映画『ちいさな独裁者』
◾️映画ブロガー・ライターの杉本穂高さんによる「軍服だけで権力を手にした男の驚くべき実話。映画『ちいさな独裁者』監督インタビュー」という記事を読みました。非常に興味深い内容でした。この「小さな独裁者」という映画、実話に基づいているそうです。「あらすじ」は、以下の通り。
舞台は第二次大戦末期。若い脱走兵ヴィリー・ヘロルトは道端に打ち捨てられた車の中からナチス大尉の軍服を発見する。暖を取ろうとそれを着た矢先、別の脱走兵から本物の大尉と間違われ、彼を部下とする。これに味をしめたヘロルトは、次々と脱走兵を束ねて自分だけの部隊「ヘロルト親衛隊」を結成する。やがて、ヘロルトの部隊は政治犯や脱走兵を収容した施設に到達する。そこでヘロルトは強大な権力を行使し、恐るべき命令をくだす。
◾️「ただの脱走兵でしかない男が、軍服を身にまとうだけで権力を手に入れ、恐るべき暴君に変貌」し、彼を本物の大尉と信じてしまった脱走兵を引き連れて虐殺を行ってしまう…。
権力という目に見えない幻想を人間はたやすく信じてしまう。しかし、そんな目に見えないものが存在するという前提で、人間の社会は営まれている。社会は確かにそうした幻想を必要としている。時に権力構造は秩序を作り出し、時には本作の物語のように混沌を生み出す。たったひとつの「服」を引き金にして。
◾️この映画の公式サイトには、関係者のコメントを読むことができます。この映画の監督は次のようにコメントしています。「彼らは私たちで、私たちは彼らだ。過去は現在なのだ」。フォトジャーナリストの安田菜津紀さんのコメントは次の通りです。「抑圧する者、される者、強者におもねり、なびく者。その境界線はあまりに脆く、曖昧だった。『私』の中にも宿る残虐な『彼ら』の存在を、この映画は鋭く突きつける。目を背ける『私たち』に、歴史は再び忍び寄る」。映画のあらすじを知り、こういうコメントを読むと、「権威主義」や有名なエーリヒ・フロムの「権威主義的パーソナリティ」という概念を連想します。この映画で大尉の軍服を、私たちはひとつの比喩として理解するべきでしょう。また、映画そのものもを恐ろしい現代的寓話として理解するべきなのでしょう。この映画が描く権威的なるものは軍隊だけではなく、私たちの身の回りにある様々な制度や組織の中にも、ごく当たり前のように存在しています。たとえば、政治家と国民の関係の中には、すでにそのような権威的なるものが存在しているのかもしれません。あるいは身近な組織の何らかの役職が、この映画の中の軍服の役割を果たしているのかもしれません。「彼らは私たちで、私たちは彼らだ。過去は現在なのだ」という監督のコメントは、そのような意味で理解する必要があるでしょう。
◾️映画「ちいさな独裁者」は、全国で上映されますが、私の場合だと、京都シネマでしょう。京都シネマでは2月9日から上映されます。
第4回沼田智秀仏教書籍優秀賞受賞記念講演会
◾️”Right Thoughts at the Last Moment: Buddhism and Deathbed Practices in Early Medieval Japan “(『臨終正念―中世初期の仏教と臨終の実践―』) で、2017年度沼田智秀仏教書優秀賞を受賞された、ジャクリーン・ストーン博士による講演会が実施されます。ご講演のタイトルは「最後の念仏の力によって―平安・中世に見る臨終行儀―」です。本講演会は一般公開、事前登録不要で、講演は日本語で行われるとのことです。
創部50周年記念誌とCD
◾️今週の水曜日のことになりますが、仕事の後、龍谷大学吹奏楽部の練習場のある瀬田キャンパスの青朋館に行きました。来年度から吹奏楽部の部長をお引き受けするにあたり、学生部に提出する様々な書類にサインと押印が必要だったからです。来年度から幹事長と副幹事長をされるお2人の部員の方が、対応してくださいました。皆さん、吹奏楽部という集団の中で鍛えられているせいでしょうか、とても礼儀正しいことに改め感心しました。書類のへのサインと押印という用事を済ませた後、吹奏楽部の『創部50周年記念誌』と記念のCDを頂きました。4月から吹奏楽部の活動を支えられるように、龍大吹奏楽部のこれまでの歴史を勉強させていただきます。
