敬老の日

20190917respect_for_the_aged_day.jpg◼︎昨日は敬老の日でした。以前は、老いた両親のための日だったように思いますが、その両親もともに亡くなり、自分自身に孫が生まれて私自身が還暦を超えると、今度は、私が感謝の気持ちを伝えてもらう日になっています。

■このメッセージカードは、2歳になる孫娘がプレゼントしてくれたものです。通っている保育園で作ったようです。小さな手に絵の具をつけてカードにスタンプ。これは「象さん」ですね。まだ2歳なのでひらがなは書けませんが、孫の気持ちを両親(娘夫婦)が代わりにメッセージにしてくれました。私が79歳になる時、孫娘は成人します。その時までは、なんとか生きていたいと思います。大丈夫かな。

◼︎先ほど、両親がともに亡くなり、孫娘が生まれ…と書きました。これで完全に世代交代です。プライベートで世代交代したら、仕事でも世代交代しつつあります。これで自然です。ただし、「おじいさん」(老人)のカテゴリーに移り、健康面ではいろいろ心配になります、やはり。「人生100年時代」と政府は高齢者を煽りますが、「政府に頼らずに、いつまでも自力で稼いでくれよな」という裏のメッセージが聞こえてくるかのようです。というか、それが本音だと思います。まずは健康を維持すること、健康寿命を延ばすことが大切になります。あまり自信がありません。両親を看病・介護してきた経験があるからです。そんな簡単ではありません。両親は、息子である私に看病・介護されても当然と思っていたようですが、私が本格的に老人になった時はどう思うでしょうか。多くの同世代の皆さんは、子どもたちには世話になれないと、どこかで思っているのではないでしょうか。やはり、地域の中に、人の最期を支える「共助の仕組み」が必要だと思うわけです。さて、どうしたものか。今、地域にある様々な資源をつなげて、地域の中にその「共助の仕組み」を作れないだろうかと相談を受け、福祉の専門家、僧侶、様々な方達とそのデザインを考えようとしています。うまくいったら良いと思っています。

◼︎すみません。話が逸れてしまいました。昨日の敬老の日、孫のひなちゃんからカードをもらってとても幸せな気持ちになりました。ありがとう。ひなちゃん。

夏休みのラジオ体操

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■今週から、地域のラジオ体操に参加しています。主催は、暮らしている自治会の中にある子ども会です。小さな規模の自治会ですので、毎朝参加する小学生は20名ほどです。加えて10名ほどの保護者の皆さんも参加されています。大津市に暮らすようになってからまだ4年目にしかなりません。そのようなこともあり、自分の所属する自治会のことがよくわかっていませんでした。しかし、今年は、自治会のブロック長をしていることもあり、自治会の状況も次第に理解できるようになりました。できるだけ自治会の活動に参加しようと、ラジオ体操にも参加してみることにしました。少し体調が良くないこともあり、身体を動かすことで、調子を取り戻そうという考えもあります。

■春からいろんなストレスが背中や肩の凝りを生み出し、その凝りが今度は首にまで広がり、とうとう頭痛や目眩まで起きるようになってしまいました。パソコンに向かって仕事をしていると、背中・肩・首が固まってしまうのでしょうね。背中や肩の凝り程度であればよかったのですが、首にまで広がると様々な不調を生み出してくること、今回、初めて知りました。まず頭痛が最初だったのですが、これまでに経験したことのない頭痛だったので、最初は脳神経外科で受診しました。しかし、私の話を聞いて、すぐに「それは首の凝りからきている頭痛です」との診断が出ました。特に薬の処方もなく、その時は診察だけで終わりましたが、不調が続くので、今度は鍼灸院で診察を受けました。首が相当凝っているとのことでした。首の凝りが、背中や肩から順番にきていることがわかり、電気治療やマッサージをしていただきました。

■その2日後のことです。今度は、難聴になってしまいました。しかも、そのあとに、眩暈も襲ってきました。もう、立っていることが困難なほどの眩暈でした。で、今度は耳鼻科です。知り合いの方から、「難聴になったらすぐに耳鼻科で治療を受けなければいけませんよ」とアドバイスをいただいていたので、翌日に診察を受けました。診断は、「メニエール病」の疑いがあるとのことでした。首の凝りが原因で血液やリンパ液の流れが悪くなっているとのことでした。薬を処方してもらいました。還暦を過ぎて、いろいろ身体の変化が起きてきているのでしょうか、それとも身体のパーツがだんだんポンコツになってきているからでしょうか。困ったものです。ということで、ストレスを溜めないように気をつけながら、背中、肩、首のストレッチに励むようにしています。もともと、猫背気味だし、肩も硬かったので、気をつけなくてはいけません。

