PFAS問題に関する東京新聞の記事。

▪️PFASの問題、とても気にしています。これは東京新聞の記事「「記者も「汚染水」を飲んでみた 永遠の化学物質 PFAS スクープ記者が明かす舞台裏【新聞記者ラジオ】」です。また、こちらは音声ラジオの「前編」になります。そのうちに、「後編」もアップされるのではないかと思います。

▪️大変丁寧に取材を積み重ねてこらています。そのような取材をもとに、記事のなかでは、松島記者、そして同僚の小川記者が以下のように語っておられます。私がとても気になったところです。

長らく見過ごされてきた問題なんです。資料を詳しく見ると、東京都水道局がPFASの検査を始めた2005年ごろから、すでに現在の暫定目標値を超えるPFAS濃度が検出され続けていたことが分かります。つまり、急激に汚染が始まったのではなく、かなりの期間、高い濃度のPFASが検出されていたということです
これはつまり、住民が水道水を通じて経口摂取し、体内にPFASが蓄積されてきた可能性が高いことを意味します。このことから、次に血液検査の重要性が浮上し、2023年1月からは血液検査の取材に力を入れるようになりました。

小川記者 そうですね、健康被害や環境への被害の「見えにくさ」が大きな課題だと感じています。目に見えて何かが悪くなっているわけではないため、報道する側も控えめになりがちでした。放射能問題などにも近い感覚で、被害が見えにくいと行政も動かず、読者もなかなか関心を持ってくれない、というもどかしさを感じていました。

松島記者 私はPFAS問題を、「環境問題」ではなく、「消費者問題」だと考えています。もちろん環境汚染は問題ですが、健康被害が起きるのは、PFASを体に取り込んでしまうからです。

小川記者 松島記者はこの2、3年間、「見えない被害」や「見えない汚染」に真摯(しんし)に向き合い、それを掘り起こし、見えるようにする仕事を続けてきました。行政の縦割りの問題などもまた「見えないもの」ですが、それを可視化していくのは記者の仕事の醍醐味(だいごみ)だと思います。本当に素晴らしいです。

▪️こちらは、「【関連記事】ビジュアルでわかる 東京のPFAS」です

秋刀魚と黒潮大蛇行の関係 海水温の上昇と真昆布の関係

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▪️今年のサンマは豊漁なのだそうです。しかも、大きいし、脂が乗っていてとても美味しいです。昨晩は、今年「お初」のサンマでした。いやいや漢字で表現したほうがよいですね、そう秋刀魚です。昼間は暑くて「猛烈な残暑」という状況ですが、味覚については秋が到来しつつありますね。ここ数年、秋刀魚を買う気になれませんでした。値段が高いし、痩せていて小さくて、見るからに不味そうに思えたからです。そのようになったのは、海流が関係にしているのだそうです。

▪️本来ならば、日本列島に沿ってまっすぐに流れる黒潮が、大きく南に迂回する「黒潮大蛇行」という現象が起きて、温かい海流が三陸沿岸に北上して、冷たい海水が好きなサンマ(ここではカタカナ)は温まった三陸沿岸の海域を避けて、冷たい水のある沖合を南下したのではないかと言われているようです。しかし、今年の秋刀魚の豊漁は、その黒潮大蛇行が終了したため、三陸沖に冷たい海水が流れ込んできて(親潮)、サンマの豊漁につながっているという説明です。
たしかに、気象庁は「黒潮大蛇行」が今年の4月に終息したと発表しています。ただし、その余波がまだ続いているという研究者もおられますが。

▪️さて、秋刀魚は美味しくいただいていますが、最近心配しているのは北海道の天然真昆布です。温暖化で海水温が上昇したことと、真昆布をたべるウニの食害が原因なのだそうです。「水温が上がるとウニの食欲が増し、食害が進むという」ことらしいです。じゃあ、そのウニ食べてしまえばと思のですが、そういうわけにもいかないようです。

▪️こちらのブログの記事、大阪で昆布を商っておられる店主さんのブログのようです。真昆布が消えていく無限ループです。

『海藻がない』⇒『ウニのエサが足りない』⇒『ウニの卵巣が成熟しない』⇒『漁師さんが採らない』⇒『個体数が減らない』⇒『多数のウニが少ないえさを取り合う』⇒『わずかに残った未成熟な海藻まで食べられる』⇒『磯焼け』

深草キャンパスの図書館

▪️一昨日は、すでに台風は関西を通り過ぎていましたが、自宅で仕事をすることにしました。そして、昨日は出勤。瀬田キャンパスの図書館から取り寄せていた琵琶湖総合開発関連の書籍を受け取りに行きました。禁帯出なので、必要なところを必死になってコピーしました。夏期休暇中ですので、館内の利用者はちらほら程度。図書館の公式サイトに出てくる混雑状況は3%でした。この混雑状況ってどうやって調べるのでしょうね。図書館内にある全部の座席数と利用者の割合なのかな(知らんけど…)。

