仰木の耕作放棄地が、美しい畑になりました。

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▪️10月22日の投稿「農業体験プレイベント」でした。その投稿にもあるように、自宅のある新興住宅地に隣接する農村、仰木の耕作放棄地で、有機農業を事業化された農家の指導のもと除草作業を行いました。除草作業後についてですが、農家がトラクターで耕運してくださり、とても美しい畑になりました。そのことを特定非営利活動法人「琵琶故知新」のサイトの記事でご覧いただけます。私も理事長として登場しています。まだまだ農業の真似事でしかありませんが、農家の指導を受けて、野菜を生産するのも、もうじき…ということになりました。

耕作放棄地を利用した農業体験プレイベント(草刈り)

「農業体験プレイベント」

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▪️今年の6月に、理事長を務めている特定非営利活動法人「琵琶故知新」とNTT西日本滋賀支店さんとが共催でイベント「耕作放棄地で有機農業しませんか?」を開催しました。棚田でとても有名な農村・仰木に発生してきているたくさんの耕作放棄地を少しずつ復活させて、仰木の農家だけでなく、隣接する新興住宅地の住民の皆さんや、関心のある皆さんにも参加していただきながら、有機農業を実践していくことを呼びかけました。その時は、30名ほどのご参加がありました。

▪️今日は、休日ではなく平日なのですが、そのイベントの時にご参加いただいた皆さんにお声がけをして、「農業体験プレイベント」が開催されました。主催は、前回のイベントの時に組織された「(仮称)仰木地区地域共生協議会準備委員会」です。この準備委員会の中にも、特定非営利活動法人「琵琶故知新」の事務局長さんやNTT西日本滋賀支店の社員さんがスタッフとして参加されています。

▪️この「農業体験イベント」に、私は「琵琶故知新」の理事長ではなく、仰木に隣接する新興住宅地の住民として参加しました。平日ということもあり、私も含めて一般からの参加者は5名でしたが、その5名の皆さんと準備委員会のスタッフの皆さんと力を合わせて、これから有機農業を行うための耕作放棄地の整備を行いました。草ぼうぼうの農地を、再び耕作できるようにするために、徹底して草刈りを行いました。

▪️もちろん、人の手だけでは耕作放棄地を元の農地に戻すことはできません。エンジンのついた草刈機、そしてラジコンの戦車のように動く草刈機も使いました。まだ、ラジコンのように…の段階なのですが、将来的には、AIのついた草刈機が出てきて、最初に指示を出せば、いろいろ考えながら除草してくれるようなのが出てこないかなあと妄想しながら、私は手作業で頑張りました。

▪️この前の土日、「びわ100」に参加してまだ疲れが残っていましたが、農作業がリハビリのようにもなった気がします。ただ、ちょっと腰に農作業の疲れが残ってしまいました。とはいえ、参加者と準備委員会のスタッフの皆さんとで、きれいに刈り取ることができました。あとは、トラクターで農地を耕して、残った雑草も漉き込んでいくことになっています。そこは、スタッフの農家の皆さんにお任せということになります。なんとか農地を確保できそうです。

▪️この農地の所有者は、すでに離農されています。農地の世話もできなくなっているのです。その農地をお借りして有機農業を始めるのです。有機農業は簡単ではありません。しかし、この仰木ですでに有機農業を企業として実践されている方がリーダーとなり、ここで美味しい野菜を生産していく予定になっています。今年の6月のイベントの際は、ここで仰木の農家が有機農業を実践されていました。ところが、雑草が生えないようにと敷いていたマルチシートが強風で剥がれてしまい、いくつかのことが重なり、元の耕作放棄地に戻ってしまったとのことでした。雑草の力って、もの凄いですね。

▪️今日のミーティングでは、これから生産していく野菜として、いくつもの種類の冬野菜が候補に上がりました。たとえば、大根。筋のない、みずみずしい、本当に美味しい大根が生産できるとのことでした。大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」のおでんのネタに使っていただけるようなレベルの大根を生産することが、私の個人的な目標になります。退職後の人生も見据えて、頑張ってこの事業に取り組んでいこうと思っています。

