龍谷ミュージアム 春季特別展「文明の十字路・バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰 ガンダーラから日本へ」

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▪️4月20日から、いよいよ龍谷ミュージアムの春季特別展「文明の十字路・バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰 ガンダーラから日本へ」が始まります。みなさん、ぜひ!!龍谷大学の教職員・学生は無料だと思います。それから、この春季特別展に加えて、奈良国立博物館で開催されている「空海KOKAI-密教のルーツとマンダラ世界」の方も忘れないようにして行かなくちゃと思っています。5月26日には、 展示室内で種智院大学の学生(僧侶)による声明(経文に節を付けて唱えて仏を讃嘆する仏教音楽)の実演があるようです。できれば、この日に行ってみたいです。秋には、京都国立博物館で特別展「法然と極楽浄土」が開催されます。こちらも行かなくちゃです。

「『医療・福祉・宗教』は、どうやって地域社会でタッグチームを作って死んでいく人を支えるのか」というテーマの呑み会

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▪️昨晩は、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」でした。あれ、月曜日も「利やん」やん。はい、そうです。あれ、飲み会3日連日やん。はい、そうです。でも、元気ですよ。昨晩は、滋賀県社会福祉協議会の副会長の谷口郁美さん、そして尼崎市にある浄土真宗本願寺派・西正寺住職の中平了悟さんとの飲み会でした。このお二人とは、「人が死んでいく時に、『医療・福祉・宗教』は、どうやって地域社会でタッグチームを作って死んでいく人を支えるのか」…というテーマで集まっていただきました〜。人の最期を支える地域社会の仕組みですね。でも、そのテーマまで辿り着けず、そもそも「信仰」って現代社会でどういう意味で存在できるんや…みたいな話になりました。

▪️昨晩のメインスピーカーは、当然のことですが、中平さんです。楽しく、またいろいろ考えるひとときになりました。その上で思いついたのは、個人的には「信仰カフェ」が必要だなということです。現代社会において宗教的な信仰とは、どのような経験なのか、どのような実践なのか、その辺りのことについての考えを、宗教の違いを超えて、仏教であれば宗派の違いを超えて、宗教家の皆さんからお話をお聞きしたいです。その上で、フロアの皆さんも自由に自分の意見を言うことのできるような場ができればと思います。本当は、龍谷大学の宗教部なんかが、そういう場を作ってくださるととてもありがたいのですが、ぶつぶついっても仕方がありません。それはともかく、昨日は、呑み会だったので、きちんと記録は残していませんし、記憶がアルコールで曖昧になってしまっていますが、動画に録画しておきたかったですね。

「さいはて社」の大隅さん

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▪️昨日は、「さいはて社」から研究書を出版していただくにあたり、社長の大隅直人さんに、本の構成等に関していろいろご相談をさせていただきました。モヤモヤしていた頭の中が、編集者のお立場からのアドバイスにより非常にスッキリしてきました。安心して執筆を進めることができそうです。本当に、ありがとうございました。

▪️まだ仮題ですが、メインタイトルは「石けん運動の時代」になるのかなと思っています。若い頃、滋賀県の石けん運動について論文を執筆してきました。手元には、「石けんおばさん」たちからの聞き取りを文字お越しをしたデータもたくさん残っています。ただ、それらの研究をきちんと整理してまとめることなく、文理連携による流域管理/流域ガバナンスの研究プロジェクトに参加することになり、そちらの方に研究のエネルギーが移ってしまいました。とはいえ、流域に関する研究に関しても、その発想の土台は、石けん運動の研究をしていた時の経験にあります。そのような意味で、今から振り返ると、石けん運動の研究は私の研究者としての人生にとって、大変重要な経験だったように思います。

▪️今年度は、特別研究員に就任しています。サバティカルです。この1年、研究に関しては脇見をせずに、この本の執筆に全エネルギーを集中させるつもりです。と、宣言しておきます。もう退職まで3年しかありませんから。大隅さんからは、「ブルックナーの交響曲8番のような、重厚な交響曲のような本を書いてください」と叱咤されましたし、もう頑張るしかありません。そうなんです、「石けん運動」は、ポリフォニーなんです(複数の異なる声部が、それぞれ異なるピッチとリズムをもつ旋律を奏でる音楽)。ポリフォニーとしての「石けん運動」を書くことを目指します。

