「ちょっとお寺で新年会」

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20170205tsukaguti.png ■昨晩は、尼崎市の塚口まで出かけました。尼崎にある浄土真宗本願寺派の西正寺で開催された「【どなたでも参加歓迎!】ちょっとお寺で新年会〜尼崎を楽しみたい人たちの年初めの寄り合い〜」というイベントに参加するためです。私は、若い頃は阪神間で暮らし、学び、遊び、アルバイトをしていました。ですから、尼崎についても、それなりの土地勘があるはずと思っていたわけですが、実際にJR塚口駅に降り立った途端、記憶している街のイメージとは随分違っていることに気がつきました。駅前が再開発されていたからです。再開発された土地は、以前、森永製菓の工場があったところだそうです。まあ、そのように街の変化に驚きながら、Googleマップを頼りに西正寺に向かいました。地図を見ると、道路に微妙な「揺れ」があります。まっすぐではありません。尼崎は工業都市というイメージですが、それ以前の、元々農村だった時代の土地利用のあり方(集落、農道、農地…)が、道路の様子から垣間見えるのです。再開発された新しい街、工業都市、農村…街の中に尼崎の歴史の地層(レイアー)が積み重なっていることがわかります。

■さて、なぜ西正寺のイベントに参加したのかというと、このお寺の副住職をされている中平了悟さんと知り合いになったからです。中平さんは、現在、龍谷大学の実践真宗学研究科の実習助手として勤務されていることもあり、ちょっとした「ご縁」で一緒に呑む機会がありました。普段であれば、私のような社会学部の教員だとなかなか出会えない方かと思いますが、「呑み」はそのような組織の中の見えない壁を突破させてくれます。その時は、中平さんがお住いの尼崎で取り組まれている活動について、いろいろお話しをお聞かせいただきました。とても興味深い活お話しでた。そして、実際にちょっと活動をのぞいてみたくなったのです。どなたでも参加歓迎ですしね。

■昨晩は、まず中平さんを導師に礼拝が行われました。皆さんと一緒にお経を唱えました。きちんとお念珠を用意していました。半分以上の方が、お経を唱えるのは初めとのことでした。お経をたくさんの人と一緒に唱えると、皆の気持ちが一体化するような感じもあります(ある方は、「グルーヴ感」が生まれると表現していました)。中平さんは、「お寺を町に返していく」ことを念頭に活動されています。お寺を町に開いていくといいますか、お寺と町との間にある「線」を相対化して、両義的な空間を創出していくことを考えておられるのだと思います。私としては、お寺の本堂をそのような両義的な空間として地域づくりに使わせていただくことの感謝の気持ちとともに、お経を唱えました。礼拝の後は、3〜4人のグループに分かれて自己紹介をしました。私のグループは、まだ20歳代の若い男性と女性と一緒になりました。男性は岐阜県、女性は富山県のご出身でした。この辺りから、場の空気も随分ほぐれてきました。ほぐれたところで、今度は鼎談です。「尼崎ENGAWA化計画」でコミュニティエディターをされている藤本遼さん、中平さん、そして重症心身しょうがい者の地域生活(入浴・外出)を支える活動をされているNPO法人「月と風と」の清田仁之さんの3人で鼎談が行われました。

■お3人が自らの経験をもとにいろんな話しをされましたが、ポイントをまとめると以下のようになります。制度化され固定化された社会の仕組み、線引きによって白黒をはっきりさせようとするものの見方や考え方、さらにこれが正解と決めつけた(権威主義的な/パターナリスティックな)言説、それらは人と人の間を分断してしまう。そのような弊害を、日々の実践の中でどのように相対化、無化していくのか。人と人の関係。今生きている人と死者との関係。しょうがい者と健常者との関係。それらの関係が生み出す潜在的な可能性を大切にする。そのような関係が創発的に生まれる仕掛けをみんなで楽しみながら作っていく…そのようなお話しだったように思います。こんなに単純にまとめてしまっていいのか…という不安もありますが、私にはこのように理解できました。

■尼崎という地域を、暮らしている方達自身、「あま」と呼びます。「あま」の持っている地域の特性、「人と人の間のハードルが低い」地域であるということも、重要な地域要因としてお3人の活動の背景に存在しているように思いました。これは藤本さんからお聞きしたことですが、土地の有力者や地付層の方達のネットワークとは別のレイヤーで動いているというのです。よくある上の年齢層が結果として若い年齢層の動きにブレーキをかけるようなことも少なそうです。

