孤独死現場処理業者

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▪︎Facebookで教えていただいた記事です。記事のタイトルは「世界でもっとも物悲しい仕事として海外で報じられている「日本の孤独死現場清掃処理業者」。アパートで孤独死した85歳の男性。死後1ヶ月後に発見されたといいます。記事中には「隣人は老人の不在には気がつかなかったという。家賃は銀行口座からの引き落としで、家族が訪問することもなかった。ようやく遺体が発見されたのは、下の階の住人から変な臭いがすると苦情があったからだ」とあります。朝起きて、この記事のことを知りました。世の中には、こういうお仕事をされている方達がおられること。それが仕事として成立していること。こういう方達がいて救われる方達が多数おられること。そもそも、救われるってどういうことなのか…などと、いろいろ考えました。
孤独死現場処理業者

▪︎阪神淡路大震災以降、孤独死という言葉をたびたび聞くようになりました。NHKスペシャル『無縁社会~“無縁死” 3万2千人の衝撃~』により「無縁社会」という言葉が広がるとともに、一層、この「孤独死」や「無縁死」という言葉が広まっていったように思います。あくまで個人的な印象ですが…。いろんな書籍が出ています。比較的最近のものを、amazonでざっと拾ってみました。

『孤独死のリアル』 (結城康博、講談社現代新書)
『孤独死なんてあたりまえだ』(持丸文雄、文芸社)
『孤独死の作法』 (市川愛、ベスト新書)
『孤独死の看取り』(嶋守さやか、新評論)
『孤独死―被災地で考える人間の復興』(額田勲、岩波書店)
『ひとりで死んでも孤独じゃない―「自立死」先進国アメリカ』(矢部 武、新潮新書)
『孤独死を防ぐ―支援の実際と政策の動向』(中沢卓実・結城 康博、ミネルヴァ書房 )
『孤独死のすすめ』(新谷忠彦、幻冬舎ルネッサンス新書)
『しがみつかない死に方』(香山リカ、角川oneテーマ21)
『人はひとりで死ぬ―「無縁社会」を生きるために』(島田裕巳、NHK出版新書)
『無縁社会から有縁社会へ』(島薗進 他、水曜社)

▪︎私はこれらの本を読んでいるわけではありません。本の内容の紹介やカスタマーレビューを読んで推測しただけなのですが、「孤独死」や「無縁死」をどのようにとらえるのか、その前提となっている考え方に違いがみられるように思います。極論すれば、ひとつは、「孤独死」や「無縁死」を否定的なこととして捉え、そのような「死」をいかに防いでいけばよいのかという立場。もうひとつは、「孤独死」や「無縁死」を否定的なことだという考え方に疑問を提示し、「孤独死」や「無縁死」を生み出した社会構造や親密圏の変化や、その趨勢を前提に、むしろ「孤独死」や「無縁死」をどのように社会に受け止めていくのかという立場です。お断りをしておきますが、あくまで推測です。「孤独死」や「無縁死」、非常に重要な問題だと常々思っています。「孤独死」・「無縁死」した人に関わった人たちは様々なことを思い、それを語ることができます。しかし、「孤独死」・「無縁死」をした人たち自身は語ることができません。「孤独死」・「無縁死」とは、どのような経験なのでしょうか(経験と呼ぶことに問題があるかもしれません…)。そもそも、「孤独死」や「無縁死」だけでなく、「死」という現象は誰のものなのでしょうか。はたして「死」は個人に帰属するのでしょうか。難しい問題ですが、多くの人びとと、考えていかなくてはいけない問題のように思います。

【追記】▪︎NHKスペシャル『無縁社会~“無縁死” 3万2千人の衝撃~』の取材にあたったNHK記者・池田誠一さんの講演会の内容が、以下で紹介されています。引用は、最後の部分です。

取材を続けていく中で「家族のつながりが薄れている」という事実が浮き彫りになった。今、この日本で何が起きているのか。どうなっているのか。処方せんのようなものがあるのか。取材を続けているものの、いまだに分からないままだ。

介護保険制度がスタートして10年以上が経過した。しかし身内に困った人がいても「介護保険を利用すればいいでしょう」「あなたたちにお任せします」などといって、行政にすべてを委ねる人が増えてきているのではないだろうか。

