誕生日
■1970年頃、普通の会社員の定年退職は、55歳だったように思います。55歳で定年というと、退職後の残りの人生はずいぶん長いように思えますが、調べてみると当時の平均寿命は69.31歳でした。今よりも、10歳程短いわけですね(ちなみに1970年で55歳というと、大正4年生まれということになります)。さて、単純には比較できないわけですが、本日、私もとうとうその年齢になりました。昔であれば、今日が退職日ということになります…。そのように考えると、少し感慨深いものがあります(…ような気がする)。とはいえ、私が若い頃の55歳のイメージとは異なり、どう考えても「成熟した…」という感覚はありません。もっとも若い頃は、55歳の男性を勝手にそう見えていただけ…なのかもしれませんね。
■「初老」という言葉を聞いたときに、何歳ぐらいから「初老」というかご存知でしょうか。じつは40歳です。現代社会であれば、40歳といっても、まだ青年の延長線上の気持ちなのではないかと思います。しかし、本来的な意味でいえば、40歳からが初老なのです。昔は、栄養状態が悪く、医療も貧弱、若くして多くの皆さんが病気で亡くなりました。おまけにたびたび飢饉等に苦しめられました。おそらくは死が日常生活のなかに、当たり前のように存在していたのだと思います。そのような時代であれば、40歳が老いの入り口「初老」というのは、なるほどな〜と納得できるわけです。現在、還暦を迎えた方に老人という叱られてしまいます。おそらく「初老」にしても、50歳代後半をイメージする人が多いのではないかと思います。東アジア全般にあった「老の文化」は、どうなってしまったんでしょうね〜…。かつては、老いた人には、老いた人なりの役割と存在感がコミュニティの中に存在していたのですが。
■50歳を超えてからも以前と同じように、あるいは以前よりもさらに仕事に励んできました。体力はあるほうだとは思いますが、それを良いことに健康管理を怠ってきました。いけません。ということで、55歳の誓いです。
・酒量を減らす。
・ランニングに励む。
・良く睡眠を取る。
・プライベートの時間も大切にする。
■この誓いをどこまで守れるのか、私にもよくわかりませんが、少し生活のあり方自体を考え直してみようと思います。
■ところで、トップの写真について説明します。晩に、研究室にいると、お隣の学科の同僚と学生が夕食を誘いにきてくれました。仕事を終えた妻が夕飯の買い物をする前だったので、合流させていただきました。そして、教員2人、学生2人、あわせて4人の皆さんから、誕生日を祝っていただきました。みなさんには、感謝です!家族でのお祝いは、同じく4月生まれの長男と一緒に…かな。連休中、長女と長男、子どもたちが帰省したときになると思います。
京都でお祝いの会。
■昨晩は、友人の結婚のお祝いの会がありました。いろんな年代の親しい仲間5人で、友人と彼の若いかわいらしい奥さまの結婚を祝いました。友人はかなりの恥ずかしがり屋で、そっとしておいてください…ということだったのですが、仲間のうち最年長の方が「お祝いの会をしたい」と押し切り、やっと昨晩、実現することになりました。
■会場は、京都にある町家風のレストラン。美味しいお料理をいただきました。まず最初に出てきたのが写真の小鉢。貝柱、鯛、サーモンの上に、焼いた(たぶん)空豆とちょっと苺ものっかっています。春らしいな~。そのあとは、各自で好きなものを注文して、みんなで少しずついただきました。関鯵の塩焼、蛸の煮もの、焼き空豆、湯葉を生地にしたピザ、もち豚と太もやしのせいろ蒸し、とまとの冷製おでん、鯖のへしこ、玉葱の丸ごと揚げだし、鰤大根…。酒は、ビールに始まり、高知・亀泉酒造の「土佐はちきん」、京都・木下酒造の「玉川 人喰い岩」、滋賀・松瀬酒造の「松の司」。こうやってみると、単なる、酒飲みの宴会になっていますが、友人夫妻も、食事と会話を楽しまれたようで、良いお祝いの会になりました。
カレーパン