■清田さんが紹介してくださった、「重度しょうがいしゃの方とヘルパーさんが、他所の家のお風呂を借りる」という話し…、私は非常に興味深く拝聴しました。中平さんと藤本さんは西正寺でカレーを食べるイベント?!「カリー寺」を開催されました。お風呂にしてもカレーにしても、しょうがいしゃと健常者や地域社会との関係、お寺と地域社会との関係の間にある見えない壁を相対化していこうとする試みだと思います。以下は、私のメモです。

・清田さん: 自閉症のNくんが、周りを変化させていく話し。しょうがいしゃを軸にすると社会が変わる。
・中平さん:こたえがない、その方が良い。与えられると、生き辛くなる。
・藤本さん:自分の中に他人を持つ。自分の中の他者性。
・清田さん:良い場所とは、圧倒的なプロがいない場所のことだ。プロがいない方が良い。
・中平さん:「曖昧さ」の中に、身を置けるような感覚が大事。答えがあることの違和感。
・藤本さん:お金にならないことをやらない人は、面白くない。それ以外のこと想定していない。それ以外のことが関係性を作る。
・藤本さん:成果がなくても、プロセスを面白がる。プロセスを味わえる。

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■鼎談の後は、みんなで持ち寄った食べ物と飲み物を楽しみながら、フリーに懇談ということになりました。非常に盛り上がりました。尼崎、元気があります〜。もともと、地域づくり・まちづくり、地域福祉に関心がある方達だとは思いますが、後で中平さん教えてもらったところでは、僧侶、NPO職員、保険屋さん、居酒屋さん、不動産屋さん、ライターさん、歌手、パフォーマー、看護師、医師、隣保館の職員、介護と保育の施設の運営者、市役所の職員、県の職員、銀行員、住みびらきしている人、学生(間もなく終わる人)、そして私のような大学教員と、実に様々な方達が参加されていました。ということで、最後は記念の集合写真を撮りました。

20170206sotokoto.jpg ■藤本さんが代表をされている「尼崎ENGAWA化計画」につきましては、『ソトコト』3月号にその活動内容が紹介されています。こんなタイトルの記事です。「まちづくりではなく、『遊び』だ! 『尼崎ENGAWA化計画』がつくる、まちの縁側。」(「まち縁側」といえば、建築家の延藤安弘さんのことを思い出します)。縁側という人と人が交流する内でない外でもない曖昧な空間、そのような曖昧さを街のあちこちに作り出していこうということでしょう。そして、何かの理念のために「ねばならない」「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」ではなく、「遊び」で活動するというのです。楽しいことは主体的にやる…その通りだと思います。私も常々、同様の指摘をしてきました。私が流域ガバナンスの問題の中で、「楽しみ」や「しあわせ」という言葉をあえて使うのも、ステークホルダーの主体性の問題と関連しています。また、尼崎を訪ねることができればと思います。面白いです、尼崎。

【追記】■本文に書いた「清田さん:良い場所とは、圧倒的なプロがいない場所のことだ。プロがいない方が良い。」というメモに関して、また「遊び」という楽しみを重視する活動に関して、思い出したことがあります。

■今から10年前の話しになりますが、私が環境社会学会の学会誌『環境社会学研究』の編集委員長をしている時に、学会誌の特集として「市民調査の可能性と課題」を組みました。その特集の中では、林学の蔵治光一郎さんに「参加者の楽しみを優先する市民調査-矢作川森の健康診断の実践から見えてきたもの-」をご執筆いただきました。私は、この特集の解説をした短い文章の中で、蔵治さんの論文を次のように紹介しました。

一般に、市民調査の成果をもとに政策提言していくためには、科学的厳密性やデータの信頼性が求められる。そのような市民調査は、目的志向的ないし手段的(instrumental)と言える性格を強く持つことになるが、そのことは、市民調査という活動自体のなかに何らかの楽しみや充足感を見出そうとする多くの市民の思考とはしばしば矛盾することになる。しかし、この「矢作川森の健康診断」では、そのような問題を、現場での工夫のなかから乗り越えようとしてきた。蔵治は、「矢作川森の健康診断」の特徴を、「効率を追わない」「市民と専門家が対等な立場でかかわる」「科学的精度よりも参加者の楽しみを重視」「参加費を取って運営する」という4つの特徴にまとめている。最初の3つの特徴は、楽しみを媒介に参加する市民の主体性を鼓舞するための工夫であるし、4つめの特徴は、行政に依存するのではなく参加する市民の自立性を育む工夫であろう。また、このような活動に参加する専門家の条件が、「専門分野のずれ」「分野外への踏み出し」「社会提言」の意思があることだという発見も興味深い。

みんな、ありがとう!!

