社会学演習ⅠA・3年生ゼミ
▪︎2015年度は、月曜日の午前中、2コマ授業入っています。1限目が「社会調査実習」、2限目が「社会学演習ⅠA」です。2限目は、3年生のゼミというとわかりやすいですね。今年は、脇田ゼミに18名の学生がやってきました。ほとんどが、第一志望で所属してくれているのですが、なかには第4希望…という人もいます。希望通りのゼミの所属にはならなかったようですが、それなりに機嫌よくやってくれています。安心しました。
▪︎ゼミでは、良い人間関係をつくっていくために、時間をかけることにしました。今日は、ちょっと簡単に前置きの説明をしたあとに、グループに分かれてお自己紹介をしてもらいました。最初に自己紹介をやっているのですが、18名の前で自己紹介をするのと、少人数に分かれて自己紹介をするのとは、やはり違うようですね。グループに分かれての自己紹介は、2回ほど「シャッフル」しました。時間が足らないぐらいでした。かなり盛り上がりました。引っ込み思案で、話しができない…という人はいなかったようで、安心しました。来週は、噂の「まわしよみ新聞」をやってみる予定です。
▪︎学生たちとは、36歳の年齢差があります。同じゼミとはいっても、私たちが学生のときとは、ずいぶん違います。私が3年生のときは、クロード・レヴィ=ストロースの『親族の基本構造』と『アスディワル武勲詩』がゼミのテキストでした。『親族の基本構造』は、1977年、上・下に分けて翻訳されました。それがテキストだったのです。当時の私たちには、大変難解でした。毎週、ゼミ生が順番にレジュメを用意して発表をし、ゼミ担当の先生が解説をしました。この『親族の基本構造』については、「構造主義」という思想を理解していないとわからないので、頑張って自分自身でも、「構造主義」を自学自習をしました。今から思えば、かなり無理のあるテキストだったと思います。しかし、当時は、そういうことがまだ「まかり通って」いました。でも、一生懸命、「難しいこと、知らないことを理解したい」という「背伸び」をする気持ちがありました。それは、それで満足感がありました。まあ、こんなことをいっても、時代が違うので仕方がないのですが。
脇田ゼミ12期生!!
素敵な写真。
社会学部校友会の新会員歓迎パーティ
▪︎昨日は、卒業式の後、琵琶湖畔にあるロイヤルオークホテルで「社会学部同窓会の新会員歓迎パーティ」が開催されました。全国の大学で、卒業式の後はパーティが開かれると思いますが、龍谷大学のばあいは、同窓組織である校友会に卒業生を新会員として迎えるという趣旨のもと、各学部の校友会が学部ごとに開催されています。私たち教員も、そのパーティに招待していただいています。
▪︎パーティのメインイベントは、恒例となっている大抽選大会です。ゼミで取り組んでいる「北船路米づくり研究会」がプロデュースした純米吟醸無ろ過生原酒「北船路」も景品に登場しました。プレゼンターは、研究会代表の小西くんと、副代表の小林さんです。また、パーティの会場では、「北船路」がふるまわれました。同窓会の皆様、ありがとうございました。
▪︎村上太胤校友会会長からスピーチと乾杯のご発声をいただきました。会長は、1969年に龍谷大学文学部仏教学科を卒業され、現在は、法相宗大本山薬師寺の副住職をされています。たいへんユーモアたっぷりのスピーチをいただきました。ありがとうございました。また、万歳三唱ならぬ、乾杯三唱を教えていただきました。また、研究会がプロデュースした「北船路」、会長にも気に入っていただけました。ありがたいです。
▪︎パーティが始まる前、校友会会長の村上太胤さんと副会長の湯口博さんとお話しをさせていただきました。会長が副住職をおつとめになっている薬師寺は、私のマラソンの練習コースと関係しています。自宅から尼辻に走り、唐招提寺の横をぬけ、薬師寺の敷地の周りをぐるっと走って、また自宅に帰る…というのが私の定番の10km練習コースですとお伝えすると笑っておられました。
▪︎この写真、左は、後輩がプレゼンターに登場した(トップの写真)ということで、ステージに駆け寄る4年生の皆さんです。研究会の活動は大変だったけど、頑張ったからこそ得られたものもある…そういう笑顔なのだと思います。右の写真。左はゼミTさん。その横はTさんの友達です。お名前は…忘れてしまったけど、彼女から就職活動の相談を受けたことがあり、そのときのことはしっかり記憶しています。希望通りの仕事に就くことができたようです。おめでとう!!
