琵琶故知新「びわぽいんと」研究会
■昨日は、理事長を務めている特定非営利活動法人「琵琶故知新」で研究会を開催しました。私どものNPOで取り組もうとしている「びわぽいんと」の研究会です。「びわぽいんと」のことについては、いろいろこのfbでもお伝えしてきましたので、説明は省きます。以下をご覧ください。
びわぽいんと
■今日の研究会には、NPOの理事も含めて15名の皆さんにご参加いただきました。ありがとうございました。zoomによるオンラインと対面式のハイブリッドで開催しました。ゲストの皆さんには、とっても貴重なアドバイスをたくさんいただくことができました。滋賀県で取り組まれているMLGs(マザーレイクゴールズ)との連携の道筋が見えてきましが、そのことに加えて若い世代の人たちへの訴求力をどのように確保するのか、若い世代の知恵やセンスに向き合うべきこと、協賛金(寄付金)以外にも様々な資金確保の方法があること、もっと広報が必要であること…。研究会でのご意見は、文字起こしして、ご参加いただいたゲストの皆さんとも共有できるようにしたいと思います。
■研究会の後は、対面式の皆さんと懇親会を持ちました。私も含めて5人でしたが、もちろん、ソーシャルディスタンスを確保してです。懇親会の後は、今回ゲストとしてお越しいただいた、元「きょうとNPOセンター」の藤野 正弘さんと、さらに山科で飲み直しました。藤野さんは、私よりもひと回り年上の方です。でも、15年ほど前のことになりますが、私の大学院の講義やゼミを、社会人院生として履修されていました。ひさしぶりに、いろいろお話しすることができました。あっという間に時間が過ぎていきました。楽しかった〜。「びわぽいんと」についても、いろいろご意見をいただきました。ありがとうございました。
リラックスできない年度末
■子どもの頃、春休みの思い出と一緒にあるのはモクレンの花です。春休みって、宿題もないし、暖かくなって気持ちが良いし、なんとなく春の香りが漂っています。なんていうのかな、生き物が目覚めた感じの香り…かな。本当にリラックスできました。昨日は、最寄駅から自宅に帰るときに、近くのお宅のモクレンが咲いていました。素敵ですね〜。とはいえ、子どもの頃とは違い、春休みも朝から働いています。年度末ですから、それなりに忙しいです。大人ですからね。そんなにリラックスできないな…。って、還暦を超えた爺さんが言うことではありませんね。
■昨日は午前中は、朝9時半から大津市役所で「大津市協働を進める三者委員会」でした。これは、「大津市『結の湖都』協働のまちづくり推進条例」の規定に基づく委員会です。この条例に掲げられた「協働によるまちづくり」の推進を実効性あるものにし、時代の流れに対応したものとなるよう、協議・検討をしています。2017年の秋にこの委員に就任して、委員長を勤めてきましたが、もう1期頑張って他の委員の皆さんと良い議論をして、大津市役所と市民の皆さんとの協働を進捗させていきたいと思います。
■委員会の後は大学に移動し、高島市からの委託調査(高島市棚田地域調査・広報資料作成業務委託)に参加しもらったゼミ生への謝金の手続きを研究部で行いました。引き続き、そのゼミ生と卒論の相談を行いました。4月から4回生になる学生さんですが、真面目に卒論の研究を進めようとされています。指導教員としては嬉しいです。今日は、きちんと自分の調査をしようと思っているフィールドを見つけて来られました。こういうふうに前向きに、少しずつ取り組んでくれると、指導教員としても嬉しいんですけどね〜。でも、こういうゼミ生ばかりではありませんのでね。
■ゼミ生を指導した後、すぐに農学部に移動しました。龍谷大学「食と農総合研究所」の共同プロジェクト「琵琶湖水草の有機肥料としての表とその普及」の研究成果報告会が開催されました。農学・経済学・社会学の文理融合の研究プロジェクトの報告会です。私、今日は、社会学部教員の立場ではなく、特定非営利活動法人「琵琶故知新」の理事長として、これから運営していこうと準備をしている「びわぽいんと」や、NTT西日本滋賀支店との協働事業に関して報告を行いました。
