大災害時の大学対応 岩手県立大学総合政策学部「東日本大震災の危機対応記録」
■今から6年前、東日本大震災が発生した時、私は兵庫県の母親の家にいました。一人暮らしの母はすでに身体が弱っており、毎日ヘルパーさんに来ていただき、炊事や洗濯、そして母の身の回りの世話をしていただいていました。加えて、私自身も、ほぼ毎週母親のところに行っていました。ガソリンスタンドに灯油を買いに行き、屋外に設置された石油ファンヒーターのタンクに灯油を入れること、近くのスーパーで買い物をして来ること、神戸灘生協の個別配送の注文表を作成すること、このあたりが私の仕事でした。
■東日本大震災が発生した時、恐らくは買い物中だったように思います。母の家に帰ると、母がこう大きな声で言いました。「あんた、東北が大変なことになっているで」。母は視力をほとんど失っておりテレビを毎日「聞いて」過ごしていました。そのテレビには、岩手県の宮古市が津波に飲み込まれる様子が映されていました。言葉を失いました。翌日からは、岩手県の二戸市に行く予定でしたが、もちろんそのようなことは不可能になりました。
■私は龍谷大学に赴任する前、岩手県立大学総合政策学部に勤務していました。私が2004年に龍谷大学に異動した後も、2011年には半分ほどの教員が退職ないしは他大学に異動されていたように思います。知り合いの教員の方からは、学生の安否確認を必死になって取り組まれていることが伝わってきました。調べてみると、2016年3月に「「東日本大震災の危機対応記録 プロジェクト 報告書 東日本大震災時における岩手県立大学総合政策学部の 危機対応記録」が発行されており、PDFファイルでも読めるようになっていました。以下が、その目次です。「東日本大震災の危機対応記録」プロジェクトメンバーである、金子与止男、Tee Kian Heng、山田佳奈、島田直明、小井田伸雄、以上5名の先生方によって作成された報告書のようです。金子先生以外は、面識のある方達です。
目次
はじめに
第1章 東日本大震災時の危機対応の記録
第2章 総合政策学部における「教職員」の安否確認
第3章 総合政策学部における「学生」の安否確認作業の経緯と課題
1.在学生の安否確認はどのようにおこなわれたのか
2.安否未確認の学生数の推移
3.安否確認作業の「実施主体」としての学部地震災害対策本部の設置と役割
4.「入学予定者」の安否確認はどうあるべきなのか
第4章 学生に対する経済的措置に関する課題
1.岩手県立大学が発表した措置について
2.他大学の対応
3.他大学の経済支援措置を含め、見えた課題
おわりに
資料集目次
■東日本大震災のような大災害が関西で発生した場合、龍谷大学の教員としては自分はどう行動するのか。このことについては、いろいろ考えて来ましたが、一人だけではもちろん話しになりません。学部として、大学として、どのような対応して行くのか。私自身は、全く情報がありません。本学のどこかに、そのような情報があるのでしょうか。それも知りません。これでいいのだろうか…。ダメです。
■こ報告書の最後には、次のような課題も書かれています。
被災した新入学生としては、入学料が免除されても、生活費等の見込みがなけれ ば入学を躊躇すると思われる。在学生も、やはり授業料が免除されても、生活費等の見込 みがなければ退学を考えるかもしれない。生活費等の支援に関しては、今回のような大規 模災害では多くの団体が奨学金を出して、援助を行っているが、奨学金の申請や選考には 時間を要するため、奨学金が給付されるまでの期間の生活費等を確保する必要がある。よ って、入学を希望している被災地(災害救助法適用地域)の学生に対して、就学の機会を できる限り保証するという観点から、被災した学生が入学金と授業料が免除されるのみな らず生活費等の見込みが立つように、大学は経済的支援体制を整えておく必要がある。
