこに暮らし活動する方達に対するとても温かい思い、建築に対するヴォーリズの思想が存在しています。では、建て替えられた建物ではその辺りどうなんだろうと思うわけです。外側がスパニッシュ・ミッション・スタイルであったとして、建て替えられた建物にはヴォーリズの思想はどういう形で継承されているのだろう…そのあたりことが気になりました。
▪️ところで、「ヴォーリズが結ぶ、滋賀と関学の架け橋 滋賀のヴォーリズ建築遺産『保存の現場』を語る 公開フォーラム」が関西学院大学同窓会滋賀支部の主催により開催されたのには背景があります。関西学院大学は2022年3月9日、滋賀県ならびに近江八幡市と、「ヴォーリズ建築等を通じた連携協定」を締結しました。そのことを契機に、官学同窓会滋賀支部では、近江八幡市や高島市の近江今津等に、多くの皆さんの努力のもとで保存されているヴォーリズ設計の建築から学ぶツアーを行ってきました。今回は3回目になりますが、同窓生だけでなく一般の皆さんにもご参加いただき、関係者のご協力のもとでとうとう関学のキャンパスでこのようなツアーとフォーラムが開催できることになりました。同窓会滋賀支部の皆様をはじめとして、ご協力くださったみなさんに、心より感謝したいと思います。
▪️以下は、フォーラムの開催趣旨です。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズが情熱を注いだ地・滋賀と、その建築哲学の粋を集めて設計された関西学院大学上ケ原キャンパス。この二つの場所は、ヴォーリズという一人の建築家を通じて深い絆で結ばれています。
時を経てもなお人々を魅了し続けるヴォーリズ建築ですが、その美しさの裏側には、老朽化と闘い、知恵を絞り、建物を「生きた場所」として守り抜こうとする市民の絶え間ない努力があります。本フォーラムでは、近江八幡・今津・水口の保存活動の最前線に立つリーダーたちが一堂に会し、建物の魅力と「保存の現場」の熱い想いを語り合います。新緑の美しい上ケ原キャンパスで、皆様と一緒に考える機会になれば幸いです。
▪️この「母校訪問」、また続きを投稿します。
個人研究室前の観葉植物を増やしました。
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▪️もっと「潤い」を。老人の肌の話ではなく、職場環境にもっと「潤い」が欲しいと思い、昨年の春、社会学部が深草に移転してすぐに、個人研究室の入り口の前に観葉植物を2つ置きました。昨日は、職場環境がカサカサしてきたわけではないけれど、もっと「潤い」があったらいいなと、さらに観葉植物を増やしました。増やしたものは、近くのホームセンターで売っていたパキラとモンテスラ。特に珍しいものではありませんが、緑が増えるといいですね〜。大学の方針として、深草キャンパスのコンセプトは「深草を森にする」なんだから、建物の外側だけでなく、内側からも必要だと思います。「森」にしなくてもいいから、もう少し「緑」を増やしていきたいものです。まあ、1人の教員だけでは焼け石に水ですけど。
▪️話はかわりますが、昨日は、この私の拙いブログにたくさんの皆さんがアクセスしてくださいました。458人の皆さんです。どうして、アクセス数が増えたのか不思議でなりません。いつも書いていますが、日々の出来事を記録しているだけで、何か役にたつようなことはほとんど書いていないのです。皆さん、拙ブログに何を求めておられるのでしょうね。日々の出来事ばかりなので、本当に申し訳ない気持ちです。
基礎ゼミナールAの「ジェンダーの壁」
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▪️前期木曜日2限は、新カリキュラム1回生対象の「基礎ゼミナールA」です。今日も、manabaと基礎ゼミの共通テキストである『赤でモック・スキルズ 大学生のための知的技法入門』を使ってのグループワークでした。グループワークのために班分けをしないと、前に向かっと右側に男子のみなさんが、左側に女子の皆さんが固まって座ることになります。なんだか、みえない「ジェンダーの壁」があるようで…。グループワークをすると、そういった「ジェンダーの壁」が消えていきます。このグループで2週目になりましたが、ずいぶん楽しそうに話ができるようになりました。
▪️先週は、共通テキストの第1章の要約を、4人グループの中の2人に前半と後半にわけて書いてきてもらいました。それらは、あらかじめmanabaのレポート機能を使って提出してもらいます。今週は、残り2人にも要約をしてきてもらいました。manabaを使って相互閲覧できるようにしているので、それぞれの要約をみながらグループワークに取り組めます。グループワークでは、それらの要約の良い点をお互いに指摘しあって、その上で、グループごとにテキストの内容について感想や意見を述べ合ってもらい、それを今度は記録してmanabaの掲示板に投稿してもらいました。その上で、口頭でも感想や意見を述べてもらいました。来週は、共通テキストの第3章「講義を聴いてノートを取る」をグループワークを通して学びます。そこでの学びにもとづいて、再来週は、実際に講義ノートを取って、それらを持ち寄り、お互いに見せ合いながらグループワークをしてもらおうと思っています。
短編映画「わたしらしく、誇らしく」本編(ノートルダム女子大学)
▪️京都ノートルダム女子大学が制作された短編映画「『わたしらしく、誇らしく』本編」です。
この短編映画のURLを、何人かの人を経て、私に「観て欲しい」との伝言とともに教えてくださった方がいらっしゃいます。私よりも年上の京都ノートルダム女子大学の卒業生の方です。京都ノートルダム女子大学は学生の募集停止が決まっています。近い将来、閉校になります。この動画のこと、皆様にもお知らせしたいと思い、ブログにも投稿させていただくことにしました。