脇田ゼミ10期生「卒業おめでとう!!」
▪︎昨日は、卒業式でした。脇田ゼミ10期生が卒業しました。10期生のみなさん、卒業おめでとうございます。
▪︎卒業論文の指導では、いったいこの学年は…と不安にもなりました。というのも、私が求める水準に超えることのできた学生もいますが、そうではない学生も多々いたからです。もっとも、後者のそうではない学生でも、最後はなんとか卒業論文を提出することができました。その評価はどうあれ、卒業式を迎えられたことは、本当に良かったと思っています。
▪︎通俗的な言い方になりますが、卒業後は、社会の荒波のなかで揉まれることになります。それぞれの職場で、信頼され、活躍できる人材に成長していってほしいと思います。与えられた仕事をただ単純にこなすだけでなく、自分で仕事をみつけることのできる人に成長して欲しいと思います。そして、自分を活かしてくれている周りの人びとに感謝できる、そのような気持ちを持つことのできる人にも成長してほしいと思います。ゼミでは「北船路米づくり研究会」の活動に取り組んできました。この活動での経験は、みなさんが社会人となったとき、必ず役立つはずです。みなさんが社会人として成長されることを楽しみにしています。
▪︎時々、学年の同窓会をやってください。学年の同窓会幹事は、大津の街で働くことになった上田麻央さんにお願いすることにしました。たまには、私も同窓会に呼んでください。みなさんの近況を聞かせていただきたいと思います。そして、卒業後、どのように成長されているのかを確認させてください。楽しみにしています。
2016年4月に社会学部を改組、社会学部福祉系2学科を「現代福祉学科」に改組
▪︎私が勤務する龍谷大学社会学部が改組を行うことになりました。詳しくは、龍谷大学のホームページの記事をご覧ください。
深草
▪︎今日は、深草キャンパスで、定例の大学院の会議が開催されました。そのあと、知り合いの先生の研究室を訪問して、少し情報交換をさせていただきました。もちろん他学部の方ですが、これからの龍谷大学の行く末、特に瀬田キャンパスの行く末に関して、いろいろ情報交換させていただきました。ありがたいことです。その後、外のでると、写真のような感じになっていました。
▪︎トップの写真は、iPhone6plusのパノラマ機能を使って撮ったものです。昼間から夜に移行する時間帯、見慣れた風景であっても不思議な魅力を発します。右端の建物は、ひとつだけ明るい照明がついています。現在建築中の新校舎です。夕方ですが、なかでは工事が行われていました。
▪︎中段左。これも深草キャンパスです。といっても、「おっ…」と思ったのは、微かにまだ明るさを残した空です。写真を撮ろうと意識することで、その微妙な美しさが見えてきました。キャンパスを出て、京阪の深草駅に向かいました。下段の写真は、跨線橋の上から撮った深草駅です。ちょうど「出町柳」行きの普通電車が深草駅に入ってくるところでした。これも見慣れた風景ですが、こうやって写真に撮ると、普段は思いもしない感覚が味わえるのです。
シンポジウム「大津いじめ事件のあと」
■facebookにも同じ写真を投稿したところ、龍谷大学社会学部を卒業した後、教員になるべく京都教育大学の大学院に進学した卒業生から、「第三者委員会のメンバーとして、尾木先生と一緒に取り組まれている先生が院におられます。すごく、貴重な講演会ですね(^^)」とのコメントをいただきました。尾木先生とは、教育評論家として活躍されている尾木ママこと尾木直樹さんのことです。たくさんの皆さんのご来場をお待ちしております。
■詳しくは、以下をご覧ください。
龍谷大学社会学部学会シンポジウム 大津いじめ事件のあと~止められない暴力と向き合う社会へ~
開催日時
2015年1月15日 16:00 〜 2015年1月15日 17:30
開催場所
8号館103教室MAP
お問い合わせ
龍谷大学社会学部学会
龍谷大学社会学部学会シンポジウム