▪️地域社会の中で生産者と消費者が協働して、自分たちの「食」をどのように確保していくのか、これは大変重要な問題です。市場に自分たちの「食」を全て委ねてしまうことは、食料安全保障と重ね合わせても、大変大きなリスクがあります。温暖化、気候変動等、大規模な戦争、パンデミック等により、食料の輸入が困難になることが起きるかもしれません。そのような問題意識も、このよう事業に取り組むことの背景に存在しています。

11月17日「第21回おっきん椋川 開催!!」


▪️高島市今津町椋川で開催される村おこしのイベントです。もう21回目なんですね。

第21回おっきん椋川 開催!!
いつもは静かな山里が、
農家の軒先に1日だけのお店が開店。
秋色の山里を歩きながら、地元の方と交流し、
自慢の手料理や手仕事品を楽しんでいただけます。
日時:11月17日(日)10:00~15:00
会場:椋川地先
    高島市今津町椋川
ご近所お誘いあわせの上、お越しください。
主催:結いの里・椋川
お問合せ先:担当 是永(これなが)
TEL  090-3864-4077
MAIL   korechu@gmail.com

【関連投稿】▪️過去に、以下のような「おっきん椋川」関連の投稿をしています。
むらづくりの村人にとっての「意味」
第20回 「おっきん椋川」
第18回おっきん!椋川

「伊吹山特設サイト」

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▪️「伊吹山特設サイト」というネットのサイトができていことを知りました。この特設サイトの中には、「伊吹山植生復元プロジェクト」のページがあり、そこでは「南側斜面の崩壊防止・植生回復について」解説してあります。また、「山頂・3号目における植生保全について」では、「特定非営利活動法人霊峰伊吹山の会」と「ユウスゲと貴重植物を守り育てる会」の活動が紹介されています。

▪️後者の「ユウスゲと貴重植物を守り育てる会」の活動に対しては、「平和堂財団夏原グラント環境保全活動助成事業」から助成が行われています。この助成事業に少し関係していることから、この伊吹山の「南側斜面の崩壊防止・植生回復について」は、強い関心を持っています。地球温暖化により増加したシカの捕獲強化の効果等についても、もう少し詳しく知りたいと思っています。

「淡海ヨシみらいフォーラム~ヨシの保全と活用における連携の可能性~」

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▪️今月の18日(金)(つまり、「びわ100」の前日)、今年の3月に発足した「淡海ヨシのみらいを考える会議」で、この会議に参加された皆さんと一緒に、「淡海ヨシみらいフォーラム~ヨシの保全と活用における連携の可能性~」を開催します。この会議には、様々な団体や個人が関わっていますが、横のつながりをもっと太くして、ヨシの保全、活用、啓発、研究の相互乗り入れを活発にしながら、「連携の可能性」を高めていくことについて話し合いができればと思っています。

▪️当日は、事例報告、情報交換会、ディスカッションという順番でフォーラムが予定されています。フォーラムでは、コーディネーターを務めることになると思います。24日は、近江八幡市のヨシ群落の現場を会員の皆様と一緒に訪問します。これも楽しみです。そして10月末の30日(水)には「第40会 ヨシ群落保全審議会」(滋賀県琵琶湖環境部琵琶湖保全再生課)が開催される予定になっています。10月は、琵琶湖のヨシ関連の予定がたくさん入っています。このようなヨシ群落に関わる様々な関係者の関係を強化していくこと、これも滋賀県で取り組む「MLGs」(マザーレイクゴールズ)の推進に資する活動なのではないかと思っています。

【特別編】みんなのBIWAKO会議/COP3|第458回(2024年9月6日)


▪️「みんなのBIWAKO会議/COP3」が開催されました。以下は概要です。

琵琶湖版のSDGs「マザーレイクゴールズ(MLGs)」が策定されて3年。
MLGsに関わる人々が集い、MLGsのゴール達成状況を確認しあい、今後に向けて学びあう「MLGsみんなのBIWAKO会議/COP3」を開催します。
今年度は、web配信の情報番組「びわモニ」とコラボレーション。
“ミスターびわ湖”の愛称で親しまれている川本勇さんが司会を務めます。
琵琶湖を愛する多様な人々が一堂に会する貴重な機会ですので、ぜひご参加ください。

