“最期のとき”をどう決める~“終末期鎮静”めぐる葛藤~(NHKクローズアップ現代)
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▪︎1月19日(火)に放送されたNHKの「クローズアップ現代」のテーマは、「“最期のとき”をどう決める~“終末期鎮静”めぐる葛藤~」でした。強い関心をもっているテーマなのですが、仕事の関係で、この時間帯に家でテレビを視ることができません。しかし、この「クローズアップ現代」の公式サイトでは、すでに放送した内容を、そのまま文字で読むことのできるサービス「放送まるごとチェック!」を提供しています。皆さんも、ぜひ、こちらをまずはお読みください。以下は、番組の紹介文です。
いま、在宅で療養する末期のがん患者に、「終末期鎮静」という新たな医療が静かに広がっている。耐えがたい苦痛を取り除くために鎮静剤で意識を落とし、眠ったまま最期を迎えるというものだ。最新の調査では、在宅で亡くなったがん患者の7人に1人に行われていたことがわかった。自分の意志で、眠ったまま苦しむことなく死を迎える患者。その一方で、遺族の中には、「“終末期鎮静”に同意したことで、患者の人生を終わらせてしまったのではないか」と悩んだり、罪悪感にさいなまれたりする人もいる。自宅で最期を迎えるがん患者が増える中、終末期の医療はどうあるべきか、考える。
▪︎この「放送まるごとチェック!」を通勤電車のなかで読んで、涙が出てきて困りました。番組に登場された末期ガン患者の男性と奥様とのやり取りを読んだときです。ご本人や奥様やご家族も、「終末期鎮静」という選択をして良かったとお考えのようです。しかし、すべての方達がそのように思えるわけではないようです。このような「終末期鎮静」が、「積極的安楽死」とほとんど違わないと考える人もおられるからです。非常に、難しい問題です。医学だけではこのような困難に対応することができません。番組のなかでは、日本在宅ホスピス協会会長であり、医師・僧侶でもある小笠原文雄さんが、次のように述べておられます。
われわれは患者さんにエネルギーの5割ぐらいを、そしてご家族の方にも5割ぐらい、要するに患者さんだけでなくて、家族がお疲れになると、患者さんも疲れた家族の顔を見たくないもんですから、どんどん痛みも悪くなってしまいますので、どうしてもよくない負の連鎖が始まってしまいますから、患者さんとご家族と、両方きちんとケアをしないといけないところは、なかなか両方ケアするのは大変なこともあるものですから、難しい点もあるのかなと思いますよね。
(そういうことから終末期鎮静が選択されてしまう?)
そうですね。
ケアをするためには看護師さんとか、多職種みんなで、大勢の方でケアをしないとうまくいかないことが多いもんですから、最終的には、終末期鎮静にまでなってしまうケースもあるんだなあという、そういう感じがしてます。
▪︎できれば、ご家族も、医師も、「終末期鎮静」という選択をせずに、患者さんに与えられた命を全うして、「生ききって」ほしいと願っていると思いますが、終末期のケアは大変難しいわけです。身体の痛みと心の痛みは連動しているのです。苦しみ方が変わってくるのだそうです。
痛みはやっぱり、心の痛み、これが大事なんです。
心っていうか、精神的な痛み。
いわゆる在宅ホスピス緩和ケアというのを提供してるんですが、ホスピスというのは命、生き方、死に方、みとりの哲学、考え方です。
そして緩和ケアの「緩和」は苦しみを和らげること、「ケア」とは生きる力、希望が出ること、だから心のケアをするだけでかなり痛みの感じ方が変わってくる、苦しみの感じ方が変わってくる。
▪︎このような心のケアの問題は、医学や医療の領域を超える問題です。私は、広い意味での(特定の教団や宗派等にとらわれない)宗教的な支えが必要だと思っています。いずれやってくる最期を、意味のあるものとしてご本人とご家族が共に受け入れるためには、小笠原さんが述べておられたように、「多職種みんなで、大勢の方でケアをしないと」いけません。その「みんなで」の中には、患者さんの最期を意味の側面から支える専門家の存在、すなわち宗教的に支える専門家の存在が必要になると思っています。言い換えれば、生と死の境界を「通過」していくことを支える専門家の存在ですね。では、そのような専門家の支えも含めて、個々の患者さんにとって必要な精神的なセーフティネットを、どのようにすれば構築していけるのでしょうか。私の父は末期の肺癌で苦しんで亡くなりました。父を看取りました。そのとき、現代社会では人の死を扱う様々な専門家が分業化しており、人の死の苦しみをトータルに扱えないことを痛感しました。
