世界農業遺産の「琵琶湖システム」と「魚のゆりかご水田」


▪️滋賀県では、琵琶湖の湖岸に接する水田で、盛んに「魚のゆりかご水田」の取り組みが行われています。そのなかでも、特にこの動画の「須原せせらぎの郷」の取り組みがよく知られています。この「魚のゆりかご水田」は、国連の国連食糧農業機関(FAO)の「世界農業遺産」として認定された「琵琶湖システム」の中核にある取り組みです。正確には、「琵琶湖システム」は、「森・里・湖に育まれる、農業と漁業が織りなす琵琶湖システム」です。後半の「農業と漁業が織りなす」の方の中核に「魚のゆりかご水田」は位置付けられることになります。

▪️しかし同時に考えないといけないことがあります。前半の「森・里・湖に育まれる」の部分です。「魚のゆりかご水田」が可能になるのは、もちろん地元の農家をはじめとする関係者の皆さんの努力にあります。それはもちろんなんですが、そのような「魚のゆりかご水田」が可能になるのは、その背景にあるれ「森・里・湖」での様々な活動があるからなのです。「森・里・湖」で環境や生物多様性を守るために地道に活動されている方達の存在を忘れてはいけないと思っています。また、そのような方達の活動にもっと光が当たっていく必要があるとも思っています。産業としての林業、落葉紅葉樹の森林の保全、里山の保全、環境こだわり農業、ヨシ群落の保全、身近水路や小河川の保全…、全てが「琵琶湖システム」に包摂される取り組みなのです。これらの多種多様な人が関わる活動がつながりあって「琵琶湖システム」はできています。そのようなことは普段は意識しないのですが、少しお互いに意識し合うだけで、何か変化が起こるはずです。

公益社団法人平和堂財団の「夏原グラント」の申請は1月30日まで

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▪️豊かな環境の保全および創造のために、 NPO法人・市民活動団体または学生団体の自主的な活動に助成する「夏原グラント」、応募をお待ちしています。この「夏原グラント」は、あのスーパーマーケットの平和堂が設立した公益財団法人平和堂財団が運営しています。すごく申請団体のことに配慮した助成です。いろんな活動レベルに合わせた申請ができます。

▪️この「夏原グラント」の助成で2014年から選考委員を務めています。昨年の春からは選考委員長になりました。様々なタイプの環境保全活動の申請からいろいろ勉強させていただいています。

「淡海ヨシみらいフォーラム ~ヨシ群落の保全とネイチャーポジティブ~」

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▪️来月の末、2月27日になりますが、「淡海ヨシみらいフォーラム」が開催されます。今回のテーマは「ヨシ群落の保全とネイチャーポジティブ」です。第1部は「話題提供および事例発表」、第2部は「情報交換会」、第3部は「パネルディスカッション」です。第3部でコーディネーターを務めます。以下は申し込み書です。同じ項目を明記していただければ、メールでも受け付けてくださるのではないかと思います。

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『斜め論』

20251124nanameron.jpg▪️『斜め論 空間の病理学』の書評。何か困り事を抱えた人びと(他者)に、自分の側から関わっていく(他者へのケア)ときの姿勢。中井久夫さんのいう「ちょっとした垂直性」が気になりました。以前、環境社会学会の編集委員長をしているときに、学会誌『環境社会学研究』で「市民調査」という特集を組みました。その特集の中の蔵治光一郎さんの論文で、一般の市民による「市民活動」(環境調査)を、専門性からズレていて質問されてもちょっと自信がないぐらいの人が手伝うとうまくいって(市民は楽しみを優先している)、バッチリ専門性のある人が手伝うとうまくいかない(科学的な精度を求める)…随分前のことなので記憶が曖昧ですが、そのような話が論文の中に出てきました。きちんと確認していないんですけど。この「斜め論」、「ちょっとした垂直性」というのは、私の研究や実践の文脈では、そういうふうなことに重ね合わせて理解することになります。筆者には「違うよ」って言われるかもしれないな…。もっとも、この本の中に出てくる信田さよ子さんのお話のような迫力は、自分には全くありません。以下は、書評の中の一部。