■ 前回はカレーに関するエントリーでした。今回もカレー、ただしカレーパンです。私は、カレーは「普通に好き」なのですが、カレーパンは「かなり好き」です。パン屋に行ってパンを買うとき、カレーパンがあれば必ず買ってしまいます。
■ところで、この写真のカレーパン、今朝、近鉄の大阪難波駅で買いました。今日は神戸で講演があり、朝7時過ぎに家を出たため、朝食を摂っている時間的余裕がありませんでした(もっと早起きすればよいのですが…)。ということで、神戸に向かう途中、大阪難波の駅構内にある売店で買ったのです。これは「ラングピーボール」の形に似せてつくったカレーパンです。「東大阪ラグカレー」というのだそうです。なぜ、近鉄でこんなラングピーボールのようなカレーパンを売っているのでしょう。
■奈良から大阪難波で近鉄で移動するさい、東大阪を通過します。東大阪で有名なもの、まずあげなければならないことは、「ものづくり」です。東大阪には、日本の工業を支える「ものづくり」の優れた技術をもった町工場が集中しています。そして、ラグビーです。東大阪の花園には有名なラグビー場があり、ラグビーの聖地のひとつになっています。では、なぜ「カレーパン」なのか…。詳しくは、以下の「東大阪カレーパン会」の公式サイトをご覧いただければと思います。
カレー
■カレーが特別好きなわけではありません。普通に、好きです。しかし、この写真のカレーは、しばらくするとまた食べたくなります。不思議な味です。最初は「甘い」のですが、すぐに「辛さ」が口の中を襲ってきます。本当に不思議な味です。私は、いつも、卵を入れてルーも大盛にしていただきます。常連さんは、「大玉」と一言で注文されていますね。この不思議な味のカレーには、甘酸っぱいキャベツのピクルスがぴったりなのです。
■ちょっと気になることがあります。カレーの上にのっかっている卵は、卵黄だけです。卵白は、カレーと一緒には出されません。どうしているんでしょうね…卵白は。
大石くんのプレゼント
■千葉県で元気に働いているゼミ4期生の大石くんから(2009年春・卒業)、宅配便が届きました。昨年末、大石くんには、「お笑い芸人の東野幸治さん・岡村隆史さんのテレビ番組『旅猿2』最終回を録画してくれないか」と、ちょっと無理なお願いをしていました。というのも、東野さんと岡村さんのお2人が、龍谷大学瀬田キャンパスの国際文化学部の授業にサプライズ・ゲストとして登場したけれど、この番組、関東でしか放映されてない・・・ということがわかったからです。
■さて、大石くんにお願いをしたのは録画したDVDだったのですが、届いた荷物は、DVDにしてはなんだか大きくて重いのです。中を開けると、DVDに加えて、千葉の地酒、カワハギの干物、鯨の大和煮の缶詰、そして落花生といった千葉の名産品が入っていました。添えられたカードには、「『旅猿』のDVDと一緒に、ちばの名産品を送ります。お召し上がり下さい。東京に来る際にはまた一緒に飲みましょう」と書いてありました。近々東京に出張する予定があるので、大石くんと会うことにしたいと思います。楽しみです~♪
寒い日のチャイ
■寒い日には、甘いチャイがぴったりです。チャイとは、お鍋で甘く煮出したインド風のミルクティーのことです。豊かな香辛料の香りもします。この日のチャイには、シナモン、カルダモン、ジンジャー、クロープ、ブラックペッパー…といった香りが。砂糖も、種子島のサトウキビでつくった無精製のもの。あらかじめ、甘味がついているミルクティーです。知り合いの膳所の紅茶専門店をひさしぶりに訪問し、大変美味しくいただきました。
■ティー=紅茶は、インドがイギリス領だったころにイギリス人が中国から持ち込んだものなのだそうです。紅茶といえばインドを連想しますが、その紅茶も含めてお茶のルーツは中国なのです。実際、中国でも紅茶は生産されています。実際にいただいたことがありますが、そのままストレートで何倍も飲む感じの紅茶です。通常の紅茶よりも、あっさりしています。インドといいますか、イギリス式の紅茶だと、ミルクや砂糖を入れていただくわけで、それらとバランスが取れて美味しくいただけるように、渋みが強くなっているようです。