▪️大隅さんとの「相談会」は、JR瀬田駅近くにあるイオンのスーパーのフードコートで、コーヒーを飲みながら行いました。近くに良い喫茶店がないもので…。そのあとは、以前も大隅さんと伺った「おばんざい処双月」さんへ。前回伺ったのも、大隅さんと一緒でした。1年前のことかな。双月さんでは、今度は、私も大隅さんの人生に関していろいろお話をお聞きすることができました。以前からお聞きしていたこともありますが、より具体的なお話を伺えました。

▪️人生においては、時々、転轍手(人生のレールのポイントを結果として切り替える役割をする人)が現れるのですが、今日は、お互いにそのような「我が人生における転轍手」に関して話しをすることができました。大隅さんは、私からすると「早熟の秀才」なので、凡庸な私とは全く違う人生なわけですが、それでも、「人生は仏教で言うところの『縁起』なのだよな〜」という思いを、一層深く持つようになりました。大隅さんは、そういった縁起の中で、編集者として益々円熟されてきているなあと、僭越ながら思いました。偉そうに書いていますが、大隅さんよりも兄ちゃんなので、お許しください。

▪️写真なんですが、おじいさんなのは自覚していますが、髪の毛が薄くなっているのが、ほんまに悲しいです…。まあ、仕方がない。

「あべのハルカス」からの眺め

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▪️先日、大阪の「あべのハルカス美術館」で開催されている展覧会「円空-旅して、彫って、祈って-」に行ってきました。そのまま帰っても良かったのですが、せっかく「あべのハルカス」に来たのだからと、ビルの最上階の展望室まで上がりました。もちろん、お金を払って。60階から、JRの天王寺駅と近鉄の大阪阿倍野橋駅の界隈をしばし鑑賞⁉︎しました。1枚目がその時の写真です。JRの大阪環状線、大和路線、阪和線、近鉄の南大阪線。じっと眺めていて見飽きませんね。同じように見飽きない人がちらほらおられました。あっ、あと阪堺線も。この方角では見えませんが、60階から眺めました。

▪️2枚目は、北側の風景です。左の方に、高いビルが集まっているところがありますね。これは梅田界隈になります。そのずっと向こうには宝塚市や川西市の山々が見えます。万博公園の「太陽の塔」もみえるらしいのですが、私の肉眼では無理でした。手前の方、少し左よりのところには大阪城が見えます。昔は、この天守閣が一番高かったのでしょうが、今はもっと高いビルの中に埋もれてしまっています。この大阪城は上町台地の先端部分にあります。そこから道路が南に走っています谷町筋です。大昔、縄文時代ですが、この上町台地の両側は海でした。大阪平野は海が淀川が運んできた土砂が海に堆積することによってできあがっていくのですが、その歴史をこの風景を眺めながら想像しました。さらに手前の方をよく見ると四天王寺さんも確認できます。『日本書紀』によれば推古天皇元年(593年)に造立が開始されたようですね。その頃は、どのような風景だったのでしょうね。

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▪️3枚目は西側です。真ん中あたりは、宝塚ですね。ずっと左方(西側)には私の故郷である神戸や六甲山が確認できます。また、大阪湾も光って見えています。西宮市にある母校・関西学院大学は台地の上にあるので、望遠鏡があれば見えたのではないかと思うのですが、私の肉眼では無理です。母校の背景にある甲山(かぶとやま)も霞んでいるため確認することができませんでした。残念です。左の方にあるビル群は梅田界隈、その南の方のビル群は難波界隈でしょうか。そして一番出前には、天王寺公園が。公園内には動物園も。37歳になる娘がまだ赤ん坊だった頃、この動物園に行ったことを思い出しました。その時、学生時代所属していた学生オーケストラを指揮していただいた、湯浅卓雄先生にも偶然にお会いしました。芋蔓式に、いろんな記憶が風景の中かから浮かんできます。

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▪️4枚目は、南側です。遠くには大阪平野と奈良盆地を隔てる金剛山地が。左の方に、白い巨大な施設が見えます。これは、「ヤンマースタジアム長居」です。手前の方には、阪神高速14号松原線が走っています。そこに隣接している巨大な墓地は、「大阪市営南霊園」です。江戸時代は、千日前あたりに刑場・墓地・火葬場があったのですが、明治3(1870)年にこれらは廃止となり,明治7(1874)年に天王寺村埋葬地(阿倍野斎場)が完成し、そこに千日前にあった墓地などがここに移されたようです。一度、訪れてみたいのですが、まだ実現していません。