■体調不良で、仕事が滞り、一緒に仕事をしている方達にご迷惑をおかけしているかと思いますが、どうかご容赦ください。

■冒頭の写真、本文と何の関係があるのか…。特にありません。ラジオ体操の帰りに、クマゼミの鳴き声がものすごいで、ちょっと写真に写してみました。昔、子どもの頃に九州に住んでいましたが、その頃は、周りで泣いているのはほとんどがニイニイゼミでした。その次に多いのが、アブラゼミ。クマゼミはちょっと貴重な感じがしていました。ミンミンゼミとか、ほとんど捕まえることはできなかったように思います。地域の分布の差かもしれませんが、今住んでいる辺りだと、ニイニイゼミを見つけることはできません。主流は?!クマゼミです。

父の日のプレゼント

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◼︎少し早いのですが、父の日のプレゼントが息子から届きました。いつもならば、恐らくは私が好きな酒を送ってくれるのですが、今回は違いました。「がんリスクチェッカー」です。「父親だけにプレゼントするのもなんだかな〜」なのだろうと思いますが、両親ともにチェックしてみてと送ってきてくれました。どういうわけか、私のものはクロネコの宅配便で、母親のものは郵便で届きました。なぜだろう…。まあ、それは良いとして、このキットで全身のどこかにガンが有るのか、あるいは無いかがわかる程度のものらしいです。これで、もしガンが見つかったらありがたい。いや、見つからない方が良いのですが、早めに対処できるわけですからね。私、一応、80歳までしっかり生きて、「孫と一緒に呑みに行く」という人生の目標があります。頑張らねば…と思います。

「認知症になっても死ぬまで芦屋小雁でいたい」

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◾️喜劇俳優の芦屋小雁さんが認知症になりつつも、ご夫婦二人三脚で歩まれているドキュメンタリーを、たしか昨年だったと思いますがNHKの「NHKハートネット」という番組で視たように記憶しています。とても印象に残りました。その番組の内容を記事として読むことができることを知りました。「認知症になっても死ぬまで芦屋小雁でいたい」という記事です。70年にわたり喜劇俳優として活躍されてきた芦屋小雁さんも、84歳になられたとか。それはそうですね、自分が還暦を超えているのだから。小雁さんは、血管性認知症とアルツハイマー型認知症の合併型であることを公表されました。現在は、30歳年下の奥様と一緒に俳優の仕事をしながら京都に暮らしておられます。詳しくは、記事をお読みいただきたいのですが、妻の寛子さんは、夫である小雁さんを俳優としてもものすごく尊敬されていることがよくわかりす。俳優である芦屋小雁が大好きなんですね。

◾️記事を読んでいて「あっ!」と思ったのは、特に記事の最後、以下のところです。

小雁さんはシニア向け演劇教室「元気☆塾」で指導も行っています。教室には、小雁さんの大きな「よーい、はい!」の掛け声が響きます。

小雁さんと寛子さんは、地域の行事にも積極的に顔を出します。地蔵盆に浴衣姿で現れた2人に、町の人々は次々と声をかけたり、握手を求めたり。小雁さんの人気は健在です。

女性:「がんばってや小雁ちゃん!」
小雁:「ありがとうございます。」
女性:「また舞台出られるように!」

大きな劇場に出て拍手をもらうとね、当然それは芦屋小雁だと思うんですけど。そういう機会がどんどんなくなっていった時に、やっぱり地域の方々と触れ合う。正直に色んなことをオープンにしていって、病気があってもどんな姿になっても、最期まで芦屋小雁でいるっていうことが大事なんじゃないかと。」(寛子さん)

認知症であることをオープンにして、最期まで“芦屋小雁”として生きていく。
それが、小雁さんと寛子さんの、ふたりらしい認知症との向き合い方なのかもしれません。

◾️六車由実という方が執筆された『驚きの介護民俗学』という本があります。六車さんは元々民俗学者で大学の教員をされていましたが、その後、老人福祉施設に勤務され、その時の経験を元に本を執筆されたのです。その本の中に、六車さんが、認知症になられた方のライフヒストリーを聞き書きされることを記述した箇所があります。記憶が曖昧なのですが…。戦前、台湾で製糖工場にお勤めだった技術者の方が、日常生活では認知症の症状が進行しているにも関わらず、自分の人生で輝かしく誇りに思える過去の記憶を語り始めると、ものすごくしっかりしてきて細かなところまで語られる…というような内容だったと思います。社会の中に重要な自分の役割があり、そういう自分を社会の側もきちん評価してくれていたという経験が、人間には大切なのかもしれません。

