びわ湖の日 滋賀県提供 公開講座

20250905ryukoku_rec1.jpg20250905ryukoku_rec2.jpg
▪️「びわ湖の日(7月1日)」にちなみ、滋賀県と龍谷大学の提携による参加無料の公開講座を3回実施されます。その最終回の担当をご指名いただきました。講演のタイトル、主催者側からご提案いただいたものを少しだけ修正させていただきました。場所は、深草キャンパス。研究室のある聞思館の東側にある慧光館になります。対面とオンラインの両方です。

▪️この日は、ちょうど龍谷祭という大学祭をやっている日なんですよね。まあ、教員で大学祭を楽しんだという経験はありませんが。以前は、この公開講座で、これもリクエストがあったからだと思いますが、「世界農業遺産」についてお話をさせていただきました。今回の講演にも、少しだけ世界農業遺産の話をさせて頂こうと思っています。

津田松苗さんの『汚水生物学』

20250905tsudamatsunae.jpg
▪️古本で入手しました。昨日投稿した津田松苗さんの『汚水生物学』(1964年)。もともとは、財団法人日本醤油研究所の蔵書だったようですね。この日本醤油研究所って、醤油製造等に関する技術の研究・指導を主目的としている財団法人だったようです。設立は、1958年11月7日。今は、財団法人日本醤油検査協会と統合して財団法人日本醤油技術センターになっています。どうしてこの『汚水生物学』が日本醤油研究所の蔵書だったのか、なんとなく想像できます。まあ、想像でしかないのですが…。

▪️下水道が普及していない頃、工場廃水は河川にながされていました。もちろん、家庭排水もです。『汚水生物学』の「はしがき」には、こう書かれています。

近年年の膨張、工業の発展とともに河川の汚濁はまことにいちじるしい。水質汚濁の研究、汚水処理の研究がさかんになってきたのももっともである。
ところがこれらの問題には生物学的な知識がきわめて必要なのである。この点徐々に理解されてききているが、まだまだ不十分である。

▪️汚水と生物、どのような関係にあるのかといえば、水域にいる生物の種類によって水質がどの程度なのかだいたい検討をつけることができるのです。環境学習で勉強する指標生物も、同じことなのだと思います。2つめは、汚濁した水も川を流れていくうちにきれいになっていきます。三尺流れれば水清しといいますよね。でも、その過程では、有機物を無機化する時に生物が関与しています。3つめは、下水処理で汚水を浄化するのも生物です。(1)生物学的水質判定、(2)自然浄化、(3)汚水処理にとって、生物の存在や働きが重要だと津田さんは述べておられます。汚水生物学は、下水道などのインフラが整備される以前の、高度経済成長の社会状況にぴったりの分野ということになります。

▪️『汚水生物学』のなかでは、家庭排水に含まれる合成洗剤が下水処理場を通過したあとも、分解されずに下流で泡立ちが起こる(泡公害)ということも書かれています。また生物学的水質判定の事例として、龍谷大学のある伏見区の河川(琵琶湖疏水と新高瀬川)のことも書かれています。「その流域は人家密集し、大量の家庭下水が排出され、一方醸造工場、その他の工場も多数あって、主として有機排水を出す。したがって川はかなり汚染された様相を呈している」。いまでは想像しにくいかもしれませんが、私が子どもの時の、つまり高度経済成長期真っ只中の頃の川って最悪でしたからね。川のなかには、白いもやもやした塊がゆらいでいました。バクテリアです。『汚染生物学』の脚注に京都の街中や、山崎から枚方までのあいだで、このバクテリアがみられることが書かれています。

▪️で、話は財団法人日本醤油研究所に戻るのですが、全国の醤油工場からでる河川に流される廃水のことを気にしてこの本を購入されたのではないのかなと…まあ勝手に想像したのです。ちなみに、『汚染生物学』の第8章「湖の汚染と富栄養化」は、昨日投稿した『自然保護』(昭和38年(1963年)2月)に執筆された「湖の富栄養化を防ごう」と同じものでした。

