敬老の日
◼︎昨日は敬老の日でした。以前は、老いた両親のための日だったように思いますが、その両親もともに亡くなり、自分自身に孫が生まれて私自身が還暦を超えると、今度は、私が感謝の気持ちを伝えてもらう日になっています。
■このメッセージカードは、2歳になる孫娘がプレゼントしてくれたものです。通っている保育園で作ったようです。小さな手に絵の具をつけてカードにスタンプ。これは「象さん」ですね。まだ2歳なのでひらがなは書けませんが、孫の気持ちを両親(娘夫婦)が代わりにメッセージにしてくれました。私が79歳になる時、孫娘は成人します。その時までは、なんとか生きていたいと思います。大丈夫かな。
◼︎先ほど、両親がともに亡くなり、孫娘が生まれ…と書きました。これで完全に世代交代です。プライベートで世代交代したら、仕事でも世代交代しつつあります。これで自然です。ただし、「おじいさん」(老人)のカテゴリーに移り、健康面ではいろいろ心配になります、やはり。「人生100年時代」と政府は高齢者を煽りますが、「政府に頼らずに、いつまでも自力で稼いでくれよな」という裏のメッセージが聞こえてくるかのようです。というか、それが本音だと思います。まずは健康を維持すること、健康寿命を延ばすことが大切になります。あまり自信がありません。両親を看病・介護してきた経験があるからです。そんな簡単ではありません。両親は、息子である私に看病・介護されても当然と思っていたようですが、私が本格的に老人になった時はどう思うでしょうか。多くの同世代の皆さんは、子どもたちには世話になれないと、どこかで思っているのではないでしょうか。やはり、地域の中に、人の最期を支える「共助の仕組み」が必要だと思うわけです。さて、どうしたものか。今、地域にある様々な資源をつなげて、地域の中にその「共助の仕組み」を作れないだろうかと相談を受け、福祉の専門家、僧侶、様々な方達とそのデザインを考えようとしています。うまくいったら良いと思っています。
◼︎すみません。話が逸れてしまいました。昨日の敬老の日、孫のひなちゃんからカードをもらってとても幸せな気持ちになりました。ありがとう。ひなちゃん。
けんいちおじいちゃん
◼︎最近の体調ですが、良くなったり、悪くなったり…。背中の凝りが肩、そして首へと伝わり、頭痛が発生するのですが、ひどくなるとこの前は難聴から目眩が起きてしまいました。耳鼻科ではメニエール病との診断でした。ということで、首のストレッチに取り組んでいるのですが、それでもしんどくなることがあります。今日は、くしゃみや咳をした時に頭痛が発生するだけでしたが、昨日は、かなり調子が悪かったです。いろいろ経験してみてわかりましたが、動き回っている方が症状がひどくなりません。じっとデスクワークをしていると症状がひどくなります。仕事は、デスクワークが基本なので困りました。還暦を過ぎて、いろいろ身体にガタがきているのでしょうね。最近は運動もきちんとしていませんし。健康寿命を延ばすためにも、もっと日常生活でいろんな工夫をしなければなりません。80歳になった時に、初孫と一緒に、大津駅前のいつもの居酒屋「リヤん」に一緒に行くこと、それが人生の最終目標ですので、それまでは頑張らねばなりません(笑)。
◼︎というこで、前振りはこれぐらいにして、ここからが本題。今日は孫の話です。facebookの方では、お友達限定ですが、孫のひな子(2歳4ヶ月)の成長の過程を、「ひなちゃん通信」として投稿してきました。多くの皆さんに「癒される〜」と好評だったのですが、孫の母親(娘)から「そろそろSNSにアップするのは…」と注文が入り、それもそうだなと素直に納得して「ひなちゃん通信」を終了しました。写真はアップできませんが、孫の成長を楽しみにしてくださっている皆さんに、ひさしぶりにひな子のことを投稿しました。ひな子が描いてくれた、私の顔です。母親が「これは誰?」と聞いたところ、「けんいちおじいちゃん」と答えたようです。おじいさんは、笑っていますね。ヘラヘラ。顔の周りを何かがグルグル回っています。酩酊しているのでしょうかね。孫はおじいさんのことをよくみているな〜。
孫の成長
◾️大変私的なことで恐縮ですが、孫に関連するエントリーです。孫のひな子が満2歳になりました。ついこの間、この世に生まれてきたばかりのように思うのですが、今は1人で滑り台をすべることができるし、たくさんの言葉を覚えていろいろ喋られるようにもなっています。「女の子の成長は早い…」とよく言われますが、本当にそうだよな〜としみじみ思うわけです。ひな子の母親である娘が、毎月、孫の写真をとってカレンダーにして送ってくれており、そのカレンダーを自宅の壁にぶら下げて飾っています。このような飾り始めた時は、当然のことながら、まだ枚数は少なかったのですが、2年間でこれだけの枚数になりました。上の方から眺めていくと、孫の成長のプロセスがよくわかります。
