ドキュメンタリー映画「カレーライスを一から作る」
■食事の前に「いただきます」と言いますね。私自身は、そういう習慣を随分前に無くしてしまっています。幼い頃、「いただきます」の意味を、料理を作ってくれた方、その食材を作ってくれた方、採って/獲ってきてくれた方、そういう方達への感謝の気持ちを表すことなのだと聞きました。道徳的な教育の一環でしょうか。しかし本来的な意味は、動物や魚、そして野菜の命を、私が生きていくために犠牲にする、自分の命に変えていく。そのことへの深い感謝の気持ちなんだと言います。この映画は、そのような「命をいただく」ことを実践した学生たちのドキュメンタリーです。
■このドキュメンタリー映画に登場する関野さんは、私がとても尊敬する探検家です。アマゾンの探検、そして「アフリカに誕生した人類がユーラシア大陸を通ってアメリカ大陸にまで拡散していった約5万3千キロの行程を、自らの脚力と腕力だけをたよりに遡行する旅『グレートジャーニー』」に取り組まれたことでも有名です。その関野さんは、現在、武蔵野美術大学で文化人類学を講義されています。以下は、この映画の内容です。公式サイトからの引用です。
そんな関野が2015年に始めたのが、「カレーライスを一から作ってみる」という試み。野菜や米、肉、スパイスなどの材料をすべて一から育てるというこの途方もない計画に、学生たちと取り組んだ。
この映画は、種植えからカレーライスが出来上がるまでの9か月間の記録である。
「カレーライスを一から作る」。
関野の狙いは、「モノの原点がどうなっているかを探していくと社会が見えてくる。学生たちにはカレー作りを通して色々なことに“気づいて”もらいたい」ということ。
集まった数十人の学生たちは、知らないことや慣れないことばかりの現実に悪戦苦闘しながらも、野菜や米、家畜を一から育てていく。思っていたよりも生育が遅い野菜を見て「化学肥料を使ってもいいのではないか」「いや、使うべきではない」と意見が分かれたり、一所懸命育てるうちに鶏に愛着がわいてしまい、「殺すのを止めよう」「いや最初から食べるために飼ったのだから屠るべきだ」と議論が巻き起こったり…。
これは「命を食べて生きる」という、人間にとってごく当たり前で、基本的な営みを見つめ直すドキュメンタリー映画である。
■関野さんが探検を通して私達が暮らす現代社会の抱える問題について考えてこられた方です。その関野さんはこう考えます。「モノの原点がどうなっているかを探していくと社会が見えてくる。学生たちにはカレー作りを通して色々なことに“気づいて”もらいたい」。現代社会で私たちは、様々や制度や技術が複合した複雑なシステムに包まれて生きています。「モノの原点」が見えません。もしその「モノの原点」を確認すると、自分たちの生きること、そして存在することの原点も見えてくるかもしれません。
■予告編の動画の中で、ある学生が「われわれは命について勉強してるいのに、飼育している鳥を殺してもいいのか?」と問題提起をしますが、関野さんは「食べるために飼ったんだよ」と一言。動画の最後では、1人の女子学生が「人って残酷でよくわからない生き物だな」と言っています。そうですね。鳥が肉になってしまうと平気に食べられるのにね。本当に。しかし、それでも生きていかねばならない。人間とはそういう存在です。そういう自分を直視することは、辛いですけど。おそらくこのドキュメンター映画の学生たちは、「いただきます」の言葉の本当の意味を、心の底から、体の芯から理解できるのではないでしょうか。関西でも上映されるようです。4月以降であれば、色々忙しい仕事が終わっているので観にいくことができそうです。
檸檬
■今年の3月に大津市に転居しました。大津市の湖西の丘陵地に自宅があります。いわゆる新興住宅地なのですが、所々に家が建っていない空き地があります。住宅地が造成される際に、元々の農家の地主さんに分配されたものと聞いています。だからでしょうか、その様な空き地の多くは畑になっています。とりあえず畑として利用して、まとまった現金が必要になった時に売却する…ため、あるいは子どもや孫に住宅が必要になった時のためにそうやって土地を保有されているのかもしれません。自宅近くの空き地には、野菜ではなく様々な種類の柑橘類が植えられています。ちゃんと手入れをされている様で、どの種類も立派に実が成っています。写真は、そのうちの一本。レモンだと思います。道路から手を伸ばせば取れるところにあります。もちろん、人様のものですから取りはしませんけれど。