■何に関する本だったか忘れましたが(世界システム論の話しだったように記憶していますが…)、産業革命の時代、ジンを飲んだくれている労働者がもっときちんと働くように、資本家がジンのかわりに砂糖入りの紅茶を飲ませたという話しを読んだことがあります。カリブ海の地域では、アフリカから連れてきた奴隷を使ってサトウキビ畑や製糖工場で働かせて砂糖をつくらせ、紅茶は植民地のインドで生産する。なるほど…なのです。
■チャイをいただいたあと、家族のお土産の紅茶を3種類購入しました。いずれもティーバッグの紅茶ですが、普段飲んでいるスーパーマーケットで買うL社の紅茶とは違い、香りの良い美味しい紅茶です。
「利やん」の新年
■昨晩は、いつもお世話になっている大津駅前の居酒屋「利やん」にいきました。新年最初…です。今年は、卸売市場での仕入の関係で、新年の開店は1月7日、昨晩になりました。「利やん」の新年は、毎年、樽酒が常連客にふるまわれます。ただし、ふるまい酒は1杯だけ。あとはもちろんお金を払います。美味しいので2杯いただきました。「利やん」には、すでにいつものご常連がカウンターに座っられて、せっかくだからと写真を撮ってくださいました。いかにも「酒飲みのおっさん」という感じで写っていますね~。昨日は、こうやって樽酒をいただきながら、ご常連の皆さんとの会話を楽しみました。
■「利やん」の呼び方について。お店の正式名称は「としやん」ですが、20年程前、私が滋賀県庁に勤務していた時分に連れていっていただいた上司からの影響で、私自身は「りーやん」と呼んでいます。おそらく、滋賀県庁職員の皆さんは、「りーやん」と呼ぶ方がけっこう多いのではないかと思います。
黒子に徹する潔さ
■塩漬けになっている個人ブログのエントリーの虫干しをしておこうと思います。「黒衣に徹する潔さ」というエントリーです(一部省略しています)。
http://blue.ap.teacup.com/wakkyken/680.html
「黒子に徹する潔さ」
■前回のエントリーでも報告したように、週末、岐阜県に出かけてきました。そのさい、NPO法人「アツマールぎふ」の監事さんの車に乗せていただき、目的地である岐阜県白川町に移動する途中で、道路沿いにある1軒の酒屋に立ち寄りました。酒屋だけど、小田巻きという岐阜地方のお菓子を売っている「小田巻き屋」という名前のお店です。そこで、お土産に買ったのが、左の写真の「福来純三年熟成本みりん」です。木曽川と飛騨川が合流するあたりにある川辺町の白扇酒造さんで製造されている味醂です。お店の窓ガラスに、ある雑誌(JR東海の広報誌でしようか?)に掲載された「福来純三年熟成本みりん」に言及されたエッセーのコピーがはってあり、それを読んでおもしろいなと思ってしまったからです。料理研究家・大内侯子(きみこ)さんが書かれたものでした。
■大内さんのエッセーでは、この「福来純三年熟成本みりん」に関して、次のようなことが書かれていました。
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「料理に使ってみて、もう一度驚いた。野菜の煮物や煮豆も、柔らかな味が醸され、不思議なばかりにおいしくなるのだ。しかも味醂の味は表には出ず、素材を支える黒衣に徹する潔さ。それまであまり味醂を使わなかった私が、この味醂と出合って以来、野菜やひじき、豆などの乾物類、魚、といろいろな煮物にどに重宝し、欠かせなくなってしまった。」
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■ビビビッときました~。「味醂の味は表には出ず、素材を支える黒衣に徹する潔さ」の部分です。この部分を読んで何を連想したかというと、食と料理とはまったく関係のない地域づくりのことだったんですね。