◾️『創部50周年記念誌』の目次の項目は、「祝辞・挨拶」、「50周年の歩み」、「演奏会の記録」、「OB・現役名簿」の順番でした。最初の「祝辞・挨拶」では、龍谷大学吹奏楽部が吹奏楽コンクルールで初めて全国大会に出場したときに指揮をされた、佐渡裕さんのメッセージを読ませていただきました。佐渡さんが指揮をされたのは1986年のことですから、もう33年前のことになります。佐渡さんは、京都市芸術大学を卒業されたばかりの大変お若い時期ということになります。当時、龍谷大学吹奏楽部の顧問をされていた京都市芸術大学の上埜孝先生や、現在、音楽監督・常任指揮者をされている若林義人先生のご縁を背景とした抜擢だったようです。その時の全国大会は、尼崎市にある「尼崎市総合文化センターあましんアルカイックホール」です。課題曲はコンサートマーチ「テイクオフ」、自由曲はコダーイの「ハーリ・ヤーノシュ」でした。受賞したのは銀賞だったようですが、この頃から、龍谷大学は音楽的な実力を蓄えていったようです。そのことがはっきり現れてくるのは1990年前後からでしょうか。
◾️『創部50周年記念誌』の「50周年の歩み」を拝見すると、龍谷大学吹奏楽部が、現在のように全国的に知られるような実力を持ったバンドになることができたのは、若林先生をはじめとするたくさんの先生方のご指導と、充実した練習場(青朋館)を大学が用意したことが大きいようですね。現在は、190名近くにまで部員数も増えているとお聞きしています。このような大きな吹奏楽部が生み出す音楽にさらに磨きをかけていただくために、副部長の事務職員(吹奏楽部OB・OG)の皆さんに教えていただきながら、4月から部長としての仕事に取り組みたいと思います。
阪急宝塚線・今津線
◾️木曜日は、亡くなった母の年金の手続きに必要な書類を役所に発行してもらうために兵庫県に行きました。大阪からは阪急を利用しました。3歳のころ、阪急御影駅が自宅最寄りの駅でした。御影駅からバスで10分ほど坂を登ったところにある団地が自宅でした。この時代が、一番古い記憶です。ということで、私にとっては鉄道といえば阪急…という感じなのかもしれません。阪急マルーンと呼ばれるあの電車の色は、当時と変わっていません。
◾️さて、母の年金の手続きなのですが、まずは川西能勢口駅まで。次の用事は神戸でしたので、引き続き阪急で阪急三宮まで移動しました。川西能勢口から三宮ということであれば、普通ならば十三駅経由かと思います。乗り換えも十三駅で1回だけですみますし、時間的にも早いからです。しかし、ここはあえて宝塚経由でということにしました。というのも、宝塚線と今津線、私には大変懐かしい路線だからです。学生時代は、よく利用していました。ですから、今津線の仁川駅では、「ああ、『鳥居』という焼き鳥屋によく通ったな」といったことを思い出すのです。しかし30年ほど前から、この辺りにはあまり来なくなってしまいました。宝塚から発車するときに、「鉄腕アトム」の歌が流れることに気がつきました。宝塚は、漫画家・手塚治虫先生、所縁の地ですからね。調べてみると、宝塚本線は「すみれの花咲く頃」、今津線は「鉄腕アトム」になっているようです。画像ですが、トップは宝塚駅を出発て宝塚南口駅に向かう途中。武庫川を走る車窓から撮りました。次は宝塚駅ホームです。
2019年1月17日 神戸
■昨日は授業がなかったことから、亡くなった母の年金の手続きに必要な書類を発行してもらいに兵庫県まで出かけました。まずは、母が暮らしていた自治体の役所で、母の住民票の除票を発行してもらいました。人が亡くなると、役所に死亡届が提出され、住民票から登録が抹消されたます。その抹消された住民票のことを除票と言います。この除票の後は、そのあとは本籍地である神戸に移動して戸籍抄本を受け取りました。郵送はできないとのことで、あらかじめ発行してもらえるように市役所のサービスコーナーに予約をしておきました。すべて電車に乗っての移動になりましたが、比較的スムースに移動することができました。