▪️「みんなのBIWAKO会議/COP3」の第1分科会「MLGsの可能性~できそうなこといろいろ考えてみよう~」には、理事長をしている「特定非営利活動法人琵琶故知新」の理事のお1人である秋國寛さんが、琵琶故知新で進めている「デジタルマップ」について説明されます。第一分科会の開始時間は動画の「01:42:33」からです。秋國さんの「デジタルマップ」の説明は、「02:12」あたりからになります。動画の中では、この「デジタルマップ」をご覧いただくためのQRコードも出てきます。そこから「デジタルマップ」をご覧いただくことができます。こちらからアクセスすることもできます。7月1日の「びわ湖の日」に公開されました。現在はβ版です。多くの皆さんから寄せられた情報をこのデジタルマップの上で表現していく予定になっています。

▪️私どもの「デジタルマップ」の取り組みは、2024年度「未来ファンドおうみ」から助成を受けています。

NHK「アナザーストーリーズ 運命の分岐点 復活 〜サイモン&ガーファンクルとセントラルパーク〜」


▪️サイモン&ガーファンクルは、私の年齢よりも少し年上の皆さんが夢中になっていたデュオグループではないかと思います。有名な「明日に架ける橋」が発表された1970年、私は、まだ小学校6年生でした。おそらく1970年前後に20歳前後の皆さんが夢中になったのではないでしょうか。wikipediaではありますが、そこには、次のような説明がありました。

1970年発表のアルバム『明日に架ける橋 (Bridge Over Troubled Water)』の制作中に、ポールとアートの音楽に対する意見の違いが表面化した。『明日に架ける橋』は、全世界で売上が1,000万枚を超える大ヒットとなり、グラミー賞の最優秀レコード賞・最優秀アルバム賞を受賞したものの、このアルバムを最後に2人はそれぞれのソロ活動に入った。

▪️1981年9月19日、サイモン&ガーファンクルは、ニューヨークのセントラル・パークで再結成チャリティコンサートを開いて53万人もの観衆を動員しました。先日NHKの「アナザーストーリーズ 運命の分岐点 復活 〜サイモン&ガーファンクルとセントラルパーク〜」では、このコンサートを契機に、荒廃したセントラルバークを再生復活させる取り組みが始まったことを知りました。

セントラルパークはニューヨーク市の財政危機から荒廃、治安も悪化し、窮地に陥っていた。セントラルパークを救うため二人を同じステージに立たせるプランが浮上。復活と再生をかけた二つの物語。

▪️このセントラルパークは、かつては荒れ果てて、誰も近づかなかった場所だったようです。しかし、寄付も集まり、このコンサートをきっかけに、自分たちの公園として大切にしてきたいという気持ちも育まれたようですね。素敵なことです。一般論として、人びとの関心が薄れるとその環境は劣化していく傾向があります。逆に、人びとが関心を再び向けると環境が改善していくこともあるのです。自分のことしか考えなかったけれど、このコンサートをきっかけとして自分たちの大切な公園なんだという意識が涵養されていたわけっです。これは公共性にも関わることだと思います。素敵な事例を知りました。

▪️セントラルパークの再生について、こちらの記事に少し詳しく説明してあります。「公園が変わる! 街が変わる!第9回 米国NY市のユニークな公民連携による公園管理(その1)」という記事です。公民連携の中で公園を維持管理する仕組みを立ち上げてこられたようです。

伊吹山の鹿の食害と貴重植物の保護活動

▪️長らく、公益財団法人平和堂財団「夏原グラント」の選考委員をしています。もう10年目になります。毎年、夏原グラントが助成をしている環境保全団体の活動からは、多くのことを学ばせていただいています。今年度から助成を受ける「ユウスゲと貴重植物を守り育てる会」の高橋滝治郎さんのFacebookへの投稿です。鹿に貴重な植物が食べられないように、地域住民の手でできることをしようと、これまでの化繊のネットではなくて、もっと頑丈な鉄柵で囲むことに取り組んでおられます。助成には上限がありますが、上限いっぱいまで鉄柵を購入する費用に当てられていたと思います。すごく、シンプルで分かりやすく、評価も高い申請でした。こうやって、鉄柵で囲んだエリアを増やしていかれるのだと思います。

▪️伊吹山は、今、鹿の食害で大変な状況になっています。やっと自治体も県境を超えて連携しながら動き始めました。食害の結果として、雨が山肌を抉り、深い谷のようなものがいくつも生まれています。山が崩壊していくかのようです。すでに土砂災害も発生していることから、至急に、土木的な対策を講じる必要があるでしょう。加えて、鹿の捕獲ですね。高橋さんたちは、投稿の冒頭に「深刻な状況だけどわれわれができることを着実に進めます」と書いておられます。力強いお言葉です。