【追記1】■災害と大学…で頭に浮かんでくるのは、内田樹さんのブログの以下の投稿です。「ばかばかしくてやってられるか」というタイプや、自分では目の前の状況に対して何もせず、「大学の瓦礫が片づいた頃にきれいな服を着て教員の仕事をするために現れ」、「震災経験から私たちは何を学ぶべきかとか、震災で傷ついた人々の心をどうやって癒したらよいのか、というようなことを教授会でしゃべる」ようなタイプの教員にだけはなりたくないものです。
「2005年01月18日 震災から10年」(1月17日)
【追記2】■学内にも、災害への対応策をきちんと考えておくことが必要だと思う教職員もおられるとは思いますが、私が知る限り、そのようなこときちんと検討してきたかどうか、よくわかりません。
・学生の安否確認
・教職員の安否確認
・地域への対応
・校舎や施設の確認
・授業の再開はどうするか
・成績はどうするのか
・定期試験をどうするか
・入試をどうするか
・学生への経済的支援はどうするのか
・学生のキャリア支援はどうするか
・災害に備えた様々な物の備蓄
・その他諸々
■それぞれ、被害の深刻度に応じて優先順位も異なりますし、考えればきりがありませんが、あらかじめそれなりの備えは必要だといつも思っています。ということを、3月11日にエントリーするだけでは、ダメですね。本当に。
三寒四温
■あたふたと年度末の仕事に取り組んでいます。そのような日々のなかで、少しずつ暖かくなってきているのを感じます。まだ、寒い日があると思いますが、寒い日がすぎるごとに暖かさが増していくように思います。今日は春の雰囲気を感じています。そんなことを、自宅近くに咲いている梅の花をみながら感じました。ところで、こういう季節を表現する言葉に「三寒四温」がありますが、どういう自然科学的・気象学的な背景があるのかしりませんでした。こういうことなんですね。
三寒四温とは、冬の時期に寒い日が3日くらい続くと、そのあとに比較的暖かい日が4日続くという意味の言葉で、寒暖の周期を表しています。
もとは中国の東北部や朝鮮半島北部で冬の気候を表す言葉として用いられました。冬のシベリア高気圧から吹き出す寒気が7日ぐらいの周期で、強まったり弱まったりすることに由来する言葉とされています。
日本の冬は、”3日間寒い日が続いた後に4日間暖かい日が続く”という周期が現れることはほとんどありません。
その代わり、日本では早春になると低気圧と高気圧が交互にやってきて、低気圧が通過し寒気が流れ込んで寒くなった後、今度は高気圧に覆われて暖かくなり、周期的な気温の変化を繰り返すことが多くなります。
このため、日本においての『三寒四温』という言葉は、本来使われる冬ではなく、寒暖の変化がはっきりと現れる春先に用いられるようになりました。
■学内、学外、年度末の締切のある仕事が次々に迫ってきます。頑張ります。
琵琶湖遭難事件と比良おろし
■前回のエントリーは琵琶湖周航の歌がテーマでした。この動画もYouTubeで見つけたものですが、琵琶湖周航関連です。。ニュースですので著作権が心配ですが…、まだご覧になることができます。京都大学のボード部OBに皆さんが、ボートで琵琶湖一周する周航を計画しているというのです。頑張りますね。無事に1周できる良いですね。本番は6月です。
■なぜ6月なのか、関係者に直接聞いたわけではありませんが、6月から8月にかけての夏の季節が一番琵琶湖に強風が吹かないから…ではないかと推測しています。私は気象については全くの素人なのですが、ローカルな気象現象について研究されている在野の研究者の方達がおられます。琵琶湖地域環境教育研究会の皆さんです。この研究会が、そのローカルな気象現象の日々のデータを丹念に集めながら取り組まれている活動に「ビワコダス」があります。この取り組み、非常に重要だと思っています。この「ビワコダス」の取り組みをもとに、研究会が琵琶湖の気象の中でも特に特徴的な「比良おろし」に解説した文章があります。「改訂版琵琶湖ハンドブック」の中の解説です。これは、PDFファイルでも読むことができます。リンクを貼り付けておきますね。
