「PFAS汚染問題」のドキュメンタリー映画


▪️今朝、たまたま「なぜ女性ばかりが「PFAS汚染問題」に声を上げるのか。世界各地を取材して見えたこと」という記事を読みました。PFAS汚染問題を、沖縄や世界の女性たちの目線から追ったドキュメンタリー映画『ウナイ 透明な闇 PFAS汚染に立ち向かう』の監督をされた平良いずみさんへのインタビュー記事です。関連して、この記事の前編になる「「我が子に『毒』を飲ませていたのか」他人事ではないPFAS汚染問題」も読みました。ちなみに、トップの動画は、その『ウナイ』を紹介する動画です。「ウナイ」とは、沖縄方言で「姉妹」のことです。また、姉妹のように親密な関係を表す言葉です。PFAS汚染に立ち向かう世界中の女性たちの連帯を、姉妹=「ウナイ」という言葉で表現されているのでしょう。もし、英語で表現するのならば、「シスターフッド(Sisterhood)」なのかなと思います。

▪️「ウナイ 透明な闇 PFAS汚染に立ち向かう」の公式サイトはこちらです。この公式サイトの中で、平良さんはこの映画をつくることになった背景を以下のように説明されています。自分自身の怒りからスタートしている点が重要かと思います。

「私は、執念深い」 監督である私の告白から始まる映画になりました。 映画をご覧になるみなさんが凍りついてしまわないか今から気が気でないですが、 笑ってもらえたら嬉しいです。

この映画は、 私が5年に渡り追ってきた “PFAS汚染” についての記録です。 起点となったのは9年前、 沖縄県民45万人が飲んできた水道水にPFAS・有機フッ素化 合物が含まれていたこと。 生まれたばかりの息子に水道水でつくったミルクを与えていた私は、「絶対、許さない」―そう思いました。

そうして気付いた時には、 世界の至る所で汚染問題の解決を求め立ち上がった女性(ウナイ)たちに出会い、 言葉の壁を越え想いが通じ合う瞬間を何度も経験しました。 汚染問題に直面した彼女たちはどう生きたか……。 この先、 この社会がきらいになりそうな人にこそ見てほしい。 絶望の涙を、 ひとしずくの希望にかえて立つ女性たちの姿を。 監督・平良いずみ

▪️前編となる記事「「我が子に『毒』を飲ませていたのか」他人事ではないPFAS汚染問題」で次のようなことが語られています。ミネラルは赤ちゃんの内臓に負担がかかるという医師の助言もあり、平良さんはお子さんのために水道水を使ってミルクを作っていました。ところが、「2016年1月、沖縄県が米軍嘉手納基地周辺の河川や浄水場の調査結果を発表し、県民の多くに水を供給する北谷浄水場にPFASが含まれていたことがわかった」のです。平良さんが想像していたよりも沖縄社会の反応は薄く、「政治が解決してくれるだろう」と思っている人が多かったといいます。実際、沖縄のお母さんたちによる市民団体「水の安全を求めるママたちの会」が立ち上がったのも、3年後の2019年だったようです。米軍基地が汚染源である可能性が非常に高いことは沖縄県の調査でわかっていますが、日米地位協定のため立ち入り調査を米軍は認めていません。

▪️後編の記事に戻りましょう。この記事の中で、「印象的だったのが、どの国でもこの問題に声を上げているのが女性ばかりだということ。女性を選んで撮ったわけではなく、活動している人に女性が多かった、ということなのでしょうか?」という質問に次のように答えています。

どうしても経済や軍事の利益が優先される社会で、男性たちは社会構造の中に取り込まれてしまって、声を上げづらい現実がある。女性は産む性ということもあって、“マッチョ政治”に対して勝ち目がないのが分かっていたとしても、「私たちは今、この命を守るために行動しなきゃいけない」という思いで怖いもの知らずに進んでいくところがあるのかもしれません。

▪️女性と環境問題。個人的には、非常に重要な問題だと思ってます。ここで平良さんが言っていることは、女性は男性のようには社会構造の中に取り込まれていない、逆に言えば排除されているということにもなります。しかも、そのよう男性中心の社会構造から排除されながらも、そのこととセットになっている固定化された性役割分業の中で、女性は「産む性」であり育児や子どもの健康を見守ることの第一義的責任を負わされています(「産ませる性」である男性も同様の責任を負っているはずなのですが)。自分の「命」だけでなく、子どもたちの「命」にも非常に敏感になる立場に置かれているわけです。目の前の「経済や軍事の利益」を優先した結果生み出されているPFAS問題によって子どもたちの「命」が脅かされていること、にもかかわらず様々な手段を駆使してPFAS問題を隠蔽しようとすることに対して、平良さんは「絶対、許さない」と心に誓っているのです。沖縄の女性たち、世界中の女性たちも、この問題の解決に向かって「怖いもの知らずに進んでいく」ことになったのです。

