2013年度脇田ゼミ「卒論発表会」
■私は、2004年に龍谷大学社会学部社会学科に赴任しましたので、始めての卒業生を送り出したのが、2006年春になります。2013年3月卒業の8期生まであわせると、112名が巣立っていったことになります。今年も、9期生9名が卒業する時期が近付いてきました。しかし、卒業するためには、卒業論文を書きあげて合格しなければなりません。今日は、その9期生の卒業論文発表会がありました。以下が、9期生の卒業論文の題目です。
臼杵寛将:「都市農業におけるエコ農産物に関する取組み-大阪府松原市の”まったら愛っ娘”を事例として-」
北川大介:「町並み保全と甦る伝統工芸-滋賀県日野町の事例をもとに-」
中村曜:「集落営農における農地保全と地域再生-滋賀県甲賀市の農業組合法人の事例をもとに-」
枡田明弘:「ウェルネスとし加古川にみる街づくり-加古川ツーデーマーチの事例をもとに-」
安平昂志:「農村女性によるコミュニティビジネス-滋賀県大津市『ほっとすていしょん比良』の事例をもとに-」
山田陽平:「村の組織運営と祭り-滋賀県大津市北船路の事例をもとに-」
山根一伯:「大都市に位置する商店街の課題」
井上まどか:「交流の場としての直売所-京都府京田辺市普賢寺地域ふれあいの駅の事例をもとに-」
松見詩織:「地場産学校給食から広がる地域のつながり-小浜市立内外海小学校の事例をもとに-」
■私はゼミ運営の最終的な目標を、「ここまでやったぞ!」と自分で納得のいく卒業論文を執筆し、自信をもって卒業していくことにおいています。ですから、卒論指導は時間をかけて丁寧におこないます。個別面談を重視します。また、どのようなテーマであるにしろ、フィールドワークにもとづく実証的な事例研究(ケーススタディ)により卒業論文を執筆してもらうことにしています。もちろん、個別面談を通して指導・支援しますが、基本的には、自分自身の力で調査をしなくてはいけません。必然的に、ゼミ生にとっては、卒論は「大きな壁」になります。この「大きな壁」を乗り越えてもらうことで、各自に成長してもらうことが私の教育のねらいでもあります。
■さて、9期生はどうだったでしょうか。もちろん評価に関してここに書くわけにはいきませんが、多くのゼミ生は「もっと早い時期から、卒論に取り組んでおけばよかった」と思っているはずです。先輩たちも毎年、同じことを繰り返し反省しています。私自身も「早めに取り組むように」と口を酸っぱくしていってはいるのですが…。もちろん、きちんと調査をして順調に卒論を提出できたゼミ生もいますが、その一方で「大きな壁」の前にひるんでしまうゼミ生もいます。そうであれば、ステップを踏みながら少しずつ自分が成長していることを実感できるような、そのような工夫も必要かもしれません。
「地域エンパワねっとⅠ」報告会の準備
「地域エンパワねっとⅠ」報告会
メタレベルを強く意識する
■大学院生に指導をするとき、昔、自分が院生時代に読んだ本の話しをすることがあります。たとえば、佐伯胖さんの『認知科学選書10 認知科学の方法』(1986年)です。この本の1章から4章までのところで、佐伯さんは、「メタ理論の吟味」の重要性について述べておられます。そのうち、1章はズバリ「おもしろい研究をするには」です。タテ糸、ヨコ糸、ナナメ糸という比喩的な表現を使いながら説明されています。少しだけ紹介しましょう。
■タテ糸とは、「それぞれの研究テーマに関する過去から未来へ向けての研究の歴史的な流れ」であり、「過去にどのような人がどのような主張をし、どういう反論を経てどういう変化をしたのか」といったような、「一貫した問題意識と主義主張」の系列のことです。ただし、このタテ糸だけでは研究はおもしろくなりません。そこでヨコ糸です。ヨコ糸とは、「異なる分野での同じような考え方、理論、モデル、主張」のことです。佐伯さんは、このように述べられています。
当面の研究テーマの従来のバラダイムを一応踏襲しながら、その中で、従来研究の発想の限界を飛び越えた、あたらしい研究をはじめるため、他の領域からヨコ糸をはっぱってきてよりあわせる、ということならば、それほど困難なことではない。そういう例はいくつもあるのだが、発表された論文ではヨコ糸は陰に隠されて、読み取ることがむつかしくなっていることが多い。そういう隠れたネタを探り出し、「ははん、発想はあそこから取ったな」ということをあばいてみるのは、自分の研究をすすめるときのよいヒントになる。