しかし、臨床的な意味での治癒は、むしろ水平方向において、つまり他者との横のつながりの回復などによって起こるのではないか。このことは、中井久夫が統合失調症患者がその急性期から「共人間的世界(身近な他者との関係)」の再構築において回復に向かうとしたことにも通ずる。ただし中井は、治療者が権威的ではないやり方で患者を導くこと、つまり「ちょっとした垂直性」の必要性に触れていた、と著者は指摘する。
そう、水平方向はケアにおいて重要な意味を持つが、そこには平準化(横並びに埋没させること)に陥る危険も潜んでいる。垂直方向の批判から水平方向の全面賛美に向かうのではなく、「斜め」を目指すこと。ここに、ラ・ボルド病院の実践において垂直と水平の次元を乗り越えようとしたガタリの「斜め横断性」の概念が重ねられる。

小さな自然再生 ビワマス魚道を設置して地域を盛り上げよう!!


▪️滋賀県立琵琶湖環境科学研究センターの佐藤祐一さんによるFacebookへの投稿です。本当に残念、この事業が開催されるのは木曜日なんですね。土日でないと参加できません。定年退職したら、こういう活動にも参加できるのかなと思います。どんな感じになるのでしょうね。楽しみです。ただし、75歳になったら運転免許を返納する予定なので、時間は限られています。しかも、健康に生きていることを前提にしています。

▪️こういった様々な環境に関わる市民活動で、理事長をしている特定非営利活動法人「琵琶故知新」が発行するデジタルポイント、「びわぽいんと」が、いつか使われるようになって欲しいと思っています。ポイントの「贈与」を通じて、活動間のつながりや連帯がネットワーク化していくことを夢見ています。

富栄養化はどのように語られてきたのか…

▪️昨日、滋賀県立図書館に返却した資料ですが、1969年(昭和44年)から1972年(昭和47年)まで、当時の建設省近畿地方建設局が土木学会に委託した「琵琶湖の富栄養化問題に関する調査」の報告書です。琵琶湖の富栄養化に関して、初めて本格的に取り組んだ調査だと言われています。土木学会衛生工学委員会に「琵琶湖の将来水質に関する調査小委員会」がもうけられて、この小委員会が調査を担当しました。現在、びわこの富栄養化がどのように議論されてきたのかに関心をもち、いろいろ資料を探索しています。

▪️「琵琶湖の将来水質に関する調査小委員会」の委員長は、京都大学の岩井重久さん(1916年~1996年)です。岩井さんは、1958年に京都大学工学部に衛生工学科を創設された方です。琵琶湖の富栄養化の問題がどのように議論されているのか調べている中で、この岩井重久という研究者のことを知りました。このような情報に辿り着くための助言をくださったのは、滋賀県立琵琶湖博物館学芸員の芳賀裕樹さんです。芳賀さんありがとうございました。

▪️この琵琶湖の富栄養化問題について調べていると、芋づる式にいろんなことを知ることになります。1972年(昭和47年)に法律が制定され、1972年(昭和47年)から1997年(平成9年)にかけて行われた巨大国家プロジェクト「琵琶湖総合開発」とも関係していました。上記の岩井さんは、第六十八回国会参議院建設委員会で「琵琶湖総合開発」を始める根拠となる「琵琶湖総合開発特別措置法」の「案」について、参考人として出席し陳述されています。岩井さん以外には、前にも少し投稿の中で触れた津田松苗さん(奈良女子大学)が富栄養化に関して発言をされています。生物関連では、京都大学大津臨湖実験所の所長である森主一さんも琵琶湖の生物への琵琶湖総合開発の影響について発言されています。議事録を興味深く読んでいます。

