金才賢先生(韓国・建国大学)の来日
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■金曜日、土曜日と、韓国の建国大学の金才賢先生と、先生が指導されている2人の大学院生が滋賀県内の団体に関して聞き取り調査をされました。私は、今回の聞き取り調査のアレンジをするとともに、同行させていただくことにしました。
■もっとも、聞取り調査の対象の1つは、ゼミでおこなっている「龍谷大学・北船路米づくり研究会」でした。農村(生産者)と都市(消費者)の「顔のみえる関係」づくりを課題として活動している研究会が、どのように社会的なネットワークを拡大していったのかという点に関して、関係者や研究会とつながっている方たちからお話しをうかがいました。もちろん、私も、いろいろお話しをさせていただきました。純米吟醸酒「北船路」でお世話になっている「平井商店」の平井弘子さん、「大津の町家を考える会」の野口登代子さん、鮒寿司の「阪本屋」の内田健一郎さん、これから滋賀の農産物を活かした石釜ピザの店を開店される「Ishigama」の堀昭一さん、 「北比良グループ」の山川君枝さん、北船路の「農事組合法人福谷の郷」の音島良治組合長、研究会の顧問でもある吹野藤代次さん。皆様いろいろお世話になりました。ありがとうございました。
■ひとつのゼミの小さな小さな活動ですが、農村(生産者)と都市(消費者)の「顔のみえる関係」づくりを忘れずに活動をしてきました。カリキュラム外での取り組みです。評価も単位もありません。あくまで学生の自主性だけで運営されています。大学からの財政的な支援もわずかです。ですから、なんらかの助成金が必要になります。その申請書類の作成、プレゼンテーション、中間発表、最終報告…。私が知る学生の地域連携活動としては、かなり高いレベルを求められているのではないかと思います。学生たちの苦労は多いと思いますが、やりとげたときには深い達成感もあるでしょう。しかし、研究会の活動がとまってしまうのではないか…と危惧するような状況が何度もありました。
■この研究会の活動に関して、金先生の質問で私がとても印象的だったことは、「農村の方は、学生たちにどのように『夢』を与えることができていますか?」という質問でした。学生たちは、なんらかのスキルが身に付くとか、コミュニケーション能力が高められるとか、そのような小さな個人的な利益との「交換」で研究会の活動をしているわけではありません。もし、そういう学生がいたとしても、そのような学生は長続きしません。研究会の活動の発展に貢献できません。そのような学生が多くなれば、研究会の活動も持続しなくなります。すぐに息切れをしてしまいます。研究会のひとつひとつの活動が、社会的にどのような意味をもっているのか、その点に関して常に学生自身が確認し続けることも必要なわけですが、同時にそれらの意味は「他者」から「贈与」され続ける必要もあると思うのです。そのことが金先生の質問の根っこにあったと思われます。「交換」の原理にもとづくネットワークは持続性が弱い。「モノ」や「サービス」が動く事業系の地域づくり活動であっても、表面的な「交換」とは別に、その底には「贈与」の原理が動いている必要があります。
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■土曜日は、東近江市と多賀町を中心に、森林とともに豊かに暮らしていける未来をめざし、人の営みと森林が結びつくカタチをていねいに育てるプロジェクトに取り組む「 一般社団法人 kikito」の、山口美知子さん、大林恵子さん、平居晋さん、 伴政憲さん、田中一則さん、5名のみなさんからお話しを伺いました。「kikito」に関しても、どのように社会的なネットワークを拡大していったのかという点に関してお話しを伺わせていただきました。私自身もとても勉強になりました。ありがとうございました。今後とも、どうかよろしくお願いいたします。