◾️昨日は、1日早くなりますが、自宅近くのレストランで、家族だけでお誕生日のお祝いをしたようです。娘によれば、ベルを鳴らして店員さんに来てもらい「ケーキください」と言えるし、ケーキのロウソクも自分で消せるらしいです。いいいですね〜。ひな子は保育園に通っていますが、今朝は保育園につくと、先生が「ひなちゃんお誕生日おめでと〜!」と出迎えてくれました。すると、ひな子も「ひなこお誕生日よ〜2歳よ〜〜!」と自分でも言っていたそうです。お誕生日が、自分にとって特別な日であることがわかっているのですね。というのも、保育園のお友達がお祝いしてもらうのを見て、自分の誕生日がやってくるのを心待ちにしていたからです。保育園のお誕生日会もとても嬉しかったようです。こういう話を娘に聞かせてもらって、おじいさんである私は、とても幸せな気持ちになれるのです。ありがたいことです。
◾️もっとも、今晩は、iPhoneのFaceTimeで、娘や孫のひな子と「テレビ電話」をしようとしましたが、慣れないというか、驚いた孫に泣かれてしました…(悲)。もう少し頻繁にあって、もうすこし頻繁にFaceTimewでやりとりが必要ですね。こう書いてしまうと、誤解をされてしまいそうですが、実際にあってしばらく時間が経つと、こんな風に仲良くなりますよ。この写真は、すこし前のことになりますが、娘の家族と一緒に神戸にある「アンパンマンこどもミュージアム神戸」に行った時に撮ってもらったものです。
稲刈り
◾️このプログでは、あまりにも個人的過ぎるかなと、あまり触れないようにしていますが、facebookでは週1回、孫の成長の様子を投稿しています。娘が孫の成長の記録を写真や動画に撮って送ってくれるからです。普段なかなか会えませんが、娘のおかげで孫の成長を見守りつつ楽しむことができています。ありがたいことです。スマホで簡単に写真や動画を撮ることができない時代、遠く離れた祖父母の皆さんは、孫の成長をどのように見守っていたのでしょうね。
◾️普段は写真や動画でしか孫の成長を見守ることができませんが、一昨日は、大阪で孫と遊んできました。祖父である私にとって、孫と接することは心の栄養をもらえるかのようです。これまでは、たまにしか会うことができないので人見知りをされていましたが、一昨日は、私に抱っこされても普通にしていました。やっと、慣れてくれたんでしょうかね。祖父とは自分にとってどういう人物なのか、まだ理解はできていないと思いますが、少なくとも危険な人物ではない、抱っこされても問題ないと思ってくれているのかなと思います。。
◾️昨日は孫の父方の親戚のお家で稲刈り作業があり、家族で手伝いに出かけていったたようです。去年も来ていますが、まだなんのことやらわからなかったでしょうね。今年は少しはわかるようになったかもしれません。親戚のお姉ちゃんにも、しっかり遊んでもらいましたし、おとうさんには、コンバインに乗せてもららいました。「せっかくだから、将来は、田植え機やコンバインも操作できる『農ガール』になっておくれ」と、おじいさんである私は思っています。
◾️写真は、娘が送ってくれたものです。facebookにも投稿しましたが、なかなか評判がよかったので、このブログにも掲載させてもらうことにしました。親戚のお姉ちゃんに手をつないでもらって、黄金色に染まった水田の中の一本道を歩いています。空の雲のコントラストや、一本道に伸びる親戚のお姉ちゃんと孫の影が、写真を印象深いものにしています。
孫と過ごしながら考えたこと
◾️一昨日と昨日、娘夫婦と孫娘のひなちゃんが、滋賀の我が家にやってきました。孫は1歳5ヶ月になり、いろんなことができるようになってきました。言葉も少しだけですが、話せるようになってきました。大人の言っていることも、ある程度わかっているようです。昼から保育園に通っていますが、保育園に通い、近い年齢の園児さんたちと一緒に過ごすことで、成長に加速度がついてきたように思います。単なる「ジジ馬鹿」と笑われるかもしれませんが。
◾️普段、大阪に暮らしている孫とは、たまにしか会うことができません。ということで、会うと必ずと言って良いほど、孫は人見知りをして泣くのでした。加えて、私は年寄りの男性で、眼鏡をかけて、しかも髭を生やして髪の毛も長い…。小さな子どもからすると「異形の人」なのかもしれません。今回も、また泣かれるのかな…と用心をしながら、少しずつ距離を縮めていきました。そのことが良かったのか、少しずつ慣れてきてくれました。写真のように一緒に歩くことも許してくれるようになりました(^^;;。こうやって孫と過ごしていると、本当に心が癒されますね。孫のことをとても愛おしく思います。自分の子どもを育てているときとは、やはりどこか気持ちのあり方に違いがある様に思います。自分の子どものときは、育てることに必死でした。自分自身のことについても必死でした。若い頃は、あまり余裕がありませんでした。