▪️昨日は、閉架書庫にもずいぶん昔に出版された書籍を探しに行きました。すると、閉架書庫に入る少し前のテーブルに座っている方がおられました。私よりも年上の男性です。Tシャツに半袖のシャツを羽織って、下は半ズボン。夏らしいスタイルです。あまりジロジロ見るわけにはいかないのですが、机の上には辞書も置いてありました。勉強されています。以前、閉架書庫に入る前に、同じ場所に座っておられました。定年退職された元教員の方でしょうか。確か、名誉教授は図書館が利用できたと思いますので。

▪️もうじき、定年退職ですけど、定年後は私もこうやって図書館を利用するのかなと…ふとそんなことを思いました。でも、私はそんなに勉強家ではないので、どうでしょうかね。

びわ湖の日 滋賀県提供 公開講座

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▪️「びわ湖の日(7月1日)」にちなみ、滋賀県と龍谷大学の提携による参加無料の公開講座を3回実施されます。その最終回の担当をご指名いただきました。講演のタイトル、主催者側からご提案いただいたものを少しだけ修正させていただきました。場所は、深草キャンパス。研究室のある聞思館の東側にある慧光館になります。対面とオンラインの両方です。

▪️この日は、ちょうど龍谷祭という大学祭をやっている日なんですよね。まあ、教員で大学祭を楽しんだという経験はありませんが。以前は、この公開講座で、これもリクエストがあったからだと思いますが、「世界農業遺産」についてお話をさせていただきました。今回の講演にも、少しだけ世界農業遺産の話をさせて頂こうと思っています。

津田松苗さんの『汚水生物学』

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▪️古本で入手しました。昨日投稿した津田松苗さんの『汚水生物学』(1964年)。もともとは、財団法人日本醤油研究所の蔵書だったようですね。この日本醤油研究所って、醤油製造等に関する技術の研究・指導を主目的としている財団法人だったようです。設立は、1958年11月7日。今は、財団法人日本醤油検査協会と統合して財団法人日本醤油技術センターになっています。どうしてこの『汚水生物学』が日本醤油研究所の蔵書だったのか、なんとなく想像できます。まあ、想像でしかないのですが…。

▪️下水道が普及していない頃、工場廃水は河川にながされていました。もちろん、家庭排水もです。『汚水生物学』の「はしがき」には、こう書かれています。

近年年の膨張、工業の発展とともに河川の汚濁はまことにいちじるしい。水質汚濁の研究、汚水処理の研究がさかんになってきたのももっともである。
ところがこれらの問題には生物学的な知識がきわめて必要なのである。この点徐々に理解されてききているが、まだまだ不十分である。

▪️汚水と生物、どのような関係にあるのかといえば、水域にいる生物の種類によって水質がどの程度なのかだいたい検討をつけることができるのです。環境学習で勉強する指標生物も、同じことなのだと思います。2つめは、汚濁した水も川を流れていくうちにきれいになっていきます。三尺流れれば水清しといいますよね。でも、その過程では、有機物を無機化する時に生物が関与しています。3つめは、下水処理で汚水を浄化するのも生物です。(1)生物学的水質判定、(2)自然浄化、(3)汚水処理にとって、生物の存在や働きが重要だと津田さんは述べておられます。汚水生物学は、下水道などのインフラが整備される以前の、高度経済成長の社会状況にぴったりの分野ということになります。

▪️『汚水生物学』のなかでは、家庭排水に含まれる合成洗剤が下水処理場を通過したあとも、分解されずに下流で泡立ちが起こる(泡公害)ということも書かれています。また生物学的水質判定の事例として、龍谷大学のある伏見区の河川(琵琶湖疏水と新高瀬川)のことも書かれています。「その流域は人家密集し、大量の家庭下水が排出され、一方醸造工場、その他の工場も多数あって、主として有機排水を出す。したがって川はかなり汚染された様相を呈している」。いまでは想像しにくいかもしれませんが、私が子どもの時の、つまり高度経済成長期真っ只中の頃の川って最悪でしたからね。川のなかには、白いもやもやした塊がゆらいでいました。バクテリアです。『汚染生物学』の脚注に京都の街中や、山崎から枚方までのあいだで、このバクテリアがみられることが書かれています。

