孫の勘違い

■今日は「敬老の日」です。今まで自分には関係ないと思っていました、というか特に意識していませんでした。ところが、孫のひなちゃんがジーバー(祖父母)の顔を描いてくれたのだそうです。そうすると、急に「敬老の日」が自分事として感じられるようになりました。来年からは、前期高齢者で、正真正銘の「老人」になりますしね。

■顔の絵はまだ届いていませんが、面白い話をお母さん(娘)から教えてもらいました。ひなちゃんは、これまで私のことを「けんちおじいちゃん」だと思っていたというのです。「けんいち」ではなくて「けんち」。ひなちゃんには、もう1人おじいちゃんがいます。本当は「こうじろうおじいちゃん」なんですが、ひなちゃんは「こじろおじいちゃん」と思っていたのだそうです。「こじろ&けんちジージーズ」です。

■どうして、ひなちゃんが自分の勘違いに気がついたのかといえば、最近、ひなちゃんは平仮名が書けるようになっていて、ジーバーの顔の下に名前を平仮名で書こうとしたのですが、お母さん(娘)からの指摘で自分の勘違いに気がついたようです。でもね、「けんち」でもいいんだよ、おじいちゃんは。

追記
■ひなちゃんは、いま、5歳です。来年の春には小学生になります。

孫のこと

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■連休中に、ひな子となな望(ななみ)、孫の二人に会うことができました。昨日、私は仕事でしたが、孫たちは両親と一緒に和歌山の方面に遊びに行ったようです。この写真、昨日の一枚です。たくさんの写真を、家族専用のSNSで送ってもらいましたが、この写真が一番素敵だな〜と思いました。

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■連休中のことも。1枚目の写真は、2017年3月16日。初孫のひな子、ひなちゃんと初対面した時の写真です。生まれて2日目。そのひなちゃんは、今年の3月に5歳になりました。来年の春には小学校に入学します。ということで、先日は、大阪梅田にランドセルの「予約」をしに行きました。ランドセル専門のお店です。ひなちゃんの希望のランドセルはこれ。インターネットで、前々から「これだ!!」と決めていたようです。今はいろんな色のランドセルがありますね。写真では、水色っぽく見えますが、目で見ると薄い淡い緑色です。このランドセルは祖父母からのプレゼントです。6年間、大切に使ってね〜。ちなみに、この写真のものはサンプルです。これから製作するのだと思います。完成はいつになるのかわからないようですが、入学式までには、ひなちゃんの自宅に届けられます。

■驚いたことがあります。ランドセルには、最初からタブレットが格納できるようになっていることです。孫の世代は、紙の教科書やノートだけではなくて、タブレットを使って学んでいくのですね。タブレットを使う学びが良いと必ずしも思っているわけではありませんが、その利用を当然のこととして学んできた子どもたちが大学に入ってくるのも、それほど先のことではないように思います。大教室で、大きな黒板に丁寧とはいえない板書書をしながら進められるような講義、古典的な大学の講義のやり方って、どうなっていくのでしょうね。

補助監督と孫

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■昨日は、定期試験の補助監督の仕事がありました。必修等の授業は人数が多いのですが、人数が多い授業には他の教員が補助監督でサポートを行うのです。昨日は、「社会福祉調査論」の補助監督でした。昨年度、ご退職になった安西将也先生が非常勤講師としてご担当になっている授業(2年次〜4年次)です。

■この日の仕事は、補助監督の仕事だけでした。仕事が終わったら、車で一路奈良に向かいました。向かったのは、娘の家です。コロナでなかなか会うことのできない、孫たちに会いに行ってきました。3月で5歳にになるひなちゃん(ひな子)には、じっくり遊んでもらいました。ひなちゃんが遊びを仕切ってくれるので、おじいさんの私は一生懸命その仕切りについていくので精一杯。ひなちゃんとは、ゲームやトランプのババ抜きもやりました。いろんなことができるようになっています。1歳半のななちゃん(なな望)は、最初はちょっと人見知りでしたが、おじいさん(私)が姉のひなちゃんの指示で、一緒にバレイ風に?!踊っていると(ひなちゃんは保育園でバレイを習っています)、面白がって笑い始めて、しだいに人見知りも無くなっていきました。よかった、よかった。今日は、おじいさんのことをジジと呼んでくれましたよ(写真は、左から、ななちゃん、ひなちゃん、おじいちゃん)。

