阿下喜界隈散策

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20261007ageki7.jpg▪️前回の投稿のように阿下喜で下車したあと、三岐鉄道北勢線の終点、阿下喜(あげき)の街を散策しました。三重県いなべ市北勢町の阿下喜は、江戸時代から昭和中期にかけて地域の経済・交通の拠点として大いに栄えていたそうです。ところが、その後モータリゼーションによって衰退していくことになりました。ところが、最近は、逆に「レトロな風情」(開発が行われなかった)を活かして、まちおこしで注目を集めているようです。古民家を改装したカフェや店舗があちこちにありました。駅の近くには、ヴィジターセンターもあり、親切にご案内いただきました。

▪️散策をした後、昼食は、ちょっと奮発しました。「Nord」というカジュアルなフレンチレストランを見つけて、「1人ですけどいいですか」と恐る恐る入りました。こちらは、古民家ではなく、新しい建物でしたが。予約がたくさん入っているようですが、入り口近くのテーブルならばとOKが出ました。前菜は、いなべ市で採れた野菜も使ったサラダ。自社製と言っておられました。このレストランを経営しているのは、株式会社松風カンパニーです。会社組織で、市と連携しながら阿下喜の街中にさまざまな古民家を活用した施設を開店させておられます。地域の食やカルチャーを発信する事業に取り組んでおられます。ここのフレンチレストランも、そのうちのひとつなのです。この日のメインは「”さくらポーク肩ロースのBBQ煮込み”〜クスクスと自家製パンと薪焼き野菜添え〜」です。こちらのお店、ガスを使わずに薪の火で調理されているようです。クスクスとパンは、糖質制限している身には辛いのですが、今日は自分に目をつぶることにしました。ちょっと集中して仕事を終えたところなので、自分へのご褒美です。

▪️昼食のあとは、阿下喜駅の近くにある「いなべ阿下喜ベース」に行きました。ここ、温泉もあるんですよ。この温泉にゆっくり浸かりました。宿泊施設もあります。まちおこしの拠点なのだと思います。頑張っていただきたいと思います。この施設の向こうに山が見えますね。この山の向こうは滋賀県です。車で移動すると、多賀町や彦根市になります。でも残念ながら、公共交通機関は動いていないので、阿下喜→桑名→名古屋→新幹線で京都…ということになります。仕方ありません。ぐるっと回って帰宅しました。

▪️三岐鉄道北勢線で桑名に戻るさい、「ナローはつづくよどこまでも」と書かれたポスターを見かけました。ネットで調べると、「三岐鉄道北勢線のナローゲージをテーマにした、東員町総合文化センターひばりホールで上演される住民参加型のオリジナルミュージカル」とのこと。地域が北勢線を応援していることがわかります。私が帰るころ、ちょうど高校生がたくさん乗って来ました。沿線の高校に通学している生徒さんたちですね。ただ、ネットで調べてみると赤字経営のようですが、沿線の自治体が支えているようです。大変ですね。でも頑張って欲しいです。滋賀県では、近江鉄道が同様の経営上の問題を抱えていますね。全国のローカル鉄道のこと、気になります。

三岐線北勢線

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▪️全国に3つしかないナローゲージ(レール幅がわずか762mm)鉄道の1つ、三岐線北勢線に乗って、終点の阿下喜まできました。もともと軽便鉄道です。大垣から桑名までは養老鉄道でした。養老鉄道では、養老山地の麓に続く連続する扇状地の斜面を横移動して独特の地形を楽しみました。こちらの三岐線北勢線では員弁川が削り残した大地の段差、河岸段丘の緻密な地形を楽しみました。できるだけ、水平に走るためには、河岸段丘をウネウネと走っていくことになります。特に、この北勢線の後半の部分です。1両目の運転室の斜め後ろからずっと前の景色を眺めて、そのウネウネを楽しみました。私は古希前のおじいさんですが、心はウキウキです。鉄道好きの少年のようですね。鉄道の楽しみ方としては、王道からかなり外れますが、これはこれでアリなのかな。一応、私は社会学に分類される人なんですが、今日は地理学っぽいです。

▪️写真の1段目右と2段目左について少し説明します。これは転車台です。この転車台とは、終着駅などで列車の方向転換するためのものです。もともとは別の駅のそばにあったようですが、阿下喜駅が新しくできたとき移設したようです。駅の北側にあった製材所から引込線が北勢線の本線と直行して設けられて、製材所で材木を詰んだ貨車を転車第まで人力で推し出し、転車台で90度方向転換をして本線へ合流させていたそうです。これ、現地にあった解説板からの引用です。

▪️写真2段目左。北勢線の前身である北勢鉄道が1931年(昭和6年)の阿下延伸ならびに殿下に合わせて製作した「モハニ50型電車」6両の内の最後の1台だそうです。これも現地にあった解説板からの引用です。

養老鉄道と「西桑名第2号踏切」

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▪️岐阜県の大垣でのイベントの後、大垣で1泊しました。朝、まずは養老鉄道に乗って大垣から桑名まで移動することにしました。大垣を出発してしばらくすると、線路は養老山地の方に大きくカーブします。養老山地の麓には複合扇状地があり、何本もの川が作った扇状地が連続してつながっています。養老鉄道は、そこを横に進んでいくのです。独特の地形と景観を楽しみました。また乗りたいです。以下は、帝国書院の教科書からの引用になります。