▪️県立図書館では、上記の報告書以外に『国民生活行政20年のあゆみ』という本も借りていました。1970年に水質汚濁防止法が制定される以前と以後のことについて勉強したかったからです。1958年(昭和33年)に制定された前身の「公共用水域の水質の保全に関する法律」(水質保全法)および「工場排水等の規制に関する法律」(工場排水規制法)の水質二法の頃からの話ですす。ちょうど高度経済成長期の初期に当たりますね。この法律と現状との間にギャップが生まれて、それを解消するために水質汚濁防止法が制定されたわけです。ただし、この水質汚濁防止法で、生活排水の対策は盛り込まれていません。1990年(平成2年)に水質汚濁防止法が改正され、生活排水対策を推進するための制度的枠組みをこの法律の体系の中に組み込みました。琵琶湖に赤潮が大発生したのが1977年ですから、その12年後ということになります。

深草キャンパスの図書館

▪️一昨日は、すでに台風は関西を通り過ぎていましたが、自宅で仕事をすることにしました。そして、昨日は出勤。瀬田キャンパスの図書館から取り寄せていた琵琶湖総合開発関連の書籍を受け取りに行きました。禁帯出なので、必要なところを必死になってコピーしました。夏期休暇中ですので、館内の利用者はちらほら程度。図書館の公式サイトに出てくる混雑状況は3%でした。この混雑状況ってどうやって調べるのでしょうね。図書館内にある全部の座席数と利用者の割合なのかな(知らんけど…)。

▪️昨日は、閉架書庫にもずいぶん昔に出版された書籍を探しに行きました。すると、閉架書庫に入る少し前のテーブルに座っている方がおられました。私よりも年上の男性です。Tシャツに半袖のシャツを羽織って、下は半ズボン。夏らしいスタイルです。あまりジロジロ見るわけにはいかないのですが、机の上には辞書も置いてありました。勉強されています。以前、閉架書庫に入る前に、同じ場所に座っておられました。定年退職された元教員の方でしょうか。確か、名誉教授は図書館が利用できたと思いますので。

▪️もうじき、定年退職ですけど、定年後は私もこうやって図書館を利用するのかなと…ふとそんなことを思いました。でも、私はそんなに勉強家ではないので、どうでしょうかね。

酷暑のなかの出勤、琵琶湖の富栄養化に関す勉強メモ

20250904wakita.jpg▪️夏期休暇中ですが、昨日も出勤しました。今日は、まだましですが、昨日は本当に暑かったです。仕事に必要な資料は、そのほとんどを研究室に置いているため、超暑い日が続いていますが、毎日出勤しています。先週は集中講義でしたから、なんだか夏期休暇といっても、授業がないだけで休暇気分にはなりません。普通に事務仕事もありますし。昨日は、偶然、ひさしぶりに同僚と少し話をすることができました。嬉しかったです。でも、多くの同僚はこの暑さ中、大学までやってくることはないのかもしれません。

▪️そんな冴えない夏期休暇ですが、重装備で出勤しています。麦わら帽子をかぶって、メガネの上からオーバーサングラス(TALEX)をして、日傘(mont-bell)をさして、こうするとまあまあ安心ですかね。私は、症状は出ていませんが少し黄斑上膜らしく、定期的に検査を受けています。ということで、紫外線で悪化していかないようにメガネの上からオーバーサングラスをかけています。日傘も紫外線避けのやつだと思います。日差し対策ではありませんが、骨伝導のイヤフォン(shokz)もしています。これは、暑さをまぎらわすためですかね。

▪️以下は、今日、勉強していることのメモ…みたいなやつです。先週の集中講義で、琵琶湖博物館学芸員の芳賀さんから、講義でいろいろ教えてもらいました。そのひとつが、「琵琶湖の富栄養化に関して、いつ頃から研究者が気がついていたのか」ということです。芳賀さんから教えていただいた研究者は、津田松苗さん(1911-1975)でした。陸水学や水生昆虫の専門家なのだそうです。彼が日本自然保護協会の機関誌『自然保護』に「湖の富栄養化を防ごう」という短文を書いておられます。この機関誌は、昭和38年(1963年)の2月に発行されたものです。その頃に、琵琶湖の南湖の富栄養化の問題を指摘されているのです。スイスのチューリッヒ湖が富栄養化したという話の次に、琵琶湖の南湖の富栄養化を指摘されています。以下は、その部分です。