▪️で、話は財団法人日本醤油研究所に戻るのですが、全国の醤油工場からでる河川に流される廃水のことを気にしてこの本を購入されたのではないのかなと…まあ勝手に想像したのです。ちなみに、『汚染生物学』の第8章「湖の汚染と富栄養化」は、昨日投稿した『自然保護』(昭和38年(1963年)2月)に執筆された「湖の富栄養化を防ごう」と同じものでした。

酷暑のなかの出勤、琵琶湖の富栄養化に関す勉強メモ

20250904wakita.jpg▪️夏期休暇中ですが、昨日も出勤しました。今日は、まだましですが、昨日は本当に暑かったです。仕事に必要な資料は、そのほとんどを研究室に置いているため、超暑い日が続いていますが、毎日出勤しています。先週は集中講義でしたから、なんだか夏期休暇といっても、授業がないだけで休暇気分にはなりません。普通に事務仕事もありますし。昨日は、偶然、ひさしぶりに同僚と少し話をすることができました。嬉しかったです。でも、多くの同僚はこの暑さ中、大学までやってくることはないのかもしれません。

▪️そんな冴えない夏期休暇ですが、重装備で出勤しています。麦わら帽子をかぶって、メガネの上からオーバーサングラス(TALEX)をして、日傘(mont-bell)をさして、こうするとまあまあ安心ですかね。私は、症状は出ていませんが少し黄斑上膜らしく、定期的に検査を受けています。ということで、紫外線で悪化していかないようにメガネの上からオーバーサングラスをかけています。日傘も紫外線避けのやつだと思います。日差し対策ではありませんが、骨伝導のイヤフォン(shokz)もしています。これは、暑さをまぎらわすためですかね。

▪️以下は、今日、勉強していることのメモ…みたいなやつです。先週の集中講義で、琵琶湖博物館学芸員の芳賀さんから、講義でいろいろ教えてもらいました。そのひとつが、「琵琶湖の富栄養化に関して、いつ頃から研究者が気がついていたのか」ということです。芳賀さんから教えていただいた研究者は、津田松苗さん(1911-1975)でした。陸水学や水生昆虫の専門家なのだそうです。彼が日本自然保護協会の機関誌『自然保護』に「湖の富栄養化を防ごう」という短文を書いておられます。この機関誌は、昭和38年(1963年)の2月に発行されたものです。その頃に、琵琶湖の南湖の富栄養化の問題を指摘されているのです。スイスのチューリッヒ湖が富栄養化したという話の次に、琵琶湖の南湖の富栄養化を指摘されています。以下は、その部分です。

わが琵琶湖でも、堅田以南の副湖盆における最近十数年間の富栄養化は極めて激しい。湖南部周辺の人家、工場の激増による汚水流入のためである。湖底には腐泥が沈積し、いままでは極めてわずかであったユスリカ幼虫が大量に発生し(羽化した成虫は周辺の人家に集来する)、湖岸近くの岩石には汚水菌の集落がべっとりと着いている。水色ももちろん悪い。京都市の上水道取入口がその最も汚染の激しい地域にあるのも気にかかることである。

(副湖盆とは南湖のことです。北湖は主湖盆)

▪️湖は自然に放置しても徐々に富栄養化の道をたどります。浅い湖だと思いますが。ただ、そのスピードはかなりゆっくりで、数千年から数万年という長い時間になります。ところが、人間が汚水を流すとあっという間に富栄養化していくことになります。下水と工業廃水によってスイスのチューリッヒ湖のばあいだと50年のようです。このような人間が大きく影響している富栄養化対策として、津田さんは下水処理が必要だと主張されています。それも、「下水有機物の無機化よりさらに一歩進め、無機栄養塩類の除去までやらないと本物ではない」と主張されています。現在行われている三次処理・高度処理のことですね。

▪️津田さんはこう書いておられます。「そして突然湖水に水の華が生じるようになる。一般の人が『湖が変わった』ことに気づくのはこの時期である。あとは、わずかな年月のうちに、湖の爽やかさが失われていく」。津田さんは、1975年に63歳でお亡くなりになりました。その2年後、琵琶湖には淡水赤潮が大発生することになりました。もし、その時も津田さんがご健在だったらどのような発言をされたでしょうね。淡水赤潮が大発生することで、津田さんが書いておられるように、多くの県民も琵琶湖に異変が発生していることに気が付きました。ちなみに淡水赤潮も水の華の一種です。