■こんな感じで、今日も一日が終了。午前中の委員会、学生の指導、午後の報告会、いずれも有意義でした。とはいえ、年度末でいろんなことが立て込み、気持ち的には辛いところがあります。春休みだから、リラックしたいのですが。キャンパスは春休みでのんびりしているんですけどね〜。
日経ビジネス「辺境の地になった日本 生き残る道は世界の“古都” ノンフィクション作家・高野秀行」
辺境の地になった日本。以前、世界的に有名な投資家が「日本は将来、今のヨーロッパのポルトガルのような感じになる」と語っていた。こちらの高野さんも同意見のようだ。うまくいけば辺境の地でも悪くない。今までとは別の「幸せの物差し」を持てれば。https://t.co/rbzKQeqdCa
— 脇田健一 (@wakkyken) March 21, 2022
「古屋六斎念仏踊りオンライン稽古」
■滋賀県高島市朽木の古屋の六斎念仏踊り、担い手の高齢化により途絶えてしまったのですが、外部の皆さんの力もあって復活することになりました。詳しくは、このブログに投稿した「朽木古屋『六斎念仏踊り』の復活」をお読みいただければと思います。ただ、その後、コロナ感染拡大の中でこの念仏踊りを受け継ぐ活動はどうなっているのかな…と少し心配していました。昨日は、関係者の皆さんがfacebookに投稿された記事で、こうやってオンラインでお稽古をされていたことを知りました。感動しました。コロナ禍においても、こうやって頑張ってくださっていたのですね。ありがとうございます。
「国分寺地域通貨ぶんじ」のこと
■時々、このブログで特定非営利活動法人「琵琶故知新」や、「琵琶故知新」でこれから運営していこうと考えている「びわぽいんと」について紹介をしてきました。理事長としての責任の重さをひしひしと感じながら、この「びわぽいんと」を具体的にどのように展開していけば良いのか、そのことについて頭を悩ませています。広い意味で地域づくりの活動に取り組んでこられた方たちに、「びわぽいんと」のことを説明すると、「ああ、地域通貨のようなものですね」と理解してくださいます。よくある地域通貨は、紙幣のようなものを発行して、流通させることで、地域社会の様々な課題を解決したり、活性化させたりしていこうとするわけですが、「びわぽいんと」の場合は、紙幣のようなものではなく、インターネット上で流通させるポイントになります。
■「びわぽいんと」の原理となる仕組みはすでに出来上がっていますが、それをどのようなルールで、どのような具体的な地域社会の活動とつなげながら展開していくのか、今はそのような段階かと思います。ここで乗り越えるべき壁がぐんと高くなりました。ICT(Information and Communication Technology:情報通信技術)だけでは乗り越えられない壁が存在するからです。言い換えればICTを具体的な地域社会というコンテクストの上で、どのようにデザインしていくのかということになります。藁にもすがるような思いで、ヒントになる情報を探しています。先日のことになりますが、滋賀県庁の幹部の方とお話をしたときに教えていただいたことがあります。「皆さんの『びわぽいんと』の話をお聞きして、東京の国分寺市でやっている地域通貨『ぶんじ』のことを連想しました」。ということで、「国分寺地域通貨ぶんじ」について調べてみました。
■「国分寺地域通貨ぶんじ」については、公式サイトがありますから、そちらをご覧いただけばと思います。とても興味深かったのは、この地域通貨が「お金」であると同時に、メッセージカードでもあるということです。地域通貨であるから「お金」の一種であることはわかりますが、メッセージカードとはどういうことなのでしょう。実は、地域通貨「ぶんじ」の裏側には、メッセージを書くことができます。Aさんが、Bさんから何かを買う(物やサービス)時にこの「ぶんじ」を使うわけです。「交換」です。通常、「交換」が成立した時には、AさんとBさんの関係はそれで終了します。「お金」の点だけから考えれば、「交換」が終了した段階で関係が持続する必然性のようなものはありません。しかし、「ぶんじ」は違います。裏側に自分の気持ちをメッセージとして書き込むのです。公式サイトでは、このように説明されています。