■「kikito」に関しては、パソコンをひろげて真剣にメモをとっていました。ところが、そのファイルが消えてしまった…ショックです。「kikito」のことは、『地域再生滋賀の挑戦 : エコな暮らし・コミュニティ再生・人材育成』(近江環人地域再生学座 編 ; 森川稔 責任編集)のなかに、山口美知子さんが「湖東地域材循環システム協議会(kikito)の挑戦」を書かれていますが、特に印象に残っていることを少し書いておきたいと思います。「kikito」の活動は、異業種の人たちによる研究会から始まっています。特定の業種の人たちだけではなく、森林を所有している人、林業の仕事をする人、行政、建築家…。通常は、みなさん自分の立場から木材のことを考えているわけですが、研究会でコミュニケーションを継続するうちに、それまでの自分のものの見方・考え方が相対化されるようになったのだそうです。自分の利益や自分の都合ばかりを主張する、そのような自己のあり方を相対化されたのです。別の言い方をすれば、この研究会の活動を通じて、森林の諸課題を、「私も含めた私たちの課題」として、あるいはより高い公共性を伴ったこれまでとは少しズラした視点をから捉えられるようになった…といってもよいかと思います。それまでは、地域社会で働き、森林や森林資源について考えながらも、出会うことがなかった人たちがつながることで、原木の調達からストックまで、地域材を無駄なく、無理なく有効利用するための仕組みづくりを行うことができるようになったのです。そのような仕組みのなかで「地域“財”を活かした商品開発」、「森林整備に貢献する紙製品の開発」、「びわ湖の森CO2」対策、「森林を活かせる人材の育成」等に取り組んでおられます。このような取り組みのなかで、「kikito」は、「行政」にも「市場」にもできないことをやろうとしておられます。お話しを伺うなかで、いろんな意見を聞かせていただきました。ひとつは、今は補助金や助成金も使ってこのような仕組みを動かしているけれど、もっと経営的にも自立度を高めていくべきというものです。それに対して、行政にも市場にもできない隙間の課題を一般社団法人として取り組んでいるのだから、そこに社会的な費用が投入されていもよいのではという意見も聞かせていただきました…。う〜ん、メモが消えてしまったので、ずいぶんズレたことを書いてしまっているかもしれません。ああ、それにしても、メモのファイルが消えてしまったことはショックです。
■「kikito」での聞き取り調査を終えたあと、金先生たちと一緒に彦根城の見学をして、いつもの大津駅前の居酒屋「利やん」に移動して夕食をとりました。打ち上げです。土曜日ですが、たくさんの知り合いの方達がお店におられました。びっくりです。「利やん」は、私にとって人との「つながり」=ネットワークを生み出していくうえで、とても重要な場所であるです。金先生にも、そのことを理解していただけたのではないかと思います。ところで、金先生はお酒をお飲みになりません。そのかわり、大学院生の女性お2人が酒をつきあってくださいました。日本の若い女性だと、甘目のお酒…ということになるのですが、このお2人はそれは嫌いなのだそうです。ということで、芋焼酎を、ストレートやロックで楽しんでおられました。お強い。すごいですね〜。酒飲みのおじさんとしては、とても嬉しくなりました。
■大学院生のJumi Kimさんが、facebookで楽しい動画を作成してプレゼントしてくれました。
【追記1】■「kikito」の聞き取り調査を終えたあと、facebookで「kikito」のメンバーの方達とメッセージのやり取りをしました。そのなかで、金先生がかかわっておられる韓国のコミュニティビジネスセンターに関心があるという話しから、それなら有志で韓国に視察と聞き取り調査にいってみようという話しになりました。金先生とは、日韓でお互いに交流しながら学びあっていこうという約束をしたので、きっとおもしろい展開になるのではないかと思います。
【追記2】■金先生や院生の方達には、仁川にあるピザ店のことを教えてもらいました。まだ、よくわかっていませんが、面白いお店なのだそうです。ちょっと調べてみます。
松の木内湖の環境再生と地域づくり
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■一昨日、30日(木)、滋賀県庁の「つながり再生モデル事業」(琵琶湖環境部・琵琶湖政策課)の関係で、琵琶湖政策課や滋賀県立琵琶湖環境科学研究センターの皆さんと一緒に、高島市にある松の木内湖にでかけました。内湖に隣接する集落の皆さんに、小さな船(タブネ)で案内していただきました。松の木内湖は、様々な意味で周囲に暮らす人びとにとって重要なコモンズでもありました。