◾️孫たちが滋賀に滞在している間に、滋賀の老人ホームに入所している老母のところにも連れて行きました。母は寝たきりの状態で、認知的にも問題を抱えていますが、曽孫がやってきたことはわかる様でした。韓国の映画に、『祝祭』という映画があります(この映画のストーリーを紹介することはしませんが)>
この映画の中に、心身ともに弱り「小さく」なっていく祖母のことを心配する孫娘に、「それはおばあちゃんが、あなたに歳と知恵を分かち与えているからなのよ」と両親が説明するシーンがあります。私の目の前でも、曽孫は少しずついろんなことができる様になり、曽祖母は弱っていっています。母は、自分の曽孫に歳と知恵を少しずつ分かち与えているのでしょうかね。この映画「祝祭」のことは、韓国社会を研究されている方に教えていただきました。素敵な話しですね。では、祖父である私は、孫に何をわかち与えることができるのでしょうか。
◾️自分が子どもを育てている時には、心配しなかったことがあります。それは、「孫が大人になった時、どんな社会になっているのだろうか。その時、日本の環境は、地球の環境どんな状況になっているのだろうか」ということです。もちろん、私はもうこの世には存在していません。そういう点では、この様な心配については、「世代間倫理」という言葉とも関連しているのかもしれません。「世代間倫理」とは、子孫(将来世代も含む)の利益を保護するために現世代が一方的に負うべき義務について論じる倫理」のことで、特に環境問題との関連で使われる言葉です。孫が大人になった時のために、私たちはどの様な義務を背負っているのか。孫の時代のために、自分は何ができるのか。孫と楽しい時間を過ごすと同時に、その様なことを考えることが増えてきました。ただし、「世代間倫理」で言われるところの「現世代が一方的に負うべき義務」という表現よりも、「将来世代のために、何を贈ることができるのか」といったほうが適切かもしません。「義務」ではなく「贈与」です。世代を超えた義務関係に現世代が縛られるのではなく、将来世代のためにポジティブに何ができるのかという点に両者の違いがある様に思います。義務ではなく、贈与に基づく世代間倫理を構想することは可能でしょうか。私は、可能だと思います。
銀のスプーンとフォーク
■昨年の春に生まれた孫、もうじき11ヶ月目に入ります。最近、なんでも自分の手で食べたいと自己主張をするようになってきました。固形物はいいのですが、お粥なんかは難しいですよね。晩御飯の献立に納豆があった時、「触らせてくれないのならば食べない!」と叫んで⁈、手や口の周りが納豆だらけになってしまったようです。
■ということで、我が家のキッチンの吊り戸棚の奥から出てきたのが、このスプーンとフォークです。西欧には、「銀のスプーンをくわえて産まれてきた子どもは幸せになる(”born with a silver spoon in one’s mouth.”)」という言い伝えがあるそうですね。ということで、私が生まれた時にも、誰かがお祝いに銀のスプーンとフォークをプレゼントしてくれたようです。正確には、銀メッキのスプーンとフォークですけどね。ずいぶん前のことになりますが、おそらくは私の娘(孫の母親)が生まれた頃、このスプーンとフォークが実家から我が家に「移管」されていたらしいのですが忘れてしまっていました。取り出してみると、現在は上の左の写真のように黒くなっていました。ふと、孫に使ってもらおうと綺麗にしてみることにしました。沸騰したお湯に塩とアルミフォイルを入れて煮ると、電気分解でアルミに汚れが移ります。それだけでは、まだ汚れが残っているので、最後は練り歯磨きで仕上げました。すると、右の写真のようにピカピカです。このピカピカになったスプーンとフォークを、孫に送りました。まだきちんと使えないようですが、少しずつ練習をしてくれているようです。
■ところで、銀のスプーンとフォークから連想することといえば、中勘助の小説『銀の匙』ですね。孫が読んでくれるようになったらいいのですが、それはだいぶ先のことでしょう。たまたま、facebookのお「友達」の方が、「子どもたちが二歳くらいのころ、松谷みよ子の「おさじさん」という絵本が大好きだったことを思い出しました」とコメントしてくださったので、孫には、銀のスプーンとフォークと合わせて『おさじさん』(松谷みよ子)という絵本を送ってみました。まだ言葉がわからないのですが、娘が孫に読み聞かせしてくれているようです。