金は何かを「手に入れる」ための道具でなく
誰かのやさしさや丁寧な仕事を
「受け取る」ための道具にもなる。そして受け取ってくれる人の存在は
忘れかけていた贈ることのよろこびを、
もう一度思い出させてくれるかもしれない。そして、ぶんじはまた、
次の「贈り手」に向けてめぐっていきます
■「ぶんじ」は、地域通貨です。国が発行している通貨と同様に「交換」されるわけですが、それとともに人をつないでいく、人に思いを伝える「贈与」の側面も持っているのです。そのような「贈与」が人と人とのゆるやかな関係を生み出していくわけです。私が「ぶんじ」に注目するのは、この地域通貨には「贈与」の側面が存在しているからです。公式サイトには、次のように書かれています。「気持ちのこもった仕事に『いいね!』/率先したまちのための汗かきに『ありがとう』/その感謝のメッセージが、働くことのよろこびを思い出させてくれる」。
■この「国分寺地域通貨ぶんじ」については、キーパーソンである影山知明(かげやま・ともあき)のインタビュー記事も参考になります。フコク生命によるインタビュー記事です。この中で、影山さんは、次のように語っておられます。特に、大切だなと思った部分を一つだけ引用させていただきます。
互いに干渉しない、必要以上に立ち入らないという世の風潮もあるように思いますが、うまく関わり、お互いの前向きな重なりをつくれるようになると、1人ではできなかったことが2人だからこそできるということもあるでしょう。それぞれの自由を尊重し合いながらの「他人と共に自由に生きる」道があるのだといいます。
「自分の利益にしか関心がなかったり、自己中心的に考えてしまったりしていると、目の前の一人一人は『利用する(テイク)』対象になってしまいます。そうすると相手も防衛的になり、リターン目当てで関わったりするようになる。こういう関係を続けていくと、奪い奪われで消耗しますから、人と付き合うことが嫌になります。ところが、目の前の一人一人にどうやったら力になれるかと、『支援する(ギブ)』姿勢で関わるようになると、相手もちゃんと返してくれることに気が付く。そしてこうした関わりの方がよっぽど生産的だし、気持ちがよく、長く続くものになります」
■なぜ引用したのかといえば、様々な方たちと連携しようとする中で私自身も強く感じてきたことだからです。地域づくりの活動の中で、研究プロジェクトの中で、大学の組織の中の取り組みの中で…。影山さんが語っておられるのは、「他者を自己の手段や資源にしない関係」のあり方です。とても大切なことかと思います。「他人と共に自由に生きる」、とても素敵な言葉だと思います。さて、私たち「琵琶故知新」の「びわぽいんと」は、よく店舗やスーパーで使われているポイントカードとは違います。そようなポイントカードは、消費者が「自分のため、自分が得をするため」に利用され、そのことで店舗やスーパーも利益をあげることかできるわけです。もちろん、「びわぽいんと」もそのような利用が可能なわけですが、それだけでなく「ぶんじ」と同じく贈与の側面に特徴があります。大津で環境ボランティアで貯めたポイントを、湖北で活動している団体に贈ることができます。その時に、「ぶんじ」のようにメッセージが伴っていると素敵だなと思っています。このあたり、琵琶故知新の理事の皆さんにも、相談をしてみたいと思います。
【追記】■「ぶんじ」のキーパーソンである影山知明さんが執筆された『ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済』(大和書房)です。タイトルがいいですね。「人を手段化しない経済」。以下は、この本の紹介文です。
