同窓会と長命寺参拝
■昨日は、母校、関西学院大学の同窓会滋賀支部の新年会でした。新年会の宴会の前に、同窓の皆さんと一緒に長命寺さんに参拝しました。こちら長命寺のご住職は、関学経済学部(昭和51年卒)の同窓生です。副住職の息子さんも文学部卒です。中世史を勉強されていたそうです。昨日は本堂の内陣までご案内いただき、千手観音を直接拝ませていただきました。観音様、とても優しいお顔をされていました。
■ところで、長命寺のある長命寺山の麓から境内まで808段の階段が続きます。けっこう大変でした。最初は、石段もきちんと積まれて整備されていましたが、途中から時間の経過を感じられるような佇まいになり、石段を登るのも足元に十分に気をつけながらいけなくなってきました。さすが古刹ですね。若い人たちには、なんともない石段でも、還暦を超えるとそういうわけにもいきません。この石段を登って参拝することを続けると、こちらのお寺の名前の通り長生きをしそうな気がします。今日は「膝が笑う」ことはありませんでしたが、喜んではいました。もっとも、今ではこの石段とは別に車で参拝できるように道路も整備されています。
■境内からは、南湖の一部を眺めることができました。こちらの本堂で祀られている仏様は千手観音です。千手観音の浄土(補陀落山:ふだらくせん というようですが)は、南の方角にあるそうで、千手観音も南に向いて立っておられました。境内からは、野洲市の田園風景が見えてきました。その境内に、「琵琶湖周航の歌」の6番の歌詞を刻んだ石碑が置かれていました。歌詞の中では西国十番となっていますが、本当は西国三十一番なんです。三十一番だと歌詞としてメロディの中に収まらないので、こんなことになっているようです。
西国十番 長命寺
汚れの現世(うつしよ) 遠く去りて
黄金(こがね)の波に いざ漕がん
語れ我が友 熱き心」
■近江八幡市にある長命寺に参拝した後、市内のホテルで会食なりました。今日の出席者は25名。私はちょうどその真ん中あたりの年齢になります。一番年齢が上の先輩は80歳、一番若い後輩は29歳。どうしても同窓会の活動は年齢が上の方達が多くなる傾向にあると思いますが、29歳の方が参加されたことは嬉しいことですね。最後は、校歌「空の翼」を歌って閉会となりました。次は、秋の滋賀支部の総会になります。
■滋賀支部の同窓会に参加して、まだ4年ほどでしょうか。大津に転居したのも2016年ですし、年齢はそれなりにいっていますが、こちらの同窓会では新参者でしょうか。年配の男性が中心になってはいますが、できればもっと女性会員や若い年代の方達についても参加者が増えてほしいなと思います。企画の方向性が年配の男性向けなのかもしれませんが、もっと若い年代の方達や女性の方達にもご参加いただけるような企画になればなあと思います。
【追記】▪️学生の皆さんには、龍谷大学同窓会にも、滋賀支部ができたことをお伝えしておこうと思います。もし、このブログをお読みの方の中に、滋賀県出身の龍大生の方がいらっしゃれば、卒業後は、ぜひ滋賀支部の行事にご参加ください。卒業後も、母校と繋がって年代を超えて同窓生の皆さんと交流しつつ、現役の学生の皆さんを応援していくことは大切なことだと思っています。皆さんの人生にとっても同窓会活動は大切な存在になるのではないかと思います。
良いお正月でした。
■2023年のお正月が終わりました。息子が帰省し、娘の家族も孫2人と我が家にやってきした。今日、我が家は急に静かになりました。庭の世話どころではなかったのですが、今日は庭に出ました。庭に咲いたスイセンが強風で折れてしまったものを鋏で切り取り、室内で花瓶にいけることにしました。その花瓶をキッチンのカウンターに置いているのですが、調理や洗い物をしているとスイセンの香りがして「はっ…」とすることがあります。屋外で咲いていると分かりにくいのですが、スイセンはとても強い香りがします。好き嫌いはあるかと思いますが、私は好きです。
■昨日は、奈良で新年会がありました。91歳の義父と85歳の義母を囲んで一族で新年会を開催するのが毎年新年の恒例の行事になっています。残念ながら、義父は足腰が弱くなっており参加を諦めたようで、総勢11人での新年会になりました。娘や息子にとっては、従兄弟と会える大切な時間になっているのではないかと思います。加えて、昨日は、娘の子ども、つまり私の孫たちも参加しました。新型コロナ感染拡大で、この2年間は新年会の開催を断念してきましたが、今年はなんとか開催することができました。賑やかでした。小さかった甥たちも、立派な成人になり大人の話ができるようになったことは嬉しいです。甥の1人は結婚をしました。お連れ合いの女性には初めてお会いすることになりました。