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▪️5枚目は、東側です。遠くに見えるのは生駒山系です。以前、長らく奈良に暮らしていました。6年間ほど岩手県に単身赴任していましたが、30年近く奈良に暮らしていました。私が奈良から大阪に来るときは、近鉄奈良線を利用していたので、この写真に写っている南大阪線はほとんど利用することはありませんでした。近鉄奈良線に乗車していると、石切のあたりからは、この写真とは逆の方向に大阪平野や六甲山や神戸の方面が確認できました。大津に暮らすようになってからもう奈良線に乗車することはありません。懐かしい気持ちになります。

「円空-旅して、彫って、祈って-」(あべのハルカス美術館開館十周年記念)

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20240404enku4.jpg▪️大阪の「あべのハルカス美術館」で開催されている展覧会「円空-旅して、彫って、祈って-」に行ってきました。この写真は、撮影が許可されている展示室のものです。満足しました〜。会期は4月7日まで。ご関心ある皆様、お急ぎください。私は図録も購入したので、帰宅後も円空仏を味わっています。

▪️仏様は、私たちが気がついていないだけで、すぐそばにいらっしゃいます。円空仏は、そのことを教えてくださいました.トップの写真、これは賓頭盧尊者坐像(ビンズルソンジャザゾウ)です。すごく優しい笑顔ですね。円空仏には、憤怒の表情の仏様と、柔和な表情の仏様がおられます。この賓頭盧尊者坐像は、大変柔和な笑顔です。よく知らなかったのですが、自分の体の悪い部分と賓頭盧様の同じ所を撫でると、病気やケガが治るとされているようです。知りませんでした。ですから、少し手垢で黒くなっています。というのも、賓頭盧様は釈迦の弟子の1人で、「神通力」で人々の病気を治癒されていたのだそうです。なるほど、です。

▪️図録を読んでいると、いろんなことを知ることができました。この展覧会で展示されている仏様もそうなのですが、若い頃の円空仏はつるりとした表面ですが、しだいに、ノミで彫ったまま荒々しい仏様になっていきます。図録の解説の中で、円空が残した歌について、円空学会の理事長である小島梯次さんが次ように述べられていました。「庶民の信仰・円空仏」というタイトルです。

作りおく神の御形の圓なる浮世を照すかゝみ成りけり

造顕した像の「圓なる」は、「浮世を照らすかゝみ」であるとしている。円空像の「圓なる」(やすらか)は、「浮世」すなわち(庶民の世界)を映したもの「かゝみ」(鏡)ということである。

庶民の世界における信仰は、すべてを受け入れ、なにも排さないという融通無碍を特徴とする。その根底には優しさと逞しさがある。優しさを形として表すのは微笑みが最もふさわしい。逞しさは強いノミ跡に凝縮されている。「円空仏」は、まさに庶民信仰の中で育まれてきたということができ、本論の「庶民の信仰」と冠した所以である。

スマホの小画面に多くの世界が閉じ込められてしまっている現在、円空仏の持つ真の優しさと逞しさの世界が、今後必要とされていく予感がする。

▪️円空は、64年の生涯で、現在の都道府県名でいえば、岐阜県に生まれて岐阜県で育ったのち、青森、北海道、愛知、奈良、みえ、茨城、群馬、栃木、長野、滋賀と歩きながら、全国各地の霊場を旅しながら、円空仏を彫り続けてきました。そのことを通して、人びとが「ありがたい」と強く感じ、さらに信仰を深めていきやすくすることで、人びとの信仰を支えてきたのではないでしょうか。

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▪️写真についても説明しておきます。トップは、すでに説明しました。賓頭盧尊者坐像です。2段目左は不動明王立像、右は両面宿儺坐像(りょうめんすくなざぞう)、3段目は護方神立像。最後のものは観音三十三応現身立像(かんのんさんじゅうさんおうげんしんりゅうぞう)

長浜市早崎の「魚のゆりかご水田」

▪️今日、長浜市早崎の農家、松井賢一さんが、ご自身で営農されている「魚のゆりかご水田」にコイとフナが遡上したと投稿されていました。春です。

東京農工大学名誉教授・土屋俊幸さんの最終講義

▪️3月23日、東京農工大学名誉教授である土屋俊幸さんの最終講義が行われました。土屋先生と書くべきところですが、長年に渡り親しくさせていただいてきたので、あえて土屋さんと書かせていただきます。さて、私は、オンラインではありますが、この最終講義を聴講させていただきました。どうして名誉教授が最終講義なのか。普通は、最終講義を行なった後、名誉教授になるものですよね。それは、コロナ禍のせいなのです。コロナ禍のせいで最終講義が4年遅れになってしまったようなのです。しかし、コロナ禍でオンラインを使うことが当たり前になったので、私のように関西に暮らしている者でも、土屋さんの最終講義を聴講することができたわけですね。

