Korea AG-BMP Forum The 5th International Conferenceでの報告(2)
■昨日、韓国光州市のキム・デジュンセンターで開会された国際会議「Korea AG-BMP Forum The 5th International Conference」が終了しました(「2014国際かんがい排水委員会(ICID)」のサイドイベントとして開催されました)。「Communication for good governance in agricultural NPS pollution management」というテーマのもと、韓国のセマング干拓地の事例(H.R.Shinさん、ソウル国立大学)、EUの事例(Guido Saliさん、イタリアのミラン大学)、エジプトの灌漑の事例(Talaat EL-Gamaiさん、国立水環境研究センター)、そして日本の滋賀県のマザーレイクフォーラムや魚のゆりかご水田のこと事例を私が話しました。これらの事例を、「環境ガバナンス」と「ソーシャルキャピタル」、それから「エンパワーメント」の3つをキーワードに説明しました。
■予定の時間を超過してしまい、司会の先生にはご迷惑をおかけしましたが、この国際会議に貢献はできたのではないかと思ういます。感触はとても良かったです。最後のディスカッションでは、環境市民団体の方、地方自治体の研究者の方、国の農村研究センター(農業省の研究機関)の研究員の方や環境省の課長さんも参加されました。興味深い論点がいくつも出てきました。また、韓国の方達が、何に悩んでおられるのかということについても、次第に理解できるようになりました(昨年は、まだそのあたりがぼやっとしてました)。韓国の農村研究センターの方から質問をたくさんいただきましたが、その質問からもそのようなことが窺えました。いただいた質問は、以下のものでした。環境ガバナンスを実行に移すために政府の支援はあったのか。面源負荷に対する認識や生態系に対する関心、さらには農民の行動規範はどのように形成されていったのか。さらには、日本の農水省と環境庁の協力関係はどうなっているのか。そういう点について、質問を受けました。いろいろ環境ガバナンスのあり方を比較してみると、おもしろいことがみつかるだろうなと思いました。ただし、当然のことなのですが、農村・農家といっても、それぞれの社会のなかでのあり方や社会的位置(歴史も含めて)がぜんぜん違っていますので、簡単に比較というわけにもいきません。また、農政との関係でも、同様のことがいえます。
■昨日は、自分の報告に必死だったので(また、他の報告者の英語のスピーチを聞き取り、次々に切り替わるパワポのスライドの英文を読むだけでもかなりエネルギーを使ってしまいましたから…私のばあい)、写真は撮っていません。韓国側のスタッフの皆さんが、あとで送ってくださるということでしたので、写真の掲載については、そのときにさせていただこうと思います。
Korea AG-BMP Forum The 5th International Conferenceでの報告(1)
■本日、参加する国際会議(シンポジウム)は、光州市で現在開催されている「2014国際かんがい排水委員会(ICID)」のなかで、サイドイベントとして開催される「The 5th KAB International Conference on agricultural BMP development for reservoir water quality」になります。昨年の第4回に引き続き、今年もご招待いただきました。
■農業のなかでも、特に、農業排水等のノン・ポイントソース(NPS)の問題に関して様々な国の研究者が研究交流するために、韓国の農水省にあたるMAFRAとKorea AG-BMP Forum (KAB)が協力することで実施されています。明日のテーマは、「Communication for good governance in agricultural NPS pollution management」です。一応、セッション2の基調講演で、「Diversified Communication on Environmental Governance」というテーマの話しをします。明日は、同時通訳がつくので助かります。いつも思いますが、きちんと英語が話せたらな…なのです。今からでも遅くないよ…とはいつも言われるのですが。