▪️この淡水赤潮の大発生により、りんを含む合成洗剤に替えて粉石けんを使おうという「石けん運動」が県民運動として展開していきました。もともとは、合成界面活性剤による健康障害を問題視する消費者運動でした。ただし、滋賀県内でこの運動に懸命に取り組んだ女性たちは、富栄養化により淡水赤潮が大発生したのちは、健康障害と琵琶湖の富栄養化の問題は繋がっていると解釈していました。消費者運動ですから、まずは企業の販売戦略に乗せられて合成洗剤を使い続けて健康障害が起こす人たちがいることを問題視します。そして、加えて今度は潜在に入っているりんで富栄養化が進み、淡水赤潮が大発生した。そのように解釈されていたのです。運動で目指すのは、健康も琵琶湖も取り戻そうということになります。それに対して、県にとって問題なのは富栄養化です。スローガンは「多少不便でも石けんを使いましょう」。富栄養化を引き起こした洗濯用の有りん合成洗剤を使ってきたことを反省し、「多少不便を感じながらも石けんを使う」ということが強調されることになります。

▪️「石けん運動」の持つ消費者運動という側面と、富栄養化を防ぐという環境運動という側面との間でネジレが生じています。加えて、「石けん運動」には、県民が自ら頑張ったという部分と、行政が運動を背後から推進していったという部分の両方があります。このネジレと両方があるという点、私にとっては大変重要に感じるところなのですが、そのことは今は横に置いておきます。

▪️当時、洗剤メーカー側が猛烈な反対運動を滋賀県内で展開したわけですが、そのことが逆に「石けん運動」に火をつけることになりました。結果、石けんの使用率は高まっていきました。そのような世論の動きを背景に、「滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例」(琵琶湖条例)が制定されることになりました。また、間接的、あるいは結果としてかもしれませんが、その時点で進んでいた琵琶湖総合開発という国家プロジェクトにも影響を与えたのではないかと思います。1981年の改訂時に、水質保全に寄与する農業集落排水処理、畜産環境整備、ごみ処理、水質観測の4つの事業が追加されています。そもそも、1974年に滋賀県知事に当選した武村正義さんは、選挙中から、前知事の野崎欣一郎さんが進めてきた琵琶湖総合開発の見直しを公約にしていました。ということで、総点検していました。

▪️さて、そうなりますと、淡水赤潮を発生させた富栄養化に関して、行政はどのように認知していたのかが気になります。1971年に水質汚濁防止法の施行に伴い、県の水質審議会に、「水質汚濁にかかる排水基準等について」の諮問を行いました。1973年には答申が出され、「滋賀県公害防止条例」が制定されました。その答申のなかには、県の水質審議会は「琵琶湖の富栄養化が進行しつつある状況から、今後、窒素、りん等の規制について検討を行うべきである」との付言がありました。富栄養化を公害防止と同一レベルのやり方では対処できないということでしょう。答申の付言ではありますが、このあたりから、県としても富栄養化問題に取り組まねばと考えていたように思います。水質審議会に「言われたから」ではなくで、水質審議会に「言ってもらう」というのが実態に近いのではないかと思いますが、どうでしょうか。審議会とは事前相談を十分にしていると思いますし。

▪️そして1975年、1974年に知事に就任した武村正義さんは、県の水質審議会に対して、「窒素、燐および陰イオン界面活性剤の規制はいかにあるべきか」を諮問しています。その公文書では、りんや窒素だけでなく、陰イオン界面活性剤、つまり合成洗剤もとりあげられています。こう書いてあります。「また陰イオン界面活性剤についても近時毒性等の面からその影響が懸念されています」。ただ、この諮問に対して議論を行なった規制基準部会や専門小委員会では、りんや窒素に関して議論していますが、懸念されているという陰イオン界面活性剤そのものの毒性等については議論された形跡がみあたりません。もちろん、合成洗剤にビルダー(助剤)として入っていたりんについては議論の対象となっていますが。なぜなんだろう。

▪️そのことはともかく、この時の水質審議会の委員に岩井重久さん(1916-1996)という方がおられます。岩井さんは、社団法人土木学会が発行している『琵琶湖の将来水質に関する調査報告書』(昭和44・45・46・47年度、4冊)の委員長もされていました。初年度は、昭和44年ですから、1969年になります。これは、建設省近畿地方建設の委託研究です。委託されて土木学会衛生工学委員会として、琵琶湖の富栄養化に関する研究を進めることになったのです。岩井さんは、この委託研究の委員長です。

▪️45・46年度版の報告書では、「3.汚水および汚濁負荷(発生量の現況と将来予測)」のなかで、「家庭生活により窒素、リン負荷の発生量、原単位」、「合成洗剤によるリンについて」、「家庭下水による負荷量の計算」という記述があります(どういうわけか、まったく同じ内容と文章)。もちろん、家庭だけではなく、家畜や工業による窒素・りんの発生量、それから肥料に基づく窒素・りんの流出量に関する記述もあります。社会学しか勉強していないので、どこまでこの報告書を理解できているのか、できたとしても一部になりますから不安なんですが、全体として理解できることは、建設省は、琵琶湖についてもその富栄養化の対策が必要だとの判断をしていたということです。