■ところで、漢字の「檸檬」は読めてもきちんと書けと言われると一瞬戸惑うわけです。確認すると、木偏に丁寧の「寧」、木偏に啓蒙の「蒙」。簡単なんですけどね。そう思っていると、連想ゲームの様にiPadを使って梶井基次郎の「檸檬」(青空文庫)を読みたくなってきました。大学生の時に、おそらくは40年近く前に読んでいると思うのですが、あまりよく記憶していません。読んで見て、「こんな出だしだったかな」と思いました。この小説に登場する美しい黄色いレモンは、主人公の「妄想」の中では京都の丸善書店を「粉葉みじん」にする爆弾でもあります。この辺りは、しっかり記憶にある。でも、読後感は当時と今とではまったく違うな…という感じです。おそらく、若い頃の自分には、この梶井基次郎が置かれた状況がよくわからなかったんだと思います。そういう意味では、「死」を気にすることもなく、脳天気に生きていたわけで、青年らしく健康だったのだなと思っています。
■というのも、梶井基次郎は幼い頃から病気に苦しんできました。自分だけでなく、弟は脊椎カリエス、兄も結核性リンパ腺炎という病気になっています。基次郎は学生の頃は、重い結核に罹っていました。今すぐに死ぬわけでは無いけれど、常に命を脅かされるような感覚のもとで生きていたのでした。「檸檬」(青空文庫)の冒頭部分は、そのような元次郎の落ち着かない、身の置き所のないような不安を表現しています。
えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧おさえつけていた。焦躁しょうそうと言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔ふつかよいがあるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した肺尖はいせんカタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪いたたまらずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。
■医学が進歩した現在ではなかなか想像しにくいわけですが、「檸檬」が発行された1931年頃の平均寿命は45歳前後かと思います。今だと薬で治すことができる病気でも、当時だと死につながることがよくありました。結核はその代表のような病気です。薬による治療法が確立する以前は「不治の病」と呼ばれていました。実際、梶井元次郎はその結核で31歳で亡くなりました。当時は、「死」が日常生活の中にさりげなく存在していました。現代社会は、「死の不可視化」が進んでいます。人びとが死を感じるのは、リアルな現実の「死」ではなく、映画やテレビの中で演出された作り物の「死」となってしまいます。それは、人びとの好奇心の対象でしかありません。そのことを「死のポルノ化」という人がいます。そのような「死の不可視化」と「死のポルノ化」の中で、人びとはリアルな死を感じることができません。梶井基次郎の時代と今とでは、「死生観」に大きな差があるように思います。
■話しは変わります。『檸檬』や梶井基次郎とは関係のないことですが…。年末が近づくこの季節になると、自宅には喪中の葉書がたくさん届くようになります。喪中の葉書の枚数は年々増えて生きます。自分自身が歳を取っているからです。こうやって喪中の葉書をいただくと、人生の最後の瞬間に向かうための整理券をいただいているような気持ちにもなります。しっかり考えなくてはいけません。少し厳しい気持ちになります。そのような喪中の葉書なのですが、その中でも表現が難しいのですが、「素敵だな…」と思う葉書がありました。前の職場で大変お世話になった先生からの葉書でした。先生ご自身は、今年で82歳になられます。お元気です。今回の喪中の葉書では、その先生の奥様のお母様が亡くなられたことを知りました。もちろん、お会いしたことはありません。享年104歳なのだそうです。大変なご長寿ですね。しかも、ご自身のお誕生日にお亡くなりになったというのです。葉書には、「お祝いのお花やカードに囲まれて静かに息をひきとりました」と書いてありました。よくわかっていないのに、勝手なことを言うべきではないとは思いますが、それでも、お母様は幸せな最期を過ごされたのではないか、そのように思いました。幸せな気持ちとともに、静かに、眠るように亡くなられたように想像しました。
————————