■内湖の湖底の泥。底泥は、肥料分を含む貴重な資源でした。周辺の人びとは、この泥をすくいあげ、畑にすきこみました。夏野菜がよく実ったといいます。内湖は、様々な魚の生息場所でもありました。春には、内湖の周囲にあるヨシ原にたくさんのコイ科魚類が産卵にきました。鮒寿司の原料になるニゴロブナはもちろんですが、それ以外のフナやコイの仲間の魚たちも、タツベやモジなどの竹製の漁具で捕獲され食用にされました。昨日お会いした方達は、そのような湖魚を食べる食文化のなかで生まれ、これまで生きてこられました。そうそう、私が大好きなホンモロコもよくやってきたといいます。ヨシ原は、ボテジャコとよばれるタナゴ等の小さな魚の生息場所でもありました。その他にも、ナマズやギギ、ドジョウなどもいくらでもいたといいます。内湖の琵琶湖への出口のあたりには、小さなエリも設置されていました(フナなどを獲る荒目のエリ)。肥料や食料といった人びとの生業だけでなく、内湖は、子どもたちの夏の遊び場でもありしまた。人びとの生活とも密接につながっていました。ところが、高度経済成長期を経て生業や生活のスタイルが近代化のなかで変化していきます。化学肥料が普及すると、内湖の泥を使うことはなくなりました。食生活も変化し、若い世代の皆さんは、内湖の魚を食べることがなくなっていきました。人びとの暮らしや生業と内湖との「つながり」が切れてしまったのです。もちろん、今はこの内湖で遊ぶ子どもの姿もみることもできません。このような変化は、この松の木内湖だけではなく、現在でも残っている滋賀県内の他の内湖でも同様の状況かと思います。
■人びとの暮らしや生業と内湖の「つながり」が切れてしまうことで、内湖は少しずつ変化していきました。かつてのように内湖の低泥を肥料として取り出すことはなくなりました。当然、流入する河川からの土砂で内湖は浅くなり、そのような土砂は内湖に溜まっていくことになります。この地域の皆さんの話しを総合すると、そこに拍車をかけたのが河川改修や周囲の水田の圃場整備事業です。かつて松の木内湖には、周囲の複数の河川から、今とは違ってかなりの量の水が流れ込んでいたようです。また、内湖から琵琶湖へ内湖の水が流出するあたりは、今よりも幅が狭くなっており、そのこともあり、かなりの流速があったようです。内湖の湖底には、そのような水の流れにより「ホリスジ」と呼ばれる一段深くなった内湖のなかの水路のようなものもあったといいます。常に、この松の木内湖の水は動いていたてのですね。しかし、河川改修によりその動きがなくなりました。さらに、圃場整備事業により水田からの濁水が、内湖に河川から流れ込み、泥が堆積するようになってしまいました。圃場整備事業により濁水や内湖に堆積する泥の量は増えました。泥が堆積したところにはヨシ帯が形成され、樹木もはえるようになってしまいました。少しずつ内湖は小さくなっていったのです。実際に田舟にのって内湖を拝見したわけですが、そのさい、湖底からキノコのようなものがニョキニョキとはえているのがみえました。もちろんキノコではありません。水中の泥が沈殿していくさいに、水草の葉や茎に泥が積もってしまったのです。それが、キノコのように見えていただけでした。何も知らなければ、美しい風景のように見えますが、この地域の皆さんからすれば、これは荒れ果ててしまった内湖ということになります。
■かつての内湖をよくご存知の60歳代以上の皆さんは、なんとかこの状況を食い止めたい、そして改善したいとお考えです。この日は、地元の方に田舟に乗せていただき、内湖をその内側から見学させていただきました。内湖の状況をじっくり観察させいただきました。陸からながめているのとは異なり、地域の皆さんが悩んでおられる実態がよく理解できました。以前、公共事業により、この内湖を整備して公園化してしまおうということが計画がたてられましたが、結局、予算の関係もありうまくいきませんでした。しかし、地元の皆さんは、そこで挫けませんでした。現在、4月末か5月頭にかけて内湖の端にたくさんの「鯉のぼり」を泳がせるイベントを開催されています。少しでも、内湖のことを知ってもらい、内湖と関わってもらおうという狙いがこのイベントにはあります。私は、まだ参加したことがないのですが、地域外からもたくさんの方たちが参加されるようです。