■新年会の前に、1時間半ほど時間があったので、新年会の会場の近くにあるニュータウン(けいはんな学研都市)の公園でしっかり遊びました。公園にある遊具にチャレンジしていました。おじいさんは、そのサポート。下の孫は2歳半ですが、ちょっと怖いのを克服して、楽しんでいました。運動能力が少しずつ発達してきていることがよくわかりました。お別れするときに、「また遊ぼうね」というと、「楽しかった」と言ってくれました。おじいさんは、幸せです。
孫のお節料理
■2日に、娘の家族が奈良からやってきました。孫の ひなちゃん(5歳) と ななちゃん(2歳)には、4ヶ月ぶりに会うことができました。娘の家族がやってきて、普段大阪に暮らしている息子も含めて、狭い我が家が7人になって大変賑やかにな理ました。写真は、ひなちゃんが保育園で作った「お節料理」です。びっくりしました〜。とっても素敵です。最後は、そのお節料理の解説です。凝った作りの伊勢海老には驚きました。ひなちゃん、素敵だよ〜、感動したよ〜。
■ひなちゃんとは、彼女が大好きなプリキュアというテレビアニメの双六や、UNOを一緒にしました。まさしくお正月でした。UNOのルールを知らない64歳のおじいさん(私)は、5歳のひなちゃんからルールを教えてもらいました。5歳の孫に教えてもらえるおじいさん、なんて幸せなんだろう。これから、もっといろんなことを教えてもらえると思います。それと同時に、おじいさんは、いろんなことができなくなっていきます。これは人生を考える上で大切なポイントかと思います。ひなちゃんは、4月から小学生になります。彼女がご希望の色のランドセルをプレゼントしたのですが、入学が楽しみです。時が経過するのは、本当に早いですね。
■もう1人の孫、ななちゃんとは、公園でしっかり遊びました。公園にある遊具にチャレンジしていました。おじいさんは、そのサポート。2歳半ですが、ちょっと怖いのを克服して、楽しんでいました。運動能力が少しずつ発達してきていることがよくわかりました。お別れするときに、「また遊ぼうね」というと、「楽しかった」と言ってくれました。おじいさんは、幸せです。
2022年、ありがとうございました。
■大晦日。大津の街中の商店街(ナカマチ商店街)に買い出しに出かけました。写真には全て写ってはいませんが、こんなものを買いました。花鰹と昆布(千丸屋)、白味噌(九重味噌)、日本酒の大吟醸「浅茅生」と純米吟醸無濾過生原酒「熊蟄穴(くまあなにこもる)」」(平井商店)、ホンモロコの白焼き(タニムメ水産)、千枚漬けとすぐき漬け(八百与)…。日常の買い物は近所の生協のスーパーで済ませているのですが、お正月だけはちょっと特別。ホンモロコは今晩(大晦日)食べてしまうかな。商店街は、いつもよりも人は多いけれど、やはり寂しい。歴史(宿場町)の風情を感じる地域でしたが、マンションが次々に建設されて町並みも大きく変化してきました。
■ということで、2022年もいろいろお世話になりました。役に立つことは書かないと宣言しているわけではありませんが、特に意識しなくても役には立たないことばかり。大学教員の日常を記録した日記のようなブログをお読みいただき、本当に申し訳なく、かつ感謝もしております。まあ、このブログには書けないようなことも多々ありますが、教育、研究、学内行政、地域連携、地域貢献…、大学教員が大学という組織や社会から求められることを今年も頑張って取り組んできました。時々、研究以外の仕事のことを「雑用」と呼ぶ人がいますが(いるんですよ…)、大学教員が、大学の組織や社会から求められることに「雑用」はないと思っています。嫌な言葉ですね、「雑用」って。まあ、そんなことはともかく、繰り返しますが、いろいろお世話になりました。今年の振り返りは、来年の新年の抱負とともに、お伝えすることにしようか思います。
■年末、こちらも忙しいのに、卒論を添削してくださいとのメールが届いています。「添削をしてほしいならば、もっともっと早い時期にしてくれよ!!」。心の中の「叫び」です。約束していた草稿提出は、もっと早い時期だったのです。まあ、聞かなかったことにしてください。
大掃除
■昨日から、大掃除を始めました。庭、風呂場、玄関、床の一部、家中の窓ガラス。予想以上に時間がかかりました。明日は残りの床の掃除になります。頑張っています。最後の最後は、自分の書斎の整理ですかね。大掃除まではできませんので。手はガサガサです。
■昨日の夕方だったかな、晩だったかな、小佐治(滋賀県甲賀市)の「甲賀もち工房」さんからお餅のセットが届きました。いろんな種類のお餅に、ぜんざいと日野菜の漬物がセットになっています。お正月はもちろんのこと、当分の間、お餅に困ることはなさそうです。餅好きなんです、わたくし。