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20170204wakita2.jpg■脇田ゼミ12期生の皆さん、昨日の「卒論報告会」、お疲れ様でした。本当は、「卒論発表会」なんですけどね。それはともかく、脇田ゼミの卒論は「辛かった」でしょうか。頑張った人もいれば、そうでない人もいます。卒論のプレッシャーから逃げずに最後まで頑張りとうせた人もいれば、逆に、早くプレッシャーから逃れたい一念で執筆した人もいるでしょう。

■いずれにせよ、テーマ設定、調査地の選定、調査の実施、卒論執筆…一連の経験をする事の中で、改めて自分という人間の「傾向」が以前よりも自覚できるようになったのではないかと思います。人間の「傾向」、わかりにくい表現ですが、卒論のプレッシャーの中で、そのような「傾向」の中でも特に自分の性格の「弱い部分」を自覚できたとしたら、その「弱い部分」は社会人になってからも仕事をする中で現れてくると思います。人のこの「傾向」は、簡単には変わりません。変えられません。でも、その「弱い部分」を自覚したら、それが最小限になるようにコントロールできるかもしれません。今回の卒論に伴う経験を、時々思い出してください。大切にしてください。

■私からみなさんに聞きたいことは、卒論はもちろんのこと、「北船路米づくり研究会」での活動も含めて、このゼミに2年間所属して経験したことが、みなさん自身を成長させる機会になっただろうか…ということです。その辺りのことを、卒業式を迎えるまでに、少し頭の中で整理をしておいてください。よろしくお願いいたします。

■それから、素敵な色紙をありがとうございました。みなさんのメッセージを一つ一つ読みながら、この2年間を思い出しています。みなさんは嫌がるかもしれませんが、本当は、もっと時間をかけて卒業論文の面談をしたかったのです。硏究部長の仕事があり、なかなか時間が取れませんでした。申し訳なかったです。みなさんには、いろいろ苦言を呈してきたわけですが、それも卒業後のことを考えるからですからね。

■みなさんの学年、脇田ゼミ12期生の学年代表は水戸龍一くんです。「北船路米づくり研究会」代表をしてくれた彼の人柄を見込んでお願いをしました。これからも、水戸くんを中心に連絡を取り合い、数年に1度くらいはあって近況を語り合ってください。同窓会って、いいものですよ。君たちの学年には、それができるような気がします。また、時々、私もその同窓会に呼んでください。よろしくお願いいたします。それでは、卒業式そして3月末までの間、最後の学生生活を楽しんでください。ただし、はしゃぎすぎて問題を起こさないように注意してくださいね。

【追記】■ところで、私の苗字、脇田の「脇」の字は、月に刀3つの旧字体なんですが…、でも、ありがとう‼︎

2016年度「卒業論文報告会」

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■昨日は、ゼミの「卒論報告会」でした。午前中から、1人15分の持ち時間の中で報告を行いました。報告10分、質疑応答・講評が5分という目安でしょうか。今回、卒論を提出できなかった1名をのぞき、全員が報告を行いました。これは、口述試問でもあります。卒論を提出したあと、ゼミで手作りの卒業論文集を作成しました。昨日は、A41枚表裏のレジュメと、この卒業論文集を使って報告をしてもらいました。

■私のゼミでは、全員、質的な調査にもとづいて卒業論文を執筆することになっています。これは、「ゼミの約束」です。カリキュラムの中にある社会調査実習という授業を履修している/していないに関わらず、全員が質的な調査に取り組みます。テーマ、具体的にどこで調査を行うのかは、面談のなかで相談しながら決定しますが、「本人」の主体性が重要になります。私自身は、ゼミ生の調査には同行しません。あくまで、ゼミ生の後方からの指導に徹します。もちろん、調査の進め方については、随時、アドバイスや指導をします。インタビューをお願いする時の手紙やメールの添削、電話の掛け方…等々まで指導します。そのような事までも含めて、卒論提出するまでに必要な一連のプロセスが、ゼミ生が成長していく機会になればと思っているのです。龍谷大学に赴任してから13年経ちます。今回の学生たちが12期生になりますが、全ての学年で同様の指導を行ってきました。

