西岡写真工房

20170416nishioka.jpg ■先週の金曜日(4月14日)のことになりますが総合地球環境学研究所の用務で、プロジエクト研究員の池谷透さんと一緒に、草津市にある「西岡写真工房」に向かいました。こちらの写真館の西岡伸太さんから、いろいろお話しを伺いながら、お若い時にお撮りになった、琵琶湖やその周辺の写真を拝見させていただきました。西岡さんが撮影されてきた琵琶湖の周辺は、国の巨大開発事業である「琵琶湖総合開発」、河川改修等ですっかり姿を変えてしまいました。西岡さんの言葉では、湖岸に凹凸がなくなり、直線的になってしまった…ということになります。自然が生み出した造形美が失われてしまい、直線的な人口的な景観に生まれ変わってしまっているからです。西岡さんは、そのような問題意識の中で、琵琶湖や琵琶湖周辺の写真を撮影されてきました。

■ライティングボックスの上にあるのは、草津市の北山田の昔の風景です。おそらく昭和30年代かと思われます。漁師の男性たが、琵琶湖の湖底からマンガンという漁具で獲ってきた貝を、女性たちが大きな釜で炊いて、貝の身を剥いているところです。このような風景は、もう見られません。西岡さんは、このような琵琶湖と人との関係にも焦点をあてて、写真を撮ってこられました。いろいろお話しをさせていただく中で、私が滋賀県立琵琶湖博物館に勤務していた当時の上司(副館長)である西岡信夫さんの写真の師匠をされていることもわかりました。世間は狭いですね〜。

田中長徳 Panorama Europe 1975 プロジェクト

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■大隅直人さんが経営されている大隅書店から、あの田中長徳さんの写真集が出版される企画が立ち上がりました。クラウドファンディングで出版資金を確保することができることが条件のようです。最近、1975年前後に田中長徳さんがヨーロッパ各地で撮影されたパノラマ写真のヴィンテージ・プリント232枚が発見されたことからこの企画が始まったようです。詳しくは、以下をお読みください。

田中長徳 Panorama Europe 1975 プロジェクト

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■数日前から、ブログの調子が悪くなりました。ご迷惑をお掛けしますが、しばらくお待ちください。原因がわかりました。
■このエントリーのタイトルをクリックしてください。右側の下の方に「Last 10 entries」とありますので、そこから最近の記事をご覧ください。また、「Archives」からも過去の記事をご覧いただけます。操作を誤り「Categories」も消去してしまっています。ですので、古い記事の「Categories」は、内容とは一致していません。また、再構築する必要が出てきました。現在、2013年の4月まで復活しました。のんびりやっていきますので、おつきあいください。

中島省三 写真展

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20161110syouzou2.jpg■中島省三さんは、大津市在住の映像作家です。大津の街中を歩いていると、よくスポーティーな自転車に乗った中島さんと出会います。お会いすれば、そこでしばらく立ち話しをさせていただきます。1940年のお生まれですから、現在76歳。大変お元気です。先日は、ご自身の写真展を、あの三井寺で開催するというお話しを聞かせていただきました。「三井寺秋のライトアップ2016」というイベントとの関連で開催されるようです。昨日のことですが、中島さんから「中島省三 写真展」の案内のハガキが届きました。軽飛行機のイラストもはいっています。そうなんです。中島さんは、飛行機から琵琶湖の映像をたくさん撮ってこられました。写真展は、11月18日(金)から27日(日)まで、三井寺観音堂書院で開催されますが、26日と27日には、飛行機から撮影した「16ミリフィルム上映会」が特別に開催されます。中島省三さんの「俺の見た琵琶湖(1980)」と「水のエスキス」という作品が上映されます。

■中島省三さんとの出会いは、かなり以前のことになります。私が、滋賀県立琵琶湖博物館の開設準備室に勤務している時代ですから、今からもう20年以上前になりますね。博物館の開設にあたっては、中島さんにもいろいろお世話になりました。それ以来、いつも親しく接していただいています。ありがたいことです。以下は、中島省三さんの公式サイト「中島省三フォトギャラリー」から引用したものです。「ウェブサイト開設にあたって」書かれた文章です。ここには、中島さんの映像作家としての、琵琶湖に対する深い思いが表現されているように思います。