▪︎生から死へ、その境界どのように通過していくのか。安心して死に向かうためには、自分のなかに、しっかりとした死に向かうためのイメージが必要になるでしょう。もちろん、よく言われてきていることですが、周りの方たちと最期のことについて語りあっておくことが必要になるでしょう。この世に未練を残していると、非常に辛いと思います。まだ健康なときから、そのような準備を重ねていかなければならないわけです。大変な時代になりました。私の知人のお爺様は、ご家族に「ほな寝まっさ」といっていつものように布団で休まれましたが、朝には亡くなっておられました。大往生です。素晴らしいと思います。誰しもが、自宅で、家族に見守られつつ、眠るように、安心して苦しまずに死んでいきたいと思うでしょうね。また、ご家族の皆さんも、亡くなった方が命を全うされたと、当たり前のように受け止められると思います。しかし、現代社会では、そのような大往生は非常に困難になっているように思います。
図表地図本
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■一緒に共同研究を進めている友人が、こんな本を勧めてくれました。彼の専門は、数理生態学や進化生態学なのですが、その様な専門とは別にいろんな分野の本を読んでいて私に紹介してくれます。読書の好みも、いろいろ重なるところがあり、彼のアドバイスはとても参考になります。今回は、この写真の本でした。『ニューステージ新地学図表―地学基礎+地学対応』、『ニューステージ新地学図表―地学基礎+地学対応』、そして『韓国歴史地図』です。3冊のうちの最初の2冊は、高校生向けの副読本といいますか、図説資料です。見ているだけで楽しいのです。友人が進めてくれた理由がわかりました。友人は、眠る前に、数ページをめくって少しずつ読んでいるのだそうです。彼の毎日の楽しみのようです。私自身は、高校の時に、この類の図説資料を「義務感」を伴って読んでいたように記憶しています。しかし、歳を取り、そのような「義務感」がなくなり、純粋の教養といいますか、学ぶ・知るためだけで読むと楽しいのです。不思議なものですね。もちろんのことですが、私たちの高校生の時とは比較にならないぐらいに、グラフィックデザイン的にも優れた内容になっていると思います。
■残りのもう1冊は、お隣の国、韓国の歴史地図本です韓国教員大学歴史教育科の教員の皆さんが執筆されているようです。Amazonでは、以下のように紹介されています。「カラー地図と図版で蘇る迫力ある歴史のリアリティ。古代国家の興亡、中世王朝の栄華、現代史の衝撃の事件が、ダイナミックに再現。朝鮮半島を舞台にした韓国史の一大絵巻」。友人も、こう言っていました。「知らなかったけれど、お隣の韓国は、いろんな国に攻められて大変な歴史だったんだね〜」。この本には「刊行にあたって」に以下のよう書かれていました。そうなんです、ここにも書いてあるように、歴史の事実が大迫力でありありと浮かび上がってくるのです。ぜひ、皆さんもお読みいただければと思います。
これまで私たちは歴史に接するとき、注意を時間軸にだけ傾けてきました。歴史を構成するもう一つの側面である空間については大した関心を払ってこなかったのである。今までの歴史は強いて言うなら年表に過ぎなかったと言える。本書は、そのような時間軸中心の歴史叙述を脱して、時間と空間を同等に扱うことで歴史的事件をありありと再現しようとしたものである。
【追記】■金曜日の昼食は、瀬田キャンパスの学生食堂でとりました。ライスS、だし巻き、アジフライ、きんぴらごぼう、ほうれん草おひたし、豚汁。これで744kcalです。野菜量は142g。もう少し、野菜を増やさないといけませんね。これに加えて、最後にほうじ茶を茶碗一杯飲むと、腹八分目になります。学生食堂で、いろいろ小さな小鉢に入ったおかずを食べることができます。おそらくはこれらに加えて、野菜サラダを食べれば良いのだと思います。ドレッシング抜きで、ですが。今のところ、体重にほとんど変化がありません。もっと、運動を取り入れなければなりません。徐々に体重が減ってくると、ワクワクしてくるんですけどね〜。そうそう、節酒だけはきちんと続いています。外では、お付き合いも兼ねて飲みますが、自宅ではもっぱらノンアルコールビールです。