■田舟での内湖の視察のあとは、地元の方達と、この松の木内湖の再生、特に地元の皆さんの暮らしと内湖の「つながり」をどのように再生していくのか…という点について協議を行いました。これで3回目になります。今回は、松の木内湖の「つながり」をもっと再生できるように、これまで地域の皆さんで実施されてきた「鯉のぼり」のイベントを、さらに盛り上げていこうということになりました。最初は少々堅い雰囲気でしたが、しだいにいろんな「夢」が出てきました。「夢」を語り合うことができました。結果として、「さあ、やるぞ!!」という感じで「力」が湧いてくる素敵な会議になりました。「こんなこといいな、できたらいいな…」と漫画「ドラえもん」の歌の歌詞のような展開になりました。写真とは異なり、みなさん笑顔になりました。いろんなプランが提案されました。そうした中で、まず決定したことは、若い世代の方達が泥臭いと嫌っておられる内湖の魚を美味しく料理して食べてもらおう…というものです。そのために、新しい湖魚料理をプロデュースできる料理人の方に、そのイベントに参加してもらおうということになりました。現在、料理をしてくださる方を募集中です。すでに、声をかけさせていただいた方もいます。個人的な主観といわれるかもしれませんが、湖魚は美味しいんです!! 美味しい湖魚を、現代風のレシピのなかで使っていただき、若い世代にも楽しんでもらおう…というのが狙いです。湖魚料理以外にも、内湖のもっている「びっくり」するような「すごい」魅力を、しっかり伝えていけるような企画も考えています。楽しいイベントにしていきます。地元はもちろんですが、地域外からもたくさんの参加をいただければと思います。また、このブログでも広報させていただきます。
白鬚神社
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■昨日は、滋賀県庁の「つながり再生モデル事業」(琵琶湖環境部・琵琶湖政策課)の関係で、琵琶湖政策課や滋賀県立琵琶湖環境科学研究センターの皆さんと一緒に、高島市にある松の木内湖まででかけました。滋賀県庁の公用車ででかけたのですが、途中、白鬚神社で少しだけ時間をとっていただき、この写真を撮りました。
■iPhone5で撮ったわけですが、なかなか満足のいく出来に仕上がりました。写真を撮っているとき、とても清々しい気持ちになりました。最近は、いわゆるパワースポットとしても有名らしいのですが、なるほど…と思います。
「龍大芋」のから揚げ
研究会が北船路の棚田で生産した里芋、「龍大芋」として、京都や大津の飲食店のお料理でお使いいただいています。本日ご紹介するのは、大津駅前の居酒屋「利やん」(としやん)さんです。写真をご覧ください。里芋の唐揚げです。あらかじめ、出汁につけて薄味をつけた里芋の表面に粉をつけて揚げたものです。表面はカリッとしていますが、中身は里芋特有のねばりがあります。「龍大芋」の美味しさをこういう形で引き出していただきました。ありがとうございました。
■上記の写真と文章は、facebookに投稿したものです。ブログでは、裏話をさせていただこうかと思います。大津駅前の居酒屋「利やん」、私にとって、人と会うときには「異業種交流の場」や「応接間」となり、個人的には「憩いの場」ということになります。マスターや常連のお客さんの皆さんとも気楽に気安くおつきあいをさせいただけます。そういう「場所」がきちんとあることを、私自身は大変幸せなことだと思っています。
■その「利やん」で、マスターからちょっと言われました。「他所のお店で『龍大芋』を使った料理は紹介しても、うちの料理は紹介してれないの…」。ちょっと、まあ、そういったご指摘をいただきました。良い写真がなかったので、慌てて学生から一枚LINEで送ってもらいました。本当に申し訳ありませんでした。
■昨日は、料亭「大津魚忠」さんに、懐石料理のコースの一品として研究会で生産したて「龍大米」のご飯を出していただいている話題をエントリーしました。いろんなお店が「北船路米づくり研究会」のことを応援してくださっています。本当にありがとうございます。これからも、「農・商・学」連携のネットワークが拡大していくように頑張ってまいります。
【追記】■以下は、関連エントリーです。私と居酒屋「利やん」との関係について述べています。こちらもぜひお読みください。
とれたてホップ生ビール