■夕方からは滋賀県庁で打ち合わせの仕事が入っていましたが、それまでは時間ができたので、高校の同窓生がボラティアとして参加されている震災関連の「追悼行事」を見学させていただくことにしました。メインとなる行事は暗くなってからだったので、残念ですが、三宮の東遊園地と新長田駅前の2箇所で、それぞれ募金をして、本当にちょっとだけの見学をさせていただきました。ボランティアをされている同級生のお2人からは、facebookでやり取りをしましたが、「テントの数も減り、小規模になっているのが気になりますが、続けることに意味があります」、「あの辺りは(新長田駅の辺り)、震災時は、火の手が上がったところです。今日も、当時を思い出した方々が話しかけて下さいました。辛い経験ですが、少しは、祈りに昇華できたのだろうか、等と考えたりしました」といったメッセージをもらいました。ちょっとだけその場にいただけですが、それでも私にとって大切な経験になりました。ニュースや新聞記事を拝見しましたが、東遊園地でのイベントの実行委員長の男性が、昨日は東京でアピールされていたようです。記憶を風化させないこと、そして被災地の横の連携や地域間のネットワークが大切になっているのですね。
◾️2つの追悼行事を見学させていただくと同時に、とても短いですが、時間を作って西元町にある「フルーツカフェ サイタ!サイタ!」 を訪問しました。今日、1/17(木)から、「アトリエこうき展」が始まったからです。木下晃希くんの作品展です。木下くんは、芦屋にある特別支援学校に通学されている高校生です。広範性発達障がいを持っておられます。小さい時から絵を描くのがお好きで、図鑑や写真集で見つけた好きな写真を題材に絵を描いておられます。様々なアートコンクールでも入賞されています。なぜ、木下くんのことや彼の作品のことを知っているのかといえば、木下くんのお父さんの木下賢二さん、そしてこのカフェを経営されている採田賢志さんも、じつは学生時代に私が所属していた関西学院大学交響楽団の後輩にあたる皆さんだからです(学年でいえば、お2人とはかなり離れていますが…)。そうそう、もちろん、作品を鑑賞するだけではなく、こちらのカフェの名物であるフルーツパフェをいただきました。とても、美味しかったです。あまり還暦のおじさんというか、おじいさんが食べるものではないのかもしれませんが、私は大満足しました。「アトリエこうき展」を観覧した記念に、晃希くんの作品のポストカードも買わせていただきました。自宅で飾っています。
第25回地球研地域連携セミナー滋賀「地域のにぎわいと湖国の未来 魚のゆりかご水田~5つの恵み~」
■先月開催された第25回地球研地域連携セミナー滋賀の動画か、YouTubeにアップされました。私は、後半のパネルディスカッションの進行を担当しました。
「FMわぃわぃ」の「ゆうかりに乾杯」
◾️昨年の12月23日のことになりますが、神戸市長田区にスタジオのある「FMわぃわぃ」の「ゆうかりに乾杯」という番組に出演させていただきました。トップの画像写っている方たちは、お1人を除いて、すべて母校である兵庫県立兵庫高等学校の先輩・同級生・後輩の皆さんになります。壁際で立っておられる方たちは、全員、この日の放送を見学に来られた同級生です。兵庫高校の同窓会は「武陽会」と言います。武陽会の同窓生は、それぞれの学年ごとに卒業年次の順番に数字をつけて「○陽会」と呼ばれます。私たちの学年は「64陽会」ということになります。写真の一番の右側のFくんとは、おそらく42年ぶりの再会かと思います。私の左に座っておられる若い女性はMC担当のKさんです。彼女も兵庫高校の同窓生です。しかも、龍谷大学文学部を卒業されています。