■数日前から、ブログの調子が悪くなりました。ご迷惑をお掛けしますが、しばらくお待ちください。原因がわかりました。
■このエントリーのタイトルをクリックしてください。右側の下の方に「Last 10 entries」とありますので、そこから最近の記事をご覧ください。また、「Archives」からも過去の記事をご覧いただけます。操作を誤り「Categories」も消去してしまっています。ですので、古い記事の「Categories」は、内容とは一致していません。また、再構築する必要が出てきました。のんびりやっていきますので、おつきあいください。
高橋卓志先生のコラム
■高橋卓志先生は、長野県松本市の郊外にある神宮寺の住職をされています。人の死生に関わる様々な社会的活動に取り組まれてきました。先生が執筆された岩波新書『寺よ、変われ!』は、次のように紹介されています。「日本の寺は、いまや死にかけている。形骸化した葬儀・法事のあり方を改めるだけでなく、さまざまな『苦』を抱えて生きる人々を支える拠点となるべきではないか。『いのち』と向き合って幅広い社会活動や文化行事を重ね、地域の高齢者福祉の場づくりにも努めてきた僧侶が、その実践を語り、コンビニの倍、八万余もある寺の変革を訴える」。高橋先生は、龍谷大学の客員教授もされており、本学の大学院・実践真宗学科でも講義をされています。以下は、高橋先生の講演録です。「お寺の力が地域社会を変える ―生と死に向き合うコミュニティ・ケア―」。この講演録からも、高橋先生のお考えがよく理解できるのではないかと思います。
■ところで、今朝、facebookをみると、「昨年の今日、あなたはこんな記事を投稿されていますよ」との通知がありました。これは、facebookがユーザーに提供しているサービスの一つです。昨年の今日、私は、高橋先生の投稿をシェアさせていただいていました。高橋先生は、ご自身が新聞に連載されているコラム「四苦抜苦」をfacebookに投稿されており、私は、それを毎回楽しみに拝読しています。昨年の今日、facebookに投稿されたコラムは「ボゥズがシタイを運んでる〜」です。このコラムの最後には、以下のように書かれています。すごく大切なことを書かれていると思いました。
しかしぼくは遺族と一緒に遺体を運ぶことを重要な仕事と捉えている。なぜなら生きるための戦いを終息させた直後の身体の重みや生暖かさに、そのひとの生命の名残が強く感じられるからだ。遺族の悲しみはそれらの名残に触れることで増していく。だが遺族が死へのプロセスと現実の死を肌で感じ、死に向き合い始めるのがこの段階なのである。その大切な「時」の共有をぼくは坊さんとして手放したくない。納得の葬儀はボゥズのぼくがシタイを運ぶことから始まると思うからだ。
■私たちの社会には、人が此岸から彼岸へ移っていく「人の一生で一番重要な瞬間」を「トータルに支える仕組み」がありません。現実には、さまざまな専門家が、お金と引き換えに様々なサービスを提供していますが、「トータル」には支えていません。そのような専門家とは、医療関係者、福祉関係者、宗教者、葬儀産業の関係者…といった人たちのことですが、それぞれに分業化し、機能分化し、「業界」が独自の論理や制度で動くようになっています。「人の一生で一番重要な瞬間」が、専門化されたシステムによって分断されている…私にはそのように思えてなりません。人の死とは、死んでいく人と、その人が死んだ後に遺族と呼ばれる人たち、すなわち死に行く人と親密圏の内にある人たちとの関係が、変容していくことでもあります。そのような関係の変容は点としての時間ではなく、幅を持った時間として経験されます。本来であれば、介護、看病、看取り、葬儀…そういった段階が、シームレスに繋がっている必要があると思うのです。
NHKクローズアップ現代「“穏やかな死”を迎えたい~医療と宗教 新たな試み~」
■細かな議論は別にして、とても大切なことだと思います。なおかつ、とても関心があることでもあります。
NHKクローズアップ現代「“穏やかな死”を迎えたい~医療と宗教 新たな試み~」
“最期のとき”をどう決める~“終末期鎮静”めぐる葛藤~(NHKクローズアップ現代)
▪︎1月19日(火)に放送されたNHKの「クローズアップ現代」のテーマは、「“最期のとき”をどう決める~“終末期鎮静”めぐる葛藤~」でした。強い関心をもっているテーマなのですが、仕事の関係で、この時間帯に家でテレビを視ることができません。しかし、この「クローズアップ現代」の公式サイトでは、すでに放送した内容を、そのまま文字で読むことのできるサービス「放送まるごとチェック!」を提供しています。皆さんも、ぜひ、こちらをまずはお読みください。以下は、番組の紹介文です。