酷暑のなかの出勤、琵琶湖の富栄養化に関す勉強メモ

20250904wakita.jpg▪️夏期休暇中ですが、昨日も出勤しました。今日は、まだましですが、昨日は本当に暑かったです。仕事に必要な資料は、そのほとんどを研究室に置いているため、超暑い日が続いていますが、毎日出勤しています。先週は集中講義でしたから、なんだか夏期休暇といっても、授業がないだけで休暇気分にはなりません。普通に事務仕事もありますし。昨日は、偶然、ひさしぶりに同僚と少し話をすることができました。嬉しかったです。でも、多くの同僚はこの暑さ中、大学までやってくることはないのかもしれません。

▪️そんな冴えない夏期休暇ですが、重装備で出勤しています。麦わら帽子をかぶって、メガネの上からオーバーサングラス(TALEX)をして、日傘(mont-bell)をさして、こうするとまあまあ安心ですかね。私は、症状は出ていませんが少し黄斑上膜らしく、定期的に検査を受けています。ということで、紫外線で悪化していかないようにメガネの上からオーバーサングラスをかけています。日傘も紫外線避けのやつだと思います。日差し対策ではありませんが、骨伝導のイヤフォン(shokz)もしています。これは、暑さをまぎらわすためですかね。

▪️以下は、今日、勉強していることのメモ…みたいなやつです。先週の集中講義で、琵琶湖博物館学芸員の芳賀さんから、講義でいろいろ教えてもらいました。そのひとつが、「琵琶湖の富栄養化に関して、いつ頃から研究者が気がついていたのか」ということです。芳賀さんから教えていただいた研究者は、津田松苗さん(1911-1975)でした。陸水学や水生昆虫の専門家なのだそうです。彼が日本自然保護協会の機関誌『自然保護』に「湖の富栄養化を防ごう」という短文を書いておられます。この機関誌は、昭和38年(1963年)の2月に発行されたものです。その頃に、琵琶湖の南湖の富栄養化の問題を指摘されているのです。スイスのチューリッヒ湖が富栄養化したという話の次に、琵琶湖の南湖の富栄養化を指摘されています。以下は、その部分です。

わが琵琶湖でも、堅田以南の副湖盆における最近十数年間の富栄養化は極めて激しい。湖南部周辺の人家、工場の激増による汚水流入のためである。湖底には腐泥が沈積し、いままでは極めてわずかであったユスリカ幼虫が大量に発生し(羽化した成虫は周辺の人家に集来する)、湖岸近くの岩石には汚水菌の集落がべっとりと着いている。水色ももちろん悪い。京都市の上水道取入口がその最も汚染の激しい地域にあるのも気にかかることである。

(副湖盆とは南湖のことです。北湖は主湖盆)

▪️湖は自然に放置しても徐々に富栄養化の道をたどります。浅い湖だと思いますが。ただ、そのスピードはかなりゆっくりで、数千年から数万年という長い時間になります。ところが、人間が汚水を流すとあっという間に富栄養化していくことになります。下水と工業廃水によってスイスのチューリッヒ湖のばあいだと50年のようです。このような人間が大きく影響している富栄養化対策として、津田さんは下水処理が必要だと主張されています。それも、「下水有機物の無機化よりさらに一歩進め、無機栄養塩類の除去までやらないと本物ではない」と主張されています。現在行われている三次処理・高度処理のことですね。

▪️津田さんはこう書いておられます。「そして突然湖水に水の華が生じるようになる。一般の人が『湖が変わった』ことに気づくのはこの時期である。あとは、わずかな年月のうちに、湖の爽やかさが失われていく」。津田さんは、1975年に63歳でお亡くなりになりました。その2年後、琵琶湖には淡水赤潮が大発生することになりました。もし、その時も津田さんがご健在だったらどのような発言をされたでしょうね。淡水赤潮が大発生することで、津田さんが書いておられるように、多くの県民も琵琶湖に異変が発生していることに気が付きました。ちなみに淡水赤潮も水の華の一種です。