▪️土屋さんとの出会いは、ずいぶん昔のことになります。土屋さんは林政学の人ですが、環境社会学会の会員にもなっておられて、土屋さんが岩手大学におられるときに出会っています。確か、どこかで開催された学会の大会から、電車で一緒に岩手に帰ることを記憶しています。おそらくは、出会ってから四半世紀は経過していると思います。

▪️土屋さんは、最近は大津にも毎年1回出張されます。大津市に全国の自治体職員のための研修施設があり、そこで講義をされているのです。で、晩は、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」での飲み会になります。そこでいろいろ議論をすることになります(飲み過ぎて細かな内容を忘れてしまうのですが)。また、土屋さん達が主催されている研究集会にも参加させていただいていますが、そこでもいろいろ議論させていただいています。飲みながら、そして研究集会で議論している際の、「根本にある問題意識」は、昨日、土屋さんが最終講義で話された内容の「根本にある問題意識」と、相当部分で重なりあうのではないかと思っています。

▪️最近出版された、シリーズ環境社会学講座 第6巻『複雑な問題をどう解決すればよいのか-環境社会学の実践』(宮内泰介・三上直之編, 新泉社)で執筆させていただいた拙論の中で使用した用語をあえて用いれば、「『支配-従属』問題を回避する計画は可能なのか、どうすれば回避できるのか、そのことをどのように学術論文という形で表現できるのか」ということになるのではないかと思います。手前勝手なまとめをしていますけど。私の専門は林政学ではありませんが、こうやって振り返ってみると、勝手な思い込みかもしれません。でも、深いところ(メタレベル)で土屋さんと問題意識を共有させていただいてきたように思っています。ありがたいことだと思っています。いろいろ見渡しても、問題意識を共有できる方達が少ないからです。丁寧に議論の相手をしていただいてきたことに心より感謝いたします。

▪️土屋さんは、昨日の最終講義で「自然資源社会学」と「林政学」に関して学術書を執筆されると宣言されておられました。それらの書籍で、私が土屋さんと議論していた水準をきっとブレイクスルーしてくださるに違いないと期待しています。土屋さんは、私よりもちょっと年上の兄のような存在なのですが、意欲的、精力的です。名誉教授になっても引退という二文字は土屋さんには関係ないようです。今も、研究、社会貢献ともに現役で頑張っておられます。すごいなと思います。

お寺の掲示板

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▪️Xで拝見した、お寺の掲示板に関する投稿です。

▪️ああ、なるほど。これは学問の世界も同じですね。学問の世界は、どうしても「ジャーナル共同体」になってしまいます。学会誌=ジャーナルを中心として、評価も、研究費も、人事も決まっていく傾向があります。「そんなの、どうでもええわい」と踏ん切れて、自分がやりたいこと、知りたいことが、迷わずできると違うんでしょうけどね。つまらぬ学会政治から抜け出して、自分がやりたいこと、自分自身で判断したやるべきこと、それができるかどうか。最後の、「愚かな人ほど、他者に正解を求める」という部分。この「他者」が「師匠」だったりするわけです。「先生に褒められたい」ということが、無意識のうちに前提になっているわけです。いつも師匠の評価を気にしながら仕事をしていたのでは、それはエピゴーネンでしかありません。縮小再生産…だと思います。学問の発展はありません。

▪️声を小さくしますが、大学の運営(学科、学部、全学…)も同じかなと思います。個人的意見ですけど。

茅野さん親子との交流

▪️昨日は、長野県の松本で暮らしている茅野さん親子と、京都であって、交流しました。茅野さんは、信州大学に勤務されている環境社会学者です。私よりも20歳若い方ですが、仲良くしていただいています。お子さんの方は、この4月から小3と小6になる男の子です。お2人の関心は、「鉄道」と「淡水魚」です。鉄道といっても、彼らの関心は「国鉄」に焦点化されています。国鉄時代に製造された車両を追いかけておられるのです。