■最近、指導をしていて思うことは、なかなか調査に取り掛かることができない…ということです。「知らない人に連絡をして、話しを聞かせていただく」ということは、ゼミ生からすると初めての経験ですし、緊張して尻込みしてしまうことは仕方のないことです。社会調査実習という授業もありますが、基本的に教員が全て段取りをした上での調査ですし、集団での調査になります。しかし、卒論の調査は、私の指導はあるものの、全て1人で行わなければなりません。実習ではなく本番です。そこが辛いのかもしれません。

■取り掛かる時期が遅いと、調査期間が短くなります。調査期間が短いと、当然のことながら深い調査ができません。調査の中で意味のある「発見」ができません。極端なことを言えば、聞いてきた話しをまとめるだけ…になってしまいます。調査に出かける前は、ぼやっとした「課題のようなもの…」を頭の中に入れていますが、そのような「課題のようなもの…」は、調査からの「発見」(findings)にもとづき、どんどん修正していく必要があります。インタビューの中で、「なぜ?」・「どのように?」…と次々に聞きたい質問が頭に浮かんでこなければなりません。そして、インタビューを繰り返す中で、「課題のようなもの…」を、学問的に「意味のある課題」に修正し鍛え上げていかなければなりません(もちろん、大学の図書館で文献も読み込んでいかなければなりませんが)。調査を進めていく中で、課題を焦点化していくわけですね。調査期間が短いと、この作業ができません。「発見」があるから研究は面白いわけですが、その前に単なるレポートのような薄っぺらな内容のもので提出しなければなりません。このことを繰り返しゼミ生たちに言ってきましたが、なかなか…現実は厳しいです。

■ゼミ生の指導については、年間延べ100人以上、多い時は延べ135人と面談をしてきました。これは記録をとったものだけですから、実際はもっと多いと思います。しかし、昨年度と今年度の2年間は、研究部長で多忙であったため、面談に十分な時間が取れませんでした。ゼミ生たちに発破をかけて、お尻を叩いて調査に向かわせることがあまりできませんでした。また、ゼミ生を呼び出しして指導するようなこともできませんでした。そのため今年の面談回数は、例年の2/3ほどに減ってしまいました。この辺り、苦労しました。

■とはいえ、昨日は全員が報告を終えることができました。報告会の後は、JR瀬田駅前の居酒屋で打ち上げをやりました。これで、全てが終了しました。後は、卒業式だけですね。苦労して卒論に取り組んだ様々な経験は、きっと役立つはずです。ところで、私自身は、ずっと「卒論発表会」と言ってきたつもりでしたが、トップの黒板のように「報告会」になっていました。今年度、2016年度に限り「報告会」で良しとしておきます。

2回目の「就活メイクセミナー」

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20170204iwata2.jpg ■2011年の春に卒業した、脇田ゼミOGである岩田麻希さんからLINEにメッセージが入りました。何が大変なのかと思いしたが、昨年に引き続き、今年も母校・龍谷大学で「就活メイクアップセミナー」を開催できるようになったとの連絡でした。彼女は化粧品会社のメイクの専門家です。他大学で「就活メイクアップセミナー」を担当しているという話しを聞き、それならば母校でもやってみたらと、少しだけお手伝いをして、昨年、母校での「就活メイクアップセミナー」が実現しました。彼女はLINEのメッセージで、「龍谷大学に恩返しできるように頑張ってきます‼︎」と気合を伝えてくれました。昨年の実績が評価されたようですね。素晴らしい〜。しかし、報告が直前なんだよね〜。もう少し早く知らせてね、岩田さん(このあたりは、学生時代とかわっていないな…)。

岩田さんからの情報です。
会場は、深草キャンパス22号館105教室
2/3(金)16時〜17時半
2/8(水)16時〜17時半
2/9(木)14時15分〜15時45分

■トップの写真は、今年の「就活メイクセミナー」の様子です。みなさん、とても集中しているような…そんな感じが伝わってきます。

娘の帰省

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■結婚して大阪に暮らしている娘が1人で帰省しました。帰省といっても、現在暮らしている大津の家は、彼女が成長した思い出のある家ではありません。娘は奈良のマンションで成長しました。19歳で神戸に下宿をさせました。本人からの希望もありました。その時以来、ずっと1人で暮らし。そして、2年前に結婚しました。基本的に、「成長した子どもは、どんどん家を出て自立していくべし!!」という考え方ですので、こんなものでしょうか。ですから、娘にとって思い出がいっぱい詰まった実家はもうありません。

