ほぼ日手帳カズン Harris Tweed Hamish(ハミッシュ)

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■世の中の文房具好きの皆さんは、そろそろ手帳のことを考えはじめるシーズンではないでしょうか。街中の文房具売り場では、様々な種類の手帳やカレンダーが売り出されています。で、私はといいますと、長年、「超整理手帳」を利用してきました。何年間使ってきたでしょうね〜。かなり長い期間、使ってきました。が、しかし。来年から、「ほぼ日手帳」(カズン)にすることにしました。じつは、以前、「ほぼ日手帳」を使っていたのです。

■今回、「ほぼ日手帳」をネット販売している「ほぼ日ストア」に発注しました。そろそろ、届くはずです。「ほぼ日手帳」には、いくつか種類があります。私が注文したのは、A5版(ちょっと大きめの「カズン」と呼ばれているタイプ)のものです。私が以前使っているときは、この「カズン」はありませんでした。ただし、サイズが大きいだけでなく、いろいろ工夫が凝らされています。詳しくは、こちらをご覧いただきたいのですが、以前と比べてずいぶん進化しているな〜というのが率直な感想です。

■wikipediaでも解説されています。以下が、その解説です。

概要
「ほぼ日手帳」は、「ほぼ日刊イトイ新聞」オリジナル商品として制作・販売される手帳で、1日1ページという、高い自由度のため、ユーザーは様々な趣向を凝らしながら使うことが可能である。その様子は、ほぼ日刊イトイ新聞のウェブサイトや公式ガイドブックなどで紹介されている。
ほぼ日手帳は、2013年版は、全国で48万人の利用者がおり、全国のロフトでの販売を開始して以来、ロフトでの手帳部門での売り上げが2005年版~2013年版の9年連続で1位である。
概歴[編集]
「ほぼ日刊イトイ新聞」のオリジナルグッズ開発会議での発案をきっかけに、「自分たちが使いたい手帳をつくろう」という思い[2] の下に、2001年春にプロジェクトが開始し、2001年冬に初年版となる「ほぼ日手帳2002」が発売された。
当時、手帳の担当に抜擢されたのは、その年新卒で入社したばかりの松本絢子であった。素人によるオリジナル(独自)の手帳作成のため、「ほぼ日」読者へのアンケートによる意見を参考に、手帳の仕様が決定。この2002年版の時点で、「1日1ページ」、外付けの「カバー」など、現在と大筋同様のコンセプトが盛り込まれた内容であった。この制作の流れは現在も受け継がれており、「ほぼ日」読者や手帳ユーザーアンケートへの回答・意見などを基に、毎年仕様の見直し・改良が行われている。中には、導入されたものの、翌年版には廃止された短命な改良点もあった。

■以上の説明からは、この「ほぼ日手帳」が、基本のベースをもとに、ユーザーの「参加型・参画型」の意見によって「成長・発展」していることがわかります。他の手帳でも、たとえばこれまで使用してきた「超整理手帳」でも、「参加型・参画型」の側面はもっているのですが、「ほぼ日手帳」は、圧倒的にその自由度が大きいことが特徴かと思います。自分で、自分の手帳を、「成長・発展」させていくことができるのです。今年2015年度の手帳では、1つずつ、シリアルナンバーが打たれています。こう公式ページでは解説しています。「本体表紙の見返しに手帳ごとの製造番号がナンバリングされています。ひとつとして同じ手帳はなく、より愛着を持って使っていただけます」。手間をかけて、可愛がれば、可愛がるほど、「世界でここにしかない、ユニークな手帳」が完成するのです。そのための「ほぼ日手帳」では、「あっ…なるほど〜」という様々な工夫を凝らしています。

■ただし、課題があります。どこまで、「ほぼ日」側の「戦略」に乗って「愛着」をこの手帳に注ぎ込めるか…ということです。この手帳が大好きになるためには、マメさが必要です。自分でいうのもなんですが、まあ、このブログを書いているようなマメさがあれば、おそらく世界で唯一自分だけの「ほぼ日手帳」が「作品」としてできあがることでしょう。そうなると、「楽しく」なるはずです。このあたりも、「参加・参画型」という点と連動していると思います。そのような「ほぼ日手帳」のトータルなシステムが、「全国のロフトでの販売を開始して以来、ロフトでの手帳部門での売り上げが2005年版~2013年版の9年連続で1位」(wikipedia)という結果を生み出しているのかもしれません。ただし、ブログと同じように、この手帳に愛情を注ぎ込めるのか…まだ、確信をもてません。