■我が家の冷蔵庫、いつもはガラーンとしているのですが、今はできあがったおせち料理でいっぱいです。五色なますの匂いが充満しています。大好きなんですが、冷蔵庫の中では匂いなのか臭いなのか…。
■写真は、右側が小佐治「甲賀もち工房」さんのお餅のセット。左は、今年も役目を果たした鉄の鯛。黒豆が真っ黒に仕上がります。古釘で黒豆を炊くおうちもありますが、我が家は鯛です。
「シベ2」の思い出
■サッシャ・ゲッツェル 指揮で2022年10月にBunkamuraオーチャードホールで行われた「N響オーチャード定期 第121回」です。演奏されているのは、日本ではとても人気のあるシベリウスの交響曲第2番です。
■シベリウスの交響曲第2番、「シベ2」、私にとってはとても懐かしい交響曲です。学生時代、私はオーケストラに所属していましたが、1回生の冬の定期演奏会のメインの曲が「シベ2」でした。ホールは、大阪の森ノ宮ピロティホールでした。定期演奏会までの練習で一番記憶に染み付いているのは、やはり3楽章です。第3楽章の速さは「Vivacissimo」。「きわめて活発に」「きわめて速く」という意味です。しかも、普通に弦を弾くのではなく、「弓を飛ばす」(スピッカート)奏法で演奏するのです。もちろん、最初からそんなふうには演奏することはできません。ということで、めちゃくちゃ遅いスピードから始めて、少しずつスピードを上げて…というふうに練習していきました。まずは個人練習から。それから2人で(プルト)で練習。そのあとは1stバイオリン、2nd、ビオラ、チェロ、コントラバスが1人ずつ集まって五重奏での練習。そして弦楽器のセクションでの練習……。このローテーションを繰り返しつつ、少しずつスピードを上げていきました。よくあんな練習をしていたなあと思います。時間のある学生オケだからできたんでしょうね。また、学生オケの弦楽器の場合、初心者の方も多く、こうやって積み上げていかないと演奏できなかったのだとと思います。もう40年以上も前のことですが、いまだにその頃のことを記憶しています。
■あと「シベ2」で記憶していることは、常任指揮者に2楽章の練習で怒られたことです。当時、譜面を理解するのにとても時間がかかっていました。ところが、まだよく譜面が理解できていないのに、練習が始まってしまいました。当時、私は1回生で、パートは1st.バイオリンです。パートは全員で5人。ところが、その練習の日は、3年生のコンサートマスターの先輩がゼミの関係で欠席されていました。そのことを知った4回生の先輩は練習から逃避してしまいました。2回生の先輩も来ないのです。練習が始まった時は、私と3回生の先輩の2人だけになっていました。3回生の先輩がコンサートマスターの代理をしてくださるものとばかり思っていたのですが、違っていました。先輩は私にコンサートマスターの席に座れというのです(ひどい…)。ちゃんと譜面がさらえていないのに…(これは私が悪いのですが)。ということで、譜面がきちんとさらえていないことが判明して、常任指揮者の先生から怒られたというわけです。こういう辛かったことは、忘れませんね。
クリスマスリース
■我が家の玄関の壁。スワッグの横にクリスマリースが加わりました。我が家はクリスチャンではないけれど。明日、リースの方は玄関のドアに取り付けます。リースは街路樹から落ちていたのを拾ったナンキンハゼ(白)の実と、庭のナンテン(赤)の実。あとは庭のハーブと他所のお宅から頂いたヒバの葉。ちなみに、私が作ったのではありません。
■週末は、土曜日は自宅で仕事、日曜日は大学の用務です。月曜日、深草のREC(Ryukoku Extension Center)に参ります。ちょっとしたアイデアがあり、RECの事業と連携させて取り組めないかという相談をしに行きます。うまく行きそうであれば、また、このブログで報告することができるのではないかと思っています。大袈裟な言い方になりますが、大学を社会にさらに開いていくための、あるいは、さまざまなステークホルダーと連携するためのささやかな試みです。
原田達先生、宮本孝二先生とお会いしました。
■昨日、木曜日は、深草キャンパスで留学生のための授業がある日でした。深草キャンパスに行くと、私自身は瀬田キャンパスですので、普段お会いできない方たちと立ち話をすることができます。今日は授業の後、偶然に、以前、社会学部教務課におられた職員さんにお会いすることができました。とてもお元気な方で、周りをハッピーにできる素敵な方です。今度、深草の共通の仲良しさんと飲み会をしようということになりました。まあ、第8波でどうなるかではありますが…。