▪️お父さんである茅野さんも手伝って、あらかじめどのあたりに出会いたい車両が走っているのかを絞り込むのだそうです。インターネットの情報でそういうことができるのです。お父さんの茅野さんも鉄道に多少は関心はあっても、主導権は息子さん達にあります。今日は、松本を出発して関西までやってこられました。その上で、ターゲットである、大和路線に最後に残った201系ウグイス色と出逢いに行かれたのでした(私自身は、よくわかっていません)。運用を調べて時刻のねらいを定めた上で、名古屋から関西本線を抜けて奈良県の王寺駅まで会いに行かれたようです。素晴らしい。この執念、親子で共通しているような気がします。ターゲットの電車では、お客さんがほとんどいなかったようで、わざわざ松本からこの電車に会いにきてくれたことを知った車掌さんが、窓の開け方を「こうやるんだよ」と見せてくださったそうです。私は、窓がどうなっているのかよくわかりませんが、車掌さんも素敵だな〜(たしか、そういう話だったような)。

▪️小学生ながら、「国鉄」に対する執念が素晴らしい。そのお子さん達を丁寧に支える茅野さんも素晴らしい。消えていく電車に対する愛というか、もっと言えば憤りのようなものを感じておられるですね。社会のために活躍した車両が、消耗品のように消えていってしまっても良いのか。そういうお気持ちでしょうか。自分にも、そういう執念のような熱いものが子どもの時からあったらなあ…、もっと違った人生になっていかもな…と思いました。今更思っても仕方がないのですが。

▪️茅野さんの息子さん達のもう一つの関心は「淡水魚」です。ということで、川魚を食べさせる京都の小料理屋に行って川魚料理を楽しみました。まあ、通常小学生が行くようなお店ではないのですが、息子さん達は大変喜んでくれました。そもそも、川魚を食べさせてくれるお店は少ないですからね。お店の中には水槽があって、料理に使う川魚が活かされているのですが、魚の種類がだいたいわかるようでした。めちゃくちゃ喜んでおられました。息子さん達の「鉄道」と「淡水魚」に対する愛情が昨日はひしひしと伝わってきました。こういう少年たちが、もっと増えてほしいなと思いました。
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ブロッコリー

20240324broccoli.jpg▪️ブロッコリーをよく食べます。ブロッコリーは、食後の血糖値の上昇を抑制する効果があるそうです。また、ガンを抑制する効果もあるようですね。大切な野菜です。これは個人的にそう思うだけでなく、今年の1月には、農水省は「指定野菜」にもなりました。「指定野菜」について、農水省は以下のように説明しています

消費量が多い野菜や多くなることが見込まれる野菜です。野菜の値段を安定させて、みんながいつでも野菜を食べられるように指定しています。

指定野菜は、
キャベツ、きゅうり、さといも、だいこん、トマト、なす、にんじん、ねぎ、
はくさい、ピーマン、レタス、たまねぎ、ジャガイモ、ほうれんそうの14品目

▪️この「指定野菜」になったブロッコリーなんですが、最近は価格は高騰しています。困りました。暖冬で出荷が前倒しになり、今は品不足で価格が高騰してしまったようです。困りました。困っているのですが、写真のようなブロッコリーが手に入りました。これは、近くスーパーマーケットで買ったものではありません。スーパーではなく居住地に隣接する農村にある直売所で購入したものです。大きな3つのブロッコリーが入って、この1袋でなんと180円でした。ありがたいですね。直売所に出品されているご高齢の農家の皆さんは、市場価格を睨んで価格を上げたりせずに、いつものように価格をつけて出品されているのでしょうね。本当にありがたいです。

▪️このブロッコリーの茎、どうやって食べておられますか。私は、これまで包丁で硬い皮をカットして料理に使っていました。そうやってカットすると、食べられる中の芯の部分も皮と一緒に一部カットしてしまうのです。もったいないなあと思っていました。でも、この記事を読むと、電子レンジで簡単に、つまりツルッと皮を剥くことができるようです。次はやってみようと思います。

▪️それから、もうひとつ、今日知ったことを。ブロッコリーとケールをかけ合わせた野菜があります。アレッタというようです。これまでも、細長いバラ売りのブロッコリーと思っていたのですが、これはブロッコリーとは品種が違うのですね。知りませんでした。大学時代の先輩からfacebookを通して教えていただきました。ありがとうございました。ブロッコリーも美味しいですが、このアレったもとても美味しいのです。お勧めです。

【追記】▪️ 昼食にやってみました。ブロッコリーの芯って、こんなに美味しかったんだ…って思いました。みなさんも、ぜひお試しください。これまで何十年もブロッコリーを食べているのに、この芯に関しては損をしたような気持ちになっています。

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