◾️記事にはありませんが、この記事のもとになった映像では、小雁さんが演劇教室で指導されている様子が映っていました。すごいんです。その時の小雁さんは。どう見ても認知症の老人には見えません。細かな微妙な点について指導を行う、演劇の指導者なんです。小雁さんは、過去ではなく今も現役の喜劇俳優です。いつまでも喜劇役者としてきちんと社会とつながっていたい、人びとから役者として期待されたい、そう思っておられるのでしょう。タイトルの通り「認知症になっても死ぬまで芦屋小雁でいたい」のです。そして、そういう自分の夫を、妻の寛子さんは、尊敬し愛おしく思いつつ、「わたしのことがわからなくなるまで一緒に暮らそう」と覚悟を決めて支えておられるのですね。

ひさしぶりの歯科

■今日は歯科にいってきました。子どもの頃は、虫歯の治療で歯医者さんに度々お世話になりました。しかし、大人になってからは、どういうわけか歯科に行くことがあまりなくなりました。どうしてでしょうか。ブラッシングができるようになったからでしょうか。今日は、本当にひさしぶりに歯科にいってきたことになりました。

■今回受診したのは、昔、奥歯に詰めた金属が取れてしまったからです。この奥歯の治療をしたのは、おそらく30年ほど前ではないでしょうか。この奥歯、その後一度詰めた金属が取れてしまいました。再び、詰めなおしてもらったのですが、なんだか具合が悪く、奥歯の隙間に食べ物がつまるようになりました。困ったことになったのですが、歯科には行かずに、詰まるたびにケアをして過ごしてきました。そのような状態が10年以上続いていました。今回は、歯磨きをしていると、再びその詰めた金属が取れてしまったのです。これは、いけません。きちんと治療しなおしてもらうことになりました。久しぶりに、「キュイーン」「ガリガリ」と削ってもらいました。

■個人的な推測でしかないのですが、しばらく歯科にいっていないので、以前とは治療の方法も進化しているように感じました。びっくりしたのは、レントゲン。レントゲン室があって、おそらくはX線を防ぐためでしょうが、重いベストを着せられました。そして、顎をレントゲンの機械の上に乗せて、きちんと撮影できるようにレントゲンの機械から飛び出た細い棒を前歯で噛んだ上で、歯科医が頭を固定しました。すると、レントゲンの機械は、頭の周りをぐるりと回って歯を撮影するのです。もちろん、昔のようにフィルムではなくてデジタル撮影。撮影された画像は、すぐに歯科医の手元にあるタブレットに写しだ避けます。びっくりです。私が遅れているだけなのかもしれませんが(説明がひどいので、何をいっているのかわからないかもしれませんが、まあ、そんな具合なのです)。これは初めての経験でした。

■もうひとつ。左上の犬歯の裏側に小さな丸い穴があいているので、虫歯かなと思い治療をお願いしました。しかし、これは虫歯ではありませんでした。治療はしなくて良いとのことでした。以前と比較して噛み合わせが深くなったせいで、下の犬歯で、上の犬歯の裏側削ってしまっているのだそうです。年齢のせいだそうです。いやはや…。それ以外は、特に問題もなく、予想したよりも歯は良い状態でした。安心しました。来週は、再び金属を詰めてもらい。それ以降は、歯石を取ってもらうことになります。歯は、大事ですね。歯はきちんと磨いるつもりですが、よりオーラルケアに注意するようにします。歳を取っても、自分の歯で食べ続けられるようでありたいです。

■ネットで調べてみました。ある歯科クリニックのホームページでは、次のように説明していました。

45~55歳ぐらいまでの間に2~3本失って、55歳の時に残っている歯の平均本数は23.6本です。ここから加速度的に歯を失っていきます。その後10年の間に5本程度の歯を失い、65歳で残っている歯は18.3本、70歳では15本程度となってしまいます。そして80歳の時には9本となってしまいます。これは平均的な数字なので、場合によってはもっと歯を失っていることもあります。

