目には見えないものを感じとる力


■昨年、石川県の能登半島にいきました。そこで、アエノコトという儀礼に強く関心を持ちました。このアエノコト、文化庁のサイト(国指定文化財等データベース)では、以下のように解説されています。

奥能登のあえのことは、稲の生育と豊作を約束してくれる田の神を祀る農耕儀礼の典型的な事例として奥能登に顕著な分布を示しているもので、毎年12月と2月に行われる。
 各農家における行事次第や内容には細部には相違が認められるものの、ゴテと呼ばれる世帯主自らの采配によって執り行われる。収穫後(12月5日が多い)に、田の神を田から家に迎え入れて、風呂に入れたり食事を供したりして丁重に饗応して収穫を感謝し、翌年の春の耕作前(2月9日が多い)にも再び風呂に入れたり、食事を供したりして饗応して、田の神を家から田に送り出して豊作を祈願する。
 目には見えない田の神があたかも眼前にいますがごとく執り行う所作や直会には豊饒に対する感謝と願いが素朴なままに発露されている。
 古くから稲作に従事してきた我が国民の基盤的生活の特色を典型的に示す農耕儀礼の事例として極めて重要なものである。
(※解説は指定当時のものをもとにしています)

■上記の引用で、私が注目したいのは、太字で強調した部分です。文化庁の解説では「目には見えない田の神があたかも眼前にいますがごとく」と書かれています。しかし、「いますがごとく」ではなく、本来は、実際に田の神がいらっしゃることをリアルに感じとろうとしてこられたのではないかと想像します。田の神は、何も語りませんが、聞こえない田の神の声を聞き取ろうとする心持ちが必要なのだと思うのです。以下のページをご覧いただければよいのですが、儀礼の最中は、田の神への様々な配慮が必要になります。目には見えない存在を感じとろうと感覚を研ぎすましていくことが、神とのコミュニケーションには必要なのです。
「アエノコト」「西野神社社務日誌」


■12月17日の深夜0時から、奈良の春日大社の摂社である若宮神社の「おん祭」が始まります。この「おん祭」の最初の儀礼である「遷幸の儀」に関して、春日大社の公式サイトでは、次のように解説しています。

若宮神を本殿よりお旅所の行宮(あんぐう)へと深夜お遷しする行事であり、古来より神秘とされている。現在も参道は皆灯火を滅して謹慎し、参列する者も写真はもちろん、懐中電灯を点すことすら許されない。これらはすべて浄闇の中で執り行われることとなっている。神霊をお遷しするには、当祭においては大変古式の作法が伝えられ、榊の枝を以て神霊を十重二十重にお囲みして、お遷しするという他に例を見ないものである。全員が口々に間断なく「ヲー、ヲー」という警蹕(みさき)の声を発する。又、楽人たちが道楽(みちがく)の慶雲楽(きょううんらく)を奏で、お供をする。

■動画では、1分15秒あたりからご覧いただけますでしょうか。上の解説にあるように、この「遷幸の儀」、「浄闇の中で執り行われ」ています。春日大社の神主の皆さんの「おーおー」という警蹕(けいしつ)の声しか聞こえてきません。古式の作法といいますが、暗闇であるがゆえに感覚が研ぎすまされ、神の存在を感じとることになります。

■私は、ずいぶん長いあいだ奈良に暮らしていますが、この若宮の「おん祭」の「遷幸の儀」という儀礼を一度も拝見したことがありません。あっ…拝見とかきましたが、これは正しくありませんね。神の存在を感じとる、感覚を研ぎすませる…ですから。今年は、ぜひ参列させていただこうと思います。

琵琶湖の固有種、ビワマス

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(桑原雅之氏撮影)
■facebookを見ていて、以前勤務していた滋賀県立琵琶湖博物館の桑原雅之さんの写真に、目が釘付けになりました。桑原さんにお許しをいただき、その写真を掲載させていただきました。魚が写っています。ご自身で釣られたビワマスです。トリミングしたので3匹しか映っていませんが、本当は全部で5匹写っていました。facebookには、「40cmくらい以下は全部放流し,55cmを頭に5匹キープ」と書かれていました。写真の一番上のやつが、55cmだと思います。大量ですね。

