谷川清澄さん戦争証言


「みんなの戦争証言アーカイブス」が提供されている動画を貼付けます。貼付けたのは、現在98歳の谷川清澄さんです。谷川さんは、以下のサマリーをお読みいただければわかりますが、海軍の兵士として従軍されました。

大正5年、福岡県に生まれ佐賀県で育った。「侍か軍人でなければ人でない」と言われた佐賀での暮らし。海が好きで、軍隊に憧れていたという少年は海軍兵学校を目指す。人々が自由を謳歌し文化を育んだ大正デモクラシー。「あれで空気が緩んだ」と谷川青年は時代の空気に厳しい目を向ける。アメリカを仮想敵国とした兵学校での厳しい訓練に耐え、21歳で卒業。分隊長として駆逐艦に乗員した3年後の昭和16年、日米開戦を迎え出撃。ミッドウェー海戦では水雷長として、米国艦隊との激しい戦闘の渦中に。空からの波状爆撃で炎上し自走できなくなった空母「赤城」を沈めたのは、谷川さんが発射した魚雷だ。轟沈する赤城に取り残された1人の水兵の影が見えたという。「30年は夢に出てきた」という。日米開戦前夜から終戦までを一貫して海軍兵士として闘い、見つめてきた谷川さんの証言は貴重だ。ミッドウェーでの作戦は事前に漏れていたーー。谷川さんが目の当たりにした衝撃的な大本営の舞台裏も。

■学生の皆さんにも、しっかり視ていただきたいと思います。

お年玉?

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20150101hoshigaki2.jpg■元旦です。家族そろってお雑煮とおせち料理をいただき、これから母の家に新年の挨拶にいきます。まあ、いつもの生活介護であることにはかわりありません。年末年始は、ヘルパーさんたちに来ていただけないので、30日から2日までは妹が泊まり込んでくれています。おせち料理と、今晩の御馳走(蟹すき)の材料は、我が家から持参します。これが、毎年、恒例になっています。それに加えて、今年は、干し柿が加わります。母の家の庭に実った渋柿を干し柿にしてみたのです。

【関連エントリー】干し柿のその後

■完成した干し柿、あの渋い柿が、大変甘く仕上がりました。すごいですね、伝統食の偉大さを知りました。まあ、見た目は悪いですが、どうかお許しを。おそらくは、プルーチーズなんかと一緒に食べると素晴らしいのではないかと思います。となると、日本酒というよりも、ワインかな。この干し柿、我が家のおせち料理の「膾」(なます)のなかにも入れました。残りは、母とドライフルーツ系が好きな妹へのお年玉ですね。

2015年 新年あけましておめでとうございます

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■2015年、新年、あけましておめでとうございます。みなさま、本年も、どうかよろしくお願いいたします。これは、三河万歳の人形です。お正月に飾られます。むかって右側か太夫で、左側で小鼓をもっているのが才蔵です。三河漫才は、愛知県の三河地域に伝わる伝統芸能で、お正月の祝福芸です。才蔵の小鼓にあわせて、太夫がめでたい詞を唄って舞うのです。ひょっとすると、現代社会には、この太夫と才蔵のような役割がいるのかもしれません。また、そのような学問が必要なのかもしれません。社会に幸せを呼び込むような学問…(希望と幸せの社会学)。ふと、そう思いました。

■皆様のお宅に、今年もたくさんの幸が届きますように!! 社会が、もう少し明るくなりますように!!

【追記】▪︎エントリーしてから気がつきましたが、この太夫と才蔵の左右の位置関係、逆かもしれません。逆にしたほうが、全体的にすっきりするように思います。

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