わが琵琶湖でも、堅田以南の副湖盆における最近十数年間の富栄養化は極めて激しい。湖南部周辺の人家、工場の激増による汚水流入のためである。湖底には腐泥が沈積し、いままでは極めてわずかであったユスリカ幼虫が大量に発生し(羽化した成虫は周辺の人家に集来する)、湖岸近くの岩石には汚水菌の集落がべっとりと着いている。水色ももちろん悪い。京都市の上水道取入口がその最も汚染の激しい地域にあるのも気にかかることである。

(副湖盆とは南湖のことです。北湖は主湖盆)

▪️湖は自然に放置しても徐々に富栄養化の道をたどります。浅い湖だと思いますが。ただ、そのスピードはかなりゆっくりで、数千年から数万年という長い時間になります。ところが、人間が汚水を流すとあっという間に富栄養化していくことになります。下水と工業廃水によってスイスのチューリッヒ湖のばあいだと50年のようです。このような人間が大きく影響している富栄養化対策として、津田さんは下水処理が必要だと主張されています。それも、「下水有機物の無機化よりさらに一歩進め、無機栄養塩類の除去までやらないと本物ではない」と主張されています。現在行われている三次処理・高度処理のことですね。

▪️津田さんはこう書いておられます。「そして突然湖水に水の華が生じるようになる。一般の人が『湖が変わった』ことに気づくのはこの時期である。あとは、わずかな年月のうちに、湖の爽やかさが失われていく」。津田さんは、1975年に63歳でお亡くなりになりました。その2年後、琵琶湖には淡水赤潮が大発生することになりました。もし、その時も津田さんがご健在だったらどのような発言をされたでしょうね。淡水赤潮が大発生することで、津田さんが書いておられるように、多くの県民も琵琶湖に異変が発生していることに気が付きました。ちなみに淡水赤潮も水の華の一種です。

▪️この淡水赤潮の大発生により、りんを含む合成洗剤に替えて粉石けんを使おうという「石けん運動」が県民運動として展開していきました。もともとは、合成界面活性剤による健康障害を問題視する消費者運動でした。ただし、滋賀県内でこの運動に懸命に取り組んだ女性たちは、富栄養化により淡水赤潮が大発生したのちは、健康障害と琵琶湖の富栄養化の問題は繋がっていると解釈していました。消費者運動ですから、まずは企業の販売戦略に乗せられて合成洗剤を使い続けて健康障害が起こす人たちがいることを問題視します。そして、加えて今度は潜在に入っているりんで富栄養化が進み、淡水赤潮が大発生した。そのように解釈されていたのです。運動で目指すのは、健康も琵琶湖も取り戻そうということになります。それに対して、県にとって問題なのは富栄養化です。スローガンは「多少不便でも石けんを使いましょう」。富栄養化を引き起こした洗濯用の有りん合成洗剤を使ってきたことを反省し、「多少不便を感じながらも石けんを使う」ということが強調されることになります。

▪️「石けん運動」の持つ消費者運動という側面と、富栄養化を防ぐという環境運動という側面との間でネジレが生じています。加えて、「石けん運動」には、県民が自ら頑張ったという部分と、行政が運動を背後から推進していったという部分の両方があります。このネジレと両方があるという点、私にとっては大変重要に感じるところなのですが、そのことは今は横に置いておきます。

▪️当時、洗剤メーカー側が猛烈な反対運動を滋賀県内で展開したわけですが、そのことが逆に「石けん運動」に火をつけることになりました。結果、石けんの使用率は高まっていきました。そのような世論の動きを背景に、「滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例」(琵琶湖条例)が制定されることになりました。また、間接的、あるいは結果としてかもしれませんが、その時点で進んでいた琵琶湖総合開発という国家プロジェクトにも影響を与えたのではないかと思います。1981年の改訂時に、水質保全に寄与する農業集落排水処理、畜産環境整備、ごみ処理、水質観測の4つの事業が追加されています。そもそも、1974年に滋賀県知事に当選した武村正義さんは、選挙中から、前知事の野崎欣一郎さんが進めてきた琵琶湖総合開発の見直しを公約にしていました。ということで、総点検していました。