▪️この淡水赤潮の大発生により、りんを含む合成洗剤に替えて粉石けんを使おうという「石けん運動」が県民運動として展開していきました。もともとは、合成界面活性剤による健康障害を問題視する消費者運動でした。ただし、滋賀県内でこの運動に懸命に取り組んだ女性たちは、富栄養化により淡水赤潮が大発生したのちは、健康障害と琵琶湖の富栄養化の問題は繋がっていると解釈していました。消費者運動ですから、まずは企業の販売戦略に乗せられて合成洗剤を使い続けて健康障害が起こす人たちがいることを問題視します。そして、加えて今度は潜在に入っているりんで富栄養化が進み、淡水赤潮が大発生した。そのように解釈されていたのです。運動で目指すのは、健康も琵琶湖も取り戻そうということになります。それに対して、県にとって問題なのは富栄養化です。スローガンは「多少不便でも石けんを使いましょう」。富栄養化を引き起こした洗濯用の有りん合成洗剤を使ってきたことを反省し、「多少不便を感じながらも石けんを使う」ということが強調されることになります。

▪️「石けん運動」の持つ消費者運動という側面と、富栄養化を防ぐという環境運動という側面との間でネジレが生じています。加えて、「石けん運動」には、県民が自ら頑張ったという部分と、行政が運動を背後から推進していったという部分の両方があります。このネジレと両方があるという点、私にとっては大変重要に感じるところなのですが、そのことは今は横に置いておきます。

▪️当時、洗剤メーカー側が猛烈な反対運動を滋賀県内で展開したわけですが、そのことが逆に「石けん運動」に火をつけることになりました。結果、石けんの使用率は高まっていきました。そのような世論の動きを背景に、「滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例」(琵琶湖条例)が制定されることになりました。また、間接的、あるいは結果としてかもしれませんが、その時点で進んでいた琵琶湖総合開発という国家プロジェクトにも影響を与えたのではないかと思います。1981年の改訂時に、水質保全に寄与する農業集落排水処理、畜産環境整備、ごみ処理、水質観測の4つの事業が追加されています。そもそも、1974年に滋賀県知事に当選した武村正義さんは、選挙中から、前知事の野崎欣一郎さんが進めてきた琵琶湖総合開発の見直しを公約にしていました。ということで、総点検していました。

▪️さて、そうなりますと、淡水赤潮を発生させた富栄養化に関して、行政はどのように認知していたのかが気になります。1971年に水質汚濁防止法の施行に伴い、県の水質審議会に、「水質汚濁にかかる排水基準等について」の諮問を行いました。1973年には答申が出され、「滋賀県公害防止条例」が制定されました。その答申のなかには、県の水質審議会は「琵琶湖の富栄養化が進行しつつある状況から、今後、窒素、りん等の規制について検討を行うべきである」との付言がありました。富栄養化を公害防止と同一レベルのやり方では対処できないということでしょう。答申の付言ではありますが、このあたりから、県としても富栄養化問題に取り組まねばと考えていたように思います。水質審議会に「言われたから」ではなくで、水質審議会に「言ってもらう」というのが実態に近いのではないかと思いますが、どうでしょうか。審議会とは事前相談を十分にしていると思いますし。

▪️そして1975年、1974年に知事に就任した武村正義さんは、県の水質審議会に対して、「窒素、燐および陰イオン界面活性剤の規制はいかにあるべきか」を諮問しています。その公文書では、りんや窒素だけでなく、陰イオン界面活性剤、つまり合成洗剤もとりあげられています。こう書いてあります。「また陰イオン界面活性剤についても近時毒性等の面からその影響が懸念されています」。ただ、この諮問に対して議論を行なった規制基準部会や専門小委員会では、りんや窒素に関して議論していますが、懸念されているという陰イオン界面活性剤そのものの毒性等については議論された形跡がみあたりません。もちろん、合成洗剤にビルダー(助剤)として入っていたりんについては議論の対象となっていますが。なぜなんだろう。

▪️そのことはともかく、この時の水質審議会の委員に岩井重久さん(1916-1996)という方がおられます。岩井さんは、社団法人土木学会が発行している『琵琶湖の将来水質に関する調査報告書』(昭和44・45・46・47年度、4冊)の委員長もされていました。初年度は、昭和44年ですから、1969年になります。これは、建設省近畿地方建設の委託研究です。委託されて土木学会衛生工学委員会として、琵琶湖の富栄養化に関する研究を進めることになったのです。岩井さんは、この委託研究の委員長です。