岐阜県の養老山地山麓にみられる扇状地は、標高150m付近の扇頂から標高10m付近の扇端まで、東に向かって傾斜している。

扇央では、川は表層水のみられない水無川となる場合が多く、伏流した水は扇端で湧き出す。扇状地の大部分を占める扇央は、水の確保が難しいために開発が遅れていたが、その後、畑や桑畑などに開発され、より収益性の高い果樹園などに切り替わっていった。一方、水の確保が容易だった扇端付近には早くから集落が立地し、水田が開かれてきた。洪水時の氾濫に備え、扇状地の川の流路を人工堤防などによって固定すると、土砂が河道に堆積し、天井川化する。この地図中の小倉谷でも、河道の下をくぐる鉄道や道路などのトンネルを3か所確認できることから、天井川が形成されていると判断できる。

▪️桑名に到着したらすぐに、「西桑名第2号踏切」へ移動しました。まあ、ここは鉄道ファンには「聖地」の類だと思います。三岐鉄道北勢線のナローゲージ(レール幅が762mm)、JRの狭軌(1,067mm)、近鉄の標準軌(1,435mm)、3つのレール幅の違う鉄道を一度に見ることができるのです。はい、とても喜びました。まず北勢線の電車が通過し前に進むと、今度はJRの踏切でストップ。渡ると今度は近鉄の踏切でストップ。はい、楽しめました。このあと三岐鉄道北勢線に乗り、終点の阿下喜まで行きました。当初は、四日市あすなろう鉄道も楽しむ予定でしたが、昨晩の懇親会と二次会で体力を消耗してしまったので、この日はこの北勢線の往復&阿下喜の観光を楽しんで、滋賀に帰りました。当初は、帰りは関西本線、草津線、琵琶湖線、湖西線で帰宅する予定でしたが、名古屋経由で新幹線で京都まで帰りました。軟弱者です

岐阜県大垣市でのイベント「ゆるくいこうう! まちのすきまと 本のある場所から」

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▪️既成の、制度化され固定化された「図書館」という概念を解放する。解放することで(ゆるくしていくことで)、いろんな人たちが集まり交流する場が生まれてくる。いろんな方達の居場所(すきま)が生まれる。陽キャの人も陰キャの人も。良いイベントでした。懇親会、二次会も楽しみました。この日集まったのは、「まちライブラリー」、「みんなの図書館」に取り組んでいる、あるいは関心のある皆さんです。この世界の「スーパースター」のお3人に会えるということで興奮されていたように思いました。そのことが、私には興味深かったです。

▪️「スーパースター」のお3人は、それぞれ個性豊かな方達です。吉成信夫さんとは、私が岩手県立大学総合政策学部に勤務しているときからの知り合いです。私は、1998年4月から2004年3月まで県大に勤務していました。正確な時期は忘れてしまっていますが、どこで知り合ったのかもわすれていますが、とにかく知り合ってから20年以上経過しています。吉成さんと再会したのは、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」です。2023年1月のことです。その時の驚きをこのブログにも投稿しています。「大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」で奇跡の再会!!」という投稿です。この時、吉成さんの方から「脇田さんじゃないの!!」と声をかけていただきました。びっくりするとともに、ありがたいことだと思いました。このとき、この「利やん」には、「みんなの図書館」の発案者である土肥潤也さんも参加されていました。なにか、今回のイベントの伏線のような出会いだった気もします。

▪️吉成さんは、96年に家族で岩手に移住され、20010年に「森と風のがっこう」開校されました。また、2003年から2010年まで岩手県立児童館「いわて子どもの森」初代館長、2015年から2020年までは岐阜市立図書館長、2020年5月からは「みんなの森 ぎふメディアコスモス」総合プロデューサーに就任されています。現在は、岐阜市を退職され、全国各地で図書館にかかわる事業に関わっておられます。こうやってみると、吉成さんが手がけた事業には、すべて「森」が入っています。この「森」という言葉は、「多様な人が共生し、誰の居場所にもなる」という意味で使われているようです。ですから、吉成さんにとってみれば、誰もが頭のなかに重い、描く堅苦しい図書館ではなくて、本を中心に図書館は「森」=「多様な人が共生し、誰の居場所にもなる」べきだというお考えなのでしょう。今回のイベントでは、地元の書店さんも参加されて、「スーパースター」のお3人の書籍を購入できました。お3人とも頑張って営業モードも少し入って宣伝されていましたwww。吉成さんの本は『賑わいを創出する図書館』です。「開館9ヶ月半で来館者100万人を達成した『みんなの森 ぎふメディアコスモスの冒険」というサブタイトルです。通勤時に読み始めました。

▪️「スーパースター」の2人目は礒井純充さんです。礒井さんとは直接のつながりはなかったのですが、このイベントに参加する前に、東京の森ビルにお勤めの知り合いの方から、「私は昔礒井さんの部下で仕事を一緒にしていました。礒井さんによろしくお伝えください」と連絡が届いていました。というわけで、ちょっと無理やりかもしれませんが、間接的にはつながりがあったわけです。でも、研究室には、磯井さんの本が5冊もあります。礒井さんは、 1981年、森ビル株式会社に入社し「アーク都市塾」「六本木アカデミーヒルズ」などの文化・教育事業に従事されたのち、2011年に「まち塾@まちライブラリー」を開始されました。「まちライブラリー」の提唱者です。この「まちライブラリー」とは、利用者や参加者が本を持ち寄る(寄贈する)ことで始まります。そうやって本を集めて、本棚を「育てて」いきます。そして 本に「みんなの感想カード(メッセージカード)」を挟んで、寄贈者の想いや読んだ人の感想をアナログにつなげていくというところに特徴があります。自宅、カフェ、オフィス、病院、公共施設の一角など、オーナーがそれぞれのやり方で自由に無理なく運営できるところに特徴があります。そのことで収益をあげることはしません。