孫とふれあい、同級生と交流する
■正月、娘と孫娘のひなちゃんは風邪をひいてしまいました。残念なことに、滋賀に帰省することができませんでした。ということで、今日は日帰りで滋賀の我が家に遊びにきてくれました。私は、ひなちゃんに「人見知り」をされてしまうので、ひたすら「待ちの姿勢」で、ひなちゃんが自ら近づいて、私との距離を縮めてくれるのを待ちましした。まだ、抱っこを許してくれる関係にまでは至っていませんが、かなり仲良くなりました。おじいさんとしては、内心は、けっこう必死かもしれません(^^;;。離乳食もミルクも母乳も、そしてすりおろしたリンゴも、たくさん食べて飲んで、その後は我が家の中を探検していました。私は目撃していませんが、階段も1人で登ったようです。聞いてびっくりしました(さすがに、1人で降りることはできなかったようです)。
■娘の家族が帰宅した後は、大阪に移動しました。大阪の梅田…というよりも中津に近いお店で、学生時代に所属していた関西学院交響楽団の同級生と後輩たちと一緒に新年会を楽しみました。同級生との新年会は、中国で働いている同級生か、フランスで働いている同級生か、そのどちらかが日本に帰国するときに開催しています。ほぼ、毎年、新年会を、そして同期会を開催しています。今回は、中国で働いている同級生が休暇で帰国したので、それに合わせて新年会を開催しました。みんな同じように歳を取っています。当たり前のことですが。自分の健康のこと、親の介護のこと、退職後のこと…。だいたい、こういう話題になってしまいますね。楽しい時間を過ごすことができました。これで、正月休みの予定はほぼ終了です。明日から、通常モードになります。
2018 新年のご挨拶
■新年明けましておめでとうございます‼︎ 元旦の朝は、自宅近くの公園から初日の出を拝みました。琵琶湖(南湖)の対岸に見える三上山から登る初日の出です。私が暮らしている界隈のベストポジションらしいです。みなさん、今年もよろしくお願いいたします。
■昨年、2017年は、私にとって特別な年になりました。初孫である「ひな子」が3月に誕生しました。「孫ができるってこういうことなのか…」、「おじいさんになるってこういうことなのか…」、そのような思いとともに、日々、幸せを実感することができました。
■右の写真は、誕生した ひな子 と対面した時のものです。老眼のためデコ眼鏡をした直後だったので(手元の文字を読むときに眼鏡を額にあげること)、額に凹みができていますが、まあ無視してください。上の写真についても説明します。娘夫婦が毎月の孫の成長をハガキのカレンダーにして送ってくれています。それを、壁に飾っています。こうすると、孫が可愛く成長していることが一目でわかります。「HINAKO」の名前の看板は私が作りました。「N」の文字。本当は裏にして、なおかつ上下反対にしなければならなかったのに…おじいさんの私は間違えてしまいました。ごめんね、ひなちゃん。
■いよいよ今年は還暦です。自分が還暦を迎えることに戸惑いがありますが、まあ、おじいさんになったことでもありますし、当然のことですかね。60歳ということは数え年では61歳。いわゆる「本厄」の年なんだそうです。こういう類のことは、あまり気にしない方なのですが、それでも年齢が60の大台に乗るわけですから、健康にはこれまで以上に注意する必要があるでしょう。健康であることと間接的には関係していると思うのですが、昨年は12月に「ホノルルマラソン」を完走することができました。4時間41分52秒と、なんとも凡庸な記録なのですが、一応、自己記録を更新することができました。また、10月には、琵琶湖畔を長浜から南郷の洗堰を経由して雄琴温泉まで100kmを歩く「びわ湖チャリティー100km歩行大会」(びわ100)に参加し、完歩することができました。昨年の完歩に続いて2回目になります。還暦ということで、いよいよ「翁」の世界の入り口に立つわけですが、引き続き身体を鍛えていければと思います。老人ホームに入所している寝たきりの老母を見舞いながら、 そして8年前に病気で亡くなった父のことも含めて、両親を反面教師にしつつ、健康はもちろんのこと、体力や筋肉もきちんと維持しながら歳をとらなければと思っています。
■目標の1つは、孫が成人した時に、つまり私が80歳になった時に、一緒に大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」に呑みにいけるように健康を維持しておくことです。もう1つは、いつの日か孫と一緒にマラソンを走ることです。フルマラソンは無理かもしれませんが、ハーフマラソンを一緒に走るぐらいの体力は維持しておきたいと思います。こういう目標は、今の自分にとっては単純ですがわかりやすいものなのです。