二地域居住

▪️「二地域居住」。二重の住民登録。総務省は、相当抵抗しているようだけど、大規模な事故や災害によって二地域居住せざるを得ない皆さんを支える制度になればと思います。ひょっとすると、関係人口とも関係してくるのかなとも思います。関係人口の実質性を高めることになるわけですから。

産経新聞「増田寛也元総務相、二地域居住者へ「第2住民票」提言 「国が促進なら公的な証明書必要」

朽木古屋の「六斎念仏踊り」

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▪️昨日は、古屋(滋賀県高島市朽木)の「六斎念仏踊り」を見学させていただきました。「『六斎念仏踊り』ってなんだろう?」という方は、まずは以下をご覧になってください。最近、気がついたのですが、こんな素敵なサイトができていたんです。私がこの「六斎念仏踊り」と少しつながりがあるのは、こういうことがあったのです。こちらをお読みいただければと思います

▪️昨日は、早めに古屋に到着して、この「六斎念仏踊り」を継承されている坂本家を訪問しました。私がゼミで指導した坂本昂弘くんのお祖父様からお話を伺いました。でも伺ったのは、「六斎念仏踊り」ではなく、林業(樹木の伐採等)や炭焼きのことでした。お祖父様は、高度経済成長期の最後の頃、家族で守山市に移られました。坂本くんのお父様は小5、弟である叔父様は小2でした。山の仕事では暮らしていけなくなったからです。しかし、町場にはたくさんの求人があったといいます。

▪️坂本家は、お祖父様が守山市で働きながら、家、農地、山林、墓を維持するために、車でたびたび古屋に通われました。お父様や叔父様も一緒に通われました。朽木は雪深いところです。積雪があると、屋根の雪をおろさねぱなりません。雪おろしをした後は、また守山まで戻るのです。その途中、山道で車が故障してしまったこともあったといいます。大変なことです。夏は、所有されている山林の下草を刈らなくていけません。坂本家は、今でいう「二拠点居住」をされてきたのです。「二拠点居住」と書きましたが、現在の田舎暮らしを楽しむ「二拠点居住」とは全く違います。家を守るために、家産を守るために通っておられたのです。お盆の時は、もちろん古屋で過ごされました。そして、お祖父様は何十年もお仲間と一緒に「六斎念仏踊り」を行ってこられたのです。

▪️古屋には20軒の家があるのですが、過疎が進む中で、今日は、たしか7 軒のお宅の前で「六斎念仏踊り」が踊られました。一度途絶えた「六斎念仏踊り」ですが、古屋の外から継承しようとやってこられた若者の皆さん、その若者の皆さんに刺激を受けて、古屋にルーツを持つ地元の2人の若者もこの「六斎念仏踊り」に参加されているようです。少し安心しました。こういった文化が継承されるためには、ここで暮らし続けることが可能な条件を、時代の変化に合わせて整えていかなければならないのですが、関係者の皆様にはぜひその辺りのこともお考えになって欲しいと思っています。

▪️私は4軒のお宅の前で演じられた「六斎念仏踊り」を見学させていただきました。本当は全て拝見したかったのですが…。というのも、自分で車を運転して帰宅するのに少し時間がかかるかなと思ったので、全て踊り終える前にお暇しました。古屋は、安曇川の支流である針畑川沿いにあります。その針畑川沿いの道、慣れていない私には夜道の運転が大変かなと思ったからです。狭い道がたくさんあるのです。後ろからおそらく地元の方の車が迫ってきます。そういう時は、車を停車させて先に行っていただきました。そういうことが3回くらいあったでしょうか。よく知らない暗く狭い道を地元の方と同じスピードで運転できません。そうそう、一度、鹿とも遭遇しました。やばかった。ドキドキしながらの運転でしたが、なんとか無事に自宅まで辿りつくことができました。

▪️最後の写真は、お祖父様にお話を伺っている時に叔父様に撮っていただいたものです。お祖父様は、昭和10年生まれ。今年で89歳になられるとのこと。大変お元気です。昔の山での仕事のことをしっかり記憶されていて驚きました。

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