関学のキーホルダー

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◾️昨日は、石山、もっと正確には瀬田の唐橋そばの料理店で、関西学院大学同窓会滋賀支部の総会と懇親会が開催されました。その時、フラダンスをご披露くださった皆さんへの若干の寄付をさせていただいたことで、関学グッズが当たる福引抽選会に参加できました。このキーホルダーがそうです。このキーホルダーを見て、「関学にこの時計台(今は博物館、昔は図書館)があって本当に良かったな〜」としみじみと思いました。

◾️上ヶ原キャンパスが誕生したのは、第4代ベーツ院長(1877-1963)の時代になります。関西学院の在籍期間は1910年~1940年(約30年間)、また院長在任期間は1920年~1940年(約20年間)になります。日米関係など国際情勢が悪化するなか、1940年、院長・学長を辞任してカナダへ帰国しました。そのベーツ院長ですが、大学への昇格を目指して広いキャンパスを求めていました。その時、阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)の経営者である小林一三氏が、当時まだ神戸にあったキャンパスを高額で買収し、関学を阪急沿線の現在の場所に誘致しました。

◾️小林氏は鉄道を敷くだけではなく、沿線に住宅地、商業施設、学校などを配置し、新たな生活文化圏を形成することを目指していました。ということで、関西学院の上ケ原への移転は、阪急沿線の開発にもつながる事業だったのです。もちろん、両者の間を取り持った人たちもいますがそれは今回は省きます。一方、関学側も、神戸のキャンパスの売却で得た巨額の資金で大学昇格に相応しいキャンパスを作れることになりました。その際、ベーツ院長とヴォーリズは強い信頼関係で結ばれていたらしく(具体的なことはわかりません)、ベーツ院長は「大学昇格にふさわしい理想的な教育環境」を作ることをヴォーリズに依頼しました。1929年4月に上ヶ原のキャンパスが開学し、1932年には関西学院大学が設立されました。この3人の出会いがなければ、現在の関学は存在しません。

◾️さて、当たったキーホルダー、「校章」、上ヶ原キャンパスのシンボルである「時計台」(以前は図書館でしたが今は博物館)、そしてベーツ院長が提唱されたスクールモットー「KWANSEI GAKUIN MASTERY FOR SERVICE」。良い感じです。ただ時計台だけで、背景の甲山がありません。個人的にはここがちょっと残念です。ところで、私が学生の頃は、体育の時間にこの甲山の頂上まで走って登る甲山マラソンが恒例の行事になっていました。私は、19位でした。体育会でなく交響楽団の部員で19位ってなかなかものものなんですよ。昨日の懇親会で前に座っておられたフラダンスの学生さんに、「まだ甲山マラソンってありますか」とお尋ねしたら、「それなんですか?」と逆に聞き返されました。

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