▪️滋賀県も、1972年(昭和47年)に、琵琶湖環境保全対策を策定するなかで、合成洗剤の問題をとりあげています。界面活性剤が下水処理に及ぼす影響、さらには「添加剤として用いられるりんによる湖の富栄養化等」を問題視しています。そして、「家庭からの排水量そのものを減少させる意味で節水の思想の普及と合成洗剤使用削減運動を強力に展開する。一方、基本的には、りん含有量の規制、さらには全く新しい無害洗剤の開発を、国、製造業界に要請する」となっています。

▪️合成洗剤に替えて石けんを使おうという「石けん運動」と「合成洗剤使用削減運動」とでは同じ運動でもまったく中身が違っています。しかも「新しい無公害洗剤」とは無りんの合成洗剤のことだと思います。問題にしているのは、富栄養化なのですから。ただし、行政が「運動」ということを視野に入れて対策を考えているという点が気になっています。下水道という技術による解決を待っていては間に合わない。下水道が普及するのには時間とお金がかかる、ということなのでしょうか。国の問題意識と県の問題意識は、どう関係しているのかなと気になります。おそらく、琵琶湖の富栄養化が進行していることは認識は共有していたはずです。さて、琵琶湖博物館の芳賀さんは『淀川百年史』という本も勧めてくださいました。琵琶湖総合開発の考え方が書かれているということを教えてもらいました。瀬田キャンパスの図書館にあったので、取り寄せることにしました。今日、届きました。今日は、『淀川百年史』を確認しながら、読み進めました。琵琶湖総合開発に関して、次のような記述がありました。

琵琶湖総合開発の主な柱として、滋賀県により昭和43年8月に作られた「琵琶湖総合開発の基本的な考え方(第一次案)」においては治水、利水、地域開発の3つをあげていたが、46年2月に作られた「琵琶湖総合開発計画の基本方針(案)」では、保全、治水、利水の3本柱となり、琵琶湖の自然環境、水質の保全というものが表面に押し出されてきた。

その後も特に琵琶湖の水質悪化が大きな問題となり、ますます保全の重要性が強調されるようになって琵琶湖総合開発の基本方針になった。

▪️昭和46年は1971年です。野崎欣一郎知事の時代です。「その後も特に琵琶湖の水質悪化が大きな問題となり」というのは、淡水赤潮の大発生がその代表のように思います。武村正義知事の時代、昭和52年、1977年のことになります。でも、どういう経緯で、基本方針が変化したのか、そのあたりの国と県のやり取りを知りたいとおもいました。諏訪湖など浅い湖では、琵琶湖よりも先に富栄養化が進んでいましたし、湖沼の水質問題については保全を入れないわけにはいかない状況が生まれていたのだろうと思いますが…。琵琶湖総合開発は、下流の自治体が、琵琶湖の水を使うかわりに、滋賀県のために負担金を出すという仕組みになっていますし、「水量」だけでなく「水質」も維持しなければ…ということなのだと思います。もう少し勉強してみます。

中学校の「部活動の地域移行」

▪️大学吹奏楽部の部長をしていましたし、今は近江八幡市教育委員会の点検・評価委員を務めていることもあり、中学校の部活動、特に吹奏楽部の「地域移行」のことが気になっています。いろいろ調べていたからでしょう、Googleが「地域移行」に関連する記事を探してきて見せてくれるようになっています

▪️「部活動の地域移行」とは、「学校の部活動を地域が主体となって運営するクラブ活動に移行する取り組み」のことです。文科省の方針です。部活動の顧問されている先生たちの激務、大変ですよね。教員も、ワークライフバランスをきちんと考えていく時代になっています。ということでの、文科省の方針です。ただ、それぞれの地域には地域固有の事情や条件があり、全国一律にというわけにはなかなかいかないのかなと思います。「地域移行」するにしても、それぞれの自治体で工夫を重ねて、段階を踏まえないとうまく行きません。でも、地域移行できずに、廃部になっていく吹奏楽部もたくさんあるでしょうね。吹奏楽部の活動を

維持するためには、指導者の問題に加えて、経済的な問題も非常に重いのです。

▪️地域に移行すると、学校や教育委員会ではなく、基本、保護者が経済的な負担をしなくてはいけません。楽器の購入、メンテナンス、コンクールへの参加に伴う輸送代、バスの借り上げ…。もちろん、自治体からの補助金もあるとは思いますが、経済的な負担の多くは保護者になります。そうすると、負担できる保護者と、それは絶対に無理という保護者がおられるのではないか思います。子ども:「吹奏楽部に入りたいのだけど、これだけの年間の負担がいるんだって」、保護者:「そうなんか、ごめんね。我が家ではとても無理やわ」。そういう家庭もきっと出てくると思います。そうなると、中学校の部活動においても「体験格差」が生じることになるのではないかと思います。