■孫が誕生したことは、自分自身にとって大きな出来事でした。孫の誕生を契機として、意識の中では、「人生のステージが次の段階」に移行したように思っています。その次のステージにあった生き方をしていく必要があるようにも思っています。私は40歳から大学の教員になりました。そして、その大学教員もあと残すところ5年ほどになりました。5年たって退職した後も、それなりに健康であれば自分の人生はもう少し続いていくことになります。その場合、むしろ退職後の人生を視野に入れて残りの5年を働かねばならないのかなと思うのです。知り合いの方たちとともにNPOを新たに設立し、理事長として仕事に取り組んでいますが、そのことも「人生のステージが次の段階」に入っていると思っているからです。残りが5年というと、「まだ5年あるじゃないですか」とよく言われるのですが、私の認識はその逆で「もう5年しかない」です。5年では、何か新しいことに取り組んだとして、そのことの結果や責任を自分自身で取ることができなくなりますから。そのあたり、よく考えて残りの5年を過ごしたいと思っています。

■「人生の次の段階」で大切なことのひとつは、孫たちとのふれあいかなと思っています。とはいえ、孫にとっては、おかあさん、おとうさん、おばあさん…そしておじいさんのような序列があるような気がしています。仕方ないですね。でも、孫に遊んでもらうと幸せな気持ちになれます。これ、大切なことだと思います。ふと思いましたが、「ちびまる子ちゃん」のおじいさん、さくら友蔵さんのようになれたらいいなと思います。さくら友蔵さんは、完全に「脱力系」です。ちびまる子ちゃんに、ちょっと馬鹿にされながらも、彼女と一緒に遊ぶ良き理解者。私の理想ですね。

孫たちが帰った後の「中秋の名月」…の前日の月

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■我が家のリビングからは、少しだけ琵琶湖の南湖を眺めることができます。琵琶湖から少し離れた丘の上に家があるからです。薄暗くなってきて、そろそろ雨戸を閉めようと思った時、琵琶湖に月が登り始めていました。明日は、3・4・5限と授業があります。授業が終わるのは18時半。その後、帰宅してすぐにzoomで吹奏楽部のミーティングが始まります。明日は、「中秋の名月」だったと思いますが、仕事のために残念ながら鑑賞することができそうにありません。ということで、今日は前日で中秋の名月ではありませんが、琵琶湖の湖岸に出かけて月を鑑賞してきました。湖面には、月光の道ができていました。背後は、比叡の山々。孫たちが帰った後だからでしょうか、秋の雰囲気が心に沁みてきました。そうなんです。先週の土曜日からの三連休で、娘と2人の孫たちが我が家に遊びに来ていたのです。

■土曜日に娘と孫2人が大津の我が家に来るに先立ち、娘からは、「(妹の)ななちゃんがまだ1歳2ヶ月なので、リビングの観葉植物の土を触ったり口に入れたるするかも知れない。手に触れないようにして欲しい」との要望が事前にあり、たくさんの観葉植物を庭や他の部屋に避難させて、万全の体制で孫たちを迎えました。上の孫ひなちゃんは4歳、下の孫ななちゃんは1歳。ひなちゃんは、もう人見知りしませんが、ななちゃんはまだまだ人見知りします。ななちゃんは、白い髭が生えた髪の毛の長い(そして一部薄い)老人に興味はあってチラリとはみてきますが、ここで調子に乗って目を合わせてはいけません。知らないふりして、気が付かないふりして、時間をかけて…。すると夕方には一緒に遊んで暴れ回れるようになりました。とっても嬉しいかったですね〜。コロナのせいで、ずっと会えていなかったのですから。

■2日目の朝のことですが、早起きしたひなちゃんが寝室を覗きに来てくれました。おじいさん(私)の布団にも入ってきました。おじいさんはとっても幸せでした〜。その日の朝は、娘の幼稚園時代の絵を押し入れから出してみんなで鑑賞?!しました。我が家では、キルトの大きな手提げカバンの中に、幼稚園時代の絵を残してあるのです。今34歳の娘が幼稚園の時ですから、今から30年近く前のことになります。当時の私は、子どもの成長にどう向き合っていたのかな…いろいろ考えることになりました。娘夫婦は働きながら、協力して小さな子どもたちの育児をしているわけですが、こうやって孫たちと遊びながらもその大変さを想像しました。そして、自分の時はどうだったかなあと思い出そうとしましたが、やはり記憶も曖昧になっています。まあ、そんなこんなで、いろいろ考えた3連休になりました。孫が帰ったら、早速、観葉植物をリビングに戻し、リビングの床に広がっていたたくさんのオモチャは納戸や押し入れに片付けました。また静かな大人の暮らしにすぐに戻りました。やはり、ちょっと寂しい気持ちになりますね。

他者を想像する。

20210811hanabi.png■大変個人的なことで申し訳ありません。少し前のことになりますが、娘から、家族専用のSNSで動画が届きました。花火の動画です。でも、孫たちの声が入っています。動画では、最初、妹のななちゃんの唸り声?!が聞こえてきます。1歳だと、花火を見てもよくわかりませんものね。じっと同じ場所にいることに飽きてきて「退屈や〜」と唸っているのでしょう。