■では、今私は何本歯があるのか。数えてみました。上は24本、下は23本。下の方は、生まれつきなのでしょうが永久歯の奥歯が1本生えてきませんでした。ですので、乳歯の臼歯が高校生の頃まで残っていました。しかし、その歯もボロボロになったので、前後の歯を削ってそこにブリッジをかける治療をしてもらいました。40年以上前のことです。当時は、そういう治療だったのでしょう。親知らずの歯の方は、結局、1本しか生えてきませんでしたが、それは抜きました。ということで、一応、それなりに歯は残っているのかなと思います。来年は還暦です。おそらく、今からのオーラルケアが大切なのでしょうね。丁寧なブラッシングや定期的な歯石の除去等を行い、歯周病等のに注意する必要があります。

■「8020運動」という言い方があります。80歳になっても20本歯が残っていれば、「生涯、自分の歯で食べる楽しみを味わえる」ということのようです。なるほどです。しかし、それだけでなく、歯が20本以上残っている人と比べて、歯がないのに治療をされていない方は、認知症の発症リスク、転倒リスク、要介護認定を受けやすい確率が大きくなるとのことです。歯は、全身の健康とも深く関係しているのですね。

左膝の故障

20170916gd.jpg■先日、20kmのウォーキングをしましたが、その翌日、なんだか左膝の調子が悪くなってしまいました。鋭い痛みはないし、歩くことはできるのですが、何か膝の周りが炎症を起こしているので。屈伸をするのが辛く、なんだかコキッコキッと音までしてきました。これはまずいです。ということで、昨日、近くの整形外科で診察をしてもらいました。レントゲン写真まで撮ることになり、ちょっと心配になりましたが、結果は、膝の骨周りには問題はないというとでした。まわりの筋肉や腱の炎症との診断でした。

■お医者さんからは、「ご自宅に湿布が余っているでしょう。それを貼っておいてください」と、ごくごく簡単な診断で終わりました。自宅にある湿布を左膝の周りに貼りまくり、その周りを包帯でぐるぐる巻きにして、さらに処方してもらった「ツムラ68」という漢方薬を飲みました。湿布が効いたのか漢方薬が効いたのか、その辺りはよくわかりませんが、随分楽になりました。ほぼ、問題無し。とはいえ、数度、腸脛靭帯炎(ランナー膝)をやっているので、今後も気をつけなければなりません。

■今日は神戸の元町の映画館まで「米軍(アメリカ)が最も恐れた男、その名はカメジロー」を観にいく予定でしたが、知人から京都の「京都みなみ会館」でも上映するということを教えてもらい、予定を変更して京都で観ることにしました。神戸で映画を観て、元町の台湾料理の食堂で、大好きな豚足の煮込みを食べようと思っていましたが、また別の機会にすることにします。さて、今晩は、息子が大阪から帰省します。孫のひなちゃんに会いにきます。叔父さんが姪に会いにくるわけですね。娘とひなちゃんは明日まで我が家にいるので、ひさしぶりに家族4人が揃うことになります(+ひなちゃん)。今晩は腕をふるってご馳走にしようと思います。明日でひなちゃんは大阪に帰ります。ひなちゃんロス…の予定です。写真は、孫の手と私の手。色が違いすぎますね。

【追記】■腸脛靭帯炎(ランナー膝)予防のためには、お尻のストレッチが大切との指摘をいただきました。以下は、その類のストレッチだと思います。実行してみます。

老いを受け止める力

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■先日、自宅近くの農村地域に聞き取り調査に出かけました。お相手は、もうじき75歳の男性でした。地域づくり・まちづくりのリーダーの1人として、地域の課題解決に尽力されきた方です。お話しも、すごくわかりやすく、わざわざ私の聞き取り調査のためにレジュメまで用意してくださいました。まあ、あらかじめ作成したあったものかもしれませんが、理路整然とお話ししてくださいました。助かりました。

■調査では、いつもICレコーダーに録音させていただきます。この日は、自宅から出発したので、家族のICレコーダーを借りました。帰宅してから、昼間の聞き取り調査の様子を、録音したICレコーダーで聞き直すことにしました。しかし、何か変なのです。しばらくして、自分が「ずいぶんゆっくりしゃべるようになっているな〜」と、ふと気がついたのです。自分自身の喋るスピードが以前と比較して遅くなっているように思ったのです。若い頃、私は、離島にある漁村でそこに暮らしながら聞き取り調査をしていました。現役の漁師さんだけでなく、すでに引退した80歳を超えた方にもいろいろお話を伺いました。そういう時、特に高齢者の方にお話しを伺う時は、意図的に少しゆっくり目のスピードで質問をさせていただいていたように思います。ご高齢の方に配慮してのことです。