■しかし、アルバムがあります。夕食後、娘は自分のアルバムをめくり始めました。そのアルバムを横から覗いてみました。ひさしぶりです。この写真は、30年前の写真です。娘が生まれて15日目の写真。だから、私も30年前ということになりますね。28歳。おっと、もみあげがありません。テクノカット全盛時ですから、こんなものでしょうか。眼鏡もな〜、なんだか時代を感じます。。髪の毛もフサフサあります。若い頃の自分の頭ではありますが、過去の髪の毛の量がなんだか羨ましい…。下の写真ですが、父親に顔を擦り付けられて、ちょっと嫌がっているのかな。とても可愛い!! こうやって世代が少しずつ更新されていくのですね。「完全更新」も、もうじきだと思います。

■この写真の頃は、現在の「アラ還」の自分を小指の先ほども想像できませんでした。

個人的なこと

市電が走る風景

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■京都駅のそばにある「京都タワーホテル」のポスターに目が止まりました。「同窓会プラン」と書いてありますから、うちのホテルで同窓会を開催しませんか…ということなのでしょう。写真は、京都タワーなのですが、何かちょっと違う…。そうです、市電が走っています。停車場も写っています。変わらないのは、京都タワーホテルの入ったビルと、その向こうに見える関西電力のビルかな。
■私は、この京都の市電に1度だけ乗った記憶があります。1978年9月30日に全廃されていますから、それ以前ですね。高校生の時です。もっとも、当時は神戸の高校に通学していましたから、この記憶は「旅人」の記憶です。ですから、このポスターを見ても心の底から懐かしいという気持ちは湧いて来ません。ただし、やはりといいますか、全体に漂う「昭和」の雰囲気には何か心が反応するような気がします。

■下の画像は、ポスターの中にあった昭和29年(1954年)当時の京都駅前の写真です。北に向かう烏丸通りを撮っているんだと思います。現在の京都タワーのビルはまだありません。ここは、確か京都中央郵便局だったかな。確信はありませんが、多分そうだと思います。その後ろ、北側にあるのは「丸物」(まるぶつ)、デパートです。現在は、「ヨドバシカメラ」のビルが建っていますが、以前、ここは近鉄百貨店でした。2007年まで営業をしていたようですが、記憶がはっきりしません。このビルを壊して、新しく建て直したものが「ヨドバシカメラ」の入っているビルになります。このように京都駅前にはビルが建っていますが、写真を見る限りその向こうには高いビルがありません。車の通行量も、圧倒的に少ない…。63年前の風景です。

■都市の景観はどうあるべきなのか。難しい問題です。都市のアイデンティティといっても良いかもしれません。ある人がこういっていました。

品格のある都市の景観は、急激には変わらない。人々が自らの都市にとって「本質的」だと感じている「もの」や「こと」を維持しながら、少しずつ新陳代謝をしていく。新陳代謝していくけれども、何か持続している。そういう都市は品格がある。急激に変わるというのは、何か背後に経済が金が動いているからだ。そのような経済や金の動きを抑制しながら、少しずつ新陳代謝していくことの繰り返しの中に品格は生まれていくのだ。

■京都は景観行政としては、全国的にも注目される都市ですが、実際のところはどうだったんでしょう。

琵琶湖の全循環(2017年)

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■「琵琶湖の深呼吸」とも言われる「琵琶湖の全循環(全層循環)」が無事に確認されました。滋賀県が、琵琶湖北湖の高島市・今津浜沖で、湖の表層と底層(水深約90メートル)の水中に溶けた酸素濃度が同程度になる「全循環」が1月26日に確認されたと発表しました。最近の10年間では、2011年1月24日の確認についで2番目の早さとのことです(昨年、2016年は3月半ばでした)。三日月滋賀県知事も定例記者会見で説明されています。今年は、水温が高いことに加えて、雪が降ったり、気温が低かったりしたことが、早めに全循環が起こった理由のようです。とりあえず、滋賀県民としてホッとしています。動画中では、8分頃から、三日月知事が全循環(全層循環)に関する記者からの質問に答えておられます。

「浅茅生」の酒粕を使った”ディアマン”

