母のこと

20190111funeral.jpg ◾️新年4日の晩から、娘の一家が我が家にやってきました。もちろん、可愛い孫も一緒です。今回は、人見知りもなく、娘夫婦があらかじめ画像や動画で私のことを事前学習しておいてくれたおかげか、笑顔で「おじいちゃん」と言ってくれました。一緒に、積み木でも遊びました。アホのように見えるでしょうが、私自身は、大変幸せです。

◾️5日は、その娘夫婦と孫、そして息子や妻と一緒に老人ホームにいる老母を見舞いました。というか、見舞う予定でした。ところが、朝、老人ホームから連絡が入りました。血液の酸素量や血圧が下がっているので病院に搬送するというのです。母は、先々月あたりから、かなり弱ってきていましたが、とりあえず、救急隊員の方達の処置で少し持ち直したようです。病院に駆けつけて母を見守りましたが、幸いなことに、母の様子が落ち着いてきたということで昼過ぎに老人ホームの方に戻ることになりましたが、老人ホームに戻った母が喋ることはありませんでした。意識があるようにも思えませんでしたが、孫たち(息子と娘)が一生懸命声をかけて見舞ってくれました。意識がないように見えてはいましたが、ひょっとすると、孫たちの声が聞こえていたのかもしれません。

◾️見舞った後は、老人ホームの側と「看取り」についての合意をしておくことにしました。滋賀医科大学の医師から、「いつ亡くなっておかしくない。まだ2年先まで生きておられるかもしれない。いつ亡くなられるかはわからない。だからこそ、お母様の延命治療をどうするのか老人ホームの側ときちんと相談をして欲しい」とのアドバイスをいただいたからです。ただし、「看取り」の協議については隣接するクリニックの医師の同席が必要とのことで、正月の休み明けに、その協議を行うということになりました。

◾️朝から大騒動でしたが、ひとまず、母を見舞った私たちは遅い昼食を摂るため老人ホームの外に出ました。そして昼食を摂っている時、老人ホームの方から私の携帯電話に連絡が入りました。今しがた、母が息を引き取ったというのです。孫たちに会った直後だったこともあり、大変驚きました。本当のことはよくわかりません。都合の良い考えかもしれませんが、孫に会って、孫の声を聞いて、安心して息を引き取ったのではないかと思います。享年86歳でした。7日に通夜を、8日に葬儀を相済ますことができました。家族と親戚だけの小さな葬儀でしたが、生前母が私によく言っていた通り、葬儀会社には、明るい華やかな洋花で祭壇を飾っていただきました。葬儀の後は、孫も含めて家族や親戚の皆さんと、母の棺を鮮やかな花でいっぱいにしました。

◾️葬儀の後は、比良山系の麓にある火葬場に。天候も晴れ。少し暖かい日でした。母のご遺体がお骨になるまで親戚の皆さんから、それぞれの方の母の思い出をたくさんお聞きすることができました。炉から出てきた母の遺骨については、女性の職員の方が、大変丁寧にご説明くださいました。まるで人骨の講義をされているかのように丁寧にご説明くださいました。その中で、「指仏」という言葉を知りました。指先の骨なのだそうです。「お母様は、手先がご器用でいらしたのでしょうね」と職員の方が言われました。たしかに。和裁、洋裁、編み物が好きでしたし、料理も好きでした。おそらくは母のお骨上げをしてくださった家族や親戚の皆さんの記憶に残ることでしょう。お骨上げ。それを見ていた孫も自分でやってみたかったようですが、1歳9ヶ月でまだ少し小さいわけで、ちょっと無理ですね。ごめんね。おじいさんの時には、ぜひよろしくお願いします。

◾️9日は亡くなった母が入所していた老人ホームに行って、母の居室から荷物を引き上げてきました。母が使っていた電動式の介護のベッドとリクライニングの車椅子については、ベッドは福祉団体に、リクライニングの車椅子は老人ホームに寄付させていただきました。考えてみれば、母のことについては、この10年間で実に多くの皆さんのお世話になってきました。その方達のお顔が頭に浮かんできます。地域包括支援センターの職員さん。介護保険のケアマネージャーさん。ヘルパーさん。訪問看護師さん。いろいろ支えてくださったご近所の皆さん。病院の医師や看護師の皆さん。老健の職員の皆さん。最寄りの役所の職員の皆さん。老人ホームの職員の皆さん。司法書士の先生。それから妻をはじめとする家族や親戚の皆さん。最後は、葬儀会社の社員の皆さんや火葬場の職員の方にも。お一人お一人の方達に、母のことに関していろんなことをお話しし、ご相談してきました。その時々、皆さんからの親切で優しいお言葉から、どれだけお力をいただけたかわかりません。また、facebookにも母の介護のことを投稿してきましたが、fbの友達の皆さんにも、介護で疲れた気持ちをどれだけ慰めていただき、励ましていただいたかわかりません。本当にありがとうございました。

◾️10日は、母が暮らしてい町の役場に行き、様々な手続きをしました。後期高齢者医療、介護保険、障害者手帳…。うっかりしていて、印鑑証明証のカードと障害者手帳のことを忘れていました。明日は、もう一度カードと手帳を返却しに役場に行って、その後は尼崎にある年金事務所に行きます。年金と健康保険の手続きをします。これで、とりあえずは社会的な手続きは一段落かなと思います。明日は、大阪梅田を経由することになります。昔、奈良に暮らしていた頃、母の世話をしに行く時には、よく阪急梅田三番街の「インデアンカレー」で昼食を摂って気合を入れたものです。明日は、うまくいけば開店直後に食べられるかもしれません。甘くて辛いカレーをいただきながら、この10年間のことを、いろいろ思い出すことにします。

2019 あけましておめでとうございます!

