西粟倉村のこと
▪︎つい先日、知り合いの新聞記者から問い合わせがありました。仕事上の問い合わせというよりも、個人的に意見を聞かせてほしい…という感じでしょうか。このような質問です。「日本創成会議が提唱している東京圏から地方への移住呼びかけについてはどう思うか?」。この「移住の呼びかけ」については、以下の日本経済新聞の記事をご覧ください。
民間有識者でつくる日本創成会議(座長・増田寛也元総務相)は4日、東京など1都3県で高齢化が進行し、介護施設が2025年に13万人分不足するとの推計結果をまとめた。施設や人材面で医療や介護の受け入れ機能が整っている全国41地域を移住先の候補地として示した。
創成会議は「東京圏高齢化危機回避戦略」と題する提言をまとめた。全国896の市区町村が人口減少によって出産年齢人口の女性が激減する「消滅可能性都市」であるとした昨年のリポートに次ぐ第2弾。
東京、神奈川、千葉、埼玉の1都3県では、今後10年間で75歳以上の後期高齢者が175万人増える。この結果、医療や介護に対応できなくなり、高齢者が病院や施設を奪い合う構図になると予測した。解決策として移住のほか、外国人介護士の受け入れ、大規模団地の再生、空き家の活用などを提案した。
移住候補地は函館、青森、富山、福井、岡山、松山、北九州など一定以上の生活機能を満たした都市部が中心。過疎地域は生活の利便性を考え、移住先候補から除いたという。観光地としても有名な別府や宮古島なども入っている。
高齢者移住の候補地域は以下の通り(地名は地域の中心都市。かっこ内は介護施設の追加整備で受け入れ可能になる準候補地域)。
【北海道】室蘭市、函館市、旭川市、帯広市、釧路市、(北見市)
【東北】青森市、弘前市、秋田市、山形市、(盛岡市)
【中部】上越市、富山市、高岡市、福井市、(金沢市)
【近畿】福知山市、和歌山市
【中国】岡山市、鳥取市、米子市、松江市、宇部市、(山口市、下関市)
【四国】高松市、坂出市、三豊市、徳島市、新居浜市、松山市、高知市
【九州・沖縄】北九州市、大牟田市、鳥栖市、別府市、八代市、宮古島市、(熊本市、長崎市、鹿児島市)
▪︎いかがでしょうか。なるほどと思われる方もいらっしゃるかと思いますが、私は、この提案内容に納得がいきませんでした。一極集中している東京の視点から語られているからです。乱暴にいえば、東京=大都市の論理に地方を従属させて消費しようとしているかのようです。移住とは、そんなに簡単なものでしょうか。高齢者の移住に関していえば、身体の弱ってきた人たちほど、移住は難しいと思います。移住してそこに根を生やして、その土地の人たちといろんな関係を作り、その地域になんらかの貢献をして…そういうプロセスを経ることが移住には必要だと思っているからです。このよう提案は、「物価の安い海外で優雅に暮らそう」という発想と、ほとんどかわりはありません。知人の新聞記者に教えていただきましたが、かつて「シルバーコロンビア計画」というものがあったそうですね。wikipediaで申し訳ありませんが、以下のように説明されています。「1986年に通商産業省のサービス産業室が提唱した、リタイア層の第二の人生を海外で送るプログラムを指す。正式名称『シルバーコロンビア計画”92”-豊かな第二の人生を海外で過ごすための海外居住支援事業』。『92』が付いているのは、目標年次を1992年としていたため。結局は、『計画』どまり、『構想』レベルに終わった」。また、もっと以前に遡れば、「南米への移住」等の政策についても、同様の考え方のように思います。
▪︎そのようなやり取りを、知人の新聞記者としたあと、facebookでひとつの記事をみつけました。岡山県にある西粟倉村に関する記事です。西粟倉村は、岡山県の最北東端に位置し、兵庫県・鳥取県と境を接する村です。記事は、「ニシアワー」という名前がついたサイトです。西粟倉村の挑戦者たちの活動を伝えるサイトです。こう紹介されています。