■ビワマスは、その形からもわかるように、サケ科の淡水魚です。日本の琵琶湖にしかいない固有種でもあります。秋になると、琵琶湖の北湖の周りの河川を遡上し産卵します。サケ科ですから、自分が生まれた河川を遡上し産卵するのです。次の時の春に孵化した稚魚は河川を下り、琵琶湖の沖合の深くて水温の低い場所まで移動します。そこで、2〜5年かけて大きく成長するのだそうです。まあ、このようなビワマスの生活史は横においておきましょう。私が桑原さんの写真に釘付けになったのは、このビワマスが大変美味しいからです。とくに、これからの季節は、刺身が絶品なのです。

■このビワマスに関して、生態学者の川那辺浩哉さんが、『知っていますかこの湖を びわ湖を語る50章』という本のなかで、次のようなことを書いておられます。画家であり俳人でもあった与謝蕪村が、「瀬田降りて志賀の夕日やあめのうお」という句を残しているのだそうです。「あめのうお」とはビワマスのことです。この句について、川那辺さんは次のように解説されています。「瀬田は夕映えではなくて雨だとして俳を効かせ、天智帝の都ですぐに荒れてしまった志賀里に夕日がきれいに見えているとして、産卵期のビワマスの背が黒く、体側が虹色の姿に対比したわけだ」。なるほど。ビワマスも含めてサケ科の魚たちは、産卵期が近づくと「婚姻色」=虹色になるのです。

■川那辺さんは、蕪村の句について以上のように説明したあと。次のように解説されています。

「この句をどこで吐いたのか。瀬田と比叡山麓が見えるのだから、南湖東岸であることは確かだ。また膳の上のものではなく、「今や漁師が網からとり上げたところ」に違いない。しかし今、漁獲されるのは湖北のみである。だが野洲川はそもそもビワマスの名産地で、御上神社や兵主神社には秋にこの魚が捧げられる。びわ湖の水質が格段に回復し、蕪村さんの句のとおり、南湖でその風景を賞でながらビワマスを食べられるように、これまたすべきなのではあるまいか」。

チャグチャグ馬コ

20130624umako.jpg ■毎年6月の第2土曜日、岩手県の滝沢村にある蒼前神社から隣接する盛岡市の盛岡八幡宮までの15kmを、華やかに飾った馬たちが、小さな子どを載せて行列をして行進します。「チャグチャグ馬コ」というお祭りです。今年は、すでに終っていますね。以前、岩手県立大学総合政策学部に勤務していたとき、一度だけ、蒼前神社まで見学にいったことがあります。

■「慶長2年(1597)沢内村の馬が野良しごとの途中で暴れ出し、滝沢村まで駆けてきて死んでしまった。村人たちはこれを手厚く葬って祠を建てた。これが蒼前神社の始まりといわれ、依頼5月5日の端午の節句には仕事を休んで馬に飾りをつけ、この神社に参拝するようになった。昭和33年から新暦の6月15日、2001年からは6月第2土曜日に行われることになったチャグチャグ馬コの発祥地」(「いわての旅」「鬼越蒼前神社オニコシソウゼンジンジャ」)。

■写真は、その「チャグチャグ馬コ」の耳かきです。岩手県立大学総合政策学部のゼミ生だった学生たちが、私が龍谷大学に異動するということで餞別にプレゼントしてくれたもののひとつです。さきっちょの「馬」が少し重いので、多少使いにくいところもありますが、かれこれ10年間、研究室で大切に使っています。