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■左党(酒好き)の私の場合、「浅茅生(あさじお)」と言えば日本酒が頭に浮んできます。大津市の中心市街地、丸屋町商店街の中にある平井商店の銘柄です。しかし、こちらの「浅茅生」は、フランス菓子「ディアマン」です。ゼミ生たちがプロデュースした「純米吟醸無ろ過生原酒 北船路」、今年も新酒が発売されているということで、先日、平井商店さんに伺いました。美味しい「純米吟醸無ろ過生原酒 北船路」を購入した時、ふとレジの横を見るとこのワンカップ酒の器に入ったお菓子が並んでいたのでした。

■「ディアマン」とは、フランス語でダイヤモンドのことです。お菓子の側面についているキラキラ光る砂糖から、そう呼ばれるのだそうです。ただし、この「ディアマン」には「浅茅生」の酒粕が入っています。食べてみると、ほのかな酒粕の風味に加えて、素敵な酸味を少し感じました。美味しい‼︎ 実はこのディアマン、芦屋の洋菓子ブランド「アンリ・シャルパンティエ」とのコラボ商品です。「アンリ・シャルパンティエ」は、丸屋町商店街に隣接する菱屋町商店街に出店しています。この「ディアマン」を扱っているのは、「アンリ・シャルパンティエ」の中でも大津の店舗(浜大津店)だけとのことです。大津にある老舗の酒蔵と有名洋菓子メーカーとのコラボは、どのようなプロセスで誕生したのでしょうか。興味のあるところです。

龍谷大学の建学の精神

20170131kengakunoseishin.png ■龍谷大学に勤務して13年。にもかかわらず、大学のホームページの細かな中身を丁寧に見ることをしていません。おそらく、それは私だけではないと思いますが…。たまたま龍谷大学の宗教部のページを開いたところ、「龍大はじめの一歩 龍谷大学『建学の精神』」があるのを「発見」しました。今まで、気がついていませんでした。2015年に「龍大はじめの一歩 龍谷大学『建学の精神』」という冊子が発行されたようなのですが、知りませんでした。いけません…。宗教部のホームページでも読むことができます。

■おそらく、入学したばかりの新入生に読んでもらおうと執筆されたものかと思います。大変わかりやすく書かれています。でも、私のような教員こそが、今後のカリキュラムを考えていく上でも、しっかりとこの冊子を読むべきかなと思いました。建学の精神に基づき、様々な計画が立てられているのですから。龍谷大学は第5期長期計画を定めて大学の改革に取り組んでいますが、この長期計画が完了する時に到達すべき将来像として「2020年の龍谷大学」を定めています。その「使命」のところには、次のように書いてあります。

龍谷大学は、建学の精神(浄土真宗の精神)に基づく、すべての「いのち」が平等に生かされる「共生(ともいき)」の理念のもと、「人間・科学・宗教」の3つの領域が融合する新たな知の創造に努めるとともに、人類社会が求める「次代を担う人間」の育成を図り、学術文化の振興や豊かな社会づくり、世界の平和と発展に貢献することを使命とする。

■各教員が、事実として、どこまでこの「建学の精神」に注意を払っているのか私にはわかりませんが、私自身は、この建学の精神、そして「使命」を、自分が研究している地域社会での環境問題(琵琶湖や琵琶湖に流入する河川の流域管理・流域ガバナンス等)や地域社会での実践という具体的な文脈に位置付けて咀嚼しようとしてきました。現代社会の課題に取り組む上で、重要な視点が提示されているようにも思います。単なる”御題目”のような存在ではないはずです。

竹村牧男さんの講演「現代社会の動向と仏教の可能性」(世界仏教文化研究センター開設記念特別講演会「世界の苦悩に向き合う仏教の可能性〜共に生きる道はどこに〜」)

20170131sebutu3.jpg■1つ前のエントリーの続きです。一昨日、日曜日の午後、世界仏教文化研究センターの開設記念特別講演会「世界の苦悩に向き合う仏教の可能性〜共に生きる道はどこに〜」が開催されました。講師にジャーナリストの池上彰さんと東洋大学学長の竹村牧男さんをお招きし、「世界の中で宗教を考える」(特別講演)と「現代社会の動向と仏教の可能性」(講演)、2つのご講演をしていただきました。1つ前のエントリーに、池上さんの特別講演の要旨をまとめました。このエントリーでは、東洋大学学長である竹村牧男さんの講演の要旨をまとめます。竹村さんは、レジュメをご用意くださいました。そのレジュメと、講演を聴きながらとったメモに従ってご紹介していきたいと思います。