▪️「スーパースター」の3人目は土肥潤也さんです。静岡県の焼津市で、「みんなの図書館」の提唱者です。「みんとしょ」と呼ばれるのですが、このことについては、このブログに投稿しています。ぜひ「『みんとしょ』と『まちライブリー』のこと」をご覧ください。「みんなの図書館」は、「一箱本棚オーナー制度」を導入した私設図書館です。月額料金(本棚オーナー料)を支払った市民が、館内の一箱分のマイ本棚を借り、そこに自分の好きな本を並べて利用者に貸し出します。そうやって、自分を表現していくのです。そうすることで、人と積極的に話をするようなタイプでない方でも、関心を同じくする人たちとつながっていくことになります。そって棚のなかに手紙を置いたり、いろんなつながりが生まれてくる。そういう仕掛けです。

▪️礒井さんが提唱されている「まちライブラリー」も土肥さんが発案された「みんなの図書館」、共に本を手段にしながら、人と人のつながりが自然に生まれていく仕掛けですね。そこには、吉成さんのいう「森」が生まれることになる。素敵ですね。この「スーパースター」のお3人に刺激を受けたさまざまな活動が展開されているようです。「まちライブラリー」は、全国に約1300カ所以上広がっているそうです。「みんなの図書館」も急増していて、現在は、全国に130館以上あるようです。このような人のつながりのなかで生まれてくるのは、「何か人にしてもらう」ということでなくは、自分も当事者になり「何か人にしてあげられる」関係なのだと思います。takeではなく、お互いにgiveしあえる関係でしょうか。退職後は、自分自身も、このような活動に参加できるかもしれません。

若者のどぶろくへの挑戦

▪️NHKの「いいいじゅー!!」という番組を毎回録画しています。録画したものを全てチェックできていないのですが、最近放送されたものは2月21日の再放送分でした。強く惹かれるものがありました。鳥取県西伯郡伯耆町福岡にあるどぶろく会社の新社長にUターンした若者が就任したというお話です。その社長さんである遠藤さとみさんが、Facebookで個人のアカウントをお持ちでそこでも情報発信されていることに気がつきました。ということで、このブログでもシェアさせていただきます。

▪️地域に生まれたまちおこし会社で製造したどぶろくは大変好評だったにもかかわらず、関係者が高齢化したことやコロナ禍で存続の危機に直面しました。そこに登場したのが高橋さとみさん。「地元のいいものがなくなるのは嫌だ」と、事業の継承を決意し、次期社長に名乗りを上げたのだそうです。杜氏は、知人の請川雄哉(うけがわ・ゆうや)さんが引き継ぐことになりました。請川さんは、四国の愛媛県の出身。ということは、Iターンというか、まさに移住です。

▪️番組を拝見していて、「どぶろく」の味や製造をきちんと受け継ぎながらも、同時に、若い世代の皆さんの感性で上手に情報発信されているなと思いました。かっこいいな〜、いきいきとされているな〜と思いました。コスパとかリスクとか、そういうのよりも、「ほってはおけない」と、まず気持ちが強く動いておられるところが素敵だと思いました。「どぶろく」、糖尿病でなければいただくんですけどね〜。どぶろくは糖質が高いので…。まあ、そのことは別にして、こういう元気の良い、気持ちの良い素敵な若者たちが地方で活躍していることって、拝見していてとても幸せな気持ちになります。

【関連情報】
地方が持つ可能性を伝えたい「どぶろく上代」社長に25歳女性が内定
どぶろく上代のインスタグラム
上代の公式サイト
高橋さとみさんのnote

コンクールの前後で(3)~ウポポイ、大沼公園、函館山~

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▪️全日本吹奏楽コンクール・大学の部で、龍谷大学吹奏楽部の演奏を聴かせていただいた翌日、27日から28日のことについても、少し記録に残しておこうと思います。前日は、吹奏楽部金賞受賞のレセプションが札幌のすすきのにある居酒屋で開催されました。我が家は龍谷大学吹奏学部OBOGの上道夫妻と一緒に夕食を共にしました。コンクールで龍谷大学吹奏楽部が金賞を受賞したことをお祝いするためですが、加えて、1週間前には、上道さんと2人で「びわ100」に出場し、100kmを完歩し一緒にゴールしたことのお祝いの食事でもありました。北海道ということもあり、上道さんが選んでくださったお店は、すすきのにあるラム肉のシャブシャブのお店でした。美味しくいただきました。そのあとは、上道さんご夫妻と一緒に金賞受賞をお祝いするレセプションの会場に移動。少しだけ顔を出して、金賞受賞をお祝いしました。少しだけというのは、翌日早くホテルを出発しなければならなかったからです。