1966年6月30日私は飛行機の練習を始めるため大津市にある際川の小さな飛行場から教官同乗で飛び立った。機はみるまに高度2000フイート、眼下に広がる琵琶湖は青く美しい水と光を受け緑色に輝く葭原が湖の湖岸を形成していた。私が琵琶湖を初めて空から見た日でした。それから12年後1988年5月27日八尾空港より淡水赤潮を取材するため琵琶湖へ向かった。大津上空撮影のため高度を下げると突然異臭が機内に魚の腐ったような臭いが立ち込める。湖面は醤油色染まっている衝撃が私の体に走った。あの美しい水は何処へ、たった10年あまりの事でそのころから私は琵琶湖の変化に興味を持ち始めた、そして滋賀の自然と琵琶湖守る会の人たちと出会い琵琶湖総合開発が始まると湖の自然環境の破壊が進み大変な事になるのではといつも会合で話題になっていた。

1979年に入ると開発工事が湖のいたるところで始まった。私の自主製作の映画を撮り始めるきっかけにもなったのが琵琶湖総合開発であった。愛機アリフレックスに16ミリフイルムを詰め湖の風景や開発による湖岸の破壊状況を記録し始めた。湖の様子は分きざみで変化してゆく様子を追われるように撮影をしたそして1年、1980年映画俺の見たびわ湖が完成、朝日新聞で紹介され話題にもなり貸し出しも40件ほどあった。以後私は毎年工事による湖の環境破壊をもの言わぬ湖の代弁者として記録美しい波や消え行く湖岸、そしてアオコや赤潮を琵琶湖からのメッセージとした映画やビデオをいままで20本製作してきました。1991年俺の見た琵琶湖1991を完成させたころには琵琶湖の美しい葭原は開発工事により消滅したりダメージをうけていた。滋賀県は1992年ヨシ群落保全条例をつくった。ヨシ群落を破壊したのは琵琶湖総合開発である事は言うまでもない。

今琵琶湖総合開発の功罪を議論する兆しが聞かれるが、今こそ開発を見なおして湖を主に自然環境の事を考え早く美しいヨシ群落のある湖に再生してほしいものだ。1980年頃ドキュメンタリーの映画でインタビュした時の近江舞子(雄松ヶ崎)に住む老漁師の話がいまも私の脳裏に浮かび上がる。もうこれ以上琵琶湖をオモチヤにしたらあかんと言う言葉が印象のこっている。浜大津から膳所への湖岸は人工的美しく近代的な建物が立ち並ぶがヨシは1本としてない、また空から見る風景では烏丸半島と由美が浜の人工の白浜が薄汚れた湖面と対照的に白く美しく輝いている。これからも私は負の記録者としてしずかに琵琶湖の行く末をながめてゆこう。

映像作家 中島省三  2000/7/20

今森光彦写真展「里山」

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20160825ujikintoki.jpg■23日は、午後から大津市役所に向かいました。現在、大津市の「都市計画審議会」の委員と、同じく大津市の「大津市都市計画マスタープラン案策定専門部会」の部会長職務代理者、都市計画関連の仕事をしています。大津市の次期の「都市計画マスターブラン」、多くの皆さんのご意見をいただきながら案を作成してきていますが、いよいよ最後の段階に入りつつあります。ということで、この日は、市役所の職員の皆んさんや、この業務を請け負っておられるコンサル会社の職員の皆さんと一緒に、細かな詰めの議論をしてきました。締め切りのある作業ですが、まだ細かな詰めの作業をする必要があります。とはいえ、少しずつですが、着実に前進しています。そのうちに、市民の皆さんから広くご意見をいただく段階に移れるのではないかと思います。

■市役所での議論を終えて、京阪石坂線を利用して膳所に移動しました。膳所では、知り合いの方が経営されている紅茶専門店に立ち寄り、水出し紅茶と専用のボトルを購入。そのあと、西武大津店で開催されている「今森光彦写真展 里山」に行ってきました。今森光彦さんは、ここであえて紹介するまでもなく、皆さんご承知のことと思いますが、滋賀県、特に湖西の里山を中心に素晴らしい写真を撮ってこられました。『昆虫記』、『世界昆虫記』、『里山物語』等をはじめとして、様々な写真集、エッセイ集を発表されています。