いま、在宅で療養する末期のがん患者に、「終末期鎮静」という新たな医療が静かに広がっている。耐えがたい苦痛を取り除くために鎮静剤で意識を落とし、眠ったまま最期を迎えるというものだ。最新の調査では、在宅で亡くなったがん患者の7人に1人に行われていたことがわかった。自分の意志で、眠ったまま苦しむことなく死を迎える患者。その一方で、遺族の中には、「“終末期鎮静”に同意したことで、患者の人生を終わらせてしまったのではないか」と悩んだり、罪悪感にさいなまれたりする人もいる。自宅で最期を迎えるがん患者が増える中、終末期の医療はどうあるべきか、考える。
▪︎この「放送まるごとチェック!」を通勤電車のなかで読んで、涙が出てきて困りました。番組に登場された末期ガン患者の男性と奥様とのやり取りを読んだときです。ご本人や奥様やご家族も、「終末期鎮静」という選択をして良かったとお考えのようです。しかし、すべての方達がそのように思えるわけではないようです。このような「終末期鎮静」が、「積極的安楽死」とほとんど違わないと考える人もおられるからです。非常に、難しい問題です。医学だけではこのような困難に対応することができません。番組のなかでは、日本在宅ホスピス協会会長であり、医師・僧侶でもある小笠原文雄さんが、次のように述べておられます。
われわれは患者さんにエネルギーの5割ぐらいを、そしてご家族の方にも5割ぐらい、要するに患者さんだけでなくて、家族がお疲れになると、患者さんも疲れた家族の顔を見たくないもんですから、どんどん痛みも悪くなってしまいますので、どうしてもよくない負の連鎖が始まってしまいますから、患者さんとご家族と、両方きちんとケアをしないといけないところは、なかなか両方ケアするのは大変なこともあるものですから、難しい点もあるのかなと思いますよね。
(そういうことから終末期鎮静が選択されてしまう?)
そうですね。
ケアをするためには看護師さんとか、多職種みんなで、大勢の方でケアをしないとうまくいかないことが多いもんですから、最終的には、終末期鎮静にまでなってしまうケースもあるんだなあという、そういう感じがしてます。
▪︎できれば、ご家族も、医師も、「終末期鎮静」という選択をせずに、患者さんに与えられた命を全うして、「生ききって」ほしいと願っていると思いますが、終末期のケアは大変難しいわけです。身体の痛みと心の痛みは連動しているのです。苦しみ方が変わってくるのだそうです。
痛みはやっぱり、心の痛み、これが大事なんです。
心っていうか、精神的な痛み。
いわゆる在宅ホスピス緩和ケアというのを提供してるんですが、ホスピスというのは命、生き方、死に方、みとりの哲学、考え方です。
そして緩和ケアの「緩和」は苦しみを和らげること、「ケア」とは生きる力、希望が出ること、だから心のケアをするだけでかなり痛みの感じ方が変わってくる、苦しみの感じ方が変わってくる。
▪︎このような心のケアの問題は、医学や医療の領域を超える問題です。私は、広い意味での(特定の教団や宗派等にとらわれない)宗教的な支えが必要だと思っています。いずれやってくる最期を、意味のあるものとしてご本人とご家族が共に受け入れるためには、小笠原さんが述べておられたように、「多職種みんなで、大勢の方でケアをしないと」いけません。その「みんなで」の中には、患者さんの最期を意味の側面から支える専門家の存在、すなわち宗教的に支える専門家の存在が必要になると思っています。言い換えれば、生と死の境界を「通過」していくことを支える専門家の存在ですね。では、そのような専門家の支えも含めて、個々の患者さんにとって必要な精神的なセーフティネットを、どのようにすれば構築していけるのでしょうか。私の父は末期の肺癌で苦しんで亡くなりました。父を看取りました。そのとき、現代社会では人の死を扱う様々な専門家が分業化しており、人の死の苦しみをトータルに扱えないことを痛感しました。