救急病院のソーシャルワーカーとして、30年ほど務めている人はこのように言っていた。「10年ほど前であれば、身内に厄介扱いされている人がいても、『しょうがないわね』と言って引き受けてくれる人がいた。しかし今ではそうした人がほとんどいなくなった」と。

NHK記者が語る、“無縁社会”の正体

研究会議

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■先週の土曜日の話し。朝からの第32回「北船路野菜市」のあとは、神戸に移動しました。神戸大学の一室で、色々・諸々の会議を、懐かしい後輩の面々や、初めて出会う兄弟姉妹弟子筋の皆さんと一緒にもちました。色々・諸々なのです。ここには先輩がいません。私が一番の年寄り。このグループの最長老…ということになります。ということで、仕事もまわってきました。もっとも、本当に大変な仕事や作業については、優秀な40歳代の後輩諸君が全部仕切ってやってくださっています。さすがだ。色々・諸々については、また、このブログでご報告することがあろうかと思います。

20141124torigoe2.jpg ■会議のあとは、22時半まで阪急六甲の近くで呑みました。佐賀大学のFさんと、ひさしぶりにいろいろと話しをすることができました。学会の現状のこと、大学の経営・運営のこと、それぞれの研究や調査のこと、それから親の介護のこと(これは私のことですが)…。あちこちに、種類の異なるいろんな問題が山積みです。

■ところで、このグループの面々は、東北から九州にまで散らばって働いていますので、これからの仕事を進めるために「サイボウズ」といグループウェアを活用することにもなりました。「呑み」はまだまだ続いていましたが、私は奈良の自宅に戻るために、一足早くお暇しました。阪急六甲からタクシーで阪神御影まで移動。阪神御影からは、まず尼崎まで。尼崎からは、相互乗り入れの近鉄に乗って奈良の自宅まで、なんとか最終の1本前に自宅に戻ることができました。それでも、最寄り駅到着は、0時15分。朝から野菜を売っていましたし、かなり疲れました…。

第50回環境社会学会大会(龍谷大学)

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■職場で、環境社会学会が開催されます。今回は、龍谷大学で開催されます。といっても、会場は京都の大宮キャンバス、担当は政策学部の先生です。私はといいますと、学会誌の編集委員会が企画した書評セッションでコメンテーターをつとめます。書評の対象となるのは、茅野恒秀さん(信州大学)が今年出版された『環境政策と環境運動の社会学―自然保護問題における解決過程および政策課題設定メカ ニズムの中範囲理論』(ハーベスト社)です。著者である茅野さん自身が解題をおこない、そこにコメントをしてディスカッションをすることになっています。初めての企画らしく、はたしてどれだけの人たちが来てくださるのか不明です。同時に、複数の自由報告の部会が開催されていますし…。当日、環境社会学会に参加される皆さんには、ぜひお越しいただければと思います。よろしくお願いいたします。

人口減少地図(日本経済新聞)

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人口減少地図 統計でみる市区町村のすがた2014/9/24 公開

■あとで、きちんと本文を書きたいと思いますが、私自身は、これを、そのまま、「鵜呑み」にしてしまってはだめだ…と思っています。

テレビドラマ「サイレント・プア」

20140408silentpoor.png ■最近、「子どもの貧困」ゃ「介護の貧困」に関連する記事を読むことが増えてきました。今回紹介するのは、NHKのテレビドラマ、女優の深田恭子さんがヒロインのソーシャルワーカー役で登場する「サイレント・プア」です。同僚の先生のfacebookへの投稿で知りました。以下が、公式サイトにある番組紹介です。「声なき貧困」…ということですね。声をあげられない人たちの貧困ですね。今日から始まるドラマですが、知り合いの学生たちにも紹介したいと思います。ソーシャルワーカーという仕事の内容についても、知ることができるのではないかと思います。社会福祉に関心のある高校生にも視てほしいと思います。