アクセス10,000が視野に入ってきた

■このホームページ(&ブログ)「環境社会学/地域社会論 琵琶湖半発」は、昨年の7月25日に開設し、9月5日にアクセスカウンターを設置いたしました。そのアクセスカウンターが、このエントリーをアップする6月24日の時点で「9,710」になりました。あと2週間かからずして、アクセスカウンターが「10,000」を超えるのではないかと思います。ありがとうございます。

素敵な結婚式

■おそらく、facedbookに登録されている方しかご覧になれません。申し訳ありません。

Ayaka&Hiroki wedding

facebook/龍谷大学脇田健一ゼミナール/北船路米づくり研究会

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■「いいね!」が、200を超えました。ありがとうございました。

大津エンパワねっと「パズル新聞」

20130623empower.jpg■ 龍谷大学社会学部の地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」、現在5期生たちが、大津市の中心市街地のエリア「中央地区」と瀬田キャンパスに隣接する「瀬田東学区」の2ヶ所で、地域の皆さんと様々なテーマのもとで活動を展開しています。写真は、「中央地区」で活動するチーム「パズル」が発行している新聞「『パズル』新聞」です。

■チーム「パズル」は、これまで「中央地区」の様々な方たちから、この地域の課題等についてお話しを伺ってきました。そしてお話しを伺うなかで、新しく引っ越してきこられたマンションの住民の皆さんと、元々ここにお住まいの地付きの旧住民の皆さんとの関わりはどうなっているのかな…ということが気になってきたのでした。そこで、中央学区自治連合会の会長さんに、あるマンションの自治会長さんを紹介していただき、そのマンションの自治会の皆さんとの意見交換会や、アンケート調査等を実施しました。すると、大津の中心市街地に暮らしていても、この地域のことをよく知らない…という事実が浮かび上がってきたのでした。そのため、マンションの住民の皆さんがこの地域との交流が深まればと、「歩こう会」というまち歩きのイベントを企画したのでした。

■大津の中心市街地は、江戸時代の宿場町からの伝統をもつ歴史情緒あふれる街です。たくさんの町家が残っている街でもあります。その中心市街地を、マンションの住民の皆さんと自治会長さん(12世帯18人)、そして自治連合会長さん、中心市街地で活動している市民団体「大津の町家を考える会」のAさんも参加して、5月19日にまち歩きのイベント「歩こう会in中央学区」が開催されたのでした。「大津エンパワねっと」からは、チーム「パズル」の3名、そして同じく「中央地区」で活動しているチーム「くれよん」4名が参加しました。全員で27名、かなり大所帯のまち歩きになりました。イベントは午前中に無事終了しました。マンションの皆さんにとって、中心市街地の歴史の深さを知る貴重な機会になったようですし、同時に、参加したマンション住民の皆さん同士の親密度もぐっと深まっとのことです。

■多くのマンション住民の皆さんにとって、利便性等、様々な条件から選択した住居が、たまたま大津市の中心市街地にあった…ということなのだと思います。そこでは、多くの皆さんとって、大津の中心市街地は単なる「空間」でしかありません。中心市街地の様々な歴史を知り、暮らしている大津の街のことを気にしながら、旧住民の皆さんとの交流も深まっていくうえうちに、単なる「空間」であったものが、しだいに意味や価値を感じ取ることのできる「場所」になっていくはずです。チーム「パズル」のイベントは、ささやかな活動ではありますが、マンション住民の皆さんにとって、大津の中心市街地が「空間」から「場所」へと変容していくきっかけになったのではないかと思います。

奈良オクトーバーフェスト2013

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■一昨日金曜日は、緊急に対応しなければならない仕事が発生しドタバタと一日が過ぎ…。昨日は昨日で、土曜日で休みでしたが深草キャンパスで仕事がありました。いやはや…な週末なのです。というわけで、妻に電話をして、一緒に「奈良オクトーバーフェスト2013」にいくことにしました。まあ、ちょっとした息抜きですね。先日のエントリーでも説明しましたので繰り返しになりますが、「オクトーバーフェスト」(ドイツ語でOktoberfest)は、ドイツのミュンヘンで開催される世界最大規模のビール祭りです。9月半ばから10月上旬まで開催され、600万人以上の人が訪れるといいます。その「本場のオクトーバーフェストを日本でも!!」というわけで、11年前に横浜で開催され、現在では全国各地でこのオクトーバーフェストが開催されているようです。ということで、昨日から奈良でも開催されているのです。