▪️さて、そうなりますと、淡水赤潮を発生させた富栄養化に関して、行政はどのように認知していたのかが気になります。1971年に水質汚濁防止法の施行に伴い、県の水質審議会に、「水質汚濁にかかる排水基準等について」の諮問を行いました。1973年には答申が出され、「滋賀県公害防止条例」が制定されました。その答申のなかには、県の水質審議会は「琵琶湖の富栄養化が進行しつつある状況から、今後、窒素、りん等の規制について検討を行うべきである」との付言がありました。富栄養化を公害防止と同一レベルのやり方では対処できないということでしょう。答申の付言ではありますが、このあたりから、県としても富栄養化問題に取り組まねばと考えていたように思います。水質審議会に「言われたから」ではなくで、水質審議会に「言ってもらう」というのが実態に近いのではないかと思いますが、どうでしょうか。審議会とは事前相談を十分にしていると思いますし。

▪️そして1975年、1974年に知事に就任した武村正義さんは、県の水質審議会に対して、「窒素、燐および陰イオン界面活性剤の規制はいかにあるべきか」を諮問しています。その公文書では、りんや窒素だけでなく、陰イオン界面活性剤、つまり合成洗剤もとりあげられています。こう書いてあります。「また陰イオン界面活性剤についても近時毒性等の面からその影響が懸念されています」。ただ、この諮問に対して議論を行なった規制基準部会や専門小委員会では、りんや窒素に関して議論していますが、懸念されているという陰イオン界面活性剤そのものの毒性等については議論された形跡がみあたりません。もちろん、合成洗剤にビルダー(助剤)として入っていたりんについては議論の対象となっていますが。なぜなんだろう。

▪️そのことはともかく、この時の水質審議会の委員に岩井重久さん(1916-1996)という方がおられます。岩井さんは、社団法人土木学会が発行している『琵琶湖の将来水質に関する調査報告書』(昭和44・45・46・47年度、4冊)の委員長もされていました。初年度は、昭和44年ですから、1969年になります。これは、建設省近畿地方建設の委託研究です。委託されて土木学会衛生工学委員会として、琵琶湖の富栄養化に関する研究を進めることになったのです。岩井さんは、この委託研究の委員長です。

▪️45・46年度版の報告書では、「3.汚水および汚濁負荷(発生量の現況と将来予測)」のなかで、「家庭生活により窒素、リン負荷の発生量、原単位」、「合成洗剤によるリンについて」、「家庭下水による負荷量の計算」という記述があります(どういうわけか、まったく同じ内容と文章)。もちろん、家庭だけではなく、家畜や工業による窒素・りんの発生量、それから肥料に基づく窒素・りんの流出量に関する記述もあります。社会学しか勉強していないので、どこまでこの報告書を理解できているのか、できたとしても一部になりますから不安なんですが、全体として理解できることは、建設省は、琵琶湖についてもその富栄養化の対策が必要だとの判断をしていたということです。

▪️滋賀県も、1972年(昭和47年)に、琵琶湖環境保全対策を策定するなかで、合成洗剤の問題をとりあげています。界面活性剤が下水処理に及ぼす影響、さらには「添加剤として用いられるりんによる湖の富栄養化等」を問題視しています。そして、「家庭からの排水量そのものを減少させる意味で節水の思想の普及と合成洗剤使用削減運動を強力に展開する。一方、基本的には、りん含有量の規制、さらには全く新しい無害洗剤の開発を、国、製造業界に要請する」となっています。