サイレント・プア――声なき貧困。いま、そんな「見えない貧しさ」が社会に広がっている。それに立ち向かうべく新たに全国各地に登場したのが、コミュニティ・ソーシャルワーカー(CSW) という仕事だ。
里見涼(深田恭子) は東京下町の社会福祉協議会CSWとして、今日も愛する町を駆けまわる。
涼が出会うのはゴミ屋敷の主、引きこもり、ホームレス、若年性認知症など、懸命に生きながらも現代の社会的孤立の淵に沈んだ人たち。彼らに手を差し伸べ、それぞれの人生にふれていく涼だが、そんな涼自身にも独りで抱え続ける絶望的な孤独があった。
人は何度でも生き直せる――この信念で走り続けた涼がその先に見出したのは、自らが手を差し伸べてきた人や町に支えられ、新たな生へと踏み出す自分自身の姿だった。

■こちらは、「女性の貧困」に関する動画です。単身女性の3人に1人が貧困に陥っており、税金を引いた年間所得が112万円未満の人たちが増えているというのです。そういう女性たちは、誰にも相談できず(声をあげられず)孤立感を深めている…そのように解説されています。動画をご覧ください。

【追記】■ドラマということもあり、ソーシャルワーカーの当事者からすると、いろいろ意見はあるでしょうね。たぶん。CSWを、硬直したシステムと戦うヒロインやヒーローのように描きすぎているかな…とは思います。現実のCSWの仕事は、こんな感じではないだろうな〜…と素人でも思います。学園ドラマを視て、学校の先生が「違うよ…」というのや、刑事ドラマを視て、警官が「違うよ…」というのと同じかな。でも、来週もたぶん視ると思います。それにしても、米倉斉加年さんも、香川京子さんも、こういう年齢になっておられるのですね。米倉さんは80歳、香川さんは83歳?。であれば、香川さんは、毎週介護をしている自分の老母よりも年上でいらっしゃる…。驚きました。

メタレベルを強く意識する

■大学院生に指導をするとき、昔、自分が院生時代に読んだ本の話しをすることがあります。たとえば、佐伯胖さんの『認知科学選書10 認知科学の方法』(1986年)です。この本の1章から4章までのところで、佐伯さんは、「メタ理論の吟味」の重要性について述べておられます。そのうち、1章はズバリ「おもしろい研究をするには」です。タテ糸、ヨコ糸、ナナメ糸という比喩的な表現を使いながら説明されています。少しだけ紹介しましょう。

■タテ糸とは、「それぞれの研究テーマに関する過去から未来へ向けての研究の歴史的な流れ」であり、「過去にどのような人がどのような主張をし、どういう反論を経てどういう変化をしたのか」といったような、「一貫した問題意識と主義主張」の系列のことです。ただし、このタテ糸だけでは研究はおもしろくなりません。そこでヨコ糸です。ヨコ糸とは、「異なる分野での同じような考え方、理論、モデル、主張」のことです。佐伯さんは、このように述べられています。

当面の研究テーマの従来のバラダイムを一応踏襲しながら、その中で、従来研究の発想の限界を飛び越えた、あたらしい研究をはじめるため、他の領域からヨコ糸をはっぱってきてよりあわせる、ということならば、それほど困難なことではない。そういう例はいくつもあるのだが、発表された論文ではヨコ糸は陰に隠されて、読み取ることがむつかしくなっていることが多い。そういう隠れたネタを探り出し、「ははん、発想はあそこから取ったな」ということをあばいてみるのは、自分の研究をすすめるときのよいヒントになる。

■しかし、タテ糸とヨコ糸だけで研究がおもしろくなるわけではありません。佐伯さんは、ナナメ糸が必要だといいます。ナナメ糸とは、「それぞれの時代のそれぞれの考え方に対する『批判』の流れ」です。というのも、「すべての研究は『何かに対する』研究であり、『闘う相手』がいるはず」だからです。

そういう闘う相手をどこまで深く、広く意識した研究であるかによって、その研究の「おもしろさ」がきまるのだといってよいだろう。つまり、対立する仮説や考え方をどこまで徹底して「つぶして」いるか、それが相手にはどこまで深刻な打撃になっているかということが読み取れたとき、人は知的に興奮をおぼえる。

■ナナメ糸とは、「自らの闘う相手=敵手」をどこまで深く認識しているのか…ということと、関係しています。もちろん、「闘う相手=敵手」とは理論的・学説史的なものですが、おわかりいただけますよね。自分が闘う相手が「自明」としている点を、その足元から揺さぶりをかける(深刻な打撃)を与えるには、それなりの鍛錬がいります。自分自身の経験、そしていろいろ指導をしてきた経験からすると、そのような鍛錬ができるようになるのは博士課程(博士後期課程)からなのかなと思います。研究者として自立・自律していくプロセスでこのような能力を獲得する必要があります。言いかえれば、メタレベルを強く意識する必要があるのです。