■ところが、この日は意図していないにもかかわらず、無意識のうちにゆっくりしゃべっているのです。自分も歳を取ってきたのだ…と思いました。「そういえば、若い同僚が早口で喋ると、少々理解しづらくなっているよな〜。少しずつ、脳みそが緩んできている証拠だ」と、思ったわけです。歳をとると、なかなか言葉も出てきません。「ほれほれ、あれあれ」と言葉がなかなかでてこない時があるのです。同年輩の人たちと話しをしていても、そういう話題になります。「ああ、みんな同じだ」と安心しそうになりますが、ちょっと不安でもあります。小さな脳梗塞が原因で言葉が出にくいということもあるからです。まあ、それはともかく、自分がゆっくりしゃべっていることに、少し気落ちしてしまいました。

■ところが、録音したICレコーダーを確認していると、変なスイッチが入っていることに気がつきました。再生のスピードを遅くするスイッチです。再生するときに、ゆっくり内容を聞くための機能なのでしょう。そのスイッチを切ると、なんと私は普通にしゃべっていました。「なんだ、こんなオチなのか」と、自分自身でも呆れる結果でした。普通だとすぐに「ICレコーダーの方がおかしい」と気がつくわけですが、今日はそうではなく、自分が衰えていると勘違いをしてしまったわけです。この自分の老いに対する自信のなさこそが、問題なのかもしれません。もっと正確に言えば、自分の老いをきちんと受け止める力…と言い換えても良いかもしれません。

ランニングの効用

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■フルマラソンをまた走ることができるようになりたい…そのような思いから、走ることを再開しました。1ヶ月ちょっとになります。以前、走っていた時にも経験したことですが、走ることは確実に健康にも良いことがわかっていました。以前、こんな経験をしました。

■7年前のことになります。仕事でとてもストレスフルなことが起きて、もう日々大変な状態になりました。急に血圧が上がりました。その時、血圧を下げる薬も飲んでいました。ところが、2012年に、健康のこととは別の事情で走るようになりました。すると、血圧が下がっていきました。運動って大切だなとその時に実感しました。もっとも、運動することがなかなか生活に定着せず、血圧の薬も飲まずに放置していた状態が続いていたのですが、昨年はウォーキングで、今年はランニングで再び血圧が下がってきました。写真は、最近の数値です。起床した時のものです。50歳代の正常値が135/80未満らしいので、なかなか良い値だと思います。しかも脈拍も走っているせいで、ゆっくり目になってきました。走り始めてやっと1ヶ月ちょっと。まだまだ油断はできませんが、走ることが少しは習慣化してきたのではと思います。

■体組織計でも身体の変化を追っています。内臓脂肪のレベルが12から10になりました。10から14は「やや高い」に分類されるようですが、50歳代の平均値は10なのだそうです。ということは、年相応の値になってきたということでしょうか。体脂肪も時々19パーセント代に突入するようになりました。体組織計は、その時の体調で数字が若干変わってきます。脚の腿は太くなり、お腹は凹みと良い感じになっています。筋肉が太くなると脂肪を燃焼させやすくなるでしょうから、これはこれで良しとしなければなりません。あとビールを飲まなければ、変化がもっと顕著なんでしょうけどね〜。

ランの再開

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■5月23日からランニングを再開しました。再開とはいっても、身体は、「飲兵衛」の普通の59歳のおじさんのそれに完全に戻っています。以下が、ここ1週間ほどの記録です。もう少し、練習したかったのですが、どうしても時間が取れない時があります。とはいえ、おじさんですから、無理をすると脚が壊れてしまいます。特に、膝とか足首とか…。年寄りなので、ほどほどで練習しないと故障してしまいます。

5月23日(火) : 5.0km :
5月24日(水) : 休み
5月25日(木) : 5.7km :
5月26日(金) : 4.7km :
5月27日(土) : 休み
5月28日(日) : 5.0km 
5月29日(月) : 休み
5月30日(火) : 8.0km