■仕事では、総合地球環境学研究所のプロジェクト、世界農業遺産のプロジェクト、琵琶湖の水草問題のプロジェクトに取り組むことができました。年末には「学生ラボ」という企画も飛び出してきました。幸せな1年だったと思います。4月からは「大津エンバワねっと」の担当に復活しますが、地域の皆さんと一緒に、新たな「エンバワねっと」を目指して行ければと思います。以下は、私が利用している「ほぼ日手帳」が提供してくれた「新春!手帳みくじ2018」からのメッセージです。まあ、「お遊び」の類なのですが、メッセージが気に入ったので、以下に残しておこうと思います。
出てきた一文字は「亀」。
ことしのあなたはマイペースに進んでいくことが、
運を呼び込んでくれる年のよう。
横を見るのではなく
ただただ自分の道をすすめば、
いきたいところにたどりつく。
大切なのは、やるべきことをできているかどうか。
変化がとくにないように見えても
「‥‥あ、こんなに前に進んでた!」
と思えるときがきっとくるので、
どっしり構えておきましょう。
健康運も、ことしはよさそう。
一年を気持ちよく過ごせそうです。
「第7回マザーレイクフォーラム びわコミ会議 - びわ湖を生かして、びわ湖と生きる -」
■8月26日(土)に開催された「第7回マザーレイクフォーラム びわコミ会議 - びわ湖を生かして、びわ湖と生きる -」に参加しました。毎年参加しています。この「びわコミ会議」は、「琵琶湖流域に関わる様々な主体が、お互いの立場や経験、意見の違いを尊重しつつ、思いや課題を共有し、琵琶湖の将来のために話し合うとともに、マザーレイク21計画の進行管理の一部を担い、評価・提言を行う場です」(マザーレイクフォーラムについては、こちらをご参照ください)。今年のテーマは、「びわ湖を活かし びわ湖と生きる」でした。
■午前中の第1部は「みんながつながる報告会」でした。最初の報告は、「淡海を守る釣り人の会」の皆さんから「釣り人による清掃活動」の報告でした。この団体の皆さんは、プラックバス釣りの愛好家の皆さんによって組織されています。ブラックバスは、外来生物、滋賀県では、「滋賀県琵琶湖のレジャー利用の適正化に関する条例」に基づいて、ブルーギルやブラックバスは「リリース禁止」になっており、駆除の対象にもなっています。一見、琵琶湖の環境保全とは正反対の立場のように見えないわけではありませんが、釣り人自らが琵琶湖の清掃活動に取り組む活動をされていることから、今年2月に開催された「淡海の川づくりフォーラム」では「マザーレイク賞」を受賞されました。「びわコミ会議」は、「琵琶湖流域に関わる様々な主体が、お互いの立場や経験、意見の違いを尊重しつつ、思いや課題を共有し、琵琶湖の将来のために話し合う」ことを話しあう場でもあります。そのような「びわコミ会議」にふさわしい報告だったように思います。「釣り人による清掃活動」の他にも、湖東地域の企業にお勤めの皆さん「生物多様性 湖東地域ネットワーク」による「『トンボ79大作戦』~湖東地域のトンボを救え!~」の報告、ヨシ業者さんである「葭留」さんによる「ヨシと造形」に関する報告、自転車でびわ湖を1周する「ビワイチ」を推進する滋賀県庁「ビワイチ推進室」による報告が行われました。また、1つ前の投稿にも書きましたが、今年も参加する「びわ湖チャリティー100km歩行大会」の実行委員会、「びわカンゴルフコンペ」「Flower produce ichica」の関係者のも皆さんから寄付が行われました。
■午後からの第2部「びわ湖のこれから、話さへん?」では、以下のようなテーマに分かれて、グループディスカッションが行われました。各グループでのディスカションは「キーセンテンス」としてまとめられ、参加者全員の前で発表をされることになります。そうやって、グループディスカッションの内容を簡単に紹介することで、参加者全員で情報を共有し、緩やかに繋がっていくのです。私が参加したグループのテーマは、「ヨシを活かす!~ヨシの保全と活用を考える~」です。
1.釣り「人」で活かす! ~びわ湖への恩返し、感謝の気持ちを込めて。~
2.湖東地域の連携を活かす! ~湖東地域のトンボを守るため、市民、団体、企業ができることは?~
3.ヨシを活かす! ~ヨシの保全と活用を考える~
4.ビワイチで活かす! ~ビワイチの推進について~
5.学びに活かす! ~びわ湖で学ぶ・びわ湖を学ぶ~