■しかし、タテ糸とヨコ糸だけで研究がおもしろくなるわけではありません。佐伯さんは、ナナメ糸が必要だといいます。ナナメ糸とは、「それぞれの時代のそれぞれの考え方に対する『批判』の流れ」です。というのも、「すべての研究は『何かに対する』研究であり、『闘う相手』がいるはず」だからです。
そういう闘う相手をどこまで深く、広く意識した研究であるかによって、その研究の「おもしろさ」がきまるのだといってよいだろう。つまり、対立する仮説や考え方をどこまで徹底して「つぶして」いるか、それが相手にはどこまで深刻な打撃になっているかということが読み取れたとき、人は知的に興奮をおぼえる。
■ナナメ糸とは、「自らの闘う相手=敵手」をどこまで深く認識しているのか…ということと、関係しています。もちろん、「闘う相手=敵手」とは理論的・学説史的なものですが、おわかりいただけますよね。自分が闘う相手が「自明」としている点を、その足元から揺さぶりをかける(深刻な打撃)を与えるには、それなりの鍛錬がいります。自分自身の経験、そしていろいろ指導をしてきた経験からすると、そのような鍛錬ができるようになるのは博士課程(博士後期課程)からなのかなと思います。研究者として自立・自律していくプロセスでこのような能力を獲得する必要があります。言いかえれば、メタレベルを強く意識する必要があるのです。
■学術雑誌の査読や編集作業を長年やってきました。一番困るのは、このメタレベルをきちんと意識できていない論文です。そういう論文は、とりあえず分析っぽいことをしていますが、自分自身で論文の価値をうまく浮かび上がらせることができていません。「ほんで、どないやねん!!」と、ツッコミを入れたくなるのです。一応、冒頭の課題設定の節では、それらしいことを書いてはいるのですが、さっぱり理解できません。そういう論文の多くは、自分が闘う相手=敵手がわかっていないことが多いように思います。闘う相手が設定できても、ピントはずれな議論を展開して、闘う相手に深刻な打撃を与えることができていないばあいもあります。そうすると、結果として、分析の視点は焦点化していきません。これは大変困ったことです。比喩的な言い方をすれば、出汁が効いていない料理のような感じ…とでもいえばよいのでしょうか。
■もうひとつ、困ったことがあります。それは、一見、メタレベルを意識しているようでいながら、それが「借り物」であるばあいです。師匠である先生から学問的なトレーニングを受けるなかで、武道でいうところの「型」を身につけていきます。たしかに、それはメタレベルを認識する力でもあるわけです。「型」を身につけることは、その学問の「流派」の先人たちが蓄積してきた力をみにつけることでもあります。それはそれでよいのですが、下手をすると、そのあたりが無自覚なままになってしまう危険性があります。「型」のもっている「怖さ」も同時に知らなければ、単なる先生の「モノマネ」「サルマネ」のような論文になってしまいます。先生とは、扱う対象や事例が違ってはいても、わかる人が読めば、「モノマネ」「サルマネ」の論文にしか読めないのです。時々こういう話しを聞きます。「あの人たちは、どれを読んでみても、みんな同じようなかんじの論文しか書けないのだね…」と。
■「エピゴーネン」という言葉があります。「先行する顕著な思想や文学・芸術など追随をし、まねをしているだけの人。独創性のない模倣者・追随者を軽蔑していう語」のことです。そこまでいうと言いすぎかもしれませんが、自分自身の力でメタレベルを洞察し整理してほしいのです。とってつけたような学説史の整理や、「またそういう落とし所か…」(メタレベルの金太郎飴)というような感想をもたれてしまう論文は、あまり評価できません。こちらについても比喩的な言い方をすれば、スーパーやコンビニでよく売れている化学調味料で無理矢理まとめた味…という感じでしょうか。残念ながら「おもしろい研究」とは思えません。メタレベルで闘っていない論文は、おもしろくないのです。
■大学院生の指導に関して、次は、論文の構造ということについて書いてみたいと思います。
卒論の提出
■今年のゼミ4年生は人数が少なめです。全員で9人。そのうちの5人が本日、卒業論文を提出するために研究室にやってきました。残りの4名ですが、2人はパソコンルームで原稿のプリントアウトに手間取っていて、約束した集合時間に間に合いませんでした。卒論の提出は、本日から明後日の15時までですので、まだなんとかなりそうです。しかし、提出間際になるとパソコンルームは込み合い、ブリンターも奪い合いの状態になるよといってあったのですが…。そしてさらに残りの2名まだ原稿の修正段階にあります。こちらは、ギリギリになるかもしれません。あれだけ、余裕をもって作業をするように口を酸っぱくしていってきたのに…。