▪️45・46年度版の報告書では、「3.汚水および汚濁負荷(発生量の現況と将来予測)」のなかで、「家庭生活により窒素、リン負荷の発生量、原単位」、「合成洗剤によるリンについて」、「家庭下水による負荷量の計算」という記述があります(どういうわけか、まったく同じ内容と文章)。もちろん、家庭だけではなく、家畜や工業による窒素・りんの発生量、それから肥料に基づく窒素・りんの流出量に関する記述もあります。社会学しか勉強していないので、どこまでこの報告書を理解できているのか、できたとしても一部になりますから不安なんですが、全体として理解できることは、建設省は、琵琶湖についてもその富栄養化の対策が必要だとの判断をしていたということです。

▪️滋賀県も、1972年(昭和47年)に、琵琶湖環境保全対策を策定するなかで、合成洗剤の問題をとりあげています。界面活性剤が下水処理に及ぼす影響、さらには「添加剤として用いられるりんによる湖の富栄養化等」を問題視しています。そして、「家庭からの排水量そのものを減少させる意味で節水の思想の普及と合成洗剤使用削減運動を強力に展開する。一方、基本的には、りん含有量の規制、さらには全く新しい無害洗剤の開発を、国、製造業界に要請する」となっています。

▪️合成洗剤に替えて石けんを使おうという「石けん運動」と「合成洗剤使用削減運動」とでは同じ運動でもまったく中身が違っています。しかも「新しい無公害洗剤」とは無りんの合成洗剤のことだと思います。問題にしているのは、富栄養化なのですから。ただし、行政が「運動」ということを視野に入れて対策を考えているという点が気になっています。下水道という技術による解決を待っていては間に合わない。下水道が普及するのには時間とお金がかかる、ということなのでしょうか。国の問題意識と県の問題意識は、どう関係しているのかなと気になります。おそらく、琵琶湖の富栄養化が進行していることは認識は共有していたはずです。さて、琵琶湖博物館の芳賀さんは『淀川百年史』という本も勧めてくださいました。琵琶湖総合開発の考え方が書かれているということを教えてもらいました。瀬田キャンパスの図書館にあったので、取り寄せることにしました。今日、届きました。今日は、『淀川百年史』を確認しながら、読み進めました。琵琶湖総合開発に関して、次のような記述がありました。

琵琶湖総合開発の主な柱として、滋賀県により昭和43年8月に作られた「琵琶湖総合開発の基本的な考え方(第一次案)」においては治水、利水、地域開発の3つをあげていたが、46年2月に作られた「琵琶湖総合開発計画の基本方針(案)」では、保全、治水、利水の3本柱となり、琵琶湖の自然環境、水質の保全というものが表面に押し出されてきた。

その後も特に琵琶湖の水質悪化が大きな問題となり、ますます保全の重要性が強調されるようになって琵琶湖総合開発の基本方針になった。

▪️昭和46年は1971年です。野崎欣一郎知事の時代です。「その後も特に琵琶湖の水質悪化が大きな問題となり」というのは、淡水赤潮の大発生がその代表のように思います。武村正義知事の時代、昭和52年、1977年のことになります。でも、どういう経緯で、基本方針が変化したのか、そのあたりの国と県のやり取りを知りたいとおもいました。諏訪湖など浅い湖では、琵琶湖よりも先に富栄養化が進んでいましたし、湖沼の水質問題については保全を入れないわけにはいかない状況が生まれていたのだろうと思いますが…。琵琶湖総合開発は、下流の自治体が、琵琶湖の水を使うかわりに、滋賀県のために負担金を出すという仕組みになっていますし、「水量」だけでなく「水質」も維持しなければ…ということなのだと思います。もう少し勉強してみます。