■ 私は、諸般の事情から、「アサヒビール」党なのである。諸般の事情とは、いつも通っている大津駅前の居酒屋「利やん」がアサヒビールのお店…ということなのだが。基本的に、ビールに関しては全方位外交でいたいたのが、諸般の事情から「アサヒビール」なのである。だから、吹田にあるアサヒのビール工場見学にもいく。できたてのビールは、本当に美味い。ついでに、記念写真を撮るときは「ビールといえばアサ『ヒ』」といって撮るのだ(「ヒ」というと笑顔にな〜る)。
■ところが、今回だけは許してほしい。「一番搾り とれたてホップ生ビール」。ホップは、岩手県遠野産なのだ。そして、今日が全国発売日なのだ。岩手県立大学に勤務していたこともあり、私は岩手ファン。自然に手が伸びてしまうのだ。もちろん、アサヒビールが「とれたてホップ生ビール」を出してくれたら、乗り換えますから。ちなみに、記念写真を撮るとき、「ビールといえば一番絞『り』〜」といっても笑顔になるな。
■昨日が、「とれたてホップ生ビール」の全国での発売日でした。岩手県では、全国に先かげて販売されていたようです。
料亭「大津魚忠」さんと「龍大米」
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■今日、通勤中、facebookを眺めていると、大津の中心市街地にある料亭「大津魚忠」さんのページに、ご飯の写真がアップされ、次のような文章がそえられていました。
龍谷大学「北船路米づくり研究会」の学生さん達が作られた「龍大米」。〆のご飯ではなく、懐石コース料理のメインの1品として食べて頂きました。石釜で炊きたての龍大米と、焼いた鰻を少し山椒風味にふんわり炊きお気に入りの器に贅沢に並べおすすめしました。
皆様おかわりで完食!元気なお米です。大津魚忠
TEL077-522-4428
大津市京町2-4-10
http://uochuu.jp/
■ゼミでおこなっている「北船路米づくり研究会」では、京都市の四条にある「串かつ おばんざい とんとん」さんと「みます屋DELI」さん、大津市の中心市街地にある居酒屋「利やん」さん、以上の3軒のお店に、学生たちが生産した米と里芋を、それぞれ「龍大米」そして「龍大芋」としてご購入いただき、お店の料理に使っていただいてきました。関係者の皆様、本当にいつもありがとうございます。
■今年の秋からは、以上の3軒のお店に加えて、料亭「大津魚忠」さんにも「龍大米」と「龍大芋」を使っていただけることになりました。今年の春だったと思いますが、「大津魚忠」の社長さんと街中で偶然にお会いしました。以前からも、「大津エンパワねっと」等で学生たちがお世話になっていたこともあり、少しだけ立ち話しをさせていただきました。そのさい、「龍大米はまだ残っていますか?地元の食材を使いたいのです」とおっしゃられたのです。「龍大米」は、北船路の棚田の一番てっぺんの田んぼで生産されています。比良山系(蓬莱山)のきれいな山水が一番最初に入る田んぼです。しかも棚田ですから、寒暖の差が大きく、小粒ですが味の濃い米に仕上がります。なおかつ、私たちは、それを天日干しにして精米しています。甘みがますように思います。社長さんは、そのことを人づてにお聞きになっておられました。
■その時は、残念ながら「龍大米」はすでに売り切れていました。生産量が少ないので、新米の段階ですぐに売り切れてしまうのです。「申し訳ないですが、次の収穫のときには、お知らせいたします」とお約束させていただき、今月、お店のほうにお届けすることになったのです。今回は、facebookの文章にもお書きいただきましたように、「〆のご飯ではなく、懐石コース料理のメインの1品として」出していただきました。これは、本当に嬉しいことです。
■「北船路米づくり研究会」では、上記の「串かつ おばんざい とんとん」さん、「みまつ屋DELI」さん、「利やん」さん、「大津魚忠」さんに加えて、地酒のプロデュースでは、酒造会社「平井商店」さんにもお世話になっています。さらに、鮒寿司の老舗「阪本屋」さんや、市内で滋賀の食材を使った石釜ピザのお店を開店される「ishigama」さんとのコラボも進みつつあります。一般の消費者の皆さんを対象とした月1回の「北船路野菜市」や、9月に開催する農村・都市交流イベント「かかし祭」の他に、このような「農・商・学」連携も積極的に進めていきたいと思っています。
瀬田キャンパスの朝