■このリンク先の解説をお読みください。「比良おろし」とは、若狭方面からの風が比良山地の南東斜面を琵琶湖側に駆け下りる強風のことです。JR湖西線がしばしば強風で止まりますが、多くの場合、この「比良おろし」の影響かと思われます。「比良おろし」の中でも、頻度が一番高いのは3月、そして4月ということになります。毎年3 月末に行われる天台宗の「比良八講」と呼ばれる行事の前後に吹くものを「比良八講・荒れじまい」、「比良八荒(ひらはっこう)」と呼びます。この風が吹くといよいよ春がやってくると滋賀の皆さんは実感するわけです。
■冒頭に紹介した京都大学のボート部OBの皆さんは、琵琶湖一周の周航を6月に実施されます。しかし、戦前(1941年4月6日)のことになりますが、4月の最初に、この琵琶湖でボートをこぐ学生たちが遭難したという事件がありました。「琵琶湖遭難事故」です。金沢第四高等学校のボート部の学生8人は、京都大学の学生ら3人、合わせて11人の皆さんが、現在の高島市の今津から出発し遭難しました。事故の原因ですが、「比良おろし」に煽られて沈没したのだろうと言われています。琵琶湖地域環境教育研究会の研究によると、「比良おろし」は、比良山地周辺において北西側の気圧が高く、地上等圧線が北東から南西に流れる時によく発生するようです。
湖西線と長靴
■今年の滋賀県はよく雪が降りますね。たまたまなんですが、滋賀県の降雪に関して、「北雪」「中雪」「南雪」という言葉があることを知りました。詳しく解説した文献を確認できていないので気象学的な説明はできませんが、気圧の関係で風の向きが変わり、降雪量に差が生まれてくるようです。私は湖西線沿いに住んでいますが、一駅南に行くと、途端に積雪量が変わります。どうも、私の住んでいるところは「中雪」の最南端にあたるようです。素人推測でしかありませんが…。
■上の写真は、最寄駅のものです。一昨日の夜中は全く雪の気配がありませんでしたが、朝になるとそれなりに雪が積もっていました。朝10時から京都の上賀茂にある総合地球環境学研究所で、参加している研究プロジェクトの拡大コアメンバー会議が開催されたため、雪の中を歩けるように長靴で出かけました。しかし、隣駅では薄っすら白くなっている程度で、ずいぶん積雪量に差があることに気がつきました。そういえば、前回の降雪の際も同じ感じだったなあ…。もちろん、山科や京都に到着すると、街中はほとんど雪が積もっていません。総合地球環境学研究所のある上賀茂は、市内でも北部に位置するわけですが、それでも雪はあまり積もっていませんでした。長靴は、完全に「ハズレ」でした。下段の左の写真は、総合地球環境学研究所から撮った比叡山です。
■しかし湖西線沿いに暮らす人びとにとって、特に農村地域だと、雪の日、長靴は必需品です。自宅から駅までは長靴。そこで革靴に履き替えます。長靴はどうするのか。スーパーの白い袋に名前を書いておいて、その袋に入れておくのだそうです。ロッカーがあるわけではありませんが、駅の壁際に長靴の入った白い袋がずらりと並ぶのだそうです。私は、自分自身で目撃したことはありませんが、湖西線沿いにお住いの方からそのことをお聞きしました。私の住んでいるところは、そのような白い袋は並びませんが、なるほどと納得しました。昨日は、総合地球環境学研究所での会議を終えた後は、研究仲間である京都大学生態学研究センターの谷内茂雄さんと京都の出町柳で夕食を一緒に摂りました。もちろんお酒を飲みながら。さあそろそろ帰宅しようかという時間になると、出町柳界隈でも雪が降り始めていました。自宅近くは、下段右の写真のようにすでに真っ白。長靴が役立ちました。朝は「ハズレ」と思いましたが、反省。湖西線沿いの暮らしには、長靴が必要なんです。
暴風雪警報
■昨日のことですが、研究室に突然電話がかかってきました。「先生、暴風雪警報が出たので、5限と6限の授業は中止になりました。天気がひどくならないうちに、早くご帰宅ください‼︎」。この日は、最後の授業の日でした。5限と6限に授業をお持ちで、その講義内容に関しても定期試験に出題しようとお考えの教員の皆さんは、困られたのではないでしょうか。私はといいますと、19時に大津京駅で人と待ち合わせをしていました。学生のキャリア形成に関連する地域連携のご相談をいただいていたのです。企画書を見せていただき、いろいろお話しをさせていただく予定でしたが、その相手の方も、公務員をされている関係で動きが取れなくなったとのことで、相談は延期になりました。