ぐるぐる、めぐる。生態系の循環に寄り添う地域作り
ニシアワーは、岡山県西粟倉村の挑戦者たち活動をお伝えするメディアです。2008年、西粟倉村で50年後(2058年)を目指す「百年の森林構想」が掲げられました。50年後を目指す冒険の物語は、ローカルベンチャーと呼ばれる挑戦者たちが村に眠っている可能性を発掘していくこと、そして挑戦者たちを見守ってくださる応援者を増やして行くことによって成立し、前進していきます。
■「なんだか、おもしろいぞ!!」と思わせる力のようなものを感じました。西粟倉村の主産業は林業てす。しかし、多くの国内の地域と同じく林業になかなか展望を見いだせない状況にありました。そのような厳しい状況にありながらも、西粟倉村は2004年に合併を阻み、独自の道を歩み始めます。2008年には「百年の森林構想」を打ち出し林業と地域と人の再生をはかっていきます。この「百年の森林構想」の経緯にいて説明した文書を引用してみます。
西粟倉村は、2004年に合併を拒み、村として自立していく道を選択しました。スケールメリットよりもスモールメリット。小さな村だからこそ実現できる未来があるはずだ。大都市、大企業の下請けにはならない、自立した循環型の地域経済を目指すべきだ。2004年以降、議論を積み重ねるなかで、目指すべき方向が徐々に言語化されていきました。
2005年には「心産業(しんさんぎょう)」というコンセプトが打ち出されます。心の生態系の豊かな村へ。心のつながりを大切にしながら、価値の創出と交換が行われる地域経済へ。(中略)仕事がないから過疎化する。だったら仕事を生み出そう。地域資源から仕事を生み出していける起業家型人材の発掘・育成を進めることになりました。 そして2008年、「百年の森林構想」という旗が掲げられました。「百年の森林構想」というビジョン、「心産業」というコンセプト、「雇用対策協議会」という推進組織によって、移住・起業の連鎖反応が広がっていくことになります。
■非常に建設的で前向きな地域経営に対する意志のようなものを感じます。地域の主体性です。そのような主体性が、移住・起業の連鎖を生み出したというのです。このあたりについては、「挑戦者たち」というページにいろんな方たちが登場します。たとえば、酒屋と日本酒バーを開業した女性、「地域の中のローカルベンチャーの支援をする。それのなにが悪いんですか」と主張する役場職員、地域商社、西粟倉・森の学校の若き経営者…。非常に気になる方たちばかりです。こういう方たちがいる地域って、魅力的ですよね。その魅力に挽きつけられるように多くの方たちが、この西粟倉村にやってこられるようです。そして、西粟倉村で生まれて育っている子供たちが増えているというのです。詳しくは、こちらのページをご覧ください。
2015年度 社会調査実習(1)
▪︎8月6日・7日の両日、学生6名とティーチングアシスタンと1名と一緒に、社会調査実習の現地調査に出かけました。訪問したのは、東近江市の農村集落・栗見出在家です。栗見出在家の公民館で、「魚のゆりかご水田協議会」の関係者の皆様から、これまでの「魚のゆりかご水田」プロジェクトの取り組みや、かつての農業や圃場整備事業等に関連した様々なお話しを伺わせていただきました。
▪︎履修している6人の学生のうち、実家が兼業農家という学生も2名いるのですが、この「社会調査実習」の授業が始まった段階では、いずれの学生たちも農業や農業政策についてほとんど知識をもちあわせていませんでした。そのため、この授業では、まずは基礎的な知識を習得するところから始まりました。そのような農業や農業政策に関する基礎的な事前学習を経て、たいへん拙いものではありますが、学生たちは、お話しを伺うための質問のリストを作成することができました。その質問リストにもとづいて、お話しを聞かせていただきました。いわゆる、半構造化されたインタビューということになります。学生たちにとっては初めてのインタビューということもあり、かなりぎこちないものでしたが、「魚のゆりかご水田協議会」の皆さんからたいへん有益なお話しを伺うことができました。