▪️以下は、この短編映画に添えられたメッセージです。
京都ノートルダム女子大学 大学広報研究会「MAGIE ESPOIR(マジ・エスポワール)」が制作した短編映画『わたしらしく、誇らしく』の本編を、京都ノートルダム女子大学公式YouTubeチャンネルにて公開いたしました。
本作は、2026年度からの学生募集停止を受け、「大学の記録と記憶を未来へ残したい」という想いから始まった、
学生主体の映像制作プロジェクトです。作品では、京都ノートルダム女子大学を舞台に、学生たちの記憶や想い、そして変わりゆく時間の中でも残り続ける“大学の風景”を描いています。
本作が、それぞれの中にある「大学で過ごした時間」や「記憶」を思い出すきっかけとなれば幸いです。
▪️上記のメッセージからは、この大学を卒業された方達の、若い頃にこの大学で学ばれたことに対する「誇り」のようなものを強く感じます。
J.S. Bach Chaconne — Partita No. 2 in D Minor | Period Instrument Baroque Violin | Chloe Fedor
▪️古楽器のバイオリンによるJ.S.バッハ作曲の「無伴奏バイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調よりシャコンヌ」の演奏です。以下は、YouTubeに掲載されているこの動画の解説(翻訳)です。この続きは、後ほど。
古楽ヴァイオリン奏者のクロエ・フェドールが、J.S.バッハ作曲のパルティータ第2番ニ短調よりシャコンヌを演奏します。「シャコンヌ・プロジェクト」は、ニューヨーク市の新型コロナウイルス感染症によるロックダウン期間中、アメリカン・クラシカル・オーケストラが2020-2021シーズンに向けて企画した2部構成のバーチャルコンサートシリーズです。このプログラムでは、16世紀のスペインの奔放な舞曲から18世紀の芸術的洗練の頂点まで、ヨーロッパ各地における「シャコンヌ」という音楽形式の歴史を探求します。撮影はアイビス・プロダクションズが担当し、ニューヨーク市の美しいハーレム・パリッシュで行われました。J.S.バッハのパルティータ第2番ニ短調は、ソロヴァイオリンのための崇高な作品です。クロエ・フェドールのこのシャコンヌの素晴らしいソロ演奏を通して、フルオーケストラの持つあらゆる感情が伝わってきます。
2025年10月28日にニューヨーク市で開催されるアメリカン・クラシカル・オーケストラのコンサートで、クロエの素晴らしいヴァイオリンソロ演奏をぜひご覧ください。
https://aconyc.org/american-classical-orchestra-season-41/virtuosi-violini/
▪️子どもの頃からバイオリンを習わされてきました。当時は、自ら主体的に学ぼうという意欲に欠けていました。そもそも、クラシック音楽を楽しむような家庭環境ではありませんでしたし。私自身、バイオリンを演奏することよりも、ボーイスカウトのような活動に憧れていたのです。それでも、高一の夏頃まで、ズルズルとバイオリンを続けてきました。その後、大学に入学してからは、学生オーケストラに入部することになりました。今度は、子どもの頃とは打って変わって練習に打ち込みました。そやって一生懸命バイオリンの練習をしていると出会うあこがれの曲があります。この.バッハ作曲の無伴奏バイオリンのためのパルティータ第2番のシャコンヌもそのような曲になります。バッハの無伴奏の曲は、子どもの時にも少し弾いていたこともありましたが、比較的簡単な曲ばかりでした。シャコンヌは憧れの曲でしたが、技術的に難しく全てを通して演奏することはできませんでした。
▪️シャコンヌの意味ですが、これは舞曲の名前です。バッハは、シャコンヌというダンス音楽のリズムで演奏することを指示しているのでしょうね。まあ、演奏者へのガイドみたいなものでしょうか。若い頃は全く知りませんでしたが、このシャコンヌという舞曲は、元々はスペイン領の南米で生まれた少々セクシーな?!ダンスだったそうです。そのようなことを知ったのは、最近のことです。それがヨーロッパに伝わり洗練されることになりました。その「最高傑作」がバッハのシャコンヌだと言われています。この動画の解説でも、「このプログラムでは、16世紀のスペインの奔放な舞曲から18世紀の芸術的洗練の頂点まで、ヨーロッパ各地における「シャコンヌ」という音楽形式の歴史を探求します」と書かれています。セクシーなとは書かれていません。抑制的に奔放なと書いてありますね。
▪️このシャコンヌ、基本は3拍子なのですが、1拍目ではなく2拍目にアクセントがあります。また、バイオリンひとつだけで、和音や複雑なメロディの絡み合いを演奏することになります。最初シャコンヌはちょっとセクシーなダンスだったのに、バッハのシャコンヌでは「最高傑作」と評価されるにまで至ります。動画の古楽器のバイオリンの演奏では、シャコンヌが舞曲であることがとてもよくわかります。
▪️動画をよくみると、古楽器のバイオリン、バロックバイオリンと現在のバイオリンとの違いもよくわかります。昔のバイオリンには顎当て・肩当てがありません。今は、かなり高い高音域でも演奏をしますが、かつてはそうではありません。指板は短くなっています。駒も現代のものよりも低く、カーブもなだらかなのだそうです。シャコンヌに出てくる複数の弦を同時に鳴らす重音が弾きやすくなっていると思います。そうそう、当時の弦はガット(羊の腸)です。弓も違います。バロックの弓は短く、中央が外側に膨らんだ形をしています。現代の弓は、反対に内側に反っています。現在の弓だと、長い音を均一に鳴らすのに適していますが、バロックの弓はそうではありません。また、バッハがシャコンヌを作曲した時の演奏は、若い時から聴いてきた現代的な演奏とはかなり違います。動画では、そのことがよくわかります。