▪️合成洗剤に替えて石けんを使おうという「石けん運動」と「合成洗剤使用削減運動」とでは同じ運動でもまったく中身が違っています。しかも「新しい無公害洗剤」とは無りんの合成洗剤のことだと思います。問題にしているのは、富栄養化なのですから。ただし、行政が「運動」ということを視野に入れて対策を考えているという点が気になっています。下水道という技術による解決を待っていては間に合わない。下水道が普及するのには時間とお金がかかる、ということなのでしょうか。国の問題意識と県の問題意識は、どう関係しているのかなと気になります。おそらく、琵琶湖の富栄養化が進行していることは認識は共有していたはずです。さて、琵琶湖博物館の芳賀さんは『淀川百年史』という本も勧めてくださいました。琵琶湖総合開発の考え方が書かれているということを教えてもらいました。瀬田キャンパスの図書館にあったので、取り寄せることにしました。今日、届きました。今日は、『淀川百年史』を確認しながら、読み進めました。琵琶湖総合開発に関して、次のような記述がありました。

琵琶湖総合開発の主な柱として、滋賀県により昭和43年8月に作られた「琵琶湖総合開発の基本的な考え方(第一次案)」においては治水、利水、地域開発の3つをあげていたが、46年2月に作られた「琵琶湖総合開発計画の基本方針(案)」では、保全、治水、利水の3本柱となり、琵琶湖の自然環境、水質の保全というものが表面に押し出されてきた。

その後も特に琵琶湖の水質悪化が大きな問題となり、ますます保全の重要性が強調されるようになって琵琶湖総合開発の基本方針になった。

▪️昭和46年は1971年です。野崎欣一郎知事の時代です。「その後も特に琵琶湖の水質悪化が大きな問題となり」というのは、淡水赤潮の大発生がその代表のように思います。武村正義知事の時代、昭和52年、1977年のことになります。でも、どういう経緯で、基本方針が変化したのか、そのあたりの国と県のやり取りを知りたいとおもいました。諏訪湖など浅い湖では、琵琶湖よりも先に富栄養化が進んでいましたし、湖沼の水質問題については保全を入れないわけにはいかない状況が生まれていたのだろうと思いますが…。琵琶湖総合開発は、下流の自治体が、琵琶湖の水を使うかわりに、滋賀県のために負担金を出すという仕組みになっていますし、「水量」だけでなく「水質」も維持しなければ…ということなのだと思います。もう少し勉強してみます。

ひさしぶりの『流域ガバナンス』

20250627ryuiki_governance.jpg▪️一昨日、社会学部のFD活動の一環として、自分の仕事の話をしました。ということもあり、ひさしぶりに、この『流域ガバナンス』を取り出してみました。大変な思いをして執筆と編集作業に取り組んだので、いろいろ記憶しているはずと思っていましたが、本の帯や目次をながめて、そして少しページをめくって読んでみると、改めて自分が書いた文章ではありますが、なにか新鮮な気持ちになってしまいました。究極の問題意識は、「流域にどうやって公共圏を生み出していくのか」ということになりますし、そのような問題意識はずっと変わっていないのですが、執筆と編集作業に取り組んでいたときの緊張感とともにやや記憶も薄らいでしまっていたのでしょうね。というわけで新鮮だったのかなと思います。

▪️流域のなかで、ちょっと見えてきた他人の課題を、「他人ごと」ではなくてもう少し引き寄せて「自分ごと」として感じられるようになったらいいな。できたら感じられるだけでなくて、お互いにちょっと協力しあえたらいいな。そして、いつか流域全体のことを一緒に考える時がやってきたらいいな。そのためにはどうしたらいいのかな…。まあ、そんなことを考えながら取り組んだプロジェクトの成果です。

▪️ネガティブケイパビリティ(帚木蓬生)とか、エンパシー(プレイディ・みかこ)とか、ポイエーシス(レヴィ=ストロース)とか。いろいろ書きました。これは、対話を継続させていくための作法。公共圏が創出されていくために必要な条件でもあると思います。対話を継続していくことの重要性、若い頃の私は、「状況の定義の多様性」を維持するというふうに論文に書きました。若い時は、この「状況の定義の多様性」を維持することを、環境保全のための方策が次々と生み出されてくるような「社会的可能性」を担保するためと考えていました。だけど、今は少し考え方が違ってきていると思います。