■しかし、この「ほぼ日手帳」には、愛着をもつためのさらなる工夫も凝らさせています。自分のお気に入りに手帳にするために、じつに様々な種類のカバーを用意しているのです。今年、私が注文したのは、「Harris Tweed Hamish(ハミッシュ)」というカバーです。トップの画像は、「ほぼ日手帳」の公式サイトからのものです。「スコットランドのハリス島を中心に作られている、世界的に有名なツイード生地『ハリスツイード』と革を組み合わせて作った三つ折りタイプのカバー」です。こうやって、自分で自分の手帳に「投資」をして、「自分だけの手帳」、「愛着」を注ぎ込める手帳…になるように、自分で自分に思い込ませているのかもしれません。とりあえず、来年は、「ほぼ日手帳」(カズン)です。

【追記】■このような「ほぼ日手帳」の背景にある考え方やシステムって、ちょっと「地域づくり」や「環境再生」の実践を考える上でも参考になる…のかもですね。

お葬式に参列して

■妻方の親戚のお葬式に参列しました。お葬式に対する感じ方、年々、違ってきているなあ…と思いました。死をみつめることは、今の生をしっかり生きることの前提であり出発点でもある…年を取ると、自然とそのようなな考え方が強まってきました。死を終着点ではなく通過点としてイメージすることも大切かなと思います。

■今日は、妻方の親戚のお葬式があり、大阪の葬祭場まで、妻、妻の母(義母)の3人で参列してきました。亡くなられた方には、ひょっとすると親戚の結婚式のときにお会いしただけなのかもしれません。こういう遠い親戚のばあい、最近は、参列しない人のほうが多いのかもしれませんが、なぜか参列させていただこうという気持ちになりました。

■その親戚の男性は、82歳でお亡くなりになりました。天寿を全うされたと思います。何人ものご弟さんやお姉さんが参列されていました。現在、家族の規模はどんどん縮小していますから、近い将来、このようにたくさんの兄弟姉妹が故人をみおくるということは無くなるのではないかと思います。葬儀は、その時代ごとの家族のあり方や死生観と大きく関係しています。近年は、家族だけで葬儀を行う家族葬、お通夜をおこなわない一日葬、そして火葬のみの直葬もおこなわれるようになりました。その善し悪しについては、様々な議論があるところですが、お葬式はどうなっていくのでしょうか。これは、日本人の生き方に関わるけれど、みえにくい、社会の根底にところに潜んでいる切実な問題だと思っています。

■お葬式だけではありません。今は、墓の問題も深刻です。先日のNHK「クローズアップ現代」のテーマは、「墓が捨てられる~無縁化の先に何が~」というものでした。「全国各地で墓石の不法投棄が相次いで」おり、「その背景には、お参りする人がいないいわゆる無縁墓の急増が」あるというのです。そして、「過疎化の進む地方から始まった墓の無縁化が、今、都会でも急速に広がり始めて」いるというのです。詳しくは、こちらをご覧ください。現在は、先祖伝来の土地で生涯暮らすわけではありません。子どもの世代は、遠く離れたところに住んでいます。祖父母のことを孫たちはよく知らない…物理的にも心理的にも世代を超えた家族の関係は希薄にならざるをえません。そのような状況のなかで、墓の無縁化が進んでいるのでしょう。

■番組のなかで、宗教学者の山折哲雄さんは、以下のように説明されています。

これは戦前からずっと、日本人の宗教の一つの中心をなしていたのは、『家の宗教』としての先祖崇拝でした。これがガタガタと崩れ始めた、その結果とも言えるかもしれません。従来の伝統的な家制度の中で作られたお墓信仰は崩れざるを得ない、魂の行方を信じることができない。現代人がそうですよね、私もそうだ。誰も思わなくなってしまったとすれば、自分の死後の問題をどうするか、葬儀の問題をどうするかという問題に直面しているということです。ある意味ではジレンマの時期に今さしかかっていると思います。