樹木希林さんの死生観
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■今月の1月5日の新聞に、出版社である「宝島社」の2016年の企業広告が掲載されました。新聞の見開きという大きさもさることながら、そこに癌の治療をしながら女優を続けてこられた樹木希林さんが登場され、ご自身の「死生観」を表明されていることから、話題になりました。
■上の写真は、樹木希林さんの広告(朝日新聞)。下は、その題材となったミレーが描いた絵画です(wikimediacommonsより)。シェークスピアの「ハムレット」に登場するオフィーリアです。絵画については全く知識がありません。調べてみました。このミレーの作品は、オフィーリアがデンマークの川で溺れて死ぬ前に歌を口ずさんだ、そのシーンを描いたもののようです。樹木希林さんは、このオフィーリアを演じているのです。つまり、もうじき死ぬことを前提にしている…ということにななります。そう考えると、この「宝島社」の広告に書かれた文章の意味もよくわかります。
「死ぬ時ぐらい 好きにさせてよ」
人は必ず死ぬというのに。
長生きを叶える技術ばかりが進化して
なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう。
死を疎むことなく、死を焦ることもなく。
ひとつひとつの欲を手放して、
身じまいをしていきたいと思うのです。
人は死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く塵になりたい。
それが、私の最後の欲なのです。
■樹木希林さんは、死を自分の日常生活の延長線上で受け止めようとされているかのようです。樹木希林さんもいうとおり、医療の技術的進歩により、人は、なかなか「死ねない」時代になりました。それに加えて、私たちの現代社会は死を「不可視化」させます。死を「隠蔽」しようとします。そして「生」ばかりを煽ります。「欲」を捨て切れません。「欲」を媒介に「生」ばかりにこだわると、「生」から「死」への移行が非常に困難になります。樹木希林さんは、生きている時から「生」と「死」の間にある境界をきちんと乗り越えるための準備をされています。それを樹木希林さんは、ひとつひとつ欲を手放すことだと言います。欲は、生への執着と関連しています。ただ、こうも言っておられます。「人は死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く塵になりたい。それが、私の最後の欲なのです」。
■これは欲と言うよりも、境界を超えた向こうにある「死」にスムースに移行するための、心に深く位置付けられたイメージようなものなのだと思います。「生」と「死」は連続しています。「生」の最期の瞬間に、すぐに到来する「死」を先取りできていないといけません。そのような意味での心の「羅針盤」が必要になります。「私」という存在は、この「地球」から生まれ、「地球」は宇宙の「塵」から生まれてきたのですから、また「私」もその「塵」に還っていくのです…樹木希林さんがおっしゃっていることは、そのような大きな宇宙的・神話的な循環のイメージでしょうか。おそらくは、樹木希林さんの場合は、そのようなイメージが、「身体」の感覚の一部になるほど深く身についておられるのかもしれません。表面的なところで「理屈」として理解したとしても、「生」と「死」の間にある境界を超えることはなかなか困難です。「境界などないのだ。両者は連続しているのだ。そのことを普通に経験するのだ」という強いイメージを持つことはなかなかできません。そのために、人類は、様々な宗教的な文化的な装置を作り出してきたのではないか、私のそう思うのです。にもかかわらず、そのイメージを実感することが困難な時代や社会に、今私たちは生きているのです。
■浄土真宗の僧侶の方とお話しをしたことがあります。私の職場には、僧籍をお持ちの方が多数働いておられますが、普段、浄土真宗の教えや死生観についてお話しを聞かせていただくことは、ほとんどありません。酒席でお隣りになったとき、たまたま偶然にそのようなお話しを聞かせていただくチャンスが生まれました。お話しの中では、お父様もお母様も、死ぬ時には苦しまれなかったということをお聞かせくださいました。それは、「お聴聞を繰り返してきたからだ」というのがその方の説明でした。浄土へとお連れくださる阿弥陀如来への感謝の気持ちを深く身体化していく、浄土真宗の教えを「理屈」だけではなく「身体」の感覚のレベルまで深く受け止めていたから…そのように私は感じ取りました。私は、樹木希林さんの「せめて美しく輝く塵になりたい」という言葉を読みながら、ふとこのようなことを思い出しました。