■上の左の地図をご覧ください。赤い府県は警報が発令されているところです。鳥取、京都、福井、石川、富山、そして滋賀が赤くなっています。この辺りは、気象的にはつながっていますね。滋賀県は、日本海の影響を強く受けていることがわかります。上の左の天気図をご覧ください。日本海にある低気圧のあたりで、白い線が混み合っていますね。この白い線は等圧線です。気圧をこの等圧線で示しているのです。等圧線が混み合うほど気圧の傾きが急になります。短い距離で、急激に気圧が下がる訳です。地形に例えれば、等高線が混み合うと、そこは坂ですね。こういう坂のようになっいる場合、風が強くなるのです。なるほど、気象庁が暴風雪警報を出したことも納得がいきます。ところが、夕方の段階ではいつ暴風雪がやってくるのだろう…、その気配まったく無し…という感じでした。23時頃に布団に入ると、やっと外で強い風が吹いていることが音で伝わってきました。強い雨も降っているようでした。結局、雨ですみました。これが雪だったら…。早朝からまた雪かき作業をしなければなりませんでしたから。
■気象に詳しい方のご説明では、「雪か雨の予想は気象庁も難しいんですよね」とのことでした。確かに、そうですね。雨が雪になるのは、いくつかの条件が揃わないといけないのでしょうね。まあ、難しいことは私にはわかりませんが、今回は助かりました。雪かきが必要なほど降雪があると、ひとつ前にエントリーした伊香立の研修会の会場まで移動が、とても大変になっていたでしょうから。
比良オロシと湖西線
■昨晩は、今年最後の忘年会でした。龍谷大学の世界仏教文化研究センターの関係者の皆さんとの忘年会でした。センターの職員や研究員の皆さん以外にも、文学部の真宗学、仏教学そして実践真宗学研究科の若手教員の皆さんもご参加くださいました。当初は、研究部長として世界仏教文化研究センターの皆さんのご苦労をねぎらうつもりでやってきたのですが、すっかりそんなことは忘れて、最終電車近くまで、皆さんと宗教や仏教と社会との関係について、いろいろお話しをさせていただくことができました。
■とても勉強になりました。こういった、学部の壁を超えた形での学問的な「つながり」は非常に大切だと思いました。私自身、素人勉強のレベルで仏教の本を読んでいますが、普段思っている素朴な疑問についても、いろいろ教えていただくことができました。ありがたかったです。
本学には実践真宗学研究科がありますが、そこでは社会実践実習に取り組んでおられます。社会学部で行なっているCBL教育等とも関係があります。両者とも学内の組織であるにもかかわらず、あまり交流がありません。「つながる」ことで、もっといろいろできるはずです。様々な可能性が顕在化してくるといいなと思います。
■というわけで、気分良く京都駅から湖西線の終電に乗ったのですが、電車は大津京までしか進みません。どうしたんでしょう。車内放送からは、強風で湖西線、再開の目処がたっていないというのです。あとで調べてみましたが、JR西日本列車運行情報がtwitterで「湖西線では強風のため、堅田駅~近江今津駅間で運転を見合わせています。現在も、断続的に非常に強い風が吹いているため、本日は最終列車まで運転を見合わせます」という情報を流していました。これはいけません。1時間待って1時半頃になっても動きそうにないので、JR大津京駅からはタクシーで帰ることにしました。仕方ありません…。湖西線が強風で止まる…というのは、よく知られたことです。湖西線沿いに暮らすようになって、その「洗礼」を受けたわけですね。