■最近、地域づくりに関してお話しをさせていただくことがふえてきました。そのようなとき、関係者のあいだで、次のようなことがよく話題にのぼります。大企業を退職された男性が、ご自分がお住いの場所で、地域づくり活動を通して「地域デビュー」されるときに、過去の大企業にお勤めだったときの役職等にこだわってしまうということです。「私は、○○株式会社の部長までやった男なのだ!!」なんてことを直接言わないにしても、このような思いが態度に出て、地域づくり活動でのコミュニケーションがうまくいかないのです。退職とは人生の大きな節目ですから、社会的役割を再定位していかなくてはいけません(たとえば…「大企業の部長から地域ボランティア」へという具合に)。それがうまくできないのです(この点、女性のばあいは、あまりこういう話しは聞きません。まったく聞かないわけではありませんが)。
■また、地域デビューしたとしても、「自分が持っている知識や経験を地域づくりに活かそう」という気持ちはよいのですが、それが「おれが教えてやる」「おれが指導してやる」、あるいは「こんなこともわかないのか」というような感じにふるまってしまうことで、結果として、思いが空回りして、地域活動がうまくいかなくなることもあります。周りから人も離れていきます。厳しい企業社会で活躍されてきた皆さんですから、つい、そんな感じになってしまう人もおられる、というわけなんですね~。なかなか、難しいものですね~。
■まあ、こんなこともありまして、講演では、「地域づくりの黒衣(黒子)になりましょう」ということをよくいいます。地域社会のなかには、様々な知識・経験・能力をお持ちの方たちがいらっしゃいます。地域のかかえる課題にあわせて、そのような皆さんが出会う場や、参加される方たちが活躍できる場をつくりあげていく、地域づくりの「場」をデザインしていくことを目指す「黒衣(黒子)」になろうよ、ということです。「おれが、おれが!!」という人たちばかりがぶつかりあっていては、地域づくりは、うまく進みません。それは結局、地域社会のある種の権威やリスペクツ(あるいはヘゲモニー)をめぐる争そいになっちゃっているわけですから。まあ、そんなわけでして、「味醂の味は表には出ず、素材を支える黒衣に徹する潔さ」という文章にビビビッときてしまったわけなんですね。もちろん、こんどからは、「『福来純三年熟成本みりん』のようになりましょう!!」っていうわけにはいかないですけれど。
■こんなことを書いていると、先日読了した、内田樹(うちだ・たつる)先生の『村上春樹にご用心』のことを思い出してしまいました。この本、内田さんが運営しているブログで村上春樹について言及しているエントリーもとにつくられたようです。amazonでのレビューの評価、極端にわかれています。私は楽しんで読みました。この本は、村上春樹について語ってはいますが、村上春樹の作品論として読んではだめでしょうね。村上ファンでありレヴィナスの研究者である内田さんが、村上作品を通して、自らの思想を語っているわけですから。内田さんの本が持っている面白さとは、難しい表現であれやこれやと蘊蓄をたれるのではなく(衒学的でなく)、シンプルかつクリアな視点から、森羅万象をサクサク解き明かしていく、まあそんな感じですかね、私のばあい。この『村上春樹にご用心』も、そうです(もちろん、このは内田さんの「読み」であって、別の「読み」が可能であることはいうまでもありません)。
■物語、父の不在(真理や神の不在)、身体、死者とのコミュニケーション、批評家と春樹…キーワード的に見れば論点はいろいろあるのですが、内田さんのいいたいことはひとつ。なぜ、村上春樹は世界中で読まれるのか。本の帯には、こう書いてあります。「ウチダ先生、村上春樹はなぜ世界中で読まれるんですか? それはね、雪かき仕事の大切さを知っているからだよ」。村上春樹に影響を与え、彼自身も翻訳をした『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(サリンジャー)で主人公のホールデンがいうところの「ライ麦畑のキャッチャー」と雪かき仕事って同じことです。ちょっとだけ、引用してみます。