長浜の雑誌『み〜な』
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▪︎滋賀県の湖北地域とその周辺をテーマにした、『み〜な』という雑誌があります。この地域にお住まいの皆さんが、手弁当で企画・取材・原稿執筆を行い、地元企業からの支援を得ながら、「地域の知恵と汗の結集」によって発行されている雑誌です。昨晩は、この雑誌の編集にあたっている方と京都で少し呑みつつ 3時間程語り合いました。滋賀や、滋賀の地域社会の将来。多様性を相互に尊重し評価しあった上での共同性。そのような多様性と共同性の上に構想する「私たちの幸せ」。滋賀の「私たちの幸せ」を考えるための公共哲学。自分が生かされている…という「感謝の気持ち」。その基層にある真宗の精神。そんなこんなをいろいろ語り合いました。充実した時間でした。写真は、昨晩いただいた(購入させていただいた)『み〜な』の最新号と、一つ前の号です。私としては、最新号の「湖北用水史 争いから分かち合いへ」というテーマが気になり、最新号から読み始めました。(本文続く)
地球がもし小さなビー玉だったなら、琵琶湖の深さが1cmだったなら
■「太陽系」という言葉で、どのようなイメージを頭に描くでしょうか。太陽が中心にあって、その周りを惑星がぐるぐる回っているというイメージでしょう。しかし、実際はそのようなイメージとは大きくかけ離れたものです。この動画でをご覧いただければおわかりいただけると思います。地球をビー玉の大きさと仮定すると、実際の太陽系はどのような大きさになるのか、その「縮尺模型」をアメリカのネヴァダ州の干あがった湖底に作ってしまったのです。理屈で考えれば当然なのですが、何か「あっ!!」と驚いてしまうわけです。理屈と感覚との間に大きな隔たりがあるからです。
■この発想で琵琶湖の模型を作るとどうなるのでしょうか。琵琶湖は深い湖だと言われています。一番深いところは、103.58 mあります。模型で表すとどうなるでしょうか。琵琶湖の南北の延長は、63.49kmです。メートルに換算すると、63,490mです。一番深いところを、仮に1cmにすると、南北の延長はだいたい613cmということになります。琵琶湖は構造湖で深い湖なのですが、深いといっても、実際の感覚に置き換えてみると、頭の中にあるイメージとは異なり、かなり薄い薄い存在であることがわかります。そのようなことを体感できる模型が、滋賀県立琵琶湖博物館の「C展示室」の中にありました。琵琶湖博物館は現在、展示替えの真っ最中です。よく知らないのですが、この琵琶湖の模型もなくなってしまうのかもしれません。そうであれば、ちょっと残念です。
■このような模型をなぜ作る必要があるのか、動画をご覧いただければわかるとは思いますが、なかには、例えば「Googl Earth」のような最近のネットの技術、それからGIS(地理情報システム)なんかを用いれば必要ない…と思う方たちもいるでしょうね。もちろん、そのような技術で理解できることもあるでしょうが、この動画の中で描かれているのは、頭の中、脳の中で処理されたイメージではなくて、自分の「身体」という制約条件を媒介としてやっと実感できるイメージなのです。この動画が面白いというか、興味深いのは、脳の中で処理されたイメージと、「身体」を媒介として実感できるイメージとの間に、大きなギャップが存在しているからです。私たちは、その落差に驚くのです。おそらくは、環境問題を考える場合に、同様に問題が存在しています。私は、それを「鳥の目・虫の目問題」と呼んでいます。
地球研でワークショップ