▪︎「魚のゆりかご水田」プロジェクトは、2014年には、滋賀県内の29地域、約116haの水田で実施されました。栗見出在家に限らず、「魚のゆりかご水田」プロジェクトが取り組まれている水田で生産された米は、付加価値がつきます。通常の米と比較して、高い値段で売買されます。ブランド米になるわけです。このような経済的インセンティブを組み込むことにより水田の生物多様性を維持しようとする取り組みは、この「魚のゆりかご水田」プロジェクト以外にも、兵庫県豊岡市の「コウノトリ育む農法」や、佐渡市の「朱鷺と暮らす郷づくり」などが有名です。では、この栗見出在家の皆さんも、そのような経済的インセンティブにより「魚のゆりかご水田」プロジェクトに取り組んでいるのかといえば、主要な動機付けはもっと別のところにありました。通常、「魚のゆりかご水田」プロジェクトは、集落内の農家グループや、地域の農家ネットワークによって実施されるばあいが多いわけですが、この栗見出在家では、農家・非農家に限らず、この集落にお住まいの多様な皆さんが参加されています。自治会が中心となって取り組んでいます。村づくりの活動の一環として取り組まれているのです。大変重要な点です。したがって、「魚のゆりかご水田協議会」の代表は、自治会の会長が務められています。自治会の会長は、1年交代ですから、協議会の代表も1年で交代することになります。そのため、協議会のなかには、会長を補佐する代表代行職やアドバイザーが置かれています。
▪︎栗見出在家の「魚のゆりかご水田協議会」は、現在、市内の他地区で取り組まれているグリーンツーリズムから学ぼうとされています。市内の「農家民泊」に取り組んでいる地域から講師を招き、講習会を開催したりするなどして、「魚のゆりかご水田」プロジェクトの取り組みに幅をもたせようと努力されています。私としては、このたりも大変興味深いところでした。栗見出在家の「魚のゆりかご水田」プロジェクトの取り組みは、社会的にも高く評価されています。2012年には「中日農業省特別賞」を、2014年には「しが生物多様性大賞」を受賞されています。すばらしいですね。
龍谷大学農学部と大津市とが連携
▪︎研究部の仕事で忙しく、最近の(社会学部以外の)他学部の動きを把握していませんでした。これは、農学部の取り組みです。以下は、龍谷大学研究部のホームページからの記事の転載です。研究部長ですが、この記事が研究部のページに掲載されているとは知りませんでした…(なんということだ)。
本学農学部が大津市と取り組む「大津の特色を生かした地産地消推進モデルの構築」をテーマとしたプロジェクトがスタートしました(環びわ湖大学・地域コンソーシアム「大学地域連携課題解決支援事業2015」採択事業)。
大津の農業はその大半を稲作が占めており、野菜や果樹、花きの生産量や種類が少ないというのが現状です。今回のプロジェクトでは、生産量の少ない大津の在来野菜の一部を本学学生が継承し、生産量の拡大や普及活動に取り組むとともに、将来的には観光施設での販売や加工品の開発までを見据えた取り組みとなることを目指しています。
具体的には、大津の伝統野菜である「坂本菊」(食用菊)と「近江かぶら」について、本学学生がこれまでの経緯や歴史的な背景、調理方法等を学ぶとともに、これらの伝統野菜を栽培することで、若い世代への食文化の継承を図ります。また、伝統野菜を用いた新しいレシピや加工品についての検討を行い、新規販路への試験的な提供などについても取り組んでいく予定です。
先日には、本学農学部資源生物科学科の佐藤 茂 教授が、大津市坂本にある穴太(あのう)地区を訪れ、「坂本菊」の生産者の方と情報交換を行い、「坂本菊」の苗を譲り受けました。生産者の方からは、「坂本菊」は栽培がとても難しく、坂本以外の地域ではうまく育たないといった話しや、一度栽培した土壌は数年休ませる必要があるといった話しをうかがいました。