■今森さんには、私が琵琶湖博物館の開設準備に取組んでいる頃の事になりますが、大変お世話になりました。ご自宅に写真のスライドをお借りしに行ったり、里山の中にあるアトリエにもお邪魔しました。ご自宅では、奥様が甘酒を出してくださいました。どういうわけか、その時のことをしっかり覚えています。懐かしい思い出です。最後にお会いしたのは、おそらく15年ほど前のことではないかと思います。琵琶湖博物館の学芸員の皆さん達と一緒に、湖北を回ったことがあるのですが、その時、今森さんも同行されました。そのようなことを思い出しつつ、写真展の今森さんの作品を拝見させていただきました。作品の中心となっているのは、湖西の仰木の棚田です。まだ、仰木には昔ながらの棚田も残っていますが、すでに圃場整備されてしまい、今では今森さんの写真集の中でしか見られない風景もあります。写真展を観覧した後は、写真展の図録とともに、今森さんの著書『今森光彦ネイチャーフォト・ギャラリー-未来へ贈る風景・里山』と『今森光彦ネイチャーフォト・ギャラリー-めぐる命をはぐくむ風景・水辺』を購入しました。購入した本のページをめくるために、西武の中にある喫茶店で休憩をしました。その時にいただいたのが、「宇治金時練乳」です。もう、かき氷なんて食べることがほとんどなくなっています。何年ぶりでしょうか。今回は、あえて注文してみました。懐かしいですね〜。

20160825wurzuburg.jpg■喫茶店で小一時間過ごして、今度は西武の少し東にある「 ドイツレストラン ヴュルツブルグ」に移動しました。この日の夕方は、研究部(瀬田)の職員の皆さんと一緒に、暑気払いもかねた宴会を開きました。これから始まる後期の仕事にバリバリ取り組んでいこうと、ドイツビールを飲んで職員の皆さんと一緒に英気を養うことができました。いつもは、アサヒビールのスーパードライを飲むことが多いのですが、この日は、ひさしぶりにヴァイツェンとピルスナー、両方を味わうことができました。瀬田の研究部の職員さんは、40歳代のお子さんがいらっしゃる大人の女性職員の方が多く、皆さんとても陽気で、楽しいひと時を過ごすことができました。

■来月になると、研究部の仕事も本格的に動き始めます。私が研究部長を務めるのは、来年の3月末まで。目先の細かな仕事だけでなく、大きな視野の中で研究部の仕事を捉えて働きたいものです。いろいろ学内行政関連の仕事をし続けてきたものですから、もう息も絶え絶えの状態ではありますが、残りの期間を頑張って仕事に取り組みたいと思います。

川崎市民ミュージアム「生きるアート 折元立身」

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■残念ながら、行くことができません。土曜日は長浜市でシンポジウム、日曜日は老母の見舞いと介護。本当に、残念です。

「生きるアート 折元立身」

折元立身(1946年川崎生れ、川崎市在住)は、パフォーマンス・アーティストとして、ヴェネチア・ビエンナーレを始め現代美術の前線で、40年以上に渡り、国際的な活動を繰り広げてきました。その作品は、ひとを驚かせるユニークな発想に満ちています。90年代には、顔一面にフランスパンを付けた異形で世界各地を旅し、現地の人々と交流した「パン人間」の路上パフォーマンスで注目されます。90年代後半には、自身が介護するアルツハイマー症の母を作品に登場させた「アート・ママ」のシリーズで世界的に知られるようになり、愛する母とのコラボレーションによる作家活動としてテレビや新聞・雑誌などでも取り上げられました。

折元の作品は、さまざまなひとびと(世界各地の道行く人々、介護する母、おばあさんたち、入院している人々…)との即興的なふれあいを通して生まれます。ふれあいの対象は、人間にとどまらず動物たち(うさぎ、豚、鶏、アルパカ、あひる、魚…)にまで及び、生きとし生けるものとのコミュニケーションをアートにするという独創的な世界を切り開きました。

本展では、著しい進境を見せた1990年代から今日までとどまることなく繰り広げられてきた折元の創作の軌跡を、映像、写真、グラフィック、ドローイングといった多彩な表現で紹介します。

「日本の海岸線をゆく」

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■会議が始まるまえ、経営学部のN先生からいただきました。ありがとうございました。写真展の案内です。タイトルが素敵ですね~。『日本の海岸線をゆく-日本人と海の文化』です。