▪️とはいえ、記事の最後の部分、大切かなと思います。

「これまでは、学校が部活をやってくれて当たり前だったし、そこに先生に払う講師料などがあったわけでもなく、ある程度専門的なことも教えてもらえて“当然”みたいな感じでいた」
「むしろ今後は、私たち地域側が意識を変えて『協力していく』という体制を作らないといけない…」

地域それぞれにの課題から、部活動の『地域展開』がスムーズに行かないケースもありそうですが、学校や保護者だけではなく『地域の子どもたちは地域で育てる』という意識の広がりこそが、子どもの活動場所を狭めないための第一歩となりそうです。

▪️「地域の子どもたちは地域で育てる」というのは、「自治の精神」を涵養していくということなのでしょう。自治って、まちづくりと言い換えてもいいかもしれません。「まちづくりは人づくり」とも言いますからね。こうやって、地域の大人に指導をしてもらいながら、また応援してもらいながら、部活動に取り組んだ経験が、子どもたちにとって意味のある経験になってほしいと思います。そして、将来、こういう「地域移行」による「アウトカム」が地域にとってもプラスになってほしいと思います。

▪️付け加えることになりますが、こういう記事もありました

「PFAS汚染問題」のドキュメンタリー映画


▪️今朝、たまたま「なぜ女性ばかりが「PFAS汚染問題」に声を上げるのか。世界各地を取材して見えたこと」という記事を読みました。PFAS汚染問題を、沖縄や世界の女性たちの目線から追ったドキュメンタリー映画『ウナイ 透明な闇 PFAS汚染に立ち向かう』の監督をされた平良いずみさんへのインタビュー記事です。関連して、この記事の前編になる「「我が子に『毒』を飲ませていたのか」他人事ではないPFAS汚染問題」も読みました。ちなみに、トップの動画は、その『ウナイ』を紹介する動画です。「ウナイ」とは、沖縄方言で「姉妹」のことです。また、姉妹のように親密な関係を表す言葉です。PFAS汚染に立ち向かう世界中の女性たちの連帯を、姉妹=「ウナイ」という言葉で表現されているのでしょう。もし、英語で表現するのならば、「シスターフッド(Sisterhood)」なのかなと思います。

▪️「ウナイ 透明な闇 PFAS汚染に立ち向かう」の公式サイトはこちらです。この公式サイトの中で、平良さんはこの映画をつくることになった背景を以下のように説明されています。自分自身の怒りからスタートしている点が重要かと思います。

「私は、執念深い」 監督である私の告白から始まる映画になりました。 映画をご覧になるみなさんが凍りついてしまわないか今から気が気でないですが、 笑ってもらえたら嬉しいです。

この映画は、 私が5年に渡り追ってきた “PFAS汚染” についての記録です。 起点となったのは9年前、 沖縄県民45万人が飲んできた水道水にPFAS・有機フッ素化 合物が含まれていたこと。 生まれたばかりの息子に水道水でつくったミルクを与えていた私は、「絶対、許さない」―そう思いました。

そうして気付いた時には、 世界の至る所で汚染問題の解決を求め立ち上がった女性(ウナイ)たちに出会い、 言葉の壁を越え想いが通じ合う瞬間を何度も経験しました。 汚染問題に直面した彼女たちはどう生きたか……。 この先、 この社会がきらいになりそうな人にこそ見てほしい。 絶望の涙を、 ひとしずくの希望にかえて立つ女性たちの姿を。 監督・平良いずみ

▪️前編となる記事「「我が子に『毒』を飲ませていたのか」他人事ではないPFAS汚染問題」で次のようなことが語られています。ミネラルは赤ちゃんの内臓に負担がかかるという医師の助言もあり、平良さんはお子さんのために水道水を使ってミルクを作っていました。ところが、「2016年1月、沖縄県が米軍嘉手納基地周辺の河川や浄水場の調査結果を発表し、県民の多くに水を供給する北谷浄水場にPFASが含まれていたことがわかった」のです。平良さんが想像していたよりも沖縄社会の反応は薄く、「政治が解決してくれるだろう」と思っている人が多かったといいます。実際、沖縄のお母さんたちによる市民団体「水の安全を求めるママたちの会」が立ち上がったのも、3年後の2019年だったようです。米軍基地が汚染源である可能性が非常に高いことは沖縄県の調査でわかっていますが、日米地位協定のため立ち入り調査を米軍は認めていません。