伊吹山・全層循環・ヒマラヤユキノシタ

20250126ibukiyama.jpg20250126mikamiyama.jpg
20250126mygarden1.jpg20250126mygarden2.jpg
▪️今日の午前中は仰木での農作業でしたが、空気は澄んでいました。仰木からも頂上が雪で白くなった湖北の山々が確認できました。ということで、いつもの自宅近くの公園に行ってみました。伊吹山がはっきり見えました。もちろん、三上山も。気温が高くなると遠くの風景も霞んで見えます。個人的には…という限定付ですが、もう少し気温が低い状況が続いて欲しいのですが…。というのも、琵琶湖の全層循環(琵琶湖の深呼吸)、この冬はどうなるのかを心配しているからです。滋賀県による「北湖底層DO調査結果(速報)」をみると、例年はこの時期からぐんと固定の溶存酸素(DO)が高くなっていきます。そして、全層循環を確認するわけなのですが、はたして今年はどうなるのか、これだけ暖かいと素人意見ですが心配です。専門家の意見もお聞きしたいところです。

▪️ビンクの花は、庭のヒマラヤユキノシタです。やっと花が咲かせてくれました。我が家の庭には、もう一株、ヒマラヤユキノシタが植えてあるのでが、こちらは開花の様子がありません。まあ、春を告げる花なのでこれから花が増えていくと思います。そう信じたいです。スイセンの方も、やっと一輪花を咲かせてくれました。世話の仕方、肥料やり方を間違ったかもしれません。施肥を忘れてしまっていたような気もします。もしそうだったら、ごめんね。

タネカラプロジェクト

▪️昨年の6月に、「社会学入門演習」の学生の皆さんと一緒に訪問した滋賀県高島市朽木生杉で取り組まれている「タネカラプロジェクト」さんのFacebookへの投稿を拝見しました。雪の中で獣害のことを心配されていることからよく理解できました。

▪️こちらは「タネカラプロジェクト」さんの公式サイトです。ぜひ、お読みください。このサイトの中で、プロジェクトの理念や活動を以下のように説明されています。「うわべだけのSDGsは要らない。」、厳しいタイトルです。

―うわべだけのSDGsは要らない。本当に意味のあるSDGsを形にするために―

びわ湖源流域に広がる成熟段階の森林でも、里に近い落葉広葉樹二次林でも、後継樹が少ない、下層植生がほとんどない(あっても種数が極めて限定的)といった風景がごく当たり前に見られるようになってきた。
成熟した木々が旺盛に枝葉を広げる。その下に次世代を担う稚樹がなくても、季節の移ろいとともに緑が生い茂り、種々の木の実がなり、生き物たちが集って我々の目を楽しませてくれるので、一見豊かな自然がいつまでも在り続けるように錯覚する。
このような地域の森の未来に危機感を抱く人はごくわずかで、大多数の無関心にカモフラージュされながら、森の多様性の崩壊は水面下でじわりじわりと進んでいる。
二ホンジカの食害によって森の天然更新が阻まれていることが主な原因であるが、今もなお有効な手立ては見つかっていない。
他にも、奥山の広葉樹林においては、生態系への配慮に欠ける無秩序な伐採が後を絶たず、施業後そのまま放置され、貧弱な植物相の地と化している。
また、針葉樹の人工林についても、風雪害により荒れ果てた林や主伐後の土地に適切な対策が講じられず、行き場を失っている。
そこで、”森作り”の循環サイクルの中で最も滞っているスタート段階に焦点をあて、自生種の種子採集と地域性苗木の育苗、そして山への植樹を手がける。
地域の森林は、地域のタネと地域のヒトの力で再生する。
樹木の発芽と定着のメカニズムを探る中で、私たちは木々の精緻を極めた生の仕組みに心打たれるだろう。
タネから始まる命の循環、タネから関わる森作り。
その楽しみをできるだけ多くの仲間と共有し、次世代へ発信したい。
未来に向けた、実に息長いプロジェクトである。

▪️以下が、昨日拝見したFacebookへの投稿です。

公益財団法人・淡海環境保全財団「ヨシ苗育成センター」

20241026ikubyou_center1.jpg ▪️1993年、淡海環境保全事業財団が設立されました。2012年には、公益財団法人に移行しました。設立から、昨年で30年を迎えました。そのタイミングで「淡海ヨシのみらいを考える会議」が設立されました。私はこの会議のメンバーです。先週の金曜日には、さまざまな職業の方達、しかし琵琶湖のヨシ群落に強い関心をお持ちの皆様と一緒に、「現地見学会」に参加させていただきました。