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▪️翌日は、朝6時30分にはホテルをチェックアウトして地下鉄で札幌駅まで。土地勘がないので、地下鉄を降りてからも少し迷うことになりました。札幌からは次の宿泊地、函館まで鉄道で移動するのですが、その途中2ケ所で下車して、観光をする予定になっていました。まずは、白老で途中下車。白老は、苫小牧と室蘭の間にありますが、アイヌの皆さんが多数お住まいの地域です。ここには、2020年に一般公開された「ウポポイ 国立アイヌ民族博物館、国立民族共生公園」があります。短い時間でしかありませんが、博物館や施設を見学しました。以下は、公式サイトに書かれている「背景・目的」です。

アイヌ文化の振興や普及啓発は、伝承者の減少、アイヌ語や伝統工芸など存立の危機にある分野の存在、また、未だなおアイヌの歴史や文化等について十分な理解が得られていないといった課題に直面しています。このような背景を踏まえ、平成21年7月、「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」(座長:内閣官房長官)において、民族共生象徴空間はアイヌの人々が先住民族であるとの認識に基づきアイヌ政策の「扇の要」として提言されました。 ウポポイ(民族共生象徴空間)は、アイヌ文化を振興するための空間や施設であるだけではなく、我が国の貴重な文化でありながら存立の危機にあるアイヌ文化の復興・創造等の拠点として、また、将来に向けて先住民族の尊厳を尊重し、差別のない多様で豊かな文化を持つ活力ある社会を築いていくための象徴として位置づけられています。

▪️博物館の展示の解説に特徴がありました。アイヌの皆さんが自らの文化を説明するような文体になっていたからです。普通の博物館の展示解説は、第三者的に、客観的な文体を用いることが通常だと思うのですが、こちらの博物館は当事者であるアイヌの皆さん自身が説明する文体になっていました。また、こちらの施設は「民族共生象徴空間」となっていることから、アイヌ語が第一の公用語になっています。あまり時間がなく駆け足の観覧と見学でしたが、一日かけて学び体験する場所かなと思いました。

▪️残念だったことは、通常、博物館で発行されている図録の類がなかったことです。展示では十分に説明できないことについても図録で解説していただきたかったです。もうひとつ、気になったことがあります。アイヌは北海道の開拓の歴史の中で差別され抑圧されてきたわけですが、そのことが展示や施設からはしっかりと伝わってこないように思いました。確かに、一連の同化政策については展示の中で解説されていはましたが…。時間が無く、足早に展示を観覧したり、施設をめぐったからかもしれませんが、そのような負の歴史についてのもう少ししっかりとした説明があるべきではないかと思いました。共生という心地良い言葉のオブラートに包み込んで負の歴史を不可視化していくようなことに、もし結果としてであれ、この施設がそのように機能してしまうのであれば、それは困ったことだなと思います。その辺りのことに関して、博物館の研究者の皆さんはどのようにお考えなのかについても、知りたいと思いました。

▪️前日は、札幌でした。訪問した施設では、五稜星に象徴される北海道の開拓の歴史を知ることができましたが、そのような歴史の中ではアイヌの存在はよくみえませんでした。当時のアイヌは北海道以外の地域、現在のロシア領にも暮らしておられました。北海道に移住させられたことは博物館の展示から理解できました。近代国民国家の論理に翻弄させられてきたわけです。そのような事実を、当時の国際情勢、ロシアとの緊張関係という文脈に重ね合わせて理解する必要がないでしょうか。また、北海道の開拓の歴史には、アメリカが深く関与しています。そのアメリカの開拓の進め方、それは先住民政策とセットになっているわけです。そのことと、アイヌへの差別や抑圧とはどうつながっているのか、もう少し詳しい説明がどこかに(図録も含めて)あって欲しかったなと思いました。例えば、クラーク博士は、自国の先住民政策とアイヌの存在をどのように考えていたのでしょうか。はたして、そのような研究はあるのでしょうかね。

▪️引用した「背景・目的」の最後には、「我が国の貴重な文化でありながら存立の危機にあるアイヌ文化の復興・創造等の拠点として、また、将来に向けて先住民族の尊厳を尊重し、差別のない多様で豊かな文化を持つ活力ある社会を築いていくための象徴として」と書かれています。であれば、「なぜ存立の危機にあるのか」、「なぜ尊厳を尊重せず踏み躙ってきたのか」、「なぜ差別が行われてきたのか」、そのあたりのことを積極的に説明するべきではないかと思うわけです。話は少し変わりますが、帰宅後、 ETV特集「二風谷に生まれて 〜アイヌ 家族100年の物語〜」を視聴しました。このような内容です。

北海道平取町の二風谷には、アイヌ民族にルーツを持つ人が多く暮らす。貝澤太一さんもその一人。祖父と父は「二風谷ダム裁判」を提起し、初めてアイヌを先住民族と認める判決を勝ち取った。あれから30年近くがたち、何が変わり、何が変わっていないのか。太一さんは祖父と父が歩んできた過去を振り返ろうとしている。太一さんの視点から3代にわたる家族とアイヌの歴史をひも解き、日本社会とアイヌ民族の現在と未来を見つめる。

▪️この番組の中では、貝澤太一さんのお祖父様とお父様が、先住民としての土地や河川に対する権利を取り戻すために、裁判闘争をされてきたことが説明されました。そのような決然と権力と闘ってこられた上の世代に対して、太一さんは、自分自身のアイデンティティというか、自分の生き方に迷いがあるというのです。優しい方です。番組の最後の方では、もっと若い世代の捉え方や、外から二風谷に入ってこられたアイヌではないシサム(和人)の男性の経験も知ることができました。世代の間での違い。背景は簡単ではありません。少し脱線しました。この番組で紹介されたアイヌの皆さんの現在についても、ウポポイでは紹介していただきたいなと思いました。