■ということで、そろった5名だけでも一緒に提出しにいこうとしたら…。2名がプリントアウトの書式、文字数と行数指定を間違っていた…ということに気がつき、再度、プリントアウトをしにいきました。もう、プンプン!!…な感じです。
【追記1】■とはいえ、誤解のないように追記しますが…。もちろん余裕をもって原稿を書き、指導もきちんと受けて、全力を出し切ったゼミ生もいるわけです。そのような学生からは、達成感があるのでしょう、満足・納得・御礼のメールが届きました。
【追記2】■書式を間違っていた2名も、無事提出したとの連絡が入りました。安心しました。おそらくは、明日は1名が提出。最終日は3名が提出すると思います。ゼミ全員で、初日に提出しようと約束したのですから、守ってほしかったな…。3年のゼミ生の皆さん。来年は、全員そろって気持ちよく提出しましょう。
【追記3】■さきほど、全員提出できたことを確認しました。ホッとしました。2014年01月09日(木)13時45分。
ゼミ8期生と同窓会
■昨日、1月4日(土)。通常であれば、正月休みの内でしょうが、私は昨日が仕事始めでした。というのも、赤ペンの添削で真っ赤になった卒論の原稿を、4年生に返却することになっていたからです。「なかなか、エエ感じの水準までいっているやん…」という卒論から、「おいおい、あれ程言ったのに、どうして卒論の執筆要項を守れないかね…」というものまで・・・実に出来上がりは様々ですが、とりあえず各自に手渡し、赤ペンをいたれ箇所について、ひとつずつ説明をして修正をお願いしました。残された時間は大変短いわけですが、全力で最後の仕上げをしてほしいと思います。
■卒論指導の後は、京都駅前の居酒屋で、昨年の3月に卒業したばかりのゼミOB・OGの皆さんと同窓会を持ちました。あいにく、すでに予定が入っていたり、体調不良等により参加者は、私も含めて7名てしたが、大いに盛り上がりました。とても楽しかったです。Faecebookに投稿したところ、参加できなかった方たちからもコメントをもらうことができました。ありがとうございました。
■幹事のSさん、いろいろ手配をいただきありがとうございました。引き続き、このような同窓会を持てればと思います。どうか、よろしくお願いいたします。
【追記1】■写真には写っていませんが、広島県で働いているMくんも、この日は参加しました。新幹線の関係で、ちょっと集合写真の撮影には間に合わなかった…。
【追記2】■さびしいので、Mくん(右側)の写真も追加。みんなで広島に遊びにいくよ。
「経験」すること
■ある学生と面談をしていたときのことです。「せんせー、僕の『やる気スイッチ』、どこにあるんですかね。結果がみえていないと、やる気がでないんですよ」。つまり、「こうすれば確実に確かな結果が獲得できる」と保証され、高い確実性が存在しないのであれば、自分は取り組みたくない…ということなのかもしれません。そのことを、自分でも困ったことだと思っており、なんとかしたいとは思ってはいるようなのですが…。私だって「やる気スイッチ」があればなあ…もっとバリバリ仕事をするんだけど…とは思いますが、「結果がみえないと、やる気がでない」というのは…すぐには理解できません。結果がすぐにはみえないから、確実ではないからこそ、そして未知の経験ができるからこそ、逆に、やる気が生まれてくるってこともあると思うからです。最初から結果が見えている…そんな計算可能、予測可能な未来…、それはそれで退屈で辛いことなんじゃないでしょうか(…・と思うのは、おじいさんに近づきつつある、おじさんの言い分でしょうが)。
■いろいろ学生たちと話しをしていて、時々、強く感じることがあります。コスト・ベネフィットを考えるように自分の日々の生き方を選択しているように思うのです。無駄になるかもしれないけれど、汗をかいて頑張って、人に相談をしてお願いをして…そんな面倒なことはできるだけしたくない。要領よく結果だけを獲得したい。そんな発想が見え隠れしているように思うのです。言い換えれば、自分の思うようにならないことは苦痛であり、そのような苦痛は、できるだけ自分の周りから消去したいという願望です。
