小野正嗣さんの「歓待」
▪️日曜日の朝、NHK「日曜美術館」をよく視聴します。この番組の司会のお一人は、作家の小野雅嗣さんです。この前の日曜日は、レンブラントを取り上げた内容でしたが、番組を視聴しながら、NHKの「こころの時代」にも出演されていたことを思い出しました。探してみると、記事がありました。「芥川賞作家・小野正嗣が語る“歓待の言葉”」です。この時の「こころの時代」に出演した小野さんの動画もYouTubeにみつけました。「[こころの時代] 芥川賞作家 小野正嗣 “作品に紡いできた故郷と兄” | NHK」です。
▪️この記事と動画をご覧いただいたことを前提に書きますね。脳腫瘍でお亡くなりになったお兄様は、「実は人々に愛され、与え、人々を歓待して生きてきた」ことを小野さんは知る…そういう内容でした。キーワードは「歓待」。歓待について、小野さんは次のよう説明しています。「見返りを求めずに、人を受け入れる。他者を受け入れる。他者のための場所を作るという。他者の心の声というか、何も言わなくても沈黙から他者の心のうちを・・・想像する」、そのように述べておられます。そして、小野さんは、そのような「歓待」を、ずっと故郷の中で生きそして亡くなった兄の中に見出すのです。
「兄が亡くなったあとね、葬式の時に、たくさんの集落の人がきてくれて。わざわざすごい足の悪いおばあさんが、わざわざ、うちまで歩いて。それで、うちの兄に、こんな良くしてもらったっていう風に話したりだとか。なんか小さい時に兄に親切にしてもらったっていう人が、わざわざ通夜の時来てくれて、兄のことを、こんなお世話になったって、話をしてくれたりだとか」
「僕の知らないところで、すごい集落で、いいこと。人のために喜ばれることをしていたと。だから人に与えるということ。人に喜びを与えるということをしていたということを、後から知って。ああ、やっぱりなんか、奪われているっていうふうに僕は思っていたけど、そうじゃなくて、むしろたくさん与えていた人なんだなと、本当思ったわけですよ」
▪️小野さんは、早稲田大学の教員をされていますが、文学の研究をされているわけです。その文学についても、こう語っておられます。文学が持つ可能性について述べておられます。
「僕にとっての文学というのは、この土地とか、ここで暮らしている人たち、僕を歓待してくれた人たちの姿と重なっちゃうんですよね。どうしてもね。じゃあ文学的なものはなにかというと、他者をこう受け入れて、他者の存在に、真剣に注意を傾けるという。そういうのが文学的な態度だなと思うんですよね。」
「戦争とか災害が起こると、思い出したくもない記憶というのが刻まれるかもしれないけど、でも、だからこそ文学や芸術というものが、そういう人たちを肯定し、受け入れる場所、歓待の場所を作れる、与えることができると信じているし、人間には、どんな辛い環境にあっても、そういうことができる可能性が、キャパシティがあるということを僕は信じている。」