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▪︎昨日の午前中は学長に「北船路米づくり研究会」の報告を行いました。ひとつ前のエントリーをご覧ください。学長に報告を行ったあと、急いで瀬田キャンパスに移動しました。昼休みに、瀬田キャンパスで社会学部の地域連携型教育プログラム「大津エンパワメントねっと」コースの「地域エンパワねっとⅠ」の履修説明会が開催されたからです。履修説明会は、前日とこの日の昼休みに開催されました。私の印象ですが、女子学生の方が多いような気がしました。この履修説明会にやってきている学生たちの学年が、「大津エンパワねっと」の9期生になります。この「大津エンパワねっと」は、2007年度に文部科学省の現代GP(現代的教育ニーズ取組支援プログラム)に採択されました。その申請準備は、2006年度から始まっています。ということは、なんだかんだと、私はこの教育プログラムに10年ほど関わっていることになります。このような課題解決型・地域連携型の教育プログラムは、現在では、さほど珍しくなくなってきました。そろそろ、この「大津エンパワねっと」もリニューアルする時期にきているのかもしれまん。
▪︎昼休みの履修説明会を済ませたあとは、すぐに京都の岩倉にある総合地球環境学研究所に移動しました。フィリピンの「ラグナ湖・シラン-サンタローザ流域」に関するワークショップが開催されたからです。私は、ファシリテーターを務めました。大変有益なワークショップになりました。
▪︎今回のワークショップの目的は、2つありました。ひとつは、私たちのプロジェクトのフィリピン側のカウンターパートであるLLDA(Laguna Lake Development Authority=ラグナ湖開発局)が、ラグナ湖やシラン-サンタローザ流域で多数のステークホルダーから構成される流域委員会の設置しようとしていますが、そのことを支援するために、どのような自然科学的・社会科学的調査が必要なのか、またどのような科学的なモデリングが必要なのかを明らかにすることにありました。もうひとつは、この流域に連関した諸問題を問題構造として大づかみに把握し、プロジェクト全体で共有することにありました。
▪︎参加したのは、今年の秋に、フィリピンに出かけてこの流域で調査をしてきた面々です。それぞれが、自分の調査に基づき、あるいは既存の文献のレビューから獲得した知見をもとに、この流域から見えてきたことを、1枚ずつポストイットカードに貼り付けていきました。水色が自然科学的な側面からのもの。黄緑色が社会科学的な側面からのものです。ピンクは、今後、行うべき作業や調査すべき項目ということになります。ワークショップでは、現地調査のさいの印象や感想までも語ってもらい、同時に、GoogleEarthで衛星から撮った流域の写真や、調査時の現地の写真もプロジェクターで提示し、現地に行けなかった人にもできるだけ理解を深めてもらうようにしました。今後は、流域の問題構造をきちんとモニタリングしていくための方法、また、なぜこのような問題構造を孕むようになったのか、流域の環境史(流域と人間との相互作用の歴史的な展開…)を考察していくなど、歴史的な視点からの分析も進めていく予定になっています。
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▪︎ワークショップの後は、地球研の宿泊施設である「地球研ハウス」=プロジェクトの忘年会を開催しました。この日のメインディッシュは、ホンモロコと雷魚。ホンモロコは、琵琶湖の固有種で、雷魚は外来種です。ホンモロコもホンモロコも美味しく唐揚げになってでてきました。ホンモロコは、私が琵琶湖の淡水魚のなかで一番好きな魚です。それに対して、雷魚は初めて。姿形からはなかなか想像できない美味しさでした。
「無印良品」の「ローカルニッポン」
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▪︎あの「無印良品」が提供している「ローカルニッポン」というサイトがあります。そのなかに、参加している総合地球環境学研究所のプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」でお世話になっている、滋賀県甲賀市甲賀町小佐治のことが取り上げられました。小佐治のコミュニティビジネスや環境保全の取り組みが紹介されています。そのことに加えて、私たちの研究プロジェクトのことも。リーダーの奥田さんと私がインタビューを受けて、そのコメントが文章になっています。事実関係で少し違うところもありますが…丁寧に記事にしていただき恐縮しています。ただし、酔っ払いのおじさんのような私の写真も載っています。これは、小佐治に開設されたフィールドステーションの、開所式に続く交流会の時に撮っていただいたものです。私は、焼きそば担当で、暑い鉄板の横でビールを飲みながら皆さんのために焼きそばを焼いていたのですが、写真の様子からするとかなりアルコールが効いていますかね…。