働いても働いても幸せが遠のいていくように感じるのはなぜなのか。
金銭換算しにくい価値は失われるしかないのか。
「時間との戦い」は終わることがないのか。
この生きづらさの正体は何なのか。経済を目的にすると、人が手段になる。
JR中央線・乗降客数最下位の西国分寺駅――
そこで全国1位のカフェをつくった著者が挑戦する、
「理想と現実」を両立させる経済の形。
琵琶湖博物館オンラインセミナー「第2回 琵琶湖の水草問題は増えすぎなのか?」
■滋賀県立琵琶湖博物館が、琵琶湖の三大問題である、深呼吸(全層循環)、水草、外来種の問題について、専門家を招いてオンラインセミナーを開催されるようです。このチラシからすると、博物館の館外から専門家を招いて、学芸員ととトークショー形式でセミナーを開催されるのではないのかな…と想像しています。琵琶湖の深呼吸については、すでに1月22日に開催されたようで終了しています。第2回は「水草問題」で来週の2月26日に開催されるようです。第3回は「外来種問題」で3月26日に開催されます。
■私は、とりあえず第2回の「水草問題」をオンラインで視聴できるように申し込みました。タイトルは、「琵琶湖の水草問題は増えすぎなのか?」です。このタイトルからすると、「増え過ぎなのか?→いや増え過ぎではない」、もはや琵琶湖の三大問題ではない…という展開が予想されそうです。ゲストは、滋賀県琵琶湖環境科学研究センターの佐藤祐一さんです。まだお若い方ですが、とてもよく存じ上げている方です。親しくさせていただいています。そのようなこともあり、佐藤さんのお話を楽しみにしています。
■話は変わりますが、私は親しい方たちと市民団体「水草は宝の山」(「水宝山」)を立ち上げました。湖岸に漂着する水草が腐敗して悪臭を発するので、腐敗する前に陸地にあげて乾燥させて、水草堆肥(土壌改良材)として地域社会で循環的に利用していこう…それがこの市民団体の活動の目的でした。ところが、私たちが市民団体を立ち上げたのち、かつてのように大量の水草が漂着することはなくなりました。冗談で「私たちが市民団体を立ち上げたからだ」と言っているのですが、ちょっと肩透かしのような感じです。実際、湖岸に職場のある市民団体のメンバーは、以下のように語っておられます。「かつては水草が大量に押し寄せて、それが腐敗して困っていたけれど、最近はそのようなことはない。むしろ、外来種の水草が減って、在来種が復活してきた。一時、湖岸で減っているように感じていたコアユがまた戻ってきた」。1人の方の印象にしか過ぎないと言われればそれまでですが、毎日、琵琶湖と接しておられる方の直感は大変気になるところです。
■琵琶湖の生態系にどのような変化が起こっているのか。この方の印象は、佐藤さんがオンラインセミナーで語られることとも関係しているのか。その辺りのことも、大変気になっています。オンラインセミナーでは勉強させて頂こうと思います。
■ところで、私は1997年度まで琵琶湖博物館に学芸員として勤務していました。今回のオンラインセミナーのホスト役の学芸員の皆さんは、当時の私の同僚の皆さんです。私よりも少しお若い方達ですが、もうベテランの学芸員の皆さんです。個人的には、何か感慨深いものがあります。もしずっと博物館に勤務していたら、私はもう3年前に退職していることになります。そうであれば、私は博物館でどのような仕事ができたのだろう、そして自分の人生はどういうふうになっていたのだろう、まあ、そんなことを思うわけです。そんなことを考えても仕方がないのですが。
高島市で聞き取り調査
■今年の10月1日〜2日に、滋賀県高島市で「第27回全国棚田(千枚田)サミット」が開催されます。そのことと関連して、龍谷大学の社会学部、農学部、経済学部の7名の教員が研究グループを作って、滋賀県の高島市との協働で高島市棚田地域の調査と、広報用の動画資料の作成(委託事業)に取り組んでいます。また、このサミットの開催についてもサポートさせていただくことになっています。