▪️午前中は、まず公益財団法人・淡海環境保全財団の「ヨシ苗育成センター」を訪問して、財団の職員の方から丁寧な説明を受けました。「淡海環境全財団」(https://www.ohmi.or.jp/zaidan/)は、いくつもの事業に取り組んでおられますが、そのうちのひとつが、「ヨシ群落の保全」です。具体的には、①ヨシ群落に関する県からの委託事業、②ヨシ自然環境学習事業、③保全活動支援、そして、④ヨシ苗育成事業、⑤ヨシ紙事業、⑥ヨシ腐葉土事業の6つです。このうちの④・⑤・⑥については、草津市の下物(おろしも)にある下物ヨシ苗センターで取り組まれています。

20241026ikubyou_center2.jpg20241026ikubyou_center3.jpg
20241026ikubyou_center5.jpg20241026ikubyou_center6.jpg
20241026ikubyou_center4.jpg ▪️2段目左の写真、茶色い大きなマット、これはヤシガラでできています。4ヶ所に切れ込みが入っています。ここにポットで育てた苗を入れて湖岸に設置していきます。もともとは、ニゴロブナを対象とした魚類の産卵・育成場の造成を目的に使用されていました。右の写真、ヨシが成長していますが、これらは全てこのマットで育てられたヨシです。立派です。このヨシたちは、地下か汲み上げた地下水で育てられています。地下水に鉄分が含まれているため、少し茶色く見えていますが、これは汚染しているわけではありません。

▪️3段目左と右の写真はポット苗です。湖岸への植栽に使われます。植栽ボランティア活動向けに生産・販売されています。こういうお話もお聞きしました。湖岸の土木工事でどうしてもヨシ群落をいったん取り除かねばならない場合、あらかじめ、その場所か近い場所に生えている遺伝的に差異がないと考えられるヨシを親木として増やしていきます。そしてポットやマットで成長させて、工事が終了した後、再び植栽していくのだそうです。

▪️4段目の写真。財団では刈り取ったヨシの利用に関しても力を入れておられます。そのひとつが、ヨシ腐葉土事業です。ヨシを粉砕した後に発酵させたもので、土壌改良剤として販売されています。特に、菊の栽培に向いており、全国の菊愛好家が購入して利用されているとのことでした。

20241026ikubyou_center7.jpg20241026ikubyou_center8.jpg
▪️5段目の写真。おそらく環境学習の一環として実施されるヨシ簀編みの道具です。このヨシ簀編み、自分でもやってみたいと思っています。琵琶湖や周辺の内湖のヨシを使ってヨシ簀を編み、自宅で酷暑の夏の日差しを和らげるために使用する…そのようなことを思っているのです。どれだけエアコンの電気代が節約できるのだろう、二酸化炭素排出を減らせるのだろう…。まあ、そんなことができたらいいなと妄想しています。

20241026ikubyou_center9.jpg
▪️ヨシ群落にはヨシだけでなく他の植物も生えてきます。手入れが悪いヨシ群落だと、刈り取れられることがないのでヨシが腐敗して溜まっていきます。少しずつ乾燥した陸地へと変わっていきます。そういう場所にオギが生えてくるのだそうです。ヨシもオギも同じイネ科の植物ですが、ヨシと同じように利用はできないそうです。ヨシ刈の際には取り除かねばなりません。ではどうやって見分けるのか、そのことを見分け方を丁寧に説明されています。午前中、財団の職員さんに丁寧に説明を受けました。知らないことがたくさんありますね。勉強しなくちゃ。5段目右の写真と6段目は、職員さんがヨシとオギの違いを説明しているところです。オギは葉の真ん中に白い線があります。花についても、形状が違います。オギの方が華やかな雰囲気があります。ということで、この穂から種をきちんと取った後、飾り物のスワッグの材料などに使われるのだそうです。なるほど。66歳のおじいさんですが、スワッグにとても関心があります。