▪︎生から死へ、その境界どのように通過していくのか。安心して死に向かうためには、自分のなかに、しっかりとした死に向かうためのイメージが必要になるでしょう。もちろん、よく言われてきていることですが、周りの方たちと最期のことについて語りあっておくことが必要になるでしょう。この世に未練を残していると、非常に辛いと思います。まだ健康なときから、そのような準備を重ねていかなければならないわけです。大変な時代になりました。私の知人のお爺様は、ご家族に「ほな寝まっさ」といっていつものように布団で休まれましたが、朝には亡くなっておられました。大往生です。素晴らしいと思います。誰しもが、自宅で、家族に見守られつつ、眠るように、安心して苦しまずに死んでいきたいと思うでしょうね。また、ご家族の皆さんも、亡くなった方が命を全うされたと、当たり前のように受け止められると思います。しかし、現代社会では、そのような大往生は非常に困難になっているように思います。
樹木希林さんの死生観
■今月の1月5日の新聞に、出版社である「宝島社」の2016年の企業広告が掲載されました。新聞の見開きという大きさもさることながら、そこに癌の治療をしながら女優を続けてこられた樹木希林さんが登場され、ご自身の「死生観」を表明されていることから、話題になりました。
■上の写真は、樹木希林さんの広告(朝日新聞)。下は、その題材となったミレーが描いた絵画です(wikimediacommonsより)。シェークスピアの「ハムレット」に登場するオフィーリアです。絵画については全く知識がありません。調べてみました。このミレーの作品は、オフィーリアがデンマークの川で溺れて死ぬ前に歌を口ずさんだ、そのシーンを描いたもののようです。樹木希林さんは、このオフィーリアを演じているのです。つまり、もうじき死ぬことを前提にしている…ということにななります。そう考えると、この「宝島社」の広告に書かれた文章の意味もよくわかります。
「死ぬ時ぐらい 好きにさせてよ」
人は必ず死ぬというのに。
長生きを叶える技術ばかりが進化して
なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう。
死を疎むことなく、死を焦ることもなく。
ひとつひとつの欲を手放して、
身じまいをしていきたいと思うのです。
人は死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く塵になりたい。
それが、私の最後の欲なのです。
■樹木希林さんは、死を自分の日常生活の延長線上で受け止めようとされているかのようです。樹木希林さんもいうとおり、医療の技術的進歩により、人は、なかなか「死ねない」時代になりました。それに加えて、私たちの現代社会は死を「不可視化」させます。死を「隠蔽」しようとします。そして「生」ばかりを煽ります。「欲」を捨て切れません。「欲」を媒介に「生」ばかりにこだわると、「生」から「死」への移行が非常に困難になります。樹木希林さんは、生きている時から「生」と「死」の間にある境界をきちんと乗り越えるための準備をされています。それを樹木希林さんは、ひとつひとつ欲を手放すことだと言います。欲は、生への執着と関連しています。ただ、こうも言っておられます。「人は死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く塵になりたい。それが、私の最後の欲なのです」。
■これは欲と言うよりも、境界を超えた向こうにある「死」にスムースに移行するための、心に深く位置付けられたイメージようなものなのだと思います。「生」と「死」は連続しています。「生」の最期の瞬間に、すぐに到来する「死」を先取りできていないといけません。そのような意味での心の「羅針盤」が必要になります。「私」という存在は、この「地球」から生まれ、「地球」は宇宙の「塵」から生まれてきたのですから、また「私」もその「塵」に還っていくのです…樹木希林さんがおっしゃっていることは、そのような大きな宇宙的・神話的な循環のイメージでしょうか。おそらくは、樹木希林さんの場合は、そのようなイメージが、「身体」の感覚の一部になるほど深く身についておられるのかもしれません。表面的なところで「理屈」として理解したとしても、「生」と「死」の間にある境界を超えることはなかなか困難です。「境界などないのだ。両者は連続しているのだ。そのことを普通に経験するのだ」という強いイメージを持つことはなかなかできません。そのために、人類は、様々な宗教的な文化的な装置を作り出してきたのではないか、私のそう思うのです。にもかかわらず、そのイメージを実感することが困難な時代や社会に、今私たちは生きているのです。