■昨日は、結局、走ることができなませんでした。iPhoneの復帰にいろいろ手間がかかりました。家族に車で大学まで迎えに来てもらって、母親が入所する老人ホームに行き見舞いました。ところが、病院から退院できたのは良いけれど、老いがいろんな面で深まってきているなあと少し重い気持ちで帰宅しました。もう、外はすっかり暗くなっており、その時間から買い物をして夕飯を作るということは難しい…。もちろん、走ることはできません。家族の提案でビーフスーキを食べに行くことになりました。我が家では、滅多にないことです。もっとも、いわゆる霜降り肉ではなくて、赤身のアンガス牛です。「年をとったら、肉もちゃんと食べないといけない」と言われて、そうかもなとも思いました。普段は、魚、豆腐、納豆、お浸し…のような志向で、肉肉しい食事をしていないものですから。完全かな和食志向です。

■今日は午前中に走ってみました。アンガス牛の効果?!でしょうか、8kmを6分30秒/km程度のスピードで走ることができました。気のせいだとは思うのですが、ちょっと今日は身体が軽かったような気がします。アンガス牛のおかげ、ということにしておこうと思います。瞬間最低体重は、73kg台に突入しました。とはいえ、これは汗で減っただけです。いつもの大津駅前の居酒屋「利やん」に行って生ビールを2杯飲むと元に戻るわけです。もっとも、8kmを走ることができて満足しました。もうしばらく、8km程度でフラットな道を走り、そのうちにアップダウンのあるコースに切り替えるつもりです。日差しが強くなってきたので、今日から度付きサングラスを使用しています。道路に反射する紫外線が目に入り、白内障になりやすくなるとベテランランナーから教えてもらいました。ということで、このサングラスを使用することにしました。

■ところで、例の「ELECOMの体組成計」を楽しんで使っています。ランニングのおかけで、1kg程度ですが、体重が減りました。もちろん、食べる量も気にしています。体組成計では、内臓脂肪は「やや高め」、BMIは23.4、体脂肪率は22%、骨格筋率は39%、骨量2.4kg…という具合に出てきます。当面は、内臓脂肪を減らしていくことを目指します。秋になり涼しくなった頃には、体重は68kgまで絞り込みたいと思います。頑張ります。68kgになると、BMIは18.5程度に。内臓脂肪レベルと体脂肪率は下がり、骨格筋率は上がるでしょう。そして、基礎代謝量も上がると思います。基礎代謝が上がると、太りにくくなります。「食事の摂取カロリー」−「運動の消費カロリー」−「基礎代謝量」がマイナスになっていれば、痩せていくんでしょうか?? そうであれば、今日は、「ランニング」が700kcal、「基礎代謝量」がだいたい1560kcal前後ですから、「食事の摂取カロリー」を2260kcal以下にすると痩せていくという計算になりますね。たぶん…。こんな考え方であっているのかな??

大学生協食堂で昼食

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■まだ暑くて汗をかく頃までは、「弁当男子」を継続していましたが、現在は、中断しています。世の中のお母様や奥様方は、ご家族のためにいやでも弁当を作らないといけないのでしょうが、私は趣味で、自分の健康のために弁当を作っていましたので、いったんストップしてしまうと気が抜けてしまいます。いけませんね。これ、ウォーキングやランニングも同じです。継続できません。継続できているのは、このブログぐらいか・・・。情けない話しです。弁当男子については、再開してレポートしてほしいとのご要望を周囲の皆さんからいただいております。近いうちに。

■ということで、本日は、ひさしぶりに大学生協の食堂で昼食を摂りました。弁当男子はストップしていますが、一応、健康のことを考えてはいます。今日も、いろいろ悩んだ結果、以下のような昼食になりました。「鶏牛蒡ご飯」のSSサイズ、「ポークブラウンシチュー」、「コロッケ」、「冷奴」、「15種類のヘルシーサラダ」。これでカロリーはどれほどかといえば、たった「395kal」なんです。びっくりしました。まあ、ご飯茶碗は「SS」サイズで最小のものですから、他のお皿の大きさもわかりますね。全体に量がすくないのでしょうね。レシートをみると、金額以外に次の記載がありました。

「赤の食品群」(たんぱく質・カルシウム・ビタミンB1 体のなかで血や肉になる)→2.2点(1食の目安2点)
「緑の食品群」(ビタミン・ミネラル・食物繊維 体の調子を整える)→1.3点(1食の目安1点)
「黄の食品群」(炭水化物・脂質 働く力になる)→1.5点(1食の目安7点)

■黄色が足らないんですかね・・・。これは、炭水化物や脂質です。これ7点も摂ってしまうと・・・。私はお爺さんになりかけのおじさんだから、こんなものでよいのでしょうか・・・よいのでしょうね。夜、炭水化物を原料に使った発酵しているジュースも飲みますしね。

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