■昔は、死んだ後のあとのことは、子どもや子孫が面倒をみて、きちんと供養するのがあたりまえでした。ある意味で義務でした。しかし、今は、生きているあいだに自分が死んだあとのことを考えなくてはいけません。番組のなかでは、本人の希望どおりに死後の手続きを勧めてくれるNPO法人と契約されたご夫婦が登場されます。ご夫婦は墓もつくりません。以前、家族社会学者の山田昌弘さんが、もう5年ほど前のことでしょうか、日本社会学会の学会誌で「家族の個人化」と「家族の『本質的』個人化」について論文を書かれていました。私は、そのような「家族の『本質的』個人化」と、このエントリーで取り上げているような問題が関連していると考えています(こりのエントリーでは、個人化については説明しませんが)。死後のことを、自己責任で考えねばならない時代がやってきているのです。

■このような問題は、ひとつ上の世代ではなく、まさに私たちの世代の問題なのです(私は56歳ですが)。死んだあとのことをどうするのか…そのことを今から考えねばなりません。問題は、このこと以外にもあるように思います。まわりの同世代は、しばらく先に定年を迎えます。「残りの人生」をどう充実させていくのかということを真剣に考え始めています(そして、どう生きていくのかも…)。もちろんそれは大切なことなのですが、今の「生」をしっかり生きることの前提や出発的には、「死」をしっかりみつめることが必要だ…そのように思います。「生」を煽る現代社会において、「死」をみつめることは非常に難しい。みつめるためには、「死」を終着点ではなく通過点としてリアルに「イメージ」することも大切かなと思っています(山折哲男さんのいう「魂の行方」)。「死」をみつめ「死」を通過点としてイメージする。私も含めて、一人一人にとって大きな課題なんじゃないのか…個人的にはそう思っています。

感謝35,000アクセス!!

■今年の5月5日に、アクセスカウンターが25,000を超え、その約3ヶ月後の8月5日に30,000を超えました。このブログは、2012年7月25日にスタートしました。アクセスカウンターは、2012年9月5日に設置しました。その日から、10,000アクセスを獲得するのに約11ヶ月かかりました。2013年7月21日です。その次、10,000アクセスから20,000アクセスまで7ヶ月と7日かかりました。2014年2月6日です。そして 20,000アクセスから25,000アクセスまで3ヶ月。そしてほぼ予想通り、8月5日に30,000アクセスに達しました。6ヶ月で約10,000アクセスというペースでしょうか。

■今回は、35,000アクセスになりました。30,000アクセスから2ヶ月半です。ちょっと、ペースがあがりました。日々の生活の記録を残しているだけのこのブログに、最近は、1日に80から120ほどのアクセスをいただいています(昨日は、161ものアクセスがありました。とても珍しいことです)。世の中のブログ一般からすればたいした数字ではありませんが、本ブログとしては、最近のアクセス数の伸びは画期的なことかなと思っています。ありがとうございます。本当に、日々の記録、つまらない身辺雑記だけのブログですが、どうかお許しください。

■ところで、私は「ひらがな入力」のブラインドタッチです。今時、そんな人間がいるのか…と思われるかもしれませんが、「ひらがな入力」です。そして、プラインドタッチです。ですから、ゆっくりしゃべるのと、ほぼ同じスピードでタイプすることができます。よく、「ワープロ世代ですね…」と言われます。そうかもしれません。それはともかく、「ひらがな入力」のブラインドタッチのため、誤字・脱字が多くなってしまいます。この点では、お読みいただく皆様に大変ご迷惑をおかけしていると思います。申し訳ありません。昨日のエントリーも、誤字だらけでした…。みつけしだい、修正しています。なお、本当はコメントもいただきたいのですが、海外からのスパムコメントの嵐が吹き荒れており、コメントができないように設定しております。どうかご容赦ください。

■さて、次のお知らせは40,000アクセスのときになります。このペースでいくと、お正月開けの頃には、40,000アクセスに到達できるのではないかと思います。

Hoping invites | Tsutomu Uematsu | TEDxSapporo

This talk was given at a local TEDx event, produced independently of the TED Conferences. At this talk Camui rocket scientist , Tsutomu Uematsu entices a bold talk of journey to his accomplishments. Full of emotions , laugh and cries he has a humanly way to exploring science.