◾️新年、あけましておめでとうございます。皆さま、本年もよろしくお願いいたします。

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◾️大晦日に息子が帰省しました。元旦は、いつもよりも1人多い3人でお雑煮とお節料理いただきました。これは習慣だと思いますが、正月は家で作ったお節料理を頂かないと気持ちが落ち着きません。蒲鉾、イクラ、カズノコ以外は、すべて我が家で作られたものです。あっ、そうそう、葉蘭も南天も庭にはえているものです。雑煮だけは私が作ります。我が家の元旦の雑煮は、すまし。例年は鶏肉と水菜と焼き餅なのですが、水菜が売り切れていたことから替わりに小松菜です(関東方面は、小松菜入れることが多かったような気が…)。明日からは、雑煮は白味噌になります。ちなみに餅ですが、年末に購入したデロンギのオーブントースターでうまく焼けました。まあ、こんな感じで穏やかな元旦を過ごしました。

◾️2日は、帰省した息子も一緒に、家族で老人ホームにいる老母を見舞いに行きました。到着したのは、3時のオヤツを食べたあとです。老人ホームに入所して2年少しが経ちますが、今は話しかけても「はい」としか言えません。息子(=孫)が話しかけても、反応がありません。誰がやってきたのか、よくわからないのかもしれません。そうこうしているうちに、また眠ってしまいました。ひさしぶりに見舞いに来た息子には、母が弱っていることがよくわかるようでした。ただし、痛みや苦しみが見られないようなので安心したようです。

◾️ 2年前、母が滋賀の老人ホームに移ってしばらくしてからの正月は、まだみんなで介助をすれば、我が家に連れてくることができました。2年前は、まだ笑顔がありました。しかし、その年の春に脳内出血を起こしました。滋賀医大に入院しました。退院はできましたが、身体に麻痺が残ることになりました。介護保険のレベルも要介護5になりました。すべてに介助を必要とするようになったのです。その後、腎臓の問題で、またまた入院。この10年間に、眼底出血、横紋筋融解、硬膜下血腫…いろんなことで入院してきました。入院のたびに体力がなってきたように思います。今は、「はい」しか言えない程弱ってきているわけです。5日には、娘の家族と一緒に老人ホームの母を見舞おうと思っています。小さな孫(母にとってはひ孫ですが…)のことがわかるかな。

◾️見舞いの後は、少し琵琶湖の風景を眺めながら帰宅することにしました。南湖の東側から、比叡山、そして雪で白くなった比良山系の山々をしばらく眺めて風景を「味わい」ました。お正月からキャンプを楽しまれている方達がおられます。すごいですね。
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◾️ここで少し昨年のことを振り返っみようと思います。2018年は、私にとってどんな年だったのでしょうか。良いことばかりではありません。不愉快なこと、腹ただしいことがありました。これはここに書くわけにはいきませんね。まあ、組織で働いていれば、ある意味で仕方のないことでもあります。悲しいこともありました。大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」のマスター光山幸宏くんが亡くなったことです。本当に悲しかった。仕事では大きな変化があったわけではありませんが、還暦を迎えたことで、なにか気持ちに少し変化が生まれたきたように思います。退職まで順調にいけばあと8年になり、大学教員として今後取り組むべきことが、私の意思というよりも、様々な方達との「ご縁」のなかで、結果として絞り込まれてきたようにも思います。

◾️おそらく人生最後になる、流域ガバナンスに関する文理連携の研究プロジェクトも終盤を迎えました(こういうプロジェクトは、生涯に何度もできるものではありません)。当初からの構想を大切にしつつ、強い意志を持って最後までやり遂げます。このように終盤を迎えていることもありますが、新しい取り組みも始まりました。市民団体「水草は宝の山」も、少しずつですが歩みを進めています。この取り組みを契機として新たにNPOも生まれようとしています。「ビワポイント」という環境保全活動をサポートする社会的仕組みも動き始めるはずです。また、仰木の里学区の皆さん、大津市役所、そして龍谷大学の学生・教職員の協働による「学生まちづくりLaboratory」の取り組みも前進を始めました。そんなこんなで、来年も、地域社会の中に「贈与の精神」が循環する素敵な取り組みや仕組みが、お世話になっている皆さんとのつながりの中でうまく育っていくように、楽しみながら努めていきたいと思います。

◾️そうそう、昨年は、母校・兵庫県立兵庫高等学校の同級生の皆さんとも、再びつながり、交流が始まりました。とても嬉しかった。たいへんありがたいことです。同級生の皆さん、よろしくお願いいたします。神戸を訪問するチャンスが増えると素敵だなと思っています。

◾️冒頭の動画は、「水草は宝の山」の活動に一緒に取り組んでいる山田英二さんが、経営されている真野浜(大津市)の民宿「きよみ荘」の上から撮られた、初日の出の動画です。山田さんは、毎日のように朝日を撮影されています。初日の出の動画、1時間以上の長さがあります。もし、お時間があったら全てご覧になって琵琶湖の素晴らしさを感じ取っていただければと思います。初日の出だけをご覧になりたい場合は、時間を端折って、後の方からご覧になってください。

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