▪️記事では、アメリカのアマラ法のことが紹介されています。「アマラさんが住むミネソタ州の町には、1950年代からPFASを開発してきた化学メーカー・3Mの本社及びその工場があり、近隣の水源を汚染したとして、多数の自治体から訴えられていました。アマラさんはPFAS汚染が原因とみられる肝細胞がんを15歳で発症し、20回を超える手術を受けながらPFAS規制を訴え続けました」。アマラ・ストランディさんは、次のように語っておられたといいます。

2022年、もう回復の見込みがなくなった時に、環境団体の女性から州議会での証言を求められました。お母さんに「あと半年の命をどう過ごしたい?」と聞かれ、アマラさんは「自分のような子どもが絶対に産まれてほしくないから証言する」と即答し、何度も何度も証言を重ねたんです。

その結果、2023年4月、ミネソタ州において世界で最も厳しいPFAS規制の法案が可決されました。アマラさんは21歳の誕生日を迎える2日前に亡くなりましたが、法案が可決されたのはその約2週間後のことでした。アマラさんの尽力にちなみ、同法は「アマラ法」と呼ばれています。

▪️平良さんは、「予防原則」についても、述べておられます。予防原則とは、「化学物質や新技術などが、人の健康や環境に対して重大で取り返しのつかない影響を及ぼす恐れがある場合、科学的な因果関係が十分証明されていなくても規制措置を可能にする考え方」のことです(「日経ESG」)。この「予防原則」の考え方に照らし合わせた時、ヨーロッパと比較して日本は大変弱いということになります。平良さんは、「実際に健康被害が出るまで、子どもたちに『これだけ悪影響がある』と言われているものをずっと与え続けるんですか? と問いたいです。ヨーロッパなどでは予防原則という考え方が出てくるんですけど、日本では『被害がない=エビデンスがない』という話にいつもなってしまうんです」と日本社会の状況を批判されています。

▪️この予防原則に関する問題、PFAS汚染だけではありません。日本の消費者問題、公害、環境問題の振り返ったとき、この予防原則という観点から問題視されてきた歴史があります。平良さんは、「PFASは半導体を作るのに必要であることをはじめ、いろいろなところに使われているので、経済界は基準の厳格化に抵抗を示しています。EUが今、PFASの全面禁止を進めるためにパブリックコメントを募りましたが、寄せられた5642件のうち900件以上が日本企業からの反対意見でした。ここにも経済優先の姿勢が表れている」と批判されています。また、マスコミの報道に関しても。「政治家たちの責任もあるけれど、私たちメディアの責任もとても大きいと思います。PFASはこれだけ各地で検出されているのに、新聞の一面を飾ったことは、沖縄を除いて、どれだけあったでしょうか。在京キー局にも散々番組を提案してきましたが、全く報道してくれない」。

▪️環境社会学者の寺田良一さんが『環境社会学研究』vol.11に執筆されたエッセイ「「 『リスク社会 』、『 予防原則』、『問題構築』と環境社会学」の中で、ドイツの社会学者ベックを引用しながら次のように述べておられます。これは、2005年に執筆されたものですが、ここで寺田さんが主張されていることは、20年経過した現在の PFAS汚染問題でも言えることなのだと思います。ただ、米軍基地の場合には、さらに日米地位協定という壁の問題も直視しなければなりません。

U.ベックが、リスクの再生産、分配と、その定義づけが政治的課題になるとした「リスク社会」においては、客観的、科学的な「環境問題」が、いかにして社会的、政治的な意味における「環境問題」へと「構築」されていくかという、きわめて環境社会学的テーマが、これまで以上に重大な問題になる。たとえぱ、リスクの分配の不公正性を問題化した「環境正義(公正)」や、原子力や環境ホルモン問題における、世代間の公正性、種の存続といった問題フレームの構築がその例であろう。また日本で政策化が遅れる理由の一つは、市民の側に、まだ十分社会に認知されていない環境リスクを社会的な環境問題として喚起する「問題構築」能力を持ったアドボカシー(対抗的政策提言、世論喚起)型の専門的環境NPOが少ないことであろう。これも環境社会学や社会運動論の大きなテーマであろう。

▪️平良さんは、ご自身が監督をされたドキュメンタリー映画『ウナイ 透明な闇 PFAS汚染に立ち向かう』を通して、観る人に以下のことを感じ取ってもらいたいと語っておられます。

沖縄のお母さんたちから、身のまわりで起きている嫌なことに対する、社会と個人のあり方みたいなこと教えてもらえる内容になっていると思います。嫌だと思うことについては、一つひとつ声に上げていくことが大事です。嫌なことがあった時、私たち市民には座り込んだり、声を上げたりする権利があるんだよ、力があるんだよということを改めて感じてほしいです。

▪️関西に暮らしていても、このドキュメンタリー映画を拝見することができます。ただし、仕事のスケジュールが必要です。8月22日、京都シネマで。行けるかな。

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