■浄土真宗の僧侶の方とお話しをしたことがあります。私の職場には、僧籍をお持ちの方が多数働いておられますが、普段、浄土真宗の教えや死生観についてお話しを聞かせていただくことは、ほとんどありません。酒席でお隣りになったとき、たまたま偶然にそのようなお話しを聞かせていただくチャンスが生まれました。お話しの中では、お父様もお母様も、死ぬ時には苦しまれなかったということをお聞かせくださいました。それは、「お聴聞を繰り返してきたからだ」というのがその方の説明でした。浄土へとお連れくださる阿弥陀如来への感謝の気持ちを深く身体化していく、浄土真宗の教えを「理屈」だけではなく「身体」の感覚のレベルまで深く受け止めていたから…そのように私は感じ取りました。私は、樹木希林さんの「せめて美しく輝く塵になりたい」という言葉を読みながら、ふとこのようなことを思い出しました。
孤独死現場処理業者
▪︎Facebookで教えていただいた記事です。記事のタイトルは「世界でもっとも物悲しい仕事として海外で報じられている「日本の孤独死現場清掃処理業者」。アパートで孤独死した85歳の男性。死後1ヶ月後に発見されたといいます。記事中には「隣人は老人の不在には気がつかなかったという。家賃は銀行口座からの引き落としで、家族が訪問することもなかった。ようやく遺体が発見されたのは、下の階の住人から変な臭いがすると苦情があったからだ」とあります。朝起きて、この記事のことを知りました。世の中には、こういうお仕事をされている方達がおられること。それが仕事として成立していること。こういう方達がいて救われる方達が多数おられること。そもそも、救われるってどういうことなのか…などと、いろいろ考えました。
孤独死現場処理業者
▪︎阪神淡路大震災以降、孤独死という言葉をたびたび聞くようになりました。NHKスペシャル『無縁社会~“無縁死” 3万2千人の衝撃~』により「無縁社会」という言葉が広がるとともに、一層、この「孤独死」や「無縁死」という言葉が広まっていったように思います。あくまで個人的な印象ですが…。いろんな書籍が出ています。比較的最近のものを、amazonでざっと拾ってみました。
『孤独死のリアル』 (結城康博、講談社現代新書)
『孤独死なんてあたりまえだ』(持丸文雄、文芸社)
『孤独死の作法』 (市川愛、ベスト新書)
『孤独死の看取り』(嶋守さやか、新評論)
『孤独死―被災地で考える人間の復興』(額田勲、岩波書店)
『ひとりで死んでも孤独じゃない―「自立死」先進国アメリカ』(矢部 武、新潮新書)
『孤独死を防ぐ―支援の実際と政策の動向』(中沢卓実・結城 康博、ミネルヴァ書房 )
『孤独死のすすめ』(新谷忠彦、幻冬舎ルネッサンス新書)
『しがみつかない死に方』(香山リカ、角川oneテーマ21)
『人はひとりで死ぬ―「無縁社会」を生きるために』(島田裕巳、NHK出版新書)
『無縁社会から有縁社会へ』(島薗進 他、水曜社)
▪︎私はこれらの本を読んでいるわけではありません。本の内容の紹介やカスタマーレビューを読んで推測しただけなのですが、「孤独死」や「無縁死」をどのようにとらえるのか、その前提となっている考え方に違いがみられるように思います。極論すれば、ひとつは、「孤独死」や「無縁死」を否定的なこととして捉え、そのような「死」をいかに防いでいけばよいのかという立場。もうひとつは、「孤独死」や「無縁死」を否定的なことだという考え方に疑問を提示し、「孤独死」や「無縁死」を生み出した社会構造や親密圏の変化や、その趨勢を前提に、むしろ「孤独死」や「無縁死」をどのように社会に受け止めていくのかという立場です。お断りをしておきますが、あくまで推測です。「孤独死」や「無縁死」、非常に重要な問題だと常々思っています。「孤独死」・「無縁死」した人に関わった人たちは様々なことを思い、それを語ることができます。しかし、「孤独死」・「無縁死」をした人たち自身は語ることができません。「孤独死」・「無縁死」とは、どのような経験なのでしょうか(経験と呼ぶことに問題があるかもしれません…)。そもそも、「孤独死」や「無縁死」だけでなく、「死」という現象は誰のものなのでしょうか。はたして「死」は個人に帰属するのでしょうか。難しい問題ですが、多くの人びとと、考えていかなくてはいけない問題のように思います。
【追記】▪︎NHKスペシャル『無縁社会~“無縁死” 3万2千人の衝撃~』の取材にあたったNHK記者・池田誠一さんの講演会の内容が、以下で紹介されています。引用は、最後の部分です。