■それに対して姉のひなちゃんは4歳だからちょっと違います。ひなちゃんは、花火を見ながらおかあさん(娘)とこんな会話をしていました。

ひなちゃん「きれい」
おかあさん「きれいだね」
ひなちゃん「花火やっている人、あの人も、観てるのかな」
おかあさん「下から観てはるかもしれないね」
ひなちゃん「きれい、写真撮ってるの」

■ひなちゃんは、見えないし、会ったこともない人の立場からいろいろ想像できるようになったんですね〜。親子の会話から、そのようなことを感じました。大人になってきたな〜。おじいさんは感動しましたよ。そのことをおかあさんに伝えると、以下のようなメッセージが返ってきました。

ひなちゃん、いろいろなことが考えられるようになっています。ななちゃんが何か言いたげにしていると、〇〇してほしいんちゃう?と気づいてあげたり。優しいです。

■人は、何歳頃から他者のことを考えることができるようになるのでしょう。1歳の妹はまだ言葉が話せないわけですが、それでも普段一緒に暮らしているから何を求めているのか状況から推測することができるのでしょう。それに対して、「花火をやっている人」の場合は、見えない遠く離れたところにいて、自分とは全く異なる「他者」として頭の中で構成しているわけですね。子どもの成長過程において、このことはとても大切なことなんじゃないかと思いました。まあ、ジジ馬鹿なことを言っていると言われれば、その通りですかね。どうかご容赦ください。

おそろいのワンピース

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20210724grandchild3.jpg■プライベートなことを書いてしまいます。すみません。

■2人いる孫のうちの妹の方が、先日1歳の誕生日を迎えたこともあり、明日の日曜日は会いに行こう…ということになっていました。ところが、またコロナ感染が拡大してきました。そのため、訪問は急遽中止することになりました。コロナめ…。おじいさんはがっかりです。でも、仕方がありませんね。

■明日は、おばあさんお手製のワンピースをプレゼントすることになっていました。手芸店から型紙や自分好みの生地も買ってきて、こしらえました。とても上品な雰囲気のワンピースができあがりました。持っていくことができないので、宅配便で送るようです。

■左の方がお姉ちゃんのワンピース。ボケットやバックの襟元にリボンがついています。髪を括るリボンとシュシュもできあがりました。リボンのゴムは、おじいさんが髪を括っているゴムなのですが、きちんと洗濯してあるのだそうです。内心、そのままでもええやんと思いましたが、いや、やはり爺いのゴムはあかんやろと思い直しました。もうひとつは、1歳を迎えた妹の方のワンピースです。こちらは襟がついていますね。姉と妹が、オソロのワンピースを着た様子を想像して、おじいさんはニヤニヤしています。

孫からのプレゼント

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■私にとっての最初の孫が、もうじき4歳4ヶ月になります。ひな子といいますが、おじいさん(私)のために絵を描いてくれました。「けんいちおじいさん、トマト、にんじん、かぼちゃ」です。4歳児なりに、いろいろ観察して工夫して書いています。たとえば、おじいさんの髭は白髪であるとか、トマトの皮がピカピカ光っているとか…。子どもなりにしっかり考えて描いていることように思います。コロナのため、孫たちにはなかなか会えませんが、こうやって成長を実感できます。嬉しいです。ひなちゃん、ありがとう。

「孫の絵」と編集作業

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■先週の土曜日のことになりますが、子どもと孫たちが、妻の還暦のお祝いをしてくれました。石山にある料理店で、美味しい京懐石料理をいただいた後、今度は自宅で、孫のひなちゃんやななちゃんと楽しい時を過ごしました。子どもたちからは還暦記念や花束のプレゼントがあり、さらに3歳になった1人目の孫であるひなちゃんからは、小さな絵がプレゼントされました。右端のウルトラマン??のような人物がおばあちゃん。熱が出たり、何かあった時にウルトラマンのように頼りになるのはおばあちゃんですしね。真ん中は孫本人です。少し離れたところに、お目目がぱっちり、髪も髭もフサフサで黒々としている人がいますが、これはおじいさんです。実物とは真逆ですね。ハンサムに描いてくれてありがとう。

■さてさて、このような幸せな時を過ごすことができたのは土曜日だけ。日曜日からは、再び、本の編集作業がずっと続いています。文理融合型プロジェクトの研究成果を元にした、『流域ガバナンス 地域の「しあわせ」と流域の「健全性」 』(京都大学学術出版会)という本です。もう1人の編者の京都大学生態学研究センターの谷内茂雄さんと、毎日のようにzoomを通して細かいところまでやりとりをしながら、編集作業を行なっています。