譲り受けた苗は、本学瀬田キャンパス内の温室の他、各所で植え付けを行って栽培環境ごとの状況を比較するとともに、他県産の食用菊の品種も同時に植え付け、多品種間での比較も行います。
また、もう一つの伝統野菜である「近江かぶら」は、約400年の歴史を持つ古来からの白かぶで、京の伝統野菜である「聖護院かぶら」のルーツでもあるとも言われています。
現在大津市では、「近江かぶら」の特徴を示す逆ハート形の個体を選抜しながら、より本来に近い「近江かぶら」の栽培に取り組んでいます。本プロジェクトにおいても、大津市が選抜した種を植え付け、「近江かぶら」を大津市の特産品として復活させることを目指し、今後取り組んでいく予定です。
▪︎地域連携の側面でも農学部の皆さんは頑張っておられますね。う〜〜ん、社会学部は、どうした。もっとアクティプに展開していかんとあかん。
「京(みやこ)の水カフェ」
▪︎昨日は、終日深草キャンパスでした。午前中は研究部関連の会議報告、午後からは新しい体育館の起工式、そして評議会です。昼休み、午前中の会議で一緒だった農学部の古本強先生と、深草キャンバスの近くある食堂に昼食をとりにいくさい、キャンパス中央にある樹林とよばれるカフェの前で、「京の水カフェ」の幟がたっていました。経営学部の藤岡先生のゼミ生たちの活動のようです。以下は、昨年の大学のホームページに掲載された記事を転載したものです。「水カフェ」のブースの方に向かって歩いているのは、農学部の古本先生です。
龍谷大学経営学部藤岡ゼミは、京都市上下水道局と連携し、京都の水道水のおいしさとクオリティの高さ(安全・安心、低価格、環境にやさしい)をPRする「京(みやこ)の水カフェ×龍谷大学」を、下記のとおり開催します。
「京(みやこ)の水カフェ」とは、京都市上下水道局が実施する「おいしい!大好き!京(みやこ)の水キャンペーン」※の一環として開設するカフェです。2年目の今回は、本学との連携により、学生のフレッシュな感性を京都の水道水を活用したメニューや店舗内装に活かし、来店者に様々な角度から、京都の水道水のおいしさとクオリティの高さを実感していただきます。店内外の装飾、展示等についても学生が行い、当日の接客も学生が担当します。
また、上記取組に加え、メニュー考案の際は、協賛企業の小川珈琲株式会社から本格的な技術指導も受けており、京都の水道水のおいしさを、学生から積極的に発信いたします。
なお、「京(みやこ)の水カフェ×龍谷大学」は祇園祭期間中に実施する予定であり、京都市民をはじめ、その他多くの方々にも京都の水道水のおいしさを知っていただく機会に繋がればと考えております。
大宮キャンパス
▪︎昨日も深草で研究部の仕事でした。午前中は、今日開催される常任理事会(部局長会)の前段階の会議で、研究部関連の報告を行いました。そして、昼からは、校舎が重要文化財になっている大宮キャンパスに、研究部の部課長のお2人と向かいました。この4月に設立された「世界仏教文化研究センター」の会議に出席するためです。私自身は、この会議のメンバーではなくオブザーバーです。なんだかんだと、研究部の仕事は続きます…。
▪︎しかし、この大宮キャンパスは、いつ来ても気持ちが良いですね。「気持ちが引き締まります」。「大宮学舎」と呼んだほうが相応しいようにも思います。写真は、縦横の歪みが出ていますが、「気持ちが引き締まる」ということ意味が伝わるでしょうか。ここは、龍谷大学発祥の地でもあります。中央に見えるのは、本館です。国の重要文化材に登録されています。1879(明治12)年に竣工しました。その右は、校舎です。北黌(ほっこう)と呼ばれています。本館をはさんで南側には、南黌(なんこう)があります。こちらも国の重要文化財です。なにか「大学の精神」のようなものが濃厚に感じ取れるがゆえに「気持ちが引き締まる」のです。大宮キャンパスから深草キャンパスに戻るさい、一緒だった事務部長のTさんが、正門で講堂のある本館にむかって一礼されました。「なるほど…」と思い、私も、Tさんの一礼に習って頭を下げました。