■水曜日は1限から「地域社会論」授業があるため、自宅を6時半前に出て、8時過ぎにキャンパスに到着するようにしています。今日は快晴。朝、まだ誰もいないキャンパスに到着すると気持ちがよいですね。1限の授業の教室の鍵を受け取り、研究室に移動しようとしているとこの風景。紅葉した樹と樹心館が目に入りました。 ということで、iPhone5で写真を撮りました。樹がちょっと傾いていますが、これはレンズのせいで歪んでしまっているのです。
■昨日もキャンパスの紅葉の写真をアップしましたが、同じ写真をfacebookでもアッブしています。そこには、卒業生からこんなコメントをもらいました。「在学中はさほど感じませんでしたが、季節の移ろいが目に見えるキャンパスって良いですね!きれいです!」。そうなんですね〜、卒業してからわかる母校の素晴らしさって、いろいろありますよね。キャンパスの風景も、そのような素晴らしさのひとつだと思います。広報担当者の方々には、そういう素晴らしさを、もっと卒業生に伝えてほしいな〜と思います。卒業生の心をくすぐるような情報をもっと発信していただきたいと思います。
■ところで、急に気温が下がってきましたね。電車のなかでは、あたこちでナフタリン臭がします。
京阪・浜大津駅の絵
■京阪浜大津駅の改札口を抜けたところに、このような絵が飾ってありました。寄贈されたもののようです。場所は、京津線の「大谷駅」とのことです。絵画のことはよくわかませんが、なにか惹かれるものがあり、iPhone5で写真を撮ってみました。なにか、寂しい雰囲気の女性らしき方がホームのベンチに座っておられます。電車が来ているのに、どうしたのでしょうね。疲れて立ち上がれないのかも…なんて想像をしてしまいました(ちょっと写真のピントもボケていますね、すみません)。
■列車ですが、京都市営地下鉄まで乗り入れている800系ですね。京津線は、地下鉄区間と併用軌道(路面電車)区間を直通する車両です。日本でここだけです。しかも、急勾配、急カーブも多いことから、かなりの費用と技術を投入されている列車なのだそうです。
街の記憶を保存すること
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■社会学科の「社会調査入門」の授業は、火曜日の1限に開講されています。今日は、その「社会調査入門」の授業の1コマが、「大津エンパワねっと」の「大学と地域をつなぐ特別講義Ⅱ」にあてられました。ゲストは、大津市歴史博物館で学芸員をされている木津勝先生です。講義いただいた内容は、「街の記憶を保存すること」です。
■博物館は、実物資料を保存するとともに、これらの資料をもとに研究・展示・社会教育活動をおこなっていく研究機関です。そのような博物館の実物資料は、じつに様々な範囲におよびますが、木津先生が担当されているのは近現代の写真・古写真です。それらの写真を使って、様々な企画展を開催されてきました。今日は、そのような企画展を実施するなかで経験されたことを中心にお話しいただきました。以下は、先生が用意されたレジュメと実際のお話しをもとにしていますが、木津先生からいただいた刺激をもとに、自分なりの解釈や説明も加えています。特に、プライベート「記憶」とハプリックな「記憶」に関する部分がそうです。木津先生のお考えとずれているかしれません。
【事例1:ニコニコ動画】滋賀県の湖西地域には、JR(旧・国鉄)の湖西線が開通するまで、「江若鉄道」という私鉄が走っていました。1969年に全線が廃止されました。この「江若鉄道」が廃止になるさい、最後の姿を記録された方がおられます。今だとビデオカメラということになりますが、当時は8mmフィルムでした。博物館ではその貴重な8mmフィルムをもとにDVDを製作されました。「ありし日の江若鉄道」という企画展ではそのDVDを販売されました(私も持っています)。ところが、著作権法的に問題があるにもかかわらず、DVDを買った人が「ニコニコ動画」にこのDVDの内容をアップされたのだそうです。ニコニコ動画の特徴は、ユーザーが配信される動画にコメントを投稿できることにあります。「ありし日の江若鉄道」にも、これを視た方達からたくさんのコメントが寄せられました。過去の8mmを通して、多くの人びとがコメントの投稿を通して交流することになったのです。しかも、「江若鉄道」を知っている人だけでなく、廃止後に生まれた若い人たちも含めて、多くの方たちがコメントを寄せられたのです。通常であれば抗議することになるのでしょうが、木津先生はそのまま置いておいたのだそうです。プライベートな記録(8mm)が、「ニコニコ動画」というパブリックなネット空間のなかで、別の意味合いを帯びてくることになったわけですね。おそらく、木津先生のなかでは、この瞬間に何か閃かれるものがあったのかもしれまん。