■学術雑誌の査読や編集作業を長年やってきました。一番困るのは、このメタレベルをきちんと意識できていない論文です。そういう論文は、とりあえず分析っぽいことをしていますが、自分自身で論文の価値をうまく浮かび上がらせることができていません。「ほんで、どないやねん!!」と、ツッコミを入れたくなるのです。一応、冒頭の課題設定の節では、それらしいことを書いてはいるのですが、さっぱり理解できません。そういう論文の多くは、自分が闘う相手=敵手がわかっていないことが多いように思います。闘う相手が設定できても、ピントはずれな議論を展開して、闘う相手に深刻な打撃を与えることができていないばあいもあります。そうすると、結果として、分析の視点は焦点化していきません。これは大変困ったことです。比喩的な言い方をすれば、出汁が効いていない料理のような感じ…とでもいえばよいのでしょうか。

■もうひとつ、困ったことがあります。それは、一見、メタレベルを意識しているようでいながら、それが「借り物」であるばあいです。師匠である先生から学問的なトレーニングを受けるなかで、武道でいうところの「型」を身につけていきます。たしかに、それはメタレベルを認識する力でもあるわけです。「型」を身につけることは、その学問の「流派」の先人たちが蓄積してきた力をみにつけることでもあります。それはそれでよいのですが、下手をすると、そのあたりが無自覚なままになってしまう危険性があります。「型」のもっている「怖さ」も同時に知らなければ、単なる先生の「モノマネ」「サルマネ」のような論文になってしまいます。先生とは、扱う対象や事例が違ってはいても、わかる人が読めば、「モノマネ」「サルマネ」の論文にしか読めないのです。時々こういう話しを聞きます。「あの人たちは、どれを読んでみても、みんな同じようなかんじの論文しか書けないのだね…」と。

■「エピゴーネン」という言葉があります。「先行する顕著な思想や文学・芸術など追随をし、まねをしているだけの人。独創性のない模倣者・追随者を軽蔑していう語」のことです。そこまでいうと言いすぎかもしれませんが、自分自身の力でメタレベルを洞察し整理してほしいのです。とってつけたような学説史の整理や、「またそういう落とし所か…」(メタレベルの金太郎飴)というような感想をもたれてしまう論文は、あまり評価できません。こちらについても比喩的な言い方をすれば、スーパーやコンビニでよく売れている化学調味料で無理矢理まとめた味…という感じでしょうか。残念ながら「おもしろい研究」とは思えません。メタレベルで闘っていない論文は、おもしろくないのです。

■大学院生の指導に関して、次は、論文の構造ということについて書いてみたいと思います。

「経験」すること

■ある学生と面談をしていたときのことです。「せんせー、僕の『やる気スイッチ』、どこにあるんですかね。結果がみえていないと、やる気がでないんですよ」。つまり、「こうすれば確実に確かな結果が獲得できる」と保証され、高い確実性が存在しないのであれば、自分は取り組みたくない…ということなのかもしれません。そのことを、自分でも困ったことだと思っており、なんとかしたいとは思ってはいるようなのですが…。私だって「やる気スイッチ」があればなあ…もっとバリバリ仕事をするんだけど…とは思いますが、「結果がみえないと、やる気がでない」というのは…すぐには理解できません。結果がすぐにはみえないから、確実ではないからこそ、そして未知の経験ができるからこそ、逆に、やる気が生まれてくるってこともあると思うからです。最初から結果が見えている…そんな計算可能、予測可能な未来…、それはそれで退屈で辛いことなんじゃないでしょうか(…・と思うのは、おじいさんに近づきつつある、おじさんの言い分でしょうが)。

■いろいろ学生たちと話しをしていて、時々、強く感じることがあります。コスト・ベネフィットを考えるように自分の日々の生き方を選択しているように思うのです。無駄になるかもしれないけれど、汗をかいて頑張って、人に相談をしてお願いをして…そんな面倒なことはできるだけしたくない。要領よく結果だけを獲得したい。そんな発想が見え隠れしているように思うのです。言い換えれば、自分の思うようにならないことは苦痛であり、そのような苦痛は、できるだけ自分の周りから消去したいという願望です。