【追記】(2015/07/15)■T部長に、どうして「正門で一礼」されるのかお聞きしてみました。「正門の講堂の中には、ご本尊である阿弥陀如来像が安置されているから」ということでした。なるほど。阿弥陀如来像を安置した講堂のある本館を囲むように、重要文化財である北黌(ほっこう)と南黌(なんこう)、そして西黌や西黌別館が配置されています。そのことが、この大宮キャンパスを聖なる空間に、清々しい空間にしているのでしょう。そして、それに加えて、そこにこの大学の「精神」のようなものが宿っているようにも思えるのです。出身者ではない者の、個人的な感想ですけれど。
素敵な理髪店
▪︎急に「飛蚊症」のような症状が現れました。糸くずのようなものが、目のなかに見えるのです。まわりの人たちから、一度、眼科で検診を受けたほうがよいと強く勧められたこともあり、月曜日、研究部の会議を早めに退席させていただき、大津市内の眼科にいってきました。結果ですが、生理的なもの、つまり加齢にともなう自然な現象で、病気が原因ではないので安心しなさいという診断でした。で、この糸くずのようなものはどうなるのか、消えないのだそうで。まあ、慣れるしかないとのこと…。ちょっとため息が出ますね。まわりの方たちにうかがうと、結構な人数の方たちが「飛蚊症」だということがわかりました。どの方も、最初は気になるけれど、次第に慣れてきて気にならなくなる…とのことでした。まあ、そういうものなんですかね…。ああ、しかし歳を取るとは困ったもので。
▪︎眼科からの帰り、お気に入りの建物にむかってみることにしました。理髪店です。木製の店名が少し剥がれていますが、「松本理髪館」と読めます。通常は左横書きでのところですが、こちらは旧時代の書き方で右横書きです。窓の大きさ。入り口の扉。壁の色。そして理髪店特有の可愛らしいサインポール。私の基準からすると、完璧です。とっても素晴らしい建物です。オシャレです。建物の前には、様々な鉢植えが並んでいます。その鉢植えが、また建物の魅力を引き出してくれているように思います。私は、この建物がとっても気に入っているのです。眺めていると、心が落ち着いてきます。もっとも、もうすでに廃業されています。最後の店主さんも、すでに亡くなられたと知人から聞かせてもらいました。子どもの頃から、この「松本理髪館」に通っておられたそうです。ちなみに、子どもの頃に髪を刈ってくださったのは、亡くなった店主さんのお父様とのことでした。こういう理髪店、街のなかからどんどん消えていっていますね。
初夏の深草
▪︎今日は、朝一番で深草キャンパスに向かいました。大学の執行部の会議で、研究部関連の報告をすることになっていたからです。私の報告時間は10分程度なのですが、大学の大切な会議ですので行かないわけにはいきません。ああ、社会学部のある瀬田キャンパスがもっと近くになあったらな〜…と思うのですが、これも仕方がありません。会議のあとは電車に乗って瀬田キャンパスに移動です。昼からは、「大津エンパワねっと」の運営会議、そしてその後は博士論文の草稿報告会があります。ごくわずかの時間ですが、息抜きもかねて、ちょっとした「まち歩き」をしてみました。テーマは、「初夏の深草」。初夏らしい風景をいろいろ探してみました。