Tsutomu Uematsu has been fascinated by space since his childhood. He learned fluid mechanics in the university and joined a company designing aircraft in Nagoya. In 1994, he came back to Hokkaido and joined Uematsu Elecetoric Co, managed by his father, Kiyoshi Uematsu. He developed and produced electric magnet used for removing and selecting iron from industrial waste.

Ten years later, his encounter with Prof. Nagata, a researcher of Camui Rocket in Graduate School of Hokkaido University, promised him to give a full support to the rocket research with his love of space. Since then, he has been contributed to four research projects: ‘rocket developments,’ ‘experiments on microgravity,’ which creates the zero-gravity environment like space, ‘developments of a miniaturized satellite,’ and ‘cooperative projects with American private space development corporations.’

His main accomplishments are the research and the launch of the artificial satellite “HIT-SAT,” experimental launch of Camui Rocket (reaching 3,500 meter altitude), the cooperative experimental launch with JAXA (Japan Aerospace Exploration Agency), a start-up of ARC project, and etc. In 2012, he achieved to reach 7,400 meter altitude on the experimental launch of Camui Rocket 500p.

About TEDx, x = independently organized event In the spirit of ideas worth spreading, TEDx is a program of local, self-organized events that bring people together to share a TED-like experience. At a TEDx event, TEDTalks video and live speakers combine to spark deep discussion and connection in a small group. These local, self-organized events are branded TEDx, where x = independently organized TED event. The TED Conference provides general guidance for the TEDx program, but individual TEDx events are self-organized.* (*Subject to certain rules and regulations)

漫画『カレチ』

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■facebookで教えていただいた漫画『カレチ』。昭和40年代後半を舞台に、当時の国鉄大阪車掌区に勤務する新米「カレチ(長距離列車に乗務する客扱専務車掌)」の日常を描いた素敵な漫画です。とても内容の濃い漫画です。時々、ウルウル…ってなります。鉄道という合理的な技術システムとそれを動かす独特の仕事感・職業間をもった職員、そしてそこに交叉するのは登場する人びとの多様な人生。そこにドラマが生まれるって感じなんですね。取材も丹念にされているのかな…と思います。

■今の若い人たちには伝わらないかもしれませんが、「仕事ってどういうことなのか」(人は何故に仕事をするのか、人生にとって仕事とは何か…)、「人を鍛える」ってどういうことなのか、「人が成長する」ってどういうことなのか…いろいろ考えさせられます。同年代の皆さん、ぜひお読みください。もし、主人公の荻野カレチが実際に生きておられるとすると、おそらくはもう70歳ぐらいになっておられるのかな…。まだ、第2巻の途中までしか読んでいませんが、第3巻の帯の言葉が気になりますね。「いずれ国鉄のみならず この国全体がこうなっていくんだろうな」。重いです。

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■こちらは、漫画雑誌『モーニング』の公式ページです。ここで、「カレチ」の第一話を楽しむことができます。

【追記1】■「いずれ国鉄のみならず この国全体がこうなっていくんだろうな」と本文の最後に書きました。これは、また改めてエントリーする必要があるのかもしれません。3巻は「昭和50年代前半」の国鉄です。合理化、民営化へと進んで行く時代です。読み進むうちに頭に浮かんできたのは、「JR福知山線脱線事故」のことでした。

【追記2】■この漫画に関連するブログ記事。
理想の鉄道マン、理想の日本人描いた「カレチ」最終章、ついにタブーの<国鉄組合不正>に踏み込む。

第6回「大津ジャズフェスティバル」

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■昨日は、第6回「大津ジャズフェスティバル」(OJF)でした。実行委員のMさんから、緊急にボランティアをしてもらえないかとの打診があり、土曜日だけボランティアをさせていただきました。私の担当場所は「大津祭曳山展示館前」でした。ひさしぶりの会場担当でしたが、なんとか無事にボランティアを終えることができました。ありがとうございました。第6回をむかえた「大津ジャズフェスティバル」、じつに立派に運営をされています。安定感がありますね。「大津祭曳山展示館前」の受付をしながら、昔のことを思い出しました。