20241029ohnuma.jpg▪️白老からは昼過ぎの特急に乗り、今度は、大沼に移動しました。最終的には、函館まで行くのですが、その途中で紅葉を楽しみたいというふうに考えていたからです。関西から新千歳空港に離陸した時は、周りの木々は美しく紅葉していて、そのことに感動しました。地元の人のお話では、今年の夏はものすごく暑かったので紅葉が遅れているということでしたが、札幌の紅葉、特に北海道大学の紅葉を楽しむことできました。大沼駅が近づくと電車からは活火山の北海道駒ヶ岳が見えてきます。この北海道駒ヶ岳の火山活動によって周囲には3つの湖沼が生まれました。かなりの広さになるのですが、1時間だけ途中下車をして湖沼の湖岸から紅葉を眺めて楽しむ予定でした。

▪️ところが、この辺りはまだ紅葉が進んでいませんでした。札幌からは鉄道に乗れば300kmほど離れています。大阪から広島あたりまでの距離になります。北海道はかなり広いので、なかなか土地に対する感覚が掴めませんね。「北海道内」とはいっても、本州の「県内」とは全く違っています。ある方から、北海道の場合、支庁が本州の県内にあたると考えた方が良いと教えていただきました。そうなんです、大沼は相当南の方に離れているのです。残念ですが、仕方がありません。再び特急に乗って函館まで移動しました。函館に到着した時は、もうすでに晩になっていました。
北海道はなぜ大きい? かつては札幌県が存在していたって本当?

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▪️函館に到着した後、当初は、函館山から夜景を眺める予定でしたが、ものすごくたくさんの観光客が押し寄せるということもわかり、翌朝、タクシーを使って函館山に行くことにしました。夜景ではなく「地形」を楽しむことにしたのです。トップの写真は、その函館山から撮ったものです。正解でした。朝日の中で素晴らし風景を楽しむことができました。心に強く残る印象深い風景でした。乗車したタクシーの運転手さんも、丁寧に周りの風景を説明してくださいました。なぜ青函トンネルは下北半島ではなくて津軽半島の方なのかとか、あのあたりが歌手の北島三郎さんの故郷だとか、函館山は戦前は要塞だったので一般の市民は立ち入ることができなかったとか…。とても親切な運転手さんでした。運転手さんによれば、夏場は山頂にガスがかかっていることがあり、このような風景はなかなか見ることができないとのお話でした。ラッキーでした。

▪️せっかく北海道に来たのだからと、美味しいものもいただきました。もちろん、私は血糖値を気にしなければならないので、朝・昼の外食については苦労しました。朝・昼の外食は糖質が多いのです。写真の蟹はタンパク質ですから問題ありません。少し贅沢をしました。問題は糖質です。最終日の朝は「函館朝市」の中にあるお店で、ウニ丼いただきました。といっても小さな丼。小ぶり丼です。さらに、ご飯も少なくと注文しましたが、それでも私には多いわけです。ということで、お店の方には残してしまうことをお許しいただきました。フードロス、あかんやん…です。しかも血糖値は上がっただろうな。また、関西に戻る前に、塩ラーメンもいただきました。函館は塩ラーメン発祥の地なんだとか。でも、これも食べたらあかんやつです。血糖値をあげるやつです。さっぱりしていても、麺は血糖値をあげます。美味しかったけど、同時に、心も痛むな〜。旅行中は朝と昼の食事には、本当に困りました。

▪️函館を訪問したことをfacebookに投稿したところ、函館にお住まいで、函館のコミュニティFMでパーソナリティをされているさとうはるかさんからコメントが届きました。さとうさんは、龍谷大学社会学部の前に勤務していた岩手県立大学総合政策学部の卒業生です。卒業されたのは20数年前かと思います。函館のご出身で、新設の岩手県立大学に入学されてきたのです。さとうさんは私のゼミではありませんでしたが、仲良くしていただいた記憶があります。1学年100人の学生定員でしたから、そのようなつながりが生まれやすいのかな。さとうさんからコメントをいただき、とてもうれしかったです。

▪️今回は、龍谷大学吹奏楽部の皆さんが全日本吹奏楽コンクールに出場されることで、短期間ではありますが、このような個人的な北海道旅行をすることができました。感謝したいと思います。

コンクールの前後で(2)~五稜星のこと~

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20241029sapporo9.jpg▪️25日(土)、「第75回全日本吹奏楽コンクール・大学の部」が開催される当日の午前中、北海道大学に続いて、「サッポロビール博物館」を観覧しました。「日本で最も歴史のあるビール博物館。1876年の北海道開拓事業から受け継がれるサッポロビールの歴史を体感できます」ということを売りにしている博物館です。ビールの博物館については、吹田市にあるアサヒビールミュージアムを数回見学したことがあります。こちらの博物館の場合では、「サッポロビールの歴史」を学ぶとができました。

▪️あとで気がつきましたが、この「サッポロビール博物館」の公式サイトでは、「サッポロビール博物館 3Dバーチャルツアー」を楽しみつつ学習することができるようになっています。ひとつひとつの展示の解説も、少し小さな文字になりますが、パソコンの大画面であれば読むことができます。上に掲載した写真からは、大切な「サッポロビールの歴史」は想像できませんね。ぜひ、バーチャルな展示を通してご覧になってみてください。非常に苦労されて製造技術を発展させてこられたことがわかります。