■というわけで、昨日は6時半に家を出て関西空港に向かいました。関空からソウル金浦空港まで飛び、そこからリムジンバスで街中へ。そして、お世話になっている建国大学校生命環境大学環境科学科の金才賢先生の研究室に向かいました。大学校は日本の大学、大学は日本の学部だと思ってください。研究室までは、博士課程の院生の方が案内してくださいました。金先生の研究室では、先生の取り組んでおられる最近の様々なプロジェクトについてお話しをうかがいました。とても刺激的でした。物静かな先生からはなかなか想像できないことですが、様々な社会的事業や実践的研究プロジェクトに院生の皆さんと一緒に取り組んでおられるのです。お話しを聞いているだけで、目が回るようです(もちろん、教員の勤務条件等については、日本の私立大学とはかなり環境が違うようにも思いました…うらやましい)。私たちがゼミで取り組んでいる「北船路米づくり研究会」の活動にも関心をもっていただいています。facebookにアップする記事をお読みいただいているのです。10月末には、「北船路米づくり研究会」を初めとして、滋賀県内の様々な取り組みの関係者とおつなぎすることになりました。
■金先生の研究室でお話しをうかがったり、院生室(入り口の看板は「環境社会学研究室」)を見学したりしているうちに、ソウルから光州まで移動する時間になりました。金先生の運転で移動しました。けっこうありますね〜。3時間半ほどかけて光州まて移動しました。そして、市内の韓国料理店で、明日の国際会議で私と同じように招待されているエジプトとイタリアからの研究者の方と一緒に食事をしました。エジプトの方がいらっしゃるから…というわけかどうか知りませんが、魚と野菜のおじさんの胃袋には優しい韓国家庭料理を楽しみました。お腹いっぱいになりました。どういうわけか、酒が出なかったのですが…、気を利かしてくれた金先生がビールを頼んでくださいました。エジプトの人もいるし…(イスラムの人は、豚肉を食べられないし、酒ものまないし)…と思ったのですが、どうでしょうか。それはともかく、明日は頑張ろうと思います。
ノルウェー旅行(2)
■今回のノルウェー旅行で唯一、残念なことがあります。気張って「デジカメ一眼レフ」を持っていき、ガンガン写真を撮っていたのですが、途中からデータが消えてしまいました…。そのことをfacebookに投稿したところ、多くのお「友達」から、「データは、かなりの確率で復活する!!」との励ましたのお言葉をいただきました。今は時間がないのですが、そのうちに復活させたい!!…と思っています。
■で、この写真なんですが、これは一緒に旅行にいった妻が撮ったものです。私をかわいそうに思ったのか、「使ってくれてもいいよ」といってくれたので、使わせもらいました。トップの写真は、ひとつ前のエントリーの写真と同じく、フロムの町から少し離れたところにあるステーガスタインにあるビューポイントから撮ったものです。ここからは、ノルウェー最大のゾグネフィヨルドにつながるアウルランフィヨルドを望むことができます。
■河川にたとえれば、アウランフィヨルドは、ゾクネフィヨルドの支流のような感じになります。下の4枚の写真の右下をご覧ください。Google Earthから切り取って来たものです。赤い印、フロム線とあります。フロム鉄道のことですね。8月14日に、ノルウェーの首都であるオスロからベルゲン急行に乗り、ミュニルダールという標高約865mに位置する駅までいきました。ここまではノルウェー国有鉄道。ここからは、私鉄であるフロム鉄道に乗り、フィヨルド沿岸にある標高数mのフロム駅まで、急勾配の線路約20.2kmを走りました。楽しかったですね〜(いわゆる「乗り鉄」ですので…)。フロムは、ゾクネフィヨルドにつながるアウルランフィヨルドの最奥にある港町です。まあ、観光の町ですね。下の4枚のうちの1枚は、フロム駅から撮ったものです。客車の背景の山々、迫力がありますね〜。カメラのデータをもし復活させることができたら、フロム鉄道関連でアップしてみたいと思います。
■フロムからベルゲンまで(Google Earthの画像をご覧ください…)、世界2位の長さを誇るゾグネフィヨルドと沿岸の小さなフィヨルドをあわせて、おそらくは約270kmほどの距離でしょうか、その距離を5時間かけて船で移動しました。このフィヨルドの風景についても、データが復活したらアップしてみたいと思います。
ノルウェー旅行(1)
■更新をしばらくお休みしていました。8月11日から20日まで、北欧のノルウェーに旅行していました。さっそくいろいろ記事をアップしたいところですが、残念ながらいろいろ仕事がたまっており、それが片付いてからになります。とはいえ、何も報告しないのもと思い、1枚だけアップします。
■ノルウェーでは、あちらで研究に励んでおられる同僚のT先生ご一家のお世話になりました。8月14日には、ベルゲン急行とフロム鉄道を乗り継いでフロムに到着しました。T先生や息子さんのRくん一緒です。翌日、15日には、近くにあるアウルランの村を通って、そこから葛折の道を登り、ステーガスタインにあるビューポイントを訪れました。この展望台は、急な山の斜面からせり出すようにつくられています。そして、一番先端はガラス張り。ノルウェー最大のゾグネフィヨルドにつながるアウルランフィヨルドを眺めることができます。心が洗われるような風景でした。