■深草キャンパスの後は、高槻市へ移動しました。7年前まで龍谷大学社会学部に勤務されていた原田達先生と、桃山学院大学に勤務されていた宮本孝ニ先生と、高槻のお店でご一緒させていただきました。原田先生とはたびたびお会いしていますが、宮本先生とは本当に久しぶりにお会いすることができました。社会学の専門雑誌『ソシオロジ』の編集委員をご一緒させていただいていた時ですから、もう10年ほど昔のことになります。10年経っていますが、私はもう本当に老人になってきましたが、宮本先生はぜんぜん雰囲気が変わっておられませんでした。びっくりです。
■原田先生も、宮本先生とは15年ぶりにお会いされたのだそうです。どうして、ひさしぶりの懇親会が実現したのかといえば、先日、原田先生とお会いした時に、たまたま宮本先生のお名前が出てきて、2人でお会いしたいなあ〜という話になったからなのです。ちなみに、原田先生と宮本先生は、大阪大学・大学院の同窓生です。阪大の関係者のお話もたくさん出てきます。
■いろいろな話題で盛り上がりました。久しぶりですからね。盛り上がると同時に、時々、70歳になる前に亡くなった方のお話も出てきました。90歳を超えるご高齢にも関わらず元気にお過ごしの大先生のお話も出てきました。お2人は70歳を超えておられますし、私も来年は前期高齢者ですし…。やはり、そういう話が出てきますね。
■18時過ぎから始まった懇親会は、お2人とも控えめな「呑み」で、21時前にはおひらきとなりました。それでも、2時間半。あっという間でした。またお2人との再会を楽しみにしたいと思います。
■昨日のお店は、JR高槻駅の北側のエリアにある素敵な和食のお店でした。原田先生は、時々、ご利用になるようです。この日も、次回の予約をされていました。かつて勤務されていた大学の同僚だった皆さんとお会いするのだそうです。この同量だった皆さん、もちろん70歳を超えておられると思いますが、歳を取ってきて、いつ体調が悪くなってしまうかわからないので、会う「頻度」を上げてこられたようです。年に1回が半年に1回。半年に1回が3ヶ月に1回という具合に。年齢を重ねて、こういう仲間が、たくさん周りにいることは、とても大切なことだと思います。
紅葉の比良山系
■先週の土曜日、昼過ぎまで三千院の界隈で過ごした後、車で自宅に戻ろうとしましたが、ふと見ると、朝、比良山系の頂を覆っていたガスがきれいに消えていました。自宅に帰る予定を変更、ロープーウェイで琵びわ湖バレイまで行くことにしました。
■素晴らしい紅葉でした。ロープーウェイの途中あたりから、木々は紅葉していきます。山頂に着いたら、少し南にある蓬莱山に向かいました。一見、たいした距離、たいした坂ではないように感じるのですが、実際、坂登ってみるときついなと思いました。コロナ感染で運動不足になり、かなり体力が無くなっていることを実感しました。とはいえ、なんとか蓬莱山頂に到着、頂上から周囲をじっくり眺めました。素晴らしいです。三千院も素晴らしかったけれど、比良山系の山々も素晴らしいです。この蓬莱山の標高は、1174mです。このぐらいの高さになると、なんというか地球を感じます。いや、ほんまに。琵琶湖を一望するパノラマにうっとりしました。
■最後のおじいさんの写真は、私です。年寄りですね〜。まあ仕方がないのですが。ここは、最近とっても人気のある「琵琶湖テラス」です。一緒に行った家族に撮影してもらいました。滋賀、最高ですね。
高橋卓志先生のご入院
■高橋卓志先生のfacebookへご投稿をシェアいたします。高橋先生、また入院されました。ご自身の状況を非常に丁寧に説明されています。ありがとうございます。闘病されている方達のご投稿は、いずれ我が身にやってくるかもしれないことを自ら教えてくださっているかのようで、本当にありがたいことだと思っています。
■今回の高橋先生のご投稿では、特に、以下のところがぐっときました。
お節介な(冗)内藤先生は「髙橋さん、臨床にお坊さんは要らない?」と再びスルッと聞いてきた。
要らない(まっひらごめんだ)‥‥とくに宗教的に不完全でありながら完全だと思い込み、余命を生きる人々のためだと言いながら自己満足を求める臨床宗教師や看取り師なんかはね‥‥そう言えば、ぼくもそれをやっていた、ということになる。ホントに申し訳なく思う。
■先生は、しぶとく生きてくださるとのことなので、2回目の快気祝いをお約束いたしました。1回目は、私の方で提案させていただき、鰻重でお祝いをさせていただきました。次回の快気祝いですが、「今度の快気祝いは、わたくしが」とお返事をいただいています。楽しみです。先生、なんとしても、しぶとく生きてください。