『日本の海岸線をゆく-日本人と海の文化』

公益社団法人日本写真家協会 創立65周年記念写真展『日本の海岸線をゆく-日本人と海の文化』

 日本写真家協会では、これまで写真を通して記録と表現の両面から現代史を概観する数々の写真歴史展を開催してきました。日本写真家協会創立65周年を記念する周年事業の核となる今回の写真展は、日本の海岸線を手がかりに、日本の「今」を見つめ直してみようというものです。ユーラシア大陸の東縁に沿って連なる数多くの島々からなる日本列島とその国土は、東西南北それぞれ3,000キロにも及ぶ広大な領域を有し、それ故、その海岸線は総延長35,672キロ(平成24年・国土交通省)に達し、世界でも有数の延長線です。本展では、その長大な海岸線を辿り、海の風景、漁業や漁港・港湾、工場や工業地帯、更には、祭り、観光、民俗、歴史、史跡など人間の暮らしや営みを通じて、日本人と海の文化をビジュアルに探ります。

【主催】 公益社団法人日本写真家協会
【共催】 東京都写真美術館/国際交流基金
【後援】 国土交通省/文化庁 
【特別協賛】 富士フイルムイメージングシステムズ/ニコン/ニコンイメージングジャパン/キヤノンマーケティングジャパン
【協賛】 タムロン/オリンパス/シグマ/東京カラー工芸社/フレームマン/堀内カラー/キタムラ/学研プラス『CAPA』編集部/
     日本写真家協会賛助会員各社・特別協賛会社ほか

Akira Yoshimura Works ― 吉村朗写真集 ―

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■大隅書店から「Akira Yoshimura Works ― 吉村朗写真集 ―」が発売されています。私自身、写真集が好きなのですが、堅い雰囲気といいますか、緻密なコンセプトにもとづいて撮られたものについては、自分自身、あまり関心が向いてきませんでした。この吉村朗の写真集については、関係者の方から、大変丁寧にお話しを伺ったこともあり、購入することにしました。以下は、大隅書店の解説からの引用です。

吉村が挑んだ“新たな物語”のための写真 ― それは、まさに実験であった(深川雅文「闇の光 吉村朗の軌跡」より)。1980年代半ばより都市のスナップ写真家として脚光を浴びた後、1990年代に大きく作風を変え、日本近代という怪物をめぐって自己の実存と歴史のあり方を重ね合わせ問い掛ける問題作を発表し、内外の注目を集めた吉村朗。馴化されず、媚を売らず、自らの道を突き進んだ、孤高の写真家の待望の作品集、遂に刊行!

吉村 朗(よしむら・あきら)
写真家。1959年6月3日、福岡県門司市(現・北九州市門司区)に生まれる。本名は吉村晃(1991年頃、朗に改名[通称])。1978年3月、福岡県立門司高等学校卒業。同年4月、日本大学芸術学部写真学科入学。1982年3月、同卒業。同年4月、東京綜合写真専門学校研究科入学。1984年3月、同卒業。1980年代半ばより、都市のスナップ写真家として脚光を浴び、その後、歴史的事象を追った諸作品を発表して注目を集める。主な写真展に、「分水嶺」(銀座ニコンサロン、1995年)、「新物語」(「現代写真の母型1999 IV 鈴木理策/吉村朗」川崎市市民ミュージアム、2000年)、「u-se-mo-no」(イカズチ、2004年)、写真集に、『SPIN』(Mole、1999年)がある。2012年6月2日、逝去。

■写真集そのものについては、関係者の方から拝見させていただきました。説明を受けながら拝見すると、心のなかにズーンと重い衝撃がありました。吉村朗の解説については、川崎市民ミュージアム学芸員の深川雅文さんが、「Commentary 闇の光 吉村朗の軌跡」を書かれています。この解説を拝見しながら、写真集からの重いメッセージを、再度、深く受けとめたいと思います。

総天然色!! 昭和30年頃の大津 -国産最初期のカラー写真でみる町の記録-

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■今日は、「大津市都市計画審議会」でした。審議会が終了し、市役所の建物の外に出ると、道路沿いの掲示板に目がいきました。大津市歴史博物館の特別展のポスターです。「総天然色!! 昭和30年頃の大津-国産最初期のカラー写真でみる町の記録-」。いいですね〜。素晴らしい。以下は、ネット上のこの特別展の情報を引用させていただきます(トップの画像はその一部です)。