魔界への誘い…

20241024toshiyan.jpg
▪️昨日は、滋賀県庁を訪れて、ヨシ群落の保全等に関していろいろお話を伺い、ディスカッションを行いました。ディスカッションのポイントは多数に渡りますが、とても気になっていることは、ヨシ群落の「ヤナギ林化」という問題です。ヨシを中心としたヨシ群落に、たくさんのヤナギの樹が増えており、しかも巨木化しているのです。望ましいと判断されるヨシ群落ではなくなります。人の手が加わることで、ヨシ群落は維持されてきましたが、今はそうではないのです。人の手が加わらなくなる。人の関心が薄くなる。そういった環境は、「質」が劣化していきます。

▪️ディスカッションが終わったのが夕方だったということもあり、予定通り( ? )大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」へ。すると、すでにご常連のお1人がカウンターに座っておられました。そのご常連と飲みながらお話をしていると、もう1人のご常連が来店。ということで、カウンターからテーブルに移動して呑みながら歓談。学生スポーツの話で盛り上がりました。真ん中のご常連、学生時代はアメリカンフットボールをされていて、お会いするといつもアメフトの話題で盛り上がります。なんですが、私は7時半前に帰宅しました。良い子ですから。真ん中のご常連に持って頂いたのが、今日入った芋焼酎の一升瓶です。「特約店限定流通品 魔界への誘い 紅はるか」です。魔界…って…。女将さんには(呑めないけれど)、私の好みを伝えてあるので、問屋さんで私の好みの芋焼酎を仕入れてくださっています。いつもありがとう。

「ヨシみらいメンバーズ登録証」

20240527yoshi_mirai_members.jpg
▪️公益財団法人 淡海環境保全財団から「ヨシみらいメンバーズ登録証」が届きました。私も、財団の方で組織された「淡海ヨシのみらいを考える会議」のメンバーの1人として登録されたようです。このヨシに関心のある人たちが、ゆるやかにネットワークをつくり、そのネットワークの中かから、琵琶湖のヨシの活用やヨシ群落の保全活動に関する知恵が生み出されてきたら素敵だなと思っています。ただの環境社会学者にできることは限られているわけですが、他の皆さんと力を合わせて活動していきたいと思っています。

「(仮称)淡海ヨシのみらいを考える会議」設立に向けたシンポジウム

20240113yoshi_symposium.jpg
▪️今日は、南草津で開催された「『(仮称)淡海ヨシのみらいを考える会議』設立に向けたシンポジウム」に参加しました。一般公開されるシンポジウムとは違い、ヨシに関係する皆さんのためのシンポジウムでした。「なんで脇田がヨシやねん」という突っ込みが入ると思いますが、滋賀県の「ヨシ群落保全審議会」の会長ということでお呼びいただきました。

▪️京都大学の深町加津枝さんから問題提起をしていただき、琵琶湖ヨシとヨシ葺き屋根の伝統を受け継ぐ真田陽子さん (葭留勤務、一級建築士)と、淡海環境保全財団の瀧口直弘さんから活動発表をしていただいた後、参加者26人で車座になって、ヨシについて熱く語り合いました。ヨシ業者の皆さん、ヨシを原料に使う文房具の企業の皆さん、環境教育の関係者、ヨシを原料に使う繊維会社の方、地域でヨシ群落の保全に取り組む皆さん、多種多様な関係者がお集まりくださいました。

▪️私はその際のコーディネーターを務めました。皆さんから積極的にご発言いただきました。ヨシに関係する様々な「異業種」の皆さんが交流するからこそ、大変楽しく有意義な時間を過ごすことができたのだと思います。ありがとうございました。

【追記】▪️このシンポジウムを企画・運営された「淡海環境保全財団」の職員の方から、メールが届きました。参加者は限られていますが、アンケートをとったところ、「全体構成にストーリー性があって良かった」というご意見や、「コーディネートが非常に良かった」というご意見を複数いただけたようです。ちょっとフランク過ぎたかなと若干の反省もしていますが、堅苦しなくないように、そしてユーモアを伴うことを心がけ、しかも全体のディスカッションがうまく噛み合うことを意識しながらコーディネートを行いました。もちろん、参加者の皆さんのご協力もあってうまくいったのかなと思います。改めて、参加者の皆さんには御礼を申し上げます。ありがとうございました。

カテゴリ

管理者用