6.若者の力を活かす! ~若者が滋賀の魅力を発信していくには?~
7.びわ湖の魅力を国際化に活かす! ~海外にびわ湖の魅力を伝えるには?~
8.水草を活かす!~どうする?びわ湖の水草問題!~
9.水害と生きる!~どうやって水害から命や財産を守る?~
10.地域フォーラムとの繋がりを活かす!~地域フォーラムの現状と今後に向けて~
11.びわ湖と農業を活かす! ~びわ湖と共生してきた滋賀の農林水産業を世界農業遺産に!~
12.外来種と生きる!~びわ湖における外来種問題、どうする?~
13.せっけん運動を活かす!~せっけん運動40年「未来のセンタク」循環するくらしへ~
14.水源の森を活かす!~びわ湖水源の森を守り活かす自伐型林業~
15.琵琶湖周航の歌を活かす!~琵琶湖周航の歌100周年にちなんだ「なぞり周航」と「びわ湖音楽祭」
■これは、個人的な考えですが、ヨシ群落を保全していくためには、単にヨシ群落を造成して面積を増やしていくだけではあまり意味がないと思っています。保全に必要なヨシ刈り等の作業に取り組んでいる地域の皆さんが、横に「つながる」必要があると思っています。ヨシ刈り等の作業は、地域コミュニティ、そしてヨシ業者さんが、それぞれ個別に取り組んでおられます。特に地域コミュニティのみなさんにとって、冬季のヨシ刈りは辛い作業になるようです。肉体的な辛さだけでなく、そのような作業を毎年継続していくことが気持ちの上でも辛くなってきているとお聞きしています。私は、このような個別にやっておられるヨシ群落保全の活動が、もっと横にゆるやかにつながっていく必要があるのではと思っています。現在、滋賀県庁の方で確認のための調査していただいていますが、琵琶湖の周囲では、様々なコミュニティや団体がヨシ群落の保全に関わっておられます。それらのコミュニティや団体が横に「つながる」ことで、相互に励まし合い、ヨシ群落に関する「有益な情報」を交換することが可能になるのではと思っています。さらに、ヨシ群落を保全する作業の「社会的意味」を確認することになるのではと思っています。この「つながる」に加えて、そのようなネットワークの活動を、多くの皆さんに「しらせる」ことも必要です。ヨシ刈りのボランティア等に来ていただくために「しらせる」ということもありますが、ヨシ群落を保全するために地道に頑張っている方たちがいるということを多くの人びとに知っていただくことが、まずは大切なことなのかなと考えています。そして、そのような知ることの次には、経済的にも精神的にもヨシ群落保全の活動を「ささえる」ことが求められることになるでしょう。ヨシ群落保全のためには、そして刈り取られたヨシが活かされ活用されていくためには、「つながる」「知らせる」「ささえる」、この3つがうまくつながっていく必要があります。そのための制度や社会的な仕掛けが必要になります。保全活動を通したヨシ群落と人びとの関係、ヨシ群落を媒介とした人と人の関係、その両者がうまくつながり両者の関係が生み出す力に注目する必要があるのです。
■話しが、グループディスカッションからそれてしまいました。「ヨシを活かす!~ヨシの保全と活用を考える~」のグループには、ヨシ業者「葭留」の社員、滋賀県庁職員、野洲市役所職員、学生、ヨシを活用した製品をつくっているコクヨ工業の社員、環境団体のボランティアの皆さんが集まりました。まず、話題になったのが、琵琶湖のヨシを活用しようにも、身近なところに売っていない、どこに求めればよいのか…ということでした。ホームセンターに行けば、日よけのためのヨシズが売られていますが、あのヨシは多くのばあい中国産です。ガーデニングや家庭菜園に、日曜大工や子どもさんたちの工作に、日常生活の中でヨシを素材として活用したいけれど、ホームセンターには売っていないという意見が出ました。例えば…ということなんですが、ヨシと、今、琵琶湖の南湖で問題になっている水草を原料にした堆肥、それらに加えてプランターや苗や種を「琵琶湖セット」にして売ってくれたらなあと思うのですが…。ヨシ刈りをしたヨシをコクヨ工業さんでは、パルプにヨシを混ぜて紙製品を生産されており、私も購入して使っていますが、ヨシそのものについては手に入れることが大変難しいのです。
■「葭留」さんは屋根の資材としてヨシを使われているわけですが、大変面白いイベントを毎年開催されています。「西の湖 ヨシ灯り展」です。「葭留」さんは、10年前から「西の湖ヨシ灯り展」というイベントを開催されています。こちらをご覧いただきたいのですが、大変幻想的な風景が生まれます。「葭留」さんでは、ヨシの利用・活用を目的に、新しい使い方を提案・活用していきたいとの思いから、このようなイベントを開催されています。「葭留」の社員の方からは、ヨシを屋根の資材だけでなく、現代風のお洒落な建築資材としても活用の模索が始まっていることをお聞きしました。灯だけでなく、いろんなデコレーションにも使えそうです。もっと「ヨシってかっこいいな、お洒落だな」と思えるような活用の仕方をみつけて、それを情報発信していかないとね…という話しになりました。