■今、『民主主義のつくり方』(宇野重規・筑摩選書)という本を読んでいます。このなかで、藤田省三(日本思想史)が取り上げられています。引用してみます。

藤田は『経験の重視と自由の精神とは分ち難い一組みの精神現象』であるという。逆にいえば、経験が失われるとき、自由の精神も失われる。(中略)藤田にとっての経験とは、人と物との相互的交渉である。『物に立ち向かった瞬間に、もう、こちら側のあらかじめ抱いた恣意は、その物の材質や形態から或は抵抗を受け、或は拒否に出会わないわけにはいかない。そしてそこから相互的交渉が始まり、その交渉過程の結果として、人と物との或る確かな関係が形となって実現する』。藤田にとっての経験とは、自分が思うようにはコントロールできない物や事態との遭遇を意味した。その意味では、経験とは自分の恣意性の限界を知ることに等しい。

もし人がすべてを思うままに支配できるならば、そこには経験はない。思うままにはならない物事に対し、それと交渉し、何とか行き詰まりを打開すること、そのような実践こそが、藤田にとって経験の意味するものであった。そして、経験なくして人間の成熟はありえないと藤田は考えた。

自分の思うようにならない物事との交渉は、当然苦痛を伴うものになる。しかし、自分を震撼させるような物事との出逢いを回避するとき、人はすべてを支配できるという幻想に自閉することになる。とはいえ、それは真の意味での「自由」とはほど遠い。「自由の根本的性質は、自分の是認しない考え方の存在を受容するとこにあ」るからである。

(中略)現代社会をますます覆い尽くすようになっているのは、「私たちに少しでも不愉快な感情を起こさせたり苦痛の感覚を与えたりするものは全て一掃して了(しま)いたいとする絶えざる心の動きである」。このような傾きこそが、人々を「経験」から遠ざけると藤田が考えたことはいうまでもない。(中略)経験を拒み、言い換えれば自分に抵抗し拒絶を示すような事態との遭遇を回避し続けるとき、逆説的には人間は自動的な機械の部品にならざるをえなくなっていくと藤田は指摘した。

「今私たちを取り巻いている世界には、もはやそのような基礎経験も、それとの知的交渉を通した知的経験の再生力もない。それだけに、自分だけの『体験』を重視することによって、制度の部品となっている函数的境遇の中での気晴らしと『自分』の存在証明を求めようとする」。いたずに自らの「体験」を誇る言説の氾濫にいらだちながら、それにもかかわらず、「経験」は失われ続けていると藤田は指摘したのである。

■藤田省三の文献をきちんと読んだわけではなく、宇野さんの文章を引用しているだけです。孫引きのような形になりますが、この藤田省三の「経験」という概念は、面談する学生たちの発言の背後にあって無意識のうちに共有されている時代意識のようなものを考えるうえで、大切なことだと改めて思うのです。宇野さんが引用している藤田省三の文献は1980年代から1990年代にかけて書かれたものです。学生からすれば、ずいぶん大昔の話し…のように思えるかもしれませんが、そうではないと思います。藤田が批判的に指摘した状況は、より一層、深く社会のなかで進行しているのではないでしょうか。

■ここで、話しを少しかえます。龍谷大学社会学部の理念は、「現場主義」です。この「現場主義」をどう捉えるのか、教員によって様々だと思いますが、私は上記の藤田のいうところの「経験」を学生たちが積み重ねていくことこそが「現場主義」の教育ではないかと思うのです。私の限られた経験ですが、地域連携型教育プログラムである「大津エンパワねっと」で…、ゼミでおこなっている「北船路米づくり研究会」で…、そして各自の卒論のフィールドワークで、義務感からでもなく、就職に有利だからという功利主義的な考え方からでもなく、それぞれの活動のなかで自分の目の前に生じている事態にきちんと向き合い、「経験」(自分が思うようにはコントロールできない物や事態との遭遇)を蓄積していった学生が結果として成長していくように思うのです。そして、なによりも大切なことは、藤田のいう意味での「自由」に近づいていると思うのです。