■近鉄奈良駅から登大路を登った興福寺近くの奈良公園内に設置されていました。一昨日までけっこうな雨がふったので、あいにく会場は少ぬかるんでいましたが(そこに、かすかに鹿の●の香りがまじる…)、私たちが到着したときは空にも少し晴れ間がうまれ、日差しが差し込んできました。ビールは、真夏の暑く湿気の高いときよりも、初夏や初秋の気候で呑むほうがうまい。昨日は、ビールにバッチリの天候でした。会場にはバンドもはいり、ビールを楽しむ方たちで大いに盛り上がっていました。

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20130623nara3.jpg 【写真】上左、最初に呑んだ、無濾過の昔ながらのビールです。ジョッキのサイズは1l(リットル)。小さなバケツという感じですね。以下は、説明です。「地下室にある低温貯蔵庫を利用して作られた下面醗酵のビールを起源とする、ユニークなケラービール。ラガータイプなのに非加熱・無濾過!酵母のうまみがしっかりと残り、コクも十分に楽しめる味わい」なのだそうです。まあ、美味しければいいのです。上中、ガーリックバターソースのムール貝&フライドポテト。上右、2杯目の黒ビール500ml。左、定番の長いソーセージ。下の画像は、私がiPhoneで撮影してYouTubeにアップしたものです。縦と横が逆になってしまっています。すみません。でも、雰囲気はわかります。

■帰宅する頃には、すっかり暗くなっていましたが、会場はまだおおいに盛り上がっていました。
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■以下は、本物?!、ドイツ・ミュンヘンでの「オクトーバーフェスト」。

卒業生のこと

20130622mother.jpg ■龍谷大学で働くようになってから10年目を迎えています。10年たつと、ゼミの最初の頃の卒業生は、30歳、あるいは30歳近くになります。当然のことながら、結婚をする人たちが増えてきました。すでにお子さんが2人目という人もいます。素敵なことですね~。

■先日、facebookで交流しているゼミのOGが、大学卒業後勤めてきた京都の会社を退社しました。すでに結婚はされているのですが、来月、いよいよ出産するということで、それを機に退社することにしたのです。そのことが、facebookにアップされました。この「出産退社報告」の記事には、たくさんの「友達」のコメントが寄せられていました。私も、祝福のコメントを書いたところ、次のようにお返事をもらいました。

脇田先生☆
先生に就活しろと怒られ(笑)
内定頂いた会社に、昨日まで勤めることができました!!
自分が母になるイメージが全くできませんが(^^;
周りに頼りながらがんばっていこうと思います♡

■このお返事を読んで、2005年の7月の初めことを思いだしました。彼女は、4年生。就職活動がうまくいかず悩んでいました。私の研究室にやってきて、「せんせー、もう就職活動をやめます。やめて、資格を取る勉強をします」とべそをかいていうのです。就職活動がうまくいかないことで、少し心が折れかかっていたのです。私の記憶では、そのとき研究室でお説教をして、それからキャリアセンター(当時は名称が少し違っていたと思いますが…)に連れていって、彼女の指導をお願いしたように思います。すると、7月の末にはちゃんと内定をいただくことができたのでした。それが、今回退社した会社なのです。「そうか、あのときにお説教をしていなかったら、彼女の人生も少し変っていたかもしれないな…」と思うと、少し感慨深いものがありますね。

新しいカテゴリー

■新たに「地域社会」というカテゴリーを増やしました。さらに、「滋賀」、「京都」、「奈良」、「大阪」、「兵庫」、「岩手」、「岐阜」の7つに分類しました。

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