■さて、今日の朝は、強風と雪でJR湖西線が動いていなかったのですが、昼前からなんとか動き始めました。ということで高島市に移動し、上記の事業の関連で、近江今津に事務所のある「特定非営利活動法人コミュニティねっとわーく高島」の職員のSさんに、市役所のお二人の職員の方達と一緒に聞き取り調査を行いました。私が指導している大学院生と学部ゼミ生もオンラインで参加してくれました。
■今回の聞き取り調査では、「NPOとして今後どのように中山間地域の集落を支えていかれるのか」、その辺りのことについてお聞きしました。そうなんですが、だんだん、聞き取りというよりSさんと一緒に「高島市がこうなっていったら素敵だよね〜」という将来の夢について色々語り合うことになりました。大学で教えている社会調査からすると、こういうのはダメなんですけどね。そのことをわかってはいるのですが、最後はSさんや市役所の職員の方達と楽しいディスカッションを行うことに意図的に重点を移していきました。それでよかったと思っています。高島市棚田地域の調査は、昨年から行っています。高島市の中山間地域にある4つの集落でお話を伺ってきました。今月と来月の初旬頃まで、補足的な調査を行う予定になっています。
■滋賀県は、伝都的な琵琶湖漁業、環境こだわり農業、魚のゆりかご水田、水源林保全などからなる「琵琶湖システム」を、世界農業遺産に認定されるようにFAO(国際連合食糧農業機関)に申請をおこなっています。私はこの申請作業をサポートしてきました。そのようなこともあり、高島市の棚田をはじめとする中山間地域の存在は、この「琵琶湖システム」とも深く関係していると思っています。「第27回全国棚田(千枚田)サミット」と、滋賀県による「世界農業遺産」の申請が、うまく連携していけるようになればなあと思っています。とはいえ、「世界農業遺産」の審査、コロナのパンデミックのためになかなか進まないようです。待つしかありませんけど。
facebookの中の母
■SNSのfacebookは、毎日、過去の同じ日に何があったのかを、記憶の中から呼び起こしてくれます(それが良いことなのか、どうなのか…よくわかりませんが)。今日、facebookが示してくれたのは、上のような写真でした。4年前の今日、母は脳内出血で滋賀医大に入院していました。孫のひなちゃんが両親(娘と娘婿)と一緒にお見舞いに来てくれたのです。母からすると、ひなちゃんはひ孫になります。さて、脳内出血した母ですが、その後、回復して退院はしたものの、身体の機能をかなり落としてしまい、再び老人ホームに戻りました。夏以降は、次第に反応も悪くなり、晩秋までは見舞いに来た私のことだけは識別できたようですが、次の年の正月に亡くなりました。母は糖尿病でした。糖尿病は血管の病気ですから、身体のあちこちに問題が出ていました。眼底出血で失明、脳内出血で入院、腎臓の調子も悪かったし…。でも、翌年の正月まで頑張ってなんとか生き抜きました。86歳。父の看病のことも含めると、両親の看病や介護は11年続きました。父は1年の看病でしたが、母の介護は10年続来ました。その11年の看病や介護で学べたこともずいぶんあるので、両親への文句は心の中にしまってあります。学べたこととは、人が亡くなっていく過程に寄り添う経験ができたということです。おそらく将来の自分のことでもあるわけですから。
■4年前のfacebookの写真には、次のような文章を添えて投稿していました。
2018年2月10日 ·
今日は、大阪に暮らしている娘夫婦とひなちゃんが、ばーちゃんのお見舞いに来てくれた。ありがとうね!
ひなちゃんは、慣れない場所に最初は緊張していたが、そのうちに元気な声を出し始めた。ひなちゃんの声が、寝たきりのばーちゃんの気持ちに少し力をあたえたのかもしない。ばーちゃんは、今日はまともな事をしゃべっている。目は見えないけれど、ひなちゃんのことも、よくわかっている。今日は童謡も歌ってくれたようだ。