■10月15日の京都新聞の1面のコラム「凡語」に、小山さんの事が書かれていました。

青い琵琶湖と秋空を背景にしたステージで、プロやアマチュアのミュージシャンが演奏し、多くのジャズファンが音楽を楽しむ。「世界一美しい」をうたい文句とする大津ジャズフェスティバルが18、19の両日、大津市の浜大津など湖岸一帯で開かれる▼市民の自主的な活動として2009年に始まり、今年で6回目となる。開催を言い出したのは、第3回まで実行委員長を務めた故小山清治さんだ▼大津市の市街地を歩き、シャッターが下りた商店の多さに驚いたのがきっかけだった。「好きなジャズでまちなかを盛り上げたい」と、仲間と立ち上がった▼数人しかスタッフが集まらない会議もあったが地道に賛同者を増やし、強いリーダーシップで初回を成功に導いた。その後、がんが見つかり、闘病の中で第3回を開いたが、一昨年春に54歳で亡くなった▼遺志を継いだスタッフたちの奮闘で、その後もイベントは盛大に続き、今年は約160組1100人が32会場で演奏する。プロも含めて全て無料で聴けるのが魅力の一つだ▼小山さんは運営を始めたころ、「とりあえず、第5回までは何とか続けたい」と話していた。今回、もうその回数を超える。故人が当初想像した以上に育ったフェス。今年は、どんな音色をまちなかに響かせてくれるのだろうか。 [京都新聞 2014年10月15日掲載]

■第1回の2009年の7月に、父親が1年間の闘病の末に亡くなりました。私はずっと看病等で週末は父のところにいっていたので、「大津ジャズフェスティバル」の実行委員会立ち上げには参加できましたが、その後、実行委員としては実質的に参加できないでいました(実行委員会が週末に開催されたため…)。ボランティアかなにかでお手伝いをしようと思っていましたが、小山さんは、わざわざ私に声をかけてくださいました。開催近くになって、再び実行委員になってほしいと呼んでくださったのでした。しかし、実際に実行委員会に参加してみるときちんと機能しているようにはとても思えませんでした。人はそれなりに集まっていましたが、必要な知恵をだし、きちんと動ける人があまりにも少なすぎました。人を動かす仕組みもありませんでした。また、私が知る限りですが、MCなどをしたいという人はいても、汗をかいて舞台裏の仕事等をする覚悟のある人が少なすぎました。上記のコラムのなかには、「初回を成功に導いた」とありますが、それは天国の小山さんも「ちょっと違うよ、それは…」とおっしゃるかもしれません。実際、第1回の運営は惨憺たるものがありました(あくまで個人的な見解ですが)。個人的な知り合いの街の皆さん、そして市役所の職員の方からも、厳しい評価をいただきました。

■しかし、このときの失敗を乗り越え、きちんと実行委員会を再構成し、準備をしっかりした第2回目以降からは、「大津ジャズフェスティバル」は軌道に乗り始めしまた。社会経験豊富な社会人の実行委員の方が増えて、実行委員会の組織を機動力をもたせるた形に再構成したことが大きかったと思います。ジャズフェスティパルの目指す方向性や運営の仕組みをめぐっては様々な議論(激論)が交わされましたが、結果として、現在のジャズフェスの原型ができあがったのが、この第2回目なのではないかと思います。そして私が参加できたのも、この第2回目までです。というのも、1人暮らしを始めた老母の生活介護や大学の地域連携事業等で忙しくなり、ジャズフェスティバルにエネルギーを注ぐだけの余裕が無くなってしまったからです。第6回「大津ジャズフェスティバル」は、冒頭にもかきましたが、第2回目以降の経験知やノウハウが蓄積され、多くの実行委員やボランティアの参加もあり、大変安定した運営のように思えました。素晴らしいですね。

■以下は、塩漬け状態になっている個人プログのなかの「大津ジャズフェスティバル」のエントリーです。忘れていたことを、いろいろ思い出します。この他にも、「ジャズフェスティバル」で検索すると、たくさんの記事がまだ出てくると思います。ジャズフェスの前史のような感じになりますが、私と小山さんとの出会いは、2008年でした。当時、大津市が主催していた地域SNSを通して出会いがありました。そして、6月には、龍谷大学社会学部で実施している地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」と、中心市街地で地域づくりに取り組んでいる「大津まちなか元気回復委員会・企画部会」とのコラボレーションによる「町歩き」に、小山さんは参加されました。大津中心市街地の寂しい様子を目の当たりにし、「大津ジャズフェスティバル」の実施を決意されました。そのような話しも、以下のエントリーのなかに出てくるかもしれません。