■今、『民主主義のつくり方』(宇野重規・筑摩選書)という本を読んでいます。このなかで、藤田省三(日本思想史)が取り上げられています。引用してみます。
藤田は『経験の重視と自由の精神とは分ち難い一組みの精神現象』であるという。逆にいえば、経験が失われるとき、自由の精神も失われる。(中略)藤田にとっての経験とは、人と物との相互的交渉である。『物に立ち向かった瞬間に、もう、こちら側のあらかじめ抱いた恣意は、その物の材質や形態から或は抵抗を受け、或は拒否に出会わないわけにはいかない。そしてそこから相互的交渉が始まり、その交渉過程の結果として、人と物との或る確かな関係が形となって実現する』。藤田にとっての経験とは、自分が思うようにはコントロールできない物や事態との遭遇を意味した。その意味では、経験とは自分の恣意性の限界を知ることに等しい。
もし人がすべてを思うままに支配できるならば、そこには経験はない。思うままにはならない物事に対し、それと交渉し、何とか行き詰まりを打開すること、そのような実践こそが、藤田にとって経験の意味するものであった。そして、経験なくして人間の成熟はありえないと藤田は考えた。
自分の思うようにならない物事との交渉は、当然苦痛を伴うものになる。しかし、自分を震撼させるような物事との出逢いを回避するとき、人はすべてを支配できるという幻想に自閉することになる。とはいえ、それは真の意味での「自由」とはほど遠い。「自由の根本的性質は、自分の是認しない考え方の存在を受容するとこにあ」るからである。
(中略)現代社会をますます覆い尽くすようになっているのは、「私たちに少しでも不愉快な感情を起こさせたり苦痛の感覚を与えたりするものは全て一掃して了(しま)いたいとする絶えざる心の動きである」。このような傾きこそが、人々を「経験」から遠ざけると藤田が考えたことはいうまでもない。(中略)経験を拒み、言い換えれば自分に抵抗し拒絶を示すような事態との遭遇を回避し続けるとき、逆説的には人間は自動的な機械の部品にならざるをえなくなっていくと藤田は指摘した。
「今私たちを取り巻いている世界には、もはやそのような基礎経験も、それとの知的交渉を通した知的経験の再生力もない。それだけに、自分だけの『体験』を重視することによって、制度の部品となっている函数的境遇の中での気晴らしと『自分』の存在証明を求めようとする」。いたずに自らの「体験」を誇る言説の氾濫にいらだちながら、それにもかかわらず、「経験」は失われ続けていると藤田は指摘したのである。
■藤田省三の文献をきちんと読んだわけではなく、宇野さんの文章を引用しているだけです。孫引きのような形になりますが、この藤田省三の「経験」という概念は、面談する学生たちの発言の背後にあって無意識のうちに共有されている時代意識のようなものを考えるうえで、大切なことだと改めて思うのです。宇野さんが引用している藤田省三の文献は1980年代から1990年代にかけて書かれたものです。学生からすれば、ずいぶん大昔の話し…のように思えるかもしれませんが、そうではないと思います。藤田が批判的に指摘した状況は、より一層、深く社会のなかで進行しているのではないでしょうか。
■ここで、話しを少しかえます。龍谷大学社会学部の理念は、「現場主義」です。この「現場主義」をどう捉えるのか、教員によって様々だと思いますが、私は上記の藤田のいうところの「経験」を学生たちが積み重ねていくことこそが「現場主義」の教育ではないかと思うのです。私の限られた経験ですが、地域連携型教育プログラムである「大津エンパワねっと」で…、ゼミでおこなっている「北船路米づくり研究会」で…、そして各自の卒論のフィールドワークで、義務感からでもなく、就職に有利だからという功利主義的な考え方からでもなく、それぞれの活動のなかで自分の目の前に生じている事態にきちんと向き合い、「経験」(自分が思うようにはコントロールできない物や事態との遭遇)を蓄積していった学生が結果として成長していくように思うのです。そして、なによりも大切なことは、藤田のいう意味での「自由」に近づいていると思うのです。
【追記】■この『民主主義のつくり方』、勉強になります。この本を、出版社側は、こう紹介しています。
民主主義は今、不信の目にさらされている。決定までに時間がかかり、「民意」は移ろいやすい…。だが、社会の問題を共同で解決する民主主義を手放してしまえば、私たちは無力な存在となる他ない。ならば、この理念を再生させるには何が必要か?「習慣」と「信じようとする権利」を重視する“プラグマティズム型”の民主主義に可能性を見出す本書は、この思想の系譜を辿り直し、日本各地で進行中の多様な実践に焦点を当て、考察を加えてゆく。未来が見通しがたい今、「民主主義のつくり方」を原理的に探究した、希望の書である。