■堅田駅から近江今津駅までの間には、比良山系がそびえ立っています。この比良山系から琵琶湖側の大津市の旧志賀町へ吹き降ろす強風のことを、「比良オロシ」と言います。長年にわたって滋賀の気象について研究されてきた松井一幸さんと武田 栄夫さんが2001年に発表された研究成果によれば、「比良オロシ発生時には『気圧が比良山系から見て、北西に高く南東に低い状態で、地上等圧線が北東から南西にほぼ 45°に走っている』ことが殆どの場合に見られた。この 事実を『比良オロシの45度マジック』と呼ぶことにする」と述べておられます。ただし、「45 度マジックは比良オロシが発生するための必要条件であるが十分条件ではない。比良オロシが発生するためには,ある程度の気圧傾度や寒気が必要である」ということも述べておられます。
■私自身、気象や天気図のことについてはよくわかっていませんが、昨日の晩18時の天気図を見てみたいと思います。トップの画像がその天気図です。確かに「気圧が比良山系から見て、北西に高く南東に低い状態で、地上等圧線が北東から南西にほぼ 45°に走っている」ことがわかります。ネットの天気予報では、「26日(月)から27日(火)にかけては低気圧が発達しながら通過する影響で広く雨や雪となり、風も強まります。天気も気温も変化が大きくなりそうです」とのことでしたが、実際、滋賀は夜に大荒れとなり、湖西線は止まってしまいました。ちなみに、湖西にある南小松では、21時01分に、最大瞬間風速が25.8m/s(北北東)となったようです。相当強い風です。
突然の豪雨
■昨日の朝、急に猛烈な雨が降り始めました。「iPhone6 Plus」に入れてあるアプリ「XバンドMPレーダ」でチェックしてみました。これは、国土交通省の「XバンドMPレーダネットワーク(XRAIN)」の情報をもとに、地図上に雨量を表示するものです。とてもきめ細かく・短い時間間隔で降雨の具合を表示してくれます。1分毎におよそ250m四方という非常に細かい雨の分布がわかります。左の画像は、そのアプリが表示したものです。北北東から南南西にかけて、赤い帯が伸びていますが、これから雨が降っている地域です。赤は1時間に50mm以上の雨量を示しています。
■ずいぶん不思議ですね。とても細長いです。今度は、やはり「iPhone6 Plus」に入れてあるアプリ「weathernews」でチェックして、全国的な雨雲の動きを見てみました。日本海から能登半島そして、近畿にかけて雨が降っています。どうしてこのような雨の振り方をするのか、正確に説明できるだけの知識がありません。それはともかく、こういう自分が今いる地上の状況(「虫の眼」)と、アプリが示す広い範囲の情報(「鳥の眼」)の両方をうまく使いこなすことが必要だと思っています。昨日は、仙台市は地下街に雨水が流れ込みました。いわゆる「都市型災害」と呼ばれるものです。最近は、非常に狭い範囲でのゲリラ豪雨もしばしば発生します。まずは自助努力でできること、いろいろ考えてみなければなりません。
亡き人との“再会”
▪︎2013年に、NHKスペシャル『シリーズ東日本大震災 亡き人との“再会”~被災地 三度目の夏に~』が放送されたらしいのですが、私は視ていません。非常に残念です。今日、たまたまこの番組のことをYahooが提供する雑誌情報を読んでいて知りました。「NHKも取り上げた被災地の“心霊体験”はまだ終わっていなかった」という記事です。被災地で、亡くなった方たちの幽霊の目撃談が後を絶たない…という内容です。詳しくは、お読みいただきたいのですが、以下に引用をさせていただきます。
メディアではNHKが2013年に「津波の犠牲者と再会した」「声を聞いた」といった被災者の不思議な体験を特集したNHKスペシャル『シリーズ東日本大震災 亡き人との“再会”~被災地 三度目の夏に~』を放送し、大きな反響を呼んだ。またAFP通信などの海外メディアもこの事象を報じている。こうした幽霊話は被災地ではすっかり定着しているのだ。
「これまで様々な災害を調査してきましたが、幽霊に関する話がここまで顕著だった災害は近年、ありませんでした。しかも単なるウワサ話と異なるのは、4年という長期間にわたって語り継がれていることです」