▪️展示室は、中国そして韓国から団体観光客の皆さんがガイドさんの説明を熱心に聞いておられました。そして、展示を見終わると、試飲のコーナーがあり吸い込まれるように入り、ビールを味わっておられました。しかし、私はその試飲コーナーには入らずに、隣接するレストランで昼食をとることにしました。建物の中に入ると、独特の良い香りがします。ラム肉の焼いた時の香りです。その日の晩は、龍谷大学吹奏楽部のOBOGご夫妻と一緒のラム肉のシャブシャブを楽しむ予定になっていたので、ラム肉以外のものをいただきました。テーブルの上にはジンギスカンの丸い鉄板がおいてあったのですが…。でもビールはいただきました。

▪️ビールのジョッキには赤い星が描かれています。これは、五稜星と呼ばれています。博物館の外にある煙突(今は稼働していない)や、博物館の入り口にもこの五稜星が描かれています。1869年に「北海道開拓使」が設置されました。目的には、北海道を開拓することにあります。その「開拓使」のシンボルマークが北極星をモチーフにしたこの五稜星なのです。この五稜星のマークは、サッポロビールだけでなく、あちこちにある歴史的な建造物に描かれています。

▪️昼食の後は、札幌時計台に移動しました。典型的な札幌観光をしてきたように思います。札幌には何回か来たことがありますが、その時は仕事で来ていて観光はしなかったので、大変有名な時計台ではありますが、今回が初めての訪問になりました。公式サイトにある説明によれば札幌時計台、正式名称は「旧札幌農学校演武場」というそうです。札幌農学校は北海道大学の前身として開校されました。北海道開拓の指導者を育成することが目的です。1876年(明治9年)になります。この時計台(演武場)はクラーク博士の提言により、農学校生徒の兵式訓練や入学式・卒業式などを行う中央講堂として建設されました。この時計台の屋根の下にも五稜星が2つあります。

▪️この時はあまり深く考えていませんでしたが、翌日、白老にある「ウポポイ 国立アイヌ民族博物館、国立民族共生公園」を見学した後には、複雑な気持ちになりました。五稜星をシンボルとする”輝かしい?”開拓の歴史は、アイヌ民族にとっては自分たちの土地が侵略されていく歴史でもあるからです。「北海道は海浜から「所有化」された—明治初年開拓使土地政策とアイヌ民族—」という記事を読みました。瀧澤正さんという方の記事です。高校教師になった後、北海道大学の大学院で博士号を取得された方です。「近代的土地所有制が、それまで土地制度の確立していなかった蝦夷地=北海道において、国家権力によって施行されるプロセスと、その流れの中でアイヌ民族がどんなふうに排除され、あるいはその波の中でも生き残り得たか」をテーマに研究されています。この記事は、その研究成果をもとにしたものです。
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コンクールの前後で(1)~紅葉の北海道~

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20241029moiwayama.jpg▪️札幌で開催された「第75回全日本吹奏楽コンクール・大学の部」、龍谷大学吹奏楽部が金賞を受賞したことに関して投稿しました。昨年までは、部長を務めていたので、課外活動に同行する教員として出張していました。今年からは部長に栗田修治先生が就任されたことから、コンクールで龍谷大学吹奏楽部の演奏を、それも昨年度で監督を退職された若林義人先生の指揮のもとでの演奏を直接聴こうというのであれば、やはり札幌まで行かなければなりません。それは個人的な旅行になります。私1人で北海道まで行くこと、これはなかなか難しく、家族旅行も兼ねて北海道に行くことにしました。

▪️出張でコンクールに同行するときは、本番直前のホール練習(コンクールの場所に近いホールを別にお借りしての練習)にも必ず同行しました。私はただそこにいるだけで、何のお役にも立てなかったわけですが、最後の練習で神経を隅々まで行き届かせて音楽を磨き上げていくそのプロセスを拝見していました。そして、「すごいな…、さすが龍谷大学、さすが若林先生、そして指導の先生方…」と毎回のように思っていました。ただ、今年は、私費による個人的な家族旅行も兼ねていましたし、練習を見学させていただくわけにもいかないので、コンクールの前後でひさしぶりの北海道を楽しませていただきました。

▪️北海道には、コンクールの前日25日(金)午後に到着しました。朝早くから出かけてもよかったのですが、前期高齢者には早朝に自宅を出発して伊丹空港に行くこと自体が少ししんどいな…ということもあり、昼前の便で北海道に移動しました。窓側の席ではありませんでしたが、少し離れた席から眼下の地形を楽しみました。好きなんです。搭乗した便からは、琵琶湖大橋を確認しました。少しずつ湖東上空を北陸地方に飛行していました。この前の土日に「びわ100」(びわ湖チャリティ−100km歩行大会)の時に歩いたコースの上空を飛んだことになります。

▪️そうやって、時々、窓の外から見える地形を楽しんでいると、1時間50分ほどで新千歳空港に到着しました。空港の周りは、すっかり木々の葉が紅葉していました。普段見慣れた関西の風景とは全く違っています。空港からは、コンクールが開催される札幌までレンタカーを借りて移動しました。1人だと鉄道での移動になりますが、家族の希望に応えて車まで移動し、まずは札幌郊外にあたる「さっぽろ羊ヶ丘展望台」へ。この日は雲ひとつない青空で、札幌の街もとてもよく眺めることができました。定番の観光地ですが、多くの観光客の皆さんと同じように、私もクラーク博士と同じ格好をして、遠くを指差したポーズで一緒に写真に写りました。まあ、恥ずかしい写真なのでアップしていませんが。