【事例2:企画展「ありし日の江若鉄道」】企画展「ありし日の江若鉄道」では、思い出写真とコメント提供の事前募集をされました。写真とそれにまつわる思い出を募集されたのです。「参加型」の企画展です。そして展覧会の会場内には、「思い出目メモ」という壁に来館者が思い出した記憶を貼付けるコーナーも設けられました。そのような思い出は、博物館の公式サイトで読むことができます。以下のリンクをご覧ください。多くの人がもっているプライベートな断片的な「記憶」が、展示を通して「街の記憶」として形になっていったわけです。
第14回 企画展に寄せられた江若鉄道の思い出
【事例3:大津百町大写真展】この企画展「ありし日の江若鉄道」のあと、木津先生は「大津百町代写真展」を担当されました。この写真展では、来館者の皆さんが、自分が知っている写真(風景や出来事の写真)にたくさんのコメントを残されました。この企画展でも、多くの人びとのなかに眠っているプライベートな断片的な「記憶」が引き出され、それらがパブリックな企画展という空間のなかで重なり合っていきました。1枚の写真資料に、多くの皆さんの「記憶」を重ね合わせていくことで、写真資料が厚みを帯びていきます。活かされていきます。通常の博物館の展示では、解説するのは博物館の側ですが、この写真展では、来館者から博物館側が教えてもらうこともありました。来館者の方が、写真が写っているその時代のその場所のことについてよくご存知だからです。このような「水平方向」のやり取りを積み重ねていくなかで、結果として、みんなで考えながら「街の記憶を保存していくこと」につながっていくのです。
【事例4:オールドオーツ『物語の誕生』】「大津百町大写真展「大津百町第博覧会」等とともに開催された「オールドオーツ『物語の誕生』では、家庭にあるアルバムの写真から、インタビュアーが当時の思い出を聞く…という形で展示用のパネルが作成されました。通常であれば、家庭用のアルバムの写真は、プライベートな領域に属するものです。それをあえて博物館の展覧会というはパブリックな空間に展示することにより、多くの人びとの共感を生み出します。あるいは、自分のなかに眠っていた記憶を呼び戻すことにもつながっていきます。また、写真資料は見る人によって、受け取る意味が違ってきます。それは、写真がたくさんの情報量をもっているからです。見る人によって写真から得られる情報は、じつに様々なのです。家庭に眠っていた写真がパブリックな空間である写真展で写真資料となり、多くの人びとがかかわることのなかで、写真資料のもっている多様な情報が引き出されていくのです。この点は、事例3と同様です。
【事例5:証言VTRでたどる百町むかしがたり(いまきいとき隊)】街の高齢者の方たちから当時の聞取り、文章やコメント文字ではなく、その方の生の声と表情までを記録することを目指した活動です。文字では伝わらないことまで、動画は伝えることができます。今日の授業で拝見した動画では、以下のようなエピソードを登場された方たちが話されていました。かつて浜大津港に停泊していた観光船「玻璃丸」の周りで泳いだという記憶です。もちろん、法律的には遊泳禁止だったのですが、当時の子ども達は泳いだというのです。泳ぎながら、船から出る油に頭をつっこんでしまいべとべとになったとか、泳ぎの達者の人たちが観光船の船底を潜ってくぐったとか…。
■木津先生が5つの事例で示された「記憶」は、大文字の「歴史」のなかでは語られることがありません。小さな断片的なエピソードばかりです。しかし、この街に暮らす人びとにとっては、それらはとても大切なものなのです。写真、そして動画を通して、多くの人びとの内に眠っている「記憶」(プライベートな「記憶」)が、ハプリックな空間のなかで少しずつ「つながり」ながら(パブリックな「記憶」群)、「街の記憶を保存すること」につながっていくのです。以上の「街の記憶論」については、もっときちんと整理し、別のエントリーで自分の考えをまとめてみたいと思っています。