■竹村さんは、冒頭に自己紹介と、哲学者である井上円了が創設した東洋大学の紹介をされました。東洋大学は、井上が1887年に創設した「私立哲学館」に由来します。私は井上円了に関して全く知識を持ち合わせていませんが、井上は仏教が現実社会に適するように変わらなければならないし、現実社会に深く関わるべきと考えていました(ここからもわかるように、仏教の宗教としての側面ではなく、思想としての側面を強調していることがわかります)。講演の中では、そのような仏教の持つ可能性が、現代社会の動向と照らし合せながら検討されていきます。

■竹村さんは、現代社会の動向を次のよう分析します。まず、「現代社会の動向I 絶対的なるものの喪失と価値観の拡散」。現代社会においては、人間が拠るべき究極の価値が見失われています。「現代社会の動向II グローバリゼーションと保護主義の台頭」。マイケル・サンデルを引用しつつ、グローバル化は強烈な個人主義をその哲学にしていると、グローバリゼーションの背景にあるアトム的人間観を批判的に捉えます。「現代社会の動向III ICTおよびAIの普及・浸透と人間への深い問い」。AIの研究者の見解を引用しつつ、AIの能力が高まると、「高い創造力や重い責任が求められるためAIにはできない仕事と、AIより人間を使う方が安いから人間にさせておく仕事に、二極分化」するため、教育において重要なことは、「物事の意味を理解し、思考し、表現できる力を養う」ことなのだが、現実には、「論理的ではなく、断片的、感情的な情報で世論や政治が動き始めて」いるというのです。このような現代社会の動向について整理された後、それらの動向が孕む問題に対して仏教はどのような可能性を持っているのかについて説明されました。以下は、レジュメからの抜書きです。

■「仏教の可能性I」。①「仏教は人間の自由を縛るような有の絶対者は説かない」、「空性(くうしょう)としての絶対者を説くことに、その独自の特質と可能性とを見るべき」であり、物事の根元にあるその「空性」は、「むしろ個人の自由を保障するものとなる」。「有の絶対者を突破して、無の絶対者に深まることによって、本来、自由な事故との成立基盤をもういちど、見いだすことができる。ここに仏教の貢献できる大きな要素がある」。②グローバリゼーションの背景にある強烈な個人主義。「個人が個人で完結しているという、アトム的な人間観」に対して、「仏教は無我を説く。あくまでそのときそのときのかけがえのない主体はあるが、常住の本体のような自我はない」。縁起の思想。「自己は自己のみで存立しえているわけではない、他者を待ってはじめて成立し得ている、これが縁起の考え方」。「自己は、自他ともに支え合い、助け合い、補完し合ってはじめて生きていられる存在なのであって、このことを根本に据えて社会のあり方をも考えていくべきである」。多文化共生、新たな文明原理。③IoTやAIの進化に基づく人間性の喪失という問題。「人間はこの人生において何を目指すべきなのかしっかり自覚する必要があろう」。「無上覚とは」、「自由自在に他者の救済を実現していくはたらきであり、そこでは本来、仏性に具わる無量の功徳を発揮することにもなる。それは創造性の開発にもほかならない。仏教には、世間への批判的精神と創造性の発揮による他者への貢献を導くものがある」。「仏教には、空性・無我と縁起・覚への道というその独自の立場において、現代の地球社会の動向に、大きな役割を果たすことができると考える」。

■「仏教の可能性II」。縁起、「原因と諸縁(諸条件)とが合わさって初めて結果がある(因+縁→果)という見方」。華厳宗の縁起。法蔵の「華厳五経章」。「六相円融義」。6つのアスペクトが融け合っている。総相(全体)、別相(全体を構成する要素)、同相(それらの要素が等しく一つのぜんたいを作っている)、異相(要素が互いに異なっている)、成相(それらの要素が関係を結んでいる)、壊相(それらの要素がそれぞれ自分を守っている)。「ある個人はあらゆる他の個人(他者)と、もとより相即している。「ある構成要素と全体が一つであるだけでなく、構成要素と構成要素の間でも、互いに相即している。ある個人は社会全体と不二一体であるとともに、他のあらゆる個人とも不二一体であるという」。要素の間に「差異があると同時に、むしろ異なるから切り離せない、区別されるから関係するというような事態が成立している」。