【概要】
 本年3月、故 西村榮次郎氏が撮影した古いカラースライドが、大津市歴史博物館に寄贈されました。全139枚にもおよぶスライドの中には、昭和30年頃の大津市内各所の様子が鮮明なカラー写真で残されていました。日本におけるカラーフィルムは、すでに戦前に国産第1号が販売されていましたが、本格的に普及しはじめるのは、この写真が撮られた昭和30年頃からだといわれています。また、当時はフィルムが非常に高価だったこともあり、これらの写真は大変貴重なものだといえます。
 本展では、大津市中心市街地の町並みをはじめ、市内の社寺等の観光地の写真。また、大津市制60周年記念式典の様子やビワコ一周自転車競走などの行事の写真など、厳選した約50点を展示し、総天然色で再現された、今から60年前の大津の町並みや暮らしの様子をご覧いただく写真展です。

【撮影された写真の特徴】
 写真は、35㎜カラーポジスライド、139点、撮影年代は昭和30年~36年頃です。多くは、「観光大津」という小箱に収納されており、当時の大津の魅力をスライド上映用にまとめたものが中心です。 この時期は、大津に駐留していた在日米軍が、キャンプ大津からの撤退した年(昭和32~33年)にあたります。また、昭和33年は、大津市が市制60周年を迎えた年でもあります。その意味では、まさに大津にとっての戦後が終わり、高度経済成長期に向かって歩み始めた過渡期に撮影されたものといえます。写真の中には、それら町の移りかわりが随所に記録されています。

■私自身は昭和33年生まれなので、かろうじて「懐かしい風景」といっても許されるかもしれません。もちろん、当時、大津には来て記憶しているわけではありません。写真の中に埋め込まれている時代の雰囲気が懐かしいのです。ただ、カラー写真だとある種の生々しさがあります。そこが不思議な気持ちにもさせてくれます。そう、昔は「総天然色」っていいましたね〜。【撮影された写真の特徴】には、米軍が撤退して大津の戦後が終わり、これから行動経済成長期が始まる過渡期だと書かれています。とても興味深いですね。1枚1枚の写真ごとに、たくさんの発見があるのではないかと思います。ぜひ、観覧してみたいです。ちなみに、場所は、大津市歴史博物館ではありません。ゼミの「北船路米づくり研究会」がいつも野菜を販売させていただいている丸屋町商店街の「大津百町館」が会場になります。お間違いのないように。

タイトル	総天然色!! 昭和30年頃の大津
会期	平成26年 3月23日(日)~3月30日(日)
期間中の休館日	3月24日(月)
会場	大津百町館(大津市中央1丁目8-13・丸屋町商店街内)
主催	大津市歴史博物館
協力	大津の町家を考える会
観覧料	無料

今森光彦写真展

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■昆虫や里山の写真で有名な今森光彦さんの写真展の案内が届きました。開催されるのは栃木県の宇都宮美術館。ちょっと…遠いですね。関東になにか用事がないとなかなかいけないように思いますが、とても素敵な雰囲気の案内チラシでしたので、少しご紹介をしておきます。

宇都宮美術館の公式サイトでは、この企画展について、以下のように解説されています。

1954年、滋賀県に生まれた写真家、今森光彦。 今森は、幼少期から昆虫の生態と美しさに魅了され、世界中の昆虫を撮り続けてきました。 その写真表現は、いわゆる生態写真とは異なり、卓越した構成力に基づき、個々の昆虫の表情を感じさせるような独特の魅力を有しています。 本展覧会では、代表作「世界昆虫記」と「昆虫記」を中心に200点あまりを展示します。 今森自身が昆虫を「被写体である以前に、常に敬意を払うべき生命」と語っていることが示すように、昆虫という生命の驚異と神秘を感じ取れる展覧会です。

アンリ・カルティエ=ブレッソン展

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京都の何必館・京都現代美術館で、「一瞬を永遠に変える-アンリ・カルティエ=ブレッソン展」(3月26日~5月26日)が開催中のようです。アンリ・カルティエ=ブレッソン(1908~2004)は、大変著名なフランスの写真家です。これも行っておきたいな〜!!「ゴッホ展」と同時に行きますかね。

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