▪︎写真を少し説明。トップは、琵琶湖疏水にかかる橋です。橋の名前は…、こんど調べておきます。なかなか、素敵な風景ですよね。しばらく眺めていると、ジョギングをしている人が通っていきました。「ちょっと、エエ感じかな」と思い、iPhone6で撮ってみました。縦横の歪みの問題があるのですが、けっこうiPhone6のカメラは優れていると思います。2段目の左、琵琶湖疏水沿いの樹木。右は、クリーニング店前の鉢植えの紫陽花です。鉢植えでも、ここまで立派になるなんですね。前を通る方たちの目を楽しませてくれます。ありがたいことです。そして、右の写真は、マツバギク。南アフリカ原産らしいですが、高温や乾燥に強く、大きい群落になるので、路地の花壇や石垣などにしばしば栽培されるそうです。この花に関しては、特に初夏は関係ないのかも…です。
梅田いろいろ
▪︎先週の土曜日、老母の生活介護のため、阪急梅田駅を利用しました。ということで、ほぼ毎週、阪急電車に乗車しています。先週は、生活介護の帰り、阪急梅田駅構内にある喫茶店で、梅田駅の風景を撮ってみました。阪急梅田駅というエントリーをご覧ください。パノラマ写真で、阪急梅田駅の「魅力」を撮ろうと思いましたが、なかなかうまくいきませんでした。ということで、再挑戦。今回は、各ホームにずらりと電車が並んでいるところを撮ることができました。「だから、どうしたというのだ…」という声が聞こえてきそうです。まあ、その通りなんですが、私としては満足です。どんなことでもいいのですが、こういう「小さな楽しみ」「小さな満足」を、慌ただしい1日のなかでも、なにか感じ取ることができたらなあ思います。残りの写真は、「新梅田食堂街」のなかにあった「縦看板」。なかなか素敵です。そして、「ヨドバシカメラと梅田の空」です。なんだか、脈絡のないエントリーで申し訳ありません。
第37回「北船路野菜市」
▪︎水曜日から3晩続いた「呑み」で疲れ切った身体を引きずりながら、大津へ。昨日は、第37回「北船路野菜市」が開催されました。この日は、4年生は3名ですが、8名の3年生が参加してくれました。これから、「北船路米づく研究会」の活動を担っていくことになるので、気合が入っていました。4年生たちが張り切って3年生たちを的確に指導しているのをみて、心のなかでですが「素晴らしい…」と思いました。こうやって、私が何も言わなくても、上の学年から下の学年へと活動が引き継がれていく仕組みが、これから巧く動いてくれるといいんですけどね〜。
▪︎昨日の野菜市は、3月以来の開催になりました。月1回の活動、先月はお休みをいただきました。毎年、4月と9月は、野菜生産の端境期で、協力農家の皆さんに出荷していただける野菜がありません。今月5月は出荷してたいだきましたが、まだまだ種類や量も少ない状況です。それでも、ダイコン、タマネギ、キヌサヤ、ソラマメ、ホウレンソウ、タケノコ、ウマイナ等を出荷していただき、量も少ないこともあり、開店後1時間半で完売しました。昨日は天候もよく人通りが良かったことに加えて、最近、「大津百町物語」という「まちづくり会社」がシャッターの閉まった店舗に商店誘致して、街に賑わいを作ろうと努力されています。そのような効果の恩恵を私たちも受けることができたのかもしれません。
▪︎写真についても、少し説明をしておきましょう。トップの写真。写っているのは、2名の4年生以外は、すべて3年生です。後ほど、この日の就職活動を終えた4年生がスーツ姿で現れました。就職活動、卒論、そして北船路米づくり研究会の活動に取り組む先輩の姿を目にしておくことは、良いことかなと思います。はじめて野菜市の活動に参加した3年生ですが、意外にも、大きな声を出することができたので、「なかなかやるな!」と思いました。お客さんとのコミュニケーションもなかかな滑らか。良い感じでした。
▪︎下の方は、朝礼の風景です。指導農家の吹野藤代次さんから、この日出荷された野菜に関して、いろいろ指導を受けているところです。自分たちが売る「商品」の情報をしっかり頭に叩き込んでおかないと…と、指導してくださっているのです。いつも、ありがとうございます。
▪︎皆さんのおかげをもちまして、この日は、午前中で完売することができました。ということで、急遽、予定を変更して、兵庫県にいる老母の生活の介護をしにいくことにしました。