■ディスカッションでは、ヨシの「活用」というテーマから、ヨシを素材として活用することに話しが集中しましたが、もっと別の「活用」の仕方があるよと意見を出された方がおられました。野洲市役所の職員の方です。ヨシ群落をもっと遊びの楽しみの場として「活用」していこうというご意見です。「子どもたちが、カヌーやカヤックに乗った時、一番喜ぶのは、琵琶湖よりも実は内湖やヨシ群落の中なんですよ」。なるほど。何か、探検するような気分になるのでしょうね。「カヌーやカヤックに乗ってヨシ原の中に突き進み、陸に乗り上げるって楽しいんですよ」。おお、いいですね〜。私はもカヌーやカヤックに関心があるので、そのような遊びをぜひやってみたいものです。子どもでなくても、大人でも、ヨシ群落の中で遊ぶと面白いと思います。ヨシ群落の中でキャンプをしたりできるといいなあと思います。ヨシ群落といえば、私にとっては「琵琶湖の原風景のひとつ」であるわけですが、それでは「外」から眺めているだけなんですね。もっと、「中」からヨシ群落を楽しむことが、ヨシを身近な存在にしていくためには必要ですね。ヨシ刈り作業にボランティアとして参加された方は、「ヨシを刈り取った場所にいると、周りのヨシに風が遮られて、上からはお日様が照ってきて、冬なのにとてもポカポカして気持ちがいいんですよ」と楽しそうに語っておられました。ヨシ群落の持っている楽しさを、もっと知りたいものですね。
■「びわコミ会議」の第2部では、グループディスカッションの内容を、簡単なキーセンテンスにまとめて、全員で共有することになっています。私たちのグループのキーセンテンスは、「もっと身近に! もっとオシャレに! もっと楽しく!」になりました。各グループごとのキーセンテンスが発表された後は、参加者個々人が今年の琵琶湖へのコミットメント(約束)を書くことになっています。これらのコミットメントは記録され、来年の「びわコミ会議」で、このコミットメントがどれだけ達成できたのか、各自で振り返ることになっています。例年、このコミットメントでは、「流域再生の研究に励む」だとか、いろいろ仕事がらみのことを書いてきましたが、今年のコミットメントはちょっと違います。孫と琵琶湖で遊ぶことを、コミットメントにしました。プライベートなところでのコミットメントになりますが、世代を超えて琵琶湖の素晴らしさを伝えていくって、とても大切なことだと思うんですよね。
■グループディスカッションのテーマのひとつは、「琵琶湖周航の歌を活かす!~琵琶湖周航の歌100周年にちなんだ『なぞり周航』と『びわ湖音楽祭』」でした。「琵琶湖周航の歌」が誕生してから今年で100年になります。ということで、前滋賀県知事の嘉田由紀子さんがそのグループのまとめ役でした。嘉田さんからは、今年の100周年事業の内容が紹介されました。そして最後は、司会をされた川本勇さんのギター伴奏で、最後は全員で「琵琶湖周航の歌」を合唱することになりました。滋賀県内で人が集まると、よくこの「琵琶湖周航の歌」を歌います。滋賀県民の愛唱歌ですね。みなさん、喜ばれておられました。来年も、この「びわコミ会議」の最後は、「琵琶湖周航の歌」で締めてもらいたいなあと思います。
■「第7回マザーレイクフォーラム びわコミ会議」が終了した後、スタッフの皆さんと慰労会が琵琶湖畔のレストランで行われました。この日は、大変涼しく、また美しい夕焼けも楽しむことができました。この慰労会の後は、滋賀県立琵琶湖博物館の中井さんと、滋賀県立琵琶湖環境科学研究センターに異動した淺野くんと一緒に、大津駅前まで歩いて移動しました。そして、いつもの居酒屋「利やん」に行きました。もうお腹いっぱいだったんですが、飲み会の締めにここに来るのは、なんだかもう「ルーティン」みたいになっていますね。