そう指摘するのは、災害社会学や災害情報論を専門とする日本大学文理学部社会学科の中森広道教授だ。
その一方、本誌が取材を進めていく中で多く聞こえてきたのが、(1)「顔のある幽霊」、つまり実在した人間が登場する話(2)一般的な心霊話のように憑(つ)いたり祟(たた)ったりするのではなく、どこか温かみを感じさせる話、のふたつだ。
例えば、こんな話。夜、仙台市内で女がタクシーを止める。行き先は津波被害を受けて更地となった沿岸部の住宅地。「こんな時間に行っても何もないですよ」と言いながらも女を乗せて走り始めた運転手がしばらくして後部座席を見ると誰もいない。だが運転手は「きっと住み慣れた町に帰りたいんだろう」と、消えた女の気持ちをおもんぱかって目的地まで車を走らせた。
また、こんな話も。仮設住宅に知り合いのおばあちゃんが訪ねてくる。茶飲み話をして、そのおばあちゃんが立ち去ると座布団が濡れている。そこで初めて茶飲み仲間たちは「そういえば、あのばあちゃん、死んだんだっけな」と気づく。でも誰も怖がったりしない。「ばあちゃん、物忘れがひどかったから自分が死んだの忘れてんのかもな。まぁそのうち気がつくべ」
▪︎このような事象に関して詳しく学んでいるわけではありません。ネットでではありますが、少し調べてみると阪神淡路大震災でも同様のことが言われていたようです。しかし、東日本大震災のばあい、記事のなかの中森さんは「幽霊に関する話がここまで顕著だった災害は近年、ありませんでした」と指摘されています。どのような要因が、阪神淡路大震災と東日本大震災の違いを生み出しているのでしょうか。ひとつには、阪神淡路大震災と東日本大震災を比較したばあい、被災地の広さが違います。広い方が、こういう幽霊の目撃談が増えそうな気もしますが、そのことで説明しつくせるかというと、どうも違うような気がします。
▪︎私はこのニュースを読んで、すぐに頭に浮かんできたことがあります。それは、ある研究会で、医師である岡部健先生から「お迎え」の話しを伺ったときのことです(岡部先生は2012年の秋に、肺ガンでお亡くなりになりました。以前のエントリーをお読みいただければと思います)。臨終を間近にしたとき、自分の家族や親しかった友人があの世から自分を「お迎え」に来てくれることを多くの人びとが経験しており、しかもその「お迎え」を経験した人びとの多くが穏やかな最期を迎えられるのだそうです。人びとの意識の深層にある、広い意味での死生観が影響しているのでしょう。それが東北固有のものなのか、それ以外の地域でも確認できる一般性のあることなのか…そのあたりのことは私にはわかりません。しかし、このような死者とのコミュニケーションを可能にするような心性が東北の人びとの心のなかにあるとすれば、「幽霊に関する話がここまで顕著だった災害は近年、ありませんでした」という中森さんのご指摘もなんとなく理解できるような気がします。東日本大震災と幽霊の目撃に関連するネット上にある記事のリンクを「まとめた」ものです(NAVERまとめ)。このなかには、いろいろ興味深い記事があります。
【追記】▪︎以下の記事も興味深いですね。
【3.11震災から4年】被災地で幽霊目撃談が多い本当の理由
「小流域」の土石流(岸由ニ)
■ネットの「日経ビジネス」に「秋も台風直是期、天気予報も行政もアテにならない時代が来た 広島県安佐南区の土石流災害は回帰できたか?」という記事が掲載されていました。インタビュー記事です。インタビューを受けているのが岸由ニさんだったので、丁寧に読んでみました。土石流災害を、流域の視点から説明されている点に新鮮さを感じました。岸さんには、まだ私が40歳頃に、参加していた「流域管理のプロジェクト」に対する評価でお世話になりました。そのとき、自分たちの研究を励ましていただいた記憶があります。ちなみに、このブログでも、「岸由ニさんの本」をエントリーしています。
■さて、この記事のなかで、岸さんは、次のように語っておられます。