■土曜日は、昼間はお祝いの会や孫と過ごしていたので晩だけになりましたが、日曜日は、午前、午後、晩の3回に分けて合計7時間ほど編集作業に取り組みました。この本が生まれるまで…というか、研究プロジェクトの期間には、いろんなことがありすぎて、思い出したくもないことも多いわけですが、そんなこんな、いろいろあっても、もうじきゴールということになります。私自身は、もう年寄りの部類に入ってきたので、体力や気力のいる文理融合型の研究プロジエクトは、もうこれで最後かと思いますので、なんとか頑張って編集作業を終えたいと思います。

■ただ、さすがに肩や首が鋭い痛みを発してきたので用心しています。この後に、頭痛や難聴が続くと、またまたメニエール病になって寝込んでしまうので。今月いっぱいは、このような作業が続くのかな…。編集者の方とスケジュールを調整しながら、身体を騙しながらの作業になります。今月は入試業務もあるし、博士後期課程の審査もあるし…激務の月になりそうですが、来月は近くの温泉に「Go To トラベル 」で行くことができそうなので、それを目標に頑張ることにします。

■まあ、日曜日はそのような1日だったのですが、夕飯の買い物のついでにホームセンターに寄り道して、黄色のチューリップの球根20個、ヒヤシンスの球根3個、ヤマユリの球根2個、それからタイムの苗を衝動買いしました。黄色いチューリップは、全部1つの鉢に植える予定にしています。春、花が咲いた時のボリューム感を想像して今から楽しんでいます。ヒヤシンスも小さな鉢に植えて、リビングの窓際に置く予定です。朝、リビングの雨戸を開けた時に、漂ってくる素敵な香りが楽しみです。ヤマユリが咲くのは夏ですね。こちらも甘い強い香りがしますね。私は、良い香りがする草木が好きなのだと思います。枯らしてしまったジンチョウゲ、蛾の幼虫に葉を全て食べられてしまったクチナシも、香りのする花を咲かせます。そのうちに、リベンジして素敵な花を咲かせようと思います。明日の午前中はインフルエンザの予防接種があるのですが、朝のうちに、球根や苗を植えてしまおうと思います。

孫からのメッセージ

20200926granddauther.jpg ■私には2人の孫がいます。先日のこと、その孫たちから葉書でメッセージが届きました。「敬老の日」だったからです。といっても、3歳と0歳の孫は字を書くことができません。娘が代筆?!で送ってくれました。字は書けないけれど、足形を葉書に貼り付けて送ってくれました。嬉しいな〜。上の孫の足形は、葉書の大きギリギリでおさまっていますが、来年は無理のような気がします。来年は、どんな形でメッセージが届くのでしょうね。楽しみです。

■私は62歳ですし、可愛がっている2人の孫から「敬老の日」でお祝いをもらうことはとっても嬉しいことなのですが、同時に「敬老」の対象になることに、まだどこかで違和感を感じている自分がいるような気がしました。歳を取ることを素直に受け入れていたつもりでした。人生の最期に向けて少しずつ歩みを進めていたつもりだったのですが、そのような自分に抵抗する別の自分が、まだどこかに潜んでいるようですね。ちょっと驚きました。

■このことと関係することです。少し前にことになりますが、詩人の伊藤比呂美さんのTweetを見て、「人ごとではないよな〜」と思いました。伊藤さんだけでなく、自分自身に対する自己認識と、周りの人たちからの認識との間にはギャップがありますよね。

保険がなんとかというお役所から封筒がきて、あけたら介護保険証が入っていたので、とっさに「あれ、お父さんとっくに死んじゃったんだけど」と思って、自分のだというのに気がついた。ちょっとショックで、お父さんに話したかった。

1ヶ月

20200829nanami.jpg■2人目の孫、ななちゃん、すくすくと育っているようです。仕事やコロナの心配もあり、まだ1度しか対面していませんが、ななちゃん(なな望)のおとうさんが、生後1ヶ月の時に撮ったものを送ってくれました(掲載可とのこと)。私はよくわからないのですが、この1ヶ月で大きくなったようです。声をかけると笑うし(正確には笑うように見えるかな…)、声の方に顔を向けるようになりました。

■おねえちゃんの3歳のひなちゃん(ひな子)も元気にしています。今は、テレビアニメのプリキュアに夢中です。このアニメのキャラクターのように上手にダンスしています。成長していますね。来年は、ひなちゃん&ななちゃんと一緒に琵琶湖で泳げるかな。2人の孫が生まれてくれて、おじいさんとしてとても幸せな気持ちです。でもその一方で、心配もあります。孫たちが成長し、私が死んでしまった後、2人が本格的に高齢者になったときのことが心配なのです。マジで。22世紀のことになりますね。世界は、地球は、いったいどうなっているのでしょう。おじいさんとしては、自分が死んでしまった後のことですが、孫たちのことがとても気になります。「こいつはアホか…」と呆れる方もおられるでしょうが、私はこういう発想、実は大切なことだと思っています。

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