■プラグマティズムに関連して、本書ではチャールズ・テイラーが取り上げられていました。そしてテイラーの「孔だらけの自己」(porous self)と「緩衝材で覆われた自己」(buffered self)という概念、興味深いですね〜。
近代の「緩衝材に覆われた自己」とは、自らの内面に撤退し、そこから世界をうかがい、あるいは操作しようとする存在である。あらゆる意味は自らの内面からのみ生まれるのであって、自分の外部と統御すべき対象でしかない。
学生との面談
■自分の教育方針として、個人面談を大切にしています。今日も、5人の学生と面談をしました。いずれも、卒業論文の指導に関する面談です。まだ、この時期に、指導を受けながら執筆しているゼミたちがいるのです。困ったものです。作業が遅れてしまっているのは、実際に卒論の調査や執筆を経験することなしに、「卒論、やりたくないな〜」、「なんとかなるやろ〜」と先送りしてきたからです。実際には、もちろん、なんともならないのです。残された時間を必死になって取り組むことになるのです。しかし、必死になって取り組むなかで、卒論の調査や執筆の面白さにも触れているのです。これは、ひとつの希望ではあります。
■1人の学生に「フィールドワークせんとあかん厳しいゼミやのに、なんで僕のゼミにきたんや」と聞いたところ、「いつも怠けて先送りする自分をなんとかしたいと思い、ゼミに入りましたが、やっぱり油断して、先送りする癖がまた出でしまいました」というのです。「こんなことなら、もっと早くから取り組んでおけば、もっともっと充実した経験ができただろうに…」と反省しているのでしょうが、残念ながら、もうじっくり指導をしている時間がありません。
■私は、学生との面談の記録をつけています。3・4年生のゼミ生だけでありません。1・2年生との面談も少し入っています。結果として、延べ104人と面談をすることになります。来月も含めると、延べ人数で110人は超えるのではないかと思っています。次の面談は、1月4日になります。赤ペンを入れた原稿を、1人1人の学生に返していきます。その赤ペンを参考に、卒論提出直前の最後修正を加えてもらいます。そして、1月7日(火)に全員揃って、社会学部教務課に提出します。写真は、昨年、ゼミ全員でそろって提出した時のものです。
雪の比良
■本格的に寒くなってきました。普段、自宅のある奈良から京都までは、近鉄を利用しています。そして、京都からは、JRで瀬田までいきます。近鉄で京都に近づくと、比叡山の山頂が薄っすら白くなっているのが見えました。さらに、その北側にみえる山並みは、山頂が真っ白でした。京都からJRに乗り、滋賀県にはいると、すっかり冬景色になっていました。遠くにのぞむ比良山系は、山頂あたりが真っ白になっていました。不思議なものですね。夏場は、湖上の空気も水蒸気を含んで淀んでおり、比良山系もぼんやりとしかみえないのですが、冬になり空気もクッキリしてくると、はっきり眺めることがてきます。はっきり眺めることができるためでしょう、まるで、こちらに山々が迫ってくるようです。それほどの迫力があります。
■ところで、今日は3人のゼミ生と面談をしました。それぞれ、相談の内容は違いますが、どこかで共通するのは就職活動のことです。就職活動という一点に絞ってみても、悩み方はそれぞれに違います。1人の学生は、これまで「大津エンパワねっと」、「社会調査実習」、「北船路米づくり研究会」に取り組んできました。いずれも、「学外の人たちとの関係」が大切になります。これらの授業や実践活動のなかで、どのような「深い経験」をすることができたのか、そこから何に気づき、何を学ぶことができたのか、そして、それらの経験をベースにどのような卒業論文に取り組もうとしているのか…その辺りをきちんと文章にしておくことを勧めました。実際のところ、その学生は濃密な経験をしてきているのですから。そうすることで、自分の頭のなかにあるモヤモヤを整理することができるはずです。
■その他にも、いろいろ雑談をしましたが、少し顔の表情が明るくなったように思いました。就職活動は大変だと思うけれど、いつもいっているように「卒論と就職活動は車の両輪」。自らのフィールドワークにもとづく水準のある卒業論文を書いてほしいと思います。