▪️後編の記事に戻りましょう。この記事の中で、「印象的だったのが、どの国でもこの問題に声を上げているのが女性ばかりだということ。女性を選んで撮ったわけではなく、活動している人に女性が多かった、ということなのでしょうか?」という質問に次のように答えています。

どうしても経済や軍事の利益が優先される社会で、男性たちは社会構造の中に取り込まれてしまって、声を上げづらい現実がある。女性は産む性ということもあって、“マッチョ政治”に対して勝ち目がないのが分かっていたとしても、「私たちは今、この命を守るために行動しなきゃいけない」という思いで怖いもの知らずに進んでいくところがあるのかもしれません。

▪️女性と環境問題。個人的には、非常に重要な問題だと思ってます。ここで平良さんが言っていることは、女性は男性のようには社会構造の中に取り込まれていない、逆に言えば排除されているということにもなります。しかも、そのよう男性中心の社会構造から排除されながらも、そのこととセットになっている固定化された性役割分業の中で、女性は「産む性」であり育児や子どもの健康を見守ることの第一義的責任を負わされています(「産ませる性」である男性も同様の責任を負っているはずなのですが)。自分の「命」だけでなく、子どもたちの「命」にも非常に敏感になる立場に置かれているわけです。目の前の「経済や軍事の利益」を優先した結果生み出されているPFAS問題によって子どもたちの「命」が脅かされていること、にもかかわらず様々な手段を駆使してPFAS問題を隠蔽しようとすることに対して、平良さんは「絶対、許さない」と心に誓っているのです。沖縄の女性たち、世界中の女性たちも、この問題の解決に向かって「怖いもの知らずに進んでいく」ことになったのです。

▪️記事では、アメリカのアマラ法のことが紹介されています。「アマラさんが住むミネソタ州の町には、1950年代からPFASを開発してきた化学メーカー・3Mの本社及びその工場があり、近隣の水源を汚染したとして、多数の自治体から訴えられていました。アマラさんはPFAS汚染が原因とみられる肝細胞がんを15歳で発症し、20回を超える手術を受けながらPFAS規制を訴え続けました」。アマラ・ストランディさんは、次のように語っておられたといいます。

2022年、もう回復の見込みがなくなった時に、環境団体の女性から州議会での証言を求められました。お母さんに「あと半年の命をどう過ごしたい?」と聞かれ、アマラさんは「自分のような子どもが絶対に産まれてほしくないから証言する」と即答し、何度も何度も証言を重ねたんです。

その結果、2023年4月、ミネソタ州において世界で最も厳しいPFAS規制の法案が可決されました。アマラさんは21歳の誕生日を迎える2日前に亡くなりましたが、法案が可決されたのはその約2週間後のことでした。アマラさんの尽力にちなみ、同法は「アマラ法」と呼ばれています。

▪️平良さんは、「予防原則」についても、述べておられます。予防原則とは、「化学物質や新技術などが、人の健康や環境に対して重大で取り返しのつかない影響を及ぼす恐れがある場合、科学的な因果関係が十分証明されていなくても規制措置を可能にする考え方」のことです(「日経ESG」)。この「予防原則」の考え方に照らし合わせた時、ヨーロッパと比較して日本は大変弱いということになります。平良さんは、「実際に健康被害が出るまで、子どもたちに『これだけ悪影響がある』と言われているものをずっと与え続けるんですか? と問いたいです。ヨーロッパなどでは予防原則という考え方が出てくるんですけど、日本では『被害がない=エビデンスがない』という話にいつもなってしまうんです」と日本社会の状況を批判されています。

▪️この予防原則に関する問題、PFAS汚染だけではありません。日本の消費者問題、公害、環境問題の振り返ったとき、この予防原則という観点から問題視されてきた歴史があります。平良さんは、「PFASは半導体を作るのに必要であることをはじめ、いろいろなところに使われているので、経済界は基準の厳格化に抵抗を示しています。EUが今、PFASの全面禁止を進めるためにパブリックコメントを募りましたが、寄せられた5642件のうち900件以上が日本企業からの反対意見でした。ここにも経済優先の姿勢が表れている」と批判されています。また、マスコミの報道に関しても。「政治家たちの責任もあるけれど、私たちメディアの責任もとても大きいと思います。PFASはこれだけ各地で検出されているのに、新聞の一面を飾ったことは、沖縄を除いて、どれだけあったでしょうか。在京キー局にも散々番組を提案してきましたが、全く報道してくれない」。