大津いじめ事件のあと~止められない暴力と向き合う社会へ~と き 2015年1月15日(木) 開場15時30分 開演16時00分
ところ 龍谷大学瀬田学舎8号館103教室
講 師 尾木 直樹(教育評論家、法政大学教職課程センター長・教授)
加野 芳正(香川大学教育学部・教授)
森澤 範子(大津市いじめ対策推進室・相談調査専門員)2014年10月11日、大津いじめ事件から3年を迎えた。加害者に対するネット上の批判や社会の反応も大きく、いじめ事件として社会的に強い影響を与えた事件である。また近年は、SNSを使ったいじめもメディアで多く取り上げられている。事件後、いじめに対する取り組みや社会、地域にはどのような変化があったのだろうか。いじめという怪物に立ち向かうために今、私たちにできることは何か。本シンポジウムでは、事件から3年、いじめ防止対策推進法公布から1年を迎え、もう一度いじめについて考え、向き合う場としたい。
入場無料 一般来場歓迎
吹奏楽部の定期演奏会
■23日(火・祝)、大竹茂夫さんの個展を神戸の三宮にある画廊で「堪能」したあと、川西の奥の奥にある老母宅に向かいました。この日は、どうしても大竹さんの個展に行きたかったので、老母の生活介護は妻に頼み、妻が用事をすべて終えてくれた頃に到着することになりました。そこから老母宅の期限切れ間近の軽自動車を車検に出し(ふだんは私が買い物用に使用する)、その後は妻とともに大阪を経由して大津に向かいました。「びわ湖ホール」で開催される「龍谷大学吹奏楽部第41回定期演奏会」を楽しむためです。神戸、川西、大阪、大津…なんとも慌ただしい一日でした。
■この龍谷大学吹奏楽部の定期演奏会、毎年、楽しみにしています。毎年行っているので、とうとう今年はご招待いただきました。関係者の皆さん、ありがとうございます。プログラムは、以下の通りです。
【プログラム】
《Ⅰ部》
○「フライト」 作曲:C.T.スミス
○「日本民謡組曲『わらべ唄』」 作曲:兼田敏
○「アルメニアン・ダンス」 作曲:A.リード《Ⅱ部》
○「歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』より間奏曲」 作曲:P.マスカーニ/編曲:建部知弘
○「交響第5番『革命』より」第4楽章 作曲:D.D.ショスタコーヴィチ/編曲:上埜孝
○「トランペット協奏曲変ホ長調」 作曲:J.N.フンメル/編曲:上埜孝
(客演:菊本和昭 NHK交響楽団主席トランペット奏者)
○「吹奏楽のためのラプソディ」 作曲:外山 雄三/編曲:藤田玄播
■第Ⅰ部の指揮は吹奏楽部コーチの児玉知郎さん、第Ⅱ部の指揮は、吹奏楽部の音楽監督であり常任指揮者でもある若林義人さんでした。こうやってプログラムを拝見すると、Ⅰ部は吹奏楽のために作曲された作品、Ⅱ部は管弦楽の作品を吹奏楽に編曲したものであることがわかります。また、Ⅰ部とⅡ部には、それぞれ「日本民謡組曲『わらべ唄』」と「吹奏楽のためのラプソディ」が入っています。日本の「わらべ唄」や「民謡」をもとに作曲された作品です。ということもあるのでしょうか、今回の定期演奏会のポスターは「日本」をイメージするものになっています。
■前者の「日本民謡組曲『わらべ唄』」は、アメリカの高校生のために1962年に作曲された作品です。後者の「吹奏楽のためのラプソディ」は、1960年にNHK交響楽団が行った海外演奏旅行のために作曲された作品(アンコール用)です。1960年と1962年。戦後復興を一定程度終え、これから本格的に高度経済成長期に突入していく時代です。1964年には、世界に日本の復興をアピールすることになる東京オリンピックが開催されます。日本が国際的な信頼と自らの自信を取り戻そうとする時代です。そのような時代の精神を背景に、日本の作曲家達はどのような思いで仕事をしたのでしょうか…。バルトーク、ヤナーチェクのような作曲家が、母国であるハンガリーやチェコの民俗音楽や民謡にこだわりながら作曲したように、兼田敏や外山 雄三も日本の民俗音楽にこだわったのではないのか…。きちんと音楽の歴史を勉強したことがないので、思いつきのようなことを書いていますが、そのようなことが気になりました。よく、日本のメロディーと西洋の語法との融和を図った…という評価がなされています。以下、今回の演奏に関して、メモ程度のことをごく簡単にまとめておきます。