◾️少し説明を。「FMわぃわぃ」は、1995年の阪神・淡路大震災の直後から、在日外国人が多い長田区を中心に多言語放送をしていたミニFMがルーツになります。2016年3月31日でFM放送を停止し、現在はインターネットで放送しています。このインターネットラジオの中で、月1回、「ゆうかりに乾杯」という番組が放送されています。母校・兵庫高等学校OBを中心にゲストをお招きして、お話を聞く番組です。2009年4月に第1回目の放送が行われ、今回の私で140回目になるようです。同窓生の皆さんによる、息の長い番組ですね。すごいです。番組のサイトもあります。すべての回の音源を聴いて、放送内容の概要も読むことができます。また、放送の様子はすべて動画に撮り、すぐに編集を行ってYouTubeにアップされます。昨日の放送もすでにアップされています。これまでの自分の人生について語っていますので、ちょっと恥ずかしいですが…。
◾️こういうインターネットラジオ、比較的簡単に開設できるのではないかと思っています。今取り組んでいる「大津エンパワねっと」や、これから取り組む「学生まちづくりLaboratory」の活動の延長線上で、何かできないかな…、いろいろ妄想しています。ところで、今年は、兵庫高校の創立110周年記念の年でした。そのことを記念して名簿も作成されました。そのような名簿を作成されていることをよくわかっていませんでした。結果、私は、行方不明者になっているそうです。そのことを何人かの人たちに心配していただきました。すみません。来年の3月には、今年度に還暦を迎えた「64陽会」の同窓会が神戸で開催されることになっています。楽しみにしています。
今年初めての「利やん」
◾️大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」。TVの「酒場放浪記」で有名な吉田類さんもやってきた滋賀の居酒屋の名店です。毎週、欠かさず通っている大切な「サードプレイス」です。なのですが、5日に母を亡くしたこともあり、3週間ぶりの訪問になりました。新年、お店は7日から始まりました。ご常連の皆さんが続々とやってこられるなか、私がやってこなかったことから、お店のスタッフの皆さんには心配をおかけしたようです。大丈夫、亡くなった母の様々な手続きも見通しが立ってきたので、また通わせていただきます。「利やん」の年明けは、まずは樽酒からです。滋賀県の石部の酒「香の泉」を、ご常連のお一人と楽しみました。
◾️今日は、そうやってひしぶりの「利やん」でゆったりしていると、なんと市民団体「水草は宝の山」に一緒に取り組んでいる「近江ディアイ」の藤澤栄一さんが来店されました。そして、もうじき立ち上げる予定になっているNPO法人「琵琶故知新」のことについて諸々の相談を行いました。NPO法人「琵琶故知新」では、琵琶湖に関わって活動する団体や、琵琶湖に関心を持っている方たちの「つながり」を生み出すためにユニークな取り組みを展開する予定です。近いうちに、このブログでもお知らせすることができるのではないかと思います。
冬の比良と菜の花
◾️昨日も亡くなった母の年金のことで、お世話になった老人ホームに行ってきました。年金事務所から送られてきた書類にサインをいただくためです。後日、この他にも複数の役所で書類を発行してもらわねばならず、なんていうか、いろいろ勉強になります。そういうわけで老人ホームに出かけたのですが、ただ行って帰るだけではつまらないので、往きは自宅から琵琶湖大橋を渡って守山市の湖岸にある「第1なぎさ公園」に立ち寄りました。有名な菜の花がピークのようです。今日は天候も良く、湖西にある自宅からも頂きが雪で白くなった鈴鹿山系の山々を眺めすることができましたが、湖東の守山の側からも、美しい比良山系はもちろんのこと、伊吹山や湖北の山々を眺めることができました。美しい景色を眺めると心が洗われますね。行って良かったです。
◾️昨日は空気が大変澄んでいました。自宅のリビングからも、雪で頂きが白くなった鈴鹿山系の山々を見ることができました。「第1なぎさ公園」の岸辺からは、比良山系はもちろんのこと、湖北の伊吹山をはじめとする山々がはっきり見えました。ひょっとすると竹生島も確認できるかなと目を凝らしましたが、私の視力でははっきりわかりませんでした。残念。ちょっと自撮りの写真も撮ってみました。怒ったような顔をしていますが、風が強いので、こんな顔になってしまいました。すみません。