取材を続けていく中で「家族のつながりが薄れている」という事実が浮き彫りになった。今、この日本で何が起きているのか。どうなっているのか。処方せんのようなものがあるのか。取材を続けているものの、いまだに分からないままだ。
介護保険制度がスタートして10年以上が経過した。しかし身内に困った人がいても「介護保険を利用すればいいでしょう」「あなたたちにお任せします」などといって、行政にすべてを委ねる人が増えてきているのではないだろうか。
救急病院のソーシャルワーカーとして、30年ほど務めている人はこのように言っていた。「10年ほど前であれば、身内に厄介扱いされている人がいても、『しょうがないわね』と言って引き受けてくれる人がいた。しかし今ではそうした人がほとんどいなくなった」と。
臨床宗教師
■昨晩は、偶然ですが、テレビをみました。NHKの【ETV特集】「臨床宗教師〜限られた命とともに〜」です。たまたま、リビングにいくと、亡くなった岡部先生が登場されていました。「あっ!!」と思って立ち止り、番組を続けてみることにしました。この番組を視ていた妻も、「きっと関心をもつ内容だと思う」ともいってくれました。以下は、番組の公式サイトからの引用です。
がんを患い、余命10か月の宣告を受けた男性が、自分の人生を振り返り、楽しかったこと、つらかったこと、さまざまな思い出を語っています。 傍らに寄り添い、耳を傾けているのは、「臨床宗教師」です。 臨床宗教師とは、在宅緩和医療を専門とする医師が、その必要性を訴え始まった新しい試みです。東北大学では2012年から臨床宗教師を養成する講座が始まりました。医療の現場で、医師や看護師と連携しながら、医療者とは違う立場で患者を支えます。
高橋悦堂さんは、臨床宗教師として活動を始めたばかりの、34歳の若き僧侶です。宮城県にある寺の長男として生まれ、現在は副住職を勤めますが、通夜や葬儀の場には何度も立ち会ったことはあるものの、人の死に触れた経験はほとんどありません。そんな悦堂さんが、命の終わりを前にさまざまな思いを抱える人たちに出会います。工場を経営してきた男性は、仕事に対する誇りを語ります。末期のがんが見つかった男性は、やり場のない怒りや死への恐怖をにじませます。10年以上の闘病生活を続ける人は、つらさ、苦しさを口にしながら、自分が亡くなったあとの家族を心配していました。
「三途の川の向こうで、死んだ両親がにこにこと手を振ってたんですよ」
そういった男性は、10日後に亡くなります。
悦堂さんは、時に戸惑い、時に言葉を失いながら、懸命に寄り添い続けます。みずからの命の終わりを知った人は、その時を迎えるまでの時間、何を語り、悦堂さんはそれをいかに受け止めるのでしょうか。むき出しの魂と向き合い続ける、臨床宗教師の姿を追いました。
■この番組をみて一番印象を強くもったことは、高橋悦堂さんが、本当に悩んでおられることです。死に向かう人、自分が死に向かっていることを自覚している人、真っ暗な暗闇に吸い込まれていくような不安や恐怖に苦しんでいる人、そういう方に、お若い高橋さんが一生懸命に向き合おうとされていることです。上記の番組の紹介のなかには、「むき出しの魂と向き合い続ける」と書いてあります。ただひたすら話しを聞き、受け止める。これは、とても大変なことです。もっと書きたいことがあるのですが、ちょっと、なかなか難しいです。再放送も予定されています。また、拝見したいと思います。12月6日(土)午前0時00分(金曜日深夜)から再放送されます。皆さんも、ぜひご覧ください。
【関連エントリー】
『「富山型」デイサービスの日々 笑顔の大家族このゆびとーまれ』
NHKスペシャル「終(つい)の住処(すみか)はどこに 老人漂流社会」
お葬式に参列して
■妻方の親戚のお葬式に参列しました。お葬式に対する感じ方、年々、違ってきているなあ…と思いました。死をみつめることは、今の生をしっかり生きることの前提であり出発点でもある…年を取ると、自然とそのようなな考え方が強まってきました。死を終着点ではなく通過点としてイメージすることも大切かなと思います。
■今日は、妻方の親戚のお葬式があり、大阪の葬祭場まで、妻、妻の母(義母)の3人で参列してきました。亡くなられた方には、ひょっとすると親戚の結婚式のときにお会いしただけなのかもしれません。こういう遠い親戚のばあい、最近は、参列しない人のほうが多いのかもしれませんが、なぜか参列させていただこうという気持ちになりました。