▪️環境社会学者の寺田良一さんが『環境社会学研究』vol.11に執筆されたエッセイ「「 『リスク社会 』、『 予防原則』、『問題構築』と環境社会学」の中で、ドイツの社会学者ベックを引用しながら次のように述べておられます。これは、2005年に執筆されたものですが、ここで寺田さんが主張されていることは、20年経過した現在の PFAS汚染問題でも言えることなのだと思います。ただ、米軍基地の場合には、さらに日米地位協定という壁の問題も直視しなければなりません。

U.ベックが、リスクの再生産、分配と、その定義づけが政治的課題になるとした「リスク社会」においては、客観的、科学的な「環境問題」が、いかにして社会的、政治的な意味における「環境問題」へと「構築」されていくかという、きわめて環境社会学的テーマが、これまで以上に重大な問題になる。たとえぱ、リスクの分配の不公正性を問題化した「環境正義(公正)」や、原子力や環境ホルモン問題における、世代間の公正性、種の存続といった問題フレームの構築がその例であろう。また日本で政策化が遅れる理由の一つは、市民の側に、まだ十分社会に認知されていない環境リスクを社会的な環境問題として喚起する「問題構築」能力を持ったアドボカシー(対抗的政策提言、世論喚起)型の専門的環境NPOが少ないことであろう。これも環境社会学や社会運動論の大きなテーマであろう。

▪️平良さんは、ご自身が監督をされたドキュメンタリー映画『ウナイ 透明な闇 PFAS汚染に立ち向かう』を通して、観る人に以下のことを感じ取ってもらいたいと語っておられます。

沖縄のお母さんたちから、身のまわりで起きている嫌なことに対する、社会と個人のあり方みたいなこと教えてもらえる内容になっていると思います。嫌だと思うことについては、一つひとつ声に上げていくことが大事です。嫌なことがあった時、私たち市民には座り込んだり、声を上げたりする権利があるんだよ、力があるんだよということを改めて感じてほしいです。

▪️関西に暮らしていても、このドキュメンタリー映画を拝見することができます。ただし、仕事のスケジュールが必要です。8月22日、京都シネマで。行けるかな。

お盆休みに

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▪️8月11日から18日まで、大学は一斉休暇中です。ですが、「自分も一緒に一斉休暇」というわけにもいかず、今日は研究室に来ています。「盆休みに働ているのは自分だけやろ」と思っていたのですが、さにあらず。同じフロアーを確認しただけでも、2人の同僚が出勤しています。みんな働き者だなあ。まあ、ワークライフバランスを厳しく問われる時代ですから、「働き者」という言葉も死語ですかね。とはいえ、職場に仕事関係の資料等を置いているので、盆休みでも研究室に来ないといけないのです。

▪️仕事ついでに、職場に潤いをと思い勝手に置いてある観葉植物の世話もしました。良い感じで成長しています。右側は、アスプレニウムというシダの仲間です。オオタニワタリとも近い種類なのかな…よくわかりません。左側は観葉植物の寄せ植え。背の高いのが、サンスベリア。まだら模様のものはピレア…かな。残りはトキワシノブ。元気に育っています。聞思館の4階、もっと観葉植物を増やしていくつもりです。

カンテレNEWSで報道された「革靴をはいた猫」


▪️「革靴を履いた猫」を経営している魚見航大さんから、この動画のことを教えていただきました。ありがとうございました。魚見さんは、この会社を学生の時に起業されました。ちなみに、龍谷大学の政策学部を卒業されています。こちらの会社では、様々な困難を抱えた方達を社員に迎えておられます。そして、それぞれの社員の方達が成長というのかな、元気になっていかれているんですよね。とっても素敵なことだなと思います。以下は、この動画の概要です。

京都市中京区にあるちょっと変わった「靴磨き」店。
その名も「革靴をはいた猫」 通称“革猫”。

【革靴をはいた猫・代表】「障害のある方だとか、引きこもりの経験がある方がお客様の目の前で靴を磨いたり、修理したりしてお客様に喜んでもらいながら職人自身も成長していくというコンセプトで会社を立ち上げました」

誰もがチャレンジできる優しい店を目指しています。

そんな”革猫”の新メンバー・木村昇平さん(37)は元警察官。

働き盛りのときに発達障害が発覚し休職。どうやって生きていこうか、悩んだときに出会ったのが「靴磨き」でした。

▪️昨日のことになりますが、魚見さんと少しだけネット上でやり取りしました。魚見さんは、「皆さんに伝わる形で発信できる機会をいただけてよかったです!」と感じておられるようです。大学の後期のことになりますが、魚見さんの「革靴を履いた猫」を、1回生の「基礎ゼミナールB」の学生の皆さんと一緒に訪問する予定になっています。ちなみに、魚見さんとは飲み友達でもあります!!

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