▪️そのことはともかく、この本のタイトルにある「流域ガバナンス」という考え方は、かなりの部分で、世界農業遺産「琵琶湖システム」と重なりあっているのです。こんなことを書くと不思議に思われるかもしれません。少し前の投稿になりますが、「滋賀経済同友会で講演をさせていただきました。」という投稿をしました。世界農業遺産「琵琶湖システム」に関して講演をさせていただいた時の話です。その投稿のなかで、こんなことを書きました。「それぞれの地域で、流域の様々な場所で様々な生業や事業に取り組み、結果として、この琵琶湖システムを支えることに貢献されている方々に光を当てて感謝すること、そういう方達が緩やかにつながって、日々の生業や事業の中で琵琶湖システムことを想ってくださることが大切なのかなと思っています。そのような緩やかなつながりの中から、様々なアイデアが生まれ、そのアイデアを実現させていく取り組みが展開され…ということにも期待したいと思います」。この部分は、まさに流域ガバナンスのことなんです。

平和堂財団夏原グラントの一般助成2年目のプレゼンテーションと選考会議

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▪️昨日は、平和堂財団夏原グラント一般助成2年目の14団体の皆さんによるプレゼンテーションと選考会議が行われました。場所は、浜大津明日都の「大津市ふれあいプラザ」です。多くの団体の皆さんから活動報告をお聞かせいただき、毎年のことながら、選考委員としてとても勉強になりました。また、いくつかの団体のお話をお聞きして、とても元気が出てきました。これからの世界、先行きの見えない暗い世の中なのですが、そのような中でも「うん、そうだよね」と未来に希望を持てるようなお話でした。ありがとうございました。いくつか感想を。

▪️「伊吹山三合目 豊かな植生を守る獣害防止金属柵設置事業」は、行政と連携しながら活動されていますが、鹿の獣害から貴重な植物を守るために金属柵を設置したいと、その費用だけに特化した申請を夏原グラントにされています。夏原グラントの一般助成は3年間になりますが、2024年から3年計画で、これまでの化繊のネットを金属柵に取り替えていかれます。すごくわかりやすい、そして緊急度の高い取り組みだと思います。

▪️それから、京都の北にある京北町での「21くろやま塾の活動」。この取り組みも素敵だなと思いました。30年近く続いているとのこと。そうすると、子どもの頃に参加していた方が、京北町ではなく京都市で暮らしていても、イベントの時には子どもを連れてやってこられるのだそうです。また、Iターンの人たちも増えてきているようです。そして、夏原グラントの助成を受けたことで、活動そのものを多くの皆さんに知っていただき、社会的信用も増して、自分たちの事業を計画的に行うことができるようになったというのです。助成を受けることで、団体としてエンパワーメントされたわけですね。

▪️もうひとつは、「地域のみんなで『十禅寺川いきもの調査隊』」という取り組みです。十禅寺川というの、草津市内を流れる川です。生き物大好きな一人のお母さんが、ママ友3人を誘ってチームを作り、暮らしている地域の十禅寺川で、地域の子どもたちと一緒にいきもの調査をやっておられます。生物の研究をする大学院生、環境教育の専門家、博物館の学芸員といった専門家のサポートも受けておられます。いきもの調査だけでなく、ゴミ拾いも行うので、地域の方たちも喜ばれていると言います。生き物観察と合わせて参加者が清掃活動を行うことで、安心して川に入ることができる環境づくりを行っておられるのです。面白かったのは、比較するために甲賀市の棚田に行った時のことです。生物相が違うということよりも、棚田に関わる地元の大人の皆さんと、自分たちが暮らす地域の大人との違いに、お子さんたちが驚かれたということです。棚田の保全に取り組んでおられますから、市街地との差が出てくるのでしょう。でも、「十禅寺川いきもの調査隊」の調査結果が、地域で広く共有されると、身近な河川である十禅寺川に関心を向ける方達が増えてくるかもしれません。一般に、人びとが関心を失った環境から、劣化していく傾向が高まります。この活動がどのように成長していくのか、楽しみです。

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