夏期休暇
■11日から、いよいよ1年に1回の休暇をいただきます。10日間連続で休暇をいただきます。自分で言うのもなんですが、「ふだん働けるだけ働いている」ので、いろいろご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうかご容赦ください。
■子どもたちが自立し、夫婦2人だけの家族になってからは、毎年、海外旅行にいくようにしています。もう年寄りですので、元気に海外にいくにしても回数が限られています。体力があるうちに、妻と一緒に旅行をしておこうと思います。一昨年はベトナム(ハノイとハロン湾)、昨年はインドネシア(ボロブドゥールとバリ島)でした。どちらかというと、世界遺産を見学しにいくアジアの旅でした。
■今回は、かなり遠くまでいきます。北欧のノルウェーです。ノルウェーの大学に留学している同僚・T先生ご一家のお世話になり、オスロ、フロム、ベルゲンといった街を訪ねます。ノルウェーというえば、画家のムンク。そして、作曲家のグリーグが有名ですね。世界遺産も見学できそうですし、フィヨルドをみながら鉄道や船にも乗ることができそうです。楽しんできます。トップの画像は、ムンクの「叫び」です。wikipediaのものです。
■グリーグのピアノ協奏曲第1番。
■フロム鉄道です。総延長20.2kmで標高差864mを下ります。ノルウェーが世界に誇る山岳鉄道です。
フィリピン到着
■7月4日(金)から7日(月)まで、3泊4日で、フィリピンに出張してきました。現地のLLDA(Laguna Lake Development Authority =ラグナ湖開発公社)の研究者にご支援いただき、総合地球環境学研究所のプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」のリーダーやコアメンバーと一緒に、ラグナ湖(現地では、バエ湖といいます)に流入する流域の視察に行ってきました。詳しい報告は、これからのエントリーで順番にしていきます。
■4日は、午前中10時頃のフィリピン航空の便に乗り、マニラに向かいました。関空からマニラのニノイ・アキノ国際空港まで4時間程かかります。それなりに近いのですが、フィリピンについてからが大変でした。ホテルのあるケソン市までは、マニラ市内の大渋滞のなかを車で走らなければならなかったからです。もっとも、こちらの感覚では、このような大渋滞も日常的なことのようです。けっきょく、2時間近くかかりました(土曜日など空いている日だと、タクシーで30分ほどの距離らしいのですが…)。もっともフィリピンは、今回が初めての訪問だったので、渋滞のおかげで(?!)街中の様子をじっくり眺めることができました。高層ビルや高層マンションの立つエリアと、パラックが集まるエリア。経済成長の恩恵を受けることができた人たちとそうでない人たちとのギャップ。景観のなかに、フィリピンの今を感じ取ることができるように思いました。
■4枚の写真。最初の2枚は、旅客機のなかから撮ったものです。左側。マニラのあるルソン島は全体に山がちで、2000mを超える山や火山もあるようです。旅客機からは、それらの山・火山は確認できませんでしたが、山深い景観は、とても印象的なものでした。右側。着陸直前になるとマニラ市が見えてきました。メトロ・マニラ (Metro Manila) =メトロ首都圏です。マニラや旧首都ケソンを含む16市と1町により構成されており、近郊も含めると人口は2,000万人を超えるようです。大都市ですね。さきほども書いたように、マニラの大渋滞、とても大変なんですが、目に付くのが乗り合いバスのジプニーです。こちらでは、単にジープと呼ぶようですが、私のように初めてフィリピンに来た者には、かなり気になる存在でした。形は、いわゆる普通のジープとバスを一緒にしたような感じなのですが、車体に描かれている絵(広告?)がとても面白いのです。wikipediaですが、次のような説明がありました。
各ジープニーは決まったルートを往復し、車体にそのルートの出発地・主な経由地・終点が掲示されている。バス停に当たるような停留所もあるが、それ以外の場所でも自由に乗り降りできる。また、かなり細い道にまで網の目のように走っており、何回か乗り継げばほとんどの場所に行くことができる極めて便利な交通機関である。
初乗りは8ペソ(2013年11月現在)。運賃は運転手に直接支払うが、満席等で直接手が届かないときは運転席寄りの乗客にお金を渡し、手から手へと運転手までリレーされる。お釣りがある場合には逆のルートできちんと返ってくる。