2009/5/14「大津ジャズフェスティバル(その1)」
2009/5/14「大津ジャズフェスティバル(その2)」
2009/5/14「大津ジャズフェスティバル(その3)」
2009/5/14「大津ジャズフェスティバル(その4)」

■ところで、写真の説明をしていませんでしたね。ステージの背景は、「大津祭曳山展示資料館」です。ガラスを通して、なかに曳山の原寸大レプリカが置かれていることがわかります。「西王母山」です。この展示館がある丸屋町の曳山です。

■トップの写真は、「ORB」というバンドです。パンフレットには、「同じ会社で働いていた仲間が集まり、スタンダード・ジャズなどの演奏を楽しんでいる『おやじバンド』です」と自己紹介されています。定年退職をされた中までジャズを楽しまれているのですね。演奏ですが、これがまた素晴らしいのです。多くの人びとが会場の前で足を止めて、その演奏を楽しまれていました。

■3枚目の写真は、「幸バンド」です。男女のボーカルが印象的です。最後のステージということもあり、ベテラン…の風格が漂っています。迫力ありました。私の仕事は、会場の設営と撤収に加えて、パンフレット等の配布とともに、ステージが終わるたびに、募金をお願いすることでした。300円以上の募金をしていただくと、様々な種類が用意されたOJF特製のカンバッジを差し上げる仕組みになっています。たくさんの方達が募金をしてくださいました。市民の実行委員とボランティアが開催して、多くの市民が応援する…そして街に音楽と賑わいを生み出す、素敵だと思います。

第3回「おおつ未来まちづくり学生会議」

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20141017gakusei2.jpg ■17日(金)、瀬田キャンパスのREC棟の部屋に瀬田キャンパス「おおつ未来まちづくり学生会議」の面々が集まって、午前中からグループワークを実施しました。第1回目はテーマ設定とグループ分け。第2回は細長い大津市を分担して「まち歩き」、そして「まち歩き」で発見したことの整理。第3回は、次回の市役所での発表を前に、パワーポイントの作成…。タイトなスケジュールの中で、自分たちの気付きがうまく伝えられるよう「あーでもない、こーでもない」と頑張っています。

■私も作業の途中を時々のぞきにいきましたが、なかなか大変ですね〜。この日だけでは完成できず、あとは第4回まで各グループで作業を継続してもらうことになりました。頑張れ、学生諸君。

瀬田の紅葉

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■今日の午前中(1・2限)、「大津エンパワねっと」コースの「地域エンパワねっとⅠ」の全体授業でした。場所は、1号館6階の会議室です。普段、理工学部の教授会が開催されている部屋です。今日の全体授業のことは、以下をご覧いただきたいと思います。で、今日のエントリーは、瀬田キャンパスで一番高い建物からみえる風景について。

■過去の紅葉関係エントリー。
晩秋の瀬田キャンパス
紅葉の瀬田キャンパス
瀬田キャンパスの紅葉

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■紅葉をとった瀬田キャンパス1号館の会議しから、琵琶湖が見えました!! 龍谷大学に11年間勤務して、そのことを初めてしりました。左が会議室からの風景ですが、右はその琵琶湖のみえる一部を拡大したものです。

【追記】■facebookで、同じ写真を投稿したところ、親しくしていただいている事務職員の方から、以下のようなご説明をいただきました。「 瀬田開学当初に日建設計の方にききましたが設計において外部からは一切キャパスが見えない事を条件にされて中からは琵琶湖が見えて外からは見えないように唯一一号館からのみ琵琶湖が見えるよう工夫して設計されたとのことです」。

プロジェクション・マッピング@龍谷大学


■昨日の瀬田キャンパス、もう夕方で薄暗くなっていましたが、樹心館で「プロジェクション・マッピング」の調整をやっていました。

■まず、樹心館から説明しますが、この建物は1885(明治18)年に建築されたもので、もともとは大阪南警察署庁舎だった建物です。その建物が1908(明治41年)年、民間に払い下げられ購入した門徒の方が龍谷大に寄付し、大宮キャンパスに移築され、図書館、学友会事務所、宗務所として使われてきました。そして、1994年には瀬田キャンパスに移築されました。現在は、朝の勤行等のさいに礼拝堂として使われています。