▪️ところで、クラーク博士の像は、以前、北海道大学に出張際、キャンパス内で拝見していました。ここにもクラーク博士の像が。よくわかっていなかったのですが、「さっぽろ羊ヶ丘展望台」の公式サイトの中に、以下のような説明がありました。あまりに北大キャンパスにたくさんの観光客がやってくるものですから、大学側は制限を加えたのでした。早い時期から、すでにオーバーツーリズムの問題が発生していたのですね。ただ、すでに札幌観光のシンボルのような存在になっていたことから、新しい像の制作を依頼し、1976年4月16日、北大開基100年およびアメリカ合衆国の建国200年祭を記念し、ウィリアム・スミス・クラーク博士像『丘の上のクラーク』除幕式が執り行われたのだそうです。

▪️「さっぽろ羊ヶ丘展望台」からの風景を楽しんでいると、少しずつ陽が傾いてきました。北海道は関西から見れば北と同時に東にも位置しているので、日没も早いのです。ということで、レンタカーを走らせました。次の目的地は、「もいわ山展望台」です。こちらからは、札幌の街の夜景が美しく見えるとのことで、とても有名な観光地になっています。中腹の駐車場まではレンタカーで。そこからはロープーウェイで山頂まで移動しました。山頂には、すでにたくさんの方達が集まってこられていました。しかも、観光客は暗くなるに従い増えてきました。日本人の観光客おられましたが、私の印象では中国からの観光客の皆さんが大勢おられたように感じました。美しい夜景を楽しみつつも、山頂が人でいっぱいになってきたので、暗くなった時点で早めに下山することにしました。京都もそうですが、北海道では、オーバーツーリズムが問題になっているようです。もちろん、そのオーバーツーリズムに自分自身も加担しているわけですが…。

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20241029hokudai3.jpg▪️北海道の2日目。翌日も家族の希望を大切にして観光しました。コンクールは午後からだったので、午前中いっぱいレンタカーを使って移動しながら観光をすることにしました。午前中は、北海道大学に行きました。日曜日ということもあってか、学生さんらしき方たちはあまり見かけませんでした。ちょうど「第13回北大金葉祭」というイベントが始まった日でした。この「金葉」からもわかるように、毎年10月ごろのいちょうがきれいな時期に開催されるお祭りです。大学祭は、これとは別に、もっと大々的に6月に開催されているようです。

▪️「北大金葉祭」は、北大のキャンパス内にある銀杏並木の通りだけで開催されていました。大変美しいイチョウの紅葉に見惚れてしまいました。ものすごくたくさんの観光客が並木道を埋め尽くしていました。そのサイドには、学生さんたちが飲食屋台も出店されている他にも、たくさんの企画が準備されていました。夜にはライトアップも行われるようです。大学の地域開放、地域と大学とのつながり、とても大切なことです。土日の週末、授業のない時に、こうやって観光客を迎え入れること、ひとつにはキャンパスが大変広く、多くの観光客を受け入れるだけのキャパシティがあるからでしょうが、大学の社会的評価の向上にもなっているのだと思います。正門を入ってすぐ左手には、明るいガラス張りの建物があります。大学のインフォメーションセンター「エルムの森」です。こちらでは、学内のイベント情報をはじめ、構内散策の案内をされています。北大の学生さんもスタッフとして観光客を歓迎されています。そういえば、北大には、観光学高等研究センターが設置されています。国立では、初めての観光分野の研究機関なのだそうです。北海道大学は観光客や市民にキャンパスを開放されていますが、加えて、このような研究機関が設置されていることとは、北大の特徴なのかもしれません。

【関連投稿】コンクールの前後で(2)〜五稜星のこと〜、コンクールの前後で(3) リンク先は、まだ投稿していません。投稿次第、つながるようにします。

冬の立山連峰

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▪️少し前の投稿で、20日、富山県美術館に行き、そして企画展「倉俣史郎のデザイン 記憶の中の小宇宙」を観覧しましたことを投稿しました。旅行の途中に、NHKの美術番組「日曜美術館」で知った倉俣史郎さんの企画展を観覧できたのは良かったです。ただし、残念なことも。繰り返しになりますが、この美術館からは晴れていれば立山連峰がバッチリ眺めることができるはずなのです。美術館の2階から屏風のように横に広がる立山連峰が見えるはずなのですが…、残念でした。

▪️最終日の21日。富山市の中心市街地から日本海の方の海岸や神通川の河口のあたりに岩瀬という場所があります。江戸時代は北前船がやってくることで大変栄えていたようです。ここには、「満寿泉」(ますいずみ)の銘柄で知られる枡田酒造店があります。こちらの酒造会社も、北前船の歴史と関係しているようです。今回の富山旅行での私の目的のひとつは、この岩瀬にある廻船問屋の森家の屋敷を訪問することでした。北前船に強い関心があるからです。ところが、元旦の震災のため、森家の屋敷、現在は立ち入ることができなくなっていました。残念。この日はとても寒く、この岩瀬の町中をゆっくり散策することはできませんでしたが、雰囲気の良い街並みでした。先ほどの枡田酒造店の社長さんは、まちづくり会社を発足させて、この地域の活性化に取り組んでおられるようです。詳しくは、こちらをご覧ください。この中にある「自分のため、身近な人のために行う切実な「まちづくり」」というのが素敵だなと思いました。