■その親戚の男性は、82歳でお亡くなりになりました。天寿を全うされたと思います。何人ものご弟さんやお姉さんが参列されていました。現在、家族の規模はどんどん縮小していますから、近い将来、このようにたくさんの兄弟姉妹が故人をみおくるということは無くなるのではないかと思います。葬儀は、その時代ごとの家族のあり方や死生観と大きく関係しています。近年は、家族だけで葬儀を行う家族葬、お通夜をおこなわない一日葬、そして火葬のみの直葬もおこなわれるようになりました。その善し悪しについては、様々な議論があるところですが、お葬式はどうなっていくのでしょうか。これは、日本人の生き方に関わるけれど、みえにくい、社会の根底にところに潜んでいる切実な問題だと思っています。
■お葬式だけではありません。今は、墓の問題も深刻です。先日のNHK「クローズアップ現代」のテーマは、「墓が捨てられる~無縁化の先に何が~」というものでした。「全国各地で墓石の不法投棄が相次いで」おり、「その背景には、お参りする人がいないいわゆる無縁墓の急増が」あるというのです。そして、「過疎化の進む地方から始まった墓の無縁化が、今、都会でも急速に広がり始めて」いるというのです。詳しくは、こちらをご覧ください。現在は、先祖伝来の土地で生涯暮らすわけではありません。子どもの世代は、遠く離れたところに住んでいます。祖父母のことを孫たちはよく知らない…物理的にも心理的にも世代を超えた家族の関係は希薄にならざるをえません。そのような状況のなかで、墓の無縁化が進んでいるのでしょう。
■番組のなかで、宗教学者の山折哲雄さんは、以下のように説明されています。
これは戦前からずっと、日本人の宗教の一つの中心をなしていたのは、『家の宗教』としての先祖崇拝でした。これがガタガタと崩れ始めた、その結果とも言えるかもしれません。従来の伝統的な家制度の中で作られたお墓信仰は崩れざるを得ない、魂の行方を信じることができない。現代人がそうですよね、私もそうだ。誰も思わなくなってしまったとすれば、自分の死後の問題をどうするか、葬儀の問題をどうするかという問題に直面しているということです。ある意味ではジレンマの時期に今さしかかっていると思います。
■昔は、死んだ後のあとのことは、子どもや子孫が面倒をみて、きちんと供養するのがあたりまえでした。ある意味で義務でした。しかし、今は、生きているあいだに自分が死んだあとのことを考えなくてはいけません。番組のなかでは、本人の希望どおりに死後の手続きを勧めてくれるNPO法人と契約されたご夫婦が登場されます。ご夫婦は墓もつくりません。以前、家族社会学者の山田昌弘さんが、もう5年ほど前のことでしょうか、日本社会学会の学会誌で「家族の個人化」と「家族の『本質的』個人化」について論文を書かれていました。私は、そのような「家族の『本質的』個人化」と、このエントリーで取り上げているような問題が関連していると考えています(こりのエントリーでは、個人化については説明しませんが)。死後のことを、自己責任で考えねばならない時代がやってきているのです。
■このような問題は、ひとつ上の世代ではなく、まさに私たちの世代の問題なのです(私は56歳ですが)。死んだあとのことをどうするのか…そのことを今から考えねばなりません。問題は、このこと以外にもあるように思います。まわりの同世代は、しばらく先に定年を迎えます。「残りの人生」をどう充実させていくのかということを真剣に考え始めています(そして、どう生きていくのかも…)。もちろんそれは大切なことなのですが、今の「生」をしっかり生きることの前提や出発的には、「死」をしっかりみつめることが必要だ…そのように思います。「生」を煽る現代社会において、「死」をみつめることは非常に難しい。みつめるためには、「死」を終着点ではなく通過点としてリアルに「イメージ」することも大切かなと思っています(山折哲男さんのいう「魂の行方」)。「死」をみつめ「死」を通過点としてイメージする。私も含めて、一人一人にとって大きな課題なんじゃないのか…個人的にはそう思っています。
権利だけの話しなのか…
■ちょっとした偶然から、2つの動画を視ることになりました。難しい。
米 29歳末期がん患者、「安楽死する」と公表
スイス 自殺幇助サービス(2010)
■「個人」の「権利」の問題に還元してしまうことに、死を「個」の問題に限定してしまうことに、どうもしっくりこないものを感じます。いろいろ書こうと思いましたが、まだまだ不勉強なので…。いいがげんなことを書いてしまうのではないかと思い、本文を書くこと、途中でやめて削除しました。