■次に「プロジェクション・マッピング」ですが、「壁面や建物、家具などに映像を投影し、スクリーンとなる立体の凸凹と映像の融合で奥行きのあるアートを見せる技術」なのだそうです。この技術を使って、樹心館の歴史をみせようとする企画のようです。大学の広報の記事を引用します

8月30日(土)、瀬田キャンパス(滋賀県大津市)の礼拝堂「樹心館」にて、本学では初となるプロジェクション・マッピングが実施され、多くの方がその美しさに魅了されました。

今回のプロジェクション・マッピングは理工学部情報メディア学科3年生の倉地優輝さんと大塚健司さんの2名(指導教員:岡田至弘教授)が、多くの人にプロジェクション・マッピングの素晴らしさや驚き、そして感動を伝えたいという思いから自ら企画・制作し、実施したイベントとなります。当日は1885(明治18)年に建てられた擬洋風建築物である「樹心館」の様々な歴史がプロジェクション・マッピングで描写されました。

2人がプロジェクション・マッピング制作を始めたのは、実際にプロジェクション・マッピングを見て、その芸術性に驚き、魅了され、またその予備知識である動画編集やカメラが好きであったことがきっかけとなります。これまでは室内で、紙模型や立方体のオブジェクトを用いたプロジェクション・マッピングを行ってきましたが、今回の様な大規模なプロジェクション・マッピング制作は2人にとっては初めての試みであり、多くの時間を費やし試行錯誤の上、完成させた内容です。

今後2人は、今回の経験を活かし、人の動きに反応して映像が変化するなどのインタラクティブ(双方向)性のあるプロジェクション・マッピングや、プロジェクションなどの分野の研究に取り組んでいく予定です。

<参考>
樹心館の歴史
今から129年前の1885(明治18)年に、大阪南警察署庁舎として建築。それから23年後の1908(明治41)年3月、大阪南警察署の改築に伴って民間へ払い下げされ、龍谷大学大宮キャンパスの図書館として生まれ変わる。1936(昭和11)年、学友会事務所に用途を転換。1948(昭和23)年、宗務所(通称:グリーンハウス)として西本願寺へ移築。その後、1994(平成6)年に瀬田キャンパスの礼拝堂として移築し、名前を「樹心館」と改め現在に至る。

■冒頭に、昨日の夕方、樹心館で「プロジェクション・マッピング」の調整をやっていました…と書きましたが、今月末に行われる「龍谷祭」で実演されるのかもしれませんね。とろこで、こういう「プロジェクト・マッピング」の技術は、どの程度、まちづくり等のイベントに活用されているのでしょうね〜。すごく気になります。それぞれのまちの「履歴」を映像として映し出すこと、まちのなかのそれぞれの場所の「地霊」(ゲニウス・ロキ)を映像を通して浮かび上がらせることができるのではないか…と思うからです。アートという枠を超えて、もっといろんな展開ができるのではないかと思いました。おそらく、すでにいろんな試みが行われていると思うのですが、まだきちんと調べることかができていません。

龍大「SEAHORSE」の活躍

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■ここ数年のことになりますが、龍谷大学のアメリカンフットボール部「SEAHORSE」が、活躍しています。Div2に低迷した時期もありましたが、Div1に復活し、昨年はDiv1では3勝4杯の成績を残しました。なかでも、京都大学にもう少しで勝てるところまでいったことは確かな手応えとなったはずです(残り11秒で逆転されました)。そして今年は、とうとうその京大に14-9で勝利しました!! これは龍大「SEAHORSE」にとっては、創部以来の歴史的な快挙になります。龍大には、「RYUKOKU SPORTS+」というサイトがありますが、そこにはこのような記事が掲載されました