【追記】■この『民主主義のつくり方』、勉強になります。この本を、出版社側は、こう紹介しています。

民主主義は今、不信の目にさらされている。決定までに時間がかかり、「民意」は移ろいやすい…。だが、社会の問題を共同で解決する民主主義を手放してしまえば、私たちは無力な存在となる他ない。ならば、この理念を再生させるには何が必要か?「習慣」と「信じようとする権利」を重視する“プラグマティズム型”の民主主義に可能性を見出す本書は、この思想の系譜を辿り直し、日本各地で進行中の多様な実践に焦点を当て、考察を加えてゆく。未来が見通しがたい今、「民主主義のつくり方」を原理的に探究した、希望の書である。

■プラグマティズムに関連して、本書ではチャールズ・テイラーが取り上げられていました。そしてテイラーの「孔だらけの自己」(porous self)と「緩衝材で覆われた自己」(buffered self)という概念、興味深いですね〜。

近代の「緩衝材に覆われた自己」とは、自らの内面に撤退し、そこから世界をうかがい、あるいは操作しようとする存在である。あらゆる意味は自らの内面からのみ生まれるのであって、自分の外部と統御すべき対象でしかない。

「減速」生活

20130131datusara.jpg ■東京に出張しているから…というわけではないのですが、東京新聞の興味深い記事をみつけました。「経済成長っているの? 30代で脱サラ 「減速」生活」です。この記事(左写真をクリック)の続きですが…
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だが、少しずつ心の中のわだかまりが大きくなる。右肩上がりの成長はとっくに終わっているのに、会社は「もっと売れ、もっと利益を」と求め続ける。ついにはノルマ達成のため、自腹を切って買い物をするようになった。欲しくもないのに買ったスーツは二十着、靴は十五足以上。封も切らずにほこりをかぶった。

価格破壊が流行語になり、大量生産、大量消費の「使い捨て」に歯止めがかからなくなった時代。消費の最前線で確かに収入は増えた。でも息苦しかった。二〇〇〇年秋、三十歳の誕生日に辞表を出した。

わずか六・六坪の店を四年後にオープンした。年収は六百万円から三百五十万円に下がったが、妻と息子の三人家族で暮らすのに十分だ。それ以上は求めない。思い描いたのは、昔からある八百屋や鮮魚店。「このやり方で、人生をやり直してみせる」という反骨心もあった。「使い捨て」時代の反省から、値は張っても上質なオーガニック食材にこだわる。口コミで少しずつ客が増えると、休日を増やした。畑を借り、念願だった米や大豆作りを始めた

一〇年秋に自らの経験をつづった著書「減速して生きる」を出版した。今の働き方に疑問を持つ人たちが店を訪れたり、メールをくれたりするようになった。その中には、靴修理業を始めた人もいれば、離島で鍼灸(しんきゅう)師になった人も。減速生活のありようはさまざまだが「皆仕事をする時間が減った分、社会貢献をしている」。昨年から、地方議員らでつくる「緑の党」の共同代表も務める。

社会全体では、まだ小さな変化かもしれない。「一輪の花は空から見ても分からないが、花畑になるためには一輪一輪が咲くことが大切」。池袋の小さなバーからその種まきが始まっている。 (森本智之)
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■太字にしたところは、私が気にいったところ…です。ただ、のんびり生きる…社会を拒否していきる…というのではないのです。

○今まで自分を振り回していた大きな社会の仕組みを相対化する。
○そうではないオルタナティブな価値を自らの生活のなかで育んでいく。
○そのような生活を維持する小さな仕組みを自分の手で確保する。
○社会貢献を通してこれからのあるべき社会づくりにコミットしていく

■そのあたりが大切なことなのではと思うのです。最後の「一輪の花は空から見ても分からないが、花畑になるためには一輪一輪が咲くことが大切」部分、素敵な表現だな~と思います。