地質以上に地形なのだと私は思っています。山間の土石流災害にしても、河川氾濫にしても、名古屋で起きた地下鉄駅の水没にしても、水害は地形によって起きるのです。じゃあ、その地形とはなにか。「流域」です。(中略)今の日本で起きている水害は、「なに」で起きているか。天から降ってきた大豪雨によって起きます。でも、「どこ」で起きているか。それは、それぞれの場所が属している「流域」の地形で起きているのです。
■今回の広島の土石流災害はどこでおきているかというと、「すべて山の斜面に広がっている「流域」の出口に当たる部分」なのです。
水は必ず高いところから低いところに流れます。そして流れ落ちる水は地面のより柔らかいところを削りながら流れます。雨が降って地面に落ちてきた雨水はこの2つの法則に沿って、地面を削り、低い方へ低い方へ流れ、川になって、その川がどんどん合流して最後は海にたどり着きます。こうやって雨水が削ってできた地形が「流域」です。
山に降った雨は、斜面から谷へと落ちて川に流れ込みます。山の一番高いところをつないだ「尾根」に囲まれたエリアに降った雨は、すべてこの谷を走る川に流れこみます。尾根の向こうは別の流域になります。自然の地形のほとんどは、このように流域がパズルのように組み合わさってできています。土地は、ほとんどの場合、雨水がつくった「流域」のかたちの中に収まっているんです。
今回の広島の災害は、山の斜面の、100ヘクタールにも満たない小さな流域が山から平地にひらかれる扇状地のような場所で起こっています。土石流災害が起きた扇状地のような場所は、原理的に考えれば、大雨がふれば必ず水と土砂が集まる場所です。そこに人が集住していなければ、土石流は大雨に対する流域の自然な反応であって災害にはなりません。しかしそこが居住地になっていれば、豪雨の規模に応じて、大きな土砂流がおき、限度をこえれば大災害になる。自然のメカニズムでいえば、当然のことなのですね。
■今回の災害がおきた流域のことを、岸さんは、仮に「小流域」と呼んでおられます。「流域は尾根で区切られて入れ子状になって」おり、「大流域の中に中流域、中流域の中に小流域が組み合わさって」できているのです。岸さんは、今回の災害のばあいは、「流域が上流域に広い集水面積をもち、下手で絞られる形をしている」ことが大きな災害を生み出していると指摘されています。しかも、その上、流域の森林においてこまめな管理されておらず、山の保水力が極度に低下しているため(モヤシ林で下草もはえない…)、豪雨の際には森林ごと流されて、倒木により小さなダムがうまれ、それが決壊したときにさらに大きな被害を生み出すというのです。
倒木や土砂による小さなダムは、斜面に複数できていることが多いものです。決壊したミニダムは、次々に勢いをまして、その下にあるミニダムを決壊させます。倒木と土砂がミニダムを崩壊させながら谷へ向かって滑り落ちていきますから、物凄いスピードと破壊力を持った土石流になるわけです。
広島でも、大島でも、被害の発生した小流域では、このようなことが起きたのではないかと想像されます。次々とミニダムを決壊させて勢いを増すカスケード型の崩壊は本当に怖いんです。
■岸さんは、動画も紹介されています。以下のものです。「流れの先端は倒木や石だらけ」です。「温暖化豪雨時代」、「森林管理不在時代」の現在、このような小流域が大災害をもたらす時代になっていると警告されています。また、流域の考え方を防災に取り入れる必要性があると強く主張されています。地域住民は、自分たち自身でそのことを確認する必要があるのです。『「流域地図の」作り方』の著者らしい主張です。
■岸さんは、最後にこうアドバイスされています。
安佐南区の災害が起きた八木地区の地名は「八木蛇落地悪谷」でした。豪雨があれば、大量の土砂の流れ落ちる流域であると、昔の人は良く知っていたのでしょうね。自分の住んでいるところが危ないとわかったら、地域住民で協力して裏山の森の手入れをするなどというのも良い対応かもしれません。谷に溜まっている倒木の処理をするだけでも、きっと被害を小さくすることができますよ。