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世の中には、「誰かがやらなくてはならないのなら、私がやる」というふうに考える人と、「誰かがやらなくてはならないんだから、誰かがやるだろう」というふうに考える人の二種類がいる。「キャッチャー」は第一の種類の人間が引き受ける仕事である。ときどき、「あ、オレがやります」と手を挙げてくれる人がいれば、人間的秩序はそこそこ保たれる。
そういう人が必ずいたので、人間世界の秩序はこれまでも保たれてきたし、これからもそういう人は必ずいるだろうから、人間世界の秩序は引き続き保たれるはずである。
でも、自分の努力にはつねに正当な評価や代償や栄誉が与えられるべきだと思っている人間は「キャッチャー」や「センチネル」の仕事には向かない。適正を論じる以前に、彼らは世の中には「そんな仕事」が存在するということさえ想像できないからである。(29~30頁、センチネル:見守る人)
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「センチネル」たちの仕事は、『ダンス・ダンス・ダンス』で「文化的雪かき」と呼ばれた仕事に似ている。誰もやりたがらないけれど誰かがやらないとあとで他の人たちが困るような仕事を、特別な対価や賞賛を期待せず、黙って引き受けること。そのような、「雪かき仕事」を黙々と積み重ねているものの日常的な努力によって、「超越的に邪悪なもの」の浸潤はかろうじて食い止められる。政治的激情や詩的法悦やエロス的恍惚は「邪悪なもの」の対立項ではなく、しばしばその共犯者である。この宇宙的スケールの神話と日時用生活のディティールをシームレスに接合させた力業に村上文学の最大の魅力はある。それを世界各国語の読者とともに享受できることを私は深く喜びとする。(10~11頁)
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■「三年熟成本みりん」⇒「黒衣(黒子)」⇒「キャッチャー」/「センチネル」⇒「雪かき仕事」。飛躍はあるけれど、私の連想は、こういうふうに展開したのでした。「雪かき仕事」っていうと、私のばあいは、岩手にいたときのことを思い出してしまいます。同僚A君の奥さんは、雪深い山形県の出身です。雪国とはいっても、積雪量が山形ほどではない岩手。でも、奥さんは、朝暗いあいだに起きて、積った新雪をせっせとかき出して、朝、通学する子供たちのための道を確保されるのです。住んでいたのは、大学の教員住宅。雪がふっても雪国出身でない地域の人たちもいたりして、山形のようにだれもが雪かきを積極的に行うわけではありません。でも、A君の奥さんは、「なんで、他の教員やその家族は、雪かきしないの!」なんてことは言わずに、あたりまえのように、せっせと雪かきをされるのでした。よくわかります、村上春樹や内田さんが「雪かき仕事」ってよぶことが。
■「三年熟成本みりん」⇒「黒衣(黒子)」⇒「キャッチャー」/「センチネル」⇒「雪かき仕事」、こういう私たちの世界の持つ「豊かさ」を、今の社会の在り方はますます縮小させていく方向に動いています。だからこそ、大学で、現代GP「大津エンパワねっと」の企画をして推進メンバーになったり、岩手や岐阜にも出かけていくんでしょうね。そして、こんな世の中だけれど、「三年熟成本みりん」⇒「黒衣(黒子)」⇒「キャッチャー」/「センチネル」⇒「雪かき仕事」に励む人たちとの出会いから多くのこを学ばせていただき、勇気いただけることで、なんとか頑張っていられるのかなとも思います。地域づくりの現場でおあいする皆さん、いつも、どうもありがとうございます。