「地域資源と社会」研究集会

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■9月30日、東京農工大学で「地域資源と社会」研究集会が開催されました。以下は、この研究集会の趣旨について、研究集会の呼びかけ人代表である東京農工大学の土屋俊幸さん(林政学)がお書きになったものです。今年の7月に書かれたものです。
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もうすぐ東日本大震災から1年半が過ぎようとしている。震災の3日後に開催予定だった「地域資源と社会」集会も、被災地の東北地域以外も含めた東日本全体が混乱状態にあったことから中止された。主催者として、「延期」通知後、なにも連絡を差し上げなかったことについてまずお詫び申し上げたい。参加予定だった皆さんからは、多くのお尋ねや開催への希望を、様々な機会にお会いした際やメールでの会話の中でいただいた。さらに、こうした時だからこそ、開催する意義がさらに高まったという励ましもいただいた。また、これまで一堂に会する機会がほとんど無かった多様な分野の一線の研究者が集合し集中的な議論を行う「類い希な機会」が、実現直前まで行っていたことについても、お褒めの言葉と共に開催実現への期待をいただいた。
 この手紙を差し上げている皆さんがそうであったように、私にとっても大震災と原発大事故は大きな衝撃だった。それ以来、多くのことを考え、多くの事柄を学び、またたくさんの人々と議論してきた。そして、この震災・原発事故の持つ意味と「地域資源と社会」研究集会を開催することの意味との間で、どのような齟齬があるのか、またどのような連関があるのか、についてずっと考えてきた。
 そして、いま結論を出したい。地域資源、地域の自然資源、あるいは地域の自然環境・歴史文化的遺産、と社会が、どのように関わっていくべきか、もう少し具体的に言えば、地域資源の「管理」を、社会、特に地域社会がどのように担っていくべきか、について、関心を持つ社会科学者が垣根を超えて集い、議論し合う場・機会を作ることは、3・11以前に増して、いま、必要になっており、今こそ、その一歩を踏み出すべきだと私は強く思う。社会の変革、パラダイムの転換、が言われて久しい。一方、既存の枠組み、社会のあり方を固持しようとする勢力の反撃も勢いを増している。今こそ、「地域」という基盤に立ち返り、そこで「資源」と「社会」がどのように向き合い、そして関わっていくべきか、そしてその具体的な方法はどのようなものか、について、関心のある者達が一堂に会し、考えや事例を見せ合い、教え合い、確認し合い、そして議論し合うことを通じて、社会に発信し、社会を変えていく「力」を高めていくことが、緊急に求められている。そのことによってこそ、そして、そのことによってしか、社会の変革はない、と思う。
 この集会の趣旨に賛同してくれた仲間たちと相談し、その第一歩として、2011年3月14日開催予定だった「地域資源と社会」研究集会を、改めて、2ヶ月後の9月末に東京・府中で開催することを決定した。おそらく、開催予定だった昨年の集会のような多くの「同志」が集まることは無理だろう。しかし、集まれる人々だけでも集まり、まず、第一歩を踏み出したい、と思う。
 この手紙は、昨年の集会に参加を予定されていたみなさん、および不参加予定ながら賛同を寄せられていたみなさん等にお送りしている。ぜひ、多くの皆さんが参加されることを強くお願いしたい。
 なお、この集会の対象を、当面は、社会科学者に限っていることについて、最後に少し説明をさせていただきたい。地域資源管理に研究者が関わる際には、自然科学者と社会科学者の協働が必須であることは、地域資源管理に何らかの形で関わった経験をお持ちの方々ならば、特に議論の必要はないだろう。さらに言うならば、管理の現場での自然科学者との継続的な議論・せめぎ合いの中からこそ、地域資源管理のあり方についての、実践的、総合的な考察が可能になると考えている。しかし、一方で、そうした協働作業の過程で浮かび上がってくるのは、自然科学者とは異なる社会科学者としての自らのスタンスを確立することの重要性である。地域資源管理における社会科学ないしは社会科学者の役割を明確にする場として、ひとまずは、この集会を設定したいと思う。
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■上記の呼びかけ文の冒頭にもありますように、2011年3月14日に第1回目が開催される予定になっていましたが、東日本大震災により開催延期になっていました。そして1年半後の昨日、やっと開催が実現したというわけです。もっとも、台風が接近していることから、予定していたプログラムを短縮せざるをえませんでした。とはいえ、林学、造園学、農業経済学、環境社会学…と、専門を異にする社会科学の研究者が集まって議論を行うことができました。キックオフの集まりとしては、大変有意義だったように思います。私も司会に求められて、異分野や自然科学者との連携のあり方について、これまでの20年程、文理連携による環境研究を行ってきた立場から発言させていただきました。本当は、研究集会のあとの交流会で、初めてお会いした皆さんといろいろなお話し&交流ができればよかったのですが、それは次回に…ということになりました。

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