■「仏教の課題 自由と主体性の復権を目指して」。「浄土教によせていえば、阿弥陀仏の大悲の心が自分に行き渡らないうちは、『もう自分は救われた、大丈夫だ』と言ってそれで満足してしまう。けれども弥陀の悲心が自分の身心に充足し、本当に仏のいのちがその人に働いているならば、『自分はこれでは申し訳ない』という気持ちが出てくるはずだということではないだろうか」。「宗教的に救われた身になっているからこそ、その御恩に応えて生活してゆこうという方向になる。つまり宗教的に徹底すればするほど、現実の社会の問題にも無関心でいられなくなるはずだということである」。

■仏教に関しては、素人勉強しかできていないので、どこまで竹村さんのご講演を理解できたのか不安なところもありますが、前の週に開催された中沢新一さんの「レンマ科学の創造に向けて-発端としての南方熊楠-」という講演を聴いて、一即一切・一切即一という言葉で表現される華厳経の考え方に関心を持っていただけに、竹村さんの「縁起」のお話しは、私にとってグッドタイミングだったように思いました。「空性」は、「むしろ個人の自由を保障するものとなる」ということや、「自己は自己のみで存立しえているわけではない、他者を待ってはじめて成立し得ている、これが縁起の考え方」・「自己は、自他ともに支え合い、助け合い、補完し合ってはじめて生きていられる存在なのであって、このことを根本に据えて社会のあり方をも考えていくべきである」という考え方、これは社会学を専攻している私たちには理解しやすいように思います。自己とは、他者との関係性の中に浮かび上がってくるホログラフィーのような存在と言うと言い過ぎでしょうか。その上で、難しいのは「六相円融義」です。この考え方自体を概念的に理解したとして、それを現実社会との対応の中でリアルに考えていくとき、自分の理解力の限界を感じます。

■この華厳経の一即一切・一切即一という考え方は、数学でいうところの「フラクタル」の考え方に近いものがあります。そういえば…と思い出して、自宅の書架にある釈徹宗さんの『いきなりはじめる仏教生活』を取り出しました。釈さんは、「お互いがお互いを取り込み内臓し、内臓されている、そういう積極的なもの」だというのです。

私は全世界からみれば、あってもなくてもよいような存在なのですが、でも私は全世界そのものにほかならないのです。そして世界は私なしでは存在しません。私は今・ここに立ちながら全世界へと働きかける。全世界も過去も未来も私に働きかけようとしている。それは刻々と関わり続けていて、止むことを滞ることもありません。私はこの関係に関係し続けることによって存在するのです。それはまるで底に穴の開いている船に乗って、コップで水をかいだし続けるような作業かもしれません。でも関わり続けるんです。

『華厳経』の説く世界は、決して観念の遊びではなく、感得しリアルにイメージすることが大切です。しかも、現代社会においてとても重要なことかもしれません。なぜなら、自分と世界との関係を実感することが、自我の肥大を抑制するからです。

■私が専門としている環境社会学、そして取り組んでいる流域の環境問題と、うまく言語化できませんが、このような考え方はどこかで結びついている予感がしています。ヒントがあるような気がします(今、ここで詳しくは説明できないのですが…)。素人勉強ですが、竹村さんが執筆された『華厳とは何か』についても読んでみようと思います。

【追記】■世界仏教文化研究センター開設記念特別講演会の会場となった顕真館のことについて追記しておきます。大学のホームページの顕真館を紹介したページからの引用です。

顕真館の名称は親鸞聖人の主著『顕浄土真実教行証文類』(一般に『教行信証』あるいは『教行証文類』と呼ばれている)から名づけられました。本学の建学の精神を具現する教育施設の原点たる性格を持つ建物で、講義や入学式・卒業式などが行なわれる講堂であるとともに、勤行・法要・各種宗教行事などが行なわれる「礼拝堂」として、1984(昭和59)年3月13日に竣工しました。

正面中央の本尊は、親鸞聖人ご真筆の六字名号を拡大模写して、樺に彫ったものです。
この六字名号は「南無阿弥陀仏」を中央に、讃銘として上部右に『無量寿経』の第十八願(念仏往生の願)文、左に第十一願(必至滅度の願)文を、下部には同経の「大悲摂化の文」八句などを書いた小紙が添付されています。聖人84歳時に書かれ、下人の弥太郎に与えられたと言われています。

■トップの写真は、この説明にある六字名号です。

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