■私は、学生時代にオーケストラに所属してヴァイオリンを弾いていたので、どちらかといえば第Ⅱ部の曲に注目していました。「歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』より間奏曲」は、しばしば学生時代に演奏した曲です。弦楽器のない吹奏楽でどのように演奏するのか、大変興味がありました。吹奏楽のために編曲されているわけですが、ピアノやピアニッシモなどの部分、弦楽器独特の響きをどのように演奏するのかに関心があったのです。/ショスタコーヴィチの第5番・第4楽章は、練習を積み重ねてきたことがよく伝わってきました。一人一人の皆さんの技術的な高さがよく伝わってきました。/トランペット協奏曲は、初めて聞く曲でした。トランペット奏者にとって、このフンメルの協奏曲は、ハイドンの協奏曲とならんでとても有名な作品ということも知りました。18世紀後半に活躍したアントン・ワイディンガーというトランペットの名手が、有鍵式のトランペットを発明して半音階の演奏ができるようになりました。その名手ワイディンガーのために作曲された協奏曲です。プログラムの解説によると、原曲はホ長調。ところが、実際には変ホ長調で演奏されることがほとんどなのだそうです。調べてみると、変ホ長調の場合、たとえばB♭管では♭が1つですむのに対して、原曲のホ長調だと♯が6つになってしまい、現在のトランペットでは演奏がかなり困難になるとのこと。もちろん、N響の菊本さんのトランペットの演奏は、素晴らしいものでした。第3楽章の技術的に難しそうなパッセージも軽々と吹いておられるので、本当にびっくりでした。ワイディンガーという名手のために作曲されたということがよくわかりました。
■最後の「吹奏楽のためのラプソディ」は、一番楽しみにしていた曲でした。本来は、「管弦楽のためのラプソディ」として作曲されたものです。和太鼓、チャンチキと呼ばれる鉦、拍子木、うちわ太鼓、鐘といった日本の伝統的な打楽器が活躍します。また、「あんたがたどこさ」(肥後手まり唄)、「ソーラン節」、「炭鉱節」、「串本節」、「八木節」など、私たち日本人には聞き慣れた(若い学生の皆さんは違うと思いますが…)民謡が多数登場します。もっとも、この曲を初めてきいた欧米の人たちは、まったく違った印象をもっただろうと思います。打楽器によるリズム、土俗的なメロディ、いずれもが強烈な印象を与えたのではないかと思います(当時の海外の音楽批評がどのようなものであったのかは知りませんが)。個人的なことをかけば、途中に「信濃追分」のフルートのソロが奏でられます。大変感動しました。じつに、じ〜〜んと心に凍みました。この最後の「吹奏楽のためのラプソディ」では、指揮者の若林さんや、パーカッションの方達が法被を着ておられました。また、指揮者のまわりには、うちわ太鼓をもった4名のパーッカション担当の方達があぐらをかいて座っておられました。これも、ひとつの演出なのかなと、楽しませていただきました。
■以下の動画は、NHK交響楽団による「管弦楽のためのラプソディ」です。指揮者は、この作品の作曲者でもある外山雄三さんです。1983年の演奏会ですから、今から30年程前のものですね。コンサートマスターの堀正文さん(現在は、ソロ・コンサートマスター)、むちゃくちゃお若いですね。
【追記】■おもしろいインタビュー記事をみつけました。「指揮者・外山雄三さんが聴く「N響アーカイブシリーズ」- 初海外演奏旅行の秘話を語る」という記事です。NHK交響楽団が初めて海外演奏旅行したときのことに関して、外山雄三さんがインタビューを受けている記事です。