XバンドMPレーダ
■先日、いわゆるゲリラ豪雨のため、普段通勤に使っている近畿日本鉄道だけでなく、阪急、京阪、JRの列車のいずれもが京都行の運行を一時とりやめるという出来事がありました。私自身は、近鉄だけのことかと思い、大阪経由で大学に向かおうとしましたが、大阪梅田に到着した時点で、滋賀にむかうあらゆる鉄道がストップしていることを知りました。私はiPhoneを使用していますが、電車の運行状況や天気に関する情報を丹念に探して読んでいればこんなことにはならなかったのですが…。そのようなことと、どれくらいの量の雨が、どの地域に集中的に降っているのか、特にゲリラ豪雨に関しても情報が欲しいものだと思いました。ところが、そのような情報をすぐに入手できるアプリが存在していたんですね。「X-バンドMPレーダー」です。私はiPhoneユーザーですが、App Storeからダウンローでできました。
■このアプリ「X-バンドMPレーダー」について、日本気象協会では、次のように説明しています。なるほど…なのです。これは役に立ちそうです。重宝しそうです(役にたつ、重宝する…そんな天気は困る訳ですが…)。
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X バンドMP レーダは、既存のレーダと比較して、高分解能・高頻度で観測可能なレーダです。水平方向に振動する電波と垂直方向に振動する電波の2 種類の電波を同時に送信・受信することで、3 次元で雨及び風の観測を行い、雨雲の発達と移動過程の予測が可能となり、局地的な豪雨の早期検知が期待されています。
国土交通省は、近年、深刻な水害を引き起こす原因となっている集中豪雨や局所的大雨に対して、ほぼリアルタイムに観測可能なX バンドMP レーダを全国に設置し、豪雨時の防災や避難指示などに役立てようと雨量データの提供を開始しています。
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■この画像は、「X-バンドMPレーダー」で確認した昨日の朝のものです。私は奈良に住んでいます。朝、フルマラソン出場に向けて練習をしているのですが、急に雨が降ってきました。これは練習を中止したものか、それとも雨宿りをしてしばらく様子をみたほうがよいのか…と悩んだとき、このアプリを使ってみたのでした。画像から雨雲は真東に移動していることがわかりました。しばらくすると雨はやんでくれるかも…と判断しました。実際、すぐに雨はやみました。上の画像は奈良市西部に焦点をあわせたもの、下の画像は関西圏の広さに拡大したもので。なんだか、すごいな〜。実際のものすごいゲリラ豪雨は困ったものですが、このアプリと空模様を眺めれば、様々な判断が可能かと思います。
■以上は、iPhoneのアプリについての紹介ですが、パソコンからも情報を確認することができます。
日本気象協会 国土交通省提供 XRAIN雨量情報
■こちらはゲリラ豪雨の動画です(動画へのコメント:ゲリラ豪雨も心配ですが、あっちゃんも…心配)。
大阪市枚方市を襲ったゲリラ豪雨
【追記】■9/6の夕方、京都南部に住んでいる脇田ゼミOGの方が、以下のようにツイートしていました。
「ふぎゃあ、怖い怖い! ものすごい雷雨で外が見えない! 窓に雹?がビシバシと。」
「こないだ浸水したときの比じゃないよ。ヤバイヤバイ」
「お、収まってきた…。短時間でよかった。あんなにすごい雷雨と風じゃ、避難なんてできないよー(;´Д`A 」
「短時間で収まりましたが、窓ガラス割れそうで怖かったです(>_<) 」
■その時の様子が、右の画像です。赤くなっているところは、雨量がものすごいというてことですね。ゲリラ豪雨です。この雨雲が東から西へと移動しています。この画像を私は研究室で見ていました。大津の空模様が少し怪しくなってきたからです。ゼミOGの彼女にも教えてあげればよかったですね。「もうじき、短時間だけど大雨になるかもよ。注意して」って。