AIを「適切」「効果的」にどのように研究や教育で活用するのか。
▪️このネットの記事「『人類皆殺しにしかねない』元開発者が警鐘のAI “AI著作物”で前例なき裁判 文学賞も席巻 突きつけられた深刻な問い」を読んでいて、先日、同業者と話をした時のことを思い出しました。
▪️学会誌に投稿された論文の査読をしていた時、この世に存在しない論文を引用してあったというのです。AIのハルシネーションですね。この投稿者はAIを使って論文を書かせたなと判断し、厳しく指摘したとのことでした。そしてこのAI問題にどう対応しているのかと尋ねられました。まあ、対応といっても、私はあと少しで退職するので…。若い後輩の皆さんは大変だなと思います。コロナ禍の前に早期に退職された方が、「オンライン会議だとか、オンライン講義だとか、そういうのに巻き込まれる前に退職してよかった」と言っていましたが、AIに関してはその方の気持ちとどこか似ているところがあります。
▪️この記事の中では、各種の文学賞への投稿が増えていることが書かれています。実際に創作にAIを使っている人も登場しています。では各種学会誌への投稿数はどうなっているのでしょうか。報道を読む限り増えているようです。少子化の中で18歳人口は劇的に減少し、それに伴い大学教員のポストも減っていきます。減っていくポストを巡る競争。さらに激烈になっていくはずです。そのとき、「まずい」AIの使い方をする人が増えても不思議ではありません。では「適切な」AIの使い方ってどうなんでしょうか。いわゆる剽窃ではないにしろ、この記事のなかにある画像の著作権問題のように、グレーゾーン的なものが増えいくような悪い予感があります。査読の側でも同様ですね。査読前の論文はまだ公開されていないわけで、その投稿論文を外部のAI漏らすのはアウトです。これは重大なルール違反になります。
▪️AI時代の研究リテラシー、研究倫理はどうなるのでしょうか。大学での教育についても、AIで安易に丸投げできるような課題はやめなければなりません。AIを効果的に使って、考えを深めたり、仲間とディスカッションを行うことができるかどうか。大切なのは、そのあたりなのかな。今日は、他大学の若い同業者の方が研究室を訪問してくださいました。1時間ちょっと雑談をしました。雑談って大切ですね。何か目的をもって話をする会議とは違い、話の内容はあちこちに揺れ動くのですが、それがとても心地よいですね。そのなかでもAIの話をしました。そして反転授業のなかで、AIを活用してみようということを話されていました。
▪️その方は、最近、仲間の皆さんと一緒に教科書を出版されました。教科書のなかでは、社会問題の解決にむけて活動している実務家の方達も執筆されています。反転授業では、まず①その教科書の1つの章をあらかじめ自宅で学んでもらう。②授業ではその内容にもとづいてディスカッションして、次の週にゲストとしてお呼びする実務家の方達への質問や意見等を考える。③そしてさらに次の週では、執筆したゲストから直接お話を伺い、前の週に仲間と考えた質問や意見をいって、ゲストとディスカッションを行う。この②のところで、AIを適切かつ効果的に使うこともできるのかな…ということをいっておられました。なるほど。特に、反転授業を意識していませんでしたが、1回生のゼミでは、反転授業に近いことをやっています。今日は雑談で刺激をもらったので、そのゼミのなかで、AIの使い方も同時に勉強してみてはどうかなと思っています。