日本では、大阪府吹田市の国立民族学博物館の東南アジアコーナーに常設展示されている。
■そういえば、民博に展示してありましたね! さて、これから何度となくフィリピンに行く予定ですが、次回あたりに、現地の方たちの案内で、一度ぐらいは乗車してみようかなと思っています。
フィリピンにいってきます。
■今週の金曜日、7/4(金)から7/7(月)まで、フィリピンのラグナ湖の視察と、現地の研究機関と協議をしにいってきます。総合地球環境学研究所のプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」のメンバーと現地に向かいます。短期間だし、どうしても週末をはさんでしか日程がとれなかったので、現地の皆さんにはご苦労をおかけしています。フィリピンはカトリックの国だから、皆さん、週末はきちんとお休みになるのです。7月4日は、Laguna Lake Development Authority でキックオフミーティングを行い、翌日5日から6日までラグナ湖周辺流域の現地視察をします。7日は午前中にラップアップミーティングを終えて晩に帰国します。
華中師範大学のホームページ
■先日、華中師範大学を訪問したときのことが、同大学の外国語学院と社会学院のホームページに掲載されました。中国語はよくわからないのですが、かなり協議の内容にまで踏み込んだ記事になっています。トップの画像は、外国語学院のホームページの写真です。左から華中師範大学社会学院の万仁徳先生、私、外国語学院日本語学科の李俄憲先生です。3者で力をあわせて、留学生の受け入れや研究・教育交流を進めていこうという気持ちが伝わってくるでしょうか。
■以下は、その他の今回の訪問に関する記事です。
日本龙谷大学脇田教授一行与我院领导商讨“推荐日语系应届毕业生免试入龙大读研”协定
日本龙谷大学脇田健一教授一行访问我院圆满落幕
胁田健一:希望中国大学生来龙谷大学交流学习
2014年春の「黄鶴楼」
■前回のエントリーにも書いたように、武漢市で訪問した障碍者福祉施設は、とても有名な「黄鶴楼」の近くにありました。そのようなことから、万先生(華中師範大学社会学院)が「黄鶴楼」を案内してくださることになりました。私自身は、昨年も連れて行っていただきましたが、今回は一緒に訪中した原田達先生と大塩めぐみ先生が初めてということで、私も一緒に「黄鶴楼」に登ることにしました。じつは遠い昔、まだ30歳半ばの頃にも来たことがあります。ということで、私個人は3回目の登楼ということになりました。
■昨年のことについては、「李白と黄鶴楼」としてエントリーしています。こちにもご覧いただければと思います。李白のこれまた有名な「黄鶴楼送孟浩然之広陵」(黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る)という漢詩について、少し説明しています。前回は、あまり景色がよくありませんでした。写真をご覧いただければわかりますが、今回は、長江の対岸を一応ながめることができました。
■対岸とのあいだにかかっている橋があります。大きな橋ですね。武漢長江大橋です。上下2層の構造で、上が4車線の道路と歩道、下が複線の鉄道です。全長は1,670mですから、簡単に歩いて渡ることができますね。空気は悪そうですが、一度、経験をしてみたいものです(わざわざ歩くなんて私がいいだすと、案内してくださる華中師範大学の皆さんは困るかもしれませんね…)。下の鉄道も気になります。京広線というのだそうです。北京と広州とをつなぐ鉄道大動脈というところでしょうか。私たちが「黄鶴楼」から武漢の街を眺めているときも、楼閣の横を列車が通過していきました。ところで、このトップの写真は自分で撮ったものですが気に入りました。ということで、今、パソコンのデスクトップ画面にはりつけています。
【追記】■せっかくですから、1回目の登楼のときのことについても書いておきたいと思います。1回目は、初めて武漢を訪れたときです。だいたい20年ほど前のことかと思います。当時、私は滋賀県立琵琶湖博物館の開設準備室に勤務していました。滋賀県庁職員でした。琵琶湖博物館の展示等の準備の関係で、館長予定者でもあった三浦泰蔵先生と一緒に、武漢市内の東湖の畔にある中国自然科学院・水性生物研究所を訪問しました。懐かしい思い出です。武漢の水性生物研究所には、その後、博物館の調査の関係で2回ほど訪問していますから、武漢にはこれまでに5回来ている…ということになりますね。少し、三浦先生に関しても調べてみました。じつは、三浦先生は、琵琶湖博物館の館長に就任することなく、1993年にお亡くなりになりました(琵琶湖博物館の開館は1996年)。晩年は、東湖の研究に打ち込んでおられました。以下の文書は、森主一さんが書かれた三浦先生の追悼文です。
三浦泰蔵くんを偲ぶ