■中井さんは、琵琶湖博物館の開設準備室時代から琵琶湖博物館の開館の時期、そして私が岩手県立大学に異動するまでの間、同僚でした。奥琵琶湖の水中に潜って、水中にいるブラックバスを観察し記録を取る調査を見学させてもらったこともあります。それから20年経ち、中井さん、いやいや当時の呼び方で言わせていただければ中井くんなんですが、中井くんは今や外来生物の第一人者です。本務の博物館の学芸員よりも、兼務の自然保護課での外来生物問題の方が多忙なように見えます。淺野くんは、今年の7月に、総合地球環境学研究所のポスドクの研究員から、滋賀県立琵琶湖環境科学研究センターの研究員に異動されました。センターの生物多様性のポストに採用されたそうです。淺野くんの就職祝いを、改めて「利やん」でやらないといけませんね。この日は、うまい具合に焼酎のボトルが空になり、新しいものをキープすることになりました。下の写真がボトルにぶら下げられることになります。2004年から始まって、110本目。今回は、中井くんと淺野くんと一緒です。良い記念になりました。写真は「利やん」のマスターが送ってくださったものです。いつものことながら、マスターの光山くん、ありがとうございました。
曽祖母と曽孫
■先週の15日(土)から2泊3日で、娘夫婦が我が家にやってきました。もちろん、初孫のひなちゃんも一緒です。今回の目的は、まずは、ひなちゃんにひいおばあちゃんと対面してもらうことです。ひいおばあちゃん=私の母は、身体が弱っており、現在は滋賀県の老人のホームで暮らしています。15日は、午後から娘の家族と一緒に老人ホームに母の見舞いに行ってきました。
■これまでも老人ホームを見舞うたびに、母は曽孫のひなちゃんは様子を聞いてきました。時々、理解不能なことを喋ったりしますが、曽孫の話題についてはちゃんと話しをすることができました。その曽孫と、やっと会うことができたわけです。現在、母は眼が不自由になっています。ですから、母にはひなちゃんの顔や姿が見えません。ひなちゃんに触れて、声を聞いて確認できたようです。写真からは、よくわからないかもしれませんが、母はとても喜んでいました。ひなちゃん、最近、少し人見知りをするようになっているので最初は泣いてしまいましたが、ひなちゃんにとっても良かったと思います。あと、2年もすれば、2人で色々おしゃべりができるようになりますね。
■2人の年齢差は85歳。私は自分が85歳になった時のことを考えてしまいました。とても85歳まで生きているようにも思えないのですが、もし、その年代まで生きていたら、私も曽孫に会える可能性がありますね。孫のひなちゃんとは、彼女が成人したら一緒に呑みに行こうと思っているので、その年代まではしっかり生きていたいのですが、その先ももう少しだけ頑張ってみましょうか。
■ひなちゃんは生後4ヶ月になりますが、人見知りをするようになりました。なぜ人見知りをするのか、その理由についての科学的な研究が行われています。
科学技術振興機構(JST)の研究です。「赤ちゃんの「人見知り」行動 単なる怖がりではなく「近づきたいけど怖い」心の葛藤」という記事を読むと興味深いことが書いてあります。ポイントは、以下の3つだそうです。ここで詳しくはご紹介しませんが、ご関心のある方は、お読みいただければと思います。
「接近」と「怖がり」の両方の気質の強い子が「人見知り」を示すことが明らかに。
人見知りが強いほど相手の顔の「目」を最初に長く見つめ、よそに向く顔を好む。
人見知りのメカニズム解明は、人見知りをしないとされる発達障害の理解にも貢献。
■さて、私とひなちゃんの場合はどうかというと、やはり泣かれてしまいました。でも、少しずつ距離を縮めて行くと、なんとか写真のように抱っこをすることができした。ひなちゃんと並ぶと、「ほんまに年をとったなあ〜」という気持ちになります。まあ、おじいさんですから、当然なわけですが…。
■ひなちゃんが2泊3日、我が家に滞在している間に、京都市動物園に出かけました。この夏の暑い時になぜ動物園なのかと思われるかもしれません。まだ生後4ヶ月ですし、動物たちをみて喜ぶということもないわけなんですが…。動物園の中では、空気中にエンドトキシンと呼ばれる細菌成分が漂っています。このエンドトキシンは、動物の糞にたくさん含まれているからです。動物に触れてもエンドトキシンに曝露されることになります。幼い時にエンドトキシンの曝露が少ないと、免疫システムが成熟できず、アレルギー体質になるのだそうです。NHKスペシャルでも放送されました。ご参考までに。「病の起源 第6集 アレルギー ~2億年目の免疫異変~」。
■まあ、そんなわけで動物園に出かけたのですが、京都市動物園はリニューアルされたらしく、色々工夫を凝らしているので、大人の私たちもけっこう夢中になってしまいました。今回は足早に回りましたが、次回は個人的にじっくり時間をかけて動物たちを観察したいなと思いました。
■本当に、ジジ馬鹿丸出しなわけですが、最後にもう1つ。先日、韓国からの視察には、以前から交流のあるKim Jumiさんも参加されていました。この赤ちゃんの帽子、Kimさんからひなちゃんへのプレゼントです。とても上品な感じです。ちょっと、ヨダレがほっぺについていますけど(^^;;。