▪️で、この岩瀬でどこに行ったかというと、富山港展望台に登りました。神通川の河口の近くに25mほどの展望台が建設されているのです。昭和60年だそうです。写真は、この展望台からの景色です。冷たい雨が降って、さらに強い風も時々吹いてきます。そのような天気ですから、遠くは真っ白。晴れていれば、ここから立山連峰がバッチリ見えるはずなんですが。ガラス窓に、山々の輪郭が書いてあります。ただ、土地の皆さんにお聞きしても、一冬の間に、空が真っ青に晴れ渡って、雪の立山連邦がバッチリ見える日は限られているといいます。さあて、困りました。

▪️そこで思いつきました。天気予報の1週間程度の予報を元に、富山の天気の移り変わりを確認して、市内に設置されたライブカメラで確認するのです。早朝、空が晴れ渡って立山連峰がはっきり見えそうだと確信を得たら、急いで、富山に向かうのです。昼から夕方まで景色を堪能して、晩は、とても深い富山湾の地形と立山からの湧水により育った美味しい海の幸を堪能するわけです。良いプランです。来年の冬こそは、実現させたいと思います。

▪️もうひとつ。動画を。こんなふうに見えるらしいです。

立山連峰からの海底湧水と富山湾の深さが生み出す海の幸

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タラの白子のポン酢/本ズワイ蟹の身とカニ味噌共和え
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写真を撮る前に思わず一切れ食べてしまった「プリシャブポン酢」/シロエビの天ぷら
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アナゴの白焼/カニ焼売
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ツナとクリームチーズのリエット

▪️2月19日から21日までの富山旅行で、富山の海の幸、いただきました。ありがとうございました。20日の晩のお店は「吟魚」さん。人気店で、予約しないと難しいお店のようです。私も予約して行きました。というのも、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」にお越しになったお客さんから、「富山に行くのならば吟魚でしょ」と教えていただいていたからです。写真の魚を中心とした料理以外に、野菜の料理についてもきちんといただきました。血糖値の管理しています。

▪️ところで、どうして、こんなに美味しい海の幸が豊富なのか。それを知るためには、富山湾を地学的・生態学的な側面から理解する必要があります。こちらの「富山の魚が美味しいのは、海底の地形に理由がある」では詳しく説明されていますね。「一年中が、旬。うまさすぐそこさかなは富山」というサイトの中でも、「富山のさかながうまい理由」が説明されいます。

「天然のいけす」富山湾
日本近海には約3,400種の魚がいて、そのうち日本海には約800種、
そして富山湾には約500種の魚がいると言われています。
立山連峰の標高は約3,000m、富山湾の水深は約1,000m。
この4,000mもの高低差が、富山湾のお魚のおいしさの最大の秘密。
大自然の滑り台のような高低差のおかげで、立山連峰の森の成分と酸素をたっぷり含んだ水が富山湾に注ぎ込んでいます。

▪️以下は、自然科学的な立場から富山湾の特徴について説明しているサイトです。富山湾の海底からは湧水、水が湧き出ているそうです。これは、立山連峰の山々に降った雨が、山の腐葉土の中で栄養をたっぷり吸収して、それらの水は地下水として海に運ばれて海底湧水として噴き出しているのだそうです。もちろん河川の水も海に栄養分を補給する役割を担っているのですが、湧水は時間をかけて地下を流れるので、窒素やリンなどをたくさん吸収しており、河川の水と比較してはるかに栄養分が豊富なんだそうです。そのような栄養分が富山湾の生態系を豊なものにして、美味しい海の幸を生み出すことになるのです。
「『木一本、鰤千本』-豊かな海を育んだ海底湧水の秘密(張勁・富山大学教授)」
「巡回する水、つながる水~日本海と富山湾の調査から~」(富山大学大学院理工学研究部 教授 張勁)
「富山の水循環から世界へ〜気候変化が地下水・沿岸海域・海洋生態系へ与えるインパクト〜」(地球生命環境科学専攻 博士課程1年 片境紗希)

▪️富山湾面白いですね。背後には立山連峰、加えて富山湾は水深1,200m。その落差は4,000m。短い距離の間で、これだけの落差がある地形は世界的に見ても珍しいそうです。その富山湾の地形は能登半島とも関係しているのでしょうね。どうして富山湾はこんなに深いのか、調べてみます。もう一度、この辺りのことをしっかり勉強することにします。再び、富山に行きたいと思います。

【追記】▪️こうやって豊な海の幸が生み出される背景を調べると実に楽しいですね。「大人の修学旅行」といった感じです。ひとつ前の投稿「扇状地と湧水」も含めて、地学、地理、歴史、生態、そして美味しい食事も含めて、富山を堪能しました。楽しめました。こういう「大人の修学旅行」が、滋賀県でも、「世界農業遺産 琵琶湖システム」をテーマにして実施できたら良いなというのが、私の願望なのです。「琵琶湖システム」が生み出す食材を「点」として消費するだけでなく、それらがつながって「線」になり「面」担って、それらを「舌」と「頭」と「心」で味わえるような「大人の修学旅行」。これから考えていきます。

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