8月31日、EXPO FLASH FIELDにおいて関西学生アメリカンフットボールリーグDiv.1第1節京都大学戦が行われ、14―9と勝利を収めた。

試合は序盤、思うように敵陣へ攻め込めない時間が続く。そんな流れを断ち切るように藤本(法2)が抜け出し、独走。待望の先制TD(タッチダウン)を決める。一時は逆転を許したが、竹内(社4)から野間(営2)へパスがつながり、TD。再度リードを奪う。村田ヘッドコーチが「練習のときよりもはるかに良いパフォーマンスができたんじゃないかというくらい素晴らしかった」と称えたディフェンス陣が奮闘する。相手に許したTDは前半の1本だけ。粘り強く守り続ける。インターセプトをして攻撃権を奪い返す場面も数回見られた。

昨年は残り11秒で逆転され敗戦した相手。その悔しい経験から最後まで集中力を高め戦い続け、見事勝利を掴んだ。持田主将(文4)は「最高です。去年の雪辱を果たせました」と振り返った。創部以降初めて京大から白星を挙げ、新たな歴史を刻んだ龍大。リーグ初戦は最高の試合となった。

<村田ヘッドコーチのコメント>
「8月いっぱい京大のことだけを考えて練習してきました。これまで苦しいシーズンを続けてきたのですが、やっとここで努力の方向が試合の現場で発揮され、結果となってつながったことでチームとして達成感というものがあります。これを自信につけてさらにどん欲に勝利に向けて取り組んでもらいたいです」

■村田ヘッドコーチも指摘されているように、努力→成功体験(勝利)→工夫をして努力をして練習→レベルアップという良いスパイラルが生まれてきているように思います。さて、京都大学との試合は第1節でしたが、その後の第2節以降は強豪校が続きます。第2節が関大戦、第3節が立命館戦、ともに敗戦となりました。やはり上位3位の常連校は強いですね。敗戦であっても、そこから何かを集団として学び取ってほしいと思います。そのあたり、どうだったんでしょうね〜。私のような素人にはよくわかりません。そして、いよいよ第4節の関学戦です。関学は母校です。しかも、甲子園ボウルに連続出場している段違いに強いチームです。試合結果は…これが、凄い結果になりました。関学は、これまで同志社、神戸、近代を0点に完封してきました。その関学から、龍大は2TD(タッチダウン)奪うことになりました!!「RYUKOKU SPORTS+」の記事です

10月11日、神戸市立王子スタジアムにおいて関西学生アメリカンフットボールリーグDiv.1第4節関学戦が行われ、14-42で敗戦した。

前半残り3分、上田(済1)から井貝(法2)へのパスが繋がりTDを決める。今季無失点の関学から得点を奪ったことでチームも観客も湧き上がる。この勢いのまま追加点が欲しい龍大だったが、前半だけで関学に4TDも決められ7-28で後半へ。しかし龍大は諦めない。第4Q、徐々に敵陣に攻め込み得点のチャンスをうかがう龍大。エンドゾーン間際、竹内(社4)から田村(国4)へのパスでTDを決め、王者関学から2TD目を奪うことに成功した。結果は14-42で負けてはしまったものの、龍大SEAHORSEに確実に力がついてきていることを印象づけた試合であった。

リーグ戦も後半にさしかかり、選手たちにも徐々に疲れが出始める頃。しかし、Aクラス入りを果たすためには残りの3試合絶対に負けるわけにはいかない。関大、立命館大、関学という並みいる強豪たちから得点を奪ったということを自信に、まずは25日の同大戦で今季2勝目を挙げてもらいたい。

〈村田ヘッドコーチのコメント〉
「厳しい戦いになることは予想していたが、関学から2TDを奪った選手たちの頑張りを褒めてやりたいです。だんだんと疲れが出始める頃だが、気を引き締め残り3試合は絶対に勝ちたいと思います。」

■龍大は負けたわけですが、それでも、関学から2TDを奪ったということがどれだけ凄いことなのか、村田ヘッドコーチの「関学から2TDを奪った選手たちの頑張りを褒めてやりたい」というコメントからもわかります。残り3試合、近大、同志社、神戸との戦いをすべて勝利して、Div1のなかで安定した存在感を示せるようになってもらいたいと思います。「私が退職するまでには、甲子園ボウル出場をかけて関学と最終にもつれ込むようになるまでになってほしい…」これは私の夢です。